トレーニングが終わり、自室に帰宅後。 いつもなら夕食前にシャワーを浴びている時間帯だけど、今日は鏡の前で髪を整えていた。 「髪留めよし、リボンよし。下も……うん、準備完了っと」 カバンに制服もジャージも入っている。花柄のワンピースの裾を払って、ゴミや糸くずが付いていないことも確認。 問題なし。最後に、スズカさんに連絡を入れておこうとスマホを取り出すと、ちょうどその本人が扉を開けて帰ってきた。 「あらスペちゃん。そんなにおめかしして、今からお出かけ? もう遅くよ?」 「す、スズカさん。大丈夫です、外泊許可は取ってありますから! 明日は学園に直接行きますので」 「そう……なら着替えを忘れないようにね。暗いから、足元気をつけて」 スズカさんの訝しげな視線から逃れるように、廊下に飛び出して寮の玄関へ。 タイミングが悪かったか、学園の生徒たちが続々と帰ってくる中、私1人だけ逆方向の表に向かう。 通り過ぎる間にみんなからの視線が突き刺さるように感じたけど、私服で出歩こうとしているのだ、浮いて見えるのは当然。 さすがに気恥ずかしいので玄関から離れたところで立ち止まる。 約束の時間はもうすぐだ。早くここから去らないと、知り合いに声をかけられたら上手い言い訳が出来そうにない。 そわそわして待っていると、遠くから車のヘッドライトが近付いてくるのが見えた。 目の前でキッと止まったその車に素早く乗り込み、慌しく発進。ようやく一安心、といったところだ。 「もう、トレーナーさん遅いです。みんなから変な目で見られちゃいました」 「約束の時間ピッタリだったろ? トレーニングが終わる時間は大体みんな同じなんだから仕方ないじゃないか」 「それはそうですけど……はぁ、エルちゃんたちに見つからなくて良かった」 ひとまずは食事、ということでレストランに向かって走った。 そこはウマ娘御用達との噂で、味は当然ながら量も申し分ないとのこと。 もうそろそろ寮でも夕食の時間。お腹の虫が起き上がってきて、到着までの間ずっとグーグーと鳴り続けていた。 レストランでの食事は大満足だった。 今日は私の他にウマ娘のお客さんがおらず、1人皿を何枚も重ねていく姿に回りに歓声ともどよめきとも取れる声を上げていた。 トレーナーさんは少しお財布を気にしていたけど、スペが満足したなら嬉しいよ、と言ってくれた。 再び車に乗り込み、今日の目的地へ。トレーナーさんの自宅、学園所属トレーナーの独身寮だ。 着いたころにはすっかり夜も更けていて、窓の明かりもボチボチとしか点いていない。 遅い時間だったのが幸いして、誰ともすれ違わずにトレーナーさんの自室へたどり着いた。 「ふぅ。じゃあ先にシャワー浴びておいてくれ。その間に明日の準備してるから」 「はぁーい、タオルお借りしますね」 勝手知ったる他人の家、とはまさにこのことで。ササッと服を脱いでバスルームに入った。 シャワーのノズルをどれだけ捻ればちょうどいいかも分かる。鏡の前に並んだ容器の中に、私が普段使っているシャンプーやトリートメントもある。 もう何度か訪れているから、見慣れた所ではあるけど、この後のことを考えると少し胸が高鳴る。 部屋に入った時、すでにベッドの上が整えられているのは見た。あそこで今日も……。 浮かんできた変な考えを頭を振って飛ばす。一応、念入りに身体を洗って出ることにした。 「……トレーナーさん、お風呂空きました」 「あぁ、わかった……って、そんなんじゃ身体冷やすぞ。上着て待っててくれよ」 「でも……トレーナーさんが前にこの色の下着好きだって言ってたので……」 今日は初めからわかっていたから、準備もより念入りに。上から下まで整えてから来たのだ。 見てもらわないと、せっかくの努力が水の泡になってしまう。 「いや、まぁ言ったし、覚えててくれたのは嬉しいし、よく似合ってて可愛いけど。とにかくほら、毛布羽織っててくれ」 「ありがとうございます……ベッドで待ってますから……」 あとでゆっくり見せてもらうよ、と囁かれた耳元がくすぐったくて、高まる期待に身体が熱くなった。 翌朝、トレーナーさんに起こされてノロノロと支度をした。持ってきた制服に着替えて、代わりにワンピースをカバンにしまう。 ここからならウマ娘の寮より学園に近いからゆっくりと朝を過ごすことが出来る。 と思ったのだが、トレーナーさんは仕事があるから早く出るという。不満だけど、仕方ない。 「いってらっしゃいトレーナーさん、またあとで……んっ」 少し背伸びをして首に腕を回して、長めのキスで見送った。預かった鍵は大事に財布の中。 その後、静かに鍵をかけて他のトレーナーさんに見つからないよう部屋を出たが、いくつか同じようなウマ娘の影を見つけてしまった。 午前の授業と昼食を終え、トレーニングの時間に入る前。 同級生たちと一緒に更衣室でジャージに着替えているとき、いつものように並走トレーニングや模擬レースの話になる。 「今日はセイちゃんと走りたいデス! もちろん引き受けてくれますよね!?」 「え〜? まぁいいよ、エルちゃんからなら逃げきれそうだし。キングも一緒にやろうよ〜」 「わ、私もですの!? ちょっとスカイさん勝手に決めないでください!」 賑やかな声を聞きながら、ジャージをカバンから取り出す。 レースでは競い合うライバルでもこうして仲良く騒いでいられる時間はとても楽しい。 制服を脱いだところで、ふと隣のロッカーを使っていたグラスちゃんの視線に気がついた。何か不思議なものを見る目でジッと見つめている。 「グラスちゃんどうしたの? あ、も、もしかして私の制服どこか破けてた!?」 「いいえ〜……ただ、スペちゃんとても可愛い下着で走るんですねって」 「え!?」 言われてから改めて自分の身体を見下ろす。 昨日トレーナーさんの部屋に行ってから下着を替えた覚えはない、そして替えの下着をカバンに入れた覚えもなかった。 「こ、これしょう……お気に入りの下着なのに〜! 練習用の持ってくるの忘れちゃったぁ!」 「やっちゃいましたねスペちゃん! そのままでもセクシーでいいと思いマス!」 「そういう問題じゃないよ〜どうしよう……。今から取りに戻ろうかな」 「いや〜さすがにもう時間ないんじゃない? 包帯でサラシ巻いてみる?」 ああでもないこうでもないと言い合うエルちゃんセイちゃんを押しのけ、グラスちゃんが一枚の下着を差し出した。 「どうぞ、スペちゃん。上だけでよかったら予備の物がありますからこれを使ってください」 「ありがとうグラスちゃん! 今度必ずお礼するからね!あ、ちゃんと洗って返すから!」 「いえいえ、これぐらいのこと気にしなくていいんですよ」 「その通りデス! グラスのはスペちゃんにはちょっとキツイと思いマスし……おっと、下は逆にユルユルデスね! この前も体重が……」 「エル」 その日のエルちゃんのトレーニング相手はグラスちゃんに強制的に決まっていた。 何はともあれ、なんとか走ることに支障は出ないようで安心した。芝に出たみんなに並んで軽いランニングからはじめる。 ……エルちゃんの言うとおり、ちょっとキツイかもしれない。いや、せっかくの友達の好意に文句をつけてはいけない。 胸の辺りを気にしながら走っていると、柵の向こうにトレーナーさんの姿が見えた。 私の悩みなんか気にもせず、のん気に手を振っている。もう、半分はトレーナーさんの責任なのに。 何周か駆け回ったあと、柵の方へ目をやるとトレーナーさんが大きく両手で手招いている。 メニューの変更だろうか。 「トレーナーさん、どうしました? 別の練習に行くんですか?」 「あぁ、いや。そうじゃなくて……スペ、ちょっと耳貸して」 周りを気にする素振りを見せながら、さらに近寄るように手招く。 首をかしげながら頭の上の耳を寄せると。 「今日どこか痛まないか? ……その、胸の辺りとか」 「……へ?」 「いや、さっきから気にして走ってるように見えたから……もしかして昨日の夜何かしちゃったかな俺……」 その言葉を聞いた途端、私の顔は文字通り火が出るほどに熱くなってしまった。 「したって! トレーナーさんの趣味のせいべさ!!」 私の大声が、周りの空気をシンと静めていた。 その後しばらくの間、トレーナーさんは同僚からの視線が痛いと嘆いていたが、知ったことではない。 ただ、泊まりに行くときは必ず着替えを二度三度と確認するようになった。