むかしむかし、あるところに、大きな国がありました。 その国では科学とともに、不思議な不思議な力である魔法が使われていました。 魔法で機械を動かし、魔法の大きなエネルギーを操り、魔法を使う生物を作り出し、魔法が込められた薬を作っていました。 この夢のような力を使う人たち、魔法使いたちの中でも、特に偉大な魔法使いはみんなから『賢者』と呼ばれ、慕われていました。 彼らにできないことはない。そして魔法にできないことはないと、みんな希望を持った夢のような世界でした。 そして、その隣には、同じように魔法を使い、賢者がいる大きな国がありました。 二つの国はいつも喧嘩ばかり。あれが欲しい、こっちがいいと、口煩く喧嘩していました。 そして、いつしか手が出て、魔法が出て、機械が使われて。 とうとう大きな大きな戦争が起こりました。 たくさんの人が戦いました。たくさんの生き物が死にました。 たくさんの武器が使われました。たくさんの土地が汚れました。 そして、最後に一際大きな戦いが起きた後、二つの国はなくなりました。 海は汚れ、地は荒れ、空は淀み、町はひび割れました。 夢は終わったのです。 それから、しばらくして。 人はそれでも生きていました。ひっそりと、小さな村を作って生きていました。 昔のように魔法でなんでもできるわけではありません。水も、食べ物も、家も足りません。 世界に残ったそれらをめぐって、人々は奪い合って小さな争いを繰り返すことも、分け合って暮らすこともしていました。 それは悲しいことですが、悪いことではありません。 みんな、絶望という現実の中でも、生きるという夢を持っていることですから。 だけど、世界に残ったのは絶望だけではありませんでした。 「はぁっ…はぁっ…!」  女の子は必死に走っていました。胸には大きな本を抱えて、落とさないようにしっかり握っていました。 日が落ちた村は、黒々と燃えていました。なけなしの木と石で建てられた小屋が爆ぜ、黒い炭となりました。 落としてしまえば、止まってしまえば、この中に加わるという確信が、女の子の肌をジリジリと焦がしていました。 「はぁ…はぁっ…!!」 その村だった炭の中で、一際目立つ炭がありました。それは黒焦げになるまで火に当てたような大きな鳥でした。 その鳥がボロボロと零れる羽を羽ばたかせたと思うと、零れ落ちた羽が風に乗り、炭と爆風をまき散らしました。 もはやどこが家だったか、どこが地面だったかもわかりません。 そして、その鳥のどこが目かもわからない顔と、女の子の目が合いました。 「あっ、ああ…」 大きな戦いの後、世界には大きな生き物が姿を現すようになりました。 それは鳥の姿だったり、クジラの姿だったり、あるいは巨人の姿をしているものもありました。 バラバラの彼らの大きな共通点は、普通の魔法使いたちよりもはるかに大きな魔力を持っていること。 そして、見つけた人々を殺していく、恐ろしい怪物であることでした。 なぜ生まれたのか、どこから来たのか、それは誰にもわかりません。調べようとした人たちもたくさん死にました。 だけど、誰もがなんとなくわかっていました。 それはむかしの戦争が、かつて自分たちの夢であった魔法が残した怪物なのだと。 いつしか、その怪物たちは『悪夢』と呼ばれるようになりました。 「どうして、なの…」 女の子は、どうすればいいのかわかりません。ゆっくりと近づいてくる黒い鳥の前に、ついに足も止まってしまいました。 彼女は魔法を使えました。しかし、戦ったことはありません。自分に燃え移らないように、魔法の壁で火勢を押し止めるのがやっとでした。 既に全力を出している彼女の脳、体、心の全てが、目の前の化け物には敵わないと叫んでいました。 このままだと自分が死ぬと叫んでいるのに、どうやってもそれが変わる未来が見えず、止まってしまいました。 「なんで、こんなことに…」 女の子は過去に救いを求めました。なぜこんなことになったのかがわかれば何か糸口をつかめるのではと。 だけど、女の子のしていたことは、ただの普通の毎日でした。 少しだけ食べ物や緑がある荒野の片隅にある小さな集落。 朝起きて魔法の訓練をし、昼は畑仕事をする大人を手伝い、夜更かしして村の倉庫にある本を窓から差し込む月明かりの下でこっそり読む。 たまに見つかって怒られるけど、ささやかな一日の繰り返し。 だけどその日は、夜更かし中に騒がしくなったと思ったら、あの黒い鳥がやってきて大騒ぎが起きたのです。 「なんで、こんなことをするの…?」 女の子は、何か悪いことをしたのでしょうか。 連れ出してくれる両親と、戦争で離ればなれになったことでしょうか。 逃げ出す大人達から離れて、一緒に住んでいた親のいない子供達を連れ出しに行ったことでしょうか。 その小屋が燃えるところを、眺めていたことでしょうか。 誰も答えてくれません。自分でも何もできません。 もし神様がいるのなら、自分はとっくに見捨てられてしまったのでしょうか。そんなことしか考えることができません。 「あ…」 黒い鳥が、羽を羽ばたかせました。黒い羽根がゆっくりと向かってきました。 女の子の意識も、ゆっくりとそれを認識しました。 そして、ゆっくりと自分が死ぬということをようやく理解して。 「……誰か、助けて」 出てきたのは、誰も拾ってくれない駄々でした。 「させるぅかぁああああああああああ!!!」 いいえ、拾う人はいました。 女の子と羽の間に、一人の影が差し込みます。片手に彼女を抱え込み、もう片方の手の剣で羽を弾きます。 「ぐぅうううう!!」 「え…?」 「があっ!ぼ、ぼさっとするな!!早く逃げるぞ!!」 呆然としている女の子の背を押しながら、その影——双剣士の女が爆風を背に走り出します。 いえ、すでに両腕は先ほどの羽を受け止めた時に剣ごとズタズタになりました。顔を激痛にゆがめながら、かろうじて棒切れ程度の原型を保った一振りを片手に構え、炭化した腕で女の子を引っ張っているのです。まともに動かすのもつらい、いえ、そもそも不可能のそれを魔法で無理やりこなしているだけです。 「あ、あの。どうして…」 「どうしてもあるか!私は村の守り手だぞチクショー!!あんなの相手できるか!」 言っていることがめちゃくちゃです。あまりの痛みに自分でも何を言っているかわかってないかもしれません。 だけど、それが自分を助けるものであると、女の子にはわかります。 女の子は思い出しました。彼女は数週間前にこの村に来た、流れの魔法使いです。 魔法使い、と言ってもその魔力はお世辞にも高いとは言えません。女の子の方が魔法使いとしては格上なのは一度見た時に気づきました。 何なら二刀流もそんなに様になってなかったような気もしますし、ついでに手伝ってもらった畑仕事や縫物ではあんまり役に立っていないくらい不器用な方でした。 当然、爆風のような黒い鳥には、敵うべくもありません。あえて表すなら、鷹と雀ほどの差があります。 だけど、女の子には、彼女を庇いながら必死に逃げる姿は、何よりも大きく見えたのです。 「!またあれが来ます!!」 「なんだと!?」 そして、鷹が動きました。先ほどと同じように、黒い鳥が羽ばたこうとしています。 その周囲には黒い羽根が大量に浮かび上がり、そのすべてが彼女達に向いているのです。 「くそがぁ!!」 女剣士は残った手を羽に向けます。だけど、それは布の張られていない傘のようなもの。これから来る黒い雨をまた凌げるとは思えません。 「あの!私は大丈夫ですから、逃げ」 「逃げるならとっくに逃げてる!だけど、ここで見捨てるようなかっこ悪いやつがモテるかっての!!」 「も、モテる!?」 「あんたは!?生きてやりたいことはないの!?死んでもやってやろうってことはないの!?かっこ悪いことしてないで、なんとしても生きなさい!!」 だけど、それでも傘を翳します。なんだか私情と自棄がまぜこぜになって出力がおかしなことになってる気がしますが、あきらめない意志がそこにありました。 女の子には、結局どうすればいいかわかっていません。これを凌いでもその次はとか、考えているようで思考がショートしていただけです。 「なんとしても、生きる…」 黒い羽根が放たれました。火の悪夢から、彼女達に爆発の豪雨が降り注ごうとしています。 先ほどのように、女の子の時間がゆっくりと過ぎていきます。 「……なら、私はっ!!」 だけど、今度は違います。女の子の思考は素早く、いえショートした勢いでただ一つの行動に全力を尽くしたのです。 「これで、止まれーーー!!」 骨だけの傘に、満月のように輝く壁が張られたのです。 「……………う、うーん…」  数刻、女の子は意識を失っていました。そして、目が覚めた時、辺りには黒い灰がないことに気づきました。 「あれ?えーと…」 とりあえず頬を抓ってみます。痛みを感じるので生きているようです。 じゃあなぜ生きているのかを考えてみると、遠目には黒い煙を上げる集落が見えました。 「……吹き飛ばされた…?」 どうやら、女の子が使った魔法に爆風が殺到した結果、破壊こそされなかったものの踏ん張りがきかず吹き飛ばされてしまったようです。 そのせい、いえそのおかげであの黒い鳥から逃げることができた、ということなのでしょう。 地面との激突も、障壁が守ってくれたおかげでダメージこそなかったものの、ショックで一時的に気を失ったようです。 それは、一緒に中にいた、双剣士だった女も同じでした。 「そうだ!大丈夫ですか!?」 「……もう無理、もう死ぬ…」 「ちょっと!?」 「もう腕が痛いかどうかもわからん…ああ、死ぬんだ…最後にイケメンとやりたかったな…」 「さっきのかっこよさげなセリフを返してください!?」 ただし、彼女はすでに両手がボロボロだったことは変わりません。戦闘で、無理矢理意識を保っていた反動か、息も絶え絶えになっています。 治療なしでは確実に死ぬでしょう。しかし、女の子には簡単な治癒魔法しか使えません。 魔法には属性があり、魔法使いにもそれぞれ使いやすい属性があるのですが、より強力な魔法を使うには魔力だけではなく、これに沿った属性でないと使えません。 治癒魔法なら、擦り傷を治すとか治りを早くするくらいなら誰でもできますが、重度の怪我となると生命属性への適性が必要になりますが、女の子にはそれがありません。 当然、普通の医療道具も、専門知識も女の子にはありません。 「どうしよう…何か…何かないの…」 「あ、川の向こうでイケメンが手を振ってる…おーい…最後に抱いてー…」 「何コテコテの三途の川見てるんですかー!?」 さっきまでのかっこよさとか返してほしいと思いながら腕を上に振る双剣士に女の子はついにキレました。自分の怪我とかわかってないのでしょうか。現実逃避にしたってもうちょっとカッコよくしてほしいと思いながら双剣士が手を振った方を見ます。 「あのー、すみませーん」 いました。いえイケメンではないというか女性…女の子より一回りくらい成長した女性です。 さっきまでの状況とは打って変わってふわふわした声に、女の子はきょとんとしています。 「実は道に迷ってしまってー、イモゲ村っていうんですけどー道とかわかりませんかー?あとうちの村に引っ越しませんかー?」 ゆるふわした空気の破壊者は、そのまま間延びした声で女の子に語り掛けていますが、女の子の脳は?マークで埋め尽くされました。 ローブをまとい、ベールのついた帽子をちょこんと乗せ、つえを突きながら歩く姿は、魔法使いというより宗教家とか、それこそ聖女とかの方が近い気がします。全体的に黒っぽいですが、信仰の自由で流せるでしょう。そんな人が一人でうろうろして迷った、二言目に移住を求めてくる、イモゲ村って何、そもそも今取り込み中ですとツッコミどころがジャバジャバ湧いてきます。 「あ、もしかしてお取込み中でしたか?待ちましょうかー?」 「え、いえ、えーと…どうすればいいかわからないというか…とりあえずこの人何とかしないと…」 「うん?…ああ!そういうことですか?それなら、えいやっ」 「はい?」 そう言うと持っていた杖がペカーと光り、双剣士の体を包み込みます。するとなんということでしょう。炭化した腕がみるみる還元され、元の肌の色に戻っていくではありませんか。 「あれ、イケメンじゃない…でもなんかもっとすごいというか神々しいものに触れてる気がする…今までないくらい体が軽い…聖女様…最高…」 双剣士のハイテンションもやけくそによるものではないことが女の子にはわかります。これほどの治癒魔法、女の子は見たことありません。戦前でもこれほどの使い手はいたかどうか。 「うーん、結構深い傷ですねー。もしかして、悪夢に追われたんですか?」 「は、はい。あそこに村があったけど、私たちは吹き飛ばされて…」 「なるほどー。うーん、他に村人はいるんですかー?」 「え?多分、私たち以外にも、逃げ出した人はいたはずですけど」 「なるほどー、なら私の村に来ませんかー?えーと…ほら、住む場所がないと困りますよねー?」 「え?え?」 魔法の片手間に流れてきた世間話のような勧誘でした。あと女の子はこの女性が途中で懐のポケットから小さな紙を一瞬取り出してちらっと見たのを見逃しませんでした。二に勧誘が来る割には口は上手ではないようです。 それはともかく、確かにありがたいお話ですし、そもそも治癒までしてくれているのですが、なんだか都合がよすぎる気もします。 「あの、見ず知らずの他人になんでそこまでしてくれるんですか?」 「うん?おかしなことを聞きますねー」 そう問い返す女性は、さも当然のように言葉を続けるのです。 「だって、みんな仲良くする方がいいじゃないですか。みんなできることは違っていて、限られていているんだから、一緒にいればなんだってできるんです。今だって彼女が助けたからあなたがいて、あなたが助けたから私が見つけられて、私が助けられるから彼女も助けられる。今出会ったばかりなのにこんなにできるんだから、仲良くしない理由なんてないじゃないですか」 カンペではない、彼女の本音は、女の子にはとても眩しいものに見えました。たとえるなら夜明けに上る朝日のような、寒空にしみる温かい光です。こんなことをなんて事のないように言える彼女は、なんだか本当に聖女様のように見えました。 「…はい!もう大丈夫!酷かったのでもう剣を振るとかの激しい動きはできないですけど、日常生活くらいなら問題ないですよ!痛いところはないですか?」 「最高です聖女様最高!!」 さっきまで死にかけていた双剣士ががばっと急に立ち上がり、飛び跳ねています。なんだか語尾がおかしくなっている気がしますが、女の子はとりあえず目を瞑っておくことにしました。 「…さて!さっきの話ですけど、どうです?うちの村に来ませんか?」 「……こういう時の避難場所は決まってるので、案内してみんなに聞くことはできると思います」 「本当ですか!?じゃあさっそく…」 「その前に、一つお願いしていいですか?」 「?はい?」 もう一度開いた女の子の目は、透き通った、だけど決意が見て取れる目をしていました。その目にともる光もまた眩しく、だけど月明かりのような優しさを宿したものでした。 「……私を、弟子にしてください!」 こうして、光は受け継がれたのです。 最も、この聖女様は闇属性の魔法使いなのですが。女の子がそれを知るのはもう少し後のお話です。 それから、何年かが経ちました。 「やあっ!!」 海辺を通るキャラバンの近く。一人の魔法使いが、四肢がナマコでできたナマコの半魚人と戦っています。互いに徒手空拳です。魔法使いの定義に、杖の有無は関係ありません。 この種族は別に強くはないのですが、タフでうっとおしくて何より気色悪いと特に女性に不人気です。 「キャッ!?は、はなせー!」 御覧の通り腕が触手なので、拘束されるとヌメヌメして気色悪いのです。もし男性が絡みつかれた場合大惨事です。 「なめるなぁっ!」 しかし、そこは魔法使い。自力で抜け出し距離を取ります。対するナマコ男も距離を詰めに体当たりをしてきますが、それが運の尽きでした。 「これで…おわり!」  稼いだ距離で助走をつけ、脚力を魔力でブーストし、大地を蹴り宙を一回り。そのまま魔力を推進剤にして急降下。重力と魔力を組み合わせ、魔力を槍のように先端にまとった蹴りが、ナマコ男を貫きます。 一拍、そして爆散!ナマコ男は海辺のモズクとなったのです。 「ふう…大丈夫ですか?怪我人はいますか?」 「大丈夫です。おかげさまで荷物も無事届けられそうです」 「いやーさすが聖女様のお弟子さんだ!聖女様最高!お弟子様最高!」 「デカパイ感謝…」 地面に蹴り後を残しながら着地した魔法ライダーに、キャラバンの隊員達は口々にお礼を言っています。最後のは後で蹴飛ばそうと魔法使いはーーかつて助けられた少女は心の中で決めました。いつの間にか師匠——あの聖女様よりも背も胸も大きくなりましたが、そのせいで妙に変な視線が増えた気がします。子供達相手だとそんなことはないのですが。 もっとも、大きくなったといっても聖女様にはまだまだ敵いません。ペカーとするだけで大体何とかなる魔法もありませんし、格闘技だって聖女様のヌンチャクには勝ったことがありません。自分にできるのは大きな盾と、体躯を生かした蹴りくらいです。 「あー、お弟子様。ちょっといいですかい?」 「?なんですか?」 「聖女様がいつも通り迷子になられたようで…今回は毒沼ですね」 「またですか…いい加減道くらい覚えても…いえ、師匠が通ったから道ができるんだから仕方ないですね」 「すみませんが、またお願いしやす」 「……とりあえず、お風呂入ってからにしますね」 ため息を着き、空を見上げます。まだ昼間ですが、聖女様を探して帰ってくる頃には真っ暗になりそうです。今度は何を持って帰ることになるでしょうか。この間はスライムでしたが、今度はバジリスクでしょうか。まあ死んでいることはないでしょう。 この村に来た最初の頃は、バジリスクを飼いならしていて驚いたものです。あと蟹の半魚人が理性的なのにも驚きました。今ではすっかり慣れて、なんだかんだと村のナンバー2として師匠の補佐をしているのだからわからないものです。これからももっとわけのわからないことが起きる気はしますが、それでも彼女彼女の目指すものは、夢は変わりません。 「さて、師匠助けに行きますか」 聖女様の、そして自分のイモゲ村を大きくすること。そしてもっと多くの人を守れるくらい自分も大きくなること。そのために彼女は足を進めるのです。