「妙ですわね…」 千本桜 冥梨栖が訝しげにオディール・オクトアハトの顔を凝視する。 「えっ?…えっと………」 見知らぬ相手から急にガン見され、戸惑いを隠せないオディール。三上 竜馬や虎ノ門 詩奈の様に自分がオリジナルの魚澄 真菜ではないという事を見抜いたのだろうか…そもそも誰だこの人…オディールの中で様々な思いが錯綜する。 そうこうしている内に冥梨栖が口を開いた。 「詩奈さんの特別なガトーショコラに私が作ったオムそば……真菜さんからする筈の匂いがしませんわね。確かに顔はそっくりですが、あなたどちら様?」 「(口振りから察するにここで知り合った人かしら?…厄介な…ていうか何よ、ガトーショコラにオムそばの匂いって…嗅覚凄すぎかよ)」 などという感想を抱きつつ、オディールは思いつく限りの精一杯の嘘を放り出した。 「さっきちょっと汚れることがあって、お手洗いを借りて顔を洗ってきた、んです。そのせい、かも?」 うまく誤魔化せたかな……そう安堵したのも束の間、冥梨栖の更なる追い討ちがオディールを襲う。 「体の中身まで綺麗さっぱり洗い流すなんて随分と器用な事が出来ますのね。どうやったか私に見せて下さらない?」 「ええと、その…」 予想外の一言に困惑するオディール。 『…乙女の秘密というものをあまり詮索しないでやってくれないか』 見兼ねた彼女のパートナー、シードラモンがデジヴァイスの内部から口を挟んだ。 「ちょっと、シードラモン!」 『あまり真面目に取り合いすぎるな。…バイタルブレスの中から失礼した』 しかし、このやり取りによってオディールが真菜ではない事が冥梨栖に完全に露呈してしまった様だ。それでも冥梨栖は自身を真菜と偽るオディールの意志を尊重する事にした。 「……えぇ承知致しましたわ。」 そう応えた冥梨栖は指をパチンと鳴らす。次の瞬間、ギュウキモンが山の様に聳え立つ超巨大オムそばを持ってやって来た。 「……ですが、あなたが本物の真菜さんだと言い張るのでしたら条件を揃えていただかなくてはなりませんわね」 「……??…!?」 食料とは思えぬ質量のクソデカオムそばを前に困惑を隠せないオディール。 ここへ来てから様々な屋台を梯子してたらふく食べてきたオディールにこの量は堪える。いや、何も食べてなくても堪える。先ほど中華屋のおっちゃんから貰ったゴマ団子をじっくりと堪能して〆と考えていたところでこれだ。 「さ、遠慮なさらず、召し上がって下さいな」 オディールは目の前が真っ暗になった。……と思いきや、そこへ思わぬ救世主が登場した。 「おいおい何だよ…この量は…食いもんでふざけるもんじゃねえぜー。戦い終わってから飯食ってねえからコレちょっと分けてくれねーか。一緒に食おうぜ!」 偶然通り掛かったバンダナの少年、鉄塚クロウが助け舟を出してくれるというのだ。 「あっ、クロウさん!実はさっきたくさん食べちゃったんで、助かります…」 オディールがクロウに耳打ちするかの様にひそひそと話す。嗅覚だけでなく聴覚も常人離れした冥梨栖にも当然聞こえてはいたものの、今の彼女にはそんな事はどうでも良かったらしく、超巨大オムそばを悪ふざけと捉えられた事に大層ご立腹な様子であった。 「ちょっと待ちなさい、そこのあなた!食いもんでふざけるですって!食べもせずにその様な言い草、とても心外ですわね。私、ふざけているつもりなど一切ございませんわ!」 大層ご立腹とは言っても以前に冥梨栖がイレイザーベースに攻め入った時の様な殺意に満ち溢れたものでは全くない、ぷんぷんしているという言い方が最もしっくり来る様な怒り方だ。 あれ、もしかしてこの人…結構可愛いんじゃないか?僅かながらもオディールの心にそういった感情が芽生えた。 そしてオディールに助太刀したクロウはと言うと… 「美味ッ!確かに本気の味だぜ…となると一人前にしちゃ単に量作りすぎたかコレ?」 度重なる戦闘でよほど腹を空かせていたのか、物凄い勢いでオムそばを食べ進めている。 結局オムそばはそのほとんどをクロウが平らげてしまい、オディールはあまり食べずに済んだ様だ。 食後の運動と称してさっさと走り去って行ったクロウに対し、冥梨栖はまだオディールの目の前に居る。 「な、何ですか?…まだ、何か?」 「ゴマ団子……」 「!?」 オディールが食後のデザートとして楽しみに取っておいたゴマ団子も当然の様に匂いで言い当てる冥梨栖。もしかして取られてしまうのではと考えたオディールは必死にこれを死守しようとする。 「これはあげませんから、絶対に…」 「心配しなくても取ったりなんてしませんわよ。それにしても良い香りですわね。匂いだけでわかりますわ…そのゴマ団子を作った方、相当良い腕をしていらっしゃる……この私が妬いてしまいそうなくらいに」 「そう…ですか」 小さな紙袋から取り出したゴマ団子を口の中へ運ぶオディール。 「!?」 途轍もなく美味だ。オムそばに時間を取られていたせいで出来上がりの熱々を…とはいかなかったものの、中でとろりととろける黒ゴマの餡はまだ熱を帯びており、これがまた丁度良い塩梅の温かさであった。 「(まさかこの人、そこまで計算してあのオムそばを…!?いや、それは流石に考えを飛躍させ過ぎか………でもそんな事どうでもよくなるくらい美味しい、これ!)」 オディールの顔に思わず笑みが溢れる。 「そうそう……話半分で良いので聞いて下さいませ。」 「うん?」 突然話を切り出した冥梨栖に対し、幸せそうな顔でリスの如くゴマ団子を頬張りながら返答するオディール。 「これは私のお祖父様から聞いた話なのですが、彼の有名な某製薬会社…。真菜さんも名前くらいは聞いた事あるでしょう?その会社、何でも裏ではクローンの製造に大変熱を入れて取り組んでいるそうですの」 もぐもぐしているオディールの口の動きが次第に遅くなる。 「そしてここからがまだ何処にも出回っていない話…との事なのですが、その会社が造ったクローン…実はある致命的な欠点があった事が最近わかったそうですわ。」 何それ!?そんなの聞いた事ないんだけど!?と内心思いながらもオディールは決してそれを悟られない様に努めた。 「どうやら美味しいものを食べて笑顔になると稀にほっぺたが溢れ落ちてしまう事があるらしいんですの…比喩的な表現などではなく実際に………」 「ちょっと!ウソでしょ!?」 オディールが咄嗟に両手で自分の頬を押さえた。 「…えぇ、嘘ですわ」 「………………………」 『貴様、いい加減にしろ!何がしたい!?我々をどうするつもりだ!?』 バイタルブレス内のシードラモンが怒り心頭な様子で吠える。 「始めに前置きはした筈ですわよ。話半分で聞いて欲しいと…。何もあなた方の不利益になる様な事をするつもりなど毛頭ありません。あなたがあくまで魚澄 真菜さんを自称するのでしたら、私はその意志を尊重致しますわ。ただ……………」 そう言って冥梨栖はオディールに顎クイをして顔を近付け、そのままの勢いで口付けをした。 「んっ…………!?」 突然過ぎる出来事にオディールはただ驚くしかなかった。触れた相手の口唇は異様なほどに冷たい。とても血の通った人間のそれとは思えないほどだ。身体中の精気を根こそぎ持って行かれる様な感覚に襲われるオディール。だが同時にまるで自身の全てを受け入れてくれる様な、そんな温かさも確かに感じられた。 暫しの沈黙の後、重ね合った口唇を離した冥梨栖は妖艶な笑みを浮かべながら言い放つ。 「それならば、あなたには私からの愛を一身に受ける権利が…いえ義務がありますわ。宜しくて?」 「…………」 オディールは何も言い返せず、ただ俯いて冥梨栖から視線を逸らすばかりであった。