「う〜ん…どうしたものか…」 いつも通りの執務室。俺はPC画面に映る、届いたばかりの案件に頭を悩ませていた。 案件にご指名をいただいたメンバーのスケジュールが、見事にブッキングしてしまっているのだ。 しかも今受けているお仕事と同系統のものだ。お断りさせていただくにしても、先方に説明する時に何と言ったものか…。 そんな悩みに頭を悩ませていると、ノックの音が響く。俺が「どうぞ」と返答すると、ゆっくりと扉が開く。 「お疲れ様、です」 ひょこ、と扉から顔を覗かせたのは、雫だった。 「ああ、お疲れ様、雫」 「…?」 「どうした?」 「何か、困ってる?」 そんなに顔に出ていたのだろうか。 「ああ、ちょっとな。遙子さんにキャンプ番組のお仕事が来たんだが、別番組の撮影とブッキングしてしまって…」 「キャンプ!?」 うわ、びっくりした。 大きな声(雫比)で叫びながら、雫は俺のデスクに駆け寄ってきた。 「見せて!」 「あ、ああ。これなんだが…」 俺はモニタを雫が見やすい角度に向けた。 内容をじっと見つめ、モニタと自分のスマホと見比べること数分。 「私、この日なら、行ける…!」 雫がそう言い出すのは予想できた。 「それはありがたいが、オフの日だからな…。なんとかずらせる日は…あることはあるな。  ただ、いずれにしてもまずは遙子さんと先方に確認を取ってからになるが」 「ん、わかってます。  それと、もしOKだったら、お休みの日にお願いしたいこと、ある」 「ん?何をだ?」 「えっと、ね」 雫の頼み事。それは今回の仕事にも繋がることでもあり、今の雫のやりたいことでもあった。 ----- 「はい、私は今、星見市内のキャンプ場に来ています」 今日は雫の代休日。俺は社用車で、雫をこの場所まで連れてくる役割を頼まれたのだった。 オフの日なんだから、当然カメラも回っていないのでエアナレーションなのだが…。 「俺も初めて来たが、結構いい所だな」 「あ、そう、なの?」 「キャンプしに行くような友人もいなかったし、この仕事を始めてからはそんな時間も無かったからな」 だから、担当アイドルの仕事の付き添いで色々な場所に行けるのは、割と楽しかったりもする。 「出発前にも聞いたけど、荷物は大丈夫だよな?」 「ん、遙子さんと事前に準備して、何度も確認したから、バッチリ」 「そうか。もし何か必要になったら届けるから言ってくれ。  とりあえず、チェックインをしないといけないんだよな?」 「そう。管理棟は…あそこ、かな」 雫が指さす先には、確かにそれらしい建物があった。 「荷物は下ろしておくから、チェックイン済ませてきてくれ」 「うん。行ってきます」 雫が管理棟へ向かっていくのを見送りつつ、俺はトランクから持ち込んだキャンプ用品を下ろしていく。 キャンプ業界では既に名が通っている遙子さんの代役。責任重大だ。 自分がやってみたいから、というだけではなく、代役をきっちり果たすための練習。それが今日の雫の目的だ。 遙子さんとは念入りに打ち合わせしていたようだし、千紗からは先日の無人島で使ったサバイバル図鑑を借りてきているらしいから、大丈夫だろう。 …いやまあ、ここはサバイバルな感じの場所ではなく、ごく普通のキャンプ場なのだが…。 「本当なら、付いていてやりたいところなんだが…」 この業界には明確な休みは無い。この後は他のメンバーの現場に向かわなければならない。 何事も無ければ、明日の朝に雫を実家に送るまでは顔を合わせることはないことになる。 明日は普通に登校することになっているので、制服も持ち込んでのキャンプとなっているのだ。 「お待たせ」 「あ、ああ。問題なかったか?」 「ん、大丈夫。お支払いもしたし、薪の場所も聞いてきた。早く火おこし、したい」 「本当に楽しみにしてたんだな。よし、それじゃ行こうか」 俺たちは荷物を分けあって持つと、テントを張るスペースへと向かう。 広々としたスペースに、テントの数はまばら。キャンプ客はそれほど多くは無いようだ。 遙子さんが昔よく使っていた穴場だと言っていたっけ。 「ここをキャンプ地とする!」 謎のポーズを決めながら、雫が宣言した。 他のお客さんとも適度に距離がありつつ、景色も楽しめる。いい場所を選んだな、と思う。 俺は荷物を下ろすと、 「テントを張るの、手伝おうか?」 と提案してみたが、 「ううん、一人でやる。撮影の時は自分でやらないといけないし、練習もしてきた」 「そうか?じゃあ、ちょっとだけ様子を見たら俺は仕事に戻るよ」 「ん、見てて」 そう言って、テントを組み立て始めた。 「ん…っしょ…!」 ポールを通したり、シートを被せたり…結構大変そうだ。 「えーと、雫?やっぱり手伝おうか?」 「だ、大丈夫…!遙子さんが一人で組むやり方、教えてくれたから…!」 「そ、そうか…」 しばらく格闘した後、次第にテントらしい形になってきた。 「はぁ…はぁ…ここまでくれば、あとちょっと…」 「本当に一人で組み立てられるんだなぁ」 俺は素直に感心していた。この調子なら、本番でも大丈夫だろう。 「…あ。お仕事、大丈夫?」 「おっと、そうだった。そろそろ行かないと」 「うん。送ってくれて、ありがとう、ございました」 「ああ。明日の朝、また迎えに来るよ。何かあったら…」 「ん、本当に困ったら、連絡する」 「よし。それじゃ、俺はもう行くから」 「うん。…また、明日」 雫に手を振って別れた後、俺は管理人さんにも改めてご挨拶してから車を発進させた。 ----- キャンプ場を出た後いくつかの現場を回っていったが、その間にも雫からは度々連絡が届いた。 と言っても、問題が起きたわけではない。 火おこしに成功した時には焚火の写真を、近くの川で魚を釣っては釣り上げた魚の写真を、近くを散策しては綺麗な花の写真を。 一緒に添えられている雫の笑顔も眩しい。仕事のためのキャンプではあるが、結果的にはいいリフレッシュになっているようだ。 そんな折、何やらお菓子の写真とともにメッセが送られてきた。 雫『お疲れ様、です』  『お疲れ様。そのお菓子、どうしたんだ?』牧野 雫『ゴミ掃除をしてたら、管理人さんにもらった』  『ゴミ掃除?』牧野 雫『うん』 雫『調理場に、ゴミが残ったままになってた』  『それは酷いな…』牧野 雫『ん…』 雫『だから、片づけた。アングラークイーンとしては、こういうの、見過ごせない』 雫『自然の中で遊ばせてもらっているのに、ゴミをそのままにするのは、良くない』  『いい心がけだな』牧野 雫『そしたら、管理人さんが気付いて、手伝ってくれた』 雫『それで、お菓子もくれた』  『そういうことだったのか…明日、俺からもお礼を言いにいくよ』牧野 雫『うん。私も、チェックアウトの時に、もう一回、お礼言う』 そんなやり取りもありつつ時間はさらに経過し、時刻はすでに夜。 雫もそろそろ夕飯を食べている頃だろうか…と思ったところで、再びの連絡。 雫『じゃーん』 そう言いながら送られてきたのは、カレーの写真。  『おお、美味しそうだな』牧野 雫『ルーはあらかじめ寮で作ってきたのを温めた』 雫『尺の都合に配慮』 撮影じゃないんだから、尺を気にしなくてもよかったのでは…。 雫『で、ご飯だけここで炊いた』 続いて、飯盒の写真が届く。  『わざわざ飯盒を使ったのか』牧野 雫『遙子さんが、「キャンプでカレーを食べるなら絶対これよ!」って力説してた』 雫『実際、美味しくできた』 雫『感動』 雫『(照れる配達ラッティーのスタンプ)』  『見てたら俺もカレーが食べたくなってきたよ』牧野 雫『それがいい。カレーは心を豊かにする』 メッセ越しに雫のドヤ顔が見えるような気がする。 俺は一旦仕事を中断し、近くのカレー屋で食事を摂ることにした。 ----- 時刻はすっかり深夜。もう事務所に残っているのは俺一人だ。 カレーの話をした後、雫からは連絡が来ていない。 「もう寝ているかな…」 こっちから連絡して起こしてしまうと申し訳ないな、と手に取っていたスマホをデスクに置こうとした時。 流れ出す『First Step』のメロディー。雫から電話だ。 『もしもし』 「もしもし。雫、こんな時間にどうしたんだ?」 『えっと、遅くにごめんなさい。まだ、お仕事、してた?』 「あ、ああ。ちょうど、雫はもう寝た頃かなと思ってた」 『ん、そろそろ寝る、んだけど』 「けど?」 『ちょっと待って。ビデオ通話に切り替える』 ごそごそ、という音の後、画面に雫の顔が映った。 『やっほー。見えてる?』 「ああ、見えてるよ」 俺が頷き返したのを見て、雫が自分のスマホを動かしていく。 一瞬夜の闇の中に山や木々が映ったが、それらを通り過ぎ…視界は空へ。 『見える、かな?』 星見市の夜空。カメラ越しではあるが、都内からは想像もつかないくらいに、いくつもの星が輝いて見える。 「やっぱりそっちは星が沢山見えるな」 『ん、よかった。街中より、ずっと綺麗に星が見える…』 雫の声は、微かに震えているように思えた。 『今日、来てよかった。連れてきてくれて、ありがとう』 「雫が例の件を引き受けてくれたからだよ。こちらこそ、ありがとうな」 カメラがゆっくりと下がっていき、再び雫の顔が映る。 『えっと、今日一日過ごして、本当に、楽しかった。また、連れてきてくれる?』 「ああ、もちろん」 『ん、ありがとう…今度は、この星空、一緒に見れる、かな』 「そうだな、たまには星空をゆっくり眺めるのもいいな」 「…うん」 雫が今日一番の笑顔を見せてくれた。 『…あ。えっと、ごめんなさい、長電話になっちゃった。そろそろ、寝ます』 「そうだな。俺も明日に備えて今日は切り上げるよ」 『うん、待ってる。おやすみなさい』 「ああ。おやすみ、雫」 通話が終了されると、俺は後片付けをしつつ社用車のキーの借用と外出予定をボードに記載した。 雫を遅刻させるわけにはいかないしな…。今日は早く寝て、明日に備えよう。 明日、雫に会った時に今日一日の話を聞くのが楽しみだ。 終わり