ナイスネイチャは悩んでいた。  前走・前々走と続けて3着だったこととか、蹄鉄の在庫が過剰になってきたことなどもあるが、 「買うかなーあの服」  この前見かけてからなんとなく気になっている春物のことだ。  似合うとは言われている。  けど、そのまま素直に受け入れることが出来なくて。  どうしたもんかとベンチに座りぼやいていたのだった。  雲一つない晴れ渡った空はネイチャの心境とは裏腹に、鮮やかだ。 「どう思うテイオー?」  ベンチの背もたれに腰かける彼女はネイチャよりも目線が高い。故に見上げる格好となる。 「…それもう決まってない?」  ずぞっと手持ちのカップからはちみつを吸い上げる。 「ですわね」同意したのはネイチャに並んで座るマックイーンだ。「服を買うことは決まっていて、ただ理由を探しているように思います」  ズバリ言われ、ネイチャは顔を顰めた。半目になり「あー」とも「うー」ともつかない唸りを上げる。  実際その通りなのだ。    ネイチャの中では既に買った服を着てどこに行こうか、どうやって彼を連れ出そうか計算が始まっている。  アタシそんなにわかりやすいかなー。  取り繕うのには自信がないわけでもなかったが、この二人にまで見透かされてるとなるとちょっと悔しい。 「気に入ったんでしょ? その服」  どっちかというとあの人が気に入ってくれているかどうかなんだけど。 「懐具合の話なら余ってる蹄鉄買い取りますわよ?」  それはそれで別にお願いしたい。  遠くから「私が増やしましょうか!」と声が聞こえた気がするが気のせいだろう。  買うか。  よし、と心に決めると少しだけ気が楽になった。 「あ! テイオーだ! ネイチャもいる!!」  と、青い影が騒がしさと共にやってきた。 「師匠じゃん。この前はおめでと」 「ふっふーんまいったか。次は直接勝つからね!」 「あらそれじゃ私とも勝負ですわね」  煽られ鼻息荒く負けないもんと豪語するツインターボだが、 (あんたそのレースの出走条件満たしてないでしょ…)  心の中で呟いた。  でも、と思う。ターボはいずれ自分がテイオーと同じレースに立つと信じている。  単に知識がないだけともいえるが、その直向きさはネイチャには眩しい。  現にレース話に花を咲かせる3人の輪に微妙に加わりきれていない。  テイオーやマックイーンのように頂上が主戦場という訳でもない。  ターボのように楽観視できるわけでもない。  でも、と再び思う。いずれ並んでやる、と。  静かな闘志を胸に、服を買うのはいつがいいだろうか、セールはあるかななどと考えた時だった。 「あれ? ネイチャのトレーナーじゃん」  顔をあげるとその通り、彼がいた。横に背の高い女性を伴って。  二人はネイチャのいるベンチから遠くを横切るように歩いていた。  思わず胸を押さえる。鋭く短い呼吸を一度、そして息が詰まる。  尻尾が無い。とするとウマ娘ではない。彼と同じくらいの長身で細身。出るとこは出ている。 「あれはライスさんのトレーナーさんですわね」 「おーあれが噂のお姉さまかー」  小耳にはさんだことがある。高等部所属のライスシャワーには全霊で寄り添うパートナーがいると。  見慣れたはずの彼の姿が、心なしか見覚えのないものになっていく。  普段自分や他のウマ娘たちと触れ合う時よりも砕けた気安い印象。 「私の彼…トレーナーとも同期と聞きましたわ」 「なんかいいふいんきー」  ターボの何気ない言葉にネイチャは眼を見開く。  眩しい。彼と自分が並んだところを客観的に見たことはないが、恐らくそれよりずっとお似合いなのだろう。  認めてしまうと、逆に肩の力が抜ける。ふ、と乾いた呼気が漏れた。  服買うのやめようかな。  そんな考えが頭をよぎる。 「ちょっとネイチャ」  呼ばれ、テイオーに顔を向けると彼女は指で前を、彼の方を指し示していた。  見る。  彼が手を振りながらこちらに歩いてくる。真っ直ぐに、ネイチャを見て。  背筋から鳥肌が立つような震えを覚え、同時に頬に熱を持つ。  控えめに、腰の位置で手首だけで手を振り返すと、彼は頷き歯を見せて笑う。  ライスのトレーナーは既に別方向のグランドへ歩を進めていた。  彼が近づくと誰ともなく挨拶をする。五月雨の声に一つ一つ返事をしながら彼はネイチャの前に立った。 「ど…どうしたのトレーナーさん?」  ああもうなんでもっと気の利いたセリフを言えないのか。  えーと…とトレーナーは言いづらそうに言葉を区切る。  それもそのはず好奇の視線が今か今かと二人の間に起こる何かを待ち構えているからだ。 「場所変えよっか?」 「いや、そんな大それたことじゃないんだ」  とはいえ言いにくいなあと頭を掻く。その仕種を可愛いと感じ、出来れば他の子たちに見せたくないと思った。  一つ大きく深呼吸。言い出す彼も、受け止めるネイチャも。  時間が経てばたつほど緊張してくる。  恥ずかしさよりも早く言って、解放してほしいという気持ちが強くなる。 「ネイチャ」 「はいな」 「今週の休みに服屋に行かないか」  ひゅうと口笛を吹いたのは誰か。  慌てて携帯を操作して次の休みに予約を入れるやり取りが聞こえ。 「ネイチャがデートだぁぁぁあぁああ!!」とターボが声を大にして走り去っていく。  それら全てがどうでもいいほど、ネイチャの頭は混乱していた。 「トレーナーさんから誘ってくるなんてめずらしー」 「おいおい別にやましいことはないんだぞ」  困ったように眉尻を下げるその表情に、別にそれでもいいんだけどとは言いにくい。  少しだけ勿体ぶったふりをして快諾した。  デート。ターボの残した言葉が脳内で反響していた。  寝不足だ。まさか期待しすぎて寝付けないとは思わなかった。  念入りにシャワーを浴びて髪も時間をかけてセットして。  待ち合わせ場所に1時間早く着いたら既にサングラスとマスクの3人がいたので追い払った。 「待たせちゃったね」  15分早くやって来たのにネイチャを認めるなり彼は言った。 「気にしなくていいですよそんなの」  ネイチャももとより咎めるつもりもない。  開店したばかりのショッピングモールは全盛とまではいかないまでも、それなりに賑わっている。  休日ということもあってか家族連れや、カップルの姿が目立つ。  アタシ達はどっちに見られているのだろう。ふとあとをついてきている3人組に聞いてみたくなる。  腕を組んでみたい。  手を繋ぎたい。  マックイーンのように泰然自若としていれば、ターボみたいに無邪気でいられれば、テイオーの自信が少しでもあれば。  考えても仕方ない。ネイチャはネイチャなのだ。  それでも、少しくらいは。彼の腕と彼女の肩が僅かに触れるまでそっと距離を詰めた。  連れてこられたのはいつも蹄鉄を買った後に寄る店だった。  店員ともそれなりに顔馴染みでネイチャにとっては何の変哲もない。  でもそれでいい。お目当ての春物を探そうと店内に入ると、 「ネイチャ。こっちこっち」  手招きされた。  小走りに向かうと試着室が準備され、一着の衣装があった。  濃いブラウンのブラウスにさらに濃い色のジャンパースカート。緑と赤のストライプリボンが付属している。  それは見覚えのあるものだった。 「…勝負服」  彼女がいつか大舞台に立つときにとイメージした衣装。未だその機会はなかったため日の目を見ることもないと思っていた。 「着てごらん」  トレーナーに促され、店員に言われるがまま着替えた。  カーテンを開ける前に鏡に映った姿を確かめる。似合ってる、と思う。念のため前髪を少しいじる。 「うん、思った通り。可愛いよ」  面と向かって言われると、照れる。不審者ギャラリーがヒューヒュー煩い。 「サイズはどう?」 「えっと…まぁ……というかぴったりかも」  疑問に思っていると種明かしされた。理屈は単純で、ここに来るたびにこっそり採寸していたとのこと。 「…どうして」 「いや、正直に勝負服作ろうっていうとネイチャ遠慮するだろうし」 「そうじゃなくて!」  意図せず声が大きくなる。そう、違う。何故今このタイミングで勝負服を作ってくれたのか。 「アタシまだ大きな賞で勝ててないし…本当に着られるかどうかも…」  分からない。自信がない。3着が定位置になりつつあり、それを甘受しかけている自分がいるのも自覚している。 「勝とうよ」右手を差し出された。「準備は出来た。あとは勝つだけ」  理屈はそうかもしれない。でも現実はそう上手くいくはずがない。  振り返る。姿見に映った自分は不安そうな顔をしていた。 「あ…はは…気持ちは嬉しいけどさ…アタシじゃ」 「だからネイチャだけ頑張れってわけじゃない。俺も頑張るから、勝とうよ」  その瞬間、ぱかちゅーぶのライブ配信が最高視聴者数を更新した。  どうやら手を引っ込めるつもりはないらしい。  やれやれ。ため息半分、微笑半分。 「そうまで言われたら、商店街のネイチャさんの名がすたるってもんですな」  握り返した手は少し汗ばんでいて、お互いに緊張していたと知る。 「よろしく」 「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いしますね」  そのあとは衣装を預かってもらい、お目当てのブラウスを買った。  途中で3人組が偶然を装って合流しようとしたが、きっぱりと断った。  普段ならなぁなぁで受け入れるネイチャの態度をトレーナーが問いただすと、 「まぁ…今日くらいはいいんじゃありませんかね」  碌に答えになっていない言葉だと思ったが、察してくれるだろう。  それにしても、身体が軽い。気持ちひとつでここまで変わるのか。じゃあ、折角だし。 「トレーナーさん…」  腕を絡め、身体を預ける。思い切った行動に少し身を強張らせたのがわかる。  勝負はこれから、ネイチャの脚質は差しなのだから。 「できれば末永く…ね…」  そっと囁いた。