〇主任研究員■■の個人的日誌(抜粋) 〇機密レベル:B+(「天沼矛」内部エリアY-4以降の持出を禁ずる) 〇情報精度:C-(研究及び任務における積極的な引用を非推奨) ■■■■/■■/■■ 今日初めて新しい研究室を訪れた。 やはりというか、中はすっかり荒れ果てている。掃除と片付けの分も社が手当を保証してくれるといいのだが。 前任の……なんて名前だったか憶えていない。とにかく彼がいなくなってしまってからは長いこと手つかずだったらしい。 気は滅入るが、やるべきことはたくさんある。社はメインストリームの遅滞に焦りを見せ始めて、いくつかのプロジェクトの凍結と再編を行った。 私もそれで首を半分刈られた身だ。もう半分切り落とされる前に、頭はまだ使えるということをアピールしなければならない。 それと、記録を整理していると奇妙な記述を見つけた。 「地獄が見ている」 よくわからんが、だが丁度いい。アレに便宜上『地獄』というコードを与えることにした。 ■■■■/■■/■■ 物凄く快眠だった。社は成果をせっつく前に全ての研究員に十分な睡眠を取らせるべきだと思ったが、面と向かって言う権限はない。困ったことだ。 とりあえず先行研究はだいたい頭に入れ終わった。レポートに書く前に簡易的にこっちでまとめる。多分、これからもこういうことが続くかも。 今自分が研究対象としているのはダークエリア内の局所的異常現象、DE-Rb10082、通称『地獄』の調査だ。 といっても、人間やデジモンのような生命の感性で言えばダークエリア自体がとっくに地獄のようなものだ。 死を迎えたデジモンのデータが流れ着き、善良な魂のデータはデジタマに生まれ変わり、悪しきデータは環境の悪いダークエリアを彷徨い続ける。 宗教に疎い(昔はそうでもないと思ったが、確かな信仰を持つ研究者は多い)自分にとってもわかりやすい地獄と転生の概念。デジモンの世界はそれもハッキリ定義されているのだ。 話が逸れた。そのダークエリアの中において、『地獄』は……一言で形容するなら地獄の中の地獄、となるのだろうか。 観測データは赤い嵐のようなものを示していた。その中は何もかもが破壊的なデータ変化が絶え間なく繰り返され、中に入ったら当然ご機嫌にシェイクされてしまう。 その事象が何故起こるのか、そもそも何か意味があるのか。私に与えられた研究はただそれだけだ。メインストリームに返り咲くには、あの『地獄』からなんとしても成果物を強請らなければならない。 社が求めているものは「死」を克服する技術だ。デジモンの死を司るこのダークエリアの中に、必ず答えはあるはず。 ■■■■/■■/■■ 私の他にも多くのチームがこの「天沼矛」に集まって、ダークエリアの捜索と回収物の研究を進めている。 チームの連中と話をしたが、見解は一致した。つまり、このダークエリアというのは胡乱ばかりのゴミ箱だと。 デジモンの魂だけでなく、ここはあらゆる削除されたはずのデータが実際は消えることなく、断片化して漂着している。そもそもデータの完全な消去というのは容易ではなく、多くの人がそれに気づかず放流しているにすぎない。 リアルワールドでは便利な物質だったプラスチックが自然環境で細かく分かれて、しかし完全に分解はされずにマイクロプラスチックになる。それと同じく、私たちは餌を求めて直ちに影響のないゴミを啄む魚の苦しみを味わっていた。 いや、私が相手するゴミは相当にデカいし明らかに有害だったか。とにかく、私も他所のチームも全く進展がない。向こうは変なデータばかり掴まされて完全にノイローゼになってたので、余ってた精神安定剤を渡しておいた。 相変わらず成果はない。色々なサンプルを投げ込んだが、『地獄』はそれを分け隔てなくミキサーするだけだ。どうせ根を詰めても仕方ないのでさっさと寝よう。 【中略】 ■■■■/■■/■■ 暫く日記のことを忘れていた。研究で過労死しかけたのは久しぶりだ。 幾つかのチームで進展があり、私もその一人となった。研究予算と権限は段違いにレベルが上がった。とりあえず近況のみ。 まず、あの『地獄』の中ではモノは死ぬ。物体なら崩壊、風化のプロセスを超早回しで行うし、運悪く巻き込まれたデジモンも同じ運命を辿った。 で、『地獄』の中ではモノは『死に続ける』……こうして書くとわけがわからない。今にして思うとよく理解可能な論文にまとめられたものだと思う。 とにかくこの結果で先行研究の意味不明だった部分は全てヒントに変わった。『地獄』の中でデジモンは死んで、死に続ける。デジタマに還らないし堕天もしない。完全に「死」という状態が固定される。 実数上は霧散しているのだが、アイン=ソフ循環虚数を用いると確かに存在し続けている。存在しているということは、永続的に状態が保持されて―――これを利用できれば、「生」の状態を保存し続けることができる。 どんな影響を受けても概念的に生きてさえいればどうとでも回復できる。社が求めるもののど真ん中をいきなり引き当てたのだ。 一睡もできない。これから忙しくなる。社の期待が私を見ているのを感じる。 ■■■■/■■/■■ サンプルのデジモンを用いての実験が始まる。この会社に来て幾度となく行ったものだが、正直言って胸糞が悪い。 そういう言葉を口にすると実験室のラットでも同じことを言うのかと馬鹿にされたものだが、私にはどうにもこのデジモンというのがラットと同じと割り切れないところがあった。 彼らは独自の知性や文化、そして目の前にある通りの死生観を有している。デジモンという概念を人間が知ってまだ日が浅く、他にデジタルワールドの事象の実験材料となるものがないから、こうして贄にされているんだ。 ……少し感情的になった。さっきまで書いてたのは自己保身だ。結局、デジモンの命を使わなければ研究は全く進まない。それだけの理由で彼らを死なせていく。 ■■■■/■■/■■ 死に続ける状態のデジモンの回収は不可能と見ていい。『地獄』の影響を脱した時点で彼らは塵となり、解読不能データとしてダークエリアに積もるゴミになる。こうなると試料的価値がない。 徒にサンプルの数を増やすことに意味はない。確実に骨を拾う方法を練り直す。 【中略】 ■■■■/■■/■■ クリファ定理によってサンプルの解読に成功した。デジメンタル復元チームの編み出した数式のおかげで、『地獄』を構成するコードのごく一部を解読できた。人でいう細胞一片程度でも大きな進歩だ。 得られたコードの性質はハッキリ言って恐ろしい以外に言葉がない。コード自体が高い侵蝕性を帯びていて、こいつが連鎖的にデータを破壊し続け、挙句の果てに破壊の進行という多次元的時間軸すら破壊してしまう。 コードの意味のある部分を繋げていくと、一つの言葉に近づいた。 『R gnar k』 正に世界の終末だ。このデータを『終末のデータ』と読んで今後利用していくことにする。 【中略】 ■■■■/■■/■■ コクマープロトコルを用いて終末のデータを投与、汚染されたデジモンの適合試験を続けているが、結果は芳しくない。 あらゆる方式を用いて結合を試みるが、データは意を介さずにデジモンを食いつくしてしまう。 ■■■■/■■/■■ 進展なし。 【中略】 ■■■■/■■/■■ 進展なし。 ケースが満杯だ。適当なサンプルを処理してから休む。 ■■■■/■■/■■ サンプル同士の闘争行為によってデータの活性化が促されることを突き止めた。同時に、これまでのプロトコルを全て反転させた方が適合率が上昇した。 イェソド、ダアトの使用は中止、ケテルを反転させた新型の開発を行う。 ■■■■/■■/■■ バチカルからアクゼリュスへとプログラムを移行させたが、まだ効率が悪い。サンプルの数は桁が一つか二つは足りない。 『地獄』の中での闘争は最も効率的だが、もう一つピースが欠けている。 【中略】 ■■■■/■■/■■ 人だ。デジモンと人の絆。 ■■■■/■■/■■ 人事部からサンプルが届いた。記憶処理の実験に使われた検体が余っているとのことなので直ぐに回してもらった。 エピソード記憶に加えて社会的なあらゆる記録、関連性が抹消されたらしい。要するにリアルワールドに帰しても「存在しない人間」でしかないから、今まで残されていたと。 こちらとしては都合がいい。実験毎のリセットも処理を流せば済む。 識別名だけは必要だった。シュヴァルツ、アルバス、ヴェルデ、ブルー、クラースナヤ。それぞれに別々のクリファを投与した。 ■■■■/■■/■■ クラースナヤが適合した。これで全員の血液が『生命の実』を宿したことになる。 これは人造デジメンタルの複製の研究を利用した。細かい部分は異なるが、デジメンタルと同様にデジモンに働きかけるエネルギー源となる。これを餌にして、少しでもサンプルを長く保たせる。 採血用の試作デジヴァイスも用意できた。最初はクラースナヤとシュヴァルツでテストを行う。 完成が近い。今日は地獄の声が良く響く。 ■■■■/■■/■■ テストの結果は上々だった。最終的な回収はできなかったが、サンプルは段違いに長い間の適合状態を維持していた。仮説は確信に近づいている。 ヴェルデは実験に激しい拒否反応を示したが、何度か処理を施したら大人しくなった。 テストから回収された中でクラースナヤは大分損傷している。シュヴァルツはほぼ無傷だ。両方まだ実験には堪え得るだろう。 【中略】 ■■■■/■■/■■ ■■回試験。シュヴァルツがヴェルデを殺害した。 ヴェルデは完全に損壊し機能を回復しない。それにテスト中止直後にシュヴァルツがヴェルデを■■したため回収は不可能だった。 だがシュヴァルツのデータは意外にも安定している。何かに使えるかもしれない。 ブルーの状態が安定しない。アルバスはチャンバー内ではクラースナヤの傍を動かず活動的ではない。 一体ずつでは効率が悪いので、より多数のサンプルを同時に投入する方式に変更する。 【中略】 ■■■■/■■/■■ ■■回試験。クラースナヤが損傷する。そろそろ限界か、解体してシュヴァルツに与えることを検討する。 ブルーが■■回以降の実験参加を拒否し続けたため処理を行う。 【中略】 ■■■■/■■/■■ ■■■回試験。ブルーが破損する。サンプルを回収。ブルーは明らかに実験を拒否していたため満足のいくデータを取れなかった。 一部をシュヴァルツに与える。もう片方はクラースナヤの修復に利用した。 クラースナヤの状態が回復するが、アルバスの様子が少しおかしい。何度処理しても回復しない。 【中略】 ■■■■/■■/■■ アルバスがクラースナヤを連れて脱走を企てた。シュヴァルツがこれを追い処分した。 この件を誰かが上に報告したかもしれない。急がなければ研究を横取りされる。もっとサンプルを用意しないと。 アルバスの破片はクラースナヤに与える。クラースナヤの元々の構成データ要素は5割を下回った。 どうせ他にはいないから、識別名はこのままにする。 【中略】 ■■■■/■■/■■ やった!やった!やあっtやった!や【以下無意味な羅列】 ■■■■/■■/■■ ■■■■回試験にて一体のサンプルが終末のデータに完全適合した、データ的にはぐちゃぐちゃだが霧散の兆候は見られない。 これは蛹の中身のようなもので、状態が安定すれば孵化して完全適合体となるはずだ。 万が一にもサンプルが漏れるとまずい。適当なデジモンの皮のデータで偽装をかける。 まだ有意なデータは得られないが、もうすぐだ。地獄が、私を見ている。 ■■■■/■■/■■ クラースナヤが脱走した。サンプルを持ち出している。 シュヴァルツに追撃を、シュヴァルツが どこだ、 地獄 地獄が来