「トレーナー!さっき買った帽子、出してみてもらって良いですか?」 マチカネタンホイザは店から出るなり、彼女のトレーナーに向き直ってそう言った。 「良いけど……はい」 トレーナーは買物袋から新品の帽子を取り出してタンホイザに渡した。 2人はお出かけの最中にセール中の帽子屋を見つけて、買い物をしていた所だった。 帽子選びには自信があるというタンホイザのチョイスにより、トレーナーは自分用の帽子をひとつ購入している。 「ここにこうして、っと。はい!どうぞ!」 タンホイザから返ってきた帽子には、つばの左側に小さなバッジが付けられていた。赤いMと青いT、アルファベットの形をしたカラフルなバッジだ。 「マチタン・トレーナーのM・Tです!どうですか?個性出ましたよね?」 「え、君が買ってくれたの?いつの間に……」 「お店の奥に売ってたので、トレーナーがお会計してる間にこっそりと!」 「……ありがとう。大事にするよ」 トレーナーは顔を綻ばせ、その場で帽子を被って見せた。 「おお!すごく似合ってます!あとでお写真撮りません?……って、値札出ちゃってますよトレーナー。んふ」 「うわ……恥ずかしい」 和気藹々と話しながら、楽しい2人の休日は過ぎていった。 そして翌日。タンホイザはクローゼットからいつものように服を取り出そうとして、ふと鬼ドッジ用のコスチュームに目を留めた。 スカートに付けられたリボンの真ん中には、MとTのワッペンがある。 「……むん。そういえばマチ・タンもM・Tかぁ」 昨日の一件を思い出し、タンホイザは独りごちる。 「あれだとトレーナーが私の帽子を被ってるみたいになっちゃったかな?……あれ、なんかそういうの前にもどこかで……」 タンホイザは連鎖的に過去の記憶を掘り起こしていく。 それは以前、商店街でナイスネイチャと話した記憶―― 「あれ?あの人って確か、八百屋さんの人だよね?」 その時、タンホイザの視線は商店街を歩く一人の青年に向けられていた。 精悍な顔立ちにがっしりとした体格の彼は、よく野菜をおまけしてくれる気の良い八百屋の店員だ。 「ん、そうだけど。ご主人の息子さん……が、どうかした?」 「さっき鍵落としてたから拾ってあげたんだけど、キーホルダーにイニシャルが入ってて。でも八百屋さんの苗字と違ってて……もしかして、別の人のを渡しちゃったかなぁ」 「なんて書いてあったの?」 不安がるタンホイザからイニシャルを聞くと、ネイチャは納得したような顔で笑った。 「あー、それなら大丈夫。それ彼女さんの名前だよ」 「へ、そうなの?……なんで知ってるの?」 「本屋さんの子と付き合ってるって商店街で噂になってたもん。あれマジだったんだー、そっかそっか」 「……は!それってもしかして、合鍵ってこと?」 「そうかもね。っていうかイニシャルって……アピール凄いな」 にやりと笑うネイチャに対して、タンホイザはいまいちピンと来ない顔をしている。 「アピール?ってどういうこと?」 「あえて周囲に自分達の関係を匂わせてるんでしょ。噂になるわけだ」 「え?なんで?」 「そりゃあ、あの人モテそうじゃん?だから牽制っていうか、縄張りの主張っていうか。自分の名前をちらつかせて、コイツはアタシんだ!ってアピールしてんのよきっと」 「はぇ〜、なるほど。なんかすごいねぇ」 感心するタンホイザに、ネイチャはシニカルな笑みを浮かべて言った。 「アタシには無理だなぁ、ああいうの。ぶっちゃけ重過ぎだし、彼氏さんも困っちゃうじゃん?」 「確かに、噂になるのは困っちゃうよね……」 「あんまり束縛強いのはちょっとね。彼氏さんもよく持ち歩いてるもんだわ」 「困っても良いくらい、好きってことなんだねぇ」 「……何そのピュアな視点。なんか落ち込むわ……」 「え、なんで?」 ――という会話をした記憶が、タンホイザの脳裏に蘇る。 「これって……これってもしかして……他の人から見たら、そういうふうに……ひゃー!」 顔を赤らめて、一人わなわなと震えるタンホイザ。 「うう……でもでも、最初はトレーナーも乗り気じゃなかったし。あんまり被らないかもだよね!うん、たぶん大丈夫!」 ――しかしそんな彼女の思いも虚しく、その日学園で出会ったトレーナーの頭には、しっかりとマチ・タンのM・Tが添えられていたのだった。 「めちゃくちゃ被ってるぅ……!!」 「あ、おはようタンホイザ。どうかなこれ?早速被ってみたんだ」 「に、似合ってます!似合ってますけど……!」 「帽子なんて被ったことなかったけど、結構気に入ってさ。君みたいに毎日被るのもありかもなぁ」 「な、なんと!?」 「ありがとうタンホイザ。流石帽子選びの名人だな!」 「う、嬉しい……けど恥ずかしい……!」 屈託のない笑顔を浮かべるトレーナーに、顔を赤くしてジタバタするタンホイザ。そんな2人の後ろから、聞き慣れた声がかけられる。 「おはよータンホイザ。……と、トレーナーさん。今日も早いねぇ」 「ああ、おはようネイチャ。まだ先輩は……」 「ねっ、ネネネネネネネイチャ!!??」 尻尾をピンと逆立て、顔の前で手をわたわたと振りながら、タンホイザは素っ頓狂な声を上げた。 「……な、縄張りの主張なんてしてないからね!!?」 「ど、どしたどした?いきなり何の話?」 「大丈夫かタンホイザ?」 心配そうにタンホイザの顔を覗き込むトレーナーを見て、ネイチャはふと彼の頭に注目した。 「あれ?トレーナーさん、今日帽子被ってるんだ。珍しいね」 「ひ!」 「ああ、タンホイザが選んでくれたんだ」 「へー、結構センス良いじゃん。……そのバッジもタンホイザ?」 「ぎくぅ!」 「そうなんだ。タンホイザが買ってくれたんだよ」 「へぇ……そっか。そうなんだ」 「よよよ……」 身悶えするタンホイザをよそに、ナイスネイチャは何かを考え込むような様子でしばらく帽子を見つめていた。 数日後。学園の構内で、タンホイザのトレーナーはナイスネイチャのトレーナーとばったり出会った。 「あ、先輩。お疲れ様です」 「ん、おつかれ。今日も帽子似合ってるね」 「はは、ありがとうございます。……あれ?先輩ネクタイ変えました?」 「ふふ、気付いてくれた?これネイチャからのプレゼントなんだ」 嬉しそうに胸を張るトレーナーの首元には、赤と緑のストライプ柄のリボンタイが着けられている。その隅には、小さなN.Nの刺繍。 「ネイチャの勝負服とお揃いなんですね」 「わざわざ似てる柄のを探して、刺繍のオプションまで着けてくれてね。手間かかってるでしょ?こういう所が可愛いんだよね〜」 「ふふ、そうですね」 「……それにしても、君の帽子もそうだけど。こういう担当ウマ娘からのプレゼントってさ……」 「はい」 「……良いよね」 「……良いですね」 贈り主の苦悩や思惑など露とも知らず、2人のトレーナーはしみじみと頷きあうのだった。 それからというもの、トレセン学園では自分の物ではないイニシャルを身に着けたトレーナーが散見されるようになったという。 終