幕間/あるいは、理論上の話

 心というものは、形而上のものだ。それが脳に居を構えているのか、胸の中に収まっているのかすらわからず、形はなく、故に、それに限界はない。
 だが、デジタルワールドにおいては人間も一時的にデジタルに変換される。肉体も、脳も、心でさえ。あくまでそれは性質上のものであり、本当に心が0と1で構築されているわけではない。感情はあくまで現実と同じくシームレスに移り変わるものであり、変数を切り替えただけでスイッチできるものではない。
 ここで主張したいのは、本来それの在処がわからないもの、実在性さえ疑わしい「心」が、デジタルワールドでは具現化できる可能性がある、ということだ。

「……ふむ」

(スプシ図書館 深部 とある本棚)

 図書館で提供された、あるファイル──A4サイズの物理的な書物として具現化されたそれの中には、ある「興味深い事実」が示されていた。
 パートナーを持つデジモンの進化には、パートナーである人間の心境が強く深く関わる。つまり、デジタルワールド、あるいはデジモンのデジコアには、人の心を具現化してそれを武装とする仕組みが内包されている、ということだ。
「コレは……なかなか、面白いじゃないか」
 他にも、スピリットエボリューションに心がついてこなかった場合はパワーダウンした姿になってしまう、だとか、マトリックスエボリューションの際、人間側が逆にデジモン側の感情に取り込まれてしまう、だとか、そう言った例示がなされており、戌井個人としても興味をそそられる内容であったのは間違いなかった。

 特に、スピリットエボリューションのくだりだ。
 心がついてこなければ弱体化した姿になってしまうのであれば、逆に強い感情のままに進化したなら、あるいは無感情にそれを使用したなら?
 流石に実験することは憚られるが、このファイルに書かれたことをこの目で見てみたい。機会があれば、それを止めずに眺めるのもいいかもな。
「お兄様、悪い顔をされていますわ」
「……そうか?」
「ええ。とーーーーっても、悪い顔です。お兄様が、いっちばん生き生きされている時の顔でもありますわね」
「はは……君には隠し事ができないな、プリンセス」
 適当に誤魔化したが、何しろヒメマメモンの発言は的を得ていた。面倒を見ている赤子同然の少女を……彼女の原始的感情を使ってこんな実験ができたら、と脳裏に一瞬でもちらついたなんて、例えばあの同僚の少女に知られれば大目玉じゃあ済まないだろう。
 もっと言うのであれば、無垢な彼女とそうではないオリジナルで比較ができたら、などと考えたことは、流石に言えない。
 ファイルを閉じ、近くを通りがかったスプシモンに手渡し返却する。一応、収集したい情報は概ね集め終えたものの、まだここには興味深い情報が多い。多い、のだが……
「……しかし、調べ物を続けるには騒がしい雰囲気だな。どう思う? プリンセス」
「言いたいことは理解できますが……この場には、あまり、見つかりたくない人の方が多いのでは?」
「そこが困りもの、だな……おや?」

 ふと顔を上げれば、そこにはどうやら戦闘の喧騒から命辛々とばかりに逸れ出てきた人間が一人。
 どうやら、この乱痴気騒ぎも終わりに近付きつつあるようだった。