《目次》   ※[ctrl]+[F]で頭出し検索可能です (1)マチカネフクキタルの話 (2)マチカネフクキタルの話 (3)マチカネフクキタルの話 (4)マチカネフクキタルの話 (5)マチカネフクキタルの話 (6)マチカネフクキタル?の話 (7)マチカネフクキタルの話 (8)グラスワンダーの話 (9)グラスワンダーの話 (10)グラスワンダーの話 (11)マチカネフクキタルの話 (12)マチカネフクキタルの話 (13)マチカネフクキタルの話 (14)イクノディクタスの話 (15)ママカネフクキタルの話 (16)マチカネフクキタルの話 (17)スペシャルウィークたちの話 (18)グラスワンダーたちの話 (19)マチカネフクキタルの話 (20)ミホノブルボンの話 (21)マチカネフクキタルとマンハッタンカフェの話 (22)ライスシャワーの話 (23)エルコンドルパサーの話 (24)ミホノブルボンの話 (25)ミホノブルボンの話 (26)ミホノブルボンの話 (27)ニシノフラワーの話 (28)ニシノフラワーの話 (29)セイウンスカイの話 (30)セイウンスカイの話 (31)セイウンスカイの話 (32)セイウンスカイの話 (33)カレンチャンの話 (8)→(9)→(10)→(18)は連続しています (24)→(25)→(26)は連続しています (29)→(30)→(31)→(32)は連続しています (1)マチカネフクキタルの話 マチカネフクキタルとの出会いから3年がたった 当初不安でいっぱいだった彼女も今やURAで入賞するほどの成長を遂げた そして今日はファン感謝祭。昨年はファンに謝り倒すだけで終わってしまったのだが… 「ああ……やっぱり無理だったんです。私ごときが皆様に福をお裾分けしようだなんて…」 占いコーナーを開設していたマチカネフクキタルは今まさに首を吊ろうとしていた >「……マチカネフクキタル?」 「止めないでくださいトレーナーさん!」 「今年こそはファンの方々に喜んでいただこうと得意の占いを披露してみたものの、くじを引けば大凶を引き、相性を見れば破局寸前、細工して立てた茶柱は目の前で沈んでいく…」 「かくなるうえはウマ柱となって命を捧げ、皆さんの心の中に生き続けるしかないんです!」 地味に図々しい末路は置いておいて、どうやら占いの結果が悪いこと続きのようだ >「それで、ファンの人はなんて言ってた?」 「はい…皆さん気を遣ってくれて、逆に応援してくれました」 >「じゃあファンのためにも死ねないな」 「はっ!?言われてみれば……しかし、このまま占いを続けてもいいものかと」 >「みんなマチカネフクキタルに占ってほしいから来てるんだよ」 「私の占いを…?」 マチカネフクキタルはしばらく考えたのち、首に巻いていたロープを片付けた そして自らの頬をバシバシと叩くとブースに戻っていった 「わかりましたトレーナーさん。次のお客さんを呼んできてください!」 「ここまで悪い結果続きでしたから次こそはきっといい結果が出そうな気がします!」 結果だけを求めるならこんな胡散臭い占いに頼る人はそうそういないだろう たとえ占いで悪い結果が出たとしても、マチカネフクキタルは一緒に悩んでくれる 凹んで挫けても一緒に考え抜いたうえでアドバイスをくれる そんなマチカネフクキタルだからファンの皆は並んででも占いに来るのだ >(……と、いつか機会があったら言ってあげないといけないな) しばらくしてまた占いブースから汚い悲鳴が上がった マチカネフクキタルはファンの方々との交流を深めることが出来たようだ >やる気が下がった >『愛嬌○』になった (2)マチカネフクキタルの話 有マ記念優勝者、および初代URAチャンピオンとなったマチカネフクキタルは翌年の春シーズンもGT戦線を駆け回っていた ファンのため宝塚記念にもきっちり出走し、そのまま夏合宿に突入…した最中、彼女は突然提案してきた 『トレーナーさん。里帰りに付き合ってください!両親にもおばあちゃんにも報告しないと〜』 彼女の言う通り、年末年始は大きなレースが続き帰れずじまいである というわけでマチカネフクキタルとその最強の開運グッズであるトレーナーは彼女の実家に里帰りをすることになった ---------------- 「ぜぇー…はぁー……トレーナーさぁ〜ん、お花買ってきましたぁ…」 ここはマチカネフクキタルの実家から少し離れた墓地…にある彼女の家族の墓 トレーナーが掃除を終えた頃、ようやく彼女は坂を駆け上がり仏花を持ってきた 「おおっ!さすがトレーナーさん、水晶玉のようにピカピカになっているじゃないですか!」 「頑張ってくれたお礼にトレーナーさんにはお墓参り一番乗りの座をお譲りします!」 「さあさあ、ご先祖様たちに私たちの活躍を聞かせてあげてください!」 そう言うとマチカネフクキタルは…いつものことだが目を輝かせてこちらを見ている 致し方なし。観念して墓前に手を合わせ、彼女がデビューしてからの経緯を語った スピ狂いの甘ったれでお調子者、占いなしに友情もろくに信じられない劣等生だった出会いのこと 幸い調子に乗せやすいおかげでトレーニングは捗ったが、それでも自信には結びつかなかった頃のこと 幸運に見放されて初めて自分を取り囲んでいた縁に気付き、その縁に報いるために走ったこと 今もスピ狂いは相変わらずだが、ファンや友達の目に写る自分に多少自信が持てるようになったこと ……端的に話すつもりがずいぶん長くなってしまった 「ふふふ……その間、トレーナーさんはずっとそばに居て見守ってくれていたんですよね」 マチカネフクキタルはガラにもなく穏やかに微笑んでいる てっきり大いに恥ずかしがるか、感動して汚い声で泣き散らすかのどちらかと思っていたのだが… なんだかこちらの方が恥ずかしくなりそうなのでお参りを交代しようとした、その時であった 「トレーナーサァ〜〜〜ン……!お、おは…お花買ってきましたぁ〜…」 汚い鳴き声と共に坂を駆け上がってきたのはマチカネフクキタルであった 「いや〜、今お盆だからかどこもお花が売り切れであちこち走り回っちゃいましたよ」 「っておおっ!?さすがトレーナーさん!もうお墓の掃除も完璧じゃないですかぁ!」 「しかもしっかり花まで飾って。持ってきていたなら先に言ってくださいよぉ」 「……トレーナーさん?どうかしたんですか、なにやら顔色が優れないようですが」 今来たマチカネフクキタルの視線の先…彼女が手を合わせているハズの彼女の墓の前には誰も居なかった 『これからもこの子をよろしくお願いしますね、トレーナーさん』 今思うと彼女はマチカネフクキタルとは微妙に声も姿も違ったかもしれない 脳内に響くその声を聞いたとき、お盆だというのに少し寒気を感じた >トレーナーのやる気が下がった (3)マチカネフクキタルの話 URAファイナルズから数ヶ月……春のGT戦線が開幕した 今年のマチカネフクキタルは長距離路線の最高峰、天皇賞(春)に挑戦することになった いつもの勝負服を身にまとったマチカネフクキタルは……いや、何かいつもと違う気がする >「その目どうしたんだ」 「ふっふっふ……気付いてしまったようですねトレーナーさん」 「これぞ私の新たなる開運アイテム!好感度見えーるコンタクトレンズ(特別価格4.980マニー)です!」 いつものしいたけではないと思ったらそんなものを入れていたようだ 「今や私も押しも押されもせぬ開運ウマ娘。そのファンの数たるや会場を埋め尽く…まあまあいっぱいいるでしょう!」 「そこでこれを付ければあら不思議!視界に映る相手の好意をピンク色のオーラとして映し出してくれるのです!」 「一説によると、特に好意を抱いている相手からはその気持ちが読み取れてしまうことも…」 >「それ必要?」 「今日は3,200mの長丁場。さすがの私も苦しみ挫けることがあるでしょう」 「しかしファンの皆様の声援が!声援が届かない向こう正面でもその想いが視えたならば!私の力になってくれるでしょう!」 プラシボ効果でも効くならそれに越したことはないがマチカネフクキタルには少々刺激が強すぎる それに競技用でもないコンタクトレンズをはめたまま走るなんて、万が一の事態を考えたら… >「ちなみに俺のことはどう見えるんだ」 「むふっ、それ聞いちゃいますかトレーナーさん。もう見事に真っピンクですよ」 「四月も終わりですが気分は桜満開、今日の私はマチカネハルキタルですねぇ」 >「じゃああれは見えるか?」 「部屋の隅…?おお、壁紙もピンクですねぇ。控室にまで気に入られちゃったんでしょうか?」 あの地縛霊が見えないということは、どうやらマチカネフクキタルにはまだ霊感が備わってないようだ さらに言うと壁紙の本来の色は白である。つまりこのコンタクトレンズは… >「それ、ただ視界がピンクに染まるだけのコンタクトレンズじゃないか?」 「……はい?」 「な、なにを仰いますかトレーナーさん。霊験あらたかな逸品ですよ?そんなわけが…」 試しにコンタクトレンズを外させて光を当ててみたところ、レンズを通した光はピンクに染まっていた 「ぬ、ぬおおおおーーーぅ!!よ、4,980マニーもしたのに…」 観念したマチカネフクキタルは渋々コンタクトレンズを外した これで健康面の懸念は消えたが…今度はやる気が心配だ >「そんなもので確かめなくてもファンのみんなはフクキタルに期待しているよ」 「本当ですか…?トレーナーさんも期待してくれていますか?」 >「……ああ!」 「分かりました!皆さんを、トレーナーさんを信じて3,200m走ってきます!」 マチカネフクキタルは涙を拭き、邪魔な招き猫のリュックを背負ってパドックへ駆けて行った しかしこんなインチキ霊感グッズ、いまどきよく売れたものだ 試しに付けてみると確かに視界がうすぼんやりと桃色に染まっている 「トレーナーサーーーン!!ゴールで待っていてくださいねーーー!!」 …遠くでそう語りかけてくるマチカネフクキタルは桃色を通り越して赤いオーラを纏っているように見える 同時に頭の中にオブラートに包まない情熱的な愛の言葉が聞こえた気がしたが、きっと空耳だろう 彼女に見つからないよう、桜模様のコンタクトレンズを廃棄した (4)マチカネフクキタルの話 私が…マチカネフクキタルがトレーナーさんと出会ってから4度目の春 中長距離のレースに適性のある私たちは今年は春のシニア三冠制覇を目標としていました 1冠目、大阪杯。2000mと少し短い距離でしたがシラオキ様のアシストもあり難なく制覇 2冠目、天皇賞(春)。菊花賞よりも200m長いものの日頃の厳しい…本当に厳しいトレーニングでつけたスタミナにより大差で勝利 そして今。私はレース後のウイニングライブのリハーサルを終え、いつもより早くシャワーを浴び終えていました 着替えもそこそこに大急ぎで控室に向かった私は音を立てないように少しだけドアを開けます その先には信じられない……信じたくない光景が広がっていました 私の勝負服が仕舞ってあるロッカーと…それを物色するトレーナーさんの姿があったのです きっかけは大阪杯のウイニングライブでした わざわざひけらかしたりはしませんが私たちウマ娘は聴覚も嗅覚もとても優れています あの日、レースに勝った私をトレーナーさんは抱きしめて褒めてくれたり……なんかは当然してくれなかったんですけど! シャワーを浴びて勝負服に袖を通したとき、私はいつもは感じないトレーナーさんの『におい』を感じました 一度意識してしまうともうなかなか振り払えないもので、その日のライブはいつもより身も心も軽い心地で歌い上げたのです いつもと違うライブにファンの皆さんには好評だったのですがトレーナーさんにはしこたま怒られ…これは関係ない話ですね ともかく考えたくはないのですが私の控室に入り、勝負服を物色した人物がいるのは確かなのです きっと鼻のいい私たちを欺くためにわざとトレーナーさんのにおいをつけて犯行に及んだのでは……そう自分に言い聞かせていました しかし、そんな願望めいた予想は無慈悲にも打ち砕かれてしまったのです ……ケジメをつけなければならないでしょう 「何を……やっているんですか、トレーナーさん」 私はトレーナーさんに声をかけました トレーナーさんは…トレーナーさんは……私の勝負服の、にゃーさんの中に入っていた水晶玉を、ワンサイズ小さいものに入れ替えていたのです……!! 曰く、『どうせ重石にしかならないんだし軽いほうがいいだろう』と 曰く、『大阪杯で入れ替えたのに春天を走っても気付かなかったんだし今更じゃないか』と もっともらしい言い訳を並べていますがそういう問題じゃないんですよ!1!! 返して!返してください私の水晶玉!! あっ!服の中に隠しましたね!?そんなことしても諦めませんよウマ娘パワーキンジラレタチカラです!! 「フクキタル、そろそろライ…ブ……」 どうやらドーベルさんがトレーナーさんの服をひんむこうとしているタオル一枚の私を呼びに来てくれたみたいです こんな私には勿体ないくらいいい友達で…あっちょっと悲鳴は待っ (5)マチカネフクキタルの話 マチカネフクキタルのURA参戦からしばらくの時が経ち、ついに彼女以外のチームメイトが加入した 「ムフフ!ついに私にも後輩が出来るんですねぇ〜」と浮かれてみたり 「はっ!も、もしかして私のことを相手にしてもらえなくなるのでは…?」と危惧してみたり 当初はむにゃむにゃ言っていたようだが今のところ彼女たちの仲は順調な様子である 正直なところフクキタルに対しては『自分が育てた』というより『育つのを見守った』という認識でいた 結果を残すことは出来たものの、彼女の才能を完全に引き出せたかと言うと正直今も疑問が残っている しあし幸いにも新人はフクキタルと違い非常に真面目で才気に溢れ、伸びしろがハッキリと見えていた 彼女を一人前のウマ娘に育て上げ、がむしゃらに進んでいた新人時代からの成長を証明……したいと思っていた その新人ウマ娘……ミホノブルボンが、方針から外れた夜間の自主トレを続けていると知るまでは そうですか…ブルボンさんは三冠ウマ娘になるのが夢だったんですねぇ そんな大事なことを聞いてあげないなんてトレーナーさんは昔から気が利かないというか人付き合いが雑というか……いったい誰の影響なんでしょうね 大丈夫ですよブルボンさん!自主トレはきっといつか実を結ぶでしょう!シラオキ様もそう言っています! トレーナーさんには私から言っておきますから今夜も自主トレに励んでください! 具体的には19時頃に指定のグラウンドで! あっ目立つようにジャージに反射テープも張っておくと吉です!忘れずに付けておいてくださいね! さて取り出しましたるはトレセン学園所属トレーナー名鑑最新版! この中でまだ担当が決まっていなくて責任感が強くて情に厚く流されやすい新人トレーナーさんは…と はんにゃか〜ほんにゃか〜…テルミ―シラオキッッ!!! うん、この人がいいでしょう。なかなか若くてイケメンですし さて、仮設テントヨシ!目だし帽ヨシ!助手のメイショウドトウへの連絡ヨシ!謎の占い師マチカネエンムスビ、出陣です! (6)マチカネフクキタル?の話 やってきました大一番!年末最後の大レース…有マ記念! ファンの皆様の歓声に背中を押され、畏れ多くもこの私が1番人気です! ここは一発景気よく期待に応えて歳末を…いえ、年越しどころかお正月まで皆さんにハッピーをお届けしましょう! 来年のことを言っちゃいましたけど鬼さんたちも一緒にお笑いあそばせということで… >大事な話がある、ちょっといいか おおぉトレーナーサァァン!今日は見ていてください、乾坤一擲の開運ダッシュで勝利を >もういいんだ ハイ?いや、いやいやなにを言ってるんですか。もうスタンドには大勢のファンの皆様がお待ちで >ご両親から聞いた。亡くなった姉妹のこと …いやですねぇトレーナーさん!お姉ちゃんのことはサプライズで教えようと思ってたのに まあご存知なら話は早いです。今日はお姉ちゃんの分まで… あれ?どうしたんですかトレーナーさん、そんな泣きそうな顔をしないで下さ >大丈夫だ。きっとみんな受け入れてくれる >もう自分らしく振舞ってもいいんだ、マチカネ――――― 『ジリリリリリリリ』 ハッ!ゆ、夢でしたか… 今日は大切な有マ記念の日。夢のことは忘れて早くトレーナーさんのところに向かわないと! ……私の夢には一度もお越し下さらないのですね、シラオキ様 (7)マチカネフクキタルの話 ハイ!マチカネフクキタルデス! ただ今私は菊花賞に向け最終調整の真っ最中……のはずでした 他の出走予定の方々が軽めの練習メニューに切り替えている中、私はプールで心肺機能をいじめ抜いています >いいぞフクキタル、あと10往復だ! 応援ありがとうございますトレーナーさん。でもさっきもあと10往復って言ってませんでした? ちょっとだけ息を整え、泳ぎを再開しようとしたとき私はある異変に気付いたのです あれ……なんだか私の頭、左側だけ軽いような…? >フクキタルの頭は両方軽いから大丈夫 ぎゃふん!ハッキリ言わなくてもいいじゃないですか! ってそれどころじゃないです!やっぱり無い、無いですよ!左耳につけてる頑張れダルマがぁ〜! >ダルマならさっき流されてたから拾っておいたよ あぁぁあ〜〜!そ、それですトレーナーさん! ありがたやありがたや〜!これが無いとバランスが悪いですからね。マチカネカブイテルになっちゃいます >それいる……? 要ります!不可欠です!私にとっての開運グッズ…ううん、それ以上に事なものかもしれないんですよ!? まったく…どうやら語らねばならないようですね、この頑張れダルマさんの歴史を ---------------- お姉ちゃんすごいね!かけっこ大会、また一等賞だった! 『ありがとう。フクキタルも最後まで頑張ったわね、よしよし』 私が今よりずっと小さい頃、地域のウマ娘たちが集まったかけっこ大会がありました お姉ちゃんはその頃から他の子たちより頭一つ二つ抜きんでていて、もう向かうところ敵なしな感じでした 『よくやったな、―――――。母さんより速いんじゃないか?』 『本当にね。トレセン学園への編入も今から楽しみだわ』 なものですから当たり前ですけど、両親はお姉ちゃんにものすごく期待を寄せていました 『フクキタルも諦めないでよくやった!偉いぞ!』 『フフフ…今夜はあなたたちの好きなものを作ろうかしら?』 対して私はというと、まあそこそこというかボチボチというか…正直期待はされていませんでした ウチにはお姉ちゃんが居るから、フクキタルは無事に元気に育ってくれればいい そんな空気を感じ取ったせいなのかは分かりませんが、私はこのように健やかにお気楽に育ったわけですね >頑張れダルマはどうしたの? 結論を急がないでください!これから出番なんですから! コホン…その夜、私が泣い… >ない? ゲホッゲホッゴッホン!!私が眠っていると、夢にシラオキ様が現れたんです 『フクキタルや。私はいつも見守っておる、頑張るのだぞ…』 そのお告げと共に下さったのが小さなダルマ…名付けて『頑張れダルマ』だったのです! …お姉ちゃんと比べてダメダメなのは分かっていましたけど、やっぱり期待してもらえないのって寂しいじゃないですか だから夢の中ですけど『よく頑張ったね』じゃなくて『頑張ってね』って言ってもらえたのがその時の私には嬉しくて 朝起きたらすぐに同じくらいの大きさのダルマを買ってきて耳飾りにしたんです ---------------- それ以来もう何度買い替えたか分かりませんが、私の耳元で頑張ってとささやき続けてくれるのがこの頑張れダルマなんです… >そんな思い出があったんだな ええ、たくさん身に着けている開運グッズのひとつひとつにも歴史ありです >じゃあ息も整ったみたいだし、残り10往復行こうか 本当に聞いてましたトレーナーさん!? >ちゃんと聞いてたよ。頑張れフクキタル! なんか投げやりですね…分かりましたよ!行ってきます! まだ私はお姉ちゃんみたいに知らない大勢の人からも、家族からも期待されていないかもしれません でも、選抜レースでも本当は諦めたくなかった私の背中を押してくれたり レースの直前でも、優勝を信じてギリギリまで練習に付き合ってくれたり トレーナーさんは…私に期待してるって思っていいんですよね? だから苦しいけど…本当にちょっとご勘弁していただきたいくらい苦しいけど…もうちょっとだけ頑張りますよ! (8)グラスワンダーの話 芝1600m、右回り、天候:晴れ、バ場状態:良 クラシック路線を志す新入生にとっては短すぎず長すぎず、十分に実力を発揮できるコンディションだ 在学生代表として新歓レースを受けて立つことになったグラスワンダーは…… 「ふぅ……今年の新入生たちも元気な子たちですね」 涼しい顔を崩さず、最終直線だけで5バ身差をつけてぶっちぎっていた >もう少しこう、手加減をというか 「少しくらい痛い思いをしたほうが覚えてもらえますから」 トレセン学園に入学するだけあり地元の快速自慢たちが集まっていたはずだ 彼女たちはグラスワンダーに敗北しある者は落ち込み、ある者は悔しがり、ある者は羨望のまなざしを向けている そんな中、1人だけグラスワンダーに対し再戦を申し込む新入生がいた 「…あら?あなたはもしかして…」 彼女の顔に見覚えはなかったが、どうやらグラスワンダーとは知り合いのようだ とはいえ並走トレーニングではなく真剣勝負ともなれば連戦は堪えるだろう 新入生を宥めようとしたとき、グラスワンダーが手で制した 「その気概は素晴らしいですが、今のあなたでは何度やっても同じことですよ?」 グラスワンダーは知り合いと思しき新入生に対し、火に油を注いでいた 「ですからこの学園で体を鍛え、技を磨き、精神を研ぎ澄ましてきてください」 「然るべき実力を身に着け、然るべき時が来たら必ずお相手しましょう」 「それが真剣勝負を挑む者としての礼儀です。それに……」 グラスワンダーが何やら耳打ちすると、新入生は顔を真っ赤にして驚いていた 「…ということで、あなたのことはGTレースの舞台でお待ちしています。日々鍛錬に励んでくださいね」 しばらく新入生はわなわなと震えていたが、最後には元気に挨拶をして去っていった >最後、何を言ったんだ? 「それはもちろん……もしかしてトレーナーさん、あの子を覚えていないのですか?」 どうやらあの新入生は自分も面識があったらしい 過去に会った若い…あるいは幼いウマ娘でグラスワンダーに食って掛かる子は記憶になかった 「ほら、あの子ですよ。クラシックの翌年の学園祭で一緒に家族を探した…」 その言葉でようやく思い出した >もしかしてあの時迷子になっていた子!? 「ウマ娘の成長は早いですからね。まあ、それなりに年月は経っていますが」 >言われてみると面影があるような気も… 確かあの子はお兄さんと再会したあと、グラスワンダーの模擬レースも観に来てくれていたはずだ >2人ともキラキラした目で君のレースを見ていたな 「ええ、あれからこの日が来るのを待っていたんです」 「あの子が1番の座を取り戻すために、私に挑んでくる日を」 彼女がグラスワンダーに憧れこそすれ、ここまで敵愾心をもって臨んでくるとは予想できなかった グラスンワンダー自身は当然挑んでくるものと予想していたようだが… >そういえば最後、あの子になんて言ったんだ? 「心配性ですねトレーナーさんは。大したことではありませんよ」 「『どうせなら大きなレースで競いましょう。きっとお兄ちゃんも見に来てくれますよ』…と」 (9)グラスワンダーの話 わたしにはお兄ちゃんがいます お兄ちゃんはヒトだから足もじてんしゃよりおそいけど、ほんとうはわたしより力もよわっちいけど わたしにかけっこでまけたらすねたりしてお母さんによくおこられるけど いつもいっしょにいてくれるお兄ちゃんがわたしは大すきです それはおまつりの日のことでした その日もわたしはお兄ちゃんと手をつないで、いろんなところをあるいていました でもちょっとわたしが手をはなしたとき、お兄ちゃんとはぐれてしまったんです わたしはこわくてさびしくて、お兄ちゃんをよびながらないてしまいました そのときわたしを見つけてくれて、お兄ちゃんと会わせてくれたのがグラスワンダーさんでした 「覆水盆に返らず。大切な人を突き放すようなことをしてはいけませんよ」 なにを言ってるのかよくわからなかったけど、お兄ちゃんはわたしの手をぎゅってつないでくれたのをおぼえています わたしはそのとき、グラスワンダーさんのことも大すきになりました そのあと、わたしはお兄ちゃんをひっぱってグラスワンダーさんのレースを見にいきました グラスワンダーさんはすごくやさしいし、かんぜんにでおくれていたので(まけちゃうかも)っておもったけど さいごにうしろのほうからぐわーっ!ってぬいていって、一とうしょうになっちゃいました! やっぱりグラスワンダーさんはすごいなぁ。すごいよね、お兄ちゃん? 「すげえ……カッコいい…!」 おにい……ちゃん…? 「すげえよ、グラスワンダー!お前もあんなふうに、速くてカッコよくなれよ!」 ちがう、さっきまでとお兄ちゃんの目がちがうよ こっちに手をふってるグラスワンダーさんを見る目は…わたしが、お兄ちゃんを見るときの… だめ…だめだよお兄ちゃん、わたしのほうを見て だめだよグラスワンダーさん…わたしからお兄ちゃんをとらないで……!! >お疲れさま、グラス 「はい。いいレースが出来ました」 やるからには何事も妥協を許さないグラスワンダーは模擬レースでも一切手を抜かなかった 豪快な差し切りを決められたからなのか、彼女は思いのほか機嫌がいい >…何か収穫でもあったのか? 「ふふっ。模擬レースではありますが、小さなファンがまた1人誕生したようです」 「それにもう1人、未来の好敵手も…」 グラスワンダーが手を振る先にはレース前に見つけた迷子の兄妹がいた >見に来てくれたのか。良かったな 「ええ、本当に……本当に楽しみにしていますからね」 >グラスワンダーのやる気が上がった (10)グラスワンダーの話 スぺちゃんとの有マ記念の激闘から何年が経ったでしょう 長い時を共にした同期のみんな、勝負の熱に浮かされ挑んできた先輩方、日進月歩の勢いで成長する後輩たち 頂きに至る道を歩み、走り、競い、勝って、負けて、勝って 肉体のピークがとうに過ぎようと培った技と研ぎ澄まされた精神を以て走り続け そして今日、また一つ敗北を積み重ねました 東京芝2400m、GT競争ジャパンカップ クラシック戦線に背を向け、今日の今日まで伏兵と侮られていたウマ娘 いつかのファン感謝祭で一緒に家族を探した、お兄ちゃんっ子な迷子のウマ娘 私の撒いた種はしっかりと芽吹き、トレセン学園で成長し、この舞台で大輪の花を咲かせました 敗北はいつだって悔しい……けれど、彼女に負けるのならば悔いはない 彼女にだったら託せる これからのトゥインクルシリーズを、私が歩んできた頂きに至る道を 私は疲れ果てターフに転がる英雄に手を伸ばしました --------------------------------------------------------------- 「いつまでも寝転がっていてはファンの皆様に失礼ですよ?」 見上げるとそこにはグラスワンダーさんの顔があった こっちは立つこともままならないほど疲れきっているのに、この人は平然としているように見える まったくもって勝った気がしない……しかし、確かに私は勝ったんだ 「まあ、初めてのGT勝利ですものね。今日のところは大目に見てあげましょう」 「しかし次はこうはいきませんよ、あなたはもうGTウマ娘です」 「今まで負かせてきた子たちはもちろん、上からも狙われる立場になったんですから」 この人に勝ちたい…その思いで私はグラスワンダーさんの後を走ってきた でも今は、グラスワンダーさんを追い抜いた先を走り続けたい……もっともっと、高みにまで 「望むところ、という顔をしていますね。頼もしい限りです」 「さあ、起きて勝ち名乗りを上げなさい。スクリーンヒーロー」 (11)マチカネフクキタルの話 ※1スレ内でしたが4部に分かれています --------『起』-------- ハイ!マチカネフクキタルデス! 私は今、お盆を利用してちょっとだけ実家に帰ってきています お父さんもお母さんもトレセン学園がつらくて逃げて来たのかと妙に優しかったのが地味に傷付きました 日本ダービーでも一応入着して結果を残したのに…まあ負けたんだけど お墓参りも済ませて、久々にお母さんのごはんも食べたし、あとは寝るだけ 寮に居た時はもちろん合宿先でも相部屋だったから1人部屋で寝るのは久しぶりだなぁ… 昔はお姉ちゃんと一緒に寝てたんだよね……ん?そういえば… ガサゴソガサゴソ……あ、あった!お姉ちゃんのレースのビデオ! 懐かしいなぁ。お姉ちゃんってば上級生と走っても負けなかったんだよね トレセン学園に入った今見てみたら、改めてその走りのすごさが……ややっ!? つまりこの走り方を真似ればもっと速く走れるのでは……!? こ、これは大発見です!なんという僥倖、棚ぼたラッキー!シラオキ様のお導きに違いありません!! 光明が見えてきました!待っててね菊花賞ーーー!! アッゴメンナサイお母さん静かにします…… ---------------- 最近フクキタルの走り方が変わってきた 例えば手。今まではきつく握っていた拳が、かるく手を開いた状態で走っている 全身も同様に今までの固さがいくらか和らいでおり、力の伝達のロスが少なくなっている…気がする 「っはぁ…!…トレーナーさん!タイムはどうですか!?」 >…自己ベスト更新、これで三日連続だな 体の動かし方の効率が上がるということは体力を温存できるということである 菊花賞に臨むにあって願ってもない変化なのだが… >フクキタル。最近走り方が変わったみたいだけど… 「お気付きになりましたか、さすがトレーナーさんです…」 「実は先日、実家に帰ったときお姉ちゃんのレースの映像を発掘しまして」 「それを参考にしてみたんですが…かなりいい感じみたいですね!」 普通なら身に付いた走り方を本番前に変えることは推奨できない …が、フクキタルはぎこちないながらもタイムを更新することで可能性を証明してきた >その走り方、菊花賞までにモノに出来そうか? 「お任せあれ!今の私は絶好調…マチカネハリキッテルです!」 フクキタルは両手の親指を立ててやる気をアピールしてきた やや不安はあるものの担当ウマ娘を信じてやるのもトレーナーの役目かもしれない どちらにせよ付け焼き刃が通じるほどクラシックタイトルは甘くはない…そう思っていた ---------------- 『1着はマチカネフクキタル!伏兵マチカネフクキタルが菊花賞を制しました!』 この日から―――マチカネフクキタルは少しずつ、おかしくなり始めた --------『承』-------- フクキタルが菊花賞ウマ娘になってから数ヶ月…彼女には公式レースから離れてもらっていた 体調に問題はない。トレーニングも一応真面目に参加しており、基礎体力も向上している 夏以降に変わった走り方もずいぶん板についてきており、タイムも日に日に良くなっていた そして特筆するべき点……学園内での模擬レースで並走したウマ娘たち曰く 『最終コーナーに入ったとき、内ラチ側から抜かれる気配がした』 『振り向くより先にそっち側に寄ったら、急にその気配は消えていて』 『気付いたら反対側からマチカネフクキタルに抜かされていた』 気迫で圧し通るのではなくフェイントで誘導し、触れることなく道をこじ開ける 近頃のフクキタルはついにオカルトまがいの技術すら身に付け始めていた 「ムフフ…今日の私も絶好調!大吉を超えた特大吉ですねぇ!」 そしてひとたびレースが終わると背筋が冷えるような鋭い走りを見せるアスリートからいつもの… いや、いつもの倍くらい調子に乗ったフクキタルに戻るのだ   「オヤ?トレーナーさんも見たいんですか、お姉ちゃんのレース」 ここ数カ月の彼女の走りの冴えはどう考えても姉のレースの影響が大きい 後学のためにも自分にも見せてほしいと頼み込んだのだが… >ダメかな? 「いえその……ダメってことはないんですけど」 「お姉ちゃんの完璧な走りを見たら、まだまだ私の走りが雑なのが浮き彫りになってしまうかなぁ…なんて」 >その時はみっちり指導してあげるから大丈夫 「デスヨネェ!うぅ…お手柔らかにお願いシマス……」 フクキタルがDVDプレイヤーを起動し、慣れた手つきで再生を始めた 映像は3分ほど。フクキタルは一時停止やコマ送りなどを駆使し詳細にその走り方を解説している その熱の入り様から本当に姉のことを尊敬し、目標としていることがうかがえた 「……とまあこんな感じです。どうでした?トレーナーさん」 >え?……あ、ああ。勉強になったよ 得意げなフクキタルに水を差すのは憚られたので曖昧に返事を返す 正直なところ、最後まで砂嵐が映っているようにしか見えなかった ---------------- 年が開けて3月。約半年ぶりの公式戦、GUレース金鯱賞 マチカネフクキタルはサイレンススズカに敗れた --------『転』-------- スズカに敗れたフクキタルは事実を受け止めきれず、その場で泣きはらした 慰めようとするスズカには悪いが、彼女にはライブのリハーサルに戻ってもらった 勝者が敗者にかける言葉などない。フクキタルも理解しているはずである 最終レースが控えていることもあり俺は泣き続けるフクキタルを抱えて控室に戻った 「……すみません、負けてしまって」 >今回は相手が強かったし、そういうこともある 「…すみません」 しばらくして泣き止んだフクキタルはいつもと違ってずいぶんと大人しかった まるで別人のような……そんなはずはないのだが、とてもフクキタル本人には見えない 「あの、ひとつ教えてほしいのですが」 >何かな? 「今日勝った相手、サイレンススズカさんは…トゥインクルシリーズでどれくらい強い方なんでしょうか」 それは色々な意味で返答に困る質問だった >彼女はこの世代の中距離路線では最上位だと思う >でも上の世代にも、下の世代にも比肩しうる子は大勢いる >…もっとも、それはフクキタルのほうがよく知っているはずなんだけど 「そう……ですよね」 フクキタルと過ごして何度か超常現象に巻き込またことはあったが、これもその一つなのかもしれない 目の前にいるのはフクキタルであってフクキタルではない、と考えていいだろう >フクキタルはどうしている? 「今は泣き疲れて意識は眠っています。じきに起きると思いますが」 >そうなると君はどうなる 「……もう諦めます」 「世界は私が思うよりずっと広かった。心身足りえても届かない高みがあると知れた、それで十分です」 「フクキタルにも起きたら伝えてください。これ以上走るのは…」 >断る 彼女はフクキタルよりも、もしかすると自分よりも正確にフクキタルの伸びしろを把握しているのかもしれない それでも……その選択には納得出来ない >フクキタルにはフクキタルの走る動機がある >たとえ君が本人以上にフクキタルの実力を理解していても、それを決めるのは君じゃない >全てを受け止めたうえでフクキタル自身が決めるべきだ フクキタルは驚いたように目を見開くと、少し大人びた笑顔を浮かべた 目の前にいるのが誰かは分からない…が彼女もまたフクキタルが大切なのだと伝わってきた 「余計なお世話でしたね。それでは…」 「これからも、フクキタルのことを支えてあげてください」 --------『結』-------- 「トレーナーサァーーーン!!こっち!こっちですよーーー!!1」 >そんな大声出さなくても聞こえてるよ! 金鯱賞の敗戦から約1年 『幸運に突き動かされるような』なめた走りをしたことで朝刊に載ったフクキタルだったが、心を入れ替え、その年の有マ記念を優勝してファンの期待に応えてみせた 金鯱賞の後、それまでの走り方を完全に忘れたフクキタルが宝塚記念まで地獄のようなトレーニングの日々を送ったのもいい思い出だ URAファイナルズも一段落し、今日は休暇を利用してフクキタルの実家に結果報告に来ていた 「両親とおばあちゃんへの報告は済みましたからね。今度はご先祖様とお姉ちゃんに報告です!」 >分かってるって… フクキタルに急かされて連れて来られたのは思いのほか立派なお墓。墓誌にも名前がびっしり刻まれている 彼女の実家に来て驚かされたことが2つあった ひとつは実家が本当に神社であったこと 胡散臭い占いには疑問を感じていたが、育ちが良いのは本当だったようである もうひとつはフクキタルの姉のこと ご家族曰く、どうやら存在しない人物だったようだ 『両親もおばあちゃんもまだお姉ちゃんのことは引きずっていまして…あまり家では話題に出さないんです』 そう聞かされていた通り、彼女実家ではの姉について話題に出ることはなかった しかし食事の準備でフクキタルが席を外したとき、彼女の祖母が話してくれた 『フクキタルはそういうモノが見えない子なんですが、お姉ちゃんのことだけは見えたみたいでして』 『どうなるか心配してたんですが…立派に成長してくれて安心しました』 『まだまだそそっかしい孫ですが、どうか面倒を見てやってください』 そう言って深々と頭を下げたフクキタルの祖母の表情は、いつかフクキタルが見せたものに似ていた気がした ……なんだか色々な人からフクキタルを押し付けられている気がする 気を取り直して墓誌に向き直った >フクキタル、君のお姉さんの名前はどれ? 「お姉ちゃんはですね…えーっと……アレ?」 >まあいいや。お参りしようか 「よくないですよ!?ちょっと待っててください、今思い出しますから!」 名前が有ろうが無かろうが、彼女はきっとフクキタルを見守ってくれているのだろう 墓誌の前で唸るフクキタルを放置してお墓の掃除を始めた (12)マチカネフクキタルの話 「いらっしゃいませ…ようこそ占いの館へ」 宝塚記念で結果を残したマチカネフクキタルは有マ記念に向けて調整を行っていた 強豪ウマ娘たちがひしめく中、シーズン終盤の荒れたバ場、ゴール前の短い直線、急な坂…不安要素をあげればキリがない 今日は勝利を信じる後押しのためフクキタルとともに有名な占いの館を訪れていた 「きっ!ききキョウワレースのけけけっかをウラ、ウラララララ…」 >年末にレースに出るので、それについて占ってあげてください 自分で占った時と違い、他人に…しかもプロに占ってもらう以上やり直しはきかない それに気付いたフクキタルは声が裏返るくらい緊張していた 「フフフ。落ち着いてください、仮に凶と出ても進むべき道を示してさしあげましょう」 さすが相手は百戦錬磨のプロの占い師といったところか 彼女はフクキタルの緊張を解くように声をかけると、水晶玉に手をかざし始めた 「見えます…年末のレース……やや?これは中山…このメンバー……まさか、有マ記念…?」 「最終コーナー……後方に控えていたあなたは…外側から……いや」 「近すぎる、前が詰…ええっ!?こ、これはどういう……!!」 こちらから説明も聞かず有マ記念とまで見通すとは、この占い師は本物かもしれない それにしても慌てすぎではないだろうか……と思った次の瞬間、占い師は目を剥いてこちらに向き直った 「まさか……あなたがやっているの!?」 「こんなことをして、許されるはz……が……ァッ!!」 占い師は急に椅子から立ち上がったかと思うとフクキタル…というか、その頭上に向かって叫び始めた 正確には立ち上がったというか爪先立ちというか……少しだけ浮いてるように見える (す、すごい…これが本物の占い師の気迫なんですね…) >(そうかな…?) 占い師は縦笛でも吹くかのように目の前で空を掴む動作を繰り返している しばらくすると首筋についた指の形の跡が大きくなり、震えが止まったと思ったら机に向かって突っ伏した 「……マチカネフクキタル、サン」 「は、ハイィィッ!!」 急に名前を呼ばれたフクキタルは耳や尻尾を逆立たせて驚いていた まるで首を絞められて喉が潰れたかのようなしわがれた声は演出だとしてもホラーである 「ショウブハ、トキノウン。カツコトモ、マケルコトモ、アルデショウ」 「アナタニトッテ、ダイジナ、コトハ……ショウハイ、ダケデハナイ、ハズデス」 「タクサン、タクサン、レンシュウ、ナサイ。ジブンヲ、シンジラレル…ヨウニ、ナルマデ……」 「占い師さん……!!ありがとうございます、大事なことを思い出せました!トレーナーさん、練習に戻りましょう!!」 >ああ、そうだな! どうして教えてもいないフクキタルの名前を知っていたかなど疑問は残ったがフクキタルは有マ記念に対しての思いを新たにしてくれたようだ 意識の戻らない占い師に救急車を手配して俺たちは日が傾く前にトレセン学園に戻った (13)マチカネフクキタルの話 温泉旅行 2日目―――― といっても一泊二日の温泉旅行なので朝風呂に入り、朝食をいただいてチェックアウトするだけなのだが 夕食に比べるとやや質素だが美味しい朝食を前に…マチカネフクキタルはなんとも言えない表情をしていた >納豆嫌いなのか 「いえ、食べ物の好き嫌いではないんですが…」 もう10分くらい不機嫌そうにかき混ぜている納豆が原因でないことは分かっている 慰労が一段落したことで軽く話した今後の話…チームの結成についてのことだろう >フクキタルも今度からお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい 「あーーーっ!漫画とかでよくある台詞であしらわないでくださいよ!」 姉がいながら実際に聞いたことがないということは彼女の姉は相当聞き分けのいい子だったに違いない もっとも今のように、下の子が生まれる前にどういったやり取りがあったかは定かではないが… >もう一度言うが、フクキタルは俺の拙い指導についてきて結果を残してくれた >得難い経験もさせてもらったし、悪くない査定も貰っていて本当に感謝している 「それは……私のほうこそ、トレーナーさんには感謝してもしきれないと思っていますけど」 >そして実績が認められた今、学園は俺により多くのウマ娘たちの受け皿となることを求めている >未だデビューを果たしていない彼女たちの気持ちも…少しは分かるだろう? 「……はい」 フクキタルは元々この学園では珍しく、自ら押し売りに近い形で転がり込んできた子だ 才気溢れる…とは言えないウマ娘たちのデビューを不安視する気持ちが分からないはずがない 他人の希望に縋る気持ちを『知ったことじゃない』と切り捨てられる子ではない…故にこういう言い方に弱いのだ 「私だって……私だって、いつかこういう時が来るってちゃんと分かってるんですよ〜」 「でもこのタイミングで言わなくてもいいじゃないですか!」 >それは…ごめん 「それじゃあやっぱり、こうやって2人で旅行に来るのもこれが最初で最後なんですね…」 >なんだ、そんなことを気にしてたのか 「ふんぎゃろー!き、気にするに決まってるじゃないですかー!!」 フクキタルは両手を挙げて威嚇するようなポーズを取っている これ以上興奮させると派手に動きすぎて浴衣がはだけてしまうかもしれない >別にこれが最後じゃないよ、2人で遠出するのは 「……へ?」 >レースで遠征するたび全員でゾロゾロ行ってたんじゃ交通費もかさむからな >旅行ってほど豪華にはしてやれないけど、また行先で観光するくらいの時間は用意する >なのでどうにか機嫌を直して……フクキタル? フクキタルは納得してくれたのか大人しくなった…が、今度はなんだか気味が悪い笑みを浮かべている まだ少し不安は残るものの俺は冷める前に朝食をいただくことを優先した それから半年ほど経った頃。トレーニング中に携帯電話が鳴った >フクキタルか、どうだった? 『勝ちました……ええ、勝ちましたよ!私の時よりずっと立派なデビュー戦でしたとも!』 彼女は今、妹分とも言えるチームメイトのデビュー戦の同行者として2人で遠征しているところだ チームメイトはあちらに居る2人だけではなくトレセン学園にも残っており、彼女たちもデビュー戦を控えトレーニングがある ゆえに当初の予定通り俺はトレーニングに残り、春のシーズンが終わったフクキタルをデビュー戦を控えた子に同行させていた 『後輩の活躍は嬉しいですよ、本当に嬉しいんですけど……トレーナーさんの甘い言葉に騙されましたよ私は…!』 >騙したことなんてあったか…? 『騙してないかもしれませんが傷付いたんですよ!もうトレーナーさんにはお土産買ってきてあげません!』 それだけ言うとフクキタルは電話を切ってしまった 彼女の同行予定はまだまだたくさんある。練習メニューと同時に機嫌を取る方法も考えないといけないな… (14)イクノディクタスの話 >イクノは私服ってどんなの着てるんだ? 「どうしたんですか急に」 うちの担当ウマ娘…イクノディクタスは一部じゃ鉄の女と呼ばれているらしい 事実毎日パリッとした制服を着こなし、運動着も汗臭さはなく、連闘しようが勝負服はいつも新品のよう… いかなる時も隙を見せない彼女の休日の姿どういうものか興味が湧いた 「まあいいでしょう。休日は思いきってゴシックロリータ…いわゆるゴスロリファッションを嗜んでおります」 >えっ!? 「ルームメイトのメジロマックイーンさんに相談したところ衣装と共に勧められました」 >ええっ!? ちょっと想像したが丸眼鏡越しの鋭い眼光とはミスマッチすぎて脳が混乱をきたしてしまう 「…冗談です。シャツにジーンズと特に面白みもない恰好をしていますよ」 あまりにも動揺していたせいだろうか、イクノは早々にネタバラしをしてくれた 先日街で見かけたイクノ似のゴスロリファッションの子は裸眼だったし、きっと人違いに違いない そして噂をすればなんとやら、偶然メジロマックイーンが通りかかった 「あらイクノさん。先日服と一緒にさしあげたコンタクトr「マックイーンさん!!!」」 (15)ママカネフクキタルの話 拝啓 トレーナー様 トレセン学園を卒業してはや20年、そちらはお元気でお過ごしでしょうか 私は無事神社の跡を継いで主人と共に神事に明け暮れております もはや現役時代のように走ることは叶いませんが、こうやって手紙を綴っているとあの日々の思い出が昨日のことのように思い浮かびます 生来の粗忽者であった私はいつもトレーナー様に迷惑をかけ、困らせていた覚えがあります そればかりか当時は幼心の憧れから強引に迫ったこともありましたね 私の将来を案じたあなたは努めて冷静に諭していただき、指一本触れることはありませんでした ずいぶん寂しい思いをさせられましたが、今の主人と出会ってからはそのありがたみが身に染みて分かりました 私が結婚する際も涙を流して喜んで仲人を務めて下さったこと、改めてお礼申し上げます あまり長々と書きすぎると主人に嫉妬されてしまうかもしれませんね 出来ればこの手紙の一枚目は読み終わったらお捨てになって下さい -------------------------------- あれから20年の時が経ち、私たち夫婦は子宝にも恵まれました 楽しいことも悲しいこともありましたが、今は全ていい思い出となっています 本日はその娘のことについて筆を取らせていただきました 既にご存知かもしれませんが、うちの下の娘がまたしてもGTレースに挑戦することになりました 日本ダービーの雪辱を晴らし、トレーナーさんにいいところを見せようと張りきっております もし菊花賞で娘が走っているところを見かけたら、トレーナー様もどうか応援してあげてくださいね 秋が深まりゆく季節になりましたが、お体にお気をつけてお過ごしください 敬具 ○○年10月○○日   アテナトウショウ (16)マチカネフクキタルの話 トレセン学園を去るウマ娘にはそれぞれ理由があります ある者は自らの才能に限界を感じ、ある者は競争能力自体を喪失し、ある者は目標を見失い… レースの中で事情が生まれる人が大半ですが、中には家の事情で去る者もいます 「まあ、あんまりいい結果も残せませんでしたからねぇ…仕方ないといえば仕方ないんですが」 デビューから3年。それまでに大成できなかったら実家に戻り神社を継ぐこと 厳しい条件ではありましたが家の事情を考えれば妥当な線かもしれません そして3年が経ち、得られたのは走り方とファンの方々……だけではありませんでした 「それより、こんな私でもここまで活躍出来たのは偏にトレーナーさんの指導のおかげです!」 「参拝客のウマ娘さんたちにもしっかり宣伝しておきますからね!むふふ…」 「ですからトレーナーさん。これからも……」 頑張ってください、という言葉は喉がつかえて出て来ませんでした これから先進む道を決定的に別たれてしまいそうで 例え言おうと言うまいと…もう別たれると分かっているのに 「いやぁいけませんねこんなに湿っぽいのは。運気が逃げちゃいますよ」 「トレーナーさん。私」 幾度となく口にしてきた好意を示す言葉。それは今この場に相応しくないと分かっていたけど 「私、トレーナーさんのことが……」 言葉に詰まる姿を見たトレーナーさんがいつものように頭をポンポンと撫でてくれました ここで抱き寄せてくれたら未来は変わっただろうか……そう思いながら、別れの言葉を紡ぎました 「……今まで、ありがとうございました」 「ってうやり取りがあったそうですよ。うちのお母さんが卒業するとき」 >「どうした急に」 フクキタルが雑談程度に話したのは桜舞い散る風景でも目に浮かびそうな一幕であった トレセン学園では稀に担当ウマ娘と結ばれるトレーナーもいるが、現実にはそういうケースのほうが圧倒的に多い 周知の事実ではあるが生々しい身内のエピソードを聞かされるのはちょっと堪えた 「先日里帰りしたとき、お母さんから現役時代の話を聞かされたんですよ」 「そういう訳でお母さんは私の味方ですから、トレーナーさんは安心して指導してくださいね!」 >「フクキタルは神社継がなくていいの?」 「それはその……もうすぐ妹が生まれるから大丈夫って…」 「もう、いいじゃないですかそういうことは!頑張りましょうねトレーナーさん!」 さすがにフクキタルもそれがどういうことか分かっているようで答えつつも目が泳いでいる 次のレース、負けられない戦いになりそうだ……! (17)スペシャルウィークたちの話 『優秀なトレーナーが長続きするとは限らない』 それが長年トレーナーを管理してきたトレセン学園経営陣の認識である 大きな声では言えないが担当ウマ娘に入れこみすぎてしまい不適切な関係を持つトレーナーは少なくない しかしその大半が年頃のウマ娘たちの精神の安定のためならば…と見過ごされるのが現状だ 事実、数千人のウマ娘たちの頂点に立つスターウマ娘の多くがトレーナーを精神的な拠り所としている 彼女たちが競技を続け、トゥインクルシリーズを盛り上げ、トレーナーが実績を積む ファンに知られれば倫理的に引っかかる点はあるだろう しかしこのサイクルが続く限りトレセン学園側がそれを大々的に禁じることはなかった 問題は上記のサイクルが崩れてしまうケースだ 例えば彼女たちが引退後、家庭に入るなりしてトレーナーが現役を続けるなら問題なし だが事情によりトレーナーが現役を続けられない場合もある。以下にその例を示す ---------------- 【case1 スペシャルウィークの場合】 彼女は他のウマ娘と違い編入する形でトレセン学園にやってきた 地元には他にウマ娘が居なかったらしく、明るい性格ながらややウマ見知り気味 加えて親元を離れ今までと全く違う環境で過すことになった彼女にとって、トレーナーが如何に大きな存在となったかは想像に難くない 彼女の実家は牧場を経営していた。家族は義理の母、そしてスペシャルウィークの2人 当然跡継ぎとして男手を必要としていたがスペシャルウィークがトレーナー以外の男性を選べるはずもなかった そして彼女に入れこんだトレーナーは中央のトレーナーの肩書を捨て、彼女と共に北海道に旅立った 『スぺの評判を聞いて遠くに住んでるウマ娘たちも顔を出すようになりました。今は彼女たちの先生の真似事をさせてもらっています』 在籍当時より日に焼けたスペシャルウィークの元トレーナーはそう語った ここ数年北海道から編入してくるウマ娘には基礎がしっかりしている将来有望な子が多いというデータがある 引退後も彼らは遠い北の地でトゥインクルシリーズを盛り上げてくれるであろう ---------------- 【case2 マチカネフクキタルの場合】 彼女はサイレンススズカ、タイキシャトルと同期だがデビュー当時は目立った存在ではなかった その末脚を見込んだトレーナーの粘り強い指導により菊花賞で才能を開花 後に金鯱賞で問題行動を起こしたこともあったが、共に批判を乗り越え結果を残したトレーナーとは強い絆で結ばれていたに違いない 彼女の実家は神社であり、引退後は当然跡を継ぐものと期待されていた フクキタル自身は辣腕を振るうトレーナーの将来を思い1人で家業を継ぐつもりであったが、彼女の引退と同時にトレーナーも辞表を提出 その後神職資格取得のため大学に入学し、今では実家の神社の名物となっている 『ウチの神社のお告げってフクキタルが隠れて言ってるだけですから、ウマ娘の参拝客の方々は境内で練習するのやめてください』 菊花賞ウマ娘のいる神社は必勝祈願をするウマ娘たちの間で一躍有名となっていた トレーナー時代の経験から参拝するウマ娘の癖を見抜いてアドバイスしてくれるため、不確かな神通力よりもご利益があると評判である 未だトレーナーがつかず不安を抱くウマ娘たちの受け皿となってくれるであろう ---------------- 【case3 キタサンブラックの場合】 キタサンブラックに大いに気に入られたトレーナーは彼女の実家からも熱い期待を寄せられている模様 2人ともまだトレセン学園に在籍中であるが、卒業後は学園側としても盛大に送り出す予定である (18)グラスワンダーたちの話 ある年のファン感謝祭、私は模擬レースで勝利しました その時の私の走りに魅せられた1人の男の子が私のファンになりました 同時にその男の子の一番を奪われた1人の女の子が私のライバルになりました 女の子はトレセン学園に入学し、心技体を磨き、ジャパンカップで私に挑んで勝利を手にしました 私の後を追いかけ、頂に至る道を走り抜けたその子に、私はトゥインクルシリーズの未来を託しました 彼女の名前はスクリーンヒーロー… そう、ファン感謝祭で大好きなお兄ちゃんを探して泣きべそをかいていた女の子です ---------------- 「グラスワンダー…さん?」 「うっそだー。もっとやせてたもん」 明鏡止水、明鏡止水 私グラスワンダーはかつての好敵手であり、頂に至る道を託したスクリーンヒーローさんに会いに来ています ジャパンカップで彼女に敗北したのを機に引退しましたが、時の流れは早いもの 幾つか季節が巡った頃にはスクリーンヒーローさんも引退してしまい、インストラクターとして就職したと聞きました あいにく電話中のようで門下生が出迎えてくれていますが、なかなか口が達者な子達ですね 「どうもお待たせいたし…ぐ、グラスワンダーさん!?どうしたんですか急に!」 「ええ、近くに寄ったものですから」 暫くして電話を終えたスクリーンヒーローさんが慌てて飛び出してきました 電話の相手は…スクリーンヒーローさんの引退後もトレーナーを続けている彼女のお兄さんでしょうね 自分の与り知らぬところでウマ娘に囲まれて過している…その不安は私にもよく分かりますよ 「トレセン学園の卒業と就職のお祝いに…と」 「……そ、それだけでしょうか」 「言ってもいいですか?」 「不甲斐ない弟子ですみませんでした」 ジャパンカップの鬼気迫る激走以降もスクリーンヒーローさんは走り続けました 宝塚記念や天皇賞秋などライバルとの激闘は胸を打つものがあったのですが、その後持病の悪化により引退を表明 命に別状はないということなので心配はしていませんが、問題は私たちの夢の続きです 「まあ私1人ドロップアウトしたって他に頂点に挑む人が…」 「スクリーンヒーロー。」 「申し訳ございません」 自分でも分かっていますがこれは八つ当たりです 勝手に期待して勝手に裏切られた。それだけの話ではありますが… 「せんせー、それより走るところ見ててよー」 「あっずるい!私もー!」 (2人とも静かに…!先生、今大事な話をしてるから) 中身の見えない話に飽きて来たのか門下生たちがスクリーンヒーローさんの袖を引き始めました 引退したのはつい先日…就職して間もないはずですが2人ともずいぶん懐いているようですね 「2人とも、スク…先生みたいに速くなりたいですか?」 「「なりたい!!」」 「そこは先生よりも速くなりたい、と言うべきところですよ。でも元気の良さは合格です」 「グラスワンダーさん!?」 きっと彼女たちも現役時代のスクリーンヒーローの走りに憧れ、彼女に師事を求めに来たのでしょう 覚悟、叛骨、嫉妬、羨望…大義を成す原動力、強い気持ちがこの子たちにはある 私達の頂へ至る道は…もしかしたら、まだ潰えていないのかもしれない 「今日は私も練習にお付き合いさせてもらいましょう。いいですよね先生?」 「えっ」 「いいですよね?」 「よ、喜んで」 スクリーンヒーローの弟子ならば私の孫弟子も同然でしょう 思いがけないところで将来が楽しみになってきましたね 「では練習を始めましょうか。ふたりとも、お名前は?」 「モーリスです!」「ゴールドアクターです!」 (19)マチカネフクキタルの話 フクキタルと出会ってから3年が経とうとしている 開運グッズを捨てたこと、夏合宿で少しいけない気分になったこと、菊花賞ウマ娘になったこと その後金鯱賞でボロ負けしてバッシングを受けたこと、開運グッズを捨てたこと、ファン感謝祭で応援されたこと、開運グッズを捨て宝塚記念に勝利したこと 目を閉じればいくつもの思い出が浮かんでくる…そして今日はその総決算だ 有マ記念。ホープフルステークスと並ぶ年末最後の芝GTレース ファンへの感謝、友達の想い、亡くなった姉への憧れ… 多くのものを抱えフクキタルはレースに挑む >「フクキタル、その……」 「ほへ?なんでしょうトレーナーさん」 声をかけたはいいが正直まだなんと言うべきか決まりかねていた 言ってやらなきゃいけないことは山ほどある。『精一杯やってこい』とか『勝つと信じている』とか そんなことよりも一番聞きたいことがあり、それを言うべきか迷っていた 数々の不安も劣等感も乗り越えて、フクキタルはこの大舞台に立とうとしている そんな今動揺させてしまいかねないことを言っていいのだろうか 「…ムフフ。あんまりまじまじ見られると照れちゃいますよぉ〜」 >「茶化すんじゃない」 「冗談ですってば。大丈夫ですよトレーナーさん、期待でも願掛けでもなんでもかけちゃってください  あなたに育てられたこの私が全部背負って一等特賞大吉をもぎ取ってきますから!」 その言葉は金鯱賞の時のように甘ったれた勝利宣言ではない 努力が自信に変わるまで練習を重ね、期待と責任を真正面から受け止められるようになった者の言葉だ 今のフクキタルなら…きっと受け止めきれるだろう >「気を遣わせてすまない……じゃあ改めて、フクキタル」 「ビシッ!なんでしょうトレーナーさん!」 >「本当に今更なんだけどお前……今日、アンスコ履いてる?」 「……はい?」 フクキタルは勝負服だといつも黒のアンダースコートを履いている 結構丈が長いもので、短めのスカートから裾がチラチラと見えるのだが今日はなぜか見えなかった >「ごめん大事なレースの前に。やっぱり聞き流してくれ」 「あはは、そこまでおマヌケじゃないですよぉ!この通りちゃーんと…」 そういってフクキタルはスカートをめくって見せてきた 「あれ?どうしたんですかトレーナーさん。何か言っ…て…………っっ!!」 結論から言うと大被害は免れることが出来た。あと白だった -------------------------------- 「お見苦しいものを晒す前に教えてくれてありがとうございます…うう……」 >「元気出せ、皆も見てるぞ」 「み、皆さん見てるんですか!?」 >「ああ、ファンの皆はもちろんスズカもタイキもドーベルも、空の向こうでお姉ちゃんも見てるはずだ」 「そこまでして見たいものなんですか!?」 >「もちろん俺もだ。今日だけじゃなく、これから先も見せてほしいと思っている」 「ココココこれから先も!?」 茹で蛸みたいに真っ赤になっていたフクキタルだったがしばらくして頬を叩いて気合を入れ直した 「あの…トレーナーさん」 >「どうした?」 「えっと……お望みとあれば、トレーナーさんには見せてあげますから…」 消え入りそうな声でそう呟くとフクキタルはパドックに向かっていった >調子は絶好調をキープしている (20)ミホノブルボンの話 トレーナーバッジ…それはトレーナー免許証と並ぶURAのライセンス試験に合格した証である 免許証と比べ提示しやすい身分証であり、多くのトレーナーが上着に取り付けている 地方、中央問わずURAから発行されるそれはいくつものランクに分けられており、そのランクに応じて管理権限が決められている もしこの管理権限を越えた場合どのようなことが起こるか、以下にその事例を示す 『URAファイナルズ決勝、最終直線に一番乗りしたのはミホノブルボン!このまま押し切れるか!?』 一番人気に推された俺の担当ウマ娘ミホノブルボンはここまで一度も引っかかることなく先頭をキープしている ライバルトレーナーのライスシャワーの追い上げが気がかりだがこのペースなら突き放せるはずだ >「いけ、ブルボン!G001st.F∞;だ!」 「オーダー不受理、つーんモードに移行します」 >(しまった……こんな時に!?) 『これは驚きの展開!ミホノブルボン、トレーナーの言うことを無視しています!』 他のトレーナーから譲り受けた担当ウマ娘のレベルがバッジの管理権限を超えて高い場合、トレーナーの命令を無視することがあるのだ 「ライス!ブルーローズチェイサーだ!」 「はい!お兄さま!」 『そのスキをついて集団を抜け出してきたのはライスシャワー!今ミホノブルボンを差し切ってゴオオオル!』 『URAファイナルズ決勝、優勝はライスシャワー!2着はミホノブルボン!』 「残念だったなミホノブルボンのトレーナー!勝ったのは俺のライスだ!」 >「嘘だ!ブルボンが負けるなんて…」 「ミホノブルボンは本当に強かった。だがお前のトレーナーバッジじゃ扱いきれなかったようだな」 >「そ、そんな…」 URAファイナルズ決勝で敗北した俺は 目の前が 真っ暗に なった! -------------------------------- >「……はっ!ゆ、夢か…」 目覚めと同時に鼻をつく消毒液のにおい…どうやらここは保健室のようだ 疲れが取れるのはいいが変な夢を見ることがあるとウマ娘の間でも有名な場所である URAファイナルズは既にミホノブルボンが優勝を果たしたというのに、今更変な夢を見たものだ 「お目覚めですか、マスター」 >「わっ!…お、おはようブルボン」 天井から視線を下ろすとそこにはミホノブルボンがいた そこ…というのも正確には仰向けになっている俺に跨っている形なのだが 「マスターの起床を確認……想定の範囲内につきミッションを続行します」 >「ちょっと待て、ブルボン!なんで服を脱がせようと……っ!?」 「現在、マスターの両手首を手錠により拘束中。無理に動かないことをお勧めします」 「クラシック三冠達成、有マ記念およびURAファイナルズの優勝。マスターが私に与えてくれたものは計り知れません」 「故にこれよりミッション『成人男性向け慰労』を実行いたします」 「なお天井には染みを形成済みです。行為中にカウントしていただくことをお勧めします」 誰に吹き込まれたのか知らないが大変なことになっているのは間違いない 俺はミホノブルボンの誤解を解くよう、優しく諭すように声をかけた >「そんなことをしなくてもいいんだ。放してくれ、ミホノブルボン」 「……オーダー不受理。繁殖モードに移行します」 ミホノブルボンの人間離れした力で俺の上着ははぎ取られ、トレーナーバッジはどこかへ飛んで行った (21)マチカネフクキタルとマンハッタンカフェの話 ※1スレ内でしたが全8話構成です 1 7月。URAファイナルズで好成績を残しコンビ続投となった俺とマチカネフクキタルは夏合宿に突入した 『聞いてくださいトレーナーさん!合宿場の裏山が有名なパワースポットという噂をキャッチしました』 『2人で行くと吊り橋効果で運気も爆上げ絶好調!と聞きますし、一緒に行ってみませんか?』 そんなフクキタルの言葉にそそのかされて来たものの、案の定悪い意味でのドキドキしかなかった 「なんだか聞いていたほどご利益が無さそうなパワースポットですね」 >「そりゃそうだろう…」 行けども行けども続くろくに手入れもされていないなだらかな坂道 周囲は背の低い木々で囲まれており、天気が良ければ星空を眺めながら歩いたりするのだろう もっとも今夜は暗雲がほとんど空を覆い尽くしおり、星どころか月すら満足に拝めない そして視線を下ろし辺りを見渡せば、現世に未練を残した亡霊たちで芋洗い状態になっていた 「ところでトレーナーさん、もしかしてお疲れでしょうか?ちょっと休みます?」 >「いや、全然疲れていないから早く進もう」 フクキタルは守護霊に守られているせいなのか心霊現象の源泉かけ流しに肩まで浸かっても一向に霊感が身に付かない 対して巻き添えで心霊現象のわんこそば状態な俺はすっかり感度ビンビンになっていた 「……オヤ?トレーナーさん、誰かいますよ」 >「まさか、こんな夜更けに登山客なんて」 自分たちも他人のことは言えないのだが、フクキタルの指さす先には確かに生きている人間がいた 暗雲の隙間から漏れた月光に照らされる艶やかな青鹿毛。額から跳ねるように立った一筋の流星 実寸以上に小柄な印象を受ける痩身のウマ娘が2人、月を眺めて水筒を傾けていた >「あれは確か…マンハッタンカフェ?」 「カフェさんじゃないですか!ウワサに違わぬ神出鬼没…あなたもお散歩ですか?」 「え……ええ。その…す、すみません」 カフェたちは水筒を置くと開口一番こちらに頭を下げてきた 生徒2人で引率も無くこんなところにいるあたり、もしかして合宿場から抜け出してきたのかもしれない 俺は叱るつもりは無いがこんな場所に長居は良くない、と2人に下山を勧めた 「そうですねぇ……これ以上は収穫もなさそうですし一緒に帰りましょうか」 「い、一緒に……ですか」 >「大丈夫。君たちを告げ口するつもりはないよ」 「君…たち……そうですね。分かりました」 その言葉に安心したのか、カフェともうひとりの子は水筒を仕舞い素直に同行してくれた 彼女はあまり話すのが得意でないらしく、道中フクキタルに質問責めに合っていたように思う 俺ともうひとりのウマ娘はその様子を後ろから眺めつつ、ほとんど無言で下山していった 「カフェさんにはお近づきの記念にこのコーヒーを飲んでもよく眠れるお守りをあげます!」 「はぁ……ありがとうございます。では、私の宿泊先はこっちなので……おやすみなさい」 >「おやすみ、2人とも」 カフェたちはぺこりと頭を下げるとそそくさと合宿場に戻って行った 自分たちも見つからないうちに帰ろう…と思ったとき、フクキタルが話しかけてきた 「そういえばトレーナーさん、帰るとき何を話していたんですか?」 >「何って言われても……ちょっと世間話をしただけだけど」 「えーっと……その、おひとりでですか?」 >「1人でってそれこそ何を……ん?」 思い起こせばあの人懐こいフクキタルがカフェと一緒にいた子には一言も声をかけなかった覚えがある あの子は俺が話しかけても一言も喋らなかったばかりか、足音ひとつ立てなかったような… >「フクキタル、一応聞くけどさっきまで俺たち何人いた?」 「ほへ?私とトレーナーさんとカフェさんの3人ですよ。もう忘れちゃったんですか」 真夏の夜、合宿場に妙に生ぬるい風が吹き抜けた気がした 2 >「それじゃあ今日の練習を始めようと思うんだが…」 「ハイ!トレーナーさん質問です!」 夜の登山から一夜明け、燦々と照り付ける夏の日差しのなか元気よく答えたのはマチカネフクキタルだ 今日のメニューには水泳もあるのだが水着姿にダルマの耳飾り着用とやる気が有るのか無いのかわからない 「その首の痣みたいなのはどうしたんですか?昨日はありませんでしたよね」 >「いつついたかは覚えてないが朝起きたらこうなってた」 「あの……痛みとかは…」『……』 >「特に無いから大丈夫。気を遣わせてすまない」 心配する3人に感謝を伝えこちらの質問に移る……そう、心配しているのは3人なのだ >「今も声が聞こえたのでたぶん熱中症から来る幻覚ではないと思うんだけど」 >「なんでマンハッタンカフェ…たちがここに?」 学園のプライベートビーチである浜辺にはフクキタルとカフェ…とカフェによく似たウマ娘が居た 三人目の子は全く喋らずフクキタルも何のリアクションも示さないのでおそらくそういう存在なのだろう 「私が誘いました!むふーッ!」 >「初耳なんだけど…」 「……やっぱり、ご迷惑でしたらこれで…」 「ああっ待ってくださいカフェさん!今月の占いで気の合う仲間と一緒に練習すると吉と出ているんですよー!」 どうやら昨夜の下山中、フクキタルがカフェと話している間にそういう流れになったらしい お世辞にも気が合うようには見えなかったが2人とも適正は芝の長距離寄り、脚質も差しと共通点が多ようだ しかしカフェは既にトゥインクルシリーズでデビューしておりトレーナーがついていたはずなのだが 「私のチームは……どちらかというと…その、マイル路線なので」 「ってわけで合宿の間は私たちと一緒にガッツリ幸運とついでにスタミナもつけちゃいましょう!という話になったわけです」 >「カフェのトレーナーからは許可は下りているのか?」 「は、はい!……ですから…短い間ですが、よろしくお願いします」『……』 マイルや中距離に比べると長距離はレース自体が少なく、椅子取り争いも激しい狭き門だ 菊花賞を控えたこの大事な時期に専門家の指示を仰ぎたいという気持ちも分からなくもない それはそれとしてカフェの言動からどこか…チームとの距離を感じた気がした >「……わかった、7月の間は俺が君たちの指導役を務める」 >「フクキタルの練習でもあるからシニアレベルの厳しいものになる、気を引き締めるように」 「はい!」『……!』「エ゙ッ」 逆境にあって目を輝かせているカフェは見た目以上にレース向きの性格をしているのかもしれない あとフクキタルの練習量は3割増しにしよう。そう誓ったミーティングであった 合同練習初日を終えて翌朝。俺の首の痣がもう一本増えていた 3 朝、首の痣が増えて気付いたことがある どうもこれは人間の指の跡……それも自分のものよりも細い、おそらく女性の指の跡に見えた そして一度意識してしまうと首を絞められるような錯覚に陥り息苦しさを感じてくる 「呪い……でしょうか?」 >「呪われるようなことをした覚えはないんだけどな」 「そ…その話、私にも…ぜぇ……聞かせてください…」 遠泳練習の合間、休憩時間中に俺とカフェは痣について話していた スピリチュアルな話題を感じ取ったのか1.3倍の練習メニューを課されたフクキタルも食いついてきている 「すぅー…はぁー…イヨシッ!占い、呪い、怪奇現象、この世の神秘はマチカネフクキタルにお任せあれです!」 >「元気になったみたいだし練習再開しようか」 「ギョエー!血も涙もないのですかトレーナーさん!?」 「い、いいんですか…?話くらいは聞いてあげても……」 覚えはないが原因はおそらく先日の夜の山登りだろう 知らない間にカフェ…はないとして、俺かフクキタルが虎の尾を踏んで恨みを買ったのかもしれない こういう場合フクキタルはシラオキ様とやらに守られているので大概こっちに降りかかってくるのだ >「とにかく、君たちが気にすることじゃない。練習に集中するように」 「はーい…」「はい…」『……』 そう言ってこの話題を締めくくるとフクキタルとカフェは練習に戻り、カフェの『お友達』はどこかへ消えていった 消えた『お友達』が見つかったのは約半日後……亡霊だらけの合宿場の裏山であった 「トレーナーさんの…首の痣の原因……あの子が見つけてくれたみたいです」 「フムフム。ここに件のウマ娘の幽霊さんがいるという訳ですね?」 >「フクキタルそっちじゃない。逆方向だ」 裏山には俺以外にカフェとその『お友達』、あと全く見えないのにフクキタルもついてきたようだ トレーナーになってから多少そういうモノが見えるようになったが会話をできるほどではない 今回は原因となるウマ娘の亡霊の話を『お友達』を通し、カフェに通訳してもらった 「……どうやら彼女は合宿中、新潟のレースに出るつもりが、ここで命を落としたと言っています」 「トレーナーと一緒に新潟に行きたかった……と。その思いでここに縛られているのかもしれません」 「トレーナーさんとフクキタルさんは…その……仲良さそうにしていたので…イラッときたらしいです」 やたら新潟にこだわるウマ娘の亡霊だが八つ当たりを受けていることは分かった この首の痣を消してもらう方法がないか、カフェと『お友達』を通し聞いてみたのだが… 「……えっ?…うん……わかった…」 「カフェさん、幽霊さんはなんて言ってたんでしょうか?」 「未練を残したレースを走りきりたい…レースをして、私たちが勝てたら痣を消してあげる…と」 >「そのレースって?」 俺の言葉を受け、カフェは今まで歩いてきた山道を指さした 草木や石ころで荒れてはいるが、背の低い木々に囲まれてまっすぐ伸びた山道 1kmはありそうなその緩やかな坂道を見下ろしてカフェは答えた 「GVレース、アイビスサマーダッシュ……直線芝1000m……だそうです」 4 朝起きたら嫌なこと全部夢だったらいいのに そんなことを思いながら鏡を覗き込んだが、案の定首の痣はまた1本増えていた これで3本目。1週間後には両手分の痣が広がるのを想像してげんなりしつつも身支度を済ませた 「真夏の納涼、スピリチュアル体験!星降る夜は幽霊さんと一緒に走りましょう!」 「…とスプリンターの方々に宣伝したんですが、断られてしまいました」 >「だろうな…」 「わ…私たちが頑張りますから……」 昼食を兼ねたミーティング。聞かされた勧誘の成果は予想通りであった 心遣いは嬉しいがあんな魑魅魍魎の巣で無事でいられるウマ娘はこの子たちくらいであろう 今ある手札で勝負するしかないのだが、相手はGVクラスとはいえこちらの条件が悪すぎた まず距離適性。フクキタルもカフェも距離が長いほど望ましく、1000mはどう考えても短すぎる 坂道や悪路については意外にもカフェが適正を見せた…が、地形の影響を無視する亡霊相手ではまだ分が悪い そして直線のみというコース構成、これも長距離を主戦場とする2人には影響が大きかった 「普段はどれだけ上手く曲がれるかって勝負所のひとつなんですけどねぇ…」 「ちょっとだけ……息を入れられるタイミングですから…無いのは厳しいです」 さらにもうひとつ、本来ならこちらにとってアドバンテージとなる項目があった 一部のウマ娘だけが持つと言われる他に類を見ない技能…固有スキルとも言われる能力の存在だ 「私のお友達の話では…例のウマ娘の亡霊さんは固有スキルに目覚めていないらしい…ですが」 「なんと!?ツキが向いてきましたよ!その点では私が一歩リード!」 >「3頭立てのレースで相手の姿も見えないのに?」 「デスヨネ…」 フクキタルはこう見えて追い抜き時のフェイントが抜群に上手い……上手いということにしておく なのだが前が詰まるという状況が発生しにくいレースではこれが全くあてに出来ないのだった 「カフェさんはどんな感じですか?」 「……すみません、私はまだ…そういうのは」 固有スキルに目覚めるきっかけはトレーナーに見いだされ、信頼関係を深めた瞬間が多いと言われている 距離適性に開きがあるチームに加え引っ込み思案なカフェが目覚めていないのも不思議なことではなかった >「大丈夫、フクキタルでも覚えたんだからそのうち覚えるよ」 「そうそう私でも……ってどういうことですか〜!?」 「……ふふっ…」『……』 ふんぎゃろってるフクキタルにぽこぽこ叩かれたがカフェたちは少しだけ笑ってくれたようだ 正直気が重くなる要素しかないが出来ることはしていかなければならない >「今日の午後から短距離路線チームの練習に混ぜてもえるよう、話をつけてきてある」 >「2人には…特にカフェには悪いが、付け焼き刃でも短距離の走り方を身に着けてくれ」 >「最低でもスプリンターがどういう走り方をするのか…しっかり観察して対策を練ってほしい」 特に相手の姿すら見えないフクキタルは現状ペースをつかむことすら困難だろう 向こうの土俵に引きずり込まれるのは癪だが正直これ以外に方法はない 「分かりました!それでトレーナーさんは?」 >「俺は俺で対策を練ってくる。トレセン学園の元生徒ならデータも残っているはずだ」 >「しばらく練習を見てやれないけれど、頼んだぞ」 俺はいつもの癖でフクキタルの頭と、ついでにカフェの頭をぽんと叩いた 『……』 無言で睨んでくる『お友達』の頭も撫でようとしたが、こちらは空を切る結果に終わった 5 8本目の首の痣が出た日。運命のレースの前日は朝から雨が降っていた 「今日はスプリンターチームの方々も外での練習はお休みのようですが…どうしましょうか?」 >「明日は本番だし、フクキタルとカフェも休養にしよう」 「いいんでしょうか…本番前に……」 >「雨の中練習して体調を崩すリスクの方が大きい。屋内の自主練もほどほどにすること」 フクキタルは休むことに関しては聞き分けが良いのでいいとして、気になるのはカフェの方だ まだ緊張しているのか生来の性格か思いつめる…は言いすぎだが頑張りすぎてしまうところがある >「件のウマ娘の亡霊について、生前の情報をまとめておいた。参考にしてくれ」 「あくまで休養であってサボりは許さないというトレーナーさんのお心遣いが身に沁みますねぇ…」 >「俺は会場の下見に行ってくる。何かあったら連絡すること」 3人にそう言い残して俺は雨合羽を羽織り、裏山に向かった 霧雨が肌にまとわりつくのを感じながら歩くこと数時間 夜ほどではないが薄暗い山道で俺は登り降りを繰り返していた 予報が正しければこの雨も夜には止み、レースの時には水もはけているだろう 鬱陶しい雨雲から視線を下ろすと……雨ざらしの前髪で顔が完全に隠れた女が立っていた >「うわああああ!!」 『……!?』 「どうしたんですか!?」 >「うわああああ!?」 突然後ろから呼ばれて振り返ると、それと瓜二つの女がもう1人立っているではないか ビックリして尻餅をつき、びしょ濡れになったあたりでようやくその正体に気付いた >「……もしかしてカフェか?」 「はい。マンハッタンカフェですが…」 よく見るとカフェの方はしっかりと傘をさしている。最初に見たのは『お友達』の方だったのだろう 俺はカフェに手を引いてもらい体を起こした 「…鎌」 >「うん?これがどうかしたのか」 「鉈、それにスコップ……そんな道具で…幽霊と戦うつもりだったんですか……?」 カフェはここ一週間で使い込まれた俺の道具を見てる尋ねてきた こんなもので身を守れるなら苦労はないのだが… >「フクキタルじゃあるまいしそこまで能天気じゃないよ」 >「これは正真正銘のただの農具。あの亡霊と君たちの差を埋めるためのものだ」 「この農具で……ですか?」 >「振り返って見てごらん」 カフェたちが振り返るとそこにはやはりコースとは名ばかりの山道が広がっていた しかしよく見るとそれは1週間前の山道と同じではない >「石ころを除いて、雑草を刈り揃えて、木の根を掘り起こして、道の凹凸も均した」 >「URAの整備するターフには程遠いけど、以前よりは走りやすくなったはずだ」 「これを……1人で…?」 応援を頼もうにもこの山は昼間でもそういうモノが全くいない訳ではない 自分の尻拭いのために無関係の人を巻き込めなかった…という理由もあったのだが >「フクキタルは夜道で気をつけて走るなんて器用な真似は出来ないからな」 >「君も含め、こんな野良レースで怪我なんかさせられない。それに」 >「ウマ娘たちが自分の走りに専念出来るようサポートするのがトレーナーの仕事だ」 「フクキタルさんは…この事を知っていたから、どこかに行っても何も言わなかったんですね」 >「……ああ!」 トレーナーなら誰もがそう思っているし、そうするに違いない フクキタルがちょっと他のウマ娘より手がかかるだけで当たり前のことだ 「あなたたちの関係が……ちょっと羨ましいです」 >「心霊現象はいい加減勘弁してほしいけどね…」 カフェもいつか彼女のトレーナーの想いに気付き、心を通わせる日が来るだろう 誤解を解いたところで作業に戻ろうとすると、カフェはどこからか水筒を取り出した 「お手伝い…を申し出てもご迷惑と思いますので、せめてこれを」 「ホットコーヒーです。温まりますし、頭も冴えますよ」 >「君らしいな。ありがとう、カフェ」 カフェがくれたコーヒーはブラックだったが癖がなく飲みやすいものだった 『お友達』は相変わらず無口だったが気持ち微笑んでいた気がする 6 首の痣が9本に増えた日の夜、約束のレースの時 俺とフクキタル、カフェとその『お友達』は裏山に来ていた 「夏といってもやっぱり山の夜は涼しいですねぇ」 「涼……えっ…?」 >「気にしないでいいぞカフェ。見えないならその方がいい」 今夜の山道には初日よりも大勢のギャラリーが押し寄せていた レースを観に来た亡霊からそれに引き寄せられてきた亡霊まで それは全く霊感のないフクキタルが若干でも悪寒を感じるほどのものだった 幸い雨雲も昨晩には無くなっており、バ場状態は良といったところだ 視界の方も月明かりやらヒトダマやらに照らされ思ったより悪くない もっともフクキタルだけはヒトダマも俺の演出と思っているようだが…どちらでもいいだろう >「それじゃ皆、位置について…」 山の中腹にある山道直線コースのスタート地点 亡霊のギャラリーに囲まれウマ娘の亡霊、フクキタル、カフェの3人が並んでいた 俺はというと霊感のないフクキタルにも分かるようスターターを務めている >「用意……スタート!」 旗を振り下ろすと同時に3人は一斉に駆けていった URAの管理する公式レースであれば空撮も用意されていたであろうが野良レースにそんな余裕はない ゴールには一応ビデオカメラを置き順位を確認できるようにはしているのだが… >(頑張ってくれ…フクキタル、カフェ) 呑気に待っている気にもなれず、俺は原付に乗りその後を追いかけた 「はっ…はっ……くっ!」 「……っ、カフェさん…!」 レース中盤、先頭を走るウマ娘の亡霊がリードを保っていた そのやや後ろにカフェがつけており、少し離してフクキタルが追いかけている カフェにしてはかなり早いペースだが…これが今回の彼女の作戦だった 『相手の生前のデータを見る限り、フクキタルさんなら差しきれる可能性があります』 『なので私は終盤まで相手のすぐ後ろにつけプレッシャーを与え続けます』 『フクキタルさんはゴール前で私を1…いえ、2バ身差をつけるつもりで差しきってください』 フクキタルには計算上は勝ち目があるが相手が見えないという致命的な弱点がある どちらかが勝てばいいという点に目をつけたカフェは自ら目印役を買って出ていたのだ 立木に蛍光テープを巻いた即席ハロン棒…残り200mが見えたところでフクキタルが動いた 「はぁぁぁあああ!!!」 スパートをかけたフクキタルは足元の悪さも関係ないとばかりに力強く加速した 一歩また一歩と踏みしめるたびに前を行くカフェとの差を詰め、ついには抜かしていく 当然それで終わりではなく、フクキタルは目の前に居るであろう何かを睨みつけた 『……!?』 「そこ…ですね……っ!!」 一瞬、後ろを振り返ったウマ娘の亡霊の表情が驚きの色を見せた 連日のスプリンターたちとの訓練、そしてウマ娘の亡霊が放つ勝負への情熱 それらを通じてフクキタルは見えぬはずの相手の背中を捉えていたのだから 両者はさらにもう一段階加速した。決着は目前に迫っている そしてもう1人の役者はその背中を眺め、力尽きかけた足を動かしていた 7 私は『お友達』に恵まれる反面、友人が少ないウマ娘だった 変人のアグネスタキオンはさておき、『お友達』の存在を共有できない相手には距離を感じている それはチームメイトやトレーナーに対しても同様であり、固有能力に目覚めていない事実がそれを物語っていた 既に勝負はフクキタルさんと亡霊の一騎討ちの段階に入っており、私の出る幕はない ―――『本当にそうなの?』 …分かっている。レースに勝ちたくないウマ娘など居ない、今なお止まらぬこの足が証拠だ でもここは不安定な山道だ。暗くてよく見えないし、全力で走ることは出来ない ―――『本当にそうなの?』 …分かっている。亡霊ならまだしも、フクキタルさんはあのように全力で走っているではないか 私は知っている。1週間前は荒れ放題だったこの山道をあのトレーナーさんが整えてくれたことを フクキタルさんが全力で走れるのはトレーナーさんの仕事ぶりを少しの迷いもなく信頼しているからだ …ねえ、私も……あの人を信じていいかな? ―――『…………』 ……そうだね。そうしよう 行こう、一緒に ほんの少し迷ってる間に2人にはずいぶんと離されてしまった 届かないかもしれない、けどもうそんなことは関係ない 「とど…け……ぇぇえっ!!」 解き放ったのは凶暴なほどの勝利への渇望。それは私の知らない、私の力の片鱗だったのかもしれない 闇に溶けて前を行く二人の背中に追いすがった。けど、今回はあと一歩届かなかった レースの結果は―――生粋のスプリンターに付け焼き刃が届くはずもなく、ウマ娘の亡霊の勝利だった 「と、トレーナーさぁん……あのあの、私には見えなかったんですけど…どうなったんでしょうか?」 フクキタルも何となく結果は察しているのだろう。いつもより青い顔をしている 朝がくればもう一本分の指の痣が増え、俺の首は……正直無事でいられる気がしない 後悔がないと言えば嘘になるが、最後にいいレー「もう一回です!!」 異議を申し立てたのは最後の最後でアタマ差まで詰め寄ったカフェであった 「……一発勝負とは言っていないはずですよ」 「こっちはようやく温まってきたところなんです。勝ち逃げなんて許しません」 「さあ、もう一度始めましょう…さあ!早く!!」 ラストスパートで吹っ切れたかのような走りを見せたカフェだったが、他のブレーキも壊れてしまったのかもしれない 戸惑っているウマ娘の亡霊に対してフクキタルも追撃に加わった 「そ、そうですよ!私たちは元々スタミナが売りですからね!良い目が出るまで振り直しがおみくじの必勝法です!」 「ええ。まだまだ夜は長い…満足させてもらえるまで朝までだってやりますよ!!」 まさかの二回戦の申し立てにウマ娘の亡霊は却下する姿勢を見せる …が、そうは問屋が卸さなかった 『こんな面白いレースが一度きりなんて嘘だろ』 『あの青鹿毛のウマ娘…本気の走りはこんなもんじゃないわよね?』 『ツレのお友達もヤル気満々じゃねえか。再戦だ再戦!』 「勝利に飢えたケモノと化すウマ娘ちゃん……尊すぎる…しゅき……」 『なんか観てたら私もウズウズしてきたわね…飛び入りさせてもらわよ!!』 亡霊たちにしてみればGTウマ娘レベルの生の走りなど滅多に見れるものではない 勝手に盛り上がってしまったギャラリー亡霊たちの勢いに押し切られ、ウマ娘の亡霊は渋々スタートに戻っていった 8 それから何レース…あるいは十レース以上走っただろうか (モウ……ムリィ…) 野次ウマ亡霊たちも混ざって大混戦のレースに発展したあたりでウマ娘の亡霊は力尽きたかのように倒れ込み、夜の闇に消えていった 「オヤ?トトトレーナーさん、首の痣が消えてますよ!?」 「チッ、逃がしたか…」 『おおっとここまでか!?勝者!マチカネフクキタル・マンハッタンカフェチーム!!』 いつの間にか実況を始めた亡霊の宣言にギャラリーの亡霊たちが沸き上がった ウマ娘の亡霊も満足いくまで走って成仏…?おそらく成仏したのだろう 俺はギャラリーの亡霊たちに胴上げされながら無事生きたまま夜明けを迎えることができた 一夜明け、合宿場に戻ったフクキタルは練習できる状態ではなかった 『一晩中走りまくりましたからね……ヤスマセテクダサイ……』 俺の都合で引っ張り回した手前、今日一日は体調不良という名目で休ませている 俺はというと少し仮眠を取ったあと、滞っていた長距離向けの練習メニューを組み直していた そんな最中、1人の…『お友達』を含めると2人のウマ娘が訪ねてきた 「こんにちは……顔色、良くなりましたね」 マンハッタンカフェはレース後もしばらくハイになっていて心配したが、どうやら元に戻ったようだ さすがに今日は練習は無いと追い返そうとしたところ、彼女は首を振って一枚の紙を手渡して来た 『チーム移籍届』……提出者はマンハッタンカフェ、提出先は俺の名前になっている 「トレーナーさんは…私のお友達のことを理解してくれた初めてのトレーナーです」 「私の中に眠っていた力を目覚めさせて、受け入れてくれた人…」 「だから……これからも末永く、よろしくお願いします」 あの闘争心の塊を受け入れた覚えはなかったが、カフェの笑顔の後ろから『お友達』の強い圧力を感じる 俺は息苦しさを感じなくなった首元を撫でながら彼女の移籍届を受け取った なお、ここまで無名であったマンハッタンカフェが夏の上がりウマ娘として名を馳せるのは少し後の話である (22)ライスシャワーの話 ウマ娘ライスシャワーは考えていた お兄さまこと担当トレーナーに日頃の感謝を伝える術はないかと 『心配しなくてもライスには普段から元気をもらってるよ』 そう言って練習の合間に手作りおにぎりを振る舞ってくれるトレーナーの笑顔は優しかった ライスシャワーは当然レースでも結果を残している。しかしそれでは足りないのだ そんなある日彼女はウマ娘母乳学会の発行物を目にしてしまう これだ!ライスシャワーは天啓に導かれる思いがした しかし悲しいかな彼女に備わっていたのは小ライスだったのだ 「ううん……ライス挫けない!」 ライスシャワーはめげなかった 現在で足りぬならばその将来を引き寄せればいい。彼女は急成長を望んだ 彼女はは食事の量を倍にした。牛乳もいつもよりいっぱい飲んだ トレーニングや学業に打ち込みつつも早寝早起きを心がけ、睡眠時間をいっぱい取った 我慢強い彼女でも挫けてしまいそうになるときもあっただろう しかしそういう時は敬愛するお兄さまのことを思うと勇気が湧いてくるのだ 『今日も差し入れいっぱい作ったから、遠慮なく食べてくれよライス』 『無理しちゃダメだぞライス。辛いときは俺に言ってくれよ』 『今日は負けちゃったけどライスは頑張ったよ、次は勝とうな』 『ライス…! ライス……!!  ウッ』 決意の日から数か月後、そこには念願叶いトレーナーにお乳をあげるライスシャワーの姿があった 強い決意を貫くその様はまるで我が子のために身を粉にして働く母のようであったと担当トレーナーは語っている (23)エルコンドルパサーの話 「準備はいいデスかトレーナーさ…ゴホン!覆面レスラー、ト・レイナー!」 「グヘヘ…その余裕、イツまでもつかナ?アステカコンドル!」 あるクリスマスの夜…エルコンドルパサーとそのトレーナーはプロレスショーを開いていた ギャラリーは親が仕事で帰ってこれず保育園に預けられている子供たちである (いいデスかトレーナーさん、子供は鋭いので手加減は見抜かれます。やるなら本気デス) (分かった。でもエルは手加減してくれよな) 2人は本番中に組み合いながら目で意思疎通を図る。熟練のコンビならではの連携だ そしてふとトレーナーの体が浮いたかと思うと、子供たちのすぐそばまで投げ飛ばされた 「わあああ!ト・レイナーがふっばされたー!」 「やっちゃえー!エルコンドルパサー!」 「エルじゃなくてアステカコンドルデース!トウッ!」 エルコンドルパサーはコートをはためかせて飛び上がりトレーナーに追撃をかける …と思いきやそれを読んでいたトレーナーは体勢を入れ替え逆に彼女に圧し掛かるのであった 「やってくれたナァ、アステカコンドル!次はコッチの番ダ!」 「来るがいいデース!エルは技を避けませんよ!」 体勢有利、男女の力量差があるとはいえ相手はウマ娘 エルコンドルパサーの情熱に応えるためトレーナーは心を鬼にした 「ト・レイナーが手をふりあげた!まさか…!」 「ちがうわフェイントよ!もう片方の手がエルコンドルパサーの顔にかかって…」 「ああっ、エルコンドルパサーが仮面をとられた!」 「ばかね!それくらいでエルコンドルパサーが…あれ?」 「そんなぁ…あの強いエルコンドルパサーがしおしおになってる!」 「見て!ト・レイナーが耳元でなんかこしょこしょ言ってるわ!」 「エルコンドルパサーがイヤイヤしてる!してるのに…ぜんぜんぬけ出せない!」 「あっ!あーっ!ト・レイナーがエルコンドルパサーにちゅーしてる!」 「ちがうよ!ちっそくさせるつもり…なんだよ…たぶん」 「えっ…でもエルコンドルパサーのほうからト・レイナーをつかまえてない?」 「そうかな…そうかも……」 子供たちが固唾をのんで見守るなかエルコンドルパサーとトレーナーの真剣ファイトは1時間ほど続いた なおこれ以降保育園の中で…特に男児とウマ娘の間でプロレスごっこが流行ったのは子供たちの間だけの秘密である (24)ミホノブルボンの話 かちり マスターの居住地のセキュリティシステムのアンロックを確認 足に負担をかけない範囲で急加速…のち反転運動を行います 「お帰りなさいませ。マスター」 「お帰りもなにも今一緒に帰ってきたところだろう」 「否定します。私のハナ差先着を確認、ゆえに帰宅を歓迎する挨拶は適切と判断します」 「…そうだね。ただいま、ブルボン」 二人で靴を脱ぎ部屋に侵入。悪い虫が侵入した形跡……検知範囲未満 マスターの部屋は男性の独り暮らしにしては広くて片付いています そして住み始めて3年になると聞いていますが…マスターのにおいで満たされています 安心と高揚…精神的ステータスの乱高下を確認しているとマスターが私の肩を叩きました 「ブルボン」 「はい」 それはマスターがこの部屋に招いた目的を促す合図です ミッションを達成すべく、私は脱衣所へ向かいました 一般家庭に比べるとさすがに手狭ですが独り暮らしには十分な広さと言えるでしょう 私はトレセン学園の福利厚生体制に感心しつつ、上から順に脱いでいきました ふと鏡に写る自分の姿…マスターから見た私の姿が目に入ります 長く突き立った耳。髪と同じくらい長く伸びた尻尾 日々のトレーニングにより無駄な脂肪が削ぎ落とされた体…と不釣り合いに発達した乳房 ……ライスさんとは同学年のはずですがどうしてここだけこうも差違が生じるのでしょうか? いずれ必要になると理解していても思わずにはいられません もしこんなにも大きくなかったら もしあとほんの少し身軽だったら もしあのとき負担を気にせず走れていたら 私は後悔を振り払うように頭を振り浴室に向かいました どれだけ過去を想ったとしても菊花賞でライスさんに敗北したという事実は変わりません その後もハードなトレーニングを重ね足をて負傷し、勝利から遠ざかっているという現実もです 寮の大浴場ではなく一人でお風呂に入っていると色々なことを考えてしまいます 短距離路線でデビュー控えていた私の努力を見出だし、クラシック路線に進む背中を押してくれたマスター スタミナ不足に焦る私から片時も目を放さず指導し自信をつけさせてくれたマスター マイルで、中距離で、クラシックディスタンスで結果を残すたび自分のことのように喜んでくれたマスター… マスターが見る人に勇気を与えると言ってくれたレースを私はしばらく出来ていません ゆえに私はマスターにひとつの提案を投げかけました 『チームを組みましょうマスター。私もサポートいたします』 短距離にしか適性のなかった私をダービーウマ娘に導いたマスターの手腕は私が誰よりも理解していました これほど才のあるトレーナーが燻っているのはURAにとって重大な損失に違いありません そう思っていた…思おうとしていた私をマスターは否定しました 『まだだよブルボン。君の目は勝利を諦めた者のそれじゃない』 『俺も君も…中途半端なままでは終われないはずだ』 『春天に間に合わなかったならアルゼンチン共和国杯、そして有マ記念だ。勝つぞ、ライスシャワーに』 マスターは私の再起をほんの少しも疑わず、それまで付き合ってくれると仰いました 私はそんなマスターのトレーナーとしても在り方に畏敬の念を抱いて… ……決して畏敬の念は揺らがないのですが、近頃はそれだけに留まらないようです マスターのことを思うとレースの時とは異なる激情が顔を出すのを感じます 共に頂点を目指し、練習を重ね、時に触れあうたびに燃え上がるように強くなる この名付けがたい激情を、私は…… 「マスター。お風呂いただきました」 「そうか、準備はいいかい?」 身近な友人…ライスさんやニシノさんに比べるとやはりマスターは長身です 包み込んでしまうような大きな影が近付いたとき、私は小さく頷きました 「ありがとうございますマスター、毎日の送り迎えまでしていただいて」 「気にしなくていい。なるべくブルボンの足に負担はかけたくないからね」 私はマスターの運転する隣でよく冷えたスポーツドリンクを飲んでいました 入浴による発汗に対し水分・ミネラルの補給に最適とマスターがくれたものです 「それで足の調子はどうだい?」 「血行の促進と、筋力の回復を確認…湯治の効果が出ている…かと……」 「高い温泉の元を買った甲斐があったなら何よりだ」 怪我以降の私たちは練習メニューの改善に加え疲労回復に焦点を当て、様々な治療を試していました 湯治もその中のひとつですが寮の大浴場では入浴剤が足りないという問題が発生 手頃な広さであるマスターの部屋のお風呂を使わせて頂くようになって約一年が経ちました 送迎による足への負担軽減もあり、今は怪我をする前より丈夫になった実感があります そして心地よい疲労感とわずかな揺れ…マスターのにおいに包まれた私の瞼は…抗いようも……なく… 「着いたら起こすから眠ってていいよ。おやすみ、ブルボン」 私はマスターの許しを得ると目を閉じ、スリープモードに移行しました (25)ミホノブルボンの話 かちり マスターの居住地のセキュリティシステムのアンロックを確認 滑り込むように室内へ先着…のち帰宅するマスターを出迎えます 「お帰りなさいませ。マスター」 「今日も先を越されてしまったか。ただいまブルボン」 お帰りなさい、の挨拶に抵抗を示さなくなって半年ほど経過したでしょうか 先着を許してもどこか嬉しそうなマスターの部屋に招かれました 二人で靴を脱ぎ部屋に侵入。悪い虫が侵入した形跡……検知範囲未満 相変わらずここはマスターのにおいで充満されていると感じますがマスター曰く 『むしろ最近は俺のほうがブルボンのにおいを感じるような気がするよ』 安心と高揚…精神的ステータスの乱高下を確認しているとマスターが私の肩を叩きました 「ブルボン」 「はい」 それはマスターがこの部屋に招いた目的を促す合図です ミッションを達成すべく、私は脱衣所へ向かいました 少々手狭な脱衣所ではありますが1年近くも通っているともう完全に慣れてしまいました 服を脱いで丁寧に畳み、お湯が溜まるのを待つ間に鏡を見つめます ピンと立った耳、忙しなく動く尻尾、興奮気味に開いた瞳孔 体は限りなく絞られつつも傷ひとつなく大事に育てて頂いたのがわかります ……胸のほうはそれとは関係なく成長を続けているようですが 私はカランから落ちるお湯の音が変わったのを合図に湯船のほうへ向かいました 『やったなブルボン!本当に…よかった…!』 怪我から約1年。再起をかけたGUレース、アルゼンチン共和国杯 年末の有マ記念を見越して挑んだ長距離レースはライバルたちを寄せ付けず、逃げ切ることに成功しました 菊花賞の敗北から入院生活、リハビリ、衰えを取り戻すトレーニング、世間の風評… 少なからずメンタルへの負荷を確認しましたがその全ては今日、マスターの言葉により吹き飛んでしまいました 応援に来ていた学友も、一緒に走ったライバルも、私の再起を待ってくれたファンの方々も あの場にいた誰もが私の勝利を祝ってくれて…本当に幸福な時間をいただきました 久しぶりのウイニングライブも…もしかするとダービーの時よりも盛り上がったかもしれません 今日1日で多くの喜びをいただき感謝を返してきました……が、十分とは言えません 私が今日までマスターから頂いた喜びは一度の勝利で返しきれるものではないと実感しました 次走の有マ記念。URAファイナルズ。マスターに受け取っていただきたい勲章はまだまだあります しかしそれとは別に…今日は、私個人から心ばかりの感謝の気持ちを表しましょう 『初めては上手くいかないものですが、何事も経験です』 『一番大事なのは相手を想う気持ち…ですからブルボンさんならきっと大丈夫ですよ』 私の背中を押してくれた言葉を再生。ステータス『勇気』の充実を確認。行動を開始します 「マスター。お風呂いただきました」 「そうか……って、どうしたんだブルボン?」 「まだおかわりはあります。ご遠慮なく、マスター」 「あ、ありがとう…じゃあもう一杯だけ」 マスターの部屋に通っているうちに私はキッチンの使用頻度の低さを確認しました 朝早くから夜遅くまで私のトレーニングを行うマスターには炊事に費やす時間がないものと判断 食事の提供についてニシノフラワーさんに相談したのは正解だったようです 『ブルボンさんがその…お、『おフロ』してからだとあんまり時間がないですよね?』 『でしたら事前に下ごしらえを済ませた食材を持っていきましょう。加熱して味付けするだけですからすぐに出来ますよ!』 ニシノさんから教えていただいた分量・時間と寸分違わぬ調理により彼女の料理に近い味を出すことに成功しました 「マスター。次回の料理のリクエストを要求します」 「次回って…足はもう良くなったんじゃないのか」 「湯治は継続した治療が効果的であり、マスターの食生活の改善も考慮し……その、ご迷惑でしょうか」 「……温泉の元、買い足しておかないといけないな」 安堵、喜び、そして不明の感情ステータスの上昇を確認 オーダー受領、これからも私はミッションを継続したいと思います (26)ミホノブルボンの話 かちり マスターの居住地のセキュリティシステムのアンロックを確認 一足先に室内へ侵入…買い物袋で手が塞がっているマスターを出迎えます 「お帰りなさいませ。マスター」 「ただいまブルボン。助かるよ」 二人で靴を脱ぎ部屋に侵入。悪い虫が侵入した形跡……検知範囲未満 こうやって食材を買い込んで一緒に部屋に帰るようになってまだ3ヶ月程度でしょうか 湯治以外にも目的が増えたことにより日々のデータの保存容量が飛躍的に増大 夕食の献立などを含め一日のメモリ使用率の半部近くがマスターに関するタスクに割り振られているのを実感します 『開けるときいちいち貸すのも億劫だし、なにか取りに来るときにも使うだろうから』 その言葉とともに渡されたマスターの部屋の予備の鍵は肌身離さず持ち歩く宝物となっています 「ブルボン」 「はい」 それはマスターがこの部屋に招いた目的を促す合図です ミッションを達成すべく、私は脱衣所へ向かいました 部屋についたらお風呂の蛇口を捻り温泉の元を混入。疑似的な温泉の完成です 服を脱いで丁寧に畳み、お湯が溜まるのを待つ間に鏡を見つめます 緊張を表すように立った耳、やや充血気味の目、入浴前から火照る頬 体は油断なく絞り込んでいますが速筋が発達しているせいか見た目以上に柔らかいという自負があります ……こちらのほうも筋肉ではありませんが、柔らかさという点では劣らないでしょう 異常がないか入念に確認したのち、私はお湯の溢れそうになる湯船に駆け込みました 『URAファイナルズ決勝!1着はライスシャワー!2着ミホノブルボン、3着…』 湯船に浸かっている間、思い出すのは決まってレースのことです 昨年末の有マ記念、そして今年初めのURAファイナルズ、どちらも主役はライスさんでした 私はいずれも出遅れることなく掛かることもなく全てを出し切って走り、そのうえで届かなかった 怪我によるブランクを言い訳にするつもりはありませんが彼女はその間にもひたすら進み続けたのだと… 菊花賞の時よりも開いた着差が物語っていました 『完敗ですライスさん。これで私は心置きなく…』 『ブルボンさん!』 『…はい、何でしょうか』 『ライス、次は春の天皇賞に出るから。今年こそ一緒に走ろうね!』 ライスさんは自分の言いたいことだけ言うとスタンドを覆い尽くすファンに挨拶に行ってしまいました 彼女の向けてきた視線。それは敗者を蔑むものではなく…希望的観測ですが、期待に満ちたものでした 『どうするブルボン。ライスシャワーはお前はまだまだ速くなるって期待してくれているみたいだぞ』 『マスター……申し訳ございません。チーム結成の件、待っていただいてもよろしいでしょうか』 『もちろん。そもそも一番期待してるのは俺だからな』 まだ走ってもいいのだと、諦めなくてもいいのだと思った瞬間、胸の奥が湧きたつような…足が疼くようなコンディションの変化を感知しました 次は負けない。勝ちたい。絶対に勝つ ライスさんが待っていてくれるから…そしてマスターが支えてくれるから。そんな思いが私を奮い立たせてくれました 「マスター。お風呂いただきました」 「時間通りだな。それじゃあ夕食にしよう」 今日のようにマスターのお仕事に余裕がある際はたまにマスター自身が夕食を作ってしまいます 味、量ともに問題なし。問題があるとすればコンディション『恐縮』が発生するところです せめて洗い物及び明日の朝食の下拵えくらいはさせていただきましょう……あっ、おいしい 「……マスター。以前頂いた温泉旅行券についてですが」 「温泉の元のキャンペーンで当たったやつか。もう行ってきたのかい?」 寮の門限近く、食後のお茶をいただいているとき私は以前頂いた温泉旅行券の話題を振りました 湯治のため大量に購入した温泉の元……そのプレゼント企画でマスターは温泉旅行券を獲得 『ブルボンのために買ってきたものだし、たまには本物を浴びてくるといい』 と言って躊躇いなく私に譲ってくれたものなのですが 「両親に贈りました。今頃温泉を堪能していると推察します」 「そうか…ブルボンも期待していただろうに親孝行だな」 「いえ、これでいいんです。もう十分役に立ちましたから」 時計を確認し、車の鍵を探し始めたマスターの手を私は握りました 「ブルボン?」 「本日の宿泊利用を指定した温泉旅行券を提示し、フジ寮長には外泊許可を得てきました」 「本物の温泉には興味を惹かれますが…私はこの部屋で入る温泉を好みます」 「この部屋で2人で摂る食事も、この部屋で2人で談笑する時間も、私にとって非常に好ましいものと判断」 「マスター。私は……はじめてはこの部屋がいいです」 握った手は握り返され、その部分からマスターの体温が伝わってきました 私はマスターのにおいに包まれ、体温に包まれ、緊張で寝付けなかった前夜とはうって変わって穏やかな朝を迎えるのでした (27)ニシノフラワーの話 選抜レースを数週間後に控えたある日、俺は準備で学外に買い出しに出ていた 『トレセーン』 『ファイ オーッ!ファイ オーッ!』 トレーナーに見い出してもらえるよう、チームのまだ決まっていないウマ娘たちもこの時期は特に張りきっている …と集団でランニングしている後ろでやや遅れている子が居た >(……学園外の子かな?) 短めに切り揃えられた黒鹿毛の子がぴょこぴょこと走っている なぜそのような擬音で表現するかというと、それくらい体が小さい。とにかく小さいのだ トレセン学園は中高一貫校。ゆえにうちの学生であるならば中学生以上であるはずなのだが… 「はぁっ…はぁ……っ」 >(……これ以上はちょっと危険かもしれない) 本格化が早い子は小学生から始まると聞くが体が出来上がってないうちは体力も続かない トゥインクルシリーズに憧れる気持ちは分かるが未来のスターウマ娘が入学前から潰れるのを見過ごせなかった >「君!ちょっと待ってくれ!」 「はぁっ…は……はい?」 「今、私のことを呼びましたか?」 >「ああ、トレーニング中にすまない」 近くで見るとやはり小さい。普段学生と話すときよりさらに視線を下げなければいけないだろう トレセン学園の制服とは違うジャージを着ているあたり近くの小学生だろうか >「今追いかけていたのはうちの生徒なんだけど彼女たちに何か用かい?」 「そうだったんですね。どうりで速いと思いました」 とぼけている様子もなし、どうやら本当に知らないで後をつけていたようだ どれくらいの距離を走っていたかは知らないが彼女たちについていける時点でなかなかの素質と言えるだろう 「お兄さんは……もしかしてトレセン学園のトレーナーさんですか?」 >「まだ新米だけどね。もしかしてトレセン学園への入学希望者かな」 「はい。トレーニングのつもりで、あのお姉さんたちに着いていけたらと思って…」 >「やめておいたほうがいいよ」 「あう…」 真正面からの否定の言葉を受けて女の子はしょんぼりしてしまったようだ 未来のスターウマ娘とはいえまだまだ子供、言葉が足りなかったかもしれない >「ちょっと失礼」 「ひゃうっ!」 女の子の気が緩んだ隙をついて背後に回りトモの状態を確認する 先ほどの走り方、筋肉の柔らかさ、その他諸々を考慮してひとつの確信を得た >「君は短距離向きだね」 「どうしたんですか急に!?」 >「練習メニューが合っていないってことだよ。あの子たちを追いかけるのはね」 トレセン学園の生徒に憧れる気持ちは分かるが何でも真似れば上達するというものではない 女の子が追いかけていた生徒はどちらかというと中長距離向けのメニューをこなしていたところだ >「君が学園に入学したとして、練習するメニューはあの子たちとは違うものだよ」 >「それに体が成長しきっていないうちは頑張りすぎて故障する可能性もある。気を付けてね」 「ご、ごめんなさい…」 とりあえずうちの生徒を追いかけたおかげで怪我をして変な噂が立つ、という懸念は晴れたようだ となればトゥインクルシリーズを支える者として少しくらいお節介を焼いてもいいだろう >「こっちこそごめん。叱ってるわけじゃないんだ」 >「年齢や適正にあったトレーニングをする分には大丈夫。今から始めればうんと速くなれるよ」 「そうでしょうか…?」 >「例えば走り方…フォームとかペース配分とか、理屈は今からでも学べる。勉強は得意かい?」 「えっと…少しだけ」 >「入学してからも学ぶことだけど、もしそれを先に理解していたらどうなると思う」 「そのぶんの時間をトレーニングに使える、ですか?」 >「そう、あるいは休養や趣味に充てることもできる。今はそっちを頑張ろう」 突然の質問にもよどみなく答える、この子は思ったより素直で頭のいい子なのかもしれない きっと数年後にはトレセン学園の門を叩き、トゥインクルシリーズを沸かせるウマ娘になるだろう 「参考になりました。ありがとうございました」 >「もしトレセン学園に入学できたら担当トレーナーになってあげるよ。勉強頑張ってね」 「お世辞でも嬉しいです。それではまた」 空が夕焼けに染まる頃、ぺこりとお辞儀をして来た道を走っていく女の子を小さく手を振って見送った そんな出会いから数週間。ついに選抜レースの日がやってきた レースは進み無名のウマ娘が1人、また1人とトレーナーに勧誘されていく そんな中、芝短距離において注目のレースが行われていた 「このあいだ入学した飛び級の天才ウマ娘が走るらしいぞ」 「その歳で本格化が始まってるという時点で驚きだけど、本当に速いのかしら…」 噂を聞きつけ野次馬に混じり遠くからレースを伺う…が人が多すぎてほとんど見えない 仕方なく遠巻きに見ると顔もほとんど見えない中、一人だけやけに小さい子がいるのが分かった 「なっ…速い!?同期の子と比べても見劣りしないぞ!」 「お手本のようなフォームね。この子は伸びるわよ…!」 どうやら下バ評の通り、件の天才少女が勝利したようだ さすがにスカウトはできないまでも今後うちの担当のライバルになるであろうウマ娘を一目見ておこう… そう思って人垣に近付いた時、その隙間から見覚えのある顔と目が合った 「…あっ、お兄さん」 >「えっ…!?」 一瞬の隙をついて人垣を抜けてきた天才少女…それは短めに切り揃えられた黒鹿毛が特徴的な、とにかく小さい子だった 「約束通り入学してきました。ニシノフラワーです、今日からお世話になります」 (28)ニシノフラワーの話 春の選抜レースが終わり、縁あってニシノフラワーの担当になってから1週間が経った >「腕が下がってきているぞフラワー!集中!」 「はいっ!」 本格化こそ始まっているもののまだまだ成長過程の彼女には強度の高いトレーニングはさせられない また体力も十分に備わっていないため長時間の運動も苦手ときている 当面はデビューに向け基礎体力の向上と走り方のチェックに多くの時間を費やした >「練習の時は常にフォームを意識して走ろう。マイル以下の場合は…フラワー?」 「……はっ、はい!?」 体力だけでなく頭も使う走り方をしているせいだろう、フラワーは思った以上に疲労しているようだ 燃料タンクが少ないならこまめな補給、休憩をとって補うしかない >「ちょっと深呼吸してみよう。吸って…吐いて……」 「すぅ…はぁ……すぅ…はぁ……」 >「落ち着いたかな?」 「だっ……大丈夫でしゅっ!」 >「…落ち着くまで続けようか」 他の担当がついたウマ娘たちは徐々に強度の高いトレーニングに挑み始めている 模擬レース等ではその差が少しずつ顕れてきており、フラワーは焦っている可能性があった >(こればかりは納得してもらうしかないが…どう説明したものか) これから徐々に日も長くなってくる。となれば練習時間にも差がつくだろう 汗ばんできたジャージの上を脱ぎつつ今後の計画についてフラワーと相談を 「すぅ…はぁ…すぅ……すぅー……」 >「……フラワー?」 フラワーはいつの間にか俺のジャージを抱え、顔を押し付けるようにして深呼吸していた 当然洗濯はしているつもりだがいい気分ではない。俺はフラワーからジャージを取り上げた 「あっ……?……っ!」 「フラワー、深呼吸は体を伸ばして……聞いてる?」 ジャージを失うなり今度は俺に纏わりついて深呼吸を始めるフラワーを引き剥が…剥がし……剥がれなかった 「トレーナーさん!フラワーちゃんのことでご相談が…」 そんな状態の俺たちに声をかける人がいた。この学園の理事長秘書、駿川たづなさんである 「って、ああ…もう遅かったみたいですね……」 「あぅ…。ご迷惑をおかけしました」 >「いや俺も配慮が足りなかった。助かりましたよたづなさん」 「どういたしまして(次からはそれとなく気にかけてあげてくださいね)。」 フラワーの奇行の原因、それはこの時期によくある発情期の行動の一種であった 一般的なウマ娘たちは服薬などで抑えたりするがフラワーはここ数日で急にその症状が出始めたらしい 入学以来、本格的なレース等で本能が刺激されてきたことで発症が懸念されていたが…一足遅かったようだ 「幸いまだ軽いようですし、フラワーちゃんの体格も考慮して一番弱いものを使うといいでしょう」 >(あれで軽い…!?) フラワーは恥ずかしがりながら薬を受け取った。今度から注意しなければ 「ちなみにフラワーちゃん……(言いにくいかもしれませんが…もう来てますか?)」 「はい?もう本格化は来ていますけど、それが何か」 「……トレーナーさん。すみませんが今日のところはフラワーちゃんをお借りしますね」 突然の予定変更に疑問符を浮かべて連れられて行くフラワーを俺は見送ることしかできなかった なおフラワーはそれから数日の間ちょっとだけよそよそしくなった気がした (29)セイウンスカイの話 ※以降のお話は21/06/05(土)時点でジュニア以降(=トレーナーがついている状態)のセイウンスカイがキングヘイローの一流のトレーナーに横恋慕しているシチュが散見されるという状況を踏まえたうえでのものです 適性で見れば完全にこちらの方が上だった レース展開も決して不利があったわけではなかった それでも結果は敗北…俺の担当ウマ娘セイウンスカイはクラシック競争の戴冠を逃した 「……いやあ、ちょっとショックですねぇ。春天までに切り替えていかないと」 決して俺と顔を合わせないよう軽く言い放つその言葉は少しだけ震えている きっとスカイは伝わっていないと思っているのだろう こんな時さえ弱みを見せてくれないのが俺と彼女との距離を表していた あの時無茶な練習をさせていなかったら。あの時無駄なレースをさせていなかったら 限られた期間を棒に振った過去を思い出してももう取り戻せない そう思っていた俺の元に曰く付きの代物が飛び込んできた (過去をやり直せる目覚まし時計?) それは失意のまま帰ってきた俺の部屋にいつの間にか説明書と共に置いてあった 学園の購買部でも似たような商品は売られていたが正直怪しさしかない (……それでも、やり直せるというのなら) 俺は悪魔に魂を売るつもりで目覚まし時計をセットした -------------------------------- 俺だけの体感では2周目の世界 効率化された練習の成果もありスカイは皐月賞、菊花賞に勝利した 「やったな!スカイ!」 「ふっふっふ、まぁね〜。この調子で天皇賞も狙っちゃいますか?」 かつて経験した未来のように悲しみを押し隠すスカイはそこにはいなかった スタンドのファンに、一緒に走ったライバルたちに笑みを向ける俺が見たかったはずの景色 しかしその言葉が心からの喜びに溢れたものでないことが俺には伝わっていた (……日本ダービー、本気で取るつもりでいたんだけどな) スカイたち逃げウマにとって気が遠くなるほど長い東京レース場の直線 一生に一度の大舞台でキングヘイローたちに差しきられた記憶は癒えることのない傷跡だ 地下バ場道へ向かうキングヘイローを見つめるスカイの目から感情は読み取れなかった (足りない…こんな結果では、俺たちは先へ進めない) 苦悩を抱えたまま部屋に戻ると当然のようにそれは説明書と共に鎮座していた スカイが心から笑えるようになるには2冠の栄光などでは足りない 俺はためらいなく目覚まし時計をセットした -------------------------------- -------------------------------- -------------------------------- 『一着はセイウンスカイ!!クラシックロードを駆け抜け、今ここに三冠ウマ娘が誕生しました!!』 あれから何周世界を巡ったかもう覚えていない 俺たちはついに傷ひとつない栄光の足跡をたどることに成功した 「へいへい!トレーナーさん、ターッチ!」 ハイタッチを交わしたスカイは間違いなく今まで見た中で一番上機嫌だった 過去最高の動員数となるスタンドのファンに満面の笑みで応えるスカイであった…が 「スカイ。敗者にかける言葉はないはずだ」 「んにゃ?何のこと?」 彼女の視線が不意に…いや、やはり地下バ場道に向けられていることに俺は気付いていた 途中から分かっていた。スカイが本当に求めていたのは勝利だけはないことを 彼女が心の内に宿す情熱に真正面から応えることが出来る『1流のトレーナー』であったことを 「次は春の天皇賞だ。しばらくは心身ともに休めるといい」 「おやおや、意外ですな〜。それじゃお言葉に甘えて羽を伸ばすとしますか」 皮肉にも例の目覚まし時計は俺がスカイの担当になってしまったところまでしか巻き戻せないらしい 今日もどこか物足りない様子でウイニングライブに向かう背中を俺は見送った (30)セイウンスカイの話 年が明け俺たちにとってシニアの時代が始まった 担当ウマ娘のセイウンスカイには菊花賞までの過密スケジュールを見直し春の天皇賞まで多く休養を取らせた その結果彼女は火遊びを覚え、俺はというと火消しが板についてきた 「キング!もう一本だ!」 「ぜぇ…ぜぇっ……一流はこんなところでへこたれないのよっ!!」 菊花賞以降、キングヘイローとそのトレーナーは短距離路線に舵を切ったらしい 王道中長距離路線を進む俺たちとは完全に道が分かれたと言っていいはずだ 「…スカイ、集中」 「おおっと失礼。雲を見てたらボーっとしちゃってましたよ」 それでもたまに彼女たちの練習風景に目を奪われているのは同期の贔屓目だけではないだろう そもそもスカイはキングのことを…いや、それは言うまい スカイの素質を以て天皇賞を攻略するのに必要なのはあんな暑苦しいトレーニングではないのだ 「スペシャルウィークも冬の間たらふく食って力をつけて来ているはずだ、気は抜けないぞ」 「分かってますって、私の相手はキングじゃなくてスぺちゃんですからね」 誰もキングを敵視しているとは指摘していないがそこには気付かないふりをした スペシャルウィークの成長は想像以上、鍛え抜かれた仕上がりに俺たちは戦慄した 敗因があるとすれば淀の坂…パワーの代償にその体は太りすぎていた 「華がないほうの庶民派が勝っちゃってすみませんね〜」 「うぅ〜〜〜!!セイちゃん!秋の天皇賞は負けないからね!」 のしのしと去っていくスペシャルウィークを見送りスカイは観客席に手を振った …当然そこにキングヘイローとそのトレーナーの姿はない 彼女たちは既に安田記念に狙いを定め、今もトレーニングに励んでいることだろう 「ねえトレーナー、次は秋の天皇賞なんだよね?」 「ああ、スペシャルウィークとの再戦だ。もしかしたらキングヘイローも来るかもな」 「いやあキングはないでしょ。もう完全に短距離路線の人気者ですし?」 「それだけの素質はある。それに短距離だから人気って訳じゃないことくらいスカイも分かってるだろ」 三冠ウマ娘の天皇賞制覇。世代最強と呼ばれてもおかしくない偉業だ 今も割れんばかりの拍手で溢れているのがその証拠だろう しかし熱量が先月の高松宮記念と比べてどちらが上だったか…俺たちは痛感していた 次の勝負は半年後。俺は再びスカイに休養を言い渡した 「…移籍って、マジ?」 「ああ。彼の手腕が本物と分かったら…だが」 秋の天皇賞の前、俺はセイウンスカイにキングヘイローのトレーナーの所へ移籍を提案した ここまで勝ってきたのはスカイがその素養を順調に伸ばしてきた結果にすぎない 対して彼はキングヘイローの埋もれた才覚を引き出し、中距離の王者決定戦まで引き上げた 「スカイも無理と思っていた舞台にキングヘイローを立たせた名伯楽だ。実績は申し分ない」 「これで彼女が天皇賞で1位を取れたなら、その腕を見込んで正式に申し込むつもりだ」 突飛な提案だがこれまでのスカイとの関係を考えれば彼が断れるはずがない 仮にキングヘイローとの二枚看板になっても適正距離の違いから席を取りあうこともないだろう 「ちょっとちょっと、それじゃ私が負けるみたいじゃん。勝ったらどうするのさ」 「天皇賞春秋連覇を祝うだけだ。まあそもそも勝つに決まってるけどな」 スカイは考えるそぶりをしているが結局やることは変わらない あえて言うなら今回は盤外戦無しの真剣勝負になるということくらいか 「どっちに転んでも美味しい話だけど…トレーナーはそれでよろしいんで?」 「……ああ」 その秋の天皇賞は下手をすれば過去最高の盛り上がりを見せたかもしれない 天衣無縫の走りで勝利を重ねた三冠ウマ娘セイウンスカイ 泥にまみれ臥薪嘗胆、不屈の花を咲かせたキングヘイロー 同じ1人の男に大きく心を揺さぶられ、その隣に在ろうとする2人のウマ娘 彼女たちの激突はその事情を知らないものにも波乱を予想させる熱を帯びていた スカイは最終コーナーを一位で通過、過去幾度も苦しめられた府中の長い最終直線に入った 「諦めない……絶対に!!」 十分に開いたと思われたリードはキングヘイローの豪脚であっという間に詰められていく 追い詰め、並び、交わし。そこまでしてもキングヘイローの足色は衰えない 今まで見たことがなかった最終直線での背中。それが引き金となりスカイは自らも知りえぬ豪脚を現した 「私だって…っ諦めたく……ない!!」 逃げを得意とするウマ娘にはありえぬ最終直線での再加速 観客の誰もが目を引かれたその走りよりも、俺の目には彼女が初めて見せた必死の形相が焼き付いていた 天皇賞(秋)。その掲示板の一番上にはキングヘイローの番号が表示されていた 「リンゴはウサギの形がいいなー。あっ、そこのタッパーに塩水張って漬けてね」 「はいはい…」 天皇賞(秋)から1週間。セイウンスカイはベッドの…といっても病院のベッドの上にいる あの激走の末彼女は足を故障、命に別状はないものの休養を余儀なくされた 『審議の結果、一着はキングヘイロー、セイウンスカイの同着とします!』 この結果を以てキングヘイローは悲願の中距離GT勝利、セイウンスカイは天皇賞の春秋連覇を果たした …のはいいのだがこんな結末で彼女たちが納得するはずもなく 『スカイさん!この決着は有マ記念でつけるわよ!』 『ええぇ…なんか私足がやばいっぽいんだけど、それ今言う?』 そんなやり取りもあり、キングヘイローにウイニングライブのセンターを任せて緊急入院となった さすがに故障中のスカイを押し付けるわけにもいかず、担当は俺のままとなってる 「…言いにくいけど今年の有マ記念は」 「分かってるって。これで終わりってわけじゃないし、次頑張りますよ〜」 おどけているが内心しょげているのが俺には分かっていた 関係者以外は面会謝絶。このわずかな間だけはスカイを独占させてもらっても罰は当たるまい (31)セイウンスカイの話 セイウンスカイの担当になって最初の3年が過ぎた クラシック三冠に加え天皇賞の春秋連覇……のち故障 URAファイナルズにも参加できなかったがその功績は十分に評価された 最後にケチがついたものの彼女の成功を疑う者は誰一人としていないだろう その影で彼女がキングヘイローのトレーナーと逢瀬を重ねていたなどと思いもしないだろう それが表立つことがないよう隠蔽工作に走っていた者がいたことは当事者である俺しか知らないはずだ 時は流れ、長引いた入院生活も終わった 秋の天皇賞の賭けによりスカイはキングヘイローのトレーナーの担当ウマ娘に移籍する約束をしている その約束は… 1>果たされた 2>果たされなかった dice1d2 -------------------------------- 約束は果たされ、セイウンスカイはキングヘイローのトレーナーの元に移籍した キングヘイローは複雑そうな表情をしていたがそのトレーナーはもっと複雑そうな顔をしていたのが面白かった マイル以下のキングヘイロー、中長距離のセイウンスカイ 不動の二枚看板を抱えた色男は今日も胃でも痛めながら活躍していることだろう 一方、俺は八大競争のうち五つを制覇したトレーナーとして学園からスカウトをせっつかれていた もう二度とスカイの時と同じ轍は踏む訳にはいかない。担当ウマ娘にとって最高のトレーナーにならなければいけない 候補となるウマ娘たちを徹底的に調べ上げ、厳選したうえで俺は1人の少女を見出した 学園には渋られたが結果を残すことを条件に1人のウマ娘の専属トレーナーとなった それが当時無名だったウマ娘、ナイスネイチャである 彼女はその名が示す通り卓越した才能を秘めていた 俺はスカイを育てた際のノウハウを駆使し、彼女の才能を余すところなく開花させた 彼女は自信の無さから予防線を張って成功への一歩を踏み出せないでいた 俺は彼女の成功を疑うことなく全力で肯定し、彼女の望む全ての答えを与えた その結果が育成2人目にして2度目のクラシック三冠達成、天皇賞春秋連覇であった 加えて今回はジャパンカップと有マ記念も制し秋シニア三冠のおまけつきだ 前回は参加すらできなかったURAファイナルズも明日の決勝を残すのみである 「トレーナーさん……私、勝てるかな」 「勝てるさ。なんといっても俺の育て方がいい」 「はいはい、分かってますって」 「それにネイチャは応えてくれるって信じているからな」 「……ん」 応えるように強く抱きしめ返すと一糸まとわぬネイチャの体温が伝わってくるのが分かった 今度こそ俺は担当ウマ娘の理想のトレーナーとなってあげられたはずだ 今度こそ俺は担当ウマ娘に満面の笑みで最高の栄光を掴ませてあげられるはずだ 今度こそ……将来訪れる別れも笑顔で見送れるだろう 俺はネイチャを待つ輝かしい将来を想い眠りについた -------------------------------- 約束は…果たされなかった 理由は単純。キングヘイローが反対したからだ 『スカイさんはスカイさんの担当トレーナーが居るでしょう!?』 『利用するだけ利用してポイなんて、そんな人キングのチームメイトに相応しくないわ!!』 思いがけず真っ当な理由で移籍を断られたスカイの担当は結局俺が続けることになった そんなことがあったものの休養中も逢瀬を重ねたあのトレーナーとスカイの情熱の火が消えることはなかった 俺の元で現役を続けながらも時に火遊びに興じ時にキングヘイローにばれてどやされたり 関係者以外への露見は俺が全力で防ぎつつ…といった歪な関係が何年続いただろうか 常に世間を賑わせ、黄金世代と呼ばれたスカイたちの引退はほぼ同時だった 現役を引退した黄金世代のウマ娘たちはインストラクターに…なることもなく、普通に家庭に入ったという キングヘイローは一足先に担当トレーナーと結婚。それはもう盛大な式が行われた その影で…あえて言うなら消去法で、スカイと俺はひっそりと籍を入れた 「ほら、走って走って!こっちこっち」 「立てば這え、這えば歩めとは言うけど…さすがに無茶だろう」 引退翌年。スカイが産んだ子はスカイによく似てのんびりしたウマ娘であった 「ふふふ〜。あなたはどんな子に育つのかな?私似かな?お父さん似かな?」 「あいつ似はやめてくれよ!?どうかスカイ似であってくれ…」 「そうかな〜?アツいハートを持ったウマ娘になってくれそうなんだけどねぇ……だから冗談だってば」 俺がスカイとそういう仲になったのは入籍後である 彼女たちの情事に深く踏み込んだ覚えはなく、時期的にも確証が持てないのがつらいところなのだが… 「ね、お父さん」 「なんだいお母さん」 「信じてもらえないかもしれないけどさ…私」 「じゃあ信じない」 「最後まで聞いてよ〜!ぶぅ」 スカイが現役をドロップアウトしたからと言って俺の仕事まで無くなるわけではない 俺は纏わりつくスカイをスルーしてチームのトレーニングメニューの見直しに入った (32)セイウンスカイの話 自慢じゃないけど…いや自慢か。セイウンスカイっていい名前だと思ってる 空を流れる雲みたいにあっちにふらふら。こっちにふらふら 風の流れるほうに、なんて言ってるけど本当は居心地のいい方に流れていく 元々そういう性分だったのか分からないけど私にはぴったりの名前だ トレセン学園に入る前も入った後も私は雲のように好きに流れていた レースは好き。数少ない本気でぶつかり合えるところだから、ここだけは真面目 でもそれ以外は授業もサボったり、友達を煙に巻いてからかったり、ちょっとイイなって思った人にツバつけたり 本当によくもあんなにやりたいようにやったなってしみじみ思う だから一番欲しいものがだけ手に入らなかったのはきっと天罰としてはめちゃくちゃ軽い方なんだろうな キングのトレーナーがキングの旦那さんになった日 私は新郎新婦とふか〜〜〜い仲の友人としてそれはそれは大いに盛り上げた 言わなくていいことまで言いそうになるくらいはしゃぎまくった後、私は1人でタクシーに乗って帰った 気が付くと私は学園の寮ではなく…キングの旦那さんの部屋にいた 主のいない部屋はしんと静まり返っていて、かつて訪れた時の温かみはなかった キングの旦那さんは大事な私物のいくつかを新居に持って行ったのだろう 私は隠しておいた洗面用具を取り出すと歯を磨いてお風呂に入り、ベッドに横になった 誰が聞いているわけでもないのにおやすみを言って……私はしばらく寝込んだ それからどれくらい経っただろう 寝て、ちょっと泣いて、寝て、泣いて、たまに水を飲んで 体が鉛みたいに重くなって立ち上がるのも億劫になったころ、部屋のドアが開いた 「!!……レー…ナー…」 「まさかと思って来てみれば…何をしてるんだ、こんなところで」 声が出なかったのはまあ、喉がカラカラだったせいでもあるんだけど もしかしたらあの人が…って心の隅で期待してたのでちょっと傷付いた まあ後でその話したら『俺のほうが10倍は傷付いたわ!』って言われたけど どうやらキングの式の翌週に予定されていた引退式の前日になっても顔を見せないので探しに来たらしい トレーナーは事情も聞かず私を引っ張り出して水分を取らせ、食事を摂らせ、風呂に入るよう命じた こざっぱりとした私は引退式の段取りを叩きこまれたのち車で寮に送られた 移動中の車中、調子が出なくて無言だった私にトレーナーが話しかけてきたのを覚えてる 「スカイは明日でトゥインクルシリーズを引退するけど、俺はまだ現役を続けるつもりだ」 「そのうえで君が現役中あいつとやってきたことが露見するのは非常にまずい。お互いにな」 「実行犯の君も、それを隠してきた俺も共犯者だ。だから……」 なんとも色気のないものだが、今思えばこれがプロポーズみたいなものだったのかもしれない 翌日引退式を執り行った私たちはその足で役所に向かい入籍 晴れてトレーナーは私の旦那様になった そんなわけで私は引退後、気ままにぐーたらする暇もなく家事に追われ、旦那の仕事を手伝い、時にお嫁さんらしいこともしつつ 今は未来のスターウマ娘のお母さんとして忙しい日々を送っているわけですよ この子ときたら今のところ私に似てのんびり屋のくせに頭が回って厄介なこと 今日も疲れて帰ってきたお父さんに新しく覚えた言葉で質問責めを始めたようです 「おとうさんは、おかあさんのこと、すきなの?」 えぇ…それ聞いちゃいます?自業自得ではあるんだけどそんなこと今まで一度も 「ああ、好きだよ。愛してる」 「あいし…?」 「とってもすきってことだよ」 ……ああ、なんてことでしょう。まさかこんな日が来るなんて思いもしませんでしたよ 居心地の良さに甘えてずっと聞けなかった言葉。それは私の感情の堤防をたやすくぶち壊していきました 目の前が涙で滲んでよく見えない 足元がふらついて立っていられない 私は崩れるようにお父さんに寄りかかった 「…ごめんなさい。トレーナー、ごめんなさい…!」 「うっ……うう…うううぅぅぅっ……!!」 「おかあさんどうしたの?」 「……おなかが痛いんじゃないかな?背中なでてあげて」 空を流れる雲みたいにあっちにふらふら。こっちにふらふら 名が体を指すように好きなものも大事なものも移ろいゆく私だけれど きっとこの日結ばれた絆だけは不動の一番でありつづけるだろう (33)カレンチャンの話 私の名前はカレンチャン!ウマスタグラマーとして活躍する一方小さい頃遊園地で出会ったお兄ちゃんを探しているの! こうやってカワイイを発信し続けていればいつかカレンを見つけてくれるよね!と思って参加したミストレセンコンテスト会場で奇跡の再会!? したんだけどカレンのおねだりも振り切ってスカーレットちゃんの応援に行っちゃったんだ……くすん もういいもん!お兄ちゃんなんか知らない!写真も全部消しちゃう!忘れてやるんだ〜〜!! と思ってたけど記憶の中のお兄ちゃんまでは消えないよ…頭の中ではまだぼんやりとカレンに向かって微笑んでるんだもん …ん?あのトレーナーさん、お兄ちゃんに似てる…というか、だいたいお兄ちゃんかも?うん!お兄ちゃんあんな顔してたよ!! そこのトレーナーさん!ちょっとカレンとお話しよう?カレンのカワイイを知って?カレンのお兄ちゃんになってもらう前に壊れてしまったか他愛ない… ちょっとショックだけどこうしている間にもきっとお兄ちゃんはカレンを待ってくれてるよね!カレンめげない! 私の名前はカレンチャン!小さい頃遊園地で出会ったお兄ちゃんとの再会を夢見て今日も頑張っちゃうよ!