二次元裏@ふたば

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133747 B24/03/30(土)20:53:00No.1173153064+ 21:53頃消えます
「おつかれ、シービー」
「うん、おつかれ。またね」
少し急ぎ足でするりとトレーナー室を抜け出していった彼女の背中と、壁に架かったカレンダーを交互に見つめる。2月も終わりに差し掛かったその日は、時計が指す時刻に対する日の傾きも随分と伸びてきていた。
「また水曜日か」
一人になったトレーナー室で、確認するように小さく声に出す。予想はついていたからお茶もお菓子も用意しなかったが、何をするか先が読めない彼女の行動が予想通りだというのは、なんだか少し奇妙に感じもした。
少し前から、彼女は水曜日になると学校を早く抜け出すようになった。練習がある日はそれが終わり次第、寄り道するでもトレーナー室で寛ぐでもなく、日が暮れる前に校門をくぐってゆく。
そんな行動パターンは、既に今週で4回目になっていた。何をしているのか聞いてみてもいいが、もしなんでもないことだったときに彼女にからかわれることを想像すると、少し気恥ずかしくて言い出せずにいたのだった。
このスレは古いので、もうすぐ消えます。
124/03/30(土)20:53:14No.1173153202+
そんなとりとめもない考えを少し弄んで、だからといって何をするでもなく帰ろうと玄関に辿り着いたときのことだった。下駄箱から靴を出している彼女を見て、思わず身を隠してしまった。
「…だからって、これはまずいよなぁ」
何一つやましいことなどないはずなのに、どうして自分は今変質者まがいのことをしているのだろう。それだけ気になるのなら、今出ていって彼女に聞けばいいだけのことなのに。
彼女と出会って、同じ時を過ごすようになって何年も経った。だから、きっとすっかり彼女に毒されてしまっているのだろう。
そのとき自分は、彼女が何をしているのか気になる以上に、彼女に内緒でそれを探ることのほうが楽しくなってしまっていたのだ。
224/03/30(土)20:53:31No.1173153326+
校門をくぐる彼女を、10メートルほど離れて追いかける。
学校を出た足取りは軽やかだったが、だからといって急いで走り出す様子はないのは、ウマ娘ではない自分にとっては幸いだった。いつもの散歩のように寄り道や目移りをする様子はなく、何かを目指して一直線に歩いているのは事実だが、到着を急いでいる様子はない。
何よりも、その歩調が弾むような、楽しそうなリズムを刻んでいることに安心する。彼女に限ってその線はないだろうが、何か気乗りのしないことを無理をしてやろうとしているわけではないということは、足取りから見て取れた。

ほっとしたからか、余計な雑念が思考に紛れ込んでくる。軽やかな足取りがいつの間にかスキップに変わっていた彼女が、今どんな顔をしているのか見たくなってしまった。
いつも隣に立とうと努めていたからか、後ろ姿がやけに新鮮に映る。心なしかさっきよりも楽しげに揺れる尻尾の先を、知らず知らず目で追ってしまう。
探偵としては三流もいいところだろう。尾行している相手の後ろ姿に見惚れるなんて。
324/03/30(土)20:53:44No.1173153427+
そんなふうにくだらないことを考えていたせいで、彼女が急に動きを変えると、それに対する反応が遅れる。いきなり彼女が立ち止まるものだから、距離を詰めすぎないように慌ててこちらも立ち止まった。
人混みに紛れるなり何なりすればいいものを、素人の自分はただその場に呆と突っ立って、彼女の仕草に目を奪われてしまった。
後ろ手に指を組んだ彼女の身体が、軽やかにくるりと半回転する。その動きをなぞるように尻尾がたなびいて、どちらを見ていいやらわからなくなってしまう。
見たくて仕方なかったその表情は、ひどく楽しそうに綻んでいた。

彼女から視線を逸らすどころか、いつの間にかまじまじと見入ってしまった。彼女の顔つきが爽やかな微笑みからにやにやとした悪戯っぽい表情に変わるのにそう時間はかからなくて、その笑みが近づいてくることもただ受け入れることしかできない。
「捕まっちゃったね、スパイさん」
細い指で優しく手を掴まれただけのささやかな拘束で、たった20分足らずの探偵ごっこはあっさりと終わりを告げた。
424/03/30(土)20:54:19No.1173153701+
こっそりと後を尾けられたとわかっても、彼女は怒るどころか、むしろ興味深そうに笑っていた。
「逃げないんだ」
「逃げたって捕まえるだろ?」
「まあね。なんでそんな面白いことしてるのか、気になるし」
彼女による実に緩やかな取調べが始まる。黙秘するつもりもその価値もないしょうもない理由しか持ち合わせていないものだから、その行程は実にあっさりと進んだ。
「毎週、この時間になると出かけるだろ?
何してるのかなって気になって」
「じゃあ、なんで直接訊かなかったのかな?」
「こっそり追いかける方が楽しくなっちゃってさ」
「あははっ!ちょっと似すぎじゃない?誰かさんにさ」
彼女が遠慮なく笑い飛ばしてくれたことを、少し嬉しく思う。こんなどうしようもない理由なんて、せめて彼女に喜んでもらうほかに行き場所はないのだから。
524/03/30(土)20:54:32No.1173153810+
ひとしきり笑った彼女が再びゆっくりと歩き出すと、今度は同じ歩調で後をついてゆく。
「あー、笑った。
笑わせてもらったからさ。どこに行ってたか教えてあげる」
また、楽しい時間が始まる。
今度はいつものように、彼女の隣で。
624/03/30(土)20:54:46No.1173153907+
上り坂の傾斜をもろに脚に感じて、思わず額の汗を拭う。彼女に連れられてやって来たのは、街外れの小高い丘だった。
「もうすぐだよ」
その言葉に背中を押されるように、脚を一歩ずつ前に出す。木々の隙間から差し込む夕日が、今はやけに鮮やかに見えた。
丘の頂上は、少し開けた高台のようになっていた。街を見下ろす窓のような隙間を開けて、木々が広場の周りに点々と植わっている。
その真ん中には一際大きな山桜の木が、空を覆うように伸びていた。

「立派でしょ。でも、ここは桜だけじゃないんだ。
春に咲くいろんな木や花が何種類もあるんだよ」
一本の木の枝をそっと撫でて、彼女が呟いた。その指先には、まだ膨らみかけの新芽がしっかりと立ち上がっている。
「観に来ることにしてるんだ、一週間に一回」
木の幹に背中を預けた彼女の隣に、ゆっくりと腰を下ろす。
「この芽がちょっとずつ大きくなってるのを見るのが好きでさ。ちゃんと生きてるんだなって、伝わってくる感じがして」
頭の上で大きく腕を伸ばした木の枝に見惚れるように、彼女はそう呟いた。そっと目を閉じて、いつかその芽が大輪の花をつける瞬間を、想像するように。
724/03/30(土)20:55:02No.1173154031+
いつもそうだ。
彼女が見ている世界は、自分の生きている世界と同じなんだということが信じられないくらい、美しくてわくわくする。
「街外れで道路もないからなのかな。こんなにいい場所なのに、誰もここに来ないんだ。
だから、この木々たちが花をつけたらどんな景色になるのか、きっと誰も知らないんだよ」
子供みたいと言われても、退屈な日常から抜け出してその世界に入ってゆく逃避行が、どうしようもなく楽しくなってしまうくらい。

「いいな、それ。
卒業式のころには、きっと満開だろうな」
「ふふふっ。そうでしょ?ロマンあるよね、自分だけが知ってるかもしれない絶景なんてさ。
だからさ。見に行こうよ、一緒に」
そう語る彼女の共犯者になるのに、そう時間はかからなかった。
彼女の隣でその景色を見られるという報酬に、勝るものはないのだから。
824/03/30(土)20:55:19No.1173154141+
その次の週から、彼女の下見に同伴者がひとり増えたことは言うまでもない。図書館から携帯用の植物図鑑まで借りて、どんな花が咲くか想像してみるというのは自分でも入れ込みすぎだと思ったが、図鑑の写真とまだ何の色もついていない木の枝を見比べては、大きくなってゆく新芽に思いを馳せるようにゆっくりと指を走らせる彼女を見られるなら、存分にのめり込んでやろうと思った。
「自分の目で確かめたいから、写真は見ないようにしてたんだけどさ。
でも、いいね。想像が膨らむよ。
楽しみだね。どんな景色になるのか」
彼女の言葉を運ぶそよ風は、少し春の陽気を帯び始めていた。もう膨らみ始めた蕾をカメラに収めて先週のそれと見比べると、もうすっかり花盛りの時が近いことがわかる。

そんな花たちを愛おしく思うと同時に、少し困ってしまった。
「ああ。本当に楽しみだ。
…どんな色になるのかな」
「ふふふっ。どんなだろうね。
その時までわからないから、きっと楽しいんじゃない?」
大輪の花を見たいと思っているはずなのに、美しく咲くまでの道程を彼女と共に愛でる時間が楽しくて、いつまでも咲かなくてもいいとさえ思ってしまうから。
924/03/30(土)20:55:35No.1173154272+
いつも通りの食事と風呂が、今日はやけに心地よく感じる。それが山道をほどよく歩いたせいなのか、それとも彼女が家に来て、食卓を共にしているせいなのかはわからないけれど。
「蕾、もうすっかり大きくなったね。ちょっと咲いてるのもあったな。
来週の終わりには、もう全部満開になるかな」
「ああ、多分そうだな。
…来週かぁ。もう、卒業なんだな」
「そうだね。
寂しい?ふふふっ」

頬杖をついて揶揄うように笑いかける彼女に、同じように笑いながら答える。
「寂しいよ。シービーがいなくなったら」
こんなに素直に自分の気持ちを口にできるのは、それを聞いた彼女が笑ってくれるとわかっているからだと、思った。

『──週末の夜から未明にかけて、〇〇地方は強い春の嵐に見舞われるでしょう。沿岸、沖合では、高波に十分な警戒が必要となります──』
1024/03/30(土)20:56:07No.1173154478+
ただ立ち尽くす彼女に気の利いた言葉のひとつもかけてやれない自分の情けなさを、ひどく恥じた。そのとき自分も、彼女と同じかそれ以上に打ちのめされていたからだ。
夜にかけて強い風が吹くという予報は聞いていたが、眠りを妨げるほどの風の音と、朝起きて道に散乱する木の葉や、どこから飛んできたのかわからないポスターを見ると、それが途端に現実味を帯びてきた。

赤、青、紫、桃色。
見渡す限りの色の海。そして、地面に広がるそれと対比したような、無機質な褐色の枝。
昨日までそこにあったであろう花びらたちは、無慈悲にも全て風が吹き飛ばしてしまっていた。
1124/03/30(土)20:56:25No.1173154601+
「…シービー」
慰めようと声をかけたのに、その声が情けないほどに震えていて、また自分が嫌になった。
振り向いた彼女は、こんなにしゃんと立っているのに。
「残念。
…でも、仕方ないよね。花は散るものだもの。
アタシたちは、その間にお邪魔させてもらってるだけだ」
そう話す彼女の声には、投げやりさも不満も感じられなかった。ただ、どこまでもはっきりと自覚している事実を、ありのままに受け入れようとしていた。
だからこそ、その笑顔に隠しきれない一抹の寂しさが混じっているのがわかると、それが切なくてたまらなかった。
1224/03/30(土)20:56:37No.1173154679+
花に嵐の喩えもあると、誰かが言っていたことを思い出す。
別れの季節に相応しいその言葉は、美しいけれどあまりにも残酷だった。
あんなに激しかった風は、次の日にはぴたりと止んでいた。だからこそ、地面に散ってしまった花びらがあの日から少しも動かずにそこにあることで、あれは現実だったのだと嫌が応にも思い知らされる。

ここに来ると、彼女の笑顔を思い出す。
まだ小さな蕾がすくすくと育ってゆくのを、楽しそうに微笑みながら見守っていた彼女のことを。
そして、それが散ってしまったときのやりきれなさを覆い隠すような、綺麗なのに寂しい微笑みも。
なんでもいい。何かしてあげたい。
今は隣に誰もいないその景色を見て、心からそう思った。
1324/03/30(土)20:57:00No.1173154867+
学園が騒がしくなることは一年に何度かあるけれど、今日はその日のうちの一つだ。
別れを惜しむ後輩の声。新たな門出を祝福する教師たちの声。かつて自分も経験した、とうに過ぎ去った記憶を改めて見せられると、どこか面映い感触が拭えない。
そんな卒業式の喧騒も、日が傾く頃には落ち着きを見せていた。卒業生たちは街に繰り出して、思い思いの場所で在りし日の思い出を語り明かしているのだろう。
一人旅が好きなシービーも、今日ばかりはそんな懐古主義者たちの仲間入りをしていたのだった。別々の道に進む友人と積もる話もあるのだろう。いつでも会える自分が出る幕ではない。
だから、独りで黙々と準備に集中した。この学園で過ごす彼女の最後の思い出を、できる限り美しいものにしてあげたかった。
1424/03/30(土)20:57:13No.1173154946+
手足は作業のために動いていながら、頭ではずっと彼女のことを考えていた。彼女に出会い、その走りに、生き様に惹かれて、共に駆け抜けた幾年の想いを。美しい顔を泥塗れにしながら、それがただ楽しいと言うように笑いながら駆け上がる彼女を見ていると、雨の雫さえもその姿を彩る宝石のように思えた。
姿貌も、その走りも、生き方も。彼女は何もかもが特別だった。そんな彼女にいつしか憧れ以上の感情を向けるようになって、彼女もまた同じ想いを抱いているとわかったときの喜びは、今でも鮮明に覚えている。
文字通り、生まれ変わったと思った。退屈だった人生を、彼女という春風が何もかも吹き飛ばしてしまった。
その日から、自分の生き方も決まったのだ。彼女と同じように。
好きなものに、愛するものに殉じて生きる。
自分にとってのそれは、彼女の生きる姿そのものだった。
1524/03/30(土)20:57:24No.1173155041+
『グラウンドまで来てくれるか』
用件も話さずにただそう告げた後で、グラウンドに出て彼女を待った。彼女にとってはその方が魅力的な誘い文句だということがわかっていたからだ。
「…すごい。
これ、全部きみがやったの?」
後ろに感じた聞き慣れた声が少なからず驚きを含んでいたことに、内心でほくそ笑む。いつも彼女に驚かされてばかりだったから、偶にはこちらが驚かせてやりたかったのだ。

赤、青、紫、桃色。
あのときのように地面に散らばっていた花びらが、今度は青いターフを埋め尽くすように咲いていた。
「なんとか間に合ったよ。
あのときの埋め合わせだったのかな。風が全然吹かなかったのも助かった」
拾い集めた花びらは、固めつつもあえて少し乱雑に並べた。本当の野の花たちがそうであるように。

見られたはずの本当の景色には、到底及ばないかもしれないけれど。
今まで自分が見た一番美しいものは、いつだってここにあった。
だから、飾ってあげたかった。自分にできることは、送り出すことと迎えてあげることだけだから。
1624/03/30(土)20:57:45No.1173155212+
プレゼントの入った箱をあえて細目で覗き込む子供のように、彼女が隣に座って初めて、横を向いて顔を合わせる。
その表情は、今まで見たことのないものだった。どうすればいいのかわからないという困惑を、彼女が顔に出すのは珍しい。
「どうしよう。うれしいのに、ちょっと困っちゃった。
走りたいのに、走るのがもったいないや」
それを見て、ひどく満足した。
嬉しくてどうしたらいいかわからないなんて言葉が、彼女の口から聞けるなんて思っていなかったから。
「ありがとう。
でも、走ってほしい。ここはシービーのための世界だから」

その言葉を聞いて、彼女は漸く心を決めたようだった。
「うん。わかった。
勝負服、ある?」
今まで何度も見てきた、眩しいくらいの好奇心と楽しみに満ちた輝きが、彼女の瞳に宿っていた。
1724/03/30(土)20:57:56No.1173155316+
夜の静寂に包まれたターフを、彼女が大地を蹴る音が切り裂いた。
始めはゆっくりと、ペースを図るように。けれどそんな秩序がすぐに終わることは、何度も見てきてよく知っている。
ターフが彼女を呼ぶ。彼女の心は、その誘いを断れない。
脚を、心を弾ませて、どこまでもどこまでも、自由な風になって駆けてゆく。そんな彼女を見ているのが、何よりも好きだった。

彼女が一際強く大地を踏みしめて、猛然と駆け出したその時。
「あ…!」
止んでいたはずの風が、そよそよと吹き始めた。

始めはゆっくりと吹いていた風は、彼女の走りに触発されたように、どんどんと強くなっていった。
彼女が呼んだ風が。大地を踏み鳴らす鼓動が。
花びらたちを、夜空に高く舞い上げた。
空の真ん中の、真ん丸な月まで届くくらいに。
1824/03/30(土)20:58:18No.1173155479+
色とりどりの嵐の中を、何よりも眩しい笑顔で駆ける彼女を見て、つい声が漏れてしまった。
「…ずるいなぁ」
こんな姿を見せられて、惹かれるなという方が無理な話だ。
花が、風が、大地が。
この世界全てが、彼女を彩るために存在しているかのように思えた。
1924/03/30(土)20:58:37No.1173155627+
あっという間にターフを一周してきた彼女の声は、上擦っていても爽やかだった。
「きみもおいでよ!
こんなに綺麗なんだからさ、外で見てるだけなんてもったいないよ」
うん、と答えるより先に手を引かれているのには少しだけ苦笑するけれど、悪い気はちっともしなかった。彼女が何よりも輝いている場所に、彼女と同じように立つことは、今までどうしてもできなかったからだ。
2024/03/30(土)20:58:49No.1173155722+
「そこにいて」
「ん?」
ターフの上に立った途端、彼女から奇妙な要求をされた。その意図が飲み込めないままに脚を動かすと、彼女は満足げににこりと微笑んだ。
「そうそう。
ゴールのちょっと先のとこ」
その微笑みを顔に浮かべたまま、彼女はスタートの姿勢を取った。思わずその場から踏み出しそうになるところを、彼女に静止される。
「待ってて」
「でも…」
「いいから。ね?」

「ちゃんと受け止めてよ、アタシのこと」
スタートの間際に彼女が残した言葉の意味を理解する前に、走り出す彼女にもう一度目を奪われていた。
2124/03/30(土)20:59:08No.1173155850+
ターフの上に立つと、さっきまで感じていたものがより鮮明になってゆく。
彼女に応えるように吹く風。その風と一緒に、一心に舞い踊る花びらたち。彼女が走りのギアを上げる度に、震えているような大地の感触。
その全てが、心地良かった。

第4コーナーを回った彼女が、こちらに向かって一心に駆けてくる。ウマ娘がどれほどの速さで走るのかは当然よく知っているが、その中でも頂点に立つ彼女のそれを実際に正面から受け止めると、身体の奥が震えるような感触に襲われる。けれど、逃げようという気は少しも起きなかった。
走ってくる彼女の表情は、何よりも真剣で、同時にどこまでも楽しそうだった。そんな彼女に受け止めてと言われたのだ。
退く理由は、ひとつも見つからなかった。
2224/03/30(土)20:59:24No.1173155959+
800メートル。400メートル。200メートル。
彼女の息遣いまでも聞き取れるような距離になって、その瞳と目が合う。
その途端に彼女の顔がもっと綻んだのがわかって、どうしようもなく浮かれてしまう。
だからその中に、少し悪戯っぽい微笑みが紛れていることに、気づくのが遅れてしまったのだ。

全速力でゴールを駆け抜けた彼女に魅入られていたけれど、その彼女が僅かに減速しながらも、止まらずまっすぐこちらに向かってきたときには、心臓の鼓動が一段階早くなるのを感じた。
流石に少しだけ後退りしそうになった脚を、満面の笑顔を浮かべた彼女の、弾む声音が釘付けにした。
「言ったじゃん。
ちゃんと受け止めて、ってさ」

大きく腕を広げた彼女がゆっくりと近づいてくると、さっきまで感じていたはずの躊躇いがすっと胸の内から消えてゆくのがわかった。
そうして次の瞬間には、胸に飛び込んできた彼女になされるがまま、ターフに倒れ込んでいた。
2324/03/30(土)20:59:44No.1173156106+
「ふふっ、あはははっ」
彼女の身体が、追いかけてくるようにぎゅっと覆い被さった。
荒く力強い息遣いも、汗でしっとりと濡れた熱い身体の感触も、抱きしめられて何もかも伝わってくる。
その全てが愛おしくて、彼女の背中にゆっくりと手を回した。
「ありがとう。
今までずっと、こうやって待っててくれたんだよね」
さっきとは打って変わって静かな声の彼女が、噛み締めるようにそう言った。
「…うん。
俺にはこれしかしてあげられなかったから」
そんな弱音さえも、愛おしいと受け止めてくれるように。

「いいんだよ。
アタシには、それがいちばん嬉しかったから」
2424/03/30(土)20:59:58No.1173156226+
ラストランを終えた彼女を労るように髪に指を通すと、くすぐったかったのか身を屈めてくすくすと微笑む彼女の声が聞こえる。
「…もう卒業なんだな。
長かったはずなのにな。シービーと出会ったときのこと、まるで昨日みたいに覚えてる」
真似をするように手を伸ばした彼女に髪をかき上げられて、その顔がいっそうはっきりと見える。
内緒話をするように耳元に口を寄せて、ひそひそと囁く声も、やけに大きく聞こえた。
「アタシ、どんなウマ娘だった?」
聞くことそのものが何か可笑しいとでも言うように、その問いに引き続いて彼女のくすくすと笑う声が、耳の中で小躍りした。
2524/03/30(土)21:00:12No.1173156367+
「意外だな。誰がどう思ってるかなんて、興味ないんだと思ってた」
可笑しいとは思わなかったが、予想はしていない質問だった。誰がどう思っていても構わない、自分は自分だ、というのが、今までの彼女のスタンスだったからだ。
あはは、そうだよね、と、それを肯定する彼女の声色は軽い。
だからこそ、次に発したその言葉が、より一層艶を帯びて聞こえた。
「きみにアタシがどう見えてたのか、知りたかったんだ。
あのときのきみの気持ち、わかったよ。誰かの見ているものを、自分も見てみたくて。でもその誰かになれるわけじゃなくて、その距離を埋めるためなら、なんでもしてみたくなる」
2624/03/30(土)21:00:27No.1173156515+
違うものに憧れる。
違うものに夢を見る。
違うものにはなりきれないからこそ、追いつきたくてひたむきに走る。
何もかも特別な彼女は、いつだってその感情を向けられて、追いかけられる側の存在だ。
そう、思っていた。
「…でも、その違いから生まれるものがある。アタシだけでも、きみだけでも作れない、どこまでも澄んだ追い風が。
だから、聞きたいんだ。きみの気持ち」

でも、そうじゃない。
彼女だって、自分と違うものに想いを託したくなるんだ。
「ずっとずっと、君は俺の夢だったよ。
いつも君は俺の知らないものを見ていた。…ううん、知っていたはずなのに、見過ごしていたものも。
そんな君の目が好きだった。俺に見えないものを、いつだって君は見つけ出して、俺に見せてくれた」
彼女と出会って、その生き様に焦がれ続けた、自分のように。
2724/03/30(土)21:00:43No.1173156674+
その返答が呼び起こす感情さえも面白がるように、彼女はころころと機嫌よく笑った。
「ふふふっ、あはははっ。ほんとに不思議だよね。
アタシはアタシの心のままに生きる。それだけでアタシは満たされる。
そう思ってたんだけどな」
そう呟いた彼女の手がゆっくりと頬に伸びて、彼女と自分の顔が向き合う。
その表情は、何か尊いものを慈しむように穏やかだった。
「アタシがただ生きることを、誰かが肯定してくれる。アタシにとってのただの人生に、誰かの夢や愛情が乗っかってく。
それって気持ちいいなって思った。今だってそうだよ。
きみがアタシの生き方を好きだって言ってくれると、すごく幸せだなって思うんだ」
2824/03/30(土)21:00:56No.1173156821+
やっと見つけた宝物を手放したくないと言うように、彼女の腕がいっそう強く背中を抱いた。
「きみの気持ち、やっとわかったよ。
アタシがあたりまえだと思っていたことが、誰かの目にはこんなにも綺麗に輝いて見えるんだって。
それってとっても素敵なことだよね」
嬉しかった。
自分にとっては当たり前の言葉が、こんなにも彼女を支えていたんだということが。
自分にないものに憧れる気持ちは、自分がいちばんよくわかっているから。
2924/03/30(土)21:01:08No.1173156921+
「そっか。
同じだったんだな。俺も、君も」
「うん。
だから、覚えてるよ、ぜんぶ。
きみがアタシに言ってくれた言葉も、きみがアタシにしてくれたことも、ぜんぶアタシの中に残ってる」
お互いの心をさらけ出す。足りないものを補い合って、一緒に笑い合う。
大好きなひととそんな関係になれたことが、何よりも嬉しい。
「自分でもびっくりしてる。こんな人間じゃなかったはずなんだけどな。
…こういうの、危ない気持ちなのかもしれない。でも、嫌じゃないし怖くもないんだ。シービーのためなら、なんだってしてあげたい」

だから、なんだってできる気がするんだ。
「…こんなに誰かを好きになるなんて、思ってなかったんだ。生まれて初めて、自分より大切なものを見つけられた気がした。
そのくらい、シービーのことが好きだった」
こんな奇跡をいつまでも、大切にしていたいから。
3024/03/30(土)21:01:22No.1173157028+
彼の言葉がアタシの中に響いて、頭の天辺からつま先まで、むずむずするけど心地良い感触が走る。
アタシはこの感触が好きだ。彼といるようになって初めて感じるようになった、この知らない名前の感情が。
「あははっ!すごいこと言うんだね。
大丈夫?それこそ後で恥ずかしくなっちゃったりして」
「心配しなくていいよ。今でも恥ずかしいから」
「ふふふっ、そっか。
…でも、やめないんだ。やめないでいてくれるんだ」
「うん。これが本当にやりたいことだって、わかるから」

彼と別れてひとりの部屋で、横になる度に思い返す。
もしかしたら、これが。
「ありがと。
アタシも、こんなに好きって言われたの、初めて」
ときめくって気持ち、なのかもしれないと。
3124/03/30(土)21:01:34No.1173157153+
そんな気持ちを味わったあとは、きみの全部がひどく愛おしく思える。アタシと違う貝殻のような耳も、少しだけ太くて粗い手触りの髪も、いつまでも感じていたくなる。
「さっき、好きだったって言ったけどさ。
今はどう?もう、好きじゃないのかな」
だから、頬に添える手は離さない。
きみの答えを、いちばん近くで聞いていたいから。
「…うん。そうだな。
もう、好きじゃない」

「好きなんて言葉じゃ収められない。
大好きだよ。シービーのぜんぶが」
アタシの心を何よりも満たしてくれるものを、真っ直ぐ受け止めていたいから。
3224/03/30(土)21:01:47No.1173157246+
名前が変わっても。立場が変わっても。
「…もう、トレーナーと担当じゃないね。
ただのアタシと、ただのきみだ」
「…そうだな。
でも、そうなりたかったんだ」
アタシはアタシで。きみはきみ。
だからアタシは、きみが好きになったんだよ。
「うん。
アタシはアタシでいるために。きみはきみでいるために。
アタシはきみと一緒にいたいよ」
3324/03/30(土)21:01:58No.1173157362+
「これからもよろしくね。
アタシもきみのこと、大好き」
3424/03/30(土)21:02:11No.1173157459+
心の距離を知りたくて、がむしゃらに手を伸ばす。それで傷ついてしまうこともあると思うと、時々怖くなる。
でも、たとえ心は手に取れなくても、言葉は繰り返される。
とびきり美しい言葉で、アタシの心を飾ってくれたきみ。
きみのぜんぶを愛するためには、今までの時間でもちっとも足りない。

だって。
これからもっと、きみのことが好きになるから。
3524/03/30(土)21:02:47No.1173157778そうだねx3
おわり
シービーと思い出を振り返りながら気持ちを伝えたいだけの人生だった
fu3294602.txt
3624/03/30(土)21:05:41No.1173159360+
二人だけのラストランしたんだ…
3724/03/30(土)21:06:06No.1173159553+
相変わらず…凄ェ文量だ
3824/03/30(土)21:07:59No.1173160484+
走り終えた後のウマ娘はあったかいしいい匂いがするぞ
3924/03/30(土)21:09:43No.1173161273+
お互いに好きって照れもせずに堂々と言える仲なのいいよね
4024/03/30(土)21:14:01No.1173163269+
それはそれとして来年はちゃんと満開になった山を見に行く約束はしてる
4124/03/30(土)21:17:23No.1173164909+
これ始めから付き合ってる距離感じゃないか?
4224/03/30(土)21:19:08No.1173165900+
すっかりお父さんとお母さんみたいな距離感になるシービー
4324/03/30(土)21:23:58No.1173168257+
告白されたことは何度もあってもずっとお断りしてきたから実は初恋だったりするシービー
4424/03/30(土)21:30:53No.1173171804+
心地いい重さの錘になったんだ…
4524/03/30(土)21:32:52No.1173172997そうだねx1
トキメキが無くなると人生は時が進むのが早くなるらしい
トレーナーはcbと出会った事で時の流れが変わったかもしれないな
4624/03/30(土)21:39:46No.1173176566+
>トキメキが無くなると人生は時が進むのが早くなるらしい
>トレーナーはcbと出会った事で時の流れが変わったかもしれないな
自分と過ごす時間をちょっとでも長く感じてるといいなってお互いに思ってるシービーとトレーナーですって
4724/03/30(土)21:45:45No.1173179477+
今まででも幸せだけどこれからの時間はもっと長いといいなってお互いに思ってるといいよね
4824/03/30(土)21:48:05No.1173180646+
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赤字に病人が召喚されるスレ
4924/03/30(土)21:48:08No.1173180675+
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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
5024/03/30(土)21:48:11No.1173180694+
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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
5124/03/30(土)21:48:14No.1173180716+
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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
5224/03/30(土)21:48:18No.1173180763+
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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
5324/03/30(土)21:48:22No.1173180810+
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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!


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