インターバル走のトレーニングをしている合間、チラとトレーナーさんの方を見ます。 ほんのわずかな時間ではありましたが、トレーナーさんが桐生院トレーナーとお話をされていました。 最近、トレーナーさんが女性の方とお話をされている姿を見るとなんだか胸がキュっと苦しくなります。 ふぅ。 さて、トレーニングの時間が終わり、トレーナーさんとの楽しいミーティングの時間です。 …なのですが、これも課題や問題も無くあっさりと終わってしまいました。 もっとトレーナーさんと一緒の時間が増えたらいいのですが。 …先月トレーナーさんと行った温泉旅行みたいに。 はぁ…バクシン、バクシン…。 帰りましょう。 あ。学級委員長の仕事を忘れていました。投書箱の中身を確認しましょう。 どれどれ!オヤ。今日は1通投書がありました。匿名さんですか。フムフム… 『美浦寮に無数の鳥の羽が散らばっている事があります。エルコンドルパサーさんもかなり驚かれていました。誰かのイタズラでしょうか、怖いです』 ムム。これは後日調査ですね。ふぅ。私のモヤモヤもこのように相談できたら…ん? ……なるほど!! ・・・ トレーナー室で本日のトレーニング結果を整理していたところ、 ドアから高速連続ノック音が鳴り響く。 びくりと身構える間もなく部屋のドアがバンと勢いよく開く。 ドアの先を見るとそこに居たのは担当ウマ娘のサクラバクシンオーだった。 先ほどミーティングを終え、今日は帰ったものと思っていたが忘れ物だろうか。 彼女はトレーニングで使うジャージからいつもの制服に着替えていたが、 その両手になにやら見た事の無い箱を抱えている。 その箱を持ったまま、彼女は部屋へと入ってきた。 -- 「投書箱?」 「ハイッ!学園内の生活で面と向かって言い辛いご意見、相談事があった時、匿名・記名問わずでこの投書箱に投函していただくのです!」 彼女はハキハキと持参した箱の説明をする。 「それを、日々チェックしていると」 「ハイッ!仰る通りです!!模範的学級委員長であるこの私がッ!一つ一つ目を通し、皆さまからのご相談・お悩みを解決に導く投書箱システムです!」 「いつも思うけど、偉いな」 「エッヘン!優等生ですから!」 彼女は腰に手を当て満足気に胸を張って答える。 互いがライバルであり凌ぎを削りあうこの学園内で他者を思う行動ができる。 空回りをする場面も多々見かけるが…彼女の取組みはとても立派だと思う。 「それで相談ってのは?」 「その、投書箱に…レンアイのご相談をチョウダイしておりまして…トレーナーさんのご意見を聞かせて頂きたいのです…」 珍しく弱気に、やや言い辛そうにバクシンオーが呟く。 「俺に?」 「ね、年齢がショウショウ上の男性に対するコイの相談なのです!」 「そういうのなら、同年代の子に相談したりする方がいいんじゃ…」 「リッパな大人であるトレーナーさんの視点でお聞きしたいのです!!匿名ですので気兼ねもございません!」 ずいぶんといきなりな話だが、渋る理由、断る理由は無かった。 それどころか担当ウマ娘の彼女が頑張っているのだ。 ここはトレーナーとして彼女を精一杯フォローしてあげなければならないだろう。 「力になれるか分からないけど、じゃ聞かせてもらおうかな」 「本当ですかッ!ありがとうございます!ではさっそく読み上げます!」 「…なんか緊張するな」 彼女は『投書箱』から一枚の薄桜色の紙を取り出すと、その紙に書かれた文章を読み上げ始めた。 気のせいかどこかで見覚えがあるようなメモ用紙だった。 -- 『模範的学級委員長様へ!相談があり投書させていただきます!私はいま恋にバクシンしており』 「あの、出だしから悪いんだけど」 「ハイッ!何でしょう!」 「原文を読んでくれないかな…」 「ハイッ!原文を読み上げていますッ!」 「うん?」 「続けてよろしかったでしょうかッ!」 「…ああ、うん…うん?」 『私はいま恋にバクシンしております!想いを寄せるお相手は身近にいる年上の男性です。 その方と今以上に一緒に居る時間を増やしたり、あとはその、恋愛というものの後学のため、 手などを繋いでみたりもしたいのです。 然しながら、そういった想いは全生徒の模範であり続けるという私の命題と相反するモノでもあります。 私はこの先どうすれば良いのでしょうか』 「以上ですッ!トレーナーさん何か良い解決方法などは想い浮かびそうでしょうかッ!」 「あのさ、これバクシンオーの悩み?」 「……!!!!ち……ちょわ――――――――――っ!?!?」 ・・・ トレーナーさんにはすべてバレてしまいました。 私は世にも不純なウマ娘として優等生も学級委員長も失格の烙印を押されるのでしょう。 トレーナーさんの部屋で崩れ落ち横たわった私は、薄れゆく意識の中でそんな事を考えました。 「…ほら、制服汚れるから…もう立ちなって……」 こんな私にもトレーナーさんは優しく声をかけてくださいます。 すみませんトレーナーさん。でも、もう私は終わりです…!委員長失格なのです…! 「困ったな……、ん……?」 お部屋が静かになりました。床に転がる私を起こそうとするのを諦めたのでしょうか。 恐る恐る顔を上げトレーナーさんがいると思われる方向を見ます。 なんということでしょう。いつの間にか床に落ちていたあのメモを、 トレーナーさんが拾い上げ、読んでいるではありませんか! 「あわわわわわ!トレーナーさーーーーん!!それは!ダメです!!!!」 床に這いつくばったままの姿勢で訴えますがトレーナーさんはメモを読み続けています。 あわわわわ! 「…この身近な年上の男性ってのは」 突然の言葉。どきり。 それは。 それは。 「と、トレーナーさんですッ!あッ!」 「…」 「…」 つい反射的に言ってしまいました。 トレーナーさんと私、お互いの目が合います。 トレーナーさんは驚いたような顔をされていましたが、 いつも通りの優しい表情に変わりはありませんでした。 トレーナーさんは私の方へと歩み寄ります。 先程まで読んでいたメモを折りたたみ私の手の上に乗せました。 「…バクシンオーは模範的生徒で、立派に学級委員長をこなしてるよ」 床にへたり込んだ私の傍で身を屈め、制服のあちこちについたホコリ汚れをぱしっぱしっとはたき、 トレーナーさんは静かに言いました。 「…ええと、それは。つまり。私は、模範的ということでしょうか」 「うん」 「まだ、学級委員長でよいのでしょうか」 「ああ」 「このまま、バクシンしてもよいのでしょうかッ!」 「ああ!」 「あの!トレーナーさん、ご相談なのですがッ!今、トレーナーさんと手を繋いで!歩いてみてもよいでしょうか!」 「…………ああ!」 一瞬の間がありましたが、トレーナーさんはすぐに笑顔を浮かべ片手を差し出してくれました。 私はその差し出された手をぎゅっと両手でつかみました。 ナルホド。これが手を繋ぐ。ん?しかし、なんだか思っていたものとチョット違うような?? 「両手で掴んだら動けなくなっちゃうから、こうかな」 トレーナーさんは私の両手をスッと引きはがし、代わりに私の右手の指先を優しく握ってくれました。 -- 「歩いてみるよ」 「は、ハイ!」 トレーナーさんの声に導かれるように立ち上がると、そのまま私達は室内を歩きました。 一歩、二歩、三歩、四歩、………。 くるっと回ってUターン。 一歩、二歩…。 トレーナーさんと手をつないで一緒に歩いています。 「トレーナーさん!なんだかとても楽しいですッ!」 トレーナーさんも、そうか、良かった。と私に笑いかけてくれました。 スタート地点に戻った私は、トレーナーさんの顔を見上げ、ぜひ、もう一度!とお願いをしました。 トレーナーさんはすぐに頷いてくれました。 もう一度。一歩、二歩… 今度は私からトレーナーさんの指を握ってみたり。 その次は、トレーナーさんの腕にそっと寄り添ってみたり。 その次の次は、はじめの手繋ぎに戻ってみたり。 そろそろ30分は経つよ、と、私の帰宅時間を気にしてくれたトレーナーさんに言われるまで、 時間を忘れ、一緒にお部屋の中を散歩いたしました。 -- 「トレーナーさんッ!とっても、楽しかったです!」 「元気が出たみたいで良かったよ。また明日。おやすみ」 「ハイッ!ありがとうございました!また明日からバクシン致しますッ!」 「ああ!」 トレーナーさんに一礼しお部屋から出ようとドアノブに手をかけた時でした。 ふと急激に寂しさが私を襲い、私の身体は動きを止めました。 「…どうした?」 トレーナーさんが後ろから心配そうに声をかけてくれます。 …ハイ。ムショウに寂しいのです。 「あの、トレーナーさん、最後にあと一つご相談しても良いでしょうか」 振り返り、私を見送ろうとしていたトレーナーさんを見つめます。 「ああ、何でもどうぞ」 「あの、おやすみの前に、ハグしても、よかったでしょうか」 「…………………ああ!」 結構な間がありましたが、お返事が頂けました!私はトレーナーさんの言葉を聞くと ほぼ同時にトレーナーさんに駆け寄り、その体にきゅうっと抱きつきます。 トレーナーさんは私を受けとめ、その腕でしっかりと抱き支えてくれました。 大好きな桜の木のように、優しく、力強く、飛び込んだ私を支えてくれました。 それからまた30分ほどが過ぎ、寮の門限時間が近づいている事をトレーナーさんに言われるまで、ハグは続きました。 優しいトレーナーさん。 私の大切なトレーナーさん。 おやすみなさい。 今日は、とっても、とっても、幸せな一日でした。