選択肢 「そのギターってさ、純佳ちゃんのじゃないよね」  ペグが弦をぎちぎちと巻き取る感触を指先に感じていると、そらちゃんがそんなことを言い出した。 「どうして?」 「だってギター弾くときは家から自前の持ってきてるでしょ。それとは別のやつ」  演奏に明るくないメンバーとは違って、バンド経験のあるそらちゃんの目は誤魔化せないらしい。  調律の作業を止めることなく、上の空気味の返事を返す。 「そうだけど」  弦とネックとスマホの画面を交互に見ながら、締めては弾き、緩めては響きを確認する。  そうやって満足のいく仕上がりになったところで、ボディを布巾で拭き上げた。 「だから、自分のじゃないし、ろくに弾きもしないのになんで手入れしてんのって話」  手入れを終えてケースに仕舞ってファスナーを閉め終えたところでようやくそらちゃんに借りたエレキに手を伸ばした。 「預かりものだから、かな」 「誰に」 「忘れた。あ、つぼさん?って言ってたかも」 「はぁ!?」  私の投げやりな返答にそらちゃんは苛立たしげに驚きの声をあげた。 「ついでに言うと顔もよく覚えてない。マスクしてたからかな」 「なんか騙されてたりしない?ある日突然イカツイ人がやってきて、多額のレンタル料とか遅延損害金を要求されるとか」 「どうかなぁ」  アコギと同じようにエレキにも同じ作業を繰り返す。  そらちゃんの言う通り、ろくに弾きもしないでケースに入れっぱなしなので、定期的に手入れをしてあげないと各部がすぐにダメになってしまう。だからバンド企画のついでにロッカーから引っ張り出してきた。 「純佳っち〜!そらっち〜!塔子もう無理だよぉ〜!」 「純佳ちゃんかそらちゃん、手が空いてたらウクレレもチューニング手伝ってほしいんだけど……」  塔子と蛍がほぼ同時にリハ室の中央に陣取った私たちに声をかけてくる。他のメンバーもパートが近い者同士で固まって練習をしていた。 「はいはい、これと蛍のチューニング終わったら見てあげるからそんな顔しないの」  私の腰にまとわりつく塔子の頭をぽんぽんと撫でて、巻きでエレキの調律を急いだ。 「あ、ウクレレは私が見るから純佳ちゃんは塔子の面倒見たげて」  そらちゃんはそう言い残すと音が混ざらないように少し離れた位置に移動して、腰を下ろしていた。傍らでは蛍が興味深そうにそらちゃんの手元を覗き込んでいる。  ふと、視線を感じて顔をあげる。部屋の端の方でドラムセットに腰掛けていたニコルさんと目が合った。  視線に気付かれたのか、なんでもないような顔でドラムを叩きだしたので私も倣って調律作業に戻った。 ◆  バンド企画は以前のシングルヒット祈願企画の時も出た候補のひとつだった。  たまたまギターのできる私と、ドラムのできるニコルさん(と、やる気だけは一丁前な桜さん)が同じ組になったから、なんとなく口をついて出た思いつきだった。  提案をした時、休業から復帰したてのニコルさんが一瞬なにやら複雑な顔をしていたのが気になって、二人になったタイミングで聞いてみたけれど、「別にいいんじゃない」と流したのでそれ以上聞くことはなかった。  けれどあとになってわかったのだけど、そういえば以前にも番組のプレゼンでバンド企画が上がっていたのを思い出したのだ。  以前にもあった出来事を知りません、忘れました、と言い切ることほどファンをがっかりさせることはないのだから、勉強のためにとこつこつと番組のBlu-rayを揃えては不定期に見返していた時に気がついたことだ。  しかもその時組んだ相手はニコルさんと、既に卒業した柊つぼみさんだ。見るからに正反対で一見気が合いそうにない二人だったから、うっかり地雷を踏んでしまったと思った。  結局私の加入前も加入後も、バンド企画が採用されることはなかったのだけれど、新曲がロック調だったこともあって以前の提案を掘り起こして正式に採用となったのがこれまでの流れだ。 「ニコルさん」  練習を終えて各々が片付けを済ませて散り散りになるのを横目に、最後まで片付けをしていたニコルさんにもう一度声をかけた。ドラムはパーツが多いから展開も撤収も時間がかかる。 「なに」 「あの、余計な真似をしてしまったっていうか」  声をかけたはいいものの、考えがまとまっていたわけじゃなかった。しどろもどろになりながら次に言うべき言葉を探す。  そんな私を見かねたように、ニコルさんが先に口を開いた。 「そのギター、元は柊さんのものなのね。道理で見覚えがあると思ったわ」  さっきの会話を聞かれていたらしく、視線の意味をようやく理解する。肩にかけたギターケースに視線を遣った。 「知り合いなの?」 「知り合いってほどでもないです。たまたま、偶然会ったことがあるだけで、その時は卒業生ってことも知りませんでした」 「ふぅん」  私の返答を聞くと、ニコルさんは興味を失ったように片付けを再開した。  何か喋らないとと頭をフル回転させていると、作業の手は止めないまま、ニコルさんは続ける。 「それが柊さんのなら、間接的に出した案が通ったってことね。いいと思うわ」  別に本番でこれを使って演奏するわけじゃないし、本格的に大人数で合わせるわけじゃない時に間に合わせで使うくらいしか触っていないけれど、それは確かに一理あった。  なによりニコルさんの表情が複雑そうではあったけれど嫌な感じではなかったので、それはまぁ、いいのだろう。 ◆  本番の日。次々とバンドセットが舞台上に設置されていくのを会場に集まったファンたちが困惑にどよめきながら見守っている。  メンバーが登壇し、今までにひた隠しにしてきた趣旨を種明かしして、本物のバンドさながらに一節演奏してメンバー紹介をしていった。  うっかり任命されてしまったバンマスに重圧も感じたりもしたけれど、どうにかこうにか形にはなった。  情勢はまだ完全に元通りとはいえないし油断は禁物とはいえ、あぁ、いま世界には歌が溢れている。その片隅でこうして歌に携われている今、私は幸せだった。 「それでは聞いてください!ナナニジバンドで、YESとNOの間に!」  声の限り会場を煽りながら、ふと観客のひとりと目が合った。  ロープで囲まれた関係者席。正面後方のその席で、驚いたようにあんぐりと口を開けてこっちを見ているその顔に、私はなぜだか見覚えがあった。そういえば、マスクを取った顔は生で初めて見るかもしれない。  ひとつ笑みを零してニコルさんの方を振り返る。 視線がぶつかったその先にいたのは、よそ行きのニコるんではなくて、不敵な笑みを浮かべるニコルさんだったように思えた。 「Whatcha doing!」  いま、あなたはなにをしてますか?  私は、私たちは、アイドルを全力でやっています。 了