ミリアは苛立っていた。
「あぁっ! もうっ!?」
彼女の振るう霊剣の刃は、キン、と軽い音を立てて弾かれる。
魔石人イケートゥムの、体表によって。
魔石人は防御の態勢すら取っていない。
その一方で、虹色に煌めく人型の魔石は無言で反撃してきた。
霊剣を振って、ミリアは必死にこれを弾き続ける。
「だぁあああ!?」
反撃を回避し、その勢いのまま後退するミリア。
何度目かの応酬だ。
万物を切り裂くであろう霊剣を用いたミリアの攻撃は、魔石人の煌めく体表に不動で弾かれてしまう。
だが今度はそこに、魔術が飛来した。
「マジックミサイルズ!」
「アンテ・マギア・ミッスィレ」
シリルの放った複数の魔力の飛翔体は、しかしイケートゥムの放った同様の飛翔体に迎撃、撃墜される。
そこに再びミリアが切り込むが、やはり霊剣は、鋭い音を立てて弾かれた。
「あーもう!」
ミリアは魔石人の鋭い手刀を回避しながら、疑問の形で不満を発した。
「何でこんなに硬いの!?」
(不明だ。だが先ほども今も、シリルの魔術は防御した。恐らく完全なる無敵ではあるまい)
ミルフィストラッセの分析は正しいように思えた。
ミリアはそれに応じ、魔法を準備する。
「だったら、サンダ――うわぁ!?」
それを阻もうとする鋭い一撃を、魔法を中断し、かろうじて霊剣で防いだ。
イケートゥムには彼女に魔法を使わせるつもりはないらしい。
霊剣の加護によって大幅なレベルアップを果たしつつあるミリアだが、それでもこの間合いで魔法を使おうとすると隙が生じるようだ。
霊剣が、声ならざる言葉で助言する。
(敵は積極的には魔法を使おうとしていない。
御辺の剣が本当に効かぬなら、そんなものは無視して魔法で範囲攻撃をすればよいものを、だ)
「あっ……えーと、つまり……!」
ミリアは思い至った。
(魔法相手には無敵じゃないし、魔法を使ってる間は、硬くなれない!
だからさっきボクが横から入った時は避けたんだ!)
それまでよりも、冴えた感覚。これも霊剣の加護というものか?
ミリアは霊剣で、再び魔石人に斬りかかった。
魔石人は動くことなく、体表でそれを受け止めるだろう。
そして、彼女の攻撃直後の隙に対し、反撃を行うはずだ。
だが、ミリアはそこで、レベルアップによって新たに得ていた呪文を唱えた。
「エンチャント・サンダー!」
ばちばちと、霊剣の刃から火花が散る。
雷の魔力が霊剣へと乗り移り、硬さ、鋭さとは異なる威力を付与したのだ。
雷属性を得た霊剣の刃。魔法攻撃は相殺防御していたイケートゥムに、通じるか?
「!!」
果たして、魔石人はこれを跳躍して回避した。
「マジックミサイルズッ!」
更に、再度シリルの魔術が飛来する。
イケートゥムを狙って飛来するそれらの魔術弾を、イケートゥムは両手両足を振り回して回避していく。
が、今度はそこを、ミリアが狙う番だった。
「うりゃあっ!!」
疾走、一太刀!
雷属性のこもった一撃が、イケートゥムを捉える。
だが、
「インカンターレ」
同様のことができるのか、魔石人は鋭い手刀に魔法を付与し、これを受け止めた。
やはり弾かれる霊剣。イケートゥムは四肢の全てを剣状に変化させ、更にそこへ魔法属性を付与したようだった。
敵は不動ではなく、回避か、防御を選んだ。属性付与は通用するのだ。
しかし。
「う……!」
変幻自在、上下左右から襲い掛かる刃を、ミリアはかろうじて捌き続ける。
この激しい連撃の最中にも、霊剣を通して流れ込んでくる過去の戦闘経験が、ミリアの技量を高めているのだ。
彼女の腰に括り付けられたスィナーンが、喚く。
「ちょ、ヤバい! 今カスった!?」
「…………」
彼には悪いが、ミリアはそれを黙殺して防御に専念した。
敵の攻撃は凄まじいが、見える。
見えてくる。
攻撃を一手弾くごとに、半身をずらしてかわすごとに、過去の記憶が蘇ってくる。
それは正確にはミリアの記憶ではないが、無数の戦いの思い出が、自分のものであるかのように感じられてくる。
今やミリアは、元の持ち主であるグリュク同様に、数百年を戦い続けた魔法剣士の境地に近づきつつあった。
(そこ――)
研ぎ澄ました一撃を、激しい攻撃の隙間に差し込む。
容易なことではない。だが、可能だった。
雷属性を帯びた霊剣の刃が、魔石人の左肩口を捉え――貫いた。
「む」
残る三肢による反撃が来るが、しかしミリアは素早い蹴りで敵の胴を蹴り、これを回避した。
身体強化の魔法はかかっていないが、霊剣の加護によって各種のステータスが上昇しているのだ。
極度に集中し、しかし静まり返った五感に密かに感嘆しながら、ミリアはイケートゥムを見据えた。
「マジックミサイルズ!」
それを再三襲う、シリルのマジックミサイルの群れと共に。
魔石人は魔術の飛翔体を、魔法で迎撃するか? 回避に専念するか?
いずれにせよそこに出来た隙を狙い、今度は致命打を与える。
(殺しちゃうのかな――いや、今は考えるべきじゃないことか……!)
ミリアはそう考えつつも、構えた。
だが、イケートゥムの反応は予想とやや違った。
「――!?」
瞬間、魔石人は変形していた。
それは、狼か何かを思わせる形態だった。
虹色に輝く四足獣――魔石獣形態とでも呼ぶべきものか。
ミルフィストラッセが感嘆する。
(速い!)
電光石化、とはまさにこのことだろう。
流線型をした虹色の獣は雷鳴のごとき速度でミリアへと肉薄し、その四肢から伸びた鋭い爪で肉体を引き裂く――
――ことは、叶わなかった。
次の瞬間には、魔石獣は縦に両断されていた。
額を床にこすりつけかねないほどに姿勢を下げて、ミリアが構えた霊剣によって。
「……ごめん!」
ミリアが陳謝すると、魔石獣の残骸は飛びかかった勢いのままガリガリと回廊の床を擦り、後方のシリルの近くまで滑って停止した。
彼は注意深くその残骸から離れ、ミリアに呼びかける。
「……もう他に障害は無いみたいだね。行こう、ミリアさん」
「うん」
ミリアはミルフィストラッセを鞘に納めると、シリルと共に巨大な門に向かった。
門には既に、先程のシリルの魔術で大きな穴が開いていた。
人一人が立って通れるほどだ。
霊剣が、音ではない声で言葉にした。
(いよいよ黒幕……恐らくは、不死の聖女リカーシャ・カインとまみえる時か)
「……ワシはここら辺で待ってるから、お主たちだけで行ってくれない?」
「いや、一人じゃ動けないでしょスィナーンさん……」
ミリアは腰から下げた頭蓋骨にぼやくと、内部に続く回廊の奥を目指した。
回廊を進み、階段を上り、彼女はシリル、鞘に納めたミルフィストラッセ、そしてスィナーンと共に城の中枢へと進んでいった。
内部は無人だった。
時折ゴーレムがいたが、作業用なのか、攻撃してくることはなかった。
そして、長い通路の先、既に何者かによって破壊されたと思しい奢侈な扉の向こうに、人影を見る。
髪を編み上げ、ドレスをまとった天上人のごとき麗姿。
千年の時を経て老いず、死なず、未来を予言し世界を導いてきた――とされる聖女、リカーシャ・カイン。
ミリアはその本人に会ったことはないが、肖像画などは何度も見てきた。シリルも無論、知っている。
腰からは重厚な革のポケットがベルトで吊り下げられており、そこには石板か何かを思わせる物体が収まっているらしかった。
それを加味すると、やや奇妙な印象を受けた。
ミリアたちが歩き、近づいて行くと、彼女は口を開いた。
「ごきげんよう、聖堂騎士シリル・グレイ……そして勇者ミリア・ビヨンド。
スィナーン・コーカック様もおいでですね」
「小娘、貴様! よくもこのワシを鉄砲玉に――むぎゅ!」
威勢よく喋り出したスィナーンの顎を、ミリアが押さえて黙らせる。
「ややこしくなるから静かにしてて、スィナーンさん!」
そのやりとりに見て見ぬ振りをして、まずはシリルが、聖女へと返事をした。
「ごきげんよう。あなたはリカーシャ・カインその人で間違いありませんね」
「いかにも、そうです」
彼女が答えると、ついで、ミリアが発言する。
「ごきげんようリカーシャ様……あ、あの……! 聖女機関の人たちが、ボクを引き渡せって……
それと、スィナーンさんたちが、あなたにボクを殺すように言われてたって……」
「それも、その通りです。わたくしが彼らを召喚し、命じました」
聖女はそれを、ためらい一つ見せずに認めた。
納得の行かないミリアは、更に問う。
「でも、ボクが世界に仇なすって……どういうことですか!?
ボクはそんなこと……」
「あなたはそう遠くない未来、わたくしを殺すのです。このキョウカイを支え、導き救ってきた、このわたくしをです。
それが世界への害でなくて、何でしょう」
「ボクはそんなこと――」
「しないと、言い切れますか? わたくしは、あなたを抹殺しなければなりません。
あなたは、己の死を逍遥と受け入れることが出来ましょうか?」
「そ、それは……ボクは勇者になるんです! リカーシャ様を殺すなんてことはしません!
だからあなたも、やめてください!」
ミリアは、とにかく否定した。
たとえこちらに対する殺意があろうと、万民から尊敬を受ける聖女を殺すなど、勇者の名に悖ることではないか。
だが、リカーシャは微笑み、ミリアの懇願を棄却する。
「若く、優しく、恐れない。素晴らしいことですが……でも、それはできぬ相談です」
それを見かねて――かどうかは分からないが、シリルが再び口を開く。
「リカーシャ・カイン。ボクからも聞きたいことがありますが、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「このキョウカイで、あなたは未来を知り、世界を良い方向に導く者とされてきた。
でもボクは、それが違うのではないかと考えています」
「即ち?」
先を促す聖女に、シリルは投げかける。
「あなたは、何らかの手段で過去を改変できる……それは、世界を導くのとはまた違うことではありませんか?」
「結果を見れば、同じことでしょう。わたくしは現在をよくするために、過去に干渉しているのです」
「それはどうでしょうか?」
少年は、リカーシャの答えに異論を挟んだ。
「ボクの見立てでは、それをするには特異点であるミリアさんが邪魔になっている。
ある筋の情報によれば、彼女だけは、世界がどれだけ過去改変を受けても存在できる特質を持っているそうです。
つまりそれは、あなたは歴史上、ミリアさんを生み出すのに必要な要素だけは改変が出来ない。
あなたには彼女の家系が関わる事柄や、彼女の行動を変えるような過去改変が出来ないということになりませんか?」
「さすがは樹の騎士ですね」
リカーシャが小さく手を広げ、それを肯定する。
「特異点について誰から聞いたのかは存じませんが……
概ねその通りです。ならば彼女の排除が妥当であることも理解できましょう?
よってわたくしも、彼女を排除するために手を尽くしております」
「……ミリアさんが死んで、あなたがこの世界で唯一の特異点になれば、あなたは完全に、歴史を自由に改変できるようになると……?」
「そして万人が真に自由に、平等に暮らせる理想郷を実現いたします」
「…………!」
その眼差しと声音に、横で会話を聞いていたミリアは戦慄した。
この聖女は心の底から、ミリアの死こそが世界の正義だと信じているのではないか。
ミリアの代弁をするというわけではないだろうが、シリルが反論する。
「そこにミリアさんが含まれていない以上、万人とは呼べませんね。
それに幸福だろうと不幸だろうと、それはあなた一人の一存で改変されるべきことじゃない」
リカーシャは、小さく首をかしげる。
「何故です? 始祖吸血鬼も、人々を弑した魔王も、まとめて消し去ることができますよ」
「人類は魔王を乗り越えました。吸血鬼も乗り越えることができます。たとえどれだけ血を流そうとも」
「その過程で多くの命が失われることを、容認すべきだというのですか?」
その問いに、シリルは反論した。
「あなたができるのが過去改変だとしたら、恐らく未来が分かるわけじゃない。
過去を改変した結果、過去の人々にそれが未来予知として認識された、ってところかな。
ならそれは、本当の未来予知とは違う。
現在に起きた不都合に対して、過去改変で対応しているだけだ。
もし将来、過去改変で対応しようのない災厄が訪れたら、あなたはそれに対応できないはずです」
「わたくしがいなくても、そうした事態が起きたならばキョウカイは滅びるでしょう」
「あなたは人類を甘く見ています。ボクやあなたの考え及ばない可能性に向かって、人類は進んでいくでしょう」
シリルがそう述べると、聖女は話題を変えた。
「あなたと同居している少女がいますね。彼女とその故郷を丸ごと救うことも出来るのですが」
「逆に言えば、リアがあんな目に遭ったのは、あなたの過去改変のしわ寄せを受けたから……ということですか?」
傍で聞いているミリアには、シリルの声にわずかな変化が生じた――ように思えた。
(……怒ってる、シリルくん……?)
だがその変化はすぐに消えて、少年は言葉を続けた。
「ならばボクは、やはりあなたを信頼できない。そもそも、どうやって過去を改変しているのか?
念じるだけで過去が書き換わるなんてことはないでしょう」
「それは秘密です。せいぜい死ぬまでに、推理してみるのですね」
「それは、あなたがボクを殺すという意味で?」
「さて、どうでしょうね?」
リカーシャが微笑むと、ミリアの腰の霊剣が叫んだ。
(いかん、ミリア!)
「え?」
(シリルに強制の呪いがかかった!)
見ると、シリルがうつろな視線を、ミリアに向けていた。
「ウィンドカッター」
「ぅ――!?」
シリルの魔術が、ミリアに向かって放たれる。
咄嗟に、霊剣を抜いて大気の刃を防いだ。
余波でいくらか浅い切り傷が刻まれるが――腰のスィナーンも喚いている――、ミリアは構わず、新しく閃いた魔法を行使する。
「リリース・ギアス!」
霊剣の切っ先から金色の粒子がほとばしり、シリルを貫いた。
粒子の奔流に合わせて、彼の体内から煙のようなものがその背後へと放出されていく。
己の額を押さえてよろめく、シリル。
「う……!?」
彼の視線に正気の光が戻ると、リカーシャが軽く感嘆して見せた。
「あら……意外に使えるのですね。スライムに勝つのがやっとの未熟な勇者と思っておりましたよ」
「…………!」
ミリアは魔法を止めて霊剣を抜き、切っ先をリカーシャへと向ける。
シリルも同様に“魔女の嘆き”を構えながら、ミリアに告げた。
「ミリアさん、もうやるしかない。彼女は恐らく、君と君に深く関わった僕たちの過去を、改変で消し去ることができない。
実力行使で来る……っていうか、ボクいまちょっと洗脳されてたよね!? ごめん!」
ミリアが反応する前に、シリルは続けた。
「ついでに言えば、彼女が腰から下げてる革のポケットの中に入っているのは、多分祖霊板だ!
神格能力を持つ人間が命と引き換えに生成できる……有体に言えば魔法より強い儀式の道具。
彼女はそれを10枚以上持っている。とんでもなく強力な術者だと思っていい」
それを聞いてか、リカーシャは紫色の宝玉を小さく掲げた。祖霊板ではなく、だ。
「その通り。されどまずは、使わず仕ります」
「シリルくん!!」
ミリアは悪寒を覚えてシリルを突き飛ばし、反動で自分も飛びのいた。
一瞬前まで彼女たちが立っていた位置を、強力なエネルギーが焼き払う。
(霊子線か!)
「まずいぞ、この広間、霊子砲が多数仕掛けられている!」
ミルフィストラッセと、ミリアの腰のスィナーンが警告を発する。
ミリアは即座に判断して、少年に呼びかけた。
「シリルくん、対電撃防御!」
「エレクトロプロテクション!」
シリルが応じて、即座に雷属性防御の障壁で自身を包み込む。
それを確認し、ミリアは即座に魔法を放った。
「スフェリカル・ラディアル・サンダーッ!!!」
ガガガ、と彼女を中心に全方位に向かって、強力な雷が放たれる。
リカーシャは当然のように、不可視の障壁でミリアの雷を遮っていた。
が、それ以外の方向に放たれた電撃は複数の霊子砲に着雷し、霊子回路を高圧電流で焼き切る。
「あら、あら。では遠慮なく――」
彼女が唇をそう動かすと、腰から下げた複数の革のポケットから中身が虚空へと漂い出る。
シリルの言っていた祖霊板なのだろう、それらは手のひらほどの厚みのある、半透明の板だった。
大きさは手のひら三つ分ほどか、複数がリカーシャの周囲をゆっくりと旋回し、そして。
「――使いましょう」
「!?」
ミリアは突如、知覚した。
彼女を握り潰そうとする、見えない強い力を。
(構わぬ、切り裂け!)
「このっ!?」
言われた通りに霊剣を振り回すと、彼女を包囲していた力は霧消する。
霊剣にはこうした、見えないものを切る力もあるようだ。
(ミルフィストラッセがいれば、どうにかなる――!?)
ミリアは考えつつ、リカーシャに向かって突進した。
どうにか? どうする?
殺すのか? 聖女を?
だが、彼女はそれ以上迷わなかった。
(殺さずに、無力化する!)
今のミリアには、選択肢が複数ある。
無数に、ではない。とはいえ、人を殺さず動きを止める方法のいくつかが、頭に浮かぶのだ。
「ソーサラル・バインドっ!」
ミリアの掌からぼんやりと光る魔力のロープが生み出され、猛烈な勢いでリカーシャへと伸びる。
だが、それは聖女を絡め取ることなく、虚空で分解されて消える。
(あれは恐らく祖霊板の加護の力……尋常ではない! あちらから攻略するのだ!)
「分かった!」
「マジックミサイルズ!」
同じことに気づいていたか、シリルが祖霊板に向かって魔術を行使した。
一つではなく11枚全てに向かって、光弾が飛ぶ。
だが、それは防がれた。祖霊板は無傷だ。
強力な防御の魔法がかかっているのか、それ自体が桁外れの強度を持っているのか。
涼しい顔で、聖女が告げる。
「無駄です。一枚でも強大な魔法媒体となる祖霊板、これだけ集まれば容易に壊せるものではありませんよ」
「解除や封印の魔術であなたから引き剝がそうにも、出力が足りないってわけだ」
身構えるシリルは、次の魔術を準備している。
「それだけの数の祖霊板、どうやって集めたのか気になりますね?
何せ強力な神格能力者が、命と引き換えに残すものだ。
いかに死せざる聖女とはいえ、各国が欲しがる神格能力者の遺品を、秘密裏に11人分も持つに至った経緯ってものが」
だが、リカーシャはにべもない。
「冥土の土産にも教えられませんね」
「残念! マジックミスト!」
シリルは返事の代わりに、霧の魔術を行使した。
“魔女の嘆き”の宝玉部分から、黒い気体がすさまじい勢いで渦を巻き、周囲へと溢れて広間を覆い尽くす。
ミリアも黒い霧に包まれ、霊剣からの声が途切れ途切れとなる。
(魔力――攪乱す――今のう――祖霊――)
魔力で声を送っていたのだろう。
だがミリアは、その意味するところを理解し、駆けだした。
そして、攻撃魔法を行使する。
「リーンフォースト・サンダーッ!!」
迸った強烈な電撃は、黒い霧を突っ切ってリカーシャへと殺到する。
しかし、祖霊板の一枚が虚空を滑るように動き、これを防御した。
攻撃失敗――だがそれも作戦のうちだ。
ミリアは足を止めず、そのまま魔法を防御した祖霊板へと飛びかかる。
跳躍し、顔程度の大きさの板を抱きしめた。
「捕まえたっ!」
そしてその直後、彼女の腰に括り付けられていた頭蓋骨が魔法を行使した。
「マジック・ドレインッ!」
スィナーンの、魔力吸収の魔法。
祖霊板に込められている魔力が、頭蓋骨へと流れ込んでいく。
スィナーンの頭蓋骨が、カタカタとやかましく鳴った。
「んほぉーッ! すごい魔力ッ、たまらぁんッ!」
吸収した膨大な魔力を物質化し、するとリッチは失っていた頭部以外の骨格を再生成していった。
ミリアの腰からロープが切れて、転がり落ちた頭蓋骨からにょきにょきと他の骨が生えてくる。
脊椎、腕部、肋骨、骨盤、脚部。
更にはローブと冠までもが形成され、着飾った人骨は立ち上がってカタカタと顎を鳴らした。
「ぐふふ……ムクロア最高の死霊術師、スィナーン・コーカックの再臨ぞ!」
「頼もしいようなそうでもないような」
「何か言ったか小僧!」
やや離れていたシリルの声を聞き逃さない程度には、五感も鋭いらしい。
シリルの散布した黒い霧が立ち込める中、スィナーンは宣言した。
「まぁよい、そこな異世界の小娘よ! ワシを勝手に召喚し脅して使い走らせてくれた礼、たっぷりとしてやるわ!」
その一方。
「うわ!」
ミリアが危険を感じて祖霊板を手放すと、そこから鋭い針が無数に生えていた。
スィナーンの骨格を完全に再生できるほどの魔力を吸われても、自己防衛が可能な魔力が残っているのだ。
他の10枚と魔力を共有しているという可能性もあるが、いずれにせよ、敵の戦力はほとんど目減りしていないことになるか。
それを把握しているのか、黒い霧の向こうのリカーシャの声には、いまだに余裕があった。
「あなたの尊厳に配慮して強制の呪縛を使わなかったのですが……また敵対するのならば致し方ありません。
今度は魔力路を通じて、あなたの本体を直接破壊いたします」
「侮るなよ、無礼者め!」
すると、新たな気配があった。
ミリアたちが入ってきた、広間の破壊された入り口の方からだ。
黒い魔法の霧を切り裂いて、何かが突入してくる。
ミリアが、つい先ほど見たことのあるものだった。
「――!?」
それは淵に刃の並んだ車輪と、虹色に輝く魔石の塊――魔石人イケートゥムの残骸だ。
さきほどミリアたちに襲い掛かった敵だった。
車輪の方は側面がボコボコにへこんでおり、魔石の塊に至ってはミリア自身によって左右に分断されたままの状態で、手足を使ってザカザカとバランスを取って走っている。
それが、黒い魔法の霧を突っ切って、リカーシャのいたと思われる方角へと突っ込んでいった。
「!」
「ふはははは! 生命尽きしところに死霊術あり!
敗れたお主の手勢、異世界ゾンビとして我が僕となったぞ!」
スィナーンの哄笑が、黒い霧に満ちた広間に響き渡った。
死者の船ルセルナは、カウブ・ソニラの回廊上を低く飛び続けていた。
甲板には既にフィーネ、グリュク、そして途中で回収したミナとヨーコを乗せている。
「……それっぽい音がしますね。もう戦闘が始まってるみたいですが」
ヨーコがそう報告すると、ルセルナが速度を落としつつ答える。
(ここから先は城内になる……私も付いて行きたい)
「え、それはちょっと無理なんじゃ……」
ミナが、穴の開いた城門を見ながら言う。
門を開いたとしても、ルセルナの船体が自由に進める広さではない。
グリュクも同意する。
「城を壊していくのはちょっと、時間がかかりそうだしね」
「私が一緒に残るわ、ちょっと頼りないかも知れないけど」
(いや……)
フィーネが気遣うと、ルセルナは甲板の床の一部を変形、せりあがらせた。
そこには、装飾を施された小箱のようなものが乗っている。
心当たりがあるのか、ヨーコが口を開く。
「それって、もしや」
(スィナーンの本体だ。君たちに預かって欲しい)
「あの骸骨さんの……これを私たちが預かって、どうするの?」
フィーネが尋ねると、ルセルナは振動を始めた。
(我が船体は、現在を最大として、大きさを変えることができる。
内部空間に質量を収納して……まぁとにかく、このまま縮むと彼の本体を潰してしまうので、頼みたいのだ。
これを持って、下船してくれ)
フィーネたちが周囲を見ると、甲板の面積が減少していた。
マストも目に見えて細く、短くなってきている。
「小さくなって、俺たちに同行してくれるってことか」
(そうだ)
グリュクは頷いて、甲板から飛び降りた。
「ではフィーネさん、この宝匣をお願いします」
「え? えぇ……わかったわ」
ヨーコがそう言って飛び降りると、フィーネは小箱を懐に仕舞って同様に、ただし慎重にルセルナから飛び降りた。
続いてミナが下船した数秒後には、ルセルナは長さ3メートル程度のボートのような大きさに縮んでいた。
これなら、門に空いた穴をくぐることも出来るだろう。
全員の下船を確認したグリュクが呼びかける。
「戦闘音、確かに聞こえてくるな。急ごう。ヨーコは最後尾を頼む」
「依頼料、もう少し上乗せしてもらいましょうかね……」
ヨーコが小声でぼやく。
すると。
「うわっ!?」
ミナが驚く。
近くに転がっていた、くすんだ虹色をした何かの残骸が二つ、、むくりと起き上がって走り出したのだ。
奇妙な物体は、ザカザカと音を立て、門の中へと向かっていく。
更には、ヨーコが反応する。
「後ろから何か来ますね」
そちらを見ればギャリギャリと音を立てて、彼女たちが倒したはずの歯車が転がってくるではないか。
「……!」
一行は構えるが、車輪は体液をまき散らしながら彼らを無視し、先ほどの謎の物体同様に門の中へと入って行く。
フィーネが怯えつつ、訝る。
「な、何なのかしら……」
それが先行して復活したスィナーンの死霊術によってゾンビ化したものだとまでは、彼らも想像が及ばない。
「ミリアたちを追ってるのか……? 急ごう」
彼らはグリュクを先頭に、足早に中心の城郭へと向かった。
「ふはははは! 生命尽きしところに死霊術あり!
敗れたお主の手勢、ゾンビ化して我が僕とさせてもらったぞ!」
哄笑するスィナーンの横で、ミリアが頬をひきつらせる。
「うげぇ、何かやな感じ……」
「だまらっしゃい! 使えるものは使うべし!」
敵をゾンビ化して使役するという戦術に難色を示すミリアに、スィナーンが唾を飛ばして主張する。
「ミリアさん、今は攻めるべきだ!」
スィナーンに同意するようで、シリルが再び魔術を使う態勢に入った。
すると、
「――!」
空中に浮いた祖霊板から何かが放出され、魔力を阻害する黒い霧が晴れ始めた。
リカーシャが対抗魔法を使っているのか。
「ふははは、好都合よ。視界が回復しようとも、同時に我が僕に伝わる命令は更に切れ味を増す!」
半壊した刃の車輪はすさまじい勢いで広間を走り回り、時に跳躍してリカーシャを狙う。
両断された魔石人の残骸も、生命を冒涜するような動きで跳躍を繰り返し、祖霊板を牽制していた。
「ペトリフィケーション!」
そこを狙って、シリルの石化魔術が発動する。
祖霊板は一瞬硬直し、半透明の材質から不透明の石へと変化するかに思えたが、
「――!」
すぐに他の祖霊板が魔法を発動し、石化を解除してしまった。
そこから反撃の魔力線が迸り、シリルは寸での所でこれを回避する。
「おっと……!」
ゾンビ化した刃の車輪と魔石人の残骸も、旋回する祖霊板に阻まれてリカーシャには到達できていない。
スィナーンは手の骨で顎の骨を撫でながら、呟く。
「ふむ、向こうには数の利がある……ならばこれでどうだ――」
(いかん、ミリア、シリル!)
「――!?」
スィナーンの準備する魔法に気づいたか、霊剣が警告する。
「ゾンビファイ・オォォォルッ!!」
おぞましい魔力の波動が、両腕を空中へと広げたスィナーンを中心に、広間へと蔓延してゆく。
それは、ゾンビ化の魔法だった。
無差別に、ミリアやシリルのいる方向にも放射されている!
「リジェクションカース!」
「レジスト!」
シリルは即座に、ミリアもほぼ同時に対抗魔法を発動し、ゾンビ化を免れた。
ミリアはその行為に戦慄したが、同時に気づきもした。
ゾンビ化の波動は祖霊板やリカーシャに対しても襲い掛かり、効果を顕しつつあるではないか。
リッチとしての本性が現れ始めているのか、スィナーンは更に哄笑する。
「ほははははは! いいぞ! お主らから奪った魔力、とてつもない量だ!
その板切れどもも、純粋な生物でこそないが、ゾンビ化の余地のある存在のようだな!
我が死の魔力も漲っておる! どうだ、治療よりもゾンビ化の速度の方が上回っているだろう!」
「……!」
距離はやや離れていたが、ミリアの目にも、リカーシャの肌が土気色に染まっていくのが見えた。
治療の魔法で対抗してはいるが、それでもゾンビ化しつつあるのだ。
スィナーンが、顎の骨をカタカタと鳴らして喚く。
「諸共に、ゾンビとして我が配下に加えてくれるぞ小娘ェ!!」
(何かすごい悪そうなこと言ってる……)
ミリアが胸中で嫌悪感を抱くと、霊剣が声を発した。
(魔力の過剰吸収で狂暴性が高まる性質でもあったのかも知れぬが……しかしこれは……好機か? 危機か?)
確かに、リカーシャがゾンビとしてスィナーンの配下となってしまえば、当座の対立はなくなるかも知れない。
だが、豹変したスィナーンがリカーシャの力を使って過去改変に及ばないという保証もない。
そうなれば、キョウカイは死者の帝国へと変えられてしまう恐れもあるだろう。
(スィナーンさんとリカーシャ様を、どっちも止めるには……!?)
リカーシャだけを相手にしていた時よりも、難易度が上がったように思われた。
が、しかし、その時。
「ふはははは、は――!?」
スィナーンの哄笑が止まった。
そして、半ばゾンビ化しつつあったリカーシャが、微笑む。
「追いつきましたわ」
彼女がそう言うと同時、スィナーンから放射されていた魔力の波動が、ぴたりと止まる。
いや、それどころか。
「かへ……!」
小さくうめくと、次の瞬間スィナーンの全身が、頭蓋骨を含めて爆散した。
「――っ!?」
ミリアは絶句した。飛散する骨片を、思わず霊剣で弾いてしまう。
(ゾンビ化治療の魔法で……ゾンビ化を押し返した!?)
(しかもその余波で、リッチを滅ぼした……途方もない出力なり)
スィナーンは単純に、押していると油断したところを押し返され、力負けしたといったところか。
リカーシャはといえば、既にゾンビ化も解除され、肌艶も元に戻っていた。
「さて……危険な異世界の死霊使いを排除したところで、次はあなた方です」
「…………!」
聖女の周囲を祖霊板がゆっくりと旋回し、魔力が高まり始める。
ミリアは意を決して、リカーシャに向かって駆けだした。
「リーンフォースッ!」
強化の魔法で速度を上げて、祖霊板から放たれる魔力砲を回避する。
強化魔法の練度も、魔力の容量も、さらに成長していた。
ミルフィストラッセが驚いて尋ねる。
(待て、どうするつもりだ、ミリア!)
「イチかバチか、あれを使う!」
(使ってどうにかなるか!?)
「殺し合う前に、出来ることをしたいから!」
(その意気やよし! ならば行くぞ!)
ミリアと霊剣の同期が更に高まっていき、ミルフィストラッセの刀身がぼんやりと輝き始める。
凄まじい速度で祖霊板の猛攻を回避するミリアに、リカーシャが呼びかけた。
「無駄です。未来と過去のために、消えてください」
「無駄じゃ――ありませんっ!」
ミリアは必死に、霊剣を振るう。
そしてその刀身から、黄金の粒子が迸った。
「――!?」
霊剣が、吠える。
(リカーシャ・カイン! どれほど過去を改変しようとも、御辺は全知ではあるまい!
御辺の知らぬ吾人と勇者の力、味わえ!)
ミリアとリカーシャ、そして十一枚の祖霊板が黄金の奔流に包まれ、その輝きが広間を覆い尽くしていく。
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第18回終了です。第19回に続きます。
以下、捏造点と疑問点。
以上となります。ご意見などありましたら、可能な範囲で対応したいと思います。
次回もよろしくお願いいたします。