「スパーダモン!」 「くっ、う……う、サオリ! 僕のことは……僕らのことはいい! カイリとヒナタを無事に家に帰すんだろ!?」  そうだ。アタシの……アタシたちの、チーム『ホライゾンスミス』のやるべきことは、最初から決まってた。  アタシのことはいいけど、一緒にこっちに迷い込んじゃった子供……海里とひなたの二人を家に帰してやる。それが、ジェネラルとしてのアタシの唯一の仕事であり唯一の役割。 「無事じゃなかったら承知しないかんね、スパーダモン!」  あの時、アタシはスパーダモンの手を離した。クロスローダーを手放した。チームのみんなと決別した。  だから、アタシは  * 「……っ」  最悪の寝覚めだった。冷や汗で背中がびしょ濡れだ。心臓は早鐘を打っているし、顔もほんのりと熱い。  最近、よくあの時の夢を見る。あれから10年も経つのに、この記憶だけはいつまで経っても薄れやしない。  スパーダモンの毛の柔らかさも、ホライゾンスミスのみんなの顔ももう曖昧になってきたのに、あの別離だけはいまだに鮮明に思い出せる。 「……スパーダモン」  しんみりしてしまった、いけない、いけない、と自分を戒め、布団を蹴飛ばす。今日もバイトが入っているのだ、こんなことで動けなくなっている場合ではない。  部屋着を脱ぎ、顔を洗ってジャージに袖を通す。もう6年も続けたルーチンをさっくり済ませて、エナジーバーを水で流し込めば朝の支度は終了だ。 「行ってきます」  一人暮らしの空っぽの部屋にそう告げて、外へと足を踏み出す。それにしても、今のバイトももう直ぐ契約満了か。次の職場、探さないと。  何もしたくはないのだが、生きていくには金がいるし、酒を飲むならもっと金が要った。悪いことを忘れるには、酒が一番なのに。  ……昨日はきっと、酒が足んなかったんだな。  * 「ありあとやしたー」 「三尋木さん、あとはやっておくからそろそろ上がっていいよ」 「あぁ、どもです。じゃ、お先失礼しまーす」  時計を見ればもう定時だ。そりゃ上がっていいわな。コンビニの仕事は面倒だが、こういうところは楽でいい。みんな余分な面倒は避けたいから、こういう時きっちり切り替わってくれる。  バックルームに戻り、制服を脱ぐ。 「ねえ、聞いた? この前の……」 「聞いた、聞いた。最近多いわよねえ、デジモンの……」  ……。聞きたくもない噂が聞こえるのは、こういうバイトの悪いところか。面倒なので聞かなかったフリをして、脱いだ制服をロッカーに押し込み私服に着替え直した。 「あ、ちょっと、三尋木ちゃん」 「はい?」  しまった、呼び止められた。 「三尋木ちゃんの住んでるの、ここから西の方でしょ? あの辺最近リアライズが増えてるらしいから、帰る時は気をつけるのよ」 「あぁ〜ハハ……そうなんですか? どうも」  思いの外あっさり解放されたから良かったものの、デジモン……デジモンかぁ。  関わり合いになりたくないから、ほんと気をつけないと。  *  ジジジ── 「う、ぐっ……」 「……?」  うめき声?  よせばいいのに、声のした方に目をやってしまった。誰か、人間が倒れている。聞かなかった、見なかったことにするわけにはいかなくなった。 「あ、あの……大丈夫すか〜?」  そーっと路地に入り込むと、フードを深く被ったその人物は、低く呻き声を上げながらこちらに手を伸ばしてきた。病的なまでに白い指と、フードと地面の隙間から覗く青い目が尋常ではないことを知らせていた。 「……にん、げん?」 「そうですけど……」 「なら、これを……」  低い声と共に、ローブの下から無機質な箱が差し出された。「D」の文字が中央に刻まれたそれは、明らかに厄介な気配を放っておりまともに取り合って良いものには見えない。 「これで、……ガモンを……」 「は?」  ジ───ジ───ザザッ  聞き返した時には、もうそこにその人の姿はなく。  ただ、小さな箱と、呆然としているアタシだけが路地に取り残されていた。  * 「……どうしたもんかねぇ」  明らかに怪しい、というか、関わり合いになりたくない。  だが、中身を見ないことには、誰かに押し付けることさえできないだろう。でもそもそもどうやって開けるんだこれ?  あれこれといじっていると、上部がパカリと斜めに開いた。思っていたのと違う開き方だがまあいいか。  中から出てきたのは、子供が対戦して遊んでいるような大きさのカードだ。なんの変哲もない、普通のカード。だけど、 「……デジモンのカードかぁ」  ガブモン、アグモン、ピヨモンにゴマモン。あちらにいた時にも見かけたような、ごくごく普通のデジモンたち。  グレイモン、ガルルモン、メタルグレイモン、ワーガルルモン。赤と青のカード2色構成だけど、このデッキ、ちゃんと対戦する前提で組んであるのだろうか?  ウォーグレイモン、メタルガルルモン…… 「……オメガモン?」  おそらくこのデッキで一番強いんだろう白いカードを捲りそう呟いた瞬間、カードとカードケースが眩い光を放った。 「うわぷっ、な、何……!?」 「……ここは」 「どこだ?」  収束していく光の向こうに、カードに描かれていたデジモン……グレイモンとガルルモンが佇んでいた。 「嘘でしょ……」  * 「……つまり、オレたちはオマエの持ってるそのカードか箱から出てきた、ってことか?」 「まあ、たぶん。アタシにも詳しいことはわかんないけど。それでキミたちはなんでこの中に入ってたわけ?」 「それが」 「わからん」  息を合わせて答えてくるので、仲良しなことだけは伝わった。 「わからん、って……」 「なんともわからんのだ、オレたちも気が付いたらここにいたとしか」 「なにか、カードの中にいた理由とかさあ」 「…………というか、ここで目を覚ます前のことはまっったく思い出せん!」 「記憶喪失、ってこと? はあ、参ったね」  少なくとも、嘘を言っているようには見えない。この狼狽えっぷりは演技で出せるものではない。 「だが、グレイモン。一つ、思うことはないか」 「……ああ、ガルルモン。言いたいことはわかるぞ。オレたちには、大事な使命があったはずだ」 「使命、ね」  最後にめくっていたカードを摘み上げる。『オメガモンAce』と書かれたその白い騎士のデジモンは、どこかで見たことがあるような気がした。 「わかんないけどさ、デジモンで、使命がある、っていうなら、とりあえずデジタルワールドに戻った方がいいんじゃないの」 「むむ……」 「確かに、帰らねばならぬ場所のような……?」 「じゃ、決まりね。とりあえずデジ対に」 「待て。オマエ、……いや、名はなんと?」 「アレ、言わなかったっけ。早織だよ、三尋木早織」 「なら、サオリ。すまんが、その箱に試しにカードをしまってみてくれるか」 「はいはい」  言われるままに、先ほどまで広げていた箱にカードを仕舞い、そして蓋を閉じる。 「これで……あれ?」  次の瞬間には、忽然とあの二体が消えてしまっていた。 「うえっ、なになに? どこいった? 幻覚?」 『違う。すまないサオリ、どうやらオマエにも来てもらう必要がありそうだ』 『……オレたち、このカードとくっついちまってるみてえ』 「え……えぇえ〜〜」  この二体をデジタルワールドへ送り届けられれば、終わると思ったのに。もしかして、アタシまたデジタルワールドに行かなきゃならないの? 「……あのさ、もうちょっとだからバイトの契約満了までまってくんない?」 『よくわからんが、大事なことなら構わんぞ』  *  数日後。 「あ、もしもし海里くん?」 「……早織先輩? お久しぶりです。すみません、今ちょっと──」 「海里くん、まだクロスローダー持ってる?」 「…………要件は。」 「アタシ、デジタルワールドに行かなきゃいけないっぽくて。海里くんのやつ、ゲート開けられるでしょ」 「わかりました。ところで早織先輩、金持ってます?」 「エ? 貸さないよ」 「いえ、そうではなく。僕今県外にいるんで、来てもらう必要が……」  *  1.5万の出費は痛手だったがこの際目を瞑るとしよう。  それよりか、問題は海里くんの方だ。 「妹が消えたんです」 「なにそれ、緊急事態じゃん」 「だから最初、今は忙しいと言おうとしたんですが……」  海里くんが言うには、妹さんが行方不明になったらしい。調べると小規模な電子機器の異常が起きており、デジタルワールドに行った可能性が高いそうだ。 「早織先輩も、あちらに用があるなら……あれだけ、デジモンと関わることを嫌がっていた早織先輩が何かあると言うのなら、ちょうどよかったです。僕も先輩の用事に付き合いますから、先輩も妹を探すのを手伝ってください」 「任せなって」 「じゃあ、行きますよ」  海里くんは、話が早い、とばかりにクロスローダーを構えた。 「……タイムシフト!」  10年もの間一度も足を踏み入れていなかったデジタルワールドは、どんなふうに変わっているだろう。そういえば、エンシェントモニタモンは元気だろうか?  ……アタシのこと、監視してそうだな。あのデジモンは。  * 「……あれっ?」  海里くんの作ってくれたゲートを抜けた先。前とさして変わらぬ景色のデジタルワールドに足を踏み入れたのは良かったが、 「海里くん……?」  アタシは早速、海里くんと逸れてしまったのであった。  * 「……あれ」  ここは……間違いなくデジタルワールド。見覚えのある建物だ。前より少し大きくなっただろうか。 「"図書館"じゃないか……」  だが、何故ここに? 僕ははじまりの街に行くつもりでゲートを開いたはずだ。 「って、早織先輩? おーい? 先輩……?」 「海里君」 「…………エンシェントモニタモン……様」 「久しぶりね。元気かしら?」 「見ればわかるだろ、お前は。……わざわざ僕だけをここに呼んだのか?」 「ええ。ごめんなさい、早織ちゃんはちょっと……今ここに呼ぶと面倒だから、あなただけ呼ばせてもらったわ」  悪びれもせず、あっけらかんとそう告げるその顔に、どこかで苛立ちさえ覚える。 「ひなたのことか?」 「話が早いわね」 「どうせ、それも目的の一つだ。僕がやるのは別にいいけど、お前の端末で見つけられないのか?」 「チクタクモンが絡んでるの。スピリットも取られてるし、ちょっとまずいかも」 「……そうか」  チクタクモン。僕とひなたと早織先輩で、10年前に倒したデジタルワールドの脅威。それが、今更になってまた姿を現した、と。 「その前にだな」 「?」 「僕の今回の第一の目的は、僕の妹……真菜を探して無事を確かめることだ。それくらいはここでさせていってくれ」 「あ、そうだったわね。お安い御用よ」  ブン、と音を立てて、エンシェントモニタモンの持つ端末に映像が映し出される。  画面に映る真菜は、ベタモンというデジモンを連れて歩いているところだった。デジモンが同行してるなら、ひとまずは安全か。 「ベタモンは、真菜ちゃんのことを守ってくれてるみたいね。まあ、何かあったら連絡するわ」 「……よかった」 「さて、安心してくれたところで本題に入るけど。まずはあなたに調査を頼みたいの。場所は……」