1 「Trick or Treat!」 ルカの屋敷のベルを鳴らした途端、明るい声が出迎えた。開いた扉から顔を見せた少女の頭には、尖った黒い耳が二つ、ちょこんとついたカチューシャ。赤い筋が入った独特な形の黒いマントの裾を掴んで広げて見せるその手の中では、相棒のカットちゃんに代わって小さなカボチャが笑っていた。 「コウモリ、だよね?似合ってるよ」 「へへ、ありがと!ルカ姉と一緒に作ったんだ〜!」 上機嫌にくるっと回ってみせたJJ。綺麗な金の髪がふわりと舞い上がり、黒いマントが秋の夕闇に半分溶ける。にっこりと笑った口元からは小さくも鋭い牙が二本。少しだけ、悪魔めいていた。 「ほら、Trick or Treat!」 差し出されたのは、ジャック・オー・ランタン風の入れ物。果たして今日一日で、彼女はこの入れ物をどれだけ満たしてきたのか、ちょっと気になる所。イタズラ好きなJJのこと、まさかハロウィンを楽しまなかった訳はないだろうし、そんなJJを前にお菓子の一つも持たない人などいなかっただろう。「Trick or Treat!」と駆け回る彼女の姿は、ありありと想像できた。 「はい、ハッピーハロウィン」 勿論、ルカの屋敷にはJJがいる事は織り込み済みだったので、用意してきたキャンディアソートを取り出す。袋をひっくり返して中身を入れれば、カラコロと楽しげな音がした。 「これで全部?」 「えっ、まだ欲しいの?これ以上は買ってこないと……」 「ううん。なら、いいや」 「……?」 もっととねだるでもなく、さりとて足りないとイタズラするでもなく。何やら引っかかる言葉を残して扉の奥に消えていくJJを追いかけて、ルカの屋敷に入る。勿論、「お邪魔します」と、一声かけるのも忘れずに。 2 「どうだった、ハロウィン?」 笑うカボチャの容器を揺らしながら先を行くJJに声をかける。ルカの部屋までの道すがらの話題だったが、先程の彼女の様子を見れば十二分に楽しんだのははっきりしていたので、ちょっと話の振り方を間違えてしまったかもしれない。 「ん〜?」と悩んでいたJJは、改めて話を振り直すより早く、口を開いた。 「お菓子がいっぱい貰えたから、悪くなかったかな」 「ルカ姉の買ってきてくれるお菓子の方が美味しかったけど」と付け足しては、キャンディを口に放り込むJJ。彼女の好みを把握している上に、それなり以上にいい所のお菓子を用意するルカと比べるのは酷な気がするけれど……ともかく、収穫は上々らしかった。 「でも、ちょっと退屈だった」 「退屈……?なんで?」 続いて出てきた意外な言葉に、思わずオウム返し。振り返った彼女は、キャンディを口の中に入れたまま、器用に唇を尖らせては、ふんと鼻を鳴らした。 「だって、お菓子をもらったらイタズラしちゃダメ、ってヘンでしょ?全然イタズラできないじゃん」 「……なるほど」 最近はルカの下で大人しくなったけれど、それでもJJに追い回されるスペイやルピコの姿はたまに見かける。そんなイタズラっ子な彼女にしてみれば、イタズラはやって当たり前の事で、代わりにお菓子を出されても納得できない、という感じだろうか。 「それで、イライラしたから……スペイに全部ぶつけちゃった!こ〜んなに大っきいカボチャを被せてね!グルグル回した後、カットちゃんで突いて……」 「あはは、スペイも大変だ……」 身振り手振りを交えて声高にイタズラを語る様は、微笑ましいような。けれど、その内容は聞けば聞くほどシャレになっていなくて……段々、頬が引きつっていく。 「……あれ。ルカの部屋はあっちだけど?」 よっぽど話に夢中だったのか、彼女はルカの部屋へと続く道を逸れて、ずんずん進んでいく。声をかけると、振り返った彼女はきょとんとした表情を見せた。 「言ってなかったっけ?今日はルカ姉の部屋じゃなくて、こっちに行くの」 「応接間に?なんで……?」 「さあ?ククク……」 明らかに何か知っている、イタズラな笑顔。けれどそれは同時に、教える気もないという意思表示でもあった。 3 「Trick or Treat. お菓子をくれなきゃ、悪戯するわよ?」 応接間の扉を開けた途端、出迎えたのは魔女の声――正しくは、魔女の仮装をしたルカの声、だった。 いつもの見慣れたゴスロリファッション。仮装と言えるのは羽織った黒いマントと、同じく黒い、先が尖った魔女帽子だけ。シンプルなのに、彼女の纏う雰囲気も合わせて驚くほど似合っていた。 こちらに歩いてくる彼女をぼーっと見つめていると、ふと視線が合う。自信に満ちて凛とした赤い瞳。イジワルげに細められたそれに見据えられて、なぜだか少し、どきりとした。 「ちょっと。聞いているのかしら?」 「……えっ。あ、うん」 すぐ近くに来ていたルカが、呆れたような声と共に見上げてくる。小さく華奢な指先に胸をとんと押されて、そうして初めて言葉が出てきた。なんとなく顔を逸らしてしまったのは多分、思ったよりも背が高かった魔女帽子に圧(お)されての事……だったはず。 「なんか……意外だね、ルカが仮装してるなんて。びっくりしちゃったよ」 「この子の衣装を用意するついでに、ね。たまには良いかと思って」 JJの頭を撫でながら答えるルカ。こちらの視線を遮るように帽子のつばが降りているせいで目元は見えないけれど、その優しげな声から、彼女の表情は簡単に想像できた。 「それより、ほら。Trick or Treat. お菓子をくれなきゃ、悪戯するわよ?」 こちらに向き直り、再び現れた赤い瞳。いつものように勝ち気に見上げてくるそれに、また少し、心臓の鼓動が大きくなる。 「えっと、お菓子は持ってきてたんだけどさ。さっきJJにあげちゃって……」 「つまり、今は無いのね?だったらTrick(悪戯)を……」 「ちょ、ちょっと待って!」 見上げてくる彼女の唇の端が、にぃ……とイタズラっぽく上がり、その瞳が小さく歪む。それはまるで、JJがイタズラを仕掛ける時の表情にそっくりだった。JJと一緒に過ごすようになって仕草まで似たのか、それとも元から似たもの同士だったのか……ともかく、嫌な予感がして、慌てて口を挟む。 「JJ。悪いんだけど、さっきあげたお菓子……少しだけルカに、分けてもらっていいかな?」 「ん〜?なに?なんのコト?」 「えっ?……いや、だから。さっきあげたお菓子を、ルカに――はっ!」 同じくイタズラに笑うJJを見て、気付く――ハメられた! 玄関で出迎えてくれたJJは、最初からイタズラする気なんてなくて……本命はルカのイタズラの方。それが彼女達の作戦。つまり、たとえお菓子を持ってきていてもJJに全部取られ、丸腰でルカの前に差し出される哀れな子羊となる訳だ。 「やっと気付いたみたいね?」 「クックックッ……もう遅いけどね!」 二つ並んだイジワルげな笑顔。本来かわいらしいものであるはずのそれを前に、嫌な予感が止まらない。 「………………。ちょっと買い物に――」 「JJ」 「は〜い!」 トリック(イタズラ)を避けるために、お菓子を買ってこようと振り返れば、あっという間に回り込んできたJJに扉を占拠されてしまった。片手には、いつも通りに笑うチェーンソー(カットちゃん)の姿。 「ふふふ……」 「ククク……」 前後から響く悪どい笑い声。前門の虎(タイガニトロ)、後門の狼(ウルボロフ)……あれ、ウルボロフは狼でいいんだっけ?――なんて軽い現実逃避をしながら、愛想笑いを返す。 「あー……お菓子の代わりにデュエマで、っていうのは……ダメ?」 「ふふ、今日ばかりは駄目よ。何せ、ようやく手に入ったのだから……かの大魔術師アダーマーの残した、一冊が!」 「……うん?」 くるりと身を翻し、テーブルへと歩き出すルカ。よくよく見ればそこには、瓶に漬け込まれたヘビだとか、よく分からない乾燥した草だとか、黒い鍋だとか、試験管だとか……いかにも怪しげなモノが並んでいた。 「アダーマーの残した魔術書、その薬学の章!手に入れるのは勿論、解読にも苦労した……本当に苦労したわ!保存状態は悪くなかったけれど、それでも七百年前の物。当然欠損もあって、その部分を前後の文脈から予測して読み解く作業は――」 テーブルから拾い上げた本を上機嫌に掲げ、そのまま早口で喋り出した。ふーんと話半分に聞き流していると、JJが隣にやってきた。 「スイッチ入っちゃったね、ルカ姉」 「だね」 扉がフリーになった今のうちに、逃げ出してしまおうか――そんな考えはお見通しとばかりに、背中には冷たく鋭い金属(カットちゃん)の感触。仕方ないので、大人しく待つ事に。 「ところで、ルカのやろうとしてるイタズラって、なに?知ってるんでしょ、JJ?」 「もちろん!今夜、あの本に載ってる薬を作るから、それに付き合って欲しいんだって」 「……それだけ?」 確実にイタズラできるようにと手の込んだ作戦からは想像もできない、あまりに拍子抜けなイタズラの内容。ぱちくりと目を瞬かせる。 「それくらいならいつでも付き合うのに。俺はてっきり、もっと恐ろしいイタズラでもするのかと」 「ん?して欲しいの?だったら……」 「い、いや!遠慮します!」 背中に感じるプレッシャーが強くなり、慌てて首を振る。「冗談!」とJJは笑うけれど……カットちゃんを突き立てられながらでは冗談になっていないような。 「多分、作った薬を飲む人が欲しかったんじゃないかな、ルカ姉」 「できたらそれも遠慮したいなぁ……。ま、別にいいけど」 そんな風に話している間も、ルカは楽しげに自分の世界へと入り込んでいた。 4 「特に心を惹かれるのはこの八十三ページの――っと、少しはしゃぎ過ぎたわね」 ほどなくして、こちらの世界へと帰ってきたらしいルカがこほんと咳払い。赤らんだ頬といい、合わせようとしない目といい、恥ずかしがっているらしかった。 「それで、今から何をするの?」 「そうね……ではここで一度、はっきりさせておきましょうか」 ピンと立てた指と勝ち気に笑う瞳をこちらに向けるルカ。けれどその頬はまだ赤らんだままで……そんな彼女に、なぜだか小さく笑みが溢れる。 「まず、貴方は捧げるべき供物を持っていない。だからTrick(悪戯)として、貴方の夜を貰うわ」 「つまり、今夜付き合え、ってことだよね」 「ええ。……まあ、息抜きに少しならデュエマを――」 「やる。やります。絶対に」 「そ、そう……」 デュエマの一言で即断即決。なんなら食い気味に答えたまであった。 「っていうか、今から――」 「それは駄目よ。デュエマはあくまで息抜き。今夜は、ね」 若干引いていたルカに、今すぐデュエマできるかも、と期待を込めて畳み掛けるけれど。さすがにそこまでは許してくれなかった。肩を落として続きを待つ。 「話を戻すわね。私達は今夜、アダーマーの残した魔術書に従って、混沌の泉より溢れし雫を集める……いいかしら?」 「要するに、変な物――じゃなくて、えっと……」 「薬を作るんだよね!」 「ええ。必要な物はもう用意してあるから、基本は調合作業よ」 席に着いたルカが「こっちよ」と手招き。駆け出したJJが、その隣へといち早く座る。のんびりと後を追う内、待ちきれないとばかりにルカが本を開く。JJも横から顔を覗かせて、二人並んで本を覗き込む姿はまるで姉妹のよう。同時に彼女達の笑顔は、宝物を探す子供のようでもあった。 「ふふっ……さあ、漆黒の夜が始まるわよ!」 多少悪どくはあるけれど、楽しそうな幼い笑顔。普段は落ち着いて、大人びて、時には少し無理をしているように映ることさえある彼女のそれは、滅多に見れないモノで。 もっとよく見たい、なんて思ってしまって。 「……何かしら、この手?」 気付けば、彼女に手を伸ばしてしまっていた。 「……帽子、邪魔じゃないかな、って思って。ほら、これから色々やるんでしょ?」 不思議そうに見上げてくる彼女に、小さく笑ってみせる。 「ふぅん……?貴方にしては気が利くじゃない」 どうぞ、とばかりに動きを止めた彼女の頭からから魔女帽子を受け取って、テーブルに置く。 色々と怪しいモノが並んだテーブルを挟んで、彼女の対面。表情がよく見える、その席に着いた。 「まずはこのヘビみたいなヤツと……それから、こっちの爪みたいなヤツでいいんだよね、ルカ姉」 「いえ、それは粉末状に砕いてから鍋に入れて頂戴……ああ、その前にこっちのキノコと薬草のエキスも抽出しておかなくちゃね」 「……それ、人に飲ませるんだよね?本当に大丈夫なやつ!?」 飛び交う正体不明の単語達におぞましさを覚え、慌てて釘を刺す。 どうやら、二つ並んだ楽しげな笑顔をのんびりと眺めている暇は、無さそうだった。