あのクランバトルからなんとか逃げおおせた私は、怪しまれないようにとりあえずいつも通り学校には行ったものの、あの刺激的が過ぎるひと時の後では学業に集中などできようはずもなく、終始ぼんやりと黒板やら机を見つめているだけだった。 あの巨大ロボットはポメラニアンズの人達に押し付けて隠してもらっているのでそちらからの身バレはまだ幾分かは大丈夫だろうけど、軍警とやり合った時にこの制服を着ていたのは非常によろしくなかった。今更どうともできないから仕方ないと割り切り、今日みたいに塾のない日は下校前に私服に着替えてしまうことにした。焼け石に水かもしれないがやらないよりはマシだろう。 そんなこんなで私は放課後、シュウジの隠れ家へと一人で来ていた。私が彼について知っている事はほとんどない──というかそもそも昨日会ったばかりだが──その数少ない情報であるこの隠れ家に縋るのが私にできる唯一のことであった。いずれにしろ彼の安否はここでしか分かり得ないし、そうでなければなんとしてでも探すだけだ。それほどまでに私の心はシュウジに掴まれてしまっていた。 周囲に人影がないことを確認し、以前案内された通りにマンホールの蓋を開け下へと降り、現場へと辿り着く。彼が吹き付けたキラキラに心を躍らせながらその寝ぐらへと近付くと、すぅすぅと寝息らしきものが聞こえてきた。 (……寝てる) まるで昨日のことなど無かったかのようにすやすやと眠りについているシュウジの顔に、思わず息を呑んだ。掴みどころのない人だと思っていたが、お腹はすくし眠りもする私と同じ人間なのだという点が垣間見えるたびに顔が緩く綻んでしまう。そして、それと同時になんて綺麗な顔なんだろうと高揚が抑えられない自分もいた。 一方で、私がこんなに近くにいるのに彼は起きる素振りもない。それほど気持ち良く眠っているということなのだろうが、だとしても今をときめく女子高生として何だか面白くない気分だ。この髪の匂いが漂っては来ないというのだろうか?……いや、あれに対してシュウジは何もリアクションしていなかった気がするし、そういえばニャアンに対しても嗅いでいた。思い出すだに面白くないのでスマホの修理代はたっぷり請求させていただきたい。 そんな蟠りを帯びた思考をシュウジの寝姿に戻すと、シュウジの顔の上側……髪へと目が向かった。 彼がどうしてあんな事をしたのかはさっぱりだが、ああも堂々と嗅がれては気になってしまうというもの。だからきっと私は悪くない──多分きっと恐らく。 意を決して段ボールを敷いて雑魚寝しているシュウジの傍に跪き、その青い髪へと鼻を近付けて呼吸をした。 (……うぅ〜〜ん……?) 有り体に言っていい匂いとは言いづらかった。こんな所で暮らしていれば当然だろう……が、そこに混じる男性らしい汗の臭いがなんとも言えない中毒性を持っているような気がした。現に私はそれを嫌いだとまでは決して断じれないもやもやを胸に宿していた。シュウジがそのまま起きないのを言い訳に、もう一回だけ深く鼻で息を吸う。 (……まずい……これは、多分かなりよくない……!) 何かが手遅れになる前に姿勢を立ち上げて彼から身体を離し、呼吸を整え直す。私の心境などお構いなしにすやすや眠るシュウジをジト目で見つつ、割れたスマホで「体臭」「いい臭い」と何の気なしに検索してみる。 『……免疫に関する遺伝子が自分とは違う相手の匂いを好ましく感じる。そのほうが』 『交配相手として免疫力の強い子孫を残…………』 !? 思わず叫びそうになるほど気が動転し、スマホを取り落としてしまった。 「ん……マチュ?おはよ」 「…………おはよ、シュウジ」 「どうしたの?顔中真っ赤だけど」 「なんでもない、なんでもないの」 怪訝そうな顔をしながらもシュウジは私のスマホを掴み、私へ手渡した。幸いこれ以上壊れてはいないようだ。 「マチュが無事でよかった」 「シュウジこそ。……それも、”ガンダム”が言ってるの?」 「いや。これは僕自身の思いだよ」 「〜〜っ」 どうしてこう、あなたは私の心をかき乱してくるのだろうか。 「全部が全部ガンダムが言ってる訳じゃないよ。──あのキラキラを見た子に初めて会えたのだから、大切にしなきゃ」 「初めて?……私が、初めてなの?」 「うん。誰もアレを理解できる人はいなかったからね、今まで」 シュウジ、あなたは──そう言いかけた言葉は呑み込まれて出てこなかった。それを言ってしまうと、何か取り返しのつかない事になってしまいそうで。 「そっか。……シュウジ、これからご飯でも食べに行かない?おごるからさ。クランバトルの賞金もらったら返してもらえればいいから」 「いいよ。マチュは優しいね」 「そんなことないよ。ニャアンにはしっかり取り立てるつもりだし」 「本当に?」 「本当だよ」 見透かされているようなその眼差しが、何故か今の私にはとても心地良かった。 シュウジの隠れ家からやや離れたところにある喫茶店へと私達は入り、私はサンドイッチとココア、シュウジは同じものとコーヒーを注文した。 住居に反して身綺麗な服も持っているシュウジは、カフェの店内の雰囲気にもとらない清潔感を帯びていた。流石に臭いばかりは如何ともしがたかったので、事前に詫びを入れつつ私の私物の香水を使っていただいているが、よく考えたらこれはなかなかに恥ずかしいことなのではなかろうか。まあ見咎められなければそれまでなのだが── 「あれ、アマテ?」 直後に見知った顔が現れて私は硬直する。フラグ回収が早すぎるでしょ。 「珍しいじゃん、こんなところで何して──」 ぎこちない笑顔のまま動かない私を怪訝に思ったのか近寄ってきたクラスメイトが死角になっていたシュウジを視認し驚愕する。と同時におもちゃを見つけた子供のように目を輝かせるのがしっかり見えた。 「え、うそ、彼氏!?あのアマテが!?へぇ〜〜〜、ふぅ〜〜〜ん」 「いや違う違う!彼氏じゃないってば」 「じゃあどういう関係なの?」 「それは……」 そう言われると途端に回答に窮する。私とシュウジは……どういう関係なんだろう? 「マヴだよ」 「「えっ?」」 「アマテのマヴのシュウジ・イトウと申します。よろしくお願いします」 「はっ、はい!こちらこそアマテがお世話になっております」 言葉の響きからはおよそ似つかわしくない恭しい挨拶と共にシュウジは頭を下げ、我が友達は慌てて返礼した。だが先程の悪戯めいた笑みは収まったどころかむしろ悪化したようだ。私は俯いて頭に手を当てた。 (凄い良いマヴさんじゃん、後でちゃんと紹介してよね!じゃあ邪魔者は退散するから) (あ、ちょっと……!) 「失礼しますシュウジさん!後はごゆっくりどうぞ!」 囁くように捨て台詞を置いて帰り、私の情緒はまたも行き所をなくしてしまった。 「アマテって言うんだね、君の名前」 「……うん。そう。マチュってのは子供の頃の渾名」 「なるほどね。どっちもいい名前だと思う。僕は好きだな」 「ぅぁっ」 その若干微笑んだように見えた真顔を前に、私は素っ頓狂な声で口をパクパクさせていた。