重合金酸性雨降りしきるネオサイタマの夜は長い。 誰にとっても均等に降りしきる雨は、決して平等を産むものではない。富める者の生は今日も栄華を極め、貧しき者の生は今日も酸鼻を極める。格差は広がり、是正されることはあり得ない。 では何が隔絶を産むのか? それは…… 「カラテだ」「ウェー……」 突然やってきて、気味の悪いほどのニヤニヤ顔でそんなことを言い出した知人……フロッティにマインドシーカーは大いに辟易する。極めて危険な任務を乗り越え、大首領ラオモト・カンから直々の褒め言葉を賜ったというが、それがそんなに嬉しかったのだろうか。 「何さ、いきなり現れて」「いやァ実際カラテなんだよ。 カラテがあればローンも返せるスシも食える!」 答えになってない回答。マインドシーカーにワカルのはせいぜいが上機嫌であることくらいだ。 「聞きたいか? アーシが蛇女に一発くれて爆発四散させた時の話! 」どうも浮かれているらしい。上気する肌を見ると、サケでも飲んだのであろうか。兄の仇相手に勝利を得たなら当たり前かもしれないが、マインドシーカーはそんな気分ではない。 「いや別に……」若干の不満を込めてマインドシーカーは拒否する。いつもなら拳が飛びかねない場面だが…… 「まぁ聞けってさ!ミヤゲもある」むしろミヤゲが出た。オーガニック・スシ折。脂の乗ったいいスシだ。 「……じゃもらうケド」か弱いマインドシーカーの不機嫌はまだ続くが、オーガニック・スシには勝てない。 フロッティは時折、このように奇妙な優しさを見せる時がある。普段は猛威を振るうが、気分の良い時は嫌に気前良くなって距離が近くなる……実にヤクザ的な優しさの示し方であった。殆ど厳しく扱い、時折情を植え付け、その思い出で縛る。どの程度意識しているかはわからないが、実際に取られている手段はヤクザ的情愛による支配のティピカルと言ってもいい。 それを持ち前のニューロンでよく理解しながらも、マインドシーカーはやはりスシには勝てない。ウマミ成分がニューロンを刺激し、彼女の疲労した体を癒やしていく。しかし、一日中タノシイな事をしても消えなかった不快感は、やはりこれでも消えない。 「……美味し」「だろ? 感謝して味わえよなァ」 フロッティは屈託なく笑い、いつもの暴力性が嘘のように気前良く振る舞う。万札でもくれそうな勢い。だがマインドシーカーとしては、いつもならヘラヘラ笑って受け入れるサイオー・ホースを素直に受け入れる気にはなれなかった。「ゴチソウサマ…一応アリガト」「ア?」食べきらず、少し残す。 怒りというわけでなく、シンプルに疑問を浮かべてフロッティはマインドシーカーの様子を訝しむ。この腰抜けはこういった機会は図太く楽しむような輩だった筈である。実際スシを食べ礼は言っているが、反応は想像を下回っている。感涙し食べた挙句失禁しドゲザして忠誠を誓うと考えていたフロッティの予想は裏切られた。いつもならそろそろ怒りを滲ませる所だ。 「アー……香水変えたか?」「……!!」 だが一つの壁を越え、より強力になったフロッティにはその理由も察せられる。ニンジャ洞察力なのだ! そして理由がわかれば、そこを切欠としてインタビューである。マインドシーカーの動揺に畳み掛ける。 「部屋も割に散らかってるよなァ」「いや」 「ドレス着てないのもいけねェ」「それは」 「お。ゴミ箱みっけ……ヘヘヘ。やっぱりあった」 ゴミ箱の中には使用済みの注射器が残る…… 「派手にヤったらしいな。エエッ?」「……そうだよ」 マインドシーカーは昏い目と沈んだ声で応える。 「いつだ?」「フロッティ=サンの前のビズの夜」 カラテ教団襲撃日の出来事と知っても、フロッティは特に驚きはしなかった。マインドシーカーが雑務の傍ら「客」を取らされる事は知っていたし、世の中にはマインドシーカーのように色気もへったくれもない女を好むヘンタイがいる事もよく知っていた。故に暗い顔をして悲しむ道理に目を向ける事もなく、同情する事もあり得ない。自業自得ですらあると考えていた。 「だから言ったろ。カラテなンだよ。アーシはカラテしてアンタは逃げた。その差ってやつ」それは厳然たる事実であった。マインドシーカーが奮発しカラテ教団への攻勢に参加していれば、少なくともその日の間、ジョルリめいてファックされ、弄ばれる事はなかっただろう。更にイサオシを得れば今後もオナーを傷つけられるようなことは無かったかもしれない。 「それでも……それでもヤだよ……死にたくないよ」 そしてマインドシーカーの懊悩もまた正しい。あの場にこのノーカラテの女がいたならば、容易く大蛇の餌にされていたのは想像に難くない。生存を目的とするならば、彼女の判断は誤りではない。だが判断の必要を招いたのもまた彼女のカラテの無さ、即ち弱さ故。 「被害者面してしみったれてンじゃねェーよ。せめてあん時キアイして、後方支援でも何でもすりゃまだマシだったかもだろ。ンだよ負けた理由にされるって」 辛辣な言葉にもマインドシーカーは無言。よほど激しく扱われた事がトラウマになっているらしい。 「生娘ぶってンなよ……」その言葉きり、沈黙しあう。 フロッティとしては当然のことを言っただけなのだから、気に病む事はありえないが必要以上に相手に突き刺さってもバツが悪い。一人のソンケイあるヤクザとしての道を歩み始めたフロッティは、舎弟の悩みをどうするか?という問いに晒されてもいたのだった。 だからこそフロッティはニューロンを稼働させた。 そして暫く考え込み、サケに酔った頭を捻り、何やらどうでもよくなってしまったのか、急に髪を掻いてマインドシーカーを見つめる。 「アー、面倒くせェ」「エッ?……アッ」 フロッティは一瞬でマインドシーカーに近づき、気づかれる前に容易く押し倒す。あまりのカラテの差にマインドシーカーは抵抗すらできない。「アイエッ」 顔を近づけ、抵抗を抑え込みフロッティは宣言する。 「アーシも使うぞ。最近火つけられなくて溜まってンだよ」「エ!? いやそれは……」「拒否権とかねェ」 全く色気のない普段着を剥ぐと、薄く肋骨の浮いた痩せぎすで平坦な体に注射痕の紫が目立つ腕。薄いそばかすの見える顔は美形と言っていいが、深いクマとギザギザで不並びな歯が不健康な印象を与えていた。 「アイエエエ!? 」「オマエはアーシの舎弟だ。そこんとこもう一回叩き込んでやる」「い、いやアタシの方がセンパ……んっ……」無理矢理唇を奪う。そして、軽く舌を噛んでやる。「痛……ッ」「今はアーシのが立場は上だ。オネエサンと呼びな」威圧した後「それともしファックされンのが嫌なら舌にピアスでも開けとけ。ヘンタイならヒく奴はヒくらしい」フロッティは屈託なく微笑む。「アーシはその方が好きだけどな」 「えぇ……?」目の前の理不尽極まる後輩の笑顔を見て、ただ性欲のまま襲い掛ったわけでなく、どうやら彼女なりの理屈で元気づけようとしている……?事を察すると、マインドシーカーは大いに困惑した。低知能極まるやり方だ。カートゥーンの読みすぎではないだろうかと。彼女の兄ならまずしないやり方。 実際呆れ返るような、自分本位な欲望の発露と衝動的な行為に取られてもおかしくない蛮行。フロッティもやっていてどこか気恥ずかしくなったのか、僅かに頬を赤く染めている。「何見てンだ」観察されている事に気がついて、文字通りコリのような眼光。 だが、体に触れるフロッティの体温はどこか暖かかった。冷たいクロームのサイバネに置換され、コリ・ジツの寒気に覆われてなお、体から伝わる熱。冬の夜の焚き木のよう。「……しょうがないなァ」何とも言えないぬくみを、彼女もまた感じているのだろうか。そう考え、何ともなく。受け入れていいように思えた。 「オネエサン、お手柔らかに」「知らね」 マッポーの夜。重金属酸性雨が降りしきる寒い夜。 いつか消える灯火を糧に、互いに熱を貪り合う。 果たしてこれがどちらかの思惑の上なのか、衝動の現れであるのかは二人ともわからないまま、前後し上下し傷つけ傷つけられる。 情というなの鎖で縛り合うような営みは続き、そのうち眼下の女体に体を預けるように、ゆったりとフロッティは眠ってしまう。それを見てマインドシーカーもまた僅かに嘆息すると、フートンも敷かぬまま泥のように眠りについた。 互い違いの悪夢を胸に、体温だけを重ね合いゆったりと褥を共にして。 不平等なマッポーの世界に、また救いのない朝が来る。