† 「現場を発見したのは、この一帯を管理している港湾組合の警備員でした。遺体は全部で十三人──いずれも焼死。この廃倉庫を中心に半径四百メートル圏内に点々と倒れているのが不可解ですが、おそらく|何者か《・・・》に襲われ、逃げようとしたためにそうなったのでしょう」  遺体に祈りを捧げた後しばらくして、メリーはクラウチク刑事から事件のあらましについて聞いていた。  なおアンドレイの母親は、メリーの協力も得ながらなんとか気を取り直し、帰宅していた。息子がつるんでいたヨシフ・サハロフの人となりについて、あまり母親の耳には入れさせたくはないというのがクラウチクの本音だった。 「うーん……火を扱う魔術は色々ありますから、遺体だけだとさすがに何も分からないですね……」  「発火」は原始的かつ象徴的なため、あらゆる系統の魔術に存在している。一方で、生物にとって致命的なこともまた自明であり、軍需系近代魔術はもちろん、所謂「裏稼業」においても一般的で、これだけで使用者を特定するのは難しかった。 「それにしても、こんな真っ黒焦げって──」  メリーは自分で言いながら「うげー」と舌を出す。無駄に表情豊かな少女だと、クラウチクは内心思った。 「奇妙なのは、遺体の周辺に消火を試みた形跡がほぼ無かったことです。貴女もご存知の通り、アルファ学派(軍需系近代魔術の一種で、最も普及したもの)の発火術においても、一般的には衣服への着火により殺害を狙うものでしょう? だとしたら、人体を一瞬で炎上、絶命させる魔術の可能性が──」 「そうですね。……って、どうかしました?」 「……いえ」喉まで出かかった違和感を飲み込み、クラウチクは話を戻した。「その場合、相当な使い手か、あるいは特殊な技を持つ魔術師でしょう。貴女も捜査を進めるのなら、用心したほうがいい」 「あれ!? 刑事さん心配してくれるんですか?」  メリーがおどけるように破顔した。ころころと変わる表情に、クラウチクは軽薄さすら感じて眉を顰めた。 「それはそうでしょう。子供──ではありませんでしたね、貴女たちは」クラウチクは、降下教会の修道女たちが十代後半で加齢を停止させていることを思い出した。「だとしても、貴女が首を突っ込もうとしているのは危険な犯罪の世界なのですよ。警告するのは、警察として当然のことです」 「ふっふっふ……降下教会をよくご存じで。ちなみにわたしは、だいたい見た目通りの歳ですよ」 「なおさらダメじゃないですか」  クラウチクは、眼の前の少女よりも降下教会という組織が何を考えているのか分からなくなった。 「ご心配ありがとうございます。でも──」メリーは傍らに置かれたトランクケースを小突く。「私には聖女様の加護がありますから、大丈夫です!」 「はあ……」  こんなのでも、魔術師狩りと恐れられた組織の一員ではある。本人が言うのであればそうなのだろうと、クラウチクは不承不承ながら納得した。 「ところで、亡くなった人たちはどんな人なんですか?」  また真剣な面持ちに戻るメリーに呆れながら、クラウチクは解説を続けた。 「素性の分かっているヨシフ・サハロフは、犯罪組織“|船頭《ロードチュニキ》”に属していたようです」言いながら、クラウチク刑事は署から手配させたファイルを手に取った。「これが、彼について警察が把握しているものをまとめた資料です」  メリーが受け取ったファイルを開く。そこには、恐喝、強盗、傷害、薬物法違反、婦女暴行……無機質な印字で記された罪状と、その簡素な説明が並んでいた。 「……ヤバいヤツですねコイツ!」 「おまけに、組織についてすぐに口を割る。意思が弱いのか、自分に箔をつけたいからわざと言いふらしているのか……もっとも、組織へは大した忠誠心も無かったらしく、周辺からは『独立』の噂もあったようです」 「へー……」  メリーはわざとらしく口をへの字に歪めた。 「ところで、その|ろーどちゅにき《・・・・・・・》っていうのはどういう組織なんですか?」 「“船頭”は、文明恐慌以降にこのノヴァ・ヴィネダで勢力を伸ばしているマフィアです。その名の通り、ボレアス海からの不法移民を手引きする|船頭《・・》から始まったと言われ、現在の構成員数は二百人程度と推定されています。幹部の親類を中心に擬似家族的なまとまりで結束している典型的な構造ですが、近年は旧ロシア連邦からの移民の子どもを何ふり構わず勧誘し、規模を急拡大させつつあります」 「なんでまた」  メリーの問いに、クラウチクが首を振った。 「ただ、彼らもの組織も成熟期に入り、ほかのマフィアとの軋轢が増え始めていたのは確かなようです。特に、同じ東スラヴ・旧ロシア連邦系の“キーテジ”とは、密漁の縄張りを巡って険悪だとも言われています」  “キーテジ”は環ボレアス海全域で活動する犯罪シンジケートであり、その実態の不明瞭さから、湖の底に隠されたとされる伝説上の都市の名で呼ばれる。一方で組織の中枢になっているのは正教会系の異端団体と目され、一部では降下教会との関連も噂されていた。 「キーテジ? 久しぶりに聞きましたね……」 「とにかく、ヨシフ・サハロフが殺される要因はいくらでもあった、ということです。身内による粛清だとも、他団体の逆鱗に触れたとも考えられます」 「うーん……あまりそういうことは言いたくないですけどねぇ……」  メリーは言葉と裏腹に、手元のヨシフ・サハロフの資料に並ぶ物騒な文字に目を落としていた。 「その関連で、昨晩の襲撃事件についてですけど──」  メリーが口にしたのは、ヴィネダ郊外の中央アメリカ系移民コロニーへの襲撃事件のことだった。当然、警察も認知している。 「ええ。それについては、ヨシフ・サハロフ達によるものだと見てほぼ間違いないようです。この事件の直前ですね」 「彼らが報復に出た、っていうことは考えられないんですか?」 「だとしたら、警察に届出たりはしないでしょう。──しかし、ヨシフ・サハロフ達が盗み出したとされる|クスリ《・・・》の行方が分かっていません」  コロニーから盗み出された薬物材料の総量は二キロにも及んでおり──元の持ち主がそれだけの量を保有していたのも問題だが──、ルギニア署では目下、それが裏市場へ出回らないか注視していくつもりだった。薬物や違法舶来品の類いは、魔術師を検挙する糸口として非常に有効であり、警察では常にあらゆるマーケットに目を光らせていた。 「うーん……じゃあ今のところは決定的な手がかり無しかぁ……。直接“船頭”のアジトに乗り込めれば話は早いんだけど……」  メリーが顔色を伺うようにクラウチクを横目で見た。短絡的で突拍子もなかったが、相手が少女の見た目だけに冗談で言っているのかクラウチクには判断できなかった。 「そんなものが分かっていれば、我々も苦労しません」 「ですよねー。……ゔえー時間かかりそう……」  どうやら割と本気で言っていたらしい。クラウチクは頭が痛くなってきた。 「“船頭”の活動の中心は、このヴィネダ第十三東港湾区西側のロシア系地区だということは分かっています。街で調べてみるのがよろしいでしょう」  言ってから気づく。──この向こう見ずな少女なら、そこら辺の不良を捕まえて尋問しかねない……。 「くれぐれも、警察の仕事を増やさないように。分かりましたね」  念を押すクラウチクの言葉に、メリーは顔を顰めた。 † 「ん゙ぐあ゙あ゙ぁーー! やっぱり無理だってぇ! 手がかり無いもん!」  二時間後、もう昼になろうという時間帯、メリーはロシア系地区でアイスクリームを頬張っていた。  しばらく街で聞き込みをしてみたものの、“船頭”についての情報はほぼ得られず。正確には、その名前について知っている住民はある程度居たものの、捜査の進展に繋がるような手がかりは無かった。基本的には悪評や彼らによる被害の報告ばかりであり、話を聞くたびにメリーはげんなりするだけだった。  また、特殊な発火能力を持つ魔術師について現在警察と降下教会に調べてもらっているものの、めぼしい人物はまだ見つからないらしい。そも、犯罪に加担するような魔術師であれば正規の届け出をしていない場合も多い。今メリーにできることは、とりあえず足で稼ぐことだけだった。 「そこらへんに悪そうなヤツいないかな……。聞き込みしたら襲ってきそうなヤツ……。返り討ちなら正当防衛だし……」 「なんだい|シスター《シストラ》かと思ったのに物騒だねぇ……」  |二本目《おかわり》のアイスクリームを渡した屋台の老婆が、老人特有の深刻な面持ちで言った。 「でもアンタ、ダメだよ女の子が。“船頭”なんておっかないんだから」  今日これまでに他の住民からも投げかけられた台詞を口にしながら、老婆は背後に立ち並ぶ古臭い集合住宅を指した。 「あそこの|集合住宅《フルシチョルカ》の二階に住んでる爺さんは昔、|市《いち》で魚を売ってたんだけどね、仕入先の一つが“船頭”の密漁者だってことが分かったんだよ。だからお上にバレる前に取引を止めたいってその密漁者に言ったのさ。そしたら……」老婆はディッシャーの取っ手を二度動かし、ガチガチと音を鳴らした。「切り落とされたんだよ、右手の人差し指と中指を」 「ええ……。そのお爺さんと業者はどうなったの?」 「密漁者は雲隠れ。爺さんは年金でなんとか暮らしてるけど、ひどいもんさ」 「ふーん……」  密漁者の居場所が分かればと思ったが、そう上手くはいかないようだ。老婆の指先を追って、集合住宅をぼんやりと見ていた時だった。 「うん?」  不意に、通りの向こうを横切っていく人影に目を引かれた。  メリーと歳の変わらない少女だった。白いワンピースを着ている。買い物帰りなのだろう、パンや缶詰の入った紙袋を持っていた。気になったのは、それを持つ両手にも、ブーツから覗く脚にも、包帯が巻かれていたことだ。  怪我でもしているのだろうか、とメリーが思った時、 「あっ危ない」  少女が、前から歩いてくる男にぶつかった。紙袋が落ち、中から玉ねぎが一つ、逃げるようによろよろと転がっていった。  声は聞こえないが、男は悪態をついたようだ。若い、筋肉質な男だった。男は軽く屈んだが、それは少女に手を貸すためではなかった。近くに落ちた缶詰を一つ手に取ると、ドサクサに紛れて懐へ入れ、そのまま歩き去ろうとした。 「ちょっとお!」  メリーがアイスクリーム屋台から身を乗り出した。まだ二人は、この目撃者に気がついていない。  だがメリーが駆け寄るより前に、男を止める者がいた。 「おい。今ポケットに入レたの、返せよ」  少年だった。  歳はメリーよりも少し下、十五歳ぐらいだろうか。乱れた灰色の髪に、遠目にも古いものだと分かるくたびれたミリタリーパーカー。みすぼらしい出で立ちは浮浪者じみていたが、聖なる修験者のようにも感じられる不思議な均衡があった。そう感じさせたのはおそらく彼が、自分より一回り大きい男に対しても物怖じする気配がなく、毅然と真正面に立ちはだかっていたからだろう。 ──オッなんだ? あの子の彼氏か?  メリーは走る勢いを弱め、とりあえずチンピラではなく少女の荷物を拾うことにした。 「あ? 何だオマエ」  男がいきなり少年の肩をどついた。が、少年は仰け反るどころか竦む様子もなかった。地に根が張ったように動かぬ少年の身体から、男の拳へ、抵抗の意思が伝わった。わずかな応酬。しかし男を激昂させるには十分だった。 「そんなに欲しけりゃ、テメェのケツにブチ込んでやろうか!」  通りへこだました声に、衆人の目が集まった。  その陰にしゃがむ少女へ目を向ける者は居なかった。一人を除いて。 「大丈夫? 拾うの手伝うよ」  メリーが、落ちていたビーツの土を払いながら少女に渡した。 「あ、ありがとうございま……」  少女が受け取ろうとして顔を上げた。メリーにとって予想外の事態が起きたのは、視線が合った瞬間だった。少女は驚愕に目を見開き、そして── 「──イーリャ、待って!」  叫んだ。  呼びかけた名は、後ろにいる少年のものであるとメリーは直感した。  同時、男と少年の間に、真昼の太陽よりも眩しい閃光が奔った。 「────!?」  目も眩むような一瞬だったが、しかしメリーは確かに目撃した。男は、少年の首元を掴もうと手を上げた。その時、少年の右手から細い紫電が伸びたのだ。  男は鼻から息を漏らすと、脚の力が抜けたように地面に倒れ込んだ。 「どうした!?」  「イーリャ」と呼ばれた少年が振り向くが、視線が合ったのは少女ではない。こちらを凝視する、若い修道女だった。 「魔術師──!」  少女が飛び退くように立ち上がり、少年の身体に触れた。 「逃げよう!」  状況を理解するよりも早く、「イーリャ」は少女を抱えて走り出した。 「……え!? ちょ、ちょっと待っ──!」  だが、追いかけようとするメリーの踝を何かが掴んだ。 「か、身体が……、痺れ……」 「オワアァ!? びっくりした!?」  先ほど倒れた男だった。  見たところ外傷は無い。どうやら少年の撃った小さな稲妻は、スタンガン程度の効果しかなかったらしい。 「どうせ大丈夫なんだから邪魔すんなチンピラ!」 「ごはっ!?」  男を蹴って気絶させると、メリーは逃げた二人のほうを見た。 「って遠っ!?」  まだ数秒と経っていないにも関わらず、二人の姿は通りの奥に消えようとしてた。 「そうだ、魔術師なんだった! ……ああ、もうっめんどくさい!!」  メリーは背中の巨大なトランクケースを担ぎ直し、走り始めた。