〜これまでのあらすじ〜 自身の血塗られた過去の記憶を思い出し愕然とする長閑。 しかし自分とルガモンを追う者がいる以上、あの狂ったエインヘリヤル実験はまだ続いていることになる。 地獄の研究を止めさせるため、長閑は被験体クラースナヤとしてソルガルモンと共にFE社天沼矛へと強襲をかける。 マスドライバーで自らを射出することで外壁を破り突入、収容された実験デジモン達を次々と脱走させ混乱に陥った警備隊を薙ぎ倒し、 遂に研究室にたどり着いた長閑を待ち受けていたのは、被験体のもう一人の生き残りであるシュヴァルツ、そして彼のパートナーのアスタモンであった。 彼は自らがエインヘリヤル実験を引き継ぎ、その最終目標である「"地獄"に適合したデジモンの因子」を求めてルガモンの捜索を指揮していた。 シュヴァルツは実験のために作られた自身の存在価値を果たすために、長閑は実験のために作られてしまった自身への決着のために戦いを挑む。 人造トレイルモンの輸送シャフトを潜り抜けながら激しい攻防を繰り広げ、その終着、"地獄"の嵐が吹き荒れる実験場へとなだれ込む。 そこには、地に倒れ伏すソルガルモンと長閑の姿、そして砕かれたデジヴァイスブラッドがあった。 「―――ボクの勝ちだ、クラースナヤ。約束通り、終末のデータは貰っていくよ」 ゆらりと褐色の痩躯が立ち上がる。その全身は夥しい血に塗れていたが、少年は意に介さなかった。出血は単に、力を使った副次的な結果に過ぎない。 対し、桃色の髪の少女は地に伏せたまま、起き上がる気配を見せない。全身の切創の中でも、腹部を刃に貫かれた跡が致命傷となり、既に失血量は危険域を超えている。 「流石に被験体だけあって中々やるモンですが、ここで時間切れですかねェ。こっちとしては願ったり叶ったりってトコですが」 そう言って、アスタモンは質のいいスーツにこびり付いた煤を払った。彼の視線の先にはソルガルモンの体躯が転がり―――その全身のあらゆる箇所が、灰色の火に焼かれていた。 「ぐ、が……」 全身を焼かれ、それだけでは足りない苦痛にソルガルモンは顔を歪ませる。彼を焼く火は消えることは無く、その身を焦がし、消去していく。 「終末のデータ」。シュヴァルツ達がそう呼び、4年前の実験でとあるデジモンが適合したコードが、偽装のために被せられたルガモンという"皮"を破り始めたのだ。 「それじゃあ、さっさとコードを引っこ抜いて、二人纏めて処理と行きますかねェ」 「……待て……!狙いは俺だろう、ノドカのことは……」 「クラースナヤはボクに戦いを挑んだんだよ?そして、負けた。負けたら終わりがこの実験のルールだからね。……もちろんきっちり殺すよ」 「貴様……!」 こともなげにシュヴァルツはそう言い放った。どの道彼女は実験の多くを知っている以上、用が終われば生かす必要はどこにもない。 終末のデータとデジモンを適合させた因子を摘出した後のソルガルモンも同様だ。都合のいいことに、この場にはデジモンも人も等しく分解する嵐が渦巻いている。 「ノドカ、立て!どこでもいい、早くここから逃げろ……!」 「……」 既に四肢まで焼け焦げたソルガルモンは、その身を起こすことさえ叶わない。土台無理筋だと確信していても、それでも長閑に呼びかけるしかなかった。 だが、長閑の返答は無かった。失血の中で彼女はまだ僅かに意識を保っていたが――― 「……ごめんなさい、ソルガルモン」 「けれど、だけど、私は、もう……」 その瞳からは、生気の灯は既に消え失せていた。脳裏に渦巻くのは、戦いの最中にシュヴァルツが言い放った言葉。 『決着をつけて、それも何になるの?この実験を止める方が、君の言う犠牲者の価値を全部無くすことになるよ』 『ボクのやることが自己満足なら、君も同じじゃあないのかな?どこまでもボク達は同じ殺戮者だよ?クラースナヤ。君は……自分の犯した死から、逃げたいのさ』 否定しようと思えば、簡単だ。シュヴァルツにその言葉を吐く道理がないと、跳ね除けることはできたはずだ。 だが、その言葉に動揺した身体が刃に貫かれるよりも早く、彼女の戦意は一瞬で凍りついた。 ―――そうだ、逃げてきた。 記憶を失くして追われながら逃げてきた。人々の輪の中に入っては抜けてを繰り返し逃げてきた。 どこまでも逃げ続けて、その惨めさを哀れんだ人々に生かされる。その繰り返しに甘えてきた。幾千幾万の生命を奪った自分が、その忌まわしきから逃れるためだけに。 何が、 何が決着をつける、だ。寒気がするほどに汚らわしい。 私は、最初から、 「生まれるんじゃ、なかった……」 血の通わなくなった冷たい手を握りしめ、絞り出すように言葉を吐いた。 最初から、 最初から、自分の命が始まってさえいなければ。痛みも、苦しみも、罪も。何も無くてよかったのに。 「……そうか……」 ただ、その嗚咽をソルガルモンは静かに受け止めた。 まだ記憶には新しい。地獄の記憶を取り戻し、苦悩し、それでも立ち向かうことを選んだ長閑と、ルガモンは共に行くことを選んだ。 はじまりの記憶、"地獄"の嵐に全身を焼かれる痛みは消えることは無い。だが既に、長閑は自身を虐殺に陥れた復讐の相手とは違う人間に変わっていった。 だから、自分のやるべきことは、まだ終わっていない。 「―――っぐ。がぁっ……!!」 消し炭となった両脚に力を込める。灰となった指先を握りしめる。 「……どうしたの?負けたんだから、大人しくしてなよ」 「いやァ、ありゃァまだやる気ですね。結果は見えてますが……どうします?」 半死半生、いや、その大半が炎に侵された狼が、尚も立ち上がった。蹲る長閑を背にして、シュヴァルツとアスタモンを睨みつける。 「勿論受けて立つよ。……バラバラにしてから、コードを回収しよう」 シュヴァルツのデジヴァイスから小さな刃が展開し、それを使って手首を傷つけた。溢れ出した血は弾丸の形に凝固して、そのうちの一発がアスタモンの銃へと装填される。 「―――ォォォッ!!」 黒く焦げたメイスを振るい、ソルガルモンが駆ける。しかし、 メイスの軌道はあえなく空を切る。全身の火は既に瞳まで焼いて、彼から光を奪っていた。 「……残念ですねェ、あなた、もう少し利口なデジモンと思ってましたよ」 発砲。 放たれた血の弾丸がソルガルモンの腹部に吸い込まれ、そして破裂した。鋭利な血の棘が、ソルガルモンの腹の僅かに残った肉と、背骨までを吹き飛ばした。 辛うじて身体を支えていた両脚は、最早灰となるのを待つ消し炭でしかない。半ば人型の姿を失った狼は、今度こそ倒れ伏した。 「……っ」 だが、まだ動く。総データ量は半分を切った。それでも尚、燃え残った片腕だったものをよろよろと持ち上げようとする。 「まだ、だ。俺は……」 「―――しつっこいなぁ、負けたくせに、勝てないくせに見苦しいんだよ。さっきから君、何がしたいんだよ!さっさと終われよ!」 その姿が癪に障ったのか、シュヴァルツは狼の残骸に苛立ちを見せ始めた。 「何が……何が、終わる、だ」 「俺はまだ……俺たちはまだ……」 「まだ、始まっても、いないんだ……!」 身体を焼き尽くして、燻るばかりとなっていた灰色の火が、僅かに火力を強めたように見えた。 パチリと弾けた火の粉が舞い、その欠片が、長閑の近くに落ちた。 「自分だったものをそぎ落とされて、言われるがままに操られるのが人の生なのか……?」 「大量に集められて大量に消費されて、ただ一つ残ったものさえ利用されるのがデジモンの生なのか……?」 「俺は……俺はそんなものは嫌だ!俺は土を喰らってでも生が欲しい!屋根も壁も無くたって自由が欲しい!」 体内の奥深くまで、その心臓部まで火が回る。一体のデジモンが焼失していく。だが、逆に譫言のような狼の言葉は、少しずつ力を増していく。 「ノドカ……ノドカ!だから、お前も生きてくれ!」 「生きることを諦めないでくれ!それが過ちだと思わないでくれ!」 「俺たちは、檻から一緒に出たんだ……お前が俺を救ったんだ!それを、間違いだと言わないでくれ……!!」 火が大きく燃え上がり、狼の姿を完全に焼き尽くす刹那、その言葉は咆哮となって、慟哭となって、大気を震わせた。 長閑の眼に、完全に灰となって狼が映る、そして――― 火の粉の光が、灯った。 「……終わったかな?アスタモン、回収はできる」 「えェまァ。肝心なのは残った因子のコードなんで」 燃えああった火は消え、後にはデジモンだった灰と塵が残る……"地獄"の炎に巻かれたデジモンの典型的な末路だった。後は、燃え残りからコードを取り出すだけだから手間が省けたといってもいい。 そう思って灰の山に近づいて行ったシュヴァルツが、その視界の端に何かを捉えた。全身を血で汚した、桃色の髪の――― 「もういいよ、クラースナヤ。全部終わったんだから今更さ」 「―――いえ、まだ始まってすらいませんでした」 「は?いったい何を言って―――」 立ちあがった長閑の右手に握られていたのは、砕けたデジヴァイスブラッドの刃。そして、その中に瞬く―――小さな火の粉、"燃え残り"。 「……ちょっと待って、それは―――!!」 その光に気が付いたシュヴァルツが、初めて驚愕の表情を見せた。ほぼ同時に、アスタモンが構えた銃から弾丸が放たれる。しかしそれが着弾するよりも僅かに早く、 「これから、一緒に始めましょう。ルガモン」 鋭利な刃を、心臓の奥深くへと突き刺した。 永遠など存在しない。 全ての物質に崩壊があり、全ての命に死があるように、終わりの時は必ず訪れる。 ―――そして、終わりさえも、永遠にはなり得ない。 ひとつの物語が終わりを迎え、読者は必ず最後のページを閉じる。 だが、それで終わりではない。 何時か、誰かが、もう一度最初のページを開くのならば――― 溢れ出した血が赤い炎となる、灰が白い炎を上げる。 二つの炎が混じり、渦巻く嵐の中に蒼い雷鳴を轟かせる。 その火は"地獄"のそれを上回る大きさに膨らみ、死の嵐すらも一息に呑み込んだ。 「――――――――――――!」 そして、狼の遠吠えが鳴り響いた時、全ての火が風に吹き飛ばす。その風の中心に、降り注ぐ灰の中に、黒い巨大な影が瞳を輝かせた。 赤い爪、漆黒の鎧に包まれた脚が灰の大地を踏み締める。 全身の毛は灰色の炎となって風に揺らめいている。 頭上には、黒い枯木のような角が天を突く。 そして、背中には桃色の髪の少女が立っていた、全身の傷が消え、砕かれる前に戻ったデジヴァイスを握りしめて。 "それ"は確かに、一度死んだ。火の中で灰となって消えた。 そして、再び炎の中から蘇った。終わりから始まった者、神話の終末を超えた魔狼。 名を――― 「終焉進化―――『ラグナルガルモン』」