影宮町の昼下がり。人の往来も程々の閑静な住宅街を、隙間を縫うように進む人影が一つ。  名をパトリシア・リガルディー。この街に降り立ってまだ暫くの、よくいる異人の1人だった。  1人ここへと現れたは良いものの、纏まりも何もない人々を眺める日々を送っていた。しかしこの日の彼女は違っていた。行き交う人々の中に、かつて出会った人物の───それも、魔術協会とか聖堂教会とかそういった関係でない姿を見たのだった。  これ幸いとその姿を追いかけ、人の気配も疎になった住宅街に入り込んだものの、人気が少ないという事は向こうからもこちらを捕捉しやすいという事。接触するのだから都合がいい筈ではあるのだが、何故か彼女に気取られないよう、物陰から物陰へと歩を進めていた。  だがそれもここで終わり。今ならば1対1、話しかければ無事感動の再会となる───そう思い、影から一歩踏み出した時だった。  「そこまでにしてください、ストーキングは」  視界内、30mほど先の物陰から、別の少女が現れる。その姿はパトリシアにとっては馴染み深いものではなかった、が。しかし確かに、その表情を歪めるには足るものだった。    「お前……『夕刻』の」  「これ以上彼女を追うのはやめた方がいい。後悔する事になりますよ」  「なぁにが……」  かつて函館の一件で一帯の権利を頑として譲らず、魔術協会、聖堂教会を相手取って立ち回った組織、『夕刻』。その手勢として各所に姿を見せていた───枯園シトラと名乗った人物。  それが今、パトリシアの前に立ちはだかっていた。    「あの子にもルゥちゃんにもさんざん色々やってくれたらしいじゃねぇか。それが今度は護衛気取りか?  何考えてるか知らねえが、よくもまあ邪魔ばっかりしてくれるもんだな?」  「他所者の火事場泥棒の自覚があってその発言をするんなら、随分と立派な神経をして居られる事になりますが」  「はーん。この流れだと……まるで『あの子』の事も自分のモンだと言ってる事になるぜ?」  舌戦。互いがあの時の函館で聖杯の為に血腥い争いに身を投じていた人物である事を知った二人にとって、昼間の住宅街である事も、異世界である事ももはや剣呑さを収める理由にはなり得ない。  「……貴女の為を思って言ってあげてるとしても?」  「信用ならねぇなぁ。あの時横からルゥちゃん掻っ攫っていったのはアンタらだったろ?」  「貴女たちのところで薬液漬けにされるより万倍人道的でしたよ、『夕刻』は」  「人攫いは人攫いだろ」  「その言葉、そっくりそのままお返しします」  挑発に継ぐ挑発。もはや双方に矛を収めるつもりは無く、足取りも既にどこかを目指すよりも目の前の相手との距離を図る動きへと変化していた。  方や片方の腕を懐へと伸ばし、方やその動きを具に観察する。  シトラは函館では中型の機械じみた礼装に隠す気もない長銃を構えていたはずだが、現在はそのどちらも見受けられない。妨害が入った事は業腹だが、現在の彼女が何をするのかを見てからでも遅くはないとパトリシアは考えていた。  一方のシトラ───橘花はと言うと、ポーチに忍ばせたハイパワーから起源弾を1発撃ち込んで追い払うか、それともトドメを刺してしまうかを考えていた。魔術は使わず、眼と銃だけで対処する、そう考えて、使い慣れたグリップに指を乗せる。  閑静な空気は極限まで張り詰め、この緊張をどちらが破るか、その時だった。  「……何してるんですか」  パトリシアでもなく、橘花でもなく、第三者の声。  その姿にパトリシアは破顔し、橘花は顔を引き攣らせる。悲喜交々の誤算が、双方の争いを無意味な物へと貶めた瞬間だった。  「よっ、梓希ちゃん」  「えーと……確かに私の名前はアズキ、ですが」    感動の再会を予測していたパトリシアにとって、この芳しくない反応はまたしても誤算ではあった。いかんせんこちらに来てからの期間が長くない彼女には、今何が起こっているかの答えに至る材料が不足していた。  そして橘花は、ポーチから引き抜いた手で目元を抑えていた。梓希と呼ばれた少女とパトリシアのやり取りは、確かにその身に覚えがあった。  「……どこかで、お会いしましたか」  決定打。パトリシアにとっては一方通行の思いが、アズキにとっては知らない人間が自分のことを知っているという不審感が、以前にも同じように接触してきた/分かっていたかのように止めようとした、もはややり場のない感情に顔を曇らせるあとの一人に向けられる。  「葉道……さん。お知り合いですか?」  「なんか知ってやがったな、夕刻の」  場所を変え、影宮町にあるコンビニの前。  炎天下の元で続けて話をするのも、という意見もあって、各々が購入した飲料を片手にしていた。    「なるほど、俺たちの知る鴈鉄梓希とは別人、か。知らんやつから名前呼ばれたらそりゃあ怖いよなぁ!」  「怖くはありません。私以外にも鴈鉄アズキと呼ばれる人がいる、というのは……むず痒いですが」    厳密に言えば『そうではない可能性もある』が、一先ずの推測を橘花から聞いて互いの立場を把握した二名。    「こいつなんてその異世界の梓希ちゃんとバッチバチにやり合ったのに今日なんか『会うな』なんて言い出すんだから相当だよな!」  「……?なぜそんな事を?」  「こうなるって分かってたからですよ……お互い困っちゃうって」  「いや余計なお世話だろ」    その言葉に橘花は鋭い視線を返すが、パトリシアは飄々として正面からは受け取らない。その様子に橘花は再び視線を手元に落とす。  その様子を知ってか知らずか、アズキが口を開く。  「お二人が知る『鴈鉄梓希』は……どんな人だったんですか」  「んー……魔術の筋は良い。けど魔術師じゃあない、って感じだ。必要なモンだから使う、ってな感じで。  そういうところが良かった。俺と同じだしな」  「……正しい事を言う人でした。そのために危ない事をする人で……そうじゃなかったら出会う事は無かったと思いますし。  ぶつかる事も、無かったと思います」  二者二様のイメージ像。彼女と会って何を見たか、どんな風に彼女と出会ったか。  その違いはあれど、今正面に立つ少女の姿を通して、その事を思い起こしていた。    「……そうですか。実感はないですが……聞かせてくれてありがとうございます」  「悪いなぁ。そっちからしたら他人だろうに」  「そうですね。あたし達二人とも、アズキさんに知らない人を重ねて見てたわけですから。失礼ですよね」    アズキの顔を確認してから、遠くの空に目を向けた橘花。その発言に"一緒にするなよ"と言わんばかりの視線を送るパトリシア。  「ですが。違う世界の自分だとしても……負けられませんね」  「……自警団、でしたっけ。応援してます。立派な事は、あたしはできませんけど」  「自警団か。そんな組織があるとはなあ」  「お二人も。今度道端で喧嘩とかしてたら、容赦しませんからね?  それでは、今日はこの辺で失礼します。ここ、お店の前ですから」  去っていくアズキの背を見つめる二人。コンビニの軒があったと言えど、暑さのせいで手にした飲み物も既に底を見せていた。  「……だ、そうですよ」  「アンタが喧嘩売って来なけりゃいいだけだろ?」  「変な動きをしてなければ何も」  「はっ。ああ言った割に自警団気取りか?」  「……やりたい事をやってるだけです」  「なら俺がやりたい事やったって構わんだろ」    言葉を返す代わりにストローから息を吸い上げる。容器を震わせる怪音が、肯定も否定もしたがらない意思を見せていた。  あの日の争いの記憶はあれど、その姿はここにはない。作り上げられた奇妙な日常が、二人の毒気を阻んで汗に流していく。  「いやー……こっちのアズキちゃんも良いな」  「……」  一際大きな怪音が、空の容器から響き渡った。