ボクの足取りに合わせて、トレイの上のケーキもリズミカルに揺れている。 汗びっしょりになるまでトレーニングして、シャワーで汚れと疲れを流したら。 やっぱり甘いものを食べながらのひと息だよね~~!! ボク、このテーブルに座るまでの時間が好き。ゲートに向かう時とは違う、浮足立つ高揚感。 カロリー制限中のマックイーンには味わえない感覚だよね、カワイソー!ニッシシ。 さてさて空いてる席はないかと周囲を見回すと、見間違うはずもない二人の姿が目に留まった。 カイチョーだ!そしてもう一人はトレーナー。 なんだ、まだトレーナー寮に戻らないでこんなところにいたんだ。 何話してるか知らないけど、せっかくカイチョーがいるんだもん。ボクも混ざっちゃおー♪ そう思って一歩踏み出した瞬間、二人が同時に笑顔になった。 ガシャン。 床に転がる、潰れたケーキと中身の紅茶をぶちまけたティーカップ。気付けばトレイが手になかった。 「……あ、う……」 近くにいる子達が注目してる。拾わなきゃ。そう思ったのに──…… 「~~~~~~っっ!!!!」 ボクの足は踵を返して、全速力でカフェテリアの外に向かっていた。 片づけしないで去ることを非難する声。それでも足は止まらない。むしろ加速していく。 頭の中には、さっきの二人が笑顔を交わすシーンが焼き付いていた。 大好きな二人の笑顔。別に特別でもない、普段からよく見る笑顔。 なのに。なのにそれは、割れたガラス瓶みたいにザックリとボクの心を抉っていた。 「ハッ!ハッ!ハッ……!!」 まだコースの半分も走ってないのに、息があがってくる。 当たり前だ。フォームは滅茶苦茶、呼吸テンポや速度調整なんて考えてもいない。 それどころか、自分が今放課後の特訓中だって実感すら湧いてない。 ただ頭にあるのは、昨日のカフェテリアの光景だけ。 「どうしたんだテイオー!?まるで練習に身が入ってないぞ!」 普段より大幅に遅れたタイムで戻ってくると、トレーナーが困惑顔で叱ってくる。 「…………」 うるさい。いいじゃんか、酷いタイム出したって。 ホントはトレーニング自体来たくなかったんだ。でもレースが迫ってるから、無理を押して来てやったんだぞ。 わけのわからない反発心を胸の中で渦巻かせながら、ボクは押し黙る。 そんなボクを見てトレーナーは、はあっと大きくため息をついた。 「テイオー、そんなんじゃ憧れの会長にはなれないぞ?」 ──その言葉が耳に入った瞬間、ボクの中で何かが弾けた。 「っっっっるさいなあ!!!!!分かってるよ!!!!!!!」 自分のものとは思えないほどの金切り声が口から飛び出す。 「そうだよ!!!ボクは……ボクはカイチョーにはなれないんだっっっ!!!!!」 呆気に取られるトレーナーに背を向け、ボクは走り出す。 向かう先なんてない。昨日と同じだ。ただ、この場から逃げたかった。 大粒の涙が風を切って後ろに散っていく。 カイチョーにはなれない。カイチョーにはなれない。カイチョーにはなれない。 なんでその言葉がこんなにも悔しくて悲しいのか、自分でも分からない。 でも。頭の中の二人の笑顔にその言葉を重ねると、足元が崩れ去るような感覚に陥って……。 なんで?なんで?どうしちゃったんだよボク? その後、真っ暗になるまで学園のあちこちをデタラメに走りまくった。 この気持ちがなんなのか、考えて、考えて、考えて──…… 全然分からず、足をガクガクにして、咳き込んで呼吸困難に陥って…… ボロボロの状態になってからようやく、寮の自室に戻った。 「テイオーちゃん!一体どうしちゃったのお~~~!?!?」 ドアを開けて中に入ると、マヤノが駆け寄ってきた。 「すんごい噂になってるよ!こんな時間まで走り回って……何があったの!?」 「…………ほっといてよ」 そんなマヤノを無視して自分のベッドに行き、頭から布団を被る。 「ほっとけないよお!ね、ね。マヤに話してみて?」 テントにした布団をこじ開けて、マヤノはボクの顔を覗き込んでくる。 「………お願い、ほっといて……」 「ううん。ほっとかない」 「──っ!!」 カッと血が上って、トレーナーにしたように怒鳴りそうになる。 けどマヤノに顔を向けたところで、声は喉で止まった。 だって。ボクを見つめるマヤノの顔は温かで──……そしてちょっぴり悲し気だったから。 「マヤ、ほっとかない。だってテイオーちゃんあの時と同じだもの。  メイクデビュー前に会長さんに負けた時みたく、泣き顔で、無茶して……。  あの時はマヤが何もできずオロオロしてるうちに、テイオーちゃん自己解決しちゃったけど。  今回はちゃんと力になってあげたいの。だから、ね?」 軽く小首を傾げるマヤノの微笑みは、本当に温かくて。 一日かけて溜め込んであふれ出していた黒いものを、確実に何割か取り除いてくれた。 「……話したって意味ないよ。だってこの滅茶苦茶な気持ちがなんなのか、ボクにだって分かってないんだから……」 「それでもいいの!」 ボクが心を開いたのがよっぽどうれしかったみたい。マヤノはフンス!と鼻息を鳴らして。 そうまで言ってくれるなら、甘えるしかないじゃないか。 「……昨日ね、カフェでトレーナーとカイチョーが二人で話してるのを見かけて。  ボクも混ざろうと思ったけど二人が笑い合ったのを見た瞬間、すごくショック受けちゃって」 またフラッシュバックする、あのシーン。ズキンと胸の痛みも再発する。 「なんでだろ?二人が笑い合うとこなんて、今までずっと見てきてたのに……」 それに。それに……。 唇がわななく。ずっと感じていたこと。ボクをパニックに陥らせ、走らせてしまったものの一つ。 認めたくなくて奥底に押し込んでいたけど、ついにそれが口から漏れ出してしまう。 「それに……カイチョーのこと、ムカつくって思った」 言った。とうとう言葉にしてしまった。 「なんでかなあ!?カイチョーのこと尊敬してるよ?大好きなんだよ!?なのに……今もまだその気持ちが消えないんだよ!」 あれだけ走り尽くして脱水状態なはずなのに、また涙があふれてくる。 「カイチョー、は……何も、ボクに悪いことしてないのに。ただ、トレーナーと話してた、だけなのに……  それがすごく嫌で……。ボクは、あの中に入ってけない。カイチョーにはなれない。そう思っ……思ったら──」 嗚咽が漏れそうになった瞬間。ふわっと頭にマヤノの手が乗っかった。 「テイオーちゃん。マヤ、分かっちゃった」 ポン、ポン。優しく耳元をタッチされる。ずっと小さい頃、ママがしてくれたように。 「テイオーちゃん、会長さんにジェラシー燃やしたんだね」 「ジェ……ラ、シー……?」 「そ。嫉妬の炎をメラメラぁ~~~!!って」 ジェラシー……嫉妬?ボクが?カイチョーに? 「どうしてボクが……」 「トレーナーちゃんと笑ってるの、ムカついたんだよね?自分が会長さんになれないことが悔しかったんだよね?それはね……」 唇を寄せ、囁くように。マヤノの口から答えがボクの耳に注がれる。 「テイオーちゃん、トレーナーちゃんに恋してるから」 「──っっ!!!!」 その言葉はまるで魔法だった。 霧よりも形を掴めなかった『それ』が、光の速さで一つの形を作って──ボクの胸にすっぽりと納まる。 「あ、あ……」 形を得たそれは自覚と実感に変わって。顔が真っ赤に茹っていく。 「そっか……そうなんだ。ボク……」 トレーナーのこと、一人の男性として好きなんだ……。 「きっとテイオーちゃん、ずっと前から恋してたの。でも自覚してなくて。昨日のことがきっかけだったんだね」 「うん…」 きっとその通りだ。トレーナーの隣はボクであってほしかった。あの笑顔がボクだけのものならよかった。 頭が分かってなくても、心はとっくにそれを知ってたんだ……。 「でも……どうしよう……」 自分の本当の気持ち。自分が取ってしまった行動。 その意味がハッキリ分かった今、生まれるのは猛烈な後悔。 大好きなトレーナーどころか、周囲にまで迷惑をバラまいて……。 「カッコ悪いなぁ、ボクって……」 「──いいのっ!!」 力強く、励ますように。マヤノがガッシリと肩を掴んでくる。 「それでいいのよ、恋って!すっごくキラキラしてるんだから!!」 「あはは……カッコ悪いのに、キラキラ?」 「雨の日のレースと一緒。泥だらけでボロボロだけど、走り切った後はみんなキラキラ~☆だもんっ!」 「レース……雨の日の……」 心が陰って本当にあるものが見えなくて。もがいてもがいて走り続けて。 ホント、そんなイメージだね。だったら──… 「……行ってくる」 頬を叩いてベッドから降りる。 「トレーナーにボクの気持ち、ちゃんと伝えてくる」 「今から?」 「うん。今じゃなきゃダメだと思うから」 ボクの恋は雨の日のレース。そしてもう駆け出してしまっている。 さっきまではコースすら見えなかったけど、ゴールがどこか判明したなら── 「──走り切らなきゃね」 どんな結果になろうと、レースを降りるなんて論外だから。 「うおぉ~~!!大胆ッ!!もうキラッキラ!!テイオーちゃん、ガンバレーーーッッッ!!!」 すっかりいつもの調子に戻ったマヤノに苦笑するけど、最高に勇気づけられた。 ありがと、マヤノ。今回のお礼はプリン程度じゃすまないね。 トレーナー寮の個室のドア前。ボクにとってのゴール。 心臓が緊張感で冷たく張りつめるけど、ふうっ…と深呼吸してノックする。 「…………はい。誰ですか、こんな夜中に?」 ドア越しに聞こえてきたトレーナーの声は沈んでいた。 「……トレーナー」 「──っ!!テイオーッッ!?!?」 勢いよくドアが開かれる。出てきたトレーナーの顔は憔悴しきっていた。 「すまん、テイオー!あの発言は俺の落ち度だ。あまりに軽率だった!!!」 きっとボクが走り去ってから、ずっと考え続けてたんだと思う。 トレーナーはボクが口を開く前に勢いよく頭を下げてきた。 「憧れて目指すのはお前の意思。誰かが覆い被せるものじゃないのに──……」 ああ……ああ。トレーナーは分からないなりに、一生懸命考えてくれてた。 ボクのためにこんなにも心をすり減らして。ごめん。ごめんね。 申し訳なさでいっぱいになったけど、逆に決心は固まった。 こんな誤解をさせたからには、絶対に本当のことを伝えなくちゃ。 「違う……トレーナーは何も悪くない」 「いや!お前の背負ってるプレッシャーにも気付けなくて──」 「そうじゃないよ!」 え、と顔を上げたトレーナー。 すぐ正面にあるその顔を見てると、またまた涙がボロボロこぼれ始めた。 本当にボクってカッコ悪い。けど、それは承知の上だから。 「ウマ娘としてじゃない……女の子として、カイチョーに敵わないって。ボク、思ったんだ……」 涙を拭えない。そんな余裕ない。 「トレーナー……好き」 ただ全力のまま、想いを言葉に変えるだけ。 「誰にも……カイチョーにだって取られたくない!だから、だから……ボクだけを見てよぉぉ!!!」 言った……ボクの本心。トレーナーに抱く噓偽りない気持ち。 きっと迷惑だと思う。届かないと思う。けど、それでもボクは── 「テイオー!!」 「──っ!?」 ガッシリと、力強く。ボクはトレーナーの胸に抱き寄せられていた。 「テイオー、俺は……俺はな……」 耳に感じる熱い吐息。そして紡がれた、その言葉は──…… 「テイオーちゃん、どうなったのかな……?」 自分のベッドで枕に半分顔を埋めながら、マヤノトップガンは呟く。 きっと今頃、もう答えは出てるはず。 「ガンバレ、テイオーちゃん。そして──おめでとう」 とうとう恋を知ったんだね。 走ってる時も唄って踊ってる時も、いつだってキラキラなテイオーちゃん。 マヤの知らないキラキラをいつも教えてくれるテイオーちゃん。 たとえ告白の結果がどうであっても、明日からはもっともっとキラキラ輝くはず。 ああ、でも。でも、できるなら。 女神様。マヤたちウマ娘の三女神様。お願いですから── 「マヤの大切なお友達の恋を、叶えてあげてください……」