【オオヌギ・ ジャンク・クラスターヤード、ケイジャン】新たなビジョン 「ナムアミダブツ」 長いネンブツの果て、ケイジャンは静かなるその一言で弔いを締め括った。重金属酸性雨の降る中コートも着ず、ヨタモノを避けての埋葬である。以前のネオサイタマでの苦い経験は、ケイジャンにこの方法を学ばせた。 だが看取る者のいない死体…暗黒メガコーポの暴虐の果て、オハカを持つことすら叶わぬ家なき故人のために行った供養は、勿論彼にとって何らの益を齎すことはなく、感謝する者もいない。供養の途中僅かに顔を出した晴れ間だけが唯一の証人だ。 「よう、坊さん。……隣いいかい?」 ふと、背後から男が声をかけてきた。涼やかな声に振り向くと、そこには人当たりの良さそうな顔。一房に結んだ長髪を吹いた風で揺らして、笑顔とも困惑ともつかぬ曖昧な表情。 「……ええ、ドーゾ」 ケイジャンもまた笑顔で応える。しかし男のアトモスフィアに、柔和な笑みも僅かに硬直。 男はニンジャだ──敵意こそ感じないが、ヤマ半島での一連の出来事からその存在を理解し、ツノの生えた終生の友を得たケイジャンにはわかる。 「ネンブツをあげてたのかい。こんなところでか?」「そのような大層なものではございませぬよ。拙僧のような不心得者では、ブッダの御慈悲をただ祈るばかり…」「流石ボンズ。実際謙虚だよ」 男は僅かに笑う。その眼の奥には笑みは宿っていない。 「センコ代わり……というと不謹慎だけどさ、タバコいいか? 最近ビズやら病院やらで、落ち着いて中々吸えないもんで」「ははは、お好きな故人も多いでしょうな。お体に障らぬ範囲なら、ごゆるりとドーゾ」「悪いね」 慣れた手つきで男はタバコに火をつける。箱には、「少し明るい海」の文字。 煙を吸い、吐くと、男はケイジャンの隣に座った。 「近頃はだいぶ減ったな、ここの住民もよ」 「伺っております。再開発も計画されているとか」 「そうそう。なんだかの自然公園になるかもだとよ」 「……存じておりますとも」 ストリートからは、一部の極めて気骨ある住人やヨタモノ以外は去りつつある。先だったオムラ・インダストリの暴虐は収まってはいるが、オオヌギに残る限り、住民達が再開発に先立った犯罪温床浄化プロジェクトという、無慈悲なる権力の暴虐の手から逃れる術はない。 生活があろうと、命には代えられない……ネオサイタマの吹き溜まりと呼ばれる地域に住まう者であっても、明日を生きんとする意志を持たないわけがない。 だからこそオオヌギ・ストリートから人は去る。たとえそれが、矮小ながらも確かにあった、自らの誇りや先祖すらも捨てることに繋がったとしても…… 右手にタバコを移し、再び煙を吐いてから 「……あのよ、坊さん。気を悪くしないで欲しいんだが、率直な疑問だ」前置きを伝えて男は話す。 「わざわざこんな治安の悪い所に来て、わざわざ誰にも頼まれずにネンブツあげるのはナンデ?」 ケイジャンが答えようとするのを、男が手を前に出して止める。「ええと、聞き方が悪かったな。ボンズだから、とかじゃなくて、アンタ個人として……ここの無くなっちまう人やモノのために供養する意味……死者に目を向けるワケとか、心境とかを聞きたかったんだよ」 男はセンチメントを感じているように見せかけながら淀みなく語る。「成果なく石を河原に積み続ける理由やいかに、ってな。ゼンモンドーみたいな興味本位だ」 ケイジャンは若干返答に困る。「理由、ですかな」 男はケイジャンが口籠るさまをつぶさに観察している…何か思惑あって問うている事は明らかだ。男の気に障る答えを返せば、ニンジャの暴虐がすぐさまケイジャンに向くかもしれない。 だが、ケイジャンができる解答は一つだけだった。 「拙僧が、そうしたいからですな」 「そうしたい」「さよう」「ナンデ?」「うーむ……」 また言葉に詰まる。テンプルのアプレンティスの如き有様に自嘲しつつ「拙僧がこうしていられるのは、何か途方もない導きの上にあるように思えてならぬ故です」 ネオサイタマ旅行の衝撃。アンダーガイオンの惨状。両親の死。ボンジャン・テンプルへの入門と堕落への失望。旅の中での修行とヨタモノに襲われる日々──ヤマ半島での出来事を境に、ケイジャンはしきりに思い出す。何処かで道を間違えれば、己は恐るべき獣となっていたのではないか?と。瞼を閉じると現れる、ツノのついていた友だったものの眼が、常にそれを語ってくる。 「であればこそ、稀有なる導きのまま……己がしたいと思ったことを為し、拙僧の身に余るもの……功徳や幸運を衆生に分け与えねばと思ったまでのこと」 「意味がなくて、すぐ消えちまうもんでもか?」 「さよう」 「……実際よくわからんね。あんたも死んじまったら終わりだし、ここも無くなりゃ忘れられる」 「さよう。……されど、残るものもあるのですぞ」 「なんだい」男の声からは、虚無を感じた。 「弔った者の心には、弔われたものが残るのです」 ケイジャンは男に向き直った。 「忘れ去られることなく、残り続けるのです」 ケイジャンは男に語りかけた。 「貴方にも、そのような人がいるのでは?」 男は僅かに目を見開き、瞳孔が縮む。 数秒ほど時間をかけてから、再び微笑んだ。 「いないよ。寂しい人生なもんでね」 「それは……シツレイ致した」 「いいよ。シツレイなのは俺の方だ」男はまた曖昧な表情になる。「それに、供養したい相手までいないわけでもない」 「坊さん。俺も弔っていっていいかい。縁もゆかりもない他人に相乗りするのも妙な話だけどさ」 「勿論ですとも」 男のアトモスフィアは変わっていた。それが男が意識した事であるのか、そうでないのかまではケイジャンにはわからない。 だが、男が去るまでの僅かな間、ケイジャンと男にゼンめいて穏やかな時が流れたのは事実だった。 ケイジャンが再び旅を始めても、死者達への弔いの心と共に、その事を忘れる事はないだろう。 ───────── 「モシモシ……ドーモ、ソニックブーム=サン。俺です。ハイ」物々しい車の中、着信を受けて男は応える。 「アイツはシロですね。ただの奇特なボンズです。理由つけて暫く観察して見ましたが、IRC用品も無し仲間の気配も無しましてニンジャでも無し。事前情報通りのオハギの運び屋じゃなさそうですぜ」男の口にはメンポ。服はニンジャ装束。胸元にはソウカイヤのマーク。 「……ああいや。情報が嘘だったってなると、運び屋の目星はある程度つけられるんで……今頃高跳びの準備でしょうから、このままやってきます」静かに、穏やかに「確実にぶっ殺します」こともなげに言った。 電話を終え、男……ソウカイヤのニンジャ、ウィンドハッカーは空振りに終わった仕事にため息をつくと、備え付けられた冷蔵庫から好物であるピーマン・スシを取り、食らい、僅かな休息を取る。 シャリの味、ピーマンの苦味と共に口に残る煙の味。運び屋への合図と騙られて、わざわざ絶版のものを手に入れ吸ったタバコは、いつもの銘柄より不味かった。 「趣味が悪いぜ……」 ウィンドハッカーは吐き捨てると、俄に目を瞑る。 瞼の裏側には暗闇と外からくる僅かな光があり、供養の後に残るという、失われたものの影は現れてこない。 彼の先達であった女ヤクザの姿も、現れない。 「そりゃあ、そうだよな」 自分達ヤクザはそういうものだ。敢えてジゴクを往き死して残るものはなし。その中にあって唯一、死してなお失われることがないという、絶大なソンケイさえも時が奪ってしまう事は最近よく理解できた。 だからこそウィンドハッカーは生きる事に貪欲だった。 カラテ鍛錬も、サイバネの移植も、他人から見れば愚かとしか移らぬシュラインへの参拝も、全てそのためだ。 あのボンズ……ケイジャンのように、己自身を犠牲にして死者に目を向ける事は、確かに一つの在り方だろう。だがウィンドハッカーの生き方ではなかった。 だからこそ、ただ困惑と嘲りとリスペクトをもって、何を成すでもなく静かにその場を離れることができた。 ケイジャンがもしオハギの密売人……自らと同じジゴクを行くものであったというなら、ウィンドハッカーは容赦なく彼を殺しただろう。どのような世界でもそれは変わるまい。ソンケイに囚われたヤクザは、変われない。 彼が姉貴分と慕った女も、きっとそう言うだろう。 「実際その通りですぜ……」 ウィンドハッカーは朧げに彼女の声を脳裏に浮かべ、すぐさま忘れ去り仮眠を始めた。