「……ごめんね!」 楽音の左腕に、沈静化プログラムが打ち込まれる 「ウぁ…く…!からダ…ウご…!ア゛ァ゛っ゛!」 彼女の動きがわずかに鈍るが、楽音は変わらずもがいたままだった 「ラクネ…大人しくしてくれ…!」 「沈静プログラムが効いてないのか…?教授!」 『ふむ…想定よりも効き目が薄い…もう一つ投与してみてくれ。』 ユウの指示で、司は彼女の首筋にインジェクターを使用した。 「ぁ………ぅぅ……………」 規定量の二倍の沈静化プログラムを投与されたためか、彼女の体から力が抜け、少しぐったりとしだす。 「離しても…大丈夫…かな?」 その様子を見て、皆は楽音の拘束を緩め始めた。 雪奈の魔術が解け、動けるようになった優華子は楽音の背後から正面へと移動し、正面から抱きつくように彼女を拘束した。 「ユカコ、そこじゃ危ないんじゃないか?」 メルヴァモンは楽音の左腕を離し優華子の方を見た。 「そんなこと百も承知ですことよ。何より………その程度の覚悟で、この場に立ってはおりませんわ」 「そうか…頼んだぞ。」 司も楽音の左腕を離した。バングルを交換するには、彼女の左腕を拘束しておくことはできないからだ。 「うまく行ったようだね。雪奈、こっちに来てくれ。」 「あ…はい!」 舞い降りたホーリーエンジェモンは雪奈を呼び寄せた。 「雪奈、これが新品のバングルだ。ガイドに従えばいい。頼むよ。」 「…はい!やってみせます!」 幾本もの針がついている物々しい機器を手に、彼女はブリーフィングの説明を思い出していた。 「あの…これって…かなり痛いんですよね?少しでも…和らげてあげることって出来ないんですか?」 『その質問には僕が答えよう。ホーリーエンジェモンはオーセンティケーションモードの準備に専念してくれ。』 「了解です教授。」 『それで…痛みの抑制だが…端的に言って無理だ。彼女の継続した抑制には神経に直接コネクトする必要がある。その針は薬剤投与と神経接続のためのもので…神経接続の過程で単純に針が刺さる以上の痛みをもたらす。その痛みは…仮に彼女に麻酔が効いたとしても緩和はできない。』 「そう…ですか」 『もう少し別の形式も考えてはいるんだけどね…今回は急いで新品を用意しなきゃならなかったから改良する暇がなかったんだ。ともかく、君が気に病む必要はないよ。』 「教授、起動準備できました。」 『よし…始めよう。覚悟はいいね?』 「はい。」 「バングルが外れた瞬間が最も力が強くなる。みんな気をつけてくれ。」 ホーリーエンジェモンはバングルに手を添えながら、皆に注意を促した。 ───────── 「おやおや…ゴグマモンもだいぶ捌けてきましたね…」 ネオデスモンは影に広がることで、自らの軍勢の減少を感じていた。 「灰庭音糸、撤退を許可しましょう。報酬はいくら欲しいですか?」 「複数の指定口座に合計で10億Bit、じゃ。…「またね」の方がいい?」 彼は自軍のオブリビモンに指示を出し、銀行のシステムをハッキング、支払いを完了させた。 「では、また、どこかでお会いしましょう。」 彼は通信を終了させた。 「さて…私はもっと面白いことをしますか。」 ───────── 「オーセンティケーションモード起動。緊急コード、KM-HA。」 ホーリーエンジェモンの声に呼応し、デジヴァイスバングルの画面が緑色に光った。 故障していようと、この機能はちゃんと働いているようだ。 バングルから光が放たれ、ホーリーエンジェモンをスキャンする。 「Designated Digicore authenticated. Unlock and detach the bangle?」 無事に認証は成功したようで、バングルは取り外しの待機状態へと移行した。 しかし、そのまま上手く行くわけもなかった。 「はぁぁッ!!」 辺りに地響きが轟く。 「我が主の玩具を弄ってもらっては困る。死影の名の元…タクティモン、参る!」 「死影…アイツもネオデスモンの配下か!」 司の予想は正しかった。そこに現れたのは、タクティモン:影備え。ネオデスモンの配下の中でも強力なデジモンだった。 「…ここで邪魔されるわけにはいかない。私たちは端末の交換に専念する。向こうの対処は君たちに任せた」 ホーリーエンジェモンは少し焦った様子を見せていた。 「了解、行くぞメルヴァモン!」 「ズワルトとアローもアタシ達と一緒に来てくれ!」 「わかった!」「了解!」 ───────── 「Designated Digicore authenticated. Unlock and detach the bangle?」 バングルは同じ音声を繰り返していた。 「デタッチ」 ホーリーエンジェモンの声により、わずかな動作音と共に、腕輪のバンド部分の針が抜かれていく。 1本1本、ゆっくりと。 「あ゛っ…ああ…!いた…い…!」 沈静化プログラムの効果でぐったりしていた楽音は、その痛みによってまたもがき出した。 「いけませんわ…!薬が効いているはずなのに…さっきより力が…!」 「まずい…他の子もいないし…仕方ないか。内緒にしててね、みんな。」 有無は自らのデジヴァイスを取り出した。 「やるの、ウム?」 「うん。行くよツーくん!」 デジヴァイスが光り出すのに呼応して、ツカイモンの体も輝き出す。 「ツカイモン進化ー!!」 ツカイモンの四肢にアーマーが装着され、体が成長していく。 可愛らしかった足先はしっかりと地面を踏み締める蹄となり、小さな翼は雲のような毛に変化した。 長く伸びた首と頭部にも鎧が装着されたその姿は、過去に地球上に生息していた動物によく似ていた。その名は────── 「バルキモン!!!」 「やっちゃってツーくん!」 「サイキックチェーン!」 念力の鎖は楽音の体を拘束する。 「あ゛ッ゛………ゔ……ぐ………」 血は流れ続け、優華子の服も赤く染まっていた。 針が全て抜けきり、最後にバンドのロックが外れる。 地面にできた血溜まりに、べしゃりとバングルが落ちた。 「楽音ちゃん!これで元に戻って!」 ───────── 「お前達の力…見せてもらおう。壱の太刀!」 タクティモンは、鞘に収めたままの蛇鉄封神丸を地面に叩きつける。 「うおっ!なんて力だ…」 オリンピア改を地面に突き刺し耐えるメルヴァモン。 「まともに受けるとキツイな…!」 「じゃあまともに受けなければいいってことでしょ!」 シャドウヴォルフモンは影を伝ってタクティモンへと接近する。 「……影の太刀!」 彼は蛇鉄封神丸を抜刀し、自らの影に突き刺した。 「うわぁぁっ!?」 その切先は影を通じて愛狼達の元に届いた。 「…ひ…被害甚大…!喰らっちゃった…」 「エースケ!」 愛狼は避けることが出来たが、シャドウマンタレイモンXがその攻撃を受けてしまった。 「大丈夫…!ボクまだやれるよ…!」 致命傷とまではいかないが、ダメージは大きかった。 「外したか。…誰かと思えば敗北し、敵の軍門に下ったマンタレイモンではないか。」 「よくも…!シャッテンズィーガー!…あれ?」 限定的とはいえ影を操れるタクティモンは、その力で愛狼の出現位置をいじり直撃を避けた。 「甘い!参の太刀!」 「させるか!マッドネスメリーゴーランドDX!」 愛狼に向け振るわれた太刀を、メルヴァモンが回転斬りで弾き返す。 「ハハハ…良いぞ…力を感じる!」 タクティモンは影に入り、ズワルトに斬りかかる。 「ロイヤルナイツの力も見せてもらおう…!」 「ならば見せてやる!グレイソード!」 鍔迫り合いで飛び散った火花が地面に着き、腐ったように黒く変色する。 「ガルルキャノン!」 「タネガシマ!」  光弾同士がぶつかり合い、辺りに白煙が満ちた。 タクティモンの目が赤く光り、煙と中にぼおっと浮かび上がる。 「死の太刀…!」 ズワルトに急接近しての一閃。 それは通常のタクティモンも扱える技であったが、影備えのものは性質を異にしていた。 ネオデスモンの持つスピリットに強く影響されたそれは、当たった対象に死を付与する力を得ていた。 「くっ…!」 なんとか左腕の剣で受け止め鍔迫り合いに持ち込んだズワルトだったが、例え受け止めていようと死のスピリットの力は彼の体を蝕む。 「ならば…ターミネーション!」 グレイソードの文字が光った。 「グォッ…!なんだと…⁉︎」 終了を意味するその力はタクティモンの技を強制的に打ち切り、彼を刀ごと断ち切った。 「今度はこっちの番だ!シャッテンズィーガー!」 「ガはぁッ⁉︎」 動揺するタクティモンは先ほどのように影を操ることが出来ず、シャドウヴォルフモンのそれをまともに受けてしまう。 「アタシの技も喰らってもらうぜ!ファイナルストライクロール!!!」 「────────!!?……はは…良い…力だった…力とは…実に…素晴らしい…!」 タクティモンは天に手を一瞬伸ばすと、消滅しデジタマとなった。 そのデジタマは、すぐに影に飲み込まれた。 「ラクネが心配だ…早く戻ろう!」 ───────── 「楽音ちゃん!これで元に戻って!」 ザウバーブラウモンの能力で楽音に急接近した雪奈は、バングルの示すガイド通りにそれを取り付けた。 留め具が固定されると同時に、ゆっくりとバングルから針が挿入されていく。 「う゛ッ…き゜っ…!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」 針が神経へと直結し、体内のデジコアへと接続する。 その過程で生じる、血管に溶けた鉄が流し込まれるような激痛。 あまりの痛みに耐えかね、楽音は目の前の優華子の首筋に噛み付いていた。 「つうっ!!??…放す、ものですかああああああ!!!!」 2本、3本。次々と刺さっていく針。 「ん゛ん゛ーー!!!!ん゛ー゛!゛!゛」 優華子の首筋に喰い込む牙。 それを見守る雪奈やホーリーエンジェモン。 関わる誰もにとって、この時間はとても長く感じられた。 「Activating Digivice Bangle. Initiating Digicore erosion check via puncture. Please wait for suppression program administration.」 針が挿入され終わると新たなデジヴァイスバングルが起動し、画面に光が灯る。 「よし…後もう一息だ…」 ホーリーエンジェモンはそう呟いていたが、実のところはすでに気が緩んでいた。 「はぁ…はぁ…なんとか…なりましたわね…」 優華子も雪奈も有無も、バングルの起動を確認し安堵した。 バルキモンはツカイモンの姿へ戻り、サイキックチェーンも解除された。 しかし、まだ抑制プログラムは投与開始されていない。 楽音はまだ異形のままであったし、その隙を見逃すはずもなかった。 「っ!!?しまっ!!??」 楽音は優華子の腕を振り解き、彼女を蹴って雪奈に飛びかかる。 ザウバーブラウモンは魔法陣を作り颯乃も刀を抜いたが、雪奈は腕輪の交換のために楽音の程近くにいたため、間に合いそうにもなかった。 雪奈の首筋に、楽音の爪が食い込もうとしていた。 「───────!!??」 彼女の体は急に推進力を失い、地面に倒れた。 そして、彼女の左腕は右腕と同じ形に戻り、ツノは消えた。 かくして、デジヴァイスバングルの交換は完了したのである。 「…はぁぁ…よかったぁ…戻った…」 緊張が解け、地面にへたり込む雪奈。 彼女の目線の先に倒れる少女は、いつまで経っても起きあがろうとはしなかった。 「ラクネ!起きろ!」 いつの間にか戻ってきていたメルヴァモンが、少女の体を助け起こした。 「ラクネ…?お…おい…どうしたんだよ!ラクネ!」 彼女がいくら揺さぶろうと、少女は目を開けない。 「…おい!どうにかできないのかよハカセ!」 メルヴァモンはやるせなさを隠しきれない様子で叫んだ。 『そう言われてもこっちで見られるのはバイタルサインだけだし…とりあえず…たぶん死んではいないとしか…みんな…呼びかけてみてくれ…こちらからではもう…どうにもできない』 ユウもまた、当惑していた。 ━━━━━━━━━ 落ちていく。 私が、何もない暗闇へと…落ちている。 不思議と恐怖感はなく、むしろ心地よかった。 満たされているような…暖かな感覚。 こうして落ちていくことを望んでいたような気すらする。 ここはどこなんだろう。私…何だったっけ? 何も思い出せない。忘れているというよりは、最初から頭の中が空っぽだったかのような感じ。 妙に左腕が重いような気がした。なんでかはわからない。いや、知らない。 私以外にも落ちているものがあった。黒い水晶のような姿の何かがたくさん。 あれなんだろう?見たことあるような気もするけど。 "死者は名前を、記憶を持たぬ" 何? 頭の中に直接声が響くのを感じた。 ”死者は言葉も持たざる。故に考えが直接伝ふ” へー…私、死んだんだ。 ”否。其は死を常に持たり。故に死せず。” 「待って!どういうこと!?」 その何かは私よりも早く落ちていき、暗闇に飲まれて見えなくなった。 まあ…いいか。どうせ私も同じところに落ちている。いつかは同じところに着く。 そんな時、私の体のあちこちを、黒い…いや、影の手が無遠慮に掴みだした。 私の体は落ちていかなくなった。暖かな感覚はなくなり、全身を掴んでいる氷のように冷たい手の感触のみを感じる。 『ダメですよ。楽になっては。』 私はこんな声知らない。 知らないはずなのに…途轍もない怒りが、途方も無い悲しみが、際限ない恐怖が、私の中に渦巻きだす。 『君は死なない。死ねない。死者の真似をして名前も記憶も投げ出してしまうとは…思い出しなさい。南雲楽音。』 私の頭は空っぽなんかじゃなかった。忘れたわけでも、知らなかったわけでもない。目を背けていただけだった。 全部、覚えてた。 「……満足でしょネオデスモン。もう私をほっといてよ」 『ほう?放っておけとは?』 「もうほっといて。私を離して!」 『おやおや。そんなことをすれば、あなたは死んでしまいますよ?”復讐”とやらはどうしたのでしょうか?』 「もうどうだっていい。私はもう…全部どうだっていい。あの子に会いたい」 『ふむ……無理、ですね。聞いてご覧なさい。』 ────目を覚まして!まだお話したいことたくさん─────────────── 「………え?」 ─────────復讐も贖罪も自分を失ってするようなものじゃないから!────── 『君の体はコアの影響でまだ生き続けている。君が戻ってくることを望む者たちもあれだけいる。』 ────────────────あの変な影をぶっ飛ばすのでしょう!?叶えたい望みが────────────── 私が浮かび上がり始める。戻ろうとしているんだ。 やっぱり…私は死ねないんだ。 『君の物語はまだ途中だ。フフッ…シナリオ通り、君は生き続けなければならない。君にはまだまだ、色々な出会いが待っている。色々な苦しみ…もね。』 ねばっこいニヤついた声。 ─────────起きないとオレ達だけでネオデスモン掻っ捌いちゃうぞー!」 はっきりと聞こえた。 そうだ。死ねないなら…やらなきゃいけないことがある。 私は…!アイツを倒さないといけないんだ… 「私はお前の思い通りになんかならない…お前のシナリオなんてぶっ壊してやる!」 『ハハハ!何があろうと想定した結末に導き…そして最高の絶望と苦しみを…シナリオとは、得てしてそうやってつくるモノですよ。』 「また楽音ちゃんとお話したいの!お願い目を覚まして!」 聞こえる。 「こんな所でくたばってはいけませんわ!また一緒に暴れましょう!!」 近づいていくごとに、 「ちょっと、このまま死なれたら困るよ!後で話をしてほしい子がいるんだよ!」 さっきよりもっとはっきりと、みんなの声が聞こえる。 「ラクネ…イグニートモンと同じぐらい…アタシはラクネの事…大事に思ってるんだ。頼む…妹までなくしたくない…帰ってきてくれ…」 ───────── 目を開く。ぼやけてよく見えない。けれど、みんなが私を見ているらしいのはわかった。 「目を覚ました!!…よかった…本当によかった…ラクネ…」 ミネルちゃんが私に抱きついてくる。 っ……!!腕が、体全体が痛む。 やっと目がはっきりと見えるようになってきて…辺りに血が飛び散っている事に気づいた。 血の味がする。私のとは違う味。 記憶がはっきりしない。 優華子ちゃんの首元に歯型が付いているのが見える。目からも血が流れてる。 私は…私は… 「私…何をしたの…?」 ────────────────── フェーズ4に続く