「そういえば、アーケインさんのトレーナーさんが変わるとか聞いてますか?」 ある日、トレーニングを終えた帰り道に、唐突に振られた話題に面くらう 「…いえ、そんな話は聞いていないわ」 「そうですよね、やっぱりただの噂ですよね」 今日、顔を合わせた時にはそんな話も素振りもなかったと思う 「たまたま親戚が話をしているのを聞いてしまって」 彼女は同期で一族の娘達の1人、つまり一族の誰かがそんな話をしたのだろう 一族の娘達も自分の事で精一杯なのか、それとも大した器でもなかった自分に飽きたのか、 取り巻き達もこの娘を除いてあまり顔を合わせなくなった この娘はなにかと自分について来ては遠慮がちながら話しかけてくる 一族との付き合いは苦手だから、一族間の情報源はこの娘ぐらいしかないので助かっている 「トレーナーの方針に問題があるんじゃないかとか、桜花賞に間に合わないとか…」 「…そう、そんな話があるのね…ありがとう教えてくれて」 礼を言うと彼女の表情が少し明るくなる 「はい!…でも、そんなに簡単にトレーナーさんを変えれるんですかね? 私だったら、やっと環境に慣れてきたのにまた初めからなんて…」 「そうね、そうそうないとは思うけれど…」 完全には否定できない 「…面倒な話ね」 思わず溜息とともに本音が漏れる 「そうですよね、折角慣れてきたのに今更ですよね」 「本当にね…」 それから、話題は変わっていき彼女が話してそれに相槌打つというやり取りが続いた 彼女は遠慮からか、それとも性格なのか捲し立てるような感じで話したりはせず、 それなりの距離感を保って深入りはしないでくれる 自分としてはその距離感に助けられていると思う 食堂で彼女が最近の成績の話を始めた時だ 「楽しそうですね、アーケインさん」と声をかけられる 顔を向けるとそこにはテンモンが居た 「テ、テンモンさん」 先程までの話題を打ち切られた彼女が突如現れた有名人に狼狽えている 「あら、テンモンさん今晩は」 内心驚いていたが面に出さずに挨拶を交わす 「声をかけて良いか迷ったのですけど、アーケインさんが楽しそうに話していたので… 御一緒させて頂いてもよろしいですか?」 「は、はい、御一緒させて頂きます!」 慌てた彼女が承諾してしまう 「そうね、じゃあ皆で頂きましょうか」 自分も流れで承諾する 「アーケインさんのご友人の方ですか? テンモンと申しますこれからお願いしますね」 「はい、友人?いえ、はい、よろしくお願いします!」 彼女が顔を赤らめ返事をするが狼狽し過ぎておかしな事になっている その光景に思わず笑ってしまう 「アーケインさんはそんな風に笑うのね」 テンモンが自分をまじまじと見る 「そんなに珍しいかしら?…私だって笑う事もあります」 「あ、怒らせるつもりではなくて…安心したんです」 「…安心?」 『何に』だろうか 「それで何を話されていたのですか?」 「あの、えーとですね、私の近況というか成績の話です」 テンモンの言葉に戸惑ってる間に話題は変わってしまった 「成る程、聞かせてもらってもいいですか?」 「それは…勿論、テンモンさんの話も聞きたいです」 それから、彼女の成績の話やテンモンがそれに対してアドバイスを求められたりと 話題は変わっていった 自分は横で求められて相槌を返すという流れだった 「テンモンさんは、次はどこに出るんですか?」 「私は…京成杯を目標にしています」 「重賞ですね…やっぱりすごいですね」 「アーケインさんは決まっているのですか?」 テンモンがこちらに水を向ける 「私は…まだ…」 実際まだ決まっていない 取り敢えずは2勝目を目指す事になるだろう 「取り敢えずは2勝目を目指しています」 「そうですか…でも約束は忘れないでくださいね」 「約束ってなんです?」 「アーケインさんとまた一緒に走ると約束したんです」 「えーテンモンさんと?アーケインさんすごいです」 「いや…約束は…」「しました、ね?」 してないと否定しようとしたがテンモンが笑顔で語気を強め打ち消す 「いえ…まあ…また走れると良いですね」 テンモンの笑顔から放たれる圧力に負ける 「仲良いんですね、アーケインさんとテンモンさん」 「いや…」 「これから仲良くなるんですよね?」 否定しようとした言葉は、テンモンにまたもや打ち消され上書きされる 成る程、今のところはプライベートで接点はないし、ただ一度レースを走っただけの仲だが、 これからという事なら間違ってはいない 全く何を考えているのかわからない者と仲良くなれるものかは知らないが 「そう…ですね、これからもお願いします」 「はい、よろしくお願いします」 テンモンが笑顔で応える そうして端から見れば和気あいあいとした食事会は終わりを迎え 他愛もない挨拶を交わし1日を終えた こんなに話をしたのは久しぶりに感じる だが、今迄に度々あった不快なものではなく、疲れはしたが楽しくもあった しかし、あのテンモンという娘は相も変わらす不思議な娘だ 少し…いや、かなり性格に難がありそうだが… あれから何日か経ったある日、トレーニングに向かう前の事 トレーナーから次走についての打診があった 「次走はオープンクラスを予定していたが、京成杯に行くことになった」 「え!?京成杯ですか?」 「ああ…」 トレーナーはそれ以上何も言わなかった トレーナーの態度には違和感がある 以前ならば、必ず相談という形式だった 「決定事項…ということでしょうか?」 「…そうだ…」 「…なにかありましたか?」 「…なにもない、次走でもう一度重賞に挑戦してみてはどうかと思ったんだ」 なにかあったかと聞かれてなにもないでは、 如何にも不自然だろうに真っ向から否定するとは… 隠していますと言っているようなものだ 「…成る程、わかりました頑張ります」 「…そうか…すまん」 何故そこで謝る 今の謝罪で何らかの事情があるのはほぼ確定ではないか 『また』、圧力でもかけられたのだろう トレーナーを選んだのは自分だ 成績について責を負うべきは自分だが、立場としてトレーナーが責められているのだ 「トレーナー、申し訳ありません」 居住まいを正し頭を下げる 「なんのことだ?謝る必要はないだろう」 「いえ…はい、そうですね、京成杯頑張ります!」 姿勢を正したままはっきりと意志を込めて返事をする 「ああ…頑張ろう!」 この人は優しい人だ 自分の成績が奮わないことで責められながら、 自分に気取られぬよう努めている 自分の我儘から無用な厄介事を背負い込んだのだ この恩に必ず報いなければならない しかし、そこでふと先日のやり取りを思い出す 「京成杯…はテンモンさんが出走されますね」 「そうか、テンモンが」 出走メンバーはまだ登録もされていない段階だ 「はい、彼女からそう聞いています」 「厳しいが他にも強敵は居るだろう」 「大丈夫、任せて下さい…とは言えませんがやります!必ず!」 「…力が入り過ぎだ、まだ先の話だしっかり仕上げていこう」 トレーナーの表情が少し和らいだ気がする 「…そうですね」 「こちらは、あくまで挑戦者だし、気負いすぎるのもよくないぞ」 「ヨシ!トレーニング行きます!」 気合いを入れトレーニングに向かいながら、テンモンの事が頭をよぎる 彼女の耳に入ると絡まれそうな気がする… 「トレーナー、京成杯に出ることはなるべく内密に…」 「…どうした?」 「…テンモンさんが…聞いたら色々大変そうで…」 「友達じゃないのか?」 「え、いや…はい、そう…なのでしょうか?」 「テンモンのトレーナーにも挨拶されたぞ?」 「は?え?」 「仲良くしてもらっていると聞いた」 「うん?仲良く?良い…のかしら」 確かにあれから何度か一緒に居る事はあった…が、そこまでするだろうか あたふたしているのを見てトレーナーが笑う 「一緒に居て不快か?」 「いえ…特には」 「一緒に居る時間が早く過ぎると思うか?」 「…少し」 「なら、もう友達枠に入れておけ、相手もそう言ってるしな」 「そうでしょうか?」 「そうだ、そういう事にしておけ」 トレーナーが笑いながら応える 「京成杯の事はなるべく内密にしておくよ まあ登録したらあちらのトレーナーから伝わるだろうけどな 後は、もう1人の娘にも口止めしとかないとな」 「もう1人?」 「帰りに一緒になる娘だよアーケインと同じ一族なんだろう?」 「ああ」 そうか彼女が居たか… 大体テンモンと彼女の3人で居るから、確かに情報が漏れる可能性がある 「まあ、なんにせよ、友達が出来て良かった あの時は大勢の中に居るのに独りきりという感じが出てたからね」 「あの時?」 「トレーナー募集の時だな、大分参ってるな…と感じたよ」 確かに大分参っていた見抜かれていたのか 「なんというか必死に取り繕って、そうあろうと頑張っている 結果的になんというか近寄り難くなっている…みたいな」 「……」 「言語化するのは難しいな ただ、なんとなくそう感じたという程度の話だよ」 「…そう見えましたか?」 「ああ」 トレーナーが事も無げに答える なんだ…結構見抜かれているものだな それなりに演技は出来ていると思ったんだけど 「トレーナー、もし…もし一族の事で私が重荷だと感じたなら… 背負いきれないと感じたなら、その時は無理せず降ろしてくださいね」 「…どうした急に」 「いえ、先にコースに行きます」 顔を見られないようにコースに向かい走り出す ああ、なんて酷い奴だ あんないい人を盾にしていたのだ ただただ自分が恥ずかしい、許せない ああ、なんて嬉しいんだ 見透かしていてくれた 自分を見つけてくれていた あの人は見ていたのだ自分を、騙されずに 応えたい 『私』じゃない『自分』を見ていてくれる彼女達に彼に 強くなりたい、そして、勝ちたい