それはまだ、秋の気配がまだ色濃く残る頃。 オアシス団の拠点の一つでの出来事。 いつものようにやって来たNJ-786号は、普段は大人ばかりのその場所に見慣れない子供の姿を見つけた。 まだ幼いその子供は、沈んだ表情をして座り込んでいた。 そのすぐ横にはパートナーと思しきアグモンの姿が見える。 確かS-703号とか……いや本名はユキトだったか。 「やあ、どうしたッスか?そんな浮かない顔をして。俺に話してみるッス。」 幼子は涙目でNJ-786号を見上げるとぼそぼそと話しはじめた。 「ぼくの……コロモンが……アグモンに進化して……」 「?それでなんでそんな顔を……」 「ユキアグモンじゃないから……きっとおとなの人たちはガッカリして……」 ああそういえば、とNJ-786号は思い至った。確かここオアシス団はユキアグモンを特別視しているのだったか。 このアグモン……というかコロモンはデジタマに還る前は一度ユキアグモンに進化していたとも聞いていた。 しかし今目の前にいるのはアグモンであり、おそらくは望んだ進化にならなかったのだろう。 「あー……君のコロモンがアグモンに進化したからって、それで誰もがっかりしたりなんかしないッスよ。」 とりあえず慰めようとそんな言葉を掛けた。しかし、 「……おとなの人はみんな口ではそう言うけど、本当はどう思ってるかわかんないんだ。」 ユキトはまた視線を下に向けて呟いた。 「ユキト……」アグモンは心配そうにパートナーの名を呼ぶことしかできない。 「大人って……ああ、そっか。」その時になって、NJ-786号は自分が大人の姿になっていることを思い出した。 「しょうがねえ、ここはいっちょ……」 『アタル、不用意に正体を晒しちゃダメだよ!』姿を消したままのエスピモンが思考言語で警告を発する。 『大丈夫、今は俺達以外ここにいないし!』 『ちょっとアタル!?』エスピモンの警告を無視し、帽子を取るNJ-786号。 一瞬の閃光の後、赤毛の少年が姿を現す。 「……え?お兄ちゃん?」ユキトはびっくりして目を丸くしている。 「ホラ、俺実は大人じゃないんだよ。だからさ?」そう言いながらアタルはしゃがみ込む。 視線の高さをユキトに合わせ、彼の頭を撫でながら語りかける。 「ちゃんと思ってること言うよ。なぁユキト。」 「……うん?」 「デジモンってのは必要があって進化するものなんだ。きっと前はユキアグモンに進化する必要があったからそうなったんだ。」 「……?」アタルの言ってる意味を理解しようとするユキト。 「それで今度は、アグモンに進化しなきゃいけない理由があったんだよ、きっと。」 「……そう、なの、かな?」 「そうだよ!そうに決まってる!だからさユキト。」 「なに?」 「アグモンのことをちゃんと信じてやれよ。」 「!!」その一言に、ユキトは電気に打たれたような表情をした。 「だってお前は、アグモンのパートナーじゃないか!」 「うん!……そうだね、お兄ちゃん!アグモン!」 「ユキト!」そう言ってユキトとアグモンは抱き合った。 「お兄ちゃんありがとうー!」そう言って立ち去るユキトとアグモンを見送り、アタルが帽子を被って再び大人の姿になろうとした時だった。 「ふーん、やっぱガキだったんじゃん、アンタ。」背後から聞こえてきた声にアタルは硬直した。 ゆっくりと声のした方向を振り向くと、そこにはオアシス団員MX-35号が立っていた。 「しかも私よりも背ェ低いじゃん。」その笑顔は美少女と言うよりも獲物を見つけた猛禽の様相であった。 「ア……ア……」 『ボクはちゃんと警告したよ?帽子脱いでて聞こえなかったみたいだけど』 帽子の骨伝導機能でそんな音声が聞こえてきた。 「い、いつから……いたの?」ようやくそれだけの言葉を絞り出す。 「そうねー、ちょうどアンタが帽子を脱いだあたりから、かなー?」 つまりガッツリ全部見られていたも同然である。 「…………たっ!頼む!この事は誰にも!」両手を合わせて必死で拝むアタル。 「えー、どうしよっかなー?」ニヤニヤとご満悦そうな顔のMX-35号。 「なっ、何でも!俺にできることなら何でもします!から!」土下座でもしそうな勢いである。 「へー、何でも、ねえ……」 『アタルー、それは悪手じゃないかなー?』エスピモンの呆れ声を聞く者はいない。 「お願いします!」とうとう土下座の体勢になるアタル。 「ふーん、そうねえ……」それを実に楽しそうな表情で見下ろすMX-35号であった。 『ま、アンタに何してもらうかはゆっくり考えることにするわ』そう言ってMX-35号は立ち去った。 彼女はアタルの弱みを握れたことに一先ずは満足したようで、すぐに何かをしようというつもりは無いようだった。 もっとも、今はまだ何も思いついてないだけで、今後何を要求されるかは分かったものではないが。 「あぁ、これからどうしよう……」そうぼやきながらアタルは帽子を被った。 大人の姿に変化して数秒後、 『警告、認識情報と観測情報に差異を確認。待ち伏せの危険あり。』帽子からのアラート音声が脳内に響いた。 このアラートは初めてのことではない。今までにもオアシス団の拠点内で何度か同じ事があった。 その度に彼が目にしていたものを思い出し、NJ-786号の顔面が蒼白になる。 システムが警告する方向に視線を動かすと……そこに一人の少女がいた。 どうやらマントを羽織ったオアシス団員SL-691号を名乗るその少女を認識できる人間は、自分の他にはいないらしい。 「あっ……………こ、こんにちわ。」 「………」挨拶したが、少女は黙ってこちらを見ている。 「きょっ、きょうはちゃんと服を着て……」 無言。そして過去に何度かマントの下が一糸まとわぬ姿だったことを思い出して彼もまた何も言えなくなる。 「あの、その………………見ました?」 普段は彼のほうが訊かれる質問、その度に彼が必死になって否定する質問。 しかし今日は逆であった。訊く側、訊かれる側、そしてその回答も。 「………見ました。」小さく、ややもすれば聴き逃しそうな声。 しかしNJ-786号の聴力はそれをはっきりと捉え、そして言わんとすることを理解した。 「たっ、頼む!この事は誰にも!」先ほどMX-35号に対して行われた懇願が、再度繰り返されることとなった。 彼はこのことで窮地に陥ったとその時は認識していた。 しかしこの事が、後に彼の母親を助けるために必要なことだったと気づくのは、かなり先の話である。 (了)