シャクシャクシャク―― 地熱が地面から立ち込める鉱山地帯の道中、額にじんわりと汗を張り付かせ、かき氷を頬張りながら霜桐雪奈が神妙な顔をしているのをブルコモンは見つめていた。 彼女が機嫌のいい日というのはあまり多くない。先ほども露店のかき氷屋で宇治抹茶味を頼もうとしたが、あいにく売り切れていたためにブルーハワイ味で妥協したばかりである。 なんでデジタルワールドにかき氷が売ってるんだ、なんでここでも買えないんだという雪奈のボヤキはいまだブルコモンの耳にはっきり残っていた。 「ねえブルコモン……」 雪奈が食べる手を止めて口を開く。 彼女がこのような顔をしているときはたいてい何かを愚痴りたいときである。 ん?と軽い反応を返し、ブルコモンは相棒の不満を受け止める心構えを取る。 「……あたしって脚太い?」 予想外の角度から飛んできた問いかけだが、ブルコモンには思い当たる節があった。 先日交流のあった國代涼子が連れていたアグモンに『良子に負けないぐらい脚太いな』と言われたことを未だに根に持っているようだ。 余談だがその言葉を発したアグモンは直後良子に折檻された。 「いいことなのではないか?たくましい脚部は旅をするにも戦闘をするにも必須といっていい。足をやられては空を飛べない限り何もできないぞ。それにおれは人間の足はどの程度が標準なのか知らない」 ブルコモンの応えに雪奈はため息をつく。 雪奈はたくましいと言われた脚をさすりながらため息をついた。 「は〜わかってないな〜。女の子はこういうの気にするものなんだよ。それに良子ちゃんや颯乃ちゃんは身体動かすじゃん?わたしはか弱い文化系女子中学生だよ?」 知人の名を挙げられブルコモンは良子と颯乃のことを思い出す。たしかにこれまで出会ってきた人間たちの中でも二人は特筆すべきたくましい脚だった。二人のこれまでの努力と築き上げていたものを思い起こさせるが、自分のパートナーの脚も負けず劣らずである。 「鍛えてないのに匹敵するのなら雪奈は才能があるということだな?」 「いやいや、鍛えているのに鍛えてない人に追いつかれたらなんか腹立たない?それに二人とわたしのじゃ太いにしても種類が違うの」 「ならば鍛えれば二人よりさらに太くなれるな!」 あーもうそうじゃないと雪奈は頭をかく。このデジモンは基本的にいいやつであることは理解していたが、たまに天然なのではないかと思うことがある。 ブルコモンは残ったシロップなしかき氷を流し込むとそういえばと口を開いた。 「颯乃といえば、『マグメル』について希理江が知っているかもという話だったな」 「あ、話をそらすな。まああくまで『かも』だけどね。あの娘行動範囲広いしひょっとしたらと思って。それに颯乃ちゃんからの頼みだしね」 希理江は以前、突如空から落ちてきた少女だ。少々の会話と小さな騒動で雪奈と縁ができた彼女は、自分たちの目的である『空の先』を求めて旅をしている。その好奇心とパートナーのジャザードモンの移動力から、広大なデジタルワールドについての知識を少なからず有していた。 ちょっとした親切心から颯乃に協力を申し出た二人は、希理江なら颯乃が求める『マグメル』について何か知っているのではと後を追いかけることにしたのだった。 「希理江ちゃん今はエグザモンに会いに行ってるんだっけ?なんかすっごい大きいらしいし、案外簡単に見つかるんじゃない?」 「いや、エグザモンはロイヤルナイツだ。本来デジタルワールドの危機にしか姿を現さない。パートナーを連れているというのなら話は別だが……」 「ふーん……ま、希理江ちゃんが本当にマグメルを知っているかは分からないし、焦ってもしょうがないか」 本来目的のない旅である。デジモンイレイザーなる不届きものが来れば降りかかる火の粉は払うが、こちらから打って出るようなことはないし、リアルワールドは帰れるものなら帰りたいが、だからといって躍起になって帰還方法を探すほどではない(無論頼まれれば協力するが) デジタルワールドでの非日常、本来なら縁のない人々との出会い、何よりこのパートナーデジモンとの旅は雪奈にとって悪いものではなかった。 話は一区切りと雪奈はまだ残っていたかき氷を食すためにスプーンを手にする。 このあたりは地熱の影響か少々暑い。石礫だらけの見渡す平野には切り取られた巨大な岩が点在し、かすかに暖かいそれは周囲の気温をさらに上げる。できることなら早く抜けてしまいたかった。 その時、ブルコモンの声が響いた。 「危ない!」 ブルコモンがとっさに雪奈を押し倒すと、さっきまで雪奈がいた場所を青い炎が通り過ぎる。 炎が持つ熱量は距離があるとはいえかき氷を瞬時に溶解し、青い液体が倒れた雪奈に降りかかる。すでに冷たさは失われ、温くべとついたそれは雪奈の白い服を汚した。 「うぇ!?何!?」 「誰だ!」 雪奈をかばうようにブルコモンが前に出る。下手人は巨大な身体に幾重にも鎖を巻き、青い炎を身に纏った鉄仮面のデジモンだった。 デスメラモン 高熱の青い炎に身を包んだメラモンの進化系デジモン。身体から噴き出る炎は青く燃え盛っている。 必殺技は体内で重金属を溶かして敵に吐き掛ける『ヘビーメタルファイアー』 「うへぇ〜べとべと……何なの一体……」 かつてかき氷だったものを引っかぶって辟易する雪奈。そんな彼女をデスメラモンは生気のない目で見つめている。 混乱していた彼女も一瞬にして状況を理解した。 「どうやら正気を失っているようだ。やるぞ雪奈!」 「デジモンイレイザー?だっけ?の仕業かな?あーもーしょうがない!やっちゃえブルコモン!」 デジヴァイスを掲げる。それは選ばれし(あるいは選ばれなかった)子供たちとデジモンを繋げる絆の証。パートナーに更なる力を与えるもの。液晶画面から放たれた光がブルコモンを進化させる! 「ブルコモン進化!ペイルドラモン!」 光が収束するとそこには氷の翼を備えた竜の姿があった。 ペイルドラモン 大きな翼は悪天候をものともせず、高速で飛行することが可能。 必殺技は吐息で敵を凍らせる『アイスエイジ』と、自分を巨大な氷塊に見立てて上空から突進する『メテオヘイル』 「相手は見たところあっちっちだよ!それだけで大丈夫!?」 「問題ない。この程度の相手これで十分だ!雪奈は岩陰に隠れていろ!」 相手は完全体。おまけにペイルドラモンが苦手とする火炎系デジモンである。同じ完全体、あるいは究極体になれば勝率は上がるだろうが、それにはそれ相応の負担がかかる。 不利な条件は望むところ。臆することなくペイルドラモンは炎の巨人に向かっていく。 背に備えた氷の翼から冷気を放出し、ペイルドラモンは一瞬にしてデスメラモンの視界から消える。 上空に飛び上がった氷竜は強烈な冷気を浴びせかけた。 『アイスエイジ!!』 あらゆるものを凍らせる冷気のブレスがデスメラモンの炎を弱らせる。しかしデスメラモンが纏う蒼炎はその巨体を凍らせることを防ぎ、逆に炎を纏った腕で殴りつけてきた。 「グオオオ!」 ペイルドラモンはそれをヒラリと躱す。巨人の腕は地面に穴をあけ、跡から蒸気のように熱が揺らめいている。 当たることはおろか、捕まれば纏っている熱気は身を守る氷の鎧をたちまち溶かしてしまうだろう。 (直撃はもらえない。上等だ!) 一気に飛翔すると一瞬にしてデスメラモンの背後を取り、氷の爪で切りつける。 痛み、というよりは感触で振り向いたデスメラモンだが、そこにはすでに竜の姿はない。 また背後から攻撃、離れて今度は横からの攻撃。熱気がこちらの氷を解かすなら、その前に離れてしまえばいい。 ペイルドラモンの冷気は青い炎の勢いを弱め、着実にダメージを与えていく。 炎で氷が溶かされるのが先か、氷が炎を凍らせつくすか、力比べが始まった。 「グオオオ!!」 デスメラモンは巨大な腕を振り回す。しかしペイルドラモンのスピードを捕えきれない。 周囲に漂う熱量はペイルドラモンの放出する冷気によって冷やされ、身を守る炎は徐々に勢いを弱めていく。 いら立っていく炎の巨人は、しかし視界の端に巨大な岩陰に隠れた人間の少女の姿を捕えた。 「グオオオオオオオォォォォォ!!!!!!『ヘビーメタルファイアー』!!!!」 雪奈に向かって溶けた金属の塊を撃ちだす。 「うわっ!」 とっさに岩の裏に走りこむ雪奈。隠れることはできたがこのままでは岩ごと彼女の身体が溶かされてしまう。 「させるか!『アイスエイジ』!!」 冷気のブレスは金属の塊を追い抜き、雪奈が隠れた岩を凍りつかせる。デスメラモンの技は氷の表面を溶かしこそしたが、氷に守られた岩は金属塊の熱量を減じ、その形を保っていた。 「……ふー、間一髪。ありがとう、大丈夫だよペイルドラモン!それよりこれ使えるんじゃない!?」 「……!そうか、俺はとにかく運がいいらしい!」 雪奈の提案に合点がいったペイルドラモンはデスメラモンの顔にとび蹴りをいれ体勢を崩すと、岩のそばに降り立つ。 大岩がここにあったこと、凍らせればデスメラモンの技では岩を砕けないこと。彼の(あるいは彼女の)幸運がこの一手を生み出したのだ。 「ふんぬおおおおおおおおお!!!」 デスメラモンの倍はあろうかというその大岩が、ペイルドラモンによって持ち上げられる。 冷気の翼を最大出力で放出し、巨大な岩はペイルドラモンごと空に舞い上がった。 全身から放出された冷気はたちまち大岩を凍らせていく。それはまさに巨大なツララだった。 その氷岩ごとペイルドラモンは炎の巨人に突撃する。 「グオオオオオオオおおおおお!!!!!『ヘビーメタルファイアー』!!!!!」 体勢を立て直したデスメラモンは苦し紛れに灼熱の金属塊を撃ちだす。 しかし金属塊は徐々にその氷を溶かしつつも、氷に守られた岩とその奥のペイルドラモンを焼き尽くすことができない。 「いっけー!」 「喰らえ!!!『メテオヘイル!!!!!!』」 岩の質量も加えた氷塊がデスメラモンに襲い掛かる。 さしもの力自慢の巨人もその圧倒的な質量になすすべがない。 巨大なツララは敵を地面に押し付けたまま、突進の勢いで砕け散る。 すべてが終わった後には、横たわる炎なき巨人とそれを見下ろす氷の竜の姿があった。 「はぁ〜。お疲うわわっ……」 激闘を繰り広げたパートナーのもとに雪奈が駆け寄ってこようとしたところで、ペイルドラモンがまき散らした冷気がところどころ辺りを凍らせており脚を取られてしまう。 とっさに踏ん張り間一髪転びそうなところを支えたのは退化してブルコモンに戻ったパートナーだった。 「おっと、雪奈もいい逃げ足だった。それにいい踏ん張りだ」 「いやもっと他に言うことないの?」 ブルコモンとしては素直な賞賛のつもりだったが、雪奈には不満のようだった。 体勢を立て直す。そういえば彼と出会った時もこんな感じだったっけと不意に懐かしくなった。 そんな気分に水を差すようにブルコモンが続けた。 「やはり雪奈には素質がある。もっと鍛えればもっとうまく立ち回れるようになるだろう」 「そうじゃない。いやこれ以上太くなりたくないんだけど……それより服びしょびしょ、どこかにコインランドリーない?」 肌に張り付いたシャツはその奥に秘されたものを浮かび上がらせた。見るものが見れば非常に煽情的な絵面だが、このパートナーは特に気にする様子はない。 それは雪奈も同様で、すでにいちいち気にする間柄でもなかった。 「こいんらんどりー?とやらは知らんが、洗濯なら川ですればいいだろう」 「で、その川は?」 あたりを見回す。水も枯れる鉱山地帯に当然川はないが、戦闘中に撒きたらされた氷があった。 「運がいいな!少し待てば氷が解けて水になるぞ。もっともおれの冷気だからいつになるかは分らんが」 「よくない!どっちの意味でも!」 この暑い中ろくに涼も取れぬままかき氷を台無しにされたことも(もっとも、辺りの氷で多少涼しくなったのだが)併せて、自分の不幸を恨めしく思う声が周囲に響いた。 今度希理江に会ったら洗濯できる場所を可能な限り聞いておこう。そう心に誓う雪奈なのだった――