フクキタルとフクトレとカフェとお友達の話 1 7月。URAファイナルズで好成績を残しコンビ続投となった俺とマチカネフクキタルは夏合宿に突入した 『聞いてくださいトレーナーさん!合宿場の裏山が有名なパワースポットという噂をキャッチしました』 『2人で行くと吊り橋効果で運気も爆上げ絶好調!と聞きますし、一緒に行ってみませんか?』 そんなフクキタルの言葉にそそのかされて来たものの、案の定悪い意味でのドキドキしかなかった 「なんだか聞いていたほどご利益が無さそうなパワースポットですね」 >「そりゃそうだろう…」 行けども行けども続くろくに手入れもされていないなだらかな坂道 周囲は背の低い木々で囲まれており、天気が良ければ星空を眺めながら歩いたりするのだろう もっとも今夜は暗雲がほとんど空を覆い尽くしおり、星どころか月すら満足に拝めない そして視線を下ろし辺りを見渡せば、現世に未練を残した亡霊たちで芋洗い状態になっていた 「ところでトレーナーさん、もしかしてお疲れでしょうか?ちょっと休みます?」 >「いや、全然疲れていないから早く進もう」 フクキタルは守護霊に守られているせいなのか心霊現象の源泉かけ流しに肩まで浸かっても一向に霊感が身に付かない 対して巻き添えで心霊現象のわんこそば状態な俺はすっかり感度ビンビンになっていた 「……オヤ?トレーナーさん、誰かいますよ」 >「まさか、こんな夜更けに登山客なんて」 自分たちも他人のことは言えないのだが、フクキタルの指さす先には確かに生きている人間がいた 暗雲の隙間から漏れた月光に照らされる艶やかな青鹿毛。額から跳ねるように立った一筋の流星 実寸以上に小柄な印象を受ける痩身のウマ娘が2人、月を眺めて水筒を傾けていた >「あれは確か…マンハッタンカフェ?」 「カフェさんじゃないですか!ウワサに違わぬ神出鬼没…あなたもお散歩ですか?」 「え……ええ。その…す、すみません」 カフェたちは水筒を置くと開口一番こちらに頭を下げてきた 生徒2人で引率も無くこんなところにいるあたり、もしかして合宿場から抜け出してきたのかもしれない 俺は叱るつもりは無いがこんな場所に長居は良くない、と2人に下山を勧めた 「そうですねぇ……これ以上は収穫もなさそうですし一緒に帰りましょうか」 「い、一緒に……ですか」 >「大丈夫。君たちを告げ口するつもりはないよ」 「君…たち……そうですね。分かりました」 その言葉に安心したのか、カフェともうひとりの子は水筒を仕舞い素直に同行してくれた 彼女はあまり話すのが得意でないらしく、道中フクキタルに質問責めに合っていたように思う 俺ともうひとりのウマ娘はその様子を後ろから眺めつつ、ほとんど無言で下山していった 「カフェさんにはお近づきの記念にこのコーヒーを飲んでもよく眠れるお守りをあげます!」 「はぁ……ありがとうございます。では、私の宿泊先はこっちなので……おやすみなさい」 >「おやすみ、2人とも」 カフェたちはぺこりと頭を下げるとそそくさと合宿場に戻って行った 自分たちも見つからないうちに帰ろう…と思ったとき、フクキタルが話しかけてきた 「そういえばトレーナーさん、帰るとき何を話していたんですか?」 >「何って言われても……ちょっと世間話をしただけだけど」 「えーっと……その、おひとりでですか?」 >「1人でってそれこそ何を……ん?」 思い起こせばあの人懐こいフクキタルがカフェと一緒にいた子には一言も声をかけなかった覚えがある あの子は俺が話しかけても一言も喋らなかったばかりか、足音ひとつ立てなかったような… >「フクキタル、一応聞くけどさっきまで俺たち何人いた?」 「ほへ?私とトレーナーさんとカフェさんの3人ですよ。もう忘れちゃったんですか」 真夏の夜、合宿場に妙に生ぬるい風が吹き抜けた気がした 2 >「それじゃあ今日の練習を始めようと思うんだが…」 「ハイ!トレーナーさん質問です!」 夜の登山から一夜明け、燦々と照り付ける夏の日差しのなか元気よく答えたのはマチカネフクキタルだ 今日のメニューには水泳もあるのだが水着姿にダルマの耳飾り着用とやる気が有るのか無いのかわからない 「その首の痣みたいなのはどうしたんですか?昨日はありませんでしたよね」 >「いつついたかは覚えてないが朝起きたらこうなってた」 「あの……痛みとかは…」『……』 >「特に無いから大丈夫。気を遣わせてすまない」 心配する3人に感謝を伝えこちらの質問に移る……そう、心配しているのは3人なのだ >「今も声が聞こえたのでたぶん熱中症から来る幻覚ではないと思うんだけど」 >「なんでマンハッタンカフェ…たちがここに?」 学園のプライベートビーチである浜辺にはフクキタルとカフェ…とカフェによく似たウマ娘が居た 三人目の子は全く喋らずフクキタルも何のリアクションも示さないのでおそらくそういう存在なのだろう 「私が誘いました!むふーッ!」 >「初耳なんだけど…」 「……やっぱり、ご迷惑でしたらこれで…」 「ああっ待ってくださいカフェさん!今月の占いで気の合う仲間と一緒に練習すると吉と出ているんですよー!」 どうやら昨夜の下山中、フクキタルがカフェと話している間にそういう流れになったらしい お世辞にも気が合うようには見えなかったが2人とも適正は芝の長距離寄り、脚質も差しと共通点が多ようだ しかしカフェは既にトゥインクルシリーズでデビューしておりトレーナーがついていたはずなのだが 「私のチームは……どちらかというと…その、マイル路線なので」 「ってわけで合宿の間は私たちと一緒にガッツリ幸運とついでにスタミナもつけちゃいましょう!という話になったわけです」 >「カフェのトレーナーからは許可は下りているのか?」 「は、はい!……ですから…短い間ですが、よろしくお願いします」『……』 マイルや中距離に比べると長距離はレース自体が少なく、椅子取り争いも激しい狭き門だ 菊花賞を控えたこの大事な時期に専門家の指示を仰ぎたいという気持ちも分からなくもない それはそれとしてカフェの言動からどこか…チームとの距離を感じた気がした >「……わかった、7月の間は俺が君たちの指導役を務める」 >「フクキタルの練習でもあるからシニアレベルの厳しいものになる、気を引き締めるように」 「はい!」『……!』「エ゙ッ」 逆境にあって目を輝かせているカフェは見た目以上にレース向きの性格をしているのかもしれない あとフクキタルの練習量は3割増しにしよう。そう誓ったミーティングであった 合同練習初日を終えて翌朝。俺の首の痣がもう一本増えていた 3 朝、首の痣が増えて気付いたことがある どうもこれは人間の指の跡……それも自分のものよりも細い、おそらく女性の指の跡に見えた そして一度意識してしまうと首を絞められるような錯覚に陥り息苦しさを感じてくる 「呪い……でしょうか?」 >「呪われるようなことをした覚えはないんだけどな」 「そ…その話、私にも…ぜぇ……聞かせてください…」 遠泳練習の合間、休憩時間中に俺とカフェは痣について話していた スピリチュアルな話題を感じ取ったのか1.3倍の練習メニューを課されたフクキタルも食いついてきている 「すぅー…はぁー…イヨシッ!占い、呪い、怪奇現象、この世の神秘はマチカネフクキタルにお任せあれです!」 >「元気になったみたいだし練習再開しようか」 「ギョエー!血も涙もないのですかトレーナーさん!?」 「い、いいんですか…?話くらいは聞いてあげても……」 覚えはないが原因はおそらく先日の夜の山登りだろう 知らない間にカフェ…はないとして、俺かフクキタルが虎の尾を踏んで恨みを買ったのかもしれない こういう場合フクキタルはシラオキ様とやらに守られているので大概こっちに降りかかってくるのだ >「とにかく、君たちが気にすることじゃない。練習に集中するように」 「はーい…」「はい…」『……』 そう言ってこの話題を締めくくるとフクキタルとカフェは練習に戻り、カフェの『お友達』はどこかへ消えていった 消えた『お友達』が見つかったのは約半日後……亡霊だらけの合宿場の裏山であった 「トレーナーさんの…首の痣の原因……あの子が見つけてくれたみたいです」 「フムフム。ここに件のウマ娘の幽霊さんがいるという訳ですね?」 >「フクキタルそっちじゃない。逆方向だ」 裏山には俺以外にカフェとその『お友達』、あと全く見えないのにフクキタルもついてきたようだ トレーナーになってから多少そういうモノが見えるようになったが会話をできるほどではない 今回は原因となるウマ娘の亡霊の話を『お友達』を通し、カフェに通訳してもらった 「……どうやら彼女は合宿中、新潟のレースに出るつもりが、ここで命を落としたと言っています」 「トレーナーと一緒に新潟に行きたかった……と。その思いでここに縛られているのかもしれません」 「トレーナーさんとフクキタルさんは…その……仲良さそうにしていたので…イラッときたらしいです」 やたら新潟にこだわるウマ娘の亡霊だが八つ当たりを受けていることは分かった この首の痣を消してもらう方法がないか、カフェと『お友達』を通し聞いてみたのだが… 「……えっ?…うん……わかった…」 「カフェさん、幽霊さんはなんて言ってたんでしょうか?」 「未練を残したレースを走りきりたい…レースをして、私たちが勝てたら痣を消してあげる…と」 >「そのレースって?」 俺の言葉を受け、カフェは今まで歩いてきた山道を指さした 草木や石ころで荒れてはいるが、背の低い木々に囲まれてまっすぐ伸びた山道 1kmはありそうなその緩やかな坂道を見下ろしてカフェは答えた 「GVレース、アイビスサマーダッシュ……直線芝1000m……だそうです」 4 朝起きたら嫌なこと全部夢だったらいいのに そんなことを思いながら鏡を覗き込んだが、案の定首の痣はまた1本増えていた これで3本目。1週間後には両手分の痣が広がるのを想像してげんなりしつつも身支度を済ませた 「真夏の納涼、スピリチュアル体験!星降る夜は幽霊さんと一緒に走りましょう!」 「…とスプリンターの方々に宣伝したんですが、断られてしまいました」 >「だろうな…」 「わ…私たちが頑張りますから……」 昼食を兼ねたミーティング。聞かされた勧誘の成果は予想通りであった 心遣いは嬉しいがあんな魑魅魍魎の巣で無事でいられるウマ娘はこの子たちくらいであろう 今ある手札で勝負するしかないのだが、相手はGVクラスとはいえこちらの条件が悪すぎた まず距離適性。フクキタルもカフェも距離が長いほど望ましく、1000mはどう考えても短すぎる 坂道や悪路については意外にもカフェが適正を見せた…が、地形の影響を無視する亡霊相手ではまだ分が悪い そして直線のみというコース構成、これも長距離を主戦場とする2人には影響が大きかった 「普段はどれだけ上手く曲がれるかって勝負所のひとつなんですけどねぇ…」 「ちょっとだけ……息を入れられるタイミングですから…無いのは厳しいです」 さらにもうひとつ、本来ならこちらにとってアドバンテージとなる項目があった 一部のウマ娘だけが持つと言われる他に類を見ない技能…固有スキルとも言われる能力の存在だ 「私のお友達の話では…例のウマ娘の亡霊さんは固有スキルに目覚めていないらしい…ですが」 「なんと!?ツキが向いてきましたよ!その点では私が一歩リード!」 >「3頭立てのレースで相手の姿も見えないのに?」 「デスヨネ…」 フクキタルはこう見えて追い抜き時のフェイントが抜群に上手い……上手いということにしておく なのだが前が詰まるという状況が発生しにくいレースではこれが全くあてに出来ないのだった 「カフェさんはどんな感じですか?」 「……すみません、私はまだ…そういうのは」 固有スキルに目覚めるきっかけはトレーナーに見いだされ、信頼関係を深めた瞬間が多いと言われている 距離適性に開きがあるチームに加え引っ込み思案なカフェが目覚めていないのも不思議なことではなかった >「大丈夫、フクキタルでも覚えたんだからそのうち覚えるよ」 「そうそう私でも……ってどういうことですか〜!?」 「……ふふっ…」『……』 ふんぎゃろってるフクキタルにぽこぽこ叩かれたがカフェたちは少しだけ笑ってくれたようだ 正直気が重くなる要素しかないが出来ることはしていかなければならない >「今日の午後から短距離路線チームの練習に混ぜてもえるよう、話をつけてきてある」 >「2人には…特にカフェには悪いが、付け焼き刃でも短距離の走り方を身に着けてくれ」 >「最低でもスプリンターがどういう走り方をするのか…しっかり観察して対策を練ってほしい」 特に相手の姿すら見えないフクキタルは現状ペースをつかむことすら困難だろう 向こうの土俵に引きずり込まれるのは癪だが正直これ以外に方法はない 「分かりました!それでトレーナーさんは?」 >「俺は俺で対策を練ってくる。トレセン学園の元生徒ならデータも残っているはずだ」 >「しばらく練習を見てやれないけれど、頼んだぞ」 俺はいつもの癖でフクキタルの頭と、ついでにカフェの頭をぽんと叩いた 『……』 無言で睨んでくる『お友達』の頭も撫でようとしたが、こちらは空を切る結果に終わった 5 8本目の首の痣が出た日。運命のレースの前日は朝から雨が降っていた 「今日はスプリンターチームの方々も外での練習はお休みのようですが…どうしましょうか?」 >「明日は本番だし、フクキタルとカフェも休養にしよう」 「いいんでしょうか…本番前に……」 >「雨の中練習して体調を崩すリスクの方が大きい。屋内の自主練もほどほどにすること」 フクキタルは休むことに関しては聞き分けが良いのでいいとして、気になるのはカフェの方だ まだ緊張しているのか生来の性格か思いつめる…は言いすぎだが頑張りすぎてしまうところがある >「件のウマ娘の亡霊について、生前の情報をまとめておいた。参考にしてくれ」 「あくまで休養であってサボりは許さないというトレーナーさんのお心遣いが身に沁みますねぇ…」 >「俺は会場の下見に行ってくる。何かあったら連絡すること」 3人にそう言い残して俺は雨合羽を羽織り、裏山に向かった 霧雨が肌にまとわりつくのを感じながら歩くこと数時間 夜ほどではないが薄暗い山道で俺は登り降りを繰り返していた 予報が正しければこの雨も夜には止み、レースの時には水もはけているだろう 鬱陶しい雨雲から視線を下ろすと……雨ざらしの前髪で顔が完全に隠れた女が立っていた >「うわああああ!!」 『……!?』 「どうしたんですか!?」 >「うわああああ!?」 突然後ろから呼ばれて振り返ると、それと瓜二つの女がもう1人立っているではないか ビックリして尻餅をつき、びしょ濡れになったあたりでようやくその正体に気付いた >「……もしかしてカフェか?」 「はい。マンハッタンカフェですが…」 よく見るとカフェの方はしっかりと傘をさしている。最初に見たのは『お友達』の方だったのだろう 俺はカフェに手を引いてもらい体を起こした 「…鎌」 >「うん?これがどうかしたのか」 「鉈、それにスコップ……そんな道具で…幽霊と戦うつもりだったんですか……?」 カフェはここ一週間で使い込まれた俺の道具を見てる尋ねてきた こんなもので身を守れるなら苦労はないのだが… >「フクキタルじゃあるまいしそこまで能天気じゃないよ」 >「これは正真正銘のただの農具。あの亡霊と君たちの差を埋めるためのものだ」 「この農具で……ですか?」 >「振り返って見てごらん」 カフェたちが振り返るとそこにはやはりコースとは名ばかりの山道が広がっていた しかしよく見るとそれは1週間前の山道と同じではない >「石ころを除いて、雑草を刈り揃えて、木の根を掘り起こして、道の凹凸も均した」 >「URAの整備するターフには程遠いけど、以前よりは走りやすくなったはずだ」 「これを……1人で…?」 応援を頼もうにもこの山は昼間でもそういうモノが全くいない訳ではない 自分の尻拭いのために無関係の人を巻き込めなかった…という理由もあったのだが >「フクキタルは夜道で気をつけて走るなんて器用な真似は出来ないからな」 >「君も含め、こんな野良レースで怪我なんかさせられない。それに」 >「ウマ娘たちが自分の走りに専念出来るようサポートするのがトレーナーの仕事だ」 「フクキタルさんは…この事を知っていたから、どこかに行っても何も言わなかったんですね」 >「……ああ!」 トレーナーなら誰もがそう思っているし、そうするに違いない フクキタルがちょっと他のウマ娘より手がかかるだけで当たり前のことだ 「あなたたちの関係が……ちょっと羨ましいです」 >「心霊現象はいい加減勘弁してほしいけどね…」 カフェもいつか彼女のトレーナーの想いに気付き、心を通わせる日が来るだろう 誤解を解いたところで作業に戻ろうとすると、カフェはどこからか水筒を取り出した 「お手伝い…を申し出てもご迷惑と思いますので、せめてこれを」 「ホットコーヒーです。温まりますし、頭も冴えますよ」 >「君らしいな。ありがとう、カフェ」 カフェがくれたコーヒーはブラックだったが癖がなく飲みやすいものだった 『お友達』は相変わらず無口だったが気持ち微笑んでいた気がする 6 首の痣が9本に増えた日の夜、約束のレースの時 俺とフクキタル、カフェとその『お友達』は裏山に来ていた 「夏といってもやっぱり山の夜は涼しいですねぇ」 「涼……えっ…?」 >「気にしないでいいぞカフェ。見えないならその方がいい」 今夜の山道には初日よりも大勢のギャラリーが押し寄せていた レースを観に来た亡霊からそれに引き寄せられてきた亡霊まで それは全く霊感のないフクキタルが若干でも悪寒を感じるほどのものだった 幸い雨雲も昨晩には無くなっており、バ場状態は良といったところだ 視界の方も月明かりやらヒトダマやらに照らされ思ったより悪くない もっともフクキタルだけはヒトダマも俺の演出と思っているようだが…どちらでもいいだろう >「それじゃ皆、位置について…」 山の中腹にある山道直線コースのスタート地点 亡霊のギャラリーに囲まれウマ娘の亡霊、フクキタル、カフェの3人が並んでいた 俺はというと霊感のないフクキタルにも分かるようスターターを務めている >「用意……スタート!」 旗を振り下ろすと同時に3人は一斉に駆けていった URAの管理する公式レースであれば空撮も用意されていたであろうが野良レースにそんな余裕はない ゴールには一応ビデオカメラを置き順位を確認できるようにはしているのだが… >(頑張ってくれ…フクキタル、カフェ) 呑気に待っている気にもなれず、俺は原付に乗りその後を追いかけた 「はっ…はっ……くっ!」 「……っ、カフェさん…!」 レース中盤、先頭を走るウマ娘の亡霊がリードを保っていた そのやや後ろにカフェがつけており、少し離してフクキタルが追いかけている カフェにしてはかなり早いペースだが…これが今回の彼女の作戦だった 『相手の生前のデータを見る限り、フクキタルさんなら差しきれる可能性があります』 『なので私は終盤まで相手のすぐ後ろにつけプレッシャーを与え続けます』 『フクキタルさんはゴール前で私を1…いえ、2バ身差をつけるつもりで差しきってください』 フクキタルには計算上は勝ち目があるが相手が見えないという致命的な弱点がある どちらかが勝てばいいという点に目をつけたカフェは自ら目印役を買って出ていたのだ 立木に蛍光テープを巻いた即席ハロン棒…残り200mが見えたところでフクキタルが動いた 「はぁぁぁあああ!!!」 スパートをかけたフクキタルは足元の悪さも関係ないとばかりに力強く加速した 一歩また一歩と踏みしめるたびに前を行くカフェとの差を詰め、ついには抜かしていく 当然それで終わりではなく、フクキタルは目の前に居るであろう何かを睨みつけた 『……!?』 「そこ…ですね……っ!!」 一瞬、後ろを振り返ったウマ娘の亡霊の表情が驚きの色を見せた 連日のスプリンターたちとの訓練、そしてウマ娘の亡霊が放つ勝負への情熱 それらを通じてフクキタルは見えぬはずの相手の背中を捉えていたのだから 両者はさらにもう一段階加速した。決着は目前に迫っている そしてもう1人の役者はその背中を眺め、力尽きかけた足を動かしていた 7 私は『お友達』に恵まれる反面、友人が少ないウマ娘だった 変人のアグネスタキオンはさておき、『お友達』の存在を共有できない相手には距離を感じている それはチームメイトやトレーナーに対しても同様であり、固有能力に目覚めていない事実がそれを物語っていた 既に勝負はフクキタルさんと亡霊の一騎討ちの段階に入っており、私の出る幕はない ―――『本当にそうなの?』 …分かっている。レースに勝ちたくないウマ娘など居ない、今なお止まらぬこの足が証拠だ でもここは不安定な山道だ。暗くてよく見えないし、全力で走ることは出来ない ―――『本当にそうなの?』 …分かっている。亡霊ならまだしも、フクキタルさんはあのように全力で走っているではないか 私は知っている。1週間前は荒れ放題だったこの山道をあのトレーナーさんが整えてくれたことを フクキタルさんが全力で走れるのはトレーナーさんの仕事ぶりを少しの迷いもなく信頼しているからだ …ねえ、私も……あの人を信じていいかな? ―――『…………』 ……そうだね。そうしよう 行こう、一緒に ほんの少し迷ってる間に2人にはずいぶんと離されてしまった 届かないかもしれない、けどもうそんなことは関係ない 「とど…け……ぇぇえっ!!」 解き放ったのは凶暴なほどの勝利への渇望。それは私の知らない、私の力の片鱗だったのかもしれない 闇に溶けて前を行く二人の背中に追いすがった。けど、今回はあと一歩届かなかった レースの結果は―――生粋のスプリンターに付け焼き刃が届くはずもなく、ウマ娘の亡霊の勝利だった 「と、トレーナーさぁん……あのあの、私には見えなかったんですけど…どうなったんでしょうか?」 フクキタルも何となく結果は察しているのだろう。いつもより青い顔をしている 朝がくればもう一本分の指の痣が増え、俺の首は……正直無事でいられる気がしない 後悔がないと言えば嘘になるが、最後にいいレー「もう一回です!!」 異議を申し立てたのは最後の最後でアタマ差まで詰め寄ったカフェであった 「……一発勝負とは言っていないはずですよ」 「こっちはようやく温まってきたところなんです。勝ち逃げなんて許しません」 「さあ、もう一度始めましょう…さあ!早く!!」 ラストスパートで吹っ切れたかのような走りを見せたカフェだったが、他のブレーキも壊れてしまったのかもしれない 戸惑っているウマ娘の亡霊に対してフクキタルも追撃に加わった 「そ、そうですよ!私たちは元々スタミナが売りですからね!良い目が出るまで振り直しがおみくじの必勝法です!」 「ええ。まだまだ夜は長い…満足させてもらえるまで朝までだってやりますよ!!」 まさかの二回戦の申し立てにウマ娘の亡霊は却下する姿勢を見せる …が、そうは問屋が卸さなかった 『こんな面白いレースが一度きりなんて嘘だろ』 『あの青鹿毛のウマ娘…本気の走りはこんなもんじゃないわよね?』 『ツレのお友達もヤル気満々じゃねえか。再戦だ再戦!』 「勝利に飢えたケモノと化すウマ娘ちゃん……尊すぎる…しゅき……」 『なんか観てたら私もウズウズしてきたわね…飛び入りさせてもらわよ!!』 亡霊たちにしてみればGTウマ娘レベルの生の走りなど滅多に見れるものではない 勝手に盛り上がってしまったギャラリー亡霊たちの勢いに押し切られ、ウマ娘の亡霊は渋々スタートに戻っていった 8 それから何レース…あるいは十レース以上走っただろうか (モウ……ムリィ…) 野次ウマ亡霊たちも混ざって大混戦のレースに発展したあたりでウマ娘の亡霊は力尽きたかのように倒れ込み、夜の闇に消えていった 「オヤ?トトトレーナーさん、首の痣が消えてますよ!?」 「チッ、逃がしたか…」 『おおっとここまでか!?勝者!マチカネフクキタル・マンハッタンカフェチーム!!』 いつの間にか実況を始めた亡霊の宣言にギャラリーの亡霊たちが沸き上がった ウマ娘の亡霊も満足いくまで走って成仏…?おそらく成仏したのだろう 俺はギャラリーの亡霊たちに胴上げされながら無事生きたまま夜明けを迎えることができた 一夜明け、合宿場に戻ったフクキタルは練習できる状態ではなかった 『一晩中走りまくりましたからね……ヤスマセテクダサイ……』 俺の都合で引っ張り回した手前、今日一日は体調不良という名目で休ませている 俺はというと少し仮眠を取ったあと、滞っていた長距離向けの練習メニューを組み直していた そんな最中、1人の…『お友達』を含めると2人のウマ娘が訪ねてきた 「こんにちは……顔色、良くなりましたね」 マンハッタンカフェはレース後もしばらくハイになっていて心配したが、どうやら元に戻ったようだ さすがに今日は練習は無いと追い返そうとしたところ、彼女は首を振って一枚の紙を手渡して来た 『チーム移籍届』……提出者はマンハッタンカフェ、提出先は俺の名前になっている 「トレーナーさんは…私のお友達のことを理解してくれた初めてのトレーナーです」 「私の中に眠っていた力を目覚めさせて、受け入れてくれた人…」 「だから……これからも末永く、よろしくお願いします」 あの闘争心の塊を受け入れた覚えはなかったが、カフェの笑顔の後ろから『お友達』の強い圧力を感じる 俺は息苦しさを感じなくなった首元を撫でながら彼女の移籍届を受け取った なお、ここまで無名であったマンハッタンカフェが夏の上がりウマ娘として名を馳せるのは少し後の話である 《マンハッタンカフェ育成シナリオ》 1 フクキタルさんの…今は私のでもあるトレーナーさんと出会ってから3ヶ月 長距離に的を絞った指導、菊花賞ウマ娘フクキタルさんとの並走トレーニング 合宿中に遠征し長距離レースの経験を積みんで自信をつけさせてもらったことも大きい その努力がついに実り、私はクラシックレースの三冠目…菊花賞での優勝を果たした 「君を侮っていたつもりはなかったんだけどねぇ。まったくウマ娘の可能性は未知数だよ」 「……お疲れさまでした。もう行っていいですか?」 「ああ、そんなつれないことを言わないで聞かせてくれたまえよ。君に何があったんだい?」 地下バ馬道で話しかけてきたのはさっきまで一緒に走っていたアグネスタキオンさんだ 三冠を阻まれたというのにその言葉に皮肉は感じない。そういう人だった 「かつての君の走りは凡庸なものだった。強烈な個性を放つようになったのは夏合宿からだったかな?」 「一部の報道では血に飢えた猟犬と言う者までいる。まあ一緒に走る身からすれば誇張表現とは言い切れないけどね」 「きっかけは何か……大方予想はつくよ。移籍が成功だったのか、あるいはそれゆえの移籍だったのか」 「トレーナーさんの指導が的確で…私はそれを実行した。それだけです」 「謙虚だなぁ君は。命令されたことを忠実にこなすことを喜びとする…本当に猟犬のようじゃないか」 「それで結構ですから…」 タキオンさんは既に私の知る範囲での答えを持っている。これ以上は下世話な話になるだけだ 話を打ち切り帰ろうとした私の肩のタキオンさんが手をかけた 「気を悪くしないでくれよ。じゃあ最後に一つだけ教えてくれ、次走はどうすんだい?」 「ジャパンカップ?…君が挑むには少し距離が短い気がするねぇ」 「ステイヤーズステークス?…GTウマ娘の舞台としては少し華が足りないかな」 「……当然、春の天皇賞に向けて調整を」 「有マ記念にはマチカネフクキタルも出走するよ」 それはチームメイトの私なら当然知っていることだった 誰よりもファンを大事にして、ファンのために走るあの人が有マ記念を回避するはずがない 「年末に開催される最高峰のグランプリレース。ステイヤーとして覚醒した君にはおあつらえ向きの舞台だ」 「昇り龍のごとく急成長している菊花賞ウマ娘の参戦に異を唱える者などいやしないだろう」 「それとフクキタルさんに何の関係が…というか、チーム内で潰し合ってどうするんですか」 興味が向いたのが嬉しかったのかタキオンさんは大仰な仕草で私の言葉を否定した 暗いせいかは分からないが彼女の瞳はいつもより濁って見える 「やめたまえカフェ君。下手な言い訳で自らの可能性を閉じ込めてしまうのは」 「君は猟犬ではない、ウマ娘だ。どんなに取り繕っても勝たずにはいられない性分なのだよ」 「誰が一番なのか……君のトレーナーに知らしめるいい機会ではないのかい?」 ウマ娘として自らの限界に挑みたい気持ちは否定しない……けれどこの言い方には付き合いきれなかった 私は無言で手を振り払うとトレーナーさんの元へ戻った 「ククク……期待しているよカフェ君。感情というファクターが作用したウマ娘の無限の可能性を」 -------------------------------- (clear)GT菊花賞 で1着       ↓(NEXT)    GT有マ記念 で1着       ↓    GU日経賞 で5着以内       ↓    GT天皇賞(春) で1着       ↓    GT凱旋門賞 に出走 -------------------------------- 2 有マ記念。その年を締めくくると言われる国内GTレースの最高峰 タキオンさんに言われたせいではないが、フクキタルさんの勧めもあり私も出走することになった マスメディアからは同門対決と煽られたりもしたけれど…トレーナーさんは気にするそぶりも見せなかった 『フッフッフ……今日の私はかなり大吉寄りの中吉、ほぼ大吉といっても過言ではないでしょう』 『絶好調の私に負けても恨みっこなしですからねカフェさん!』 初めてのグランプリレース。フクキタルさんが緊張をほぐすため声をかけてくれたのを覚えている どちらが勝ってもトレーナーさんは喜んでくれるだろう、そう思うと少し気が軽くなった 軽快なスタート、淀みない流れ、縦に長く伸びて進む列…そして最終コーナーを前にひりつく空気 私は周囲の動向に注意を払いつつ、フクキタルさんのフェイントに巻き込まれないよう彼女の後方につけた 『ついて…これますか……ッ!!』 『……っ、抜かす!!』 最終直線、高低差2mに及ぶ急坂。体格で劣る代わり坂道を得意とするという一点が明暗を分けた 胸に抱えきれないほどの闘争心を燃やし、私はゴール板を誰より先に通り抜けた 見上げればスタンドを埋め尽くす大観衆。その誰もが私を祝福してくれた……はずだった 『すげえ……こんな走り見たことねえ』 『菊花賞も速かったけどなんか、すごみが増したっていうか…』 『最後なんか恐いくらいだったな。ちょっと鳥肌立ったよ』 勝利を讃える拍手こそ上がっていたものの、それ以上に会場は騒然としていて たぶん私はそれが気に入らなかったのだろう。客席を…応援してくれるファンの人たちを睨み返してしまった 一瞬、場が凍り付きそうになった時……私の頭は真っ白になった 『ぜぇ…ぜぇ……やりましたねカフェさん!おめでとうgアッ』 ゴール後、こちらに駆けてくるフクキタルさんが足をもつれさせ転んでしまい、その拍子に背負ったにゃーさんの中から水晶玉が飛び出し……私の頭を直撃したからだ >「カフェ、優勝おめでとう。これで君もグランプリウマ娘だ」 「あ、ありがとうございます…」 私は正座させられているフクキタルさんを横目にトレーナーさんから治療を受けていた 結局あのアクシデントのおかげで笑いが取れたので私としては少し助かったのだけれど… 「しかしカフェさんは鬼気迫る走りでしたね。本番で人が変わるのはたまに見ますが、あれは驚きました」 >「誰かさんと違って本気で走ってそうなるんだから別にいいだろう」 「ウウッ!それを言われると古傷が痛みます…」 >「これでよし。フクキタル、ライブの練習に連れて行ってやってくれ」 そう言うとトレーナーさんは傷を刺激しないように優しく頭を撫で、薬箱を持って楽屋を後にしました 「重ね重ねすみませんでしたカフェさん。もしものことがあったらお百度参りしてきますのでお許しを〜」 「気にしていませんから…」 これ以上待たせては他の出走者の人たちにも悪い 急いでリハーサルに向かう…前に私は気になっていたことについてフクキタルさんに聞いた 「あの……フクキタルさんの古傷って、どこか怪我をされているんですか?」 「あー…あれはその……いや、恥ずかしい話なんですけどね本当に」 彼女が話してくれたのは昨年の金鯱賞の出来事だった 当時浮かれきっていたフクキタルさんは気の抜けた走りを披露、好成績を残したものの学外からもバッシングを受けるほどの事態となっていた 「あの時は私も落ち込みましたがトレーナーさんには本当にご迷惑をおかけしたと思ってますハイ…」 「トレーナーさんに?」 「担当ウマ娘の調子が万全じゃない状態で出走させてトゥインクルシリーズの品格を貶めた…と学園からずいぶんお叱りを受けたみたいで」 「……!」 「実績からすれば本当ならもっと評価されてもいい人なんですよ。トレーナーさんは」 「そう…だったんですね」 フクキタルさんの言おうとしていることは分かった。これ以上古傷を抉るのはやめよう 私たちはそれで話題を打ち切るとウイニングライブのリハーサルに合流した 「お待たせしてすみません!マンハッタンカフェ・マチカネフクキタル到着しました!(カフェさん!)」 「お、お待たせしました!よろしくお願いします!」 センターの振り付けは前もってフクキタルさんに教わっていたので思ったより合わせるのに苦労はしなかった ただ…練習中も私の頭の中には、フクキタルさんから聞いた話がずっと駆け巡っていた -------------------------------- (clear)GT有マ記念 で1着       ↓(NEXT)    GU日経賞 で5着以内       ↓    GT天皇賞(春) で1着       ↓    GT凱旋門賞 に出走 -------------------------------- 3 「大吉っ…大吉ぃ……大大吉ッ!!」 「……っはぁ…はっ……」 >「2人ともよく頑張った。10分休憩だ」 年が明けて3月。私は当初の予定通り春の天皇賞に向けトレーニングを重ねていた 今年も宝塚記念に的を絞って調整しているフクキタルさんにもこうして並走トレーニングを頼んで…いるのだけど >「カフェ…やっぱりどこか調子悪いのか?」 「いえ、そんなことは……ないんですが」 「もしかして私のほうが急成長を?なんちゃって……!?!!?」 フクキタルさんはまた間違えて私のボトルを飲んでしまったようだ 水の滴下時間を調整して半日かけて淹れたコールドブリューコーヒーだったのだけれど…お口に合わなかったのかもしれない まあスポーツドリンクと思って飲んだら誰でもあんな顔をするかもしれない >「天皇賞まではまだ時間はあるし、日経賞は回避するか…」 天皇賞の約1か月前に開催される長距離レース、日経賞の開催まで残りわずか 有マ記念の時の私であれば十分勝算はあったのだが今の私では……正直厳しいかもしれない 「…いえ、走ります。走らせてください」 >「分かった、万全を尽くそう。」 この不調の原因はフォームの乱れや体調不良など物理的な原因もあるだろう 加えてそれらの引き金にもなっている精神的な原因に私は心当たりがある しかしトレーナーさんには言えるはずがなかった…『本気を出すのが怖い』だなんて >「10分経過。次は400mダッシュ、フクキタルも本気でな」 「ふぉおお!コーヒー飲んで目もパッチリしたことですし、いつでもいけますよ!」 「あの…お手柔らかにお願いします」 坂こそないがレース終盤の直線を想定した距離…私たち差しを得意とする者たちの勝負所の練習だ フクキタルさんの得意分野は有無を言わせぬコース取り。つまり直線勝負にアドバンテージはない 私はトップスピードの更に上を目指し加速を 『一部の報道では血に飢えた猟犬と言う者までいる。まあ一緒に走る身からすれば誇張表現とは言い切れないけどね』 『最後なんか恐いくらいだったな。ちょっと鳥肌立ったよ』 『トゥインクルシリーズの品格を貶めた…と学園からずいぶんお叱りを受けたみたいで』 「……っ!」 夏合宿の野良レース、菊花賞、そして有マ記念 沸き上がる闘争心に身を委ねるほど私の走りは鋭さを増し、周囲に恐怖を与えるほどになっていた 事実、レースの直後は普段の私からは考えられないほど高揚しており……暴力的になっている自覚もある これ以上踏み込んでしまえば…いつかトレーナーさんに迷惑をかけるのではないだろうか? 不安は足枷となり、今回も私はフクキタルさんを追い抜くことが出来なかった そしてその隣で、今回も私の『お友達』は狂気すら感じさせる走りでフクキタルさんを差しきって行った 『…………』 『お友達』はつまらなそうに一瞥をくれると、そのままどこかへ行ってしまった (相手になってあげられなくてごめんなさい)と心の中で呟くと、私は練習に戻った それからしばらくして開催された日経賞 3か月前に有マ記念で勝ち上がったコースを走り、私は優勝を逃した -------------------------------- (clear)GT有マ記念 で1着       ↓ (clear)GU日経賞 で5着以内       ↓(NEXT)    GT天皇賞(春) で1着       ↓    GT凱旋門賞 に出走 -------------------------------- 4 有マ記念優勝者の日経賞敗北。そのニュースは各メディアに大きく報じられていた 『マンハッタンカフェ、力負け』 『天皇賞(春)の最有力候補陥落』 『続行か、引退か』 世間体を気にするあまり切り札を温存、慣れない早仕掛けに踏み切った結果届かなかった 全てはレースを甘く見た私の失態。それだけの話だった それだけなのに…メディアの反応はそれだけに留まらなかった 『彼女のトレーナーは過去に調整不足のマチカネフクキタルを送り出した失態を繰り返した』 『有マ記念を制する力のあるウマ娘が満足な指導を受けられないのは非常に遺憾である』 『昨年の有マ記念優勝もマチカネフクキタルをアシストにした陣営の作戦だったのではないか?』 責任の追求は私個人を飛び越えトレーナーさんにまで及び、私は自分のしでかしたことの重大さ思い知った 一方、トレーナーさんとフクキタルさんの反応は 「おぉぉ…見てください、久々に私の名前が新聞に載りましたよ!」 >「いいや、俺の方が大きく取り上げられてるね」 きっと私に気を遣ってのことなのだろうけど、想像以上に緊張感のないものだった 「す…すみませんでした!私のことだけじゃなく、お二人のことまで…」 >「半分くらいは本当のことだし仕方ない。切り替えていこう」 「そうそう。むしろ天皇賞で結果を出せばメディア各社も手のひらグルグル大回転、人気も運気も急上昇間違いなしです!」 そればかりか今なおこんな私を慰め、期待してくれている 今の私にはそれに応えられるだけの自信が… >「それにファンの皆もカフェの復活を期待してくれてるしな」 「……えっ…?」 「おや?その反応はカフェさん、ニュースや新聞くらいしか見ていませんね」 そう言ってフクキタルさんはスマホを操作し、ウマッターのつぶやきをいくつか見せてくれた 当然失望を示すものも少なくなかったが、その反対…応援してくれるものも多かった 『春天で復活に期待。京都まで見にいくぞー!』 『カフェにはまたギラギラしたレース見せてほしいなぁ』 『マンハッタンカフェは直前の日経賞こそ敗北したが有マ記念はもちろん春の天皇賞と同じ京都で3000mの菊花賞を制したという実績がある。クラシックから更に成長した彼女が調子を取り戻すことができたなら天皇賞に新たな歴史が刻まれるに違いない…頑張れマンハッタンカフェ!』 「ハイテンションな時のカフェさんみたいな人はトゥインクルシリーズでも貴重ですからね〜」 「オマケに強いときたもんですから有マ記念からカフェさんのファンはがっぽがっぽ増えてるんですよ。ご存知なかったんですか?」 「すみません……有マ記念からはその…怖くて見ないようにしていました」 >「そうだったんだ…」 「トレーナーさん……私、本気で走ると頭に血が上って…周りが見えなくなることがあるんです」 >「そうだね」 「走るたびに、速くなるたびにどんどん悪化して…有マ記念ではファンの皆さんを睨みつけてしまいました」 >「みたいだね」 「今、本気で走ったら…もっと酷いことになるかもしれないんですけど……それでも」 >「カフェ」 それはトレーナーさんに益するどころか追い詰めてしまいかねない願いだったけれど 俯いていた視線を上げると、そこにはいつも通り優しそうなトレーナーさんの顔があった >「俺たちトレーナーはウマ娘が最高のレースを出来るようにサポートするのが仕事だ」 >「それは査定や名誉の為じゃなくて君たちの走る姿を見たいからやってるんだよ」 >「だから俺に遠慮なんてしなくていい。君の一番の走りを見せてくれ」 「……いいんでしょうか?」 >「もちろん!」 夏合宿の時、フクキタルさんのために一人で山道を整備していた時も同じようなことを言っていたのを思い出した すっかり忘れていたがトレーナーさんはそういう人なのだ だから私はこの人を信じたいと…報いたいと思ったんだ 「ありがとうございます、トレーナーさん。おかげで目が覚めました」 「天皇賞の盾……必ずや手に入れてみせましょう」 私はもう恐れない。トレーナーさんが手を引いてくれるから 1か月後。私たちの間で大きな事件が起きる ひとつは春の天皇賞制覇。私はステイヤーとしての地位を不動のものとした そしてもうひとつ。私の『お友達』が……姿を消した -------------------------------- (clear)GT有マ記念 で1着       ↓ (clear)GU日経賞 で5着以内       ↓ (clear)GT天皇賞(春) で1着       ↓(NEXT)    GT凱旋門賞 に出走 -------------------------------- 5 私の脚質は差しだがフクキタルさんのような鮮やかな追い抜きの技術はない ならばどうやってGTクラスのウマ娘たちを追い抜いていくか ラチ沿いをつく?否、そこは既に垂れウマで埋まっている袋小路だ 大外を回る?否、そんな距離のロスを許容出来るほど傲慢ではない 狙うはその中間。先行するウマ娘たちの走路を読み、空いたスペースを切り込んでいく 冷静に分析し判断する…読解力が最終コーナーまでの私の武器 そしてスパートをかけてからは滾る闘争心に身を委ね、今日からは理性も捨てて、ただ駆け抜ける 最高の走りをあの人に捧げるために…私は勝利に飢えた猟犬となった 『1着はマンハッタンカフェ!菊花賞に続いてこの淀の3200m、マンハッタンカフェが押し切りました!』 春の天皇賞。八大競走にも数えられ最も格が高いと称されるレース そのゴール板を最初に駆け抜けた私は…昂揚感の促すまま、観客席に向かって雄叫びを上げた >「やったなカフェ!完全復活だ!」 「ですがその……最後に私、大変無礼なことを…」 「なにを言ってるんですか。カフェさんなりのファンサービスってみんな分かってますから!」 「そ、それはそれで複雑なような…」 どうやら知らない間に私はそういうイメージが浸透していたらしい 甚だ不本意ではあるけど否定も出来ないのでそういうことにしておこう 「こほん……トレーナーさん、フクキタルさん。改めてありがとうございました」 「今日のレース、憂いなく走れたのはふたりのおかげです」 「ムフーッ!なんだか照れちゃいますねぇ」 >「カフェが頑張ったからだよ。それに『お友達』も協力してくれたからね」 「ふふ…そうでしたね。……あれ?」 「どうかしましたかカフェさん?」 「いえ…なんでもありません。それでは私、ウイニングライブのリハーサルに行ってきますね!」 その場は笑顔で2人のもとを離れたけど、胸に芽生えたざわつきは収まらなかった ウイニングライブのリハーサル中も、ライブが終わった後も、寮に帰って一夜明けた朝も それから何日経っても私は彼女に会うことはなかった 私の大事な人のひとり……私の『お友達』に 天皇賞から1週間。GWが明け通常の練習に戻るころになっても『お友達』の姿は見えなかった 「そういえばしばらく見ていませんねぇ、カフェさんの『お友達』」 「そ、そうですか……もし見かけたら…私に教えてください」 >「フクキタルは元から見えたことないだろ。それよりカフェにいい報せがある」 私の次の目標は遠く、有マ記念の連覇。それまでに出るレースも未定という状態である 今度は宝塚記念に出走するフクキタルさんの調整を全力で手伝う番…のはずだった URAの悲願とも言われている栄誉ある海外GTレース、凱旋門賞。その出走枠に私が選ばれたと聞かされるまでは 「本当に…私が……?」 >「有マ記念に天皇賞と、カフェの実績を考えれば十分だよ」 「URAのお墨付きなんですからビシッと胸張って行っちゃいましょう!」 「えっ…と……その」 2人の言う通り今までの私なら健闘できる可能性はあった それはいつだって私の前を走り、追いつきたい、追い越したいと思わせてくれるあの子がいたからだ 走れない理由としてはお花畑にもほどがある。こんなことは… 「……少しだけ、泣き言になってしまうかもしれませんけど」 「私の…昔の話を…聞いてくれますか?」 ……言ってもいいかもしれない。この2人になら この話を打ち明けるのはとても勇気がいることだったけれど、2人は快く頷いてくれた それは私がずっと小さい頃の話。『お友達』と出会った時のことである 私は小さい頃から内向的な性格で、人付き合いが苦手だった それでもウマ娘らしく走ることやレースは好きで、誰かと一緒に走りたいとずっと思っていて そんなある日出会ったのが私の『お友達』だった あの子とはお互い自分たちのことについて言葉を交わすことは無かったけれど、そのぶん走りで語り合った 彼女の走りは私の求める理想そのもので…彼女に追いつくことが私の目標だった 少しずつ、少しずつ、彼女に近付くたび私は速くなっていき、ついには天皇賞を制覇するところまで辿り着いた それでもまだ彼女の走りには追いつかない。道半ばで私は彼女を見失ってしまった 「あの子は……私の大事なお友達であると同時に、私の走りのお手本でした」 「彼女を失った今、私は不安定になっている……のかもしれません。そんな中でこんな大役、お受けするわけには」 >「それじゃ探すしかないな。カフェの『お友達』を」 「えっ?」 >「今のままじゃ満足な走りが出来ないんだろう?なら俺がやることはひとつだ」 「ですが、フクキタルさんの練習が…」 「カフェさん」 それは優しく諭すように語りかけてくるフクキタルさんの声 その目は相変わらずキラキラ輝いたけれど、どこか陰りが見える気がした 「私からもお願いします。カフェさんの『お友達』を探してあげてください」 「こういうことって一度気になっちゃったら意外と長いこと引きずりますからね。経験談です!」 >「すまんフクキタル。少しだけ自主練頼む」 「ビシッ!任せてください!トレーナーさんもカフェさんを頼みます!」 念押ししていたけれどフクキタルさんとトレーナーさんの間にはきっと私も知らない信頼関係があるのだろう 少し羨ましい、と思いつつも私とトレーナーさんはその日から『お友達』を探すことになった >「もう一回言うけど自主練だからな。本当に頼んだぞ」 -------------------------------- 6 トレーナーとマンハッタンカフェは彼女の『お友達』を探し、色々なところを回った 学園内はもちろんロードワークのコース、中山レース場や初詣に行った神社まで… 思い出に浸る余裕もないくらい急いで探し回ったが目標の手がかりは掴めなかった 「あとは……京都や札幌のレース場くらいでしょうか」 >「それならまだ合宿場のほうが近いな。念のためそっちから行こう」 車を走らせること数時間。海開きにはまだ早く、海岸は寂しいものだった 合宿場周りを探しても手がかりはなし。あとは例の裏山だけだとなった >「カフェ!あそこ…」 「あ……!」 2人で一本道の山道を探し歩くこと小一時間。彼女はそこで待っていた 長い黒髪にぴょんと跳ねた流星、月のごとく金色に耀く目はまさしくカフェそのものだった 「カフェの『お友達』を我々が捜索するのは難しいだろうねぇ」 「ガァァン……やっぱりそうですか…」 カフェとトレーナーが捜索に乗り出して数日が経った トレーナーから送られてくる自主トレのメニューをこなしたマチカネフクキタルは自分も捜索の手伝いが出来ないか、ダメ元でアグネスタキオンの元を訪ねていた 「カフェも水臭いと思わないかい。探すなら友達の私に一声かけてくれればいいのに」 「えっ?……そ、そうですね」 「おや、疑うのかい?これでも彼女の『お友達』については彼女以上に理解しているという自負があるよ」 フクキタルが疑問を感じたのは『お友達』の捜索能力に関してではないのだが、それはそれとして興味の引かれる話題であった 「例えば『お友達』の正体。本質と言ったほうが正しいかな?これについてカフェは無理解にもほどがある」 「本当ですか…ってタキオンさんも見えないんじゃないんでしたっけ」 「もちろん見えないさ。ただ彼女の言動、行動、過去。それらから客観的に判断し、概ね予想はついているよ」 「君はカフェと『お友達』の過去をどれくらいご存知かな?」 「えーっと…カフェさんは昔は人付き合いが苦手で、『お友達』が数少ない友達だったって聞いてますが」 「ふぅン…人付き合いに関しては今も大概だと思うが、まあカフェの主観だとそうなるんだろう」 「幼い頃のカフェが人付き合いが悪かったのは本当らしい。ただ、それは内向的などという平和な理由ではなかったそうだ」 「昔の彼女はそれはそれは気性が激しい子だったらしくてね。そのまま育てば犯罪を犯すのではないかと心配されるほどだったそうな」 「あのカフェさんが…?」 意外そうにするフクキタルを尻目に紅茶を飲み干したタキオンはティーカップに紅茶を注ぎ直した 今度はティーカップに半分ほど。そこに角砂糖を1つ、2つ、3つ4つ5つ…と入れていった 「いわばこれが昔のカフェさ」 「糖尿病だったんですか」 「説明が足りなかったねぇ」 今度は紅茶から溢れるほどに積み上げられた溶けきらない角砂糖をつまみあげ、別の皿移していく 「少量注がれた紅茶は幼い日のカフェの肉体、角砂糖は…彼女に備わった闘争心の例えと思ってくれたまえ」 「幼くして過剰なほどの闘争心を備えていた彼女は走れば強かったが、それ以上に危うかった。危うすぎた。成長を危ぶまれるほどに」 「そんな彼女に転機が訪れる。『お友達』との出会いだ。その頃から人が変わったかのように大人しくなったらしい」 タキオンは可能な限り角砂糖を除いた紅茶をティースプーンでかき混ぜると、甘くなった紅茶が残った 「これが君たちの知るカフェさ」 「十分甘すぎませんか」 「私にしてみればまだ足りないくらいだけどねぇ」 そう言ってタキオンは紅茶を注ぎ足した。今度はなみなみとティーカップ8分目ほどである 「そしてカフェは成長した。肉体的にはもちろん、おそらくここ一年で精神的にもね」 「我々ウマ娘を車に例えるなら闘争心は燃料だ。高出力のエンジンを備えていても十全に機能させるには大量の燃料が要る」 「例えるならこれが今のカフェさ。見ての通り甘さが足りないねぇ……おや?丁度いいところに」 別の皿に移した溶けかけの角砂糖をタキオンは紅茶に投入する。今度はギリギリ全量溶けたようだ 角砂糖が10個は入った紅茶を飲むタキオンは満足げであった 「端的に言うとカフェの『お友達』とは…カフェが幼い頃に切り離した彼女の『闘争心の一部』であるというのが私の見解だ」 「カフェが速くなりたいと願っているなら『お友達』が消える…つまり彼女の中に還るのは自然なことなのさ」 「もっとも私には彼女の闘争心は切り離されたというより彼女の中で蓋をされていて、その隙間から早く出してくれと囁いているように見えるけどねぇ」 フクキタルはというと急に与えられた解釈を反芻しながらどうするべきか悩んでいる様子であったが… 「なんとなく分かったような…分からないような…?と、とにかくトレーナーさんたちに伝えないと」 「ふぅン。健気だねぇ……でも、その必要はないんじゃないかな」 「え?でもせっかく手がかりが」 「君の担当は中央のトレーナー、しかもカフェの担当でもある。これくらいのことは気付いていたさ」 -------------------------------- 7 フクキタルの担当になって以来、心霊現象に見舞われ続けた俺はすっかりそういうモノが見える体質になった ただ、見えると言ってもそういうモノとそうでないものの区別くらいはつく…つもりだった カフェの『お友達』という例外に出会うまでは 「こんなところにいたのね。よかった…また会えて」 『…………』 相変わらず『お友達』の声は聞こえない。今日は口パクすらしない カフェは天皇賞を制したこと、凱旋門賞の出走枠に選ばれたこと、その他小さな出来事まで… 離れ離れになっていた間のことを打ち明けるが『お友達』は無反応を貫いている そういうモノの多くは現世に留まるだけの強い意思を宿している しかし彼女からはそういった意思は読み取れず、感じるのは走りたいという純粋な衝動のみ そしてその気迫は生者の放つものと何ら遜色ない…いやそれ以上か カフェだけに見えて、カフェをレースに導いていた彼女が何者か…俺には見当がついていた >「この子はカフェとレースがしたいんじゃないかな」 「えっ…?」 『!』 それは唐突な提案だったが『お友達』は初めて反応し大きく頷いた 彼女が待っていたのは昨年の夏合宿で地縛霊が根負けするまで走りまくった場所… 合宿場裏山、直線1000m即席コース。そのスタート地点だった >「それじゃ俺はコースを点検しながら登っていくよ。準備出来たら電話する」 「ちょっと待ってください。いきなりレースと言われても…何が何やら…」 >「カフェ」 俺はカフェを落ち着かせるようといつものように頭を軽く撫でた 思えば彼女と出会ったのも、彼女の才能の片鱗を初めて見たのもこの場所だった おそらく今日この日も、彼女にとって大きな区切りになる…そんな気がする >「君がどれほど練習を積んだか。どんな強豪と競ってきたか。どれだけ速くなったか」 >「今度は君があの子に教えてあげる番だ」 >「今までもお互いに走りの中で語り合ってきたんだろう?」 「それは……そうなんですが…」 >「それともやっぱり俺なんかが昔整備したコースを走るのは怖いか…」 「そんなことはありません!」 おそらくカフェ自身もこのレースで何かが変わると本能的に感じているはずだ 可能な限り背中は押してやりたいが、もし本気で拒絶し変わることを望まないなら… そう思っていたとき俺とカフェの間に割り込んでくる者がいた 『……』 「……なんで、何も言ってくれないの」 今にも泣きそうに震えた声のカフェを前にしても『お友達』は何も言わなかった 結局、トレーナーさんは私たちを残して山道を登って行ってしまった 昨年しっかり整備してくれたおかげか滅多に人が寄り付かないせいもあってか、思ったより彼の足取りは軽いようだ ゴール地点に辿りつくまでの間、私は観念して準備体操を始めていた 『……凱旋門賞』 「えっ…今なんて」 『勝ちたい?』 それは何週間ぶりかに聞いたお友達の声…マイクを通して聞く私の声そのものだった 「……もちろん、勝ちたい」 『でも、今のままじゃ届かない』 「こ、これからたくさん練習すれば……」 『届かない』 『お友達』は昔から私のことをなんだって知っている いつだって私が目をそらそうとしたことに気付かせてくれる 「…だからまた、あなたに走り方を教えてほしくて」 『もう必要ない』 「必要なくなんかない!!」 でも今日はあまりにも辛辣で…あまりにも意地悪だった 『……もう、1人じゃないでしょう。トレーナーさんも、フクキタルさんも、タキ……ふたりとも、本当にいい人』 「そんなこと分かってる」 『昔みたいになったって、きっとそばに居てくれる』 『それも分かってる」 『私はどんなことをしてでも、どうなってしまおうとも、私を信じてくれる人に報いたい』 「…本音は?」 『私はすごいんだって、世界中の人たちに知らしめたい』 「…………」 『違う?』 「……違わないけど」 正直すぎる物言いに呆れ始めたあたりで私の電話が鳴った。遠くにトレーナーさんが手を振っているのが見える 『…じゃあ始めようか』 「今日は……私が勝つから」 いつだって背中を追いかけるばかりだった私が口にした、初めての宣戦布告 常に無表情か怖い顔しかしなかったあの子だけど、この時だけは微笑んだような気がした 1分に満たないレース。私は全身全霊をかけて初めて彼女の背中に追いつき…追い越した ゴール板を駆け抜けたのはただひとり。トレーナーさんの胸を借りて私は少しだけ泣いた -------------------------------- 8 「ついに今日だねぇフクキタル君。いや、今夜と言うべきか」 「フフフ…実は私、楽しみで楽しみで昨日から寝ていません!」 「不安でとは言わないんだね…」 若干千鳥足で練習をしている私のところにタキオンさんが来ました カフェさんがフランスに行ってしまって暇なのでしょうが、たまに気を遣って私に会いに来てくれています 「カフェさんたちには安全祈願、必勝祈願、家内安全、安産等…たくさんお守りも持って行ってもらいました。あとは吉報を待つのみです」 「入国管理局に没収されていないといいねぇ…それよりいいのかい?2人だけで行かせてしまって」 「ええ。あれくらい露骨に背中を押してあげないとトレーナーさんとの仲は進展しませんから」 URAがカフェさんの現地同行に許可してくれたのは1人のみ……昔は単身で行かせてたらしいのでこれでも良くはなっているんですが >『留守番は頼んだぞフクキタル。自主練のメニューは毎日送るからサボるなよ』 トレーナーさんはというと日本に残していく愛バに向かってこの言いぐさ。私をなんだと思っているんでしょうか まあ実際寝不足で足元がふらついている状態なので強くは言えませんけどね! 「カフェさんには万全の状態で挑んでもらって悲願の凱旋門賞ゲット!ファンもチーム加入希望者も満員御礼、ハッピーカムカム福よ来いです!」 「……まあ、それくらいの役得がないと罪悪感が…」 「おや意外だ。カフェに対して罪悪感を覚えるようなことをしていたのかい」 「いいえ!何でもありませんよ!」 これはヒミツなんですが1年前の夏合宿、私は最初からカフェさんをチームに加えるつもりでトレーナーさんを山登りに誘ったのでした 抜群の素養を持っていながらチームからちょっと浮いていること、トレーナーさんの育成方針に合っていたこと おまけに見えちゃう系ということだったのであのトレーナーさんに誑かされないハズがないと確信していましたよ私は 「もしかしてそれは最近君の成績が下り坂になっていることと関係が?」 「ギクッ!?…よ、余計なお世話ですよぅ!まだまだこれからです!!」 私たちウマ娘のピークは長くない。それとは関係なくトレーナーさんのお仕事は続いていきます カフェさんには悪いですがトレーナーさんが永久にハッピーでいてもらうために協力してもらいましょう……きっと許してくれますよね? >「…これでよし。きつくないか?カフェ」 「ええ。最高のコンディションです」 勝負服に袖を通した私はいつものようにトレーナーさんにネクタイを締めてもらいます 本当はもっともっときつく締めて欲しいのだけれど…それはまだ言わないでおきましょう これで珈琲でも飲めれば最高なんですが、それはレースの後に取っておくとして 「では行ってまいります」 >「日本とは芝の感触が違うはずだ。足元には気を付けるんだぞ」 「はい!……」 >「…どうかしたか、カフェ?」 いつまでたってもパドックに向かわない私を心配してトレーナーさんが声をかけてくださいます 今日は特別中の特別なレース。たとえ自信があろうとも普通ではいられません ここにはフクキタルさんの目もないことですし、出来ればもう一声頂きたいのですが… 「トレーナーさん。私は……勝てるでしょうか」 >「珍しいな。カフェがレース前に弱気になるなんて」 「レースの前はいつだって怖いものです。空回りしてしまわないか、期待に応えられるかどうか…」 >「……カフェ。耳を貸してごらん」 そう言ってトレーナーさんは腰をかがめ、辺りをきょろきょろと見回しています 彼は周りに人の目がないことを確認すると、私の耳元で囁いてくれるのでした 『GTレース凱旋門賞、日本から出走するのは漆黒のステイヤー、マンハッタンカフェです!!』 本日は日本のウマ娘が参加するからか、現地観戦に来ている日本人ファンのため日本語のアナウンスも流れました 観客席の一部から上がる歓声に向け私は手を振りました。異国の地でもこれだけで勇気が湧いてきます 周りには日本にまでその名を轟かせる優駿揃い。まさに夢の舞台です 私は深呼吸してトレーナーさんに貰った言葉を思い出しました >『本当は無事に帰ってきてほしいっていうのが一番なんだけど、あえて言うよ』 >『…全員、蹴散らして来い』 >『カフェが最強だって、世界中に見せつけてやれ』 頭の中で反芻するたび私の胸は熱くなり、止めどなく闘争心が溢れてくるのを感じました 本日は2400mの長丁場。落ち着いて進めなくてはいけないというのに昂ぶりが収まりません 「――――」 「――――」 感じ入っている私に出走者の皆さんが声をかけてくださいました フランス語は正直よく分かりませんが慣れない私に気を遣って頂いてることは分かります レースが始まる前の冷静なうちに、礼には礼を……私は出国前に先輩に教わった挨拶で答えました 「La victoire est a moi!」 -------------------------------- (clear)GU日経賞 で5着以内       ↓ (clear)GT天皇賞(春) で1着       ↓ (clear)GT凱旋門賞 に出走       ↓(NEXT)    GT有マ記念 で1着 --------------------------------