カースブレイドは顔を俯け、重々しく、長く、本日四回目の溜息をついた。 「では、用兵において重要なことは何か。答えてみよ」 「突破力です!」 「破壊力です!」  コングロード配下エリュシアと、八三隊(カースブレイドは彼女らをシンプルに「バカども」と呼ぶ)小隊長パルチザン、二人の若い娘は先を争って答えた。獣魔兵団参謀コングロードが、卓の向こう側で深々と頷く。エビルソード軍が誇る新鋭の兵士、立場も特技も種族も違う二人の共通点は、信じ難いほどの脳筋であること。つまりごくごく標準的なエビルソード配下だ。エビルソード軍所属者の7割は「突撃して殲滅」よりも難しい戦略を理解できない、と試算されている。 「もしかして……殲滅力ですか……?」  しばしの沈黙の後、エリュシアが思いついたという様子で問うた。カースブレイドは何も言わず、二人の顔を交互に眺め、渋い顔をして酒を煽った。娘たちは落下する手投げ弾を見るように、その杯の動きを真剣な顔で凝視する。  空の杯が卓に置かれ、微かに音を立てた。二人はじっとそれを見つめている。  具足に覆われた指が、トントンと卓を叩いた。二人は尚もその様子を見つめている。  ブラッディオーガは彼らの隣の席に座し、彼女らの問答をニコニコと眺めていたが、不意にこちらを向いて、楽しげに手を振った。顔のないチェーンソーの「視線」に気づくのは、流石に長年の相棒というべきか。だが、目の前の上司の杯が空になったことには気づけないらしい。 「酒!」  カースブレイドが苛立って吼える。娘らは面食らって目をぱちくりするばかり、仮面の男が脇から酒瓶を差し出し、空の杯を満たした。 「うむ……。貴様は気が利く」  カースブレイドは頷いた。リャックボーは小さく頷き返して応え、黙って場の会話に耳を傾ける。 「じゃあ……蹂躙力とか……」 「もうよいわ」  カースブレイドは渋い顔をして、虫でも払うように手を振った。  デビルズチェーンソーは剣究会の様子を、冷めた目で(もっとも彼もしくは彼女に目はない)眺めていた。デビルズチェーンソーは飲み会が嫌いだ。滅多に参加することはない。器物である彼は一切飲み食いしないし、酔漢たちは互いの会話に忙しく、ほとんど誰も話しかけてこない。  今日この剣究会を訪れたのは、軍の者たちと親交を深めるためではないのだ。デビルズチェーンソーは意識を集中し、目的の存在を探し、カースブレイドの背後に、薄布のように揺れる影を見る。 『なあそこのあんた』  影ははじめ、反応しなかった。ただカースブレイドを見つめたままでいた。 『あんただよあんた』  靄が渦巻くが如く、影の輪郭が崩れた。どうやら振り向いたらしかった。 『おまえ喋るのか、その風体で』 『あんたにゃ言われたくないね』  デビルズチェーンソーは器物の怪である。そのためかどうか、彼には他の生き物とは少し異なる世界を認識している。エビルソード軍宿舎の天井に張りつく巨大なムカデや、魔王城を彷徨う姿なき暗殺者、ほとんどの生き物には認識されないそれらの姿が、彼には朧気ながらに見えることがある。しかしその彼の知覚力を持ってしても、この存在はちらちらと揺れる、曖昧な気配としてしか認識できなかった。 『あんたはずっとカースブレイドの周りにいるな。差し支えなければ正体を知りたいんだが』 『私か。私は何者でもない。命も名前も落としてしまった』  それは笑ったようだった。 『今の私はあの剣みたいなものだ』  名のないそいつは、カースブレイドの剣を示す。ひょっとしたらこいつ、魔王軍によくいるただの危ないやつ(春先に多い)だろうか。デビルズチェーンソーは若干の疑いを抱く。 『あの剣か。苦労してそうだな』  手酌で酒を飲み始め、加速度的に酔いを深めていくカースブレイドの腰に、剣は従順に納まっていた。 『私は昔、カースブレイドの剣を見た。肌に触れるほど近くで』 『そして死んだ』 『そうだ』  カースブレイドの剣技は、魔王軍最強戦力たるエビルソードと比較しても、なお独特だ。鋼のゴーレムであれ、人間に与する巨躯の魔族であれ、彼の剣先に撫でられれば、元からその形に作られていたようにするりと切断される。 『思い残すことといえば、あの剣ともっと打ち合いたかったということ。後悔することといえば、命あるうちに奴の振るう剣を近くで見ておけばよかったということ。あんなに美しい剣は他にない』  亡霊は焦がれる口調で言った。その言葉には、恋に落ちた乙女のような、熱烈な思慕の念が込められていた。 『私はあの剣がどこまで行けるのかを知りたい』 『どこまで、とは?』 『奴の剣がエビルソードの首を取るのを見たいということさ』  そいつは興奮した口調で言う。 『お前だって見たいだろう?奴らの本気の剣を』 『いや……?殺し合いに意味や理屈を付けるのは、お前たちの妙な癖だな』  デビルズチェーンソーは剣技にも、その使い手にも興味がない。切り口の良し悪しに関係なく、生き物は身体を断てば死ぬ。誰が何を使ってどう殺そうが、死体は死体だ。 『勝った方がアタマになるだけだろう。俺を振るのは誰でもいい。そりゃ使い手が強いに越したことはないが、技の冴えなど関係ないさ』  剣を選ぶのは使い手であって、剣の側には選択権はない。呪いの武器であるデビルズチェーンソーは、例外的に使い手を選ぶことができるが、彼に支配された使い手はその技量を披露することができない。仮にエビルソードが彼を握ったならば、その剣の冴えは失われ、凡百の剣士と変わらなくなるだろう。 『つまらんやつだ』 『そうかい?あんたは剣には向いてないな』  影は興味を失ったらしく、微かに揺らぐと、ふっと姿を消した。  きしり、きしりと扉の向こうで床の軋む音。正体を無くしていたカースブレイドががばと顔を上げ、上体を持ち上げた。 「エビルソード!貴様何故ここに!」  カースブレイドが険しい顔で睨む。開いた扉の向こうには果たして、魔王軍最強の男がいた。 「なんでオレ達が来たらダメなんだ?古い付き合いだろ?」  その傍らに控えるププールが、子供のような体躯を反り返らせ、カースブレイドを見上げる。 「はいっ!私が呼びました!」  パルチザンが勢い良く立ち上がり、勢い余って卓に衝突し、不運なからあげをいくつか地面に転がした。ブラッディオーガがこちらに目を向け、そっと目配せを送る。 「革命!するならまずエビルソード様に……ヒクッ!その意志を伝えるべきと思ったから!です!」 「誰だこやつに酒を与えたのは!」  カースブレイドが怒声を上げた。 「飲ませるなと言ってあったではないか!」 「飲ませない!という抑圧!!これを革命すべきです!」  パルチザンはぐねぐねと上半身を揺すりながら熱弁し、卓に蹴躓いて反り返り、水飲み鳥のように元に戻った。 「まず座れ!……座れと言っているのだ!愚か者ッ!」 「拒否します!あらゆる弾圧に!反旗をひるがえーすッ」 「パルチザン小隊長!」 「わ」  パルチザンは不意の大声に振り返り、投げ渡されたものを、不用意に受け止めてしまう。呪いのチェーンソーを。 『とった』  肉体の支配権を競う、一瞬の綱引き。不安定にぐらついていた少女の体が、唐突に直立する。平常時であれば、こうも容易い相手ではなかっただろうが、泥酔者の捕縛など赤子の手をひねるよりも容易い。 「でかした。土間の隅にでも転がしておけい」 「ゔあーかえせーもどせーっ」  身を揺する少女を他所に、ププールは嫌味っぽく声を上げた。 「で?オレたちはいつまで立ってればいいんだ?」 「チッ」  カースブレイドはあからさまに舌打ちすると、卓の上の食器を乱雑に寄せ、杯を二つ並べた。エビルソードが床を軋ませて座す。 「貴様いい身分よな?」 「いいだろ?こいつ四天王だぜ?」  ププールがけらけらと笑った。  デビルズチェーンソーは少女の体を操って卓を離れ、喧騒を後に、部屋の隅に座す。 「これは抑圧だーっ!はーなーせっ!!」 『上官命令ですので、申し訳ありませんが開放はできません』 「やーだーッ」 『下手に暴れると関節が外れますがよろしいですか』 「はなせーっ」  ブラッディオーガが大柄な体を縮めて、申し訳無さそうに後ろをついてくる。 「いや申し訳ねっす。水どうぞ水」 「いーらーないっ!」 「水は飲んどいた方がいいっすよ。翌日頭痛えし体あちこち痛え、バーサークした後みたいになるッス」 「えーっ……バーサークって……そうなの?」 「そうでス。だッからオレ、グリメントさんマジ尊敬してんすよ。あの人マジでクレイジース。酒とバーサークは体に悪ィんですよ。よくヘルメさんもヴァーなってるでしょ」 「そっかあ……アレそうなんだ……」  少女は神妙な顔でストローに口をつけ、息を吹き込んで、ボコボコと泡を立てた。 「ところでよう、何だったのよ……例のヤツ」  ブラッディオーガはこちらを向くと、緑の目をぎょろりと見開き、声を低めて話しかけてきた。巨体ゆえの低音が更に不必要に低くなり、喉の奥が地鳴りのようにゴロゴロと鳴った。 「なんか……アレなんか?ヤバいやつなのか?」 『剣みたいなものだって言ってたぜ』 「なーんだ剣の幽霊か!そりゃあカースブレイド様なら剣の一本や二本折ってるよなア!」  炸裂した絶叫に、酒席を囲むうちの2、3人が、不安そうに振り向いた。 『うるせえ』 「おう。……じゃあよォ、つまようじの幽霊とかもいるのか?」 『知るかバカ。つまようじに聞け』 「こらーっ!私を挟んで話すなーっ!」  パルチザンがじたばたと暴れた。 「オス。申し訳ねっス。オレァガキの頃からオバケとシイタケだけァダメで」 「アンデッドなんて怖くなーい!あたしならワンパン!こう!だ!」  パルチザンは何かジェスチャーをしようとしたらしかったが、その体はきっちりと座したままだった。 「いやオバケは恐いスよ。オレはアンデッドならドラゴンゾンビでもしばきますけどね、オバケとなったらコケカキイキイでも怖いッ」 『コケカキイキイ?』 「コケカキイキイ??」 「ッス。オレは魔中学ン時に魔テレビでホラー特番見て、夜中トイレ行けなくなってスね、恥ずかしながら」 『やめろ聞きたくねえ』 「あたしは夜のトイレぐらい行けるしー!」 「偉いっスね。寝る前のトイレは安眠の第一歩でス。冬の深夜なんか目覚めると、布団の中で垂れたろか思いますからね」 「やめなよ!」 「やったことはないっす……とにかくね、正体がわからんものはコワイですよ。夜中一人でいる時、そこの窓が叩かれるじゃねーすか」  ブラッディオーガはほとんど聞き取れないような小声になった。パルチザンは身を乗り出そう……としたができないので、真剣な顔で聞き入る。 「ゾンビが立ってるなら全然怖くないス。あー、ダースリッチ様のトコの誰かだなと思うだけス。でも……見ても誰もいない。変だな……おかしいな……と思ったら!」  突然彼は凶悪な牙を剥き出しにあぎとを開き、最大のボリュームの声で叫んだ。 「突然逆の窓がバババババン!!見ると血走った無数の目が!!!キャーッ!!」  間近で炸裂した爆音に、パルチザンは飛び上がった。つまりデビルズチェーンソーとパルチザンが揃って飛び上がった、ということである。 「……それはな……」  重々しく告げた声。いつの間にか、ププールが側にやってきていた。 「……アモラル・アイハンズだよ」  見れば卓を囲んでいた全員が話をやめ、三人の方を見ている。ブラッディオーガは赤くなった。デビルズチェーンソーに顔があれば他人のふりをしたかもしれないが、生憎と彼と相棒のことは皆が知っている。 「……いや……アモラル・アイハンズさんじゃないんス」 「じゃあ……アモラル・アイハンズ2とかだよ」 「アモラル・アイハンズさんは怖いことないでしょ!あの人が窓から見てたところでなんも怖くないじゃないスか」 「だから怖い話じゃないんだよ。なあ!エビル!」  魔王軍最強の剣士は、巨大な鳥のように、首だけをカクッと傾げた。そして5秒ほどその姿勢のまま静止した後、静かに頷いた。 「ほらな。あとお前たちうるさい」 「……ッス」  ブラッディオーガは口を閉じた。エビルソード軍において、エビルソードの意志は、ほぼ魔王その人のそれに等しい。その意志に逆らいうるものといえば、このププールと、もう一人しかいなかった。カースブレイドが濁った目をしばたたき、唸り声を上げる。 「見ろ、我が軍は馬鹿ばかりだ。エビ公!貴様が四天王の役目を果たさぬからだぞ!」 「交代するか」  エビルソードが思いがけず口を開いた。それは囁くような小声だった。にも関わらず、場は水を打ったように静まり返った。 「今からか」  カースブレイドの酔眼が細められ、獰猛な緑色に光った。 「構わん」  その眼差しを、エビルソードの兜の奥の眼が揺るがずに受け止める。  四天王とその補佐が睨み合う。氷の張った湖のように大気が軋む。誰一人割って入らず、声を上げる者もいない。リャックボーの手が卓の下で拳を作り、コングロードのうなじの毛が逆立つ。ブラッディオーガはたてがみを膨らませ、目を丸くして二者の様子を見つめる。ハンドルに触れるパルチザンの掌が湿っている。ただひとり、ププールだけが冷静なまま、二者の様子をじっと見ていた。  水面の影の如く揺らめいていた亡霊が、はっきりとした姿を現した。青い鎧の女が、カースブレイドの傍らに立ち、顔を覗き込み愉しげに笑む。 「貴様の首は拙者が貰う……」  ややあって、視線を逸らさぬまま、カースブレイドが宣言した。 「……だが、今はその時ではない」  そして彼は卓に空の杯を叩きつけた。 「注げ!」  エビルソードは杯に酒を注いだ。彼はそうしながら、兜の奥で笑ったようだった。 「楽しみだ」 「ほざけ。二度と笑えぬようにしてやるわ」  場に喧騒が戻ってきた。コングロードが何事か早口にリャックボーに議論を持ちかけはじめ、リャックボーは渋い顔でそれを聞く。蛇が鎌首をもたげるように上体を持ち上げていたエリュシアは、元通り卓の前に身を落ち着ける。エビルソードは黙ったまま、しかし端から見ても楽しげに卓の前で周囲の様子を眺めていた。カースブレイドは憤懣やる方なしという表情だったが、どこか砕けた空気を纏い、先程まで黙って成り行きを見ていたププールも、遠慮なく二者の間に割り込んでいく。  この席にいるものの多くが考えてもみないことを、デビルズチェーンソーは理解している。この愚か者だらけの軍が、それでも軍として成り立っているのは、二本の柱によるものだ。一つは戦場で肩を並べる中で、またはこうした酒の場で培われる同胞意識。もう一つはエビルソードの存在。軍の誰もがこの男を、愛し、信じ、または憎む。その感情が軍団員たちを、磁石のように引きつける。カースブレイドもそれを知っていて、故に斬ろうとはしない。知らないのはエビルソード自身だけだ。  先程自分は頭が誰だろうと構わない、と言った。今もそう思っている。そしてここにいるものたちが共有する、仲間意識も理解できない。自分はこの軍の一員にはなれない。それを悲しいとは思わない。デビルズチェーンソーは器物の怪、故に彼は痛みを知らない。  カースブレイドの背後で、青い鎧がちらちらと明滅した。あいつはこの軍の一員になれていたのだろうか。 「いやァ、どうなるかと思ったぜ。何事もなくてよかったなァ」  相棒が意味もなく尾を振りながら、小声で(小声でも結構うるさかった)言った。 『ところで、お前の論理だと、俺ってオバケなんじゃないのか?』 「?おまえはおまえだろ?」