夜のロンドン、テムズ運河。  かつてのテムズ川を大幅に拡張した広大な運河が、ロンドン市街中心部へ南から流れ込み、大きく東に曲がるそのほとりに、「ロンドン・アイ」と呼ばれる大観覧車が建っている。  滅亡戦争の戦火を奇跡的に逃れ、今も旧時代そのままの姿で静止している直径135メートルの鋼鉄の輪の頂点、最上部に位置するゴンドラの付け根に、一人のバイオロイドが音もなくあらわれた。  銀色の髪にヘッドドレス、モノトーンのナースウェアに身を包んだ彼女は、すばやく周囲を見回してからフレームの下へ手を差し伸べ、もう一人のバイオロイドを引っ張り上げる。 「ふう……」  引き上げられた方はゆたかな肢体をひとつ伸ばしてから頭へ手をやり、まとめていた髪をほどいた。身長と同じほどもある長いピンク色の髪が、さっと夜風に流れる。 「頭を上げないで」 「わかっています」  眼下にはロンドン市街が広がる。東にウォータールー駅、西にはビッグ・ベンとウェストミンスター宮殿が、夜空にくろぐろとした巨体を浮かび上がらせている。  そして、南にはフローレンス・ナイチンゲール博物館。街の明かりというものが絶え果てて久しいこの時代にあって、ことさら高くも大きくもないその建物はしかし、夜闇の中にあかあかと照らし出されていた。その周囲に、ひっきりなしに火の手が上がっていたからだ。 「……あそこに救出チームが」 「ええ」  セラピアス・アリスは美しい顔をしかめ、鋼鉄のフレームを握る手に力をこめた。 「焦ってはだめです。あと二分半」  ブラックリリスがその肩に手を置く。アリスは大きく深呼吸をして、体の力を抜いた。  オルカはもうほんの数百メートル先まで近づき、減速に入っているはずだ。真下に横たわる運河の水面が、月光をはね返して異様にもり上がりはじめたのがここからでも見える。  ロンドンにいる鉄虫の大半が、あのナイチンゲール博物館に引きよせられてこのあたりに集まってきている。河面の不自然な上昇にすでに気づいている個体もいるだろう。オルカが無事に浮上できるかどうかは、自分たち二人の働きにかかっている。 「……そういえば、少し意外でしたね」  逸る心を落ち着かせるため、アリスはしいて声をかけた。赤外線スコープの調節をしていたブラックリリスが、眼下の闇を睨んだまま答える。 「何がです?」 「貴女が、おとなしく私の護衛についたことがです。ご主人様の側を離れたがらないかと思ったのに」 「ご主人様のご指示に背くわけがないでしょう」 「それにしても、ひとゴネくらいはするものかと」  ブラックリリスは聞こえよがしにため息をつき、ゴーグルをはね上げてアリスを睨んだ。 「ご主人様はもっとも危険な任務にあなたを送り出す代わりに、もっとも信頼できる護衛をつけたのです。私がここにいるのはご主人様の最高の信頼の証であり、同時に私たちバイオロイドすべてに対するご主人様の愛の証でもあります。不満など、あると思いますか?」 「…………」アリスはむっつりと押し黙った。リリスの言ったことはまさしく、彼女が何か不平らしきものを口にしたらぶつけてやろうとアリスが用意していた言葉そのままだったからだ。  そんな彼女の内心を見透かしたように、リリスはかるく笑った。 「私の方こそ意外でしたよ。あなたが、私の護衛をすんなり受け入れたことが」 「?」 「バトルメイドにはブラックワームさんがいるでしょう。今回のような任務にうってつけではなくて?」 「ああ、それは……」  アリスは曖昧に言いよどんだ。  三安のメイド型バイオロイド、バトルメイド、コンパニオン、フェアリーの三シリーズは、姉妹愛が強いことの裏返しとして縄張り意識も強い。特にバトルメイドとコンパニオンは職分が重なりがちなため、旧時代にも、また抵抗軍を結成してからも、何かにつけて張り合い、仕事や手柄を奪いあっていた。かなり険悪な間柄になったことも一度や二度ではない。  そんなバトルメイドのアリスが、大規模戦闘護衛モデルであるブラックワームS9をさしおいてコンパニオンに護衛を任せるなどということは、確かに昔なら考えられなかっただろう。アリス自身もだが、何よりブラックワームが認めなかったはずだ。 「……それこそ、ご主人様の采配が間違っているはずがありません。ブラックワームだって、そのあたりはよくわかっています」 「……ふうん」  リリスはニヤニヤと笑ったまま、ゴーグルを直して索敵に戻った。その横顔が癇に障って、アリスは棘のある声を出す。 「何がおかしいのです」 「いえ、アラスカからこちら、あれこれ苦労しておいでなのを眺めていましたが」リリスは口元から笑みを消さない。「長姉役もやっと板に付いてきたようですね?」 「な……」アリスは頬がかっと熱くなるのを感じた。 「言っておきますが、ブラックワームが力不足という意味ではありませんよ。あの子は十分高い能力を持っています。あくまでご主人様の」 「それ、本人に言ってあげた方がよろしいですよ」リリスはからかうように指を振る。 「嫌味ですか?」 「先輩からのアドバイスです」  アリスがさらに何か言い返そうとした時、二人の手首に巻いていた通信機が、小さく振動した。  瞬時に二人とも口をつぐみ、目を見交わす。オルカが浮上を開始した合図だ。水面に現れるまで、あと十五秒。  アリスは立ち上がり、両手を広げた。腰に巻きついたマーメイドドレス型のマルチミッションランチャーがはらりと展開し、扇形のフォルムを形作る。リリスがローザ・アズールを起動させ、青白い光の薔薇が二輪、アリスの左右に咲いた。  攻撃地点はすでに決めてある。もう言葉はいらない。アリスは広げた両腕を、優雅に振り下ろす。  かくて、電撃オルカ作戦は幕を開けた。 「コウヘイ教団の皆さん、今のうちにあと一ブロック東へ動いて下さい〜。次の攻撃はたぶん、もうちょっと東寄りに来ると思います〜」 〈わかりました。ですが、今いる道路の封鎖はどうしますか?〉 「そちらは、うちのエルブンたちにお願いしますので〜」 〈えー、またあ!? セレスティア様、エルフ使い荒くないですかあ!?〉 「頼りにしていますよ〜」  生命のセレスティアは穏やかな笑みを絶やさず、おっとりと、しかし絶え間なく的確な指示を出していく。  ポーツマス、第二バリケード防衛戦。ブラックリバーの指揮官が残らず出払っている今のオルカに、大規模な野戦の指揮をとれる者は少ない。ストライカーズとともに最前線に出ているラビアタ・プロトタイプと、留守居としてオルカに残っているアレクサンドラを除けば、あとは妖精村を率いていたセレスティアしかいない。第二次防衛ラインの指揮は必然的に、彼女が執ることになった。 「リーダー、各部隊からの報告をまとめました。マップに反映します」  そして、彼女が指揮をとるならば、長年にわたって副官をつとめてきたブラックワームがその補佐につくのも当然のことだ。 「は〜い。うふふ、あなたにリーダーと呼ばれるのも久しぶりですね〜」  適当な家の庭先に大きなテーブルを持ち出し、まわりにホロディスプレイを何枚も並べた間に合わせの指揮所で、セレスティアとブラックワームは更新されたマップを確認する。これほど大群の鉄虫を相手にするのは流石に初めてだが、それでも数百名のバイオロイドを率いて、旧時代から生き抜いてきたのだ。セレスティアのたたずまいは普段と変わらず、緊張したり焦ったりといった様子は少しもみられない。 「マジカルチームの皆さん、もうちょっとでウェーブが切れるはずです〜。あと一息がんばって下さいね〜」 〈はーい! 魔法少女はしんどい時こそニッコリ笑顔です!〉 「エクスプレス隊、少し凹んでいるようです。ラインが崩れてしまうので、もう少し押し戻せますか」 〈無理ー! 今でもだいぶキツくて下がりたいくらいー!〉 「リーダー?」 「うーん」セレスティアは一呼吸のあいだ目を閉じて、ぱっと開けた。「オードリーさん達の遊撃隊に行ってもらったら、間に合いそうです。あと、技術班のガレージにあまった砲台がないかしら?」 「はい。聞こえていましたか、ドクターさん?」 〈修理の終わったやつがあるけど、セットアップしてる暇がないんだよ〜。取りに来てくれる?〉 「私が行きます」ブラックワームはぱっと指揮所を飛び出す。リーダーの手足になるのが副官の役目だ。  指揮所から少し離れた大学キャンパスに設けられたガレージで自走砲台のセットアップをすませ、エクスプレス隊の守るコーシャム・パークに送り出してから急ぎ足に戻ると、セレスティアが地図をにらんで浮かぬ顔をしていた。 「サウザンプトン・ロード方面の鉄虫が思ったより多いですね〜。このままでは、ストライカーズの皆さんが孤立してしまいます」 「私が援護して、引き戻してきます」ブラックワームはすぐさま傍らのファイアランチャーをかつぎ上げた。その頬に、そっと白い手が添えられる。 「ブラックワーム?」セレスティアの声は変わらず穏やかだった。 「すこし、肩に力が入っているようですね〜? こういうときこそ、リラックスですよ〜」 「……はい」  かなわないな、と思う。ぼんやりしているようでいて、おそろしく相手をよく見ている人なのだ。  この電撃オルカ作戦の劈頭、ロンドン上陸戦において、オルカの露払いをつとめたセラピアス・アリスの護衛にはブラックリリスがついた。同じバトルメイドの、それも大規模戦闘護衛モデルであるこの自分ではなく。  不当だとは思わない。オルカ最古参の精鋭であるブラックリリスと、自分との間には埋めがたい実力差がある。何度かの模擬戦を経て、そのことは身にしみて知っている。ご主人様の人選は適切だった。だからこそ、悔しい。  敵陣深くで暴れ回り、進軍をかき乱して速度を鈍らせる攪乱役を務めているストライカーズをつかまえるのは一苦労だった。 「ストライカーズの皆さん! 援護にまいりました!」 「ありがとう、ちょっと勢いに任せすぎてしまったかしらね」すでに状況を理解しているラビアタが、即座に指示をとばす。「ミナ、いったんブラックワームにカバーを任せて、槍を修理なさい。それが済んだらチェルトナム・ロードまで下がります。マーキュリー、ルートを確保して」 「お任せですわ!」 「助かった〜。ありがとう、ブラックワームさん」 「どういたしまして」  六枚の花弁状シールドをアスファルトに突き立てると、たちまち砲弾が降り注いでフレームをきしませる。こういう、周り中から敵弾が飛んでくる状況で誰かを守ることこそ、ブラックワームの本領だ。ロンドン上陸戦での護衛など、まさに自分のためにあるような任務といえた。だというのに。 「ふんふん、おシャカ様は〜、白人だったとさ〜、だってアングロ釈尊〜」 「ぶっ」  ふたたび陰鬱に沈みかけた思考を、ウルの駄洒落に引き戻されたところで、通信機が小さく震えた。 〈セラピアス・アリスより姉妹達へ〉バトルメイドの専用回線だ。見れば、ラビアタも眼鏡をおさえている。 〈ご主人様がキャメロットの発電所へ向かわれます。シティガードが護衛に付いていますが、マーリン配下のAGSが周辺を包囲しつつあるようです〉 「……!」  ラビアタと目を見交わす。そう、このポーツマス防衛戦は最初から二正面作戦だった。ポーツマスに押し寄せる鉄虫と、キャメロットから繰り出されるAGS、その両方を相手取らなければならない。双方を押し切れるような戦力はもとよりあるはずがなく、司令官がどれだけ早く救出チームと合流し、マーリンとキャメロットを攻略できるかが作戦の成否を握っている。  だから、彼がキャメロットへ斬り込んでいくのは少しも間違ったことではない。しかし、あまりにも戦力が少なすぎはしないか。そう懸念したブラックワームだが、どうやらアリスの考えも同じらしかった。 〈バトルメイドとコンパニオンは部隊を二分し、半分はご主人様の後詰めに向かいます。バトルメイドからは私とバニラ、ヒルメ〉 「……っ」また選ばれなかった、という悔しさがちくりと胸を刺す。 〈バリケード側に残った姉妹の指揮は、ブラックワームに〉 「えっ!?」  急に声を上げたブラックワームに、ミナとマーキュリーが驚いて目を向ける。「こちらにはラビアタお姉様も、コンスタンツァお姉様も……」  ラビアタがそっと肩にふれ、笑顔でうなずいた。「セレスティアさんの副官はあなたでしょう? 適任よ」 〈やってみせなさい。任せますよ〉  ブラックワークは乱れた前髪をはらい、呆然と開いていた唇をきゅっと引きむすんだ。 「……はい! お任せ下さい!」 「あらあら〜?」  指揮所に戻ると、セレスティアがこちらを見てふんわり微笑んだ。「なんだか、元気が出たようですね〜?」 「ええ。ご心配をおかけしました」  ブラックワームも、力強く微笑み返す。  と、そこへ誰かが早足に駆け込んできた。遊撃隊を担当していた、コンスタンツァだ。 「すみません、鉄虫の動きが少し不穏で、バリケードを点検に行きたいのですが、どなたか手の空いている方は……」  ブラックワームはもういちど微笑み、置いたばかりのファイアランチャーを取り上げた。 「私が行きます、お任せ下さい。そうですね、手が空いているのはスノーフェザーさんと、金蘭さんと……」  その発電所は明らかについ最近、突貫で建てられたものだった。  港湾ぞいの倉庫街の真ん中に、周辺の建物をつぶしていきなり建っている。最低限の遮蔽壁らしきものを除いて、防衛のための設備はなにひとつ見当たらない。モルタルを幾重にも塗り重ねた壁に、冗談のように並べて貼り付けられている黄色い放射能標識がなければ、原発だとさえわからなかったかもしれない。  先行したという救出隊の面々は、ここに入るのに何の苦労もなかっただろう。しかし今、建物の周囲はおびただしいAGSによって埋め尽くされつつあった。中に入るどころか、近づくことさえ難しい。バニラは倉庫の屋根に身を伏せたまま、そろそろと後ずさって仲間と合流した。 「ご主人様たちは、どうやってあそこに入ったんです?」 「集まってくるAGSにまぎれたそうです。つい先ほど、シティガードから連絡がありました。ソニアさん曰く『外のAGSをよろしく』とのことです」 「無責任なことを……」セラピアス・アリスが苦い顔で舌打ちをする。その隣では、天香のヒルメがぴったりと耳を伏せている。 「あんな数の相手をするのか? 気が進まんのう……」 「あれが全部ご主人様に襲いかかるのと、どっちが気が進まないですか?」 「い、言ってみただけじゃ。やらんわけなかろう」 「外には鉄虫だっていっぱいいるのに、あんな数のAGSをどこに抱えてたんでしょう」ハチコが首をかしげる。ポイが尻尾をゆっくりと揺らした。 「どっかで造ってるんじゃないの?」  セラピアス・アリスはしずかに身を起こし、腰のランチャーを確かめるように撫でてから、屋根の端へ目を向けた。 「ご主人様のもとへ向かいますか? 貴女一人なら斬り込めるでしょう。援護してあげなくもないですが」 「せっかくですが、結構です」  視線の先にいたブラックリリスは、かがみ込んだまま二丁拳銃を抜き、顔の前で戦闘位置に構える。 「マーリンとやらが万一ご主人様の暗殺でも企んでいたら、シティガードだけでは対処できないと思って駆けつけましたが……この状況でこんな物量作戦に頼るということは、そんな繊細な真似のできる相手ではなさそうです」 「よろしい。それでは予定通り、バニラとコンパニオンの皆さんは発電所周辺を。私とヒルメは外周を掃除します。行きますよ」 (……この二人、こんなに息が合っていたかしら?)  そんなことを思いながら、バニラは愛用のAK-99Mにグレネード弾と銃剣を装填した。 「行きますよ、ヒルメ」 「う、うむ!」  こいつらがただの一機でも、ご主人様を煩わせることがあってはならない。 「ふっ……!」  フォールンの足関節を撃ち抜く。すばやくマガジンを交換し、至近距離からの連射で本体を仕留める。  バニラの武器はアサルトライフル一丁。火炎放射ドローンを操るヒルメや、ミサイルの雨を降らせるアリスに比べれば、火力としては貧弱そのものだ。  かつて、ラビアタが初めてレジスタンスを結成した時、まっさきに声をかけたのは当然、自身の直系であるバトルメイドプロジェクトの妹たちだった。バトルメイドの中でももっとも生産数の多かったバニラモデルは、レジスタンス最初の兵士となった。何百、何千体ものバニラが鉄虫と戦い、そして死んだ。  一つの戦いを生き延びるたび、バニラモデルはお互いの経験と知見を共有し、より効率的な戦法を追求した。ラビアタのような圧倒的な性能も、コンスタンツァのような精密な射撃能力も持たないバニラは、ひたすらに考えて、考え抜くしかなかったのだ。  バニラは自信を持って言える。三安のあらゆるモデルの中で、最も鉄虫との戦いの経験を蓄積しているのは自分たちだと。 (まあ、今戦ってるのは鉄虫じゃなくAGSですが)  ギガンテスカスタムの装甲の継ぎ目に銃剣をこじ入れ、開いた隙間にグレネード弾を零距離で撃ち込む。煙を噴いて動きをとめたギガンテスから飛び離れ、ライフルの柄でポップヘッドを殴り倒す。背後に迫っていたもう一体のギガンテスに向き直ると、すでにポイが真っ二つに切り裂いていた。 「にゃははっ、なかなかやるじゃない?」 「当っ然……ですッ!」  新手のフォールンの弾幕を跳び越え、頭上に飛び乗って銃剣を突き立てる。ふいに右頬が熱くなった。すぐ右手で火柱が次々に噴き上がり、巨大な炎の鳥が、AGSの群れをなぎ払っていく。 「見たか! 妾だって、これくらいはやれるのだ!」  戦いの興奮で頬を真っ赤にほてらせて、ヒルメが舞い降りてきた。バニラも一息ついて、グレネード弾を再装填する。 「何体やりました?」 「いちいち数えてなどおらぬ。50体くらいかのう」 「まだまだですね」バニラはこれ見よがしに肩をすくめた。 「あなたのヤタガラス・ユニットは、どう少なく見積もっても私のライフルより十倍の火力があります。それなのに、仕留めた数はたったの五倍。恥ずかしくはないんですか」 「んなっ……み、見ておれ!」  しっぽの毛を逆立てて、ふたたびAGSの群れに突っ込んでいくヒルメを見送って肩をすくめる。本人は「妾は飴だけで成長するタイプ」とか甘ったれたことを抜かしていたそうだが、あれはどう見ても適度に煽ったり叩いたりするのが一番いいタイプだ。  やがて、アリスが上空からふわりと降りてきて、携帯端末の時計を見た。 「……23分。まあまあですね」  周囲に、動いているAGSは一体もいない。バニラはドレスの煤をはらい、ライフルを支えにしてゆっくりとしゃがみ込んだ。 「そういえば途中、なんだかコンテナが一個飛んできたのが見えましたけど」 「オルカから連絡がありました。あれにはフリッガさんが乗っていたそうです」 「……ガーディアンシリーズって、そんなのばっかりなんですか?」たしか救出隊に参加したアイアスは、装甲列車でこのポーツマスのバリケードに突っ込んだと聞いている。 「さあ。リリスさんの親戚でしょう?」 「こちらに押しつけないで下さいな。あの子たちは規格外です」リリスは涼しい顔で、もう拳銃の掃除を終えている。その隣、うずたかく積み上がったAGSの山を、ポイがひらりと跳び越えた。 「もういいでしょ? お先にご主人様のところへ行ってますね〜♪」 「こら、ポイ! 私も行きますよ!」 「どさくさに紛れて!」  リリスが血相を変えて後を追い、さらにアリスがそれを追っていく。  バニラも大急ぎでライフルの掃除を済ませると、急ぎ足で発電所の中へ向かった。 「拙が思いますに」  スケロプを真っ二つに斬りさばき、環刀を鞘におさめる。チン、という快い鍔鳴りの音が、戦場の喧噪に疲れ果てた耳を、ほんのわずか慰めてくれた。 「バリケードの穴が一つとは限りません。残りの部分もすべて、あらため直した方がいいのでは」 「もちろん、その通りです。すぐにも調べに行きたいところですが」ハーヴェスターを一体、ボリに押さえ込ませてからの至近射撃で仕留めたコンスタンツァが顔をしかめる。「ここを何とかしないことには」 「お二人とも、戻って下さい!」  ブラックワームの声に二人と一匹はぱっと地を蹴り、黒い花弁の形をした大型盾の背後へ跳びもどる。直後、機関砲の弾丸が驟雨のように盾を洗った。  第二次防衛ラインの攻防戦は続いていた。鉄虫の攻勢が不自然なほど消極的であることに気づいて偵察に出た金蘭たちが、バリケードにこじ開けられた穴を発見したのがつい数分前のこと。侵入した鉄虫を追討する役目を引き受けてくれたブリュンヒルデとスノーフェザーを見送ったのもつかの間、三人はバリケードの穴をめがけて押し寄せてくる新手の迎撃で身動きがとれなくなっていた。 「修理班は?」 「まだ少しかかると。私たちが動けない分、ドローンさん達が遊撃に回ってくれているので……」 「余分の人手がないのが、ここにきて堪えてきましたね」  防衛戦の主力は伝説・ビスマルクの戦闘部隊と、ドクターたち技術班の自動兵器群だ。金蘭たち遊撃隊の役目は本来、かれらの火線を逃れて接近してくる小型の敵に対処することだが、ここに縛りつけられてしまってその役目を果たせずにいる。広域破壊のできる切り札の一人アリスは司令官の護衛に向かったし、もう一人の切り札レアは医療班の長でもあるので、うかつに動かすことができない。 「く……」  つば広の笠子帽を目深にかぶり直し、黒い紗をおろして視界を翳らせる。おびただしい鉄虫の足音、絶え間ない砲声、鉄と硝煙の臭い。大気に満ちる音も臭いも光も、何もかもが金蘭をさいなむ。人並み外れて鋭い金蘭の五感にとって、戦場の空気は苦痛そのものだ。だが、もちろんそんなことで挫けるわけにはいかない。これは姉妹のための、バイオロイドのための、そして何よりご主人様のための戦いなのだ。  シラユリから借りておいた強化繊維弓を引きしぼって矢継ぎ早に鉄虫を射貫く。最後のチックが火を噴いて倒れ、第何波めかの鉄虫を凌ぎきることができた。次の群れが現れるまで一分か、二分か、わずかに息がつける。 「このバリケードは……ここの部分から、きゅうに作りが粗くなりますね」  コンスタンツァがふいに、バリケードの断面から突き出た鉄板に手を触れて言った。金蘭も、盾の調整をしていたブラックワームも怪訝な顔になる。  このポーツマス第二次防衛ラインは、ポートシー島と本土とをへだてるポーツブリッジ川の北、かつてホーソーン・クレセントと呼ばれていた通りを中心に設けられている。旧時代の住宅やその残骸をたくみに使って組み上げられた分厚いバリケードは、重装型鉄虫の突撃にすら一度か二度は耐えてくれそうだ。  しかし、いま金蘭たちが守っている箇所だけは砲撃によってみにくく切り裂かれ、断面をさらしている。よく見るとコンスタンツァの言うとおり、裂け目の左右ですこし作りが違うように見える。しかし、具体的に何がどう違うのかと言われるとよくわからない。。 「あちら側はこんなに見事に組まれているのに。こちら側の新しい方はまるで雑です。接続の仕方もまずい。ここに穴を開けられたのも、無理はないですね」 「最近になって、急いで増築したのではございませんか?」 「もちろん、そうでしょう。ただそれにしても、あまりにも違いすぎる。急ごしらえというよりは……」芯まで錆びてすっかり脆くなった鉄板を、コンスタンツァはつまんで折り取った。 「まるで、きゅうに何もかもが嫌になって、投げやりになってしまったよう」 「……リーダーも言っていました」ブラックワームが言った。「マーリンという者のふるまいには、何かひどく非合理なところがみえると」 「…………」  金蘭はだまって一歩下がり、少し後ろから二人の姉を見た。  コンスタンツァS2・416は、数十年にわたってレジスタンスで戦い、今はご主人様のお世話係を務めるベテラン中のベテランだ。ブラックワームも、オルカへの参加こそ金蘭より後だが、セレスティアの率いる妖精村の副長として、旧時代から鉄虫たちと戦ってきた。  復元からたった二年あまりの自分が追いかけるには、なんと遠い背中であることか。ため息をつきながら伏せかけた視界のすみで、何かが動いた。  即座に紗をはね上げ、目を見開く。地面に手を当て、伝わってくる震動を確かめる。 「金蘭?」 「次の群れが近づいております。右手奥の木立の向こうから、重装型がいるようでございます」  ブラックワームが、調整の済んだ六枚の盾を再度地面に突き立てた。 「ここは、私がしのぎます。お二人はバリケードの残りをチェックしたあと、遊撃任務に戻って下さい」 「一人で大丈夫ですか?」 「私は大規模戦闘護衛モデルです」ブラックワームは振り向かないまま、背中で答えた。コンスタンツァが微笑む。 「任せましたよ」 「はい」  コンスタンツァがきびすを返す。ボリがそれに続き、金蘭もいそいで後を追った。 「ふふっ」バリケード沿いに走りながら、すばやく損傷を確かめていく。その途中、コンスタンツァがふと笑った。 「どうなさいましたか」 「あなたは知らないでしょうけれど、ご主人様がおいでになる前までは、バトルメイドの姉妹はラビアタお姉様と、私とバニラしかいませんでした。ラビアタお姉様の補佐も、私たちよりはリリスさん、アレクサンドラさんが務めることが多くて……正直、すこし肩身の狭いこともあったんですよ」  鼻面を道路へにこすりつけるようにしながら走るボリの背中を撫でてやりながら、コンスタンツァは遠い目をする。「それが、今ではこんな大所帯になって、頼もしい妹たちがいっぱい……本当にありがたいこと」 「それは……」 「あなたもですよ、金蘭」 「!」  考えを見透かされたような気がして、金蘭はぱっと頬を赤らめた。「お、お姉様! そのコンクリートのところ、少しゆるんでいるように見受けられますが」 「あら、本当。目聡いですね」コンスタンツァは楽しそうに言う。「地図にチェックして、あとでまとめて技術班に渡しましょう」  二人のメイドは足早に、かつてホーソーン・クレセントと呼ばれた通りを駆け抜けていった。 「あふう〜〜……」  九本の金色の尾を、湯船の中で太陽のように放射状にひろげて、ヒルメはとろけるような息をもらした。 「場所を取りすぎです、ヒルメ。はしたないですよ」 「妾はお姉様たちと違って、今しかここを使えないのだ。少しくらい堪能してもよかろ……よろしいでしょう」  ヒルメは両手を広げて体の力を抜き、尻尾の弾力だけに身をあずけて、湯の中にぷかりと浮いた。  電撃オルカ作戦は無事完遂された。オルカは一人の死者も出さずに、ブラインドプリンセス率いるイギリスレジスタンスを救出することができた。  本職の軍事バイオロイドが一人もいない状況での、イレギュラーな緊急作戦だったこともあり、箱舟に残っていた隊員は一人残らず必死に働いた。そのためもあり、参加した全員に部隊単位で、ちょっとした特別褒賞が与えられることになった。  用意された選択肢の中からバトルメイドが選んだのは「姉妹全員での大浴場貸し切り」であった。むろん、普段は(抜け毛がすごいので)入浴を禁じられているヒルメも含めて、である。 「これ、得しているのはヒルメだけではないですか?」顔を半分湯に沈めてぶくぶくと泡を吹きながら、バニラがこちらを睨む。 「い、いいではないか! 妾はここでは末妹なのだぞ、末妹! たまには可愛がってくれても」 「姉妹全員で入浴する機会など滅多にないのだから、いいでしょう」アリスが上機嫌でざぶりと顔を洗った。その勢いで、大きな乳房が揺れて波が立つ。「それに、実際今回のヒルメはよく頑張りました」 「まあ、そこは同意しないでもないですが」 「そうであろ、そうであろ!」  ふだんは何十人もが一度に入る、アクアランド自慢の大浴場である。長身のアリスや、大きな尻尾を持つヒルメがそれぞれに思いきり手足を伸ばしてくつろいでも、なお十分な余裕がある。露天風呂も悪くないが、やはりこの広さは格別だ。 「ふふ、本当にね」  コンスタンツァがニコニコと湯船から上がって脱衣所へ入り、大きな木桶を抱えてもどってきた。「そんなわけで私からも、こういうものを用意しました」  木桶の中にはワインの大瓶と、グラスが七つ。 「お姉様! お風呂でお酒なんて、キルケーさんじゃあるまいし」 「いいじゃないですか、お祝いですもの。お注ぎしましょう」アリスが瓶を手に取り、素手で事もなげにコルクを引き抜くと、優雅な仕草で進行色の液体をグラスへ注いだ。 「わ、妾も! 妾もほしいです!」  普段あまり飲む機会がないが、ヒルメも酒は好きな方である。日本酒だったらなおよかったが、贅沢は言わない。熱い風呂にゆったりと浸かりながらの冷えたワインは最高だ。 「はあ〜……極楽だのう」 「ヒルメ、尻尾を撫でてもいいですか?」 「うん? あ、うん」  少し頬を火照らせながら、ブラックワームが寄ってきた。出会った頃は怖かった彼女だが、今はもうだいぶ慣れた。湯を揺らして尻尾を差し出すと、 「うふふ。ふふふ」  一杯でもう酔ったのか、ブラックワームはふわふわと笑いながらずっと同じところを撫でている。 「ブラックワームさん。このように、もっと指を深く入れて、長く撫でるとよろしいですよ」  いつの間にか反対側に金蘭がきて、べつの尻尾を撫でる。以前、露天風呂での尻尾ケアに付き合ってもらってからというもの、金蘭はすっかり尻尾撫でのエキスパートだ。 「こうですか?」ブラックワームが真似をすると二本の尻尾からゾクゾクと刺激が来て、思わず声が漏れた。 「きゅーん……!」 「まあ。さすがです、金蘭お姉様」 「ふふっ。私もようやっと『先輩風』なるものを吹かせることができました」金蘭がおかしなことを言って、嬉しそうな顔をした。 「んはーーーっ……!」  グラスを真っ先に空にしたアリスが、頭のタオルを勢いよくむしり取った。ピンク色のつややかな髪が、さっと湯船に広がる。 「ああ、久しぶりに思いきりミサイルを降らせました! やはり、たまにはこういう大規模な戦闘をしないと体がなまりますね」 「それはまあ、確かに……」  ヒルメも久々にヤタガラスユニットを限界まで酷使した。ひどく消耗したし、戦闘自体嫌いではあるが、それでも己の性能をぞんぶんに使い切った、という満足感は確かにある。 「わかりますか」四つん這いでじゃぶじゃぶと湯船を渡って、アリスが側へ寄ってきた。 「ところで日頃から思っていましたが、あなた尻尾はきちんとするのに髪の手入れがいまひとつ雑ですね。私がじっくり教えてあげましょう」 「え!? い、いや結構だ! でございます! 妾はゆっくり湯船に、あああああ」肩を掴まれて湯船から引きずり出される。 「あ、アリスお姉様! あの、止めてさしあげた方が」 「アリスったら、駄目ですよ。あなたはお酒が入ると、ちょっとお局っぽくなるのが玉に瑕ね」 「な……!?」ヒルメをぶら下げたまま、アリスが立ち止まって振り向いた。「仰るに事欠いて、お局ですって!? お姉様、それならこの際言わせていただきますが、秘書室の切り盛りを私に丸投げして、ご自分はご主人様のお世話につきっきりになっていらっしゃるの、どうかと思うのですが!」 「えっ!? いえ、あれはあなたの成長を願ってのことで、けっして私利私欲では」 「語るに落ちましたわね!」 「あらあら、賑やかね。遅くなってごめんなさい、みんな」  その時脱衣所へ続くガラス戸が開いて、どっしりとした肢体をバスタオルで覆ったラビアタ・プロトタイプが入ってきた。 「お姉様!」 「みんな、今回は本当によく頑張ってくれました。頼もしい妹たちをもって、私は幸せです」  ラビアタはていねいに体を流してから、湯船にゆっくりと身を沈める。たちまち皆がそのまわりに集まり、アリスもヒルメを放り出して湯船へ戻っていった。 「お姉様、今のはその……」 「ワインをどうぞ、お姉様」 「お姉様、カフェには行かれました?」  ラビアタが抵抗軍副司令でも三安陣営の代表でもなく、バトルメイドの長姉でいてくれる時間は決して多くはない。みな、聞いてほしいことがたくさんあるのだ。  洗い場にぽつんと残されたヒルメは少しだけためらい、おずおずと左右を見回してから、 「お、お姉様、妾も、妾もな!」  自分もその輪に加わりにいくことにした。 End