「今回の任務は目標の殺害ね。目標は……うわぁ」 『どうしたのメアリー? 苦い顔なんてしちゃってさぁ』 「まあまあ、ちょっと見てよこれ」 『えっとぉ……うわぁ』  リアルワールド、オノゴロ市、戦闘部門詰所。  FE社から支給された専用の連絡端末”FEpHone”から任務の連絡を受けた永須芽亜里とファントモンの二人は、その内容を見て言葉を詰まらせる。 「まだ裏の世界にきて日が浅い私でも流石にこの任務がヤバいのはわかるよ」 『これ本当に僕らの担当であってる? ゲオルグ様とかそっち向きじゃない?』 「俺様を呼んだか?」  二人の背後から話しかけてきたのはFE社戦闘部門「火行」そのトップであるゲオルグ・D・クルーガーその人だった。  まさかいるとは思っていなかったお偉いさん本人の登場に、一大学生でしかない芽亜里は思わず背筋が伸びる。 「げ、ゲオルグ様、今日はどうしてこちらに?」 「なに、たまには後進の育成もジジイの務めと思ってな。とはいえ、そっちはそんな雰囲気でもなさそうだが」 「まあ……そうですね。結構な厄介ごとを任せられた感じです」 『いやぁ本当に死にそうって感じ! なんか悪いことしたかなぁ僕ら!』 「ほう、”金行”の連中のなかでも特に好戦的なお前らが弱音を吐くとは珍しい。どれどれ……」  そういってゲオルグは芽亜里のFEpHoneをのぞき込む。依頼内容はなんて事のない暗殺任務だ。それ自体はよくある任務である。  問題は、今回の標的の名前だった。 「……なるほど、これはなかなかの難題だな。骨は拾ってやろう」 『死ぬこと前提!?』 「ハッハッハ。半分は冗談だ。とはいえ、油断すれば冗談では済まなくなるのも事実だがな」  豪快に笑い飛ばすゲオルグだったが、笑い飛ばされる側としてはたまったものではない。少なくとも半分は本気で死が見える相手なのだから。 「”ノーネームオーガ”……それほどまでに危険な相手ということですか」 「俺様も伊達に戦場を渡り歩いてきたわけじゃねえ。”名も無き鬼”と戦場を共にしたことも一度や二度じゃねえさ。敵でも、味方でもな。  だから、その脅威もよぉく知ってるさ」  ごくり、と芽亜里は唾を呑む。御年80を超える老兵の言葉にはその経歴に見合った重みがあった。  ──下手を打てば死ぬのはこちらだと。 「あいつは戦場を自分の有利にすることにかけてはトップクラスだ。戦いが始まっていると認識された時点で9割負けてると思った方がいい」 「戦いが始まってると認識された時点で……?」 「ああ。戦争が始まった瞬間、尾行がバレた瞬間、あるいは、敵の気配を感知した瞬間。その時点でやつの仕込みは終わってる。  そうなってしまえばあとは最後までやつのペースだ。生半可な実力じゃ、やつの姿すら見ることはできない。”名も無き鬼”とはそういう傭兵だ」  芽亜里とファントモンは目を向き合わせる。ヤバいとは思っていたけれど、これは想像以上だ。  今日が私たちの命日かもしれない。短い人生だった。先立つ不孝をお許しください。 「……お前らに白羽の矢が立った理由は、もしかしたらそういうことかもな」  半べそ書きながら抱き合う二人の前で、ゲオルグがポツリと漏らす。はて、どういうことか。芽亜里とファントモンは揃って首をかしげる。 『えーと? どういうことぉ?』 「真っ向からの戦闘じゃまともに勝負の土台に乗せてもらえなくても、奇襲暗殺ならまだ手はなくはないってことだ。  誇っていいぜ? そういうことを任せるならお前らが適任だと評価されてるわけだからな。  ま、失敗したとしてもそもそも相手が悪すぎる案件だ。上への報告には俺様も口添えしてやる。死なないことを優先してくれ」  じゃあな、と言いたいことは言い切ったとばかりにゲオルグは去っていった。残されたのは哀れな襲撃者二人だけ。  改めて顔を向き合わせて、同時に短くため息を吐いた。 『だってさ。激励されちゃったね、メアリー。どうする?』 「どうするって言ったって、やれるだけのことをやるしかないよ」  FEpHoneをたたみ、体をほぐす。うだうだ言ってはいたものの、今回の任務は時間指定があった。そんなにどのみち悠長にはしていられない。  任務の無断遅刻や無断欠勤は普通に処罰の対象だ。なんだかんだ知らない傭兵の脅威よりも、目に見えた規律違反のほうが怖いのである。 「──いくよ、ファントモン。私にはまだ人生があるんだから、こんなところでは終われない」 『アイアイマム!』 「……それやめない? なんか軍隊っぽくて嫌なんだけど」  ───────── 「こちらメアリー。目標地点に到着。そちらはどう、ファントモン」 『こちらファントモン。同じく目標地点に到着。作戦に問題はないよ、メアリー』  天沼矛から人工トレイルモンに揺られ任務地点周辺に到着した後、芽亜里とファントモンは早速目標地点へと向かった。  欲を言えば観光したい気持ちもなくはなかったが、とにもかくにも時間がなかったのである。 「作戦内容を確認する。目標設定はコードネーム”名無鬼”の殺害。達成方法は意識外からの暗殺。  実行手段は遠方より私が全体を俯瞰して目標位置を確認、その後ファントモンが背後から奇襲する。  私がゴーサインを出すまでは物音には近づかないように。むしろ距離をとって。確実に仕留められる状況以外で目標に接近しないこと。  現況は××市のビル内部。目標が本日の根城にしている廃ビル全体を目視できる位置で待機。ファントモンは廃ビル屋上から順次階を下るように。  それと……今回の作戦においてはジャイアントキルが求められる。身の危険を感じたらすぐに報告して。撤収するから。  ──わかった、ファントモン?」 『オールオッケー。ミイラ取りがミイラにならないように、だね』  FEpHoneを通して作戦内容を確認し、認識をすり合わせる。  やることそのものはいつもとそこまで変わらない。奇襲暗殺特化の二人は、襲撃する際にはこれしかできない。  いつもと違うのは、相手が圧倒的に自分より優れていることが確約されていることだろう。故に今日は安全策をとる。  別に、FE社に骨を埋めたいわけではないのだから。 「それじゃあ、作戦開始。明日の朝日を無事に拝むために」  一般的なファントモンが持つ眼球水晶を加工した伊達メガネを着用し、芽亜里は名無鬼の潜むビルを見据える。  もともとは死期の近さを見極める力を人間でも使えるように、というお題目で作成されたこの眼鏡は残念ながら予定していた効果は発現せず、ただの透視遠視機能を兼ね備えた千里眼メガネとなってしまった。  その”失敗作”は何の因果か彼女のもとに預けられ、こうして作戦行動に欠かせないアイテムとなっている。曰く、研究のお礼とのこと。  ……貰った時にファントモンが目を逸らしていたから、多分芽亜里が知らない間に何かあったのだろう。  ともかく、目標の動向をとらえるのが重要なこの作戦では観察力と注意力が重要となる。芽亜里は集中して目を凝らし始めた。  そして、一時間後。 (……静かだ。静かすぎるほどに)  廃ビルの動きはずっと見ていた。一切目を離したつもりはない。そのうえで、あまりにも動きがなかった。  一年間とはいえ芽亜里も任務はいろいろこなしてきたし、その中には今回と似たような案件もいくらかあった。  そのうえで経験則をいうと、人は一時間もじっとはしていられない。ましてや、襲撃のことを知らないのであれば特に。 「……ファントモン。状況は?」 『異常なし。異常なほどにね。本当に目標はここにいるのぉ?』 「調査部門を信用する限り、間違いなく」  逆に言えば、自分の感覚を信じるのならいないと思われる。それくらい、人の気配がしないのだ。  しかし、いくらチートアイテムを使ったとしても芽亜里はそこらの女子大生と能力的には大差はない。  となれば本職の情報を信用するべきだと彼女の中の理性が訴える。なので不毛に感じられる地道な状況観察に精を出しているのである。 「……ん?」 『どうかしたのかいメアリー』 「今、なにか……」  光ったような、と思いすぐにそちらの方を向く。その瞬間、  ───パァンッ!!! 「ッ───!」  何かが壁に叩きつけられる音。FEpHoneを持っていた手に響く衝撃。空を掴む指先。  伊達メガネの遠視機能を使い、今見ている方向を見つめる。その先にスナイパーライフルを構えた女の姿が見えた。  かろうじて見えるネコミミの生えた黒いクロブークから察するに、おそらく名無鬼が弟子にしているシスタモンノワールだろう。  自分より高所にスナイパーライフル持ちがいるこの状況、はっきり言ってほぼ詰みである。初撃が端末にあてられたのは威嚇のためだろう。  最初から殺すために銃撃されていれば避けようがなかった。今死んでないのは向こうが本気で殺しにきていないからでしかない。  両手を挙げて壁際まで下がる。その間も撃たれはしなかった。余計なことさえしなければ生きては帰してくれるようだ。  足元に落ちているFEpHoneを拾い上げ、ファントモンと通話を繋ぐ。ライフルがクリーンヒットしたはずなのに問題なく動作するこの端末が頼もしいを超えて恐ろしく感じてくる。 「ファントモン、聞こえる?」 『メアリー大丈夫!? すごい音鳴ってたよ!?』 「私自身は大丈夫。それはそれとして逃げるよファントモン。私たちじゃ太刀打ちできない……というかすでに襲撃がバレてるっぽい。  ……多分、私たちが来る前から」  じっくり観察しても痕跡の見つけられなかったビルの内部。確実に芽亜里を狙撃できる高所への位置取り。最初から奇襲を把握していないと対応できないだろう。  であればすでに勝負の土台は彼女たちの側にない。そして、任務としても始まる前から失敗しているのだからこれ以上の続行は無意味だろう。 『……オッケー。調査部門のやらかしみたいだねぇ。いや、相手のほうが一枚上手だったってことかなぁ?』 「そう考えるのが自然かもね。普段は調査してることがバレてたらバレてたって報告するだろうし、  そういった報告がなかった以上調査部門は多分バレてたことには気づいてないんだと思う」  FE社の調査能力も隠密能力も決して低いものではない。実験を繰り返して作成されたこの伊達メガネのような”失敗作”や出自不明なオーバーテクノロジーがその能力を裏付けする。  それでもなおバレるというのであれば、それは相手の索敵能力が調査部門の想像を遥かに凌駕していたということだろう。  ふよふよと飛んでくるファントモンを確認して、芽亜里はFEpHoneに任務失敗の連絡と回収の依頼を送信する。 「帰ろうか、ファントモン。帰還要請は飛ばしたからトレイルモンも駅に来るはずだし」 『はーい。今日は何というか骨折り損って感じがするねぇ。……ところで、なんでずっと手を上げてるの、メアリー?』 「あー……廃ビルの向こうにさ、ここのビルより高いビルが見えるよね? あそこから、ずっとスナイパーライフルで狙われてるみたい」  ─────────  芽亜里たちが撤退した後、狙撃手のいたビル。  そこには狙撃を行ったシスタモン ノワールと、今回のに任務の目標であった名無鬼がいた。 「ししょー。襲撃者は撤退したようです。追いかけますか?」 「いや、いい。今回は逃がした方が利が大きいからな。鼠一匹逃がして獅子を止められるなら、そちらの方が降りかかる火の粉は少なくて済む」  襲撃にあったことなど大したことがないように男は振る舞う。あるいは、命の危機など日常かのように。  ノワールもそれに特に気にもせず、相槌を打つ。 「しかし、まさか俺を狙って暗殺者が来るとはな。ドゥフトモンからの依頼料を引き上げても文句は言われないだろう」 「悪い顔してますね、ししょー」  守銭奴を自称する彼は、口角を上げる。金づるから金を引っ張れる方便を手に入れる方便が手に入ればさもありなんと言ったところか。  彼女は呆れたような目を向けながら、それもこの人らしいと微笑みをこぼすのだった。  ───────── 「はあ……」 「でっかいため息やなぁ、芽亜里ちゃん。どしたん、話聞こか?」 「その話しかけかた外でやったら殺してるからね、タツミさん」  FE社、社員食堂。  任務から一夜明けた芽亜里は五体満足でそこにいた。任務の前提条件が間違っていたとはいえ失敗は失敗。何かしらのペナルティは覚悟していたが、思ったよりも重い物はなかった。  ただし、重いものはなくともやらなければならないことはある。それに思いを馳せてるタイミングで、同僚である朧巻タツミに声をかけられたのだった。 「おーこわいこわい。で、実際どうしたん?」 「任務に失敗した。それそのものはまあどうでもいいんだけど、状況報告のためにレポートを上げろって言われてね……。めんどくさいなぁって」 「本業大学生なんやろ? 慣れたもんやん」 「慣れてるからって面倒じゃないわけじゃないのよ」  課題というのはどれだけやったところで面倒なのが変わらないのは世界の不思議の一つだと芽亜里は本気で思っている。  若者らしい苦悩に苦笑いしつつタツミは本題を切り出す。 「そういえば、”名も無き鬼”については今後は手出し無用ってことになったらしいで。対処に手間がかかりすぎる割に成果が微妙だから放置ってことらしいわ」 「私たちは完全に試金石にされた感じかぁ。しっかし、さすがに火行の直属は事情通ね。こっちはなんであの傭兵が標的にされたかも知らないのに」 「あら、芽亜里ちゃんそれも知らんの? 金行の連絡網どうなってるん?」 「さあ? 一年近くここに所属してるけどいまだにうちのトップを見たことないんだよね。本来の所属であるファントモンなら知ってるのかな」 「あー、そういえばファントモンちゃんのペットって扱いなんやっけ芽亜里ちゃん」 「……言い方は悪いけど、実際のところそんな感じなのよねぇ……」  芽亜里はFE社の人間として契約しているが、その実ファントモンに拾われただけの一般通過猟奇殺人鬼なのである。契約の主体はあくまでファントモンであり、芽亜里はそれに付属する備品のような扱いである。  したがってファントモンに生殺与奪権を握られているという意味では、ペットという表現もあながち間違っていなかった。 「って、話盛大に逸れてるやん! ”名も無き鬼”が標的にされた理由、芽亜里ちゃん知りたい?」 「一応知っておきたいかなぁ。割と真面目に命が掛かってた任務だし、事情くらいは知る権利あるでしょ」 「ほいほい。じゃあウチが解説させてもらいます」  タツミの話を要約するとこうだった。  以前起こった二大災厄の折にドゥフトモンが発足したBootleg Vaccinesという名のデジタル治外法権組織がここ最近勢いを増しているのが直接の理由である。  このBVという組織は最終的にはデジモンイレイザーを打倒するのを目標にしているが、それではFE社としては大いに困る。  そこでまだ勢力が強まり切っていない今のうちに、削れるところ削ってしまおうということで、BVに雇用されている傭兵である”名も無き鬼”を討ち取ってしまおうというのが今回の任務だった。  とどのつまり、敵対組織の根幹にかかわりのない凄腕の傭兵を殺せたら殺してねの精神で任務として投げられたのである。 「……なんというか、無駄なことさせられたような気がする」 「実際に公的機関に直接喧嘩売るのは憚れるってことやない? なんで、直接は関係のない傭兵をしばいて戦力削ろうとしたんちゃう?」 「無茶苦茶だなぁ……」 「ま、今後は火行で引き取るさかい芽亜里ちゃんは心配せんでええで。女の子に荒事は似合わんしね!」  キメ顔を決めるタツミ。にっこり笑って受け流す芽亜里。窓は開いていないはずなのに冷たい風が吹き抜ける。  気まずい時間の中、タツミの後ろから黒髪を長く伸ばした眼鏡をかけた少女が声をかけてきた。 「……タツミさん、そろそろ時間では?」 「おっと、もうそんな時間かいな。芽亜里ちゃんと話してると時間がすぎるのが早くてかなわんわ~」 「はいはい、お世辞をどうも。……この子が例の最近飼い始めたペットちゃん?」 「そやで~、なかなかの狂犬具合やけど、手がかかる子のほうが可愛いともいうやろ?」 「……なにか言いました?」 「おーこわいこわい。なんもいっとらんよ~」  少女にせっつかれるようにタツミは席を立つ。拾ってからそこまで時間は経っていないはずだけど早速尻に引かれ始めてるようだった。  三津門伽耶。彼女もまた、芽亜里と同じように正規のFE社員の紹介で裏口入社したスカウト組と聞いている。  スカウトしたのがタツミならそう悪いようにはしないだろうとは思いつつ、それでも長く生きられることを祈ることにした。永遠の命を求めるここは生命の終わりに近すぎる。 『ペットねぇ~。メアリーも、そんなにかわいいもんじゃないよねぇ? むしろ僕の方がペット扱いされてるよねぇ?』 「流石にペットとは思ってないよ。手のかかる弟とは思ってるけど。それより、どうだった、ゲオルグ様の戦闘訓練」 『やっぱおかしいよあの人! 平然と鎌掴んでくるしそのまま投げ飛ばしてくるし! もう二度と参加したくない! 僕はそういうタイプじゃないんだ!』  いつの間にか天井に潜んでたファントモンが芽亜里の横に降りてくる。任務失敗のペナルティとしてゲオルグのところでしごきを受けていたのだ。  昨日はほぼ死んだようなものだったが、結果的にはこうして生きている。明日の朝日を拝むため、永須芽亜里は今日を生きている。  ────────  おまけ 「そういえば、ファントモンってタツミさんのことちょっと避けてるよね」 『なんというか殺しがいがないんだよねぇ。まだ連れてるオボロモンの方が殺しがいがあるよ』 「ふーん、私はむしろオボロモンさんのほうが怖いけどなあ。何考えてるかわからないし」