作戦決行日。 時間帯は満月の夜間が選ばれた。どうせ相手は暗黒を展開してくるわけだし、それ以上に人通りを巻き込むのは避けたい。 準備は前より高い酒。完全体への進化には、どんなに痛い出費だとしても出し惜しみせず高級酒を差し出すしかない。それが将軍の後ろめたさになるから。 後は、作戦の肝となる長閑のバックアップ。これも……準備は完了した。 「何時でもイケます。りんねさん」 「……うん」 少し反応が遅れる。余計なことを考えていたかもしれない、とりんねは軽く頭を振った。 「始めるわよ、烏退治」 夜空をさらに黒く染める雲。烏のデジモンが、その姿を這い出させた。 「――――――■■■■■■■■■■■■!!!!!」 「いくよ将軍!」 「進化―――ヨロイダコモン!!」 頭に鍬形、背に六本刀、両肩には鬼の面。蛸を人の体型に纏めたような巨躯の鎧武者が、十字槍を構えて立つ。 ヨロイダコモン。現状出せる最大の進化たる将軍の完全体が顕現した。 激突。 初手は正面からの組み合いとなった。烏の体格は将軍をさらに上回り、データ量の差で圧そうと力を増す。しかし、将軍は恐ろしい蛸面の中に、涼しい表情を崩さない。 槍を掴む腕の片方が柔軟に動き―――そう、これは骨格と同じ剛力を生むが触腕なのだ―――背の刀を一本抜く。そしてつぷりと切っ先を爪の付け根に刺し入れた。素早く、正確に。 「■■■■■!!!!」 「笑止、この程度で痛がるなど」 怯んだ烏に蹴りを入れて弾き飛ばす。 組み合いの最中に武器の片腕を外せば、普通なら姿勢が乱れ、押し切られる隙を生む。が、将軍の蛸の肉体が持つ柔らかさは、残りの身体を力漲らせながらも一部分だけを柔軟に、しなやかに動作させ得る。 「そら、そら、そら!」 骨があっては成し得ない、剛と柔の完全な合一。それは歩という概念、呼吸という概念を捨てた、無拍子の接近と連撃も可能とせしめた。 一から六撃。息つく間もなく烏は打ちのめされる。 「■■■■■■■■■■■■!!!」 翼を大きく広げ、周囲が暗黒に包まれる。そして、同時に烏の姿が闇へと溶ける。前回センボンオクタモンを一蹴した瞬間移動の構えだ。 だが、それも想定内。りんねは作戦を第二段階に進めた。 「出番だよ、長閑ちゃん!」 暗黒。 光の全くない空間の中に、烏のデジモンは這い出した。軽く息をつき、将軍から受けたダメージで乱れた羽毛を直す。 再び爪を返して戻ろうとしたその瞬間、空間が唐突に白い灯りに塗りつぶされた。 「進化―――ルガルモン」 「ガルルルルァァアァ!!!」 烏の身体が真横へ吹き飛ぶ。その首元に噛みついたのは、炎。 否、デジモン。刺々しい青毛と深紅の爪。そして口からは無尽に炎が漏れ続ける、獰猛な狼の姿。長閑のルガモンが成熟期に進化した姿、ルガルモンが烏へと噛みついていた。 前回の戦闘から導き出した作戦とは、つまりはこれのことである。 烏のデジモンの瞬間移動は、普通の方法では説明が付けられない。あれほどデータ量が肥大化した身体を、しかもリアライズ中に瞬間的に動かすのには明らかに無理がある。 ならば、普通じゃない細工がある。町の周辺を調査して、いくつかの電子機器―――特に、無人のはずの時間帯にアーケードゲーム筐体の焼損事故が発生していたことを突き止めた。 あのデジモンは厳密には瞬間移動はしていない。暗闇の展開と共にデジタルワールドに肉体ごと逃げ込み、もう一度現れて奇襲する。デジタライズとリアライズの高速処理が結果的に瞬間移動したように見えただけだ。 ならば、逃げ込む先―――烏お気に入りのゲーム機の回線中に伏兵を仕込ませて、休ませる間もなく噛みつく。これが長閑の役割だった。 「■■■■■!!?■■■■■■■!!!」 たまらず顔を出してきた。こんどはリアルワールドの将軍が相手をする。この繰り返しで、弱ったところをひっ捕らえる。 いける。このままいけば。鼓動を早めながらも、りんねの胸中は勝利の確信を掴みつつあった。 将軍の剣が閃き、烏デジモンに反撃を喰らわせる。再び烏が闇の中に溶けていく。 「そっち行ったよ!長閑ちゃん!早くトドメを―――」 「待って、ください」 その返答に、一周思考が白紙に還った。 「デジモンを確認できません。この回線を、使っていない?いったい何が……」 何がって、何が? 見失った?今? 思考が混線していく、今烏のデジモンはどこにもいない、いや、どちらかにいる。だが捕捉できていない。どちらにいるか分かっていたから攻められた相手に、またあの奇襲攻撃のチャンスを与えてしまっている。 いや、そもそも何故伏兵の位置を決め打ちしていたのか。烏が他の回線に逃げ込む可能性を考えずに作戦を決めて、それを決行したのか。何故、一体どうして。 身体の芯から凍りつく、汗が止まらない。心臓が早鐘を打って、考えが纏まらない。 「りんねさん、作戦は、一体どうしたら―――」 「何やってんのよ!!こんな大事な時にあんたはっ!!」 「―――え」 空白。 自分でも何を叫んだのか、一瞬わからなかった。携帯の画面の中で、長閑は目を丸くしたまま言葉を失い、その肩が僅かに震え出したのが見えた。 ―――違う。 違う、そうじゃない。違う。本当に言いたかったのは。 『結果がクロなら、俺たちはここを出ていくよ。将軍、今まで世話になった』 『……本当に、それでいいのだな』 『良いも悪いもない。これ以上お前たちと、この町に迷惑をかけることはできないからな……話は終わりだ』 違う、違う違う違う違う! 頭から振り払いたいのに払えない。何も考えられなくて、目の前も見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑った。 だから、 「りんね!!後ろだ!!」 気づくことなんてできなかった。背後から烏が迫ってきていることなんて。 それも、 二羽目の烏が。 羽ばたいた暴風に巻かれて、重力が吹き飛び、身体が舞い上がる。笑ってしまいそうなほどの速度で浮力を失い、地面に頭を掠めて、大時計に激突した。 身体の芯から揺さぶられて、脳が揺れて、揺れた胃から何かが出た。そのまま、りんねの視界はふっと暗くなっていく。 暗闇に染まっていく端に、駆け寄ってくる将軍の姿が見えた。だが、最初の一羽が戻ってきて振りかざした爪に弾き飛ばされた。 もう一羽の方、金色の仮面がない大烏は首をもたげて叫び声をあげた。天高く飛び上がり、こちらに滑空して迫ってくる。 「―――」 先程擦りむいた額から血が流れ、りんねのデジヴァイスを赤く汚した。 血。 古から命あるものに流れ続けてきたもの。 親から子へと受け継がれていくもの。 デジタルより遥か昔、神話より記録される、命の記号。 リボンのように赤が舞う。雫が揺蕩い、月に輝く。 痛みを感じない。天に召された?そう思って、ゆっくりと眼を開いた。滲む光が、少しずつ像を結んでいく。 「無事ですか?りんねさん」 「え?」 長閑が傍にいた。いや、りんねは最初その認識に自信がなかった。これまで画面越しでしか彼女を見ていなくて、長閑の桃色の髪から、その足元までの全てを見たのが初めてだったから。 「―――長閑、ちゃん?」 「はい、どうも浮橋です。出張サービスに参りました。そしてこちらが」 「進化―――ソルガルモン!!」 突如、眩しい炎が視界を塗り替える。長閑の背後に立つ、何者かの後ろ姿。ライダースーツのような長身痩躯に、肩から噴き出す激しい炎。勇ましい狼の顔。 ルガモンの完全体、ソルガルモンが二羽目の烏の攻撃を受け止めていた。 「りんね、無事か!!―――というか来たのか!?ルガモン!来れるなら最初からそう言っておけ!」 十字槍を噛ませ、そのまま横に突き飛ばしながら将軍が叫んだ。 「すまんな将軍。正直、こちら側に駆け付けられるかは賭けだった。同じゲートを辿ったとしても、アレと俺たちでは規格がまるで合わん」 烏デジモンのゲートを逆利用して、無理やりリアルワールド側にリアライズを果たした。無論、長時間持続するものではないし、その場で思いついて実践できるような無茶でさえない。 せめて、何か向こうとこちらで結びつくものがあれば、そう歯噛みするしかなかったのだが。奇跡が起こったか―――りんねの無意識の力が、デジヴァイスの開かない門を開いたか。 「骨は大丈夫ですね、立てますか?」 長閑に肩を貸してもらう形で起き上がる。回復し始めた視界の端で、長閑の肩が赤く滲んでいるのが見えた。それが何のための傷かは理解できなかったが、りんねには先の震えた肩が重なって見えた。 「―――っごめん!ごめん……私、そういうつもりじゃなくて……!」 堰を切ったかのように吐き出して、すぐに言葉が詰まった。穴のある作戦を強行したこと、少しでも早く烏の正体を掴もうと焦ったこと、あの夜の会話を聞いていたこと、何かを話そうとして、言葉にならない。だけど、 「いえ」 「悩んでいたことが、少し晴れました。ご迷惑とは思いますが―――今の私は、くらま霊能探偵事務所のアルバイトです」 その言葉を聞いて、眼を擦る。少しだけ視界が晴れた。鼻を啜って、腹の下に力を入れて二本足で立つ。 そうだ、うちはバイトも雇ってる探偵事務所だぞ。だったら所長が、こんなことでメソメソしてられるか。 「―――将軍!」 「ソルガルモン」 「速攻で終わらせる!」 二人の声が重なる。もう逃がしはしない。 金の仮面の烏が、逆上したかのように矢継ぎ早に爪の猛攻を繰り出す。しかし、その悉くが将軍に届かない。触腕の肉体が柔軟にしなり、爪を躱し尽くして接近する。 そして、槍を掴む腕は一瞬で堅く力が籠り、突き出した嘴を下から叩き飛ばした。宙を舞った体が一回転する前に閃光が数度閃き、地面に落ちた瞬間に打撃の連鎖が烏を襲う。 今度は烏たちは上空へと駆け上った。が、高度のアドバンテージに最早意味はない。 閃光が瞬き、ジェット気流の轟音と共にソルガルモンが飛び上がる。烏達を追い抜き、空中でベクトルを反転させて突撃。手にしたメイスが仮面の無い烏を打ち捉えた。姿勢を崩した烏はもう一方と衝突する。 空中に投げ出された格好の烏たちが、途中でお互いの身体を押し付けるように軌道を変えた。その双方に噛みついたのは将軍の肩の鬼面。将軍の元を分離して飛翔したそれが二羽の烏をまとめて挟み込んでいた。 「これで終わらせる!」 「承知!」 ソルガルモンのメイスに将軍が脚を乗せる。魔炎が大きく吹き上がり、キャッチャーフライのように天高く打ち上げた。 魔炎に飲まれながら、火の弾丸となった将軍が空を射貫く。双手に刀を抜き放ち、煌めく刃も炎を纏う。 舞い散る火の輝きは、折り重なる花弁のように。満開の業火がぶっ千切る。 「超必殺―――”紅・八重裂き”!!!」 「……峰打ちだな?」 「無論、聞きたいことがあるでな」 青い夜空、黒い羽が舞い、赤く燃える刀を鞘に納める。 ―――決着。天から地へと、二羽の烏が落ちていった。 「いや〜〜〜ホンマ、えろうすんまへん。もうなんて謝ったらええか……」 「ホンマホンマ、事故なんですわこれは。まさかこないなとこで一般人相手にケンカしとったなんて気づかんかってん……」 ―――というわけで、一応峰打ちで済ませた二羽の烏のデジモンであったが……昏倒から起き上がって口を開いたらコレである。 りんね、将軍、そして光と共に携帯の中に戻っていった長閑とソルガルモンは、全員がぽかんと口を開けて二羽の豹変ぶりに呆けていた。 「うちはヤタガラモン言います。デジタルワールドの東にある黄金郷の門番いうか試験官いうか、まあそんなとこです」 「でうちはレイヴンモン……まあ向こうのヤタガラモンの亜種なんやけどね。ロンドンいう街で警備をやっとります」 「あ、どうもご丁寧に……じゃなくて!!一体どういうこと!?なんでこっち襲ってきたわけ!?」 未知のペースに呑まれかけていたが、正気を取り戻したりんねが地面をバンバンと叩いて反論する。 「あぁー実は最近ロンドンの方で変な騒ぎがありましてな。ヤタガラを応援に呼んで対処しようとしたんやけどまあワケわからんことなってて、一旦退散してもっとツレ呼んでから出直そかて」 「でもそん時あんまりおかしなもん見たせいか知覚が全部混乱するようになりましてな。もう何も光るもん見たくねぇって烏の本能がサジ投げてまいまして」 「で、右も左もわからんままこんなとこ出て、こっち向かってくる奴の気配だけはあったから、アカンこら敵に襲われとるぞって思ったら……いやホンマ、こっちが全部悪うございました」 よく見たら、戦っている間は暗くて見えなかった眼の光が今はハッキリ見えている。どうやら、本当に視覚等に異常があってこちらが分からなかったらしい。 「そんな状態で俺たちと戦っていたのか……?」 ソルガルモンがもう頭が痛くなってきたと言わんばかりに目を伏せた。彼も将軍も完全体に変じて死闘を演じていたはずだったが、相手は目隠しかつ場当たり的に対処していたとなると、若干プライドが崩れたような音がした。 「いやぁ、でもさぁ、うーん……」 一応筋は通っていそうだが、(結局ロンドンで何があったのかは脇に置いておいて)まだりんねは納得しきれない。だってすごい大変だったしお酒使っちゃったし長閑ちゃんとかケガしてるしお酒使っちゃったし高いヤツ。 「もち慰謝料はもうなんぼでも用意しますんで……そのう、このことは黙っといてくれへんですかね?」 「うちもヤタガラもこんなんでも地元やと重役やさかい、見ず知らずの場所で乱闘しとったなんてバレたら面子が立たんのですわ……どうか!この通り!」 「いえいえいえ勿論いいですことよ!?それで慰謝料についての話なんですがねぇ!?」 一瞬で掌を返した。慈悲の心で不満を飲み込み、ここで分捕れるだけ慰謝料分捕っておこう、とりんねはそろばんを片手に息巻いてみせた。 「……りんねさん」 「ん、何?」 携帯の画面越しに長閑が話しかけて、半泣きのヤタガラモン達に財布を開かせていたりんねが振り返った。 「これで事件解決、ですね」 にこりと笑ってみせる。 「うん、これで解決!」 りんねも、同じ笑顔で返した。 季節が変わった。 うだるような暑さから、今度は凍えそうな冬へ。美しい四季なんてものは貧乏人には殺人兵器だ、とりんねは一人愚痴をこぼす。 あの日からもう何か月になるのだろう。 新しく遭遇した人々や級友、彼らと共に胡乱な騒ぎに巻き込まれたり、様々な出来事があって、その日の記憶が押し流されそうになってしまう。 あの後、ヤタガラモンから法外な慰謝料をふんだくることに成功したりんねは、報酬を長閑と山分けして祝勝会を開くことにした。 早速将軍が高い酒を補充して、りんねもいつもより高いパック寿司を買ってきて、長閑もそれに合わせてデジタルワールドの高級寿司を注文した。ルガモンは付き合わないような顔をして、こっそり良い肉を準備した。 皆で夜中まで食べて騒いで楽しんで、そして疲労が限界に達したのだろう。電池が切れたようにりんねは眠りにつき、ついでに将軍も酔い潰れた。 そして、 次の日の朝。長閑とルガモンはパソコンから姿を消していた。 クラウド中を、パソコン内のファイル中を、机の中を引っかき回して探して、どこにもいないということだけが分かった。それ以外は何も、わからなかった。 ヤタガラモンの一件は、単なるアクシデントだった。長閑を追う組織とは何の関連もない、ここを出ていく必要など無いはずだった。なのに。どうして? 長閑を探す指の動きが重くなり、やがて動かなくなってきた頃になって、一通のメッセージが届いていることに気が付いた。 宛先はりんねのパソコン。送信者も、りんねのパソコン。その中にいたはずの人物からだった。 『短い間でしたが、お世話になりました』 『少しの間休暇をいただきます。いつか気兼ねなく、あなたの事務所のアルバイトとなれるように』 『また、会いましょう』 何も言えなかった。 途中までは、怒鳴って画面を殴りつけてやりたいと思ってたけど。―――さよならとは言わなかったから。 「ただいまー……あーもう寒い。外も寒けりゃ中も寒いでほんともうさあ……」 相変わらず雨の日ぐらいしか屋根と壁のありがたみを感じない事務所の扉を開ける。そんなことより今月の帳簿に意識が傾いてきた。経営どころじゃない事態が続いたせいで、流石にそろそろヤバさを実感する。 もう除霊でも子守りでも何でもいいので依頼が欲しい。とりあえず新しいメールか何か来ていないかと思い、半分ずつ祈りと諦めを込めてパソコンの電源を入れた。 「―――あ」 「ど、どうも。さすらいのサイバーゴーストをしています……いえ、その」 「……ただいま、です。りんねさん」 ほら、やっぱりさよならじゃなかった。 「―――おかえり!」 おしまい!