納屋備新町にひっそりと佇むカフェ『pragma』。  ……の裏手。ビルに挟まれた細長い路地に面した鉛色の扉を開くと、直接従業員控え室に繋がっている。  元々そういう作りだった空間を借り上げたのか、またはこういう風に作ったのか橘花の知る所ではないが、フロアを経由せずに出勤できるところを橘花は少しばかり有り難く思っていた。  その控え室だが、要所に目を遣ると店長の趣味なのか。どこかで見たような雰囲気の模型がちょこちょこ飾られているが、この部屋にそこまで長居もしないのでそこまで気にはかからない。  基本着替えるためだけに存在する部屋であり、着替え先の制服はロッカーに仕舞ってある。白と黒を基調としたスタンダードなウェイトレス衣装は、特段難しいポイントもなく身に纏える。首を飾るリボンも、実際には留め具で固定するタイプなのでさして時間もかけずに着用できる。最後に端を指で摘んでキュッとする必要もない。隣のユニちゃんも同様に着替えを終え、2人揃ってフロアに出る。  午前中から店長は1人で営業していたはずだが、その表情に疲れは見えない。むしろこちらの顔を見て、怪訝な目線すら送ってくる。    「……どうしました?」  「いや、アレじゃないんだなーって」  「アレ、とは」  「あの服だよ、あの服」  胸元で何かを摘みつつ、前後に振り子を振るような仕草を見せる店長。  「……いや、着ないですよ」  「ユニちゃんも着てないねぇ……」  「お嬢様……橘花さんが着ておられませんので」  「え、私のせい?」  「あらら、残念だ」    私が悪いのか?  先ほどの仕草にしてもそうだが、いくら性別なしだからと言っても何らかの罪に問えないのだろうか。  結局のところこの日は特に何もなく、そのまま営業を終えて帰った。  次の営業日。    「あら、アレではないんだね」  「え?そりゃそうですよ……」  「らしいです」  「ふむむ……」  何だこの人たち。  次の営業日。  「……アレは?」  「ないですよ!?」  「……」  「……」  次。    「あ……」  「ノー!」  「……」  つぎ。  「……」  「……」  「……」  どこか余所余所しくなっていく2人。もはや何も言わない。ただ淡々とフロアに立って、たまに淡々と注文を取って、最低限の情報交換をするのみ。  函館での仕事を思い出す。必要な話だけをして報酬を得ていたあの時も、悪くはなかったが寒々しい気持ちは拭えなかった。  ……私が、悪いのか?  だが悪かったとして何か悪い事をしたのか?  私室で腕を組む私の眼前には、わざわざ妙な形のハンガーを用意してまでぶら下げられたあの奇怪な布の塊が漫然と揺れていた。 ─────    少し買いたいものがあると言うことで、1人駅前に寄ってから向かう。普段は一緒のユニちゃんも既にカフェに出ているため、早足で道を駆け抜けて裏口を開ける。当然ながら控え室には誰も居らず、やけに逸る鼓動を抑えてパイプ椅子に座り込む。  ロッカーに手を伸ばす。その距離がやけに遠い。落ち着けと思考を回す度、心拍と汗は止まらない。  ああ、うるさい、うるさい。とにかく、早く、服を脱いで、着替えないと──────    フロアに出る。  ああ、なんだっけ。やけに冷えている。  頭も肩も首も暑苦しいのに、どうにも風が通って仕方がない。    「お、お疲れ様です……」  「……葉道さん」  「お嬢様……」  「あ……えっと」  2人が居た堪れない顔をしている。    「……着替えてきたら?」  「よく、お似合いです。ですが些か、給仕には不向きかと」  クソッタレ。