「はあ、はあ、はあ……」 夜の帳が降りた人気のない広場。遠くではどこからかサイレンが鳴り響いている。 白銀の獣人、ヴォルフモンこと逆井平介は幾度となく繰り出される斬撃に慄いていた。 彼の眼前にいるのは4mはあろうかという巨体、犬のような顔、鎧を纏った人型の上半身と刀を携えた4つの腕に尻尾、獣のような下半身に鋭い牙を備えた巨大な口を持つデジモン、ザンメツモンだ。 話は数刻前に遡る。 最近、この辺りで謎の刀傷が街のあちこちに出現するという噂が立っていた。 とても人間業とは思えないその所業を、人間の世界に迷い込んだデジモンの仕業とあたりを付けた平介は調査を開始。 刀傷の場所を辿るにつれてある噂が耳に入ってきた。 “とある広場に近づくと首を斬られたような感覚に襲われる” 不気味な話を耳にした人々は恐怖し、その広場を避けるようになっていた。 刀傷の噂と奇妙な感覚。まだ傷ついた人がいるという話は聞いてないとはいえ、不安になる人々を放っておくことはできない。 噂の広場に今回の事件の犯人がいるとにらんだ平介がそこに向かうと、そこには隠れる様子もなく仁王立ちでザンメツモンが佇んでいた。 人々が感じる感覚の正体を実際に下手人を前にして合点がいった。なんてことはない、ザンメツモンが放つ殺気を人々が無意識に感じ取っているのだ。 恐怖で足が震え、涙で視界が滲む。油断すればすぐに首が胴と永久に別れそうな剣気を受けながら、平介は恐る恐る佇む剣士へ声を掛けた。 「あんの……」 「……ふん、強者に溢れているとこの世界に参り誘いをかけてみたが、釣れたのは貴様のような童のみか。弱者に用はない。疾く我が剣の錆と消えよ」 釣られた獲物の姿を一瞥したザンメツモンは聞く耳を持たず斬りかかる。平介はすぐさまご神体を胸に突き立て、ヴォルフモンへと進化。間一髪で飛びのいて斬撃の間合いから逃れた。 今この瞬間まで平介の胴体が存在した空間を刃が斬る。達人の一太刀を思わせる一閃は、今回の刀傷の噂の犯人であると同時に自分の身体など豆腐のように両断されることを確信させた。 「おめさ、少しは人のはなすを……!」 「ほう、思いの他やるようだ。もっと我を楽しませてみよ!」 またも聞く耳を持たず、四足から繰り出される速度に一気に間合いを詰められ斬撃が繰り出される。今度は4つの腕から繰り出される四撃だ。 このままでは回避は不可能。そう判断した平介は両手に携えた光の剣で斬撃の内2本を受け止め、空いた空間に身をねじ込み残りの二撃から逃れる。 「甘いわ!」 「うおっ!?」 平介の眼前に刃が迫る。ザンメツモンの尻尾に備えられた5本目の刃だ。 体勢を崩した平介の首に迫る刃に対し、平介は右手のリヒト・シュベーアトを手放し地面を掴む。そのまま腕力のみで身体を引き寄せ、その勢いでザンメツモンから距離を取ろうとし―― 「うぐっ!?」 足に痛みが走る。紙一重で避け損ねた刃が白い鎧を容易に切り裂いていた。 足から血が流れ痛みに泣きそうになる。しかし涙で視界を閉ざしてはあの斬撃で今度は首を落とされかねない。平介はグッと痛みを堪えて五刀を携えた剣鬼を見据える。 「はあ、はあ、はあ……」 「どうした?逃げてばかりか?」 緊張で息が乱れる。剣を片方手放し、足を負傷。敵はこちらの話を聞き入れようとせず、状況は最悪だった。 (どうすっぺ……織姫さんに連絡すっか……?) 数少ない連絡の取れる相手を思い浮かべる。しかし今から連絡して到着するまで持たせられる自信も、そもそも連絡させてくれる隙があるかもわからない。 遠くでサイレンの音が響く。夜だというのに故郷と異なり星の見えない夜空、街頭で照らされた明るい都会の光景にいつまでも慣れない平介の目が、煌めく五本の刃と、その奥で物陰からこちらを伺う黒い人影を捉えた。 「!?そこのおめ!ここは危ねど!はよどっかに逃げ!」 ――――――――――― (うわー!?先客がいるー!?) 広場を離れたところから伺っていた人影、レーベモンこと橘樹文華は目の前で繰り広げられるヴォルフモンとザンメツモンの戦闘に出ていくタイミングを失っていた。 数刻前、謎の刀傷の噂を耳にした文華は長年の経験からデジモンの仕業と断定。せっかく上京したというのにこちらでもこんなことをしなければいけないのかと思いつつ、放っておくわけにもいかないと渋々調査を進めていくうちに、ザンメツモンが待つ広場へとたどり着いた。 接触前にスピリットエボリューションし戦闘に備えていると、そこに背の低い男子大学生らしき人影が接近、危険だと声を掛けようとしたところにザンメツモンが斬りかかると、なんとその男の子がヴォルフモンになったではないか。 自分以外にもスピリットの力を持つ人間がいたのかと驚愕しつつ、出ていくタイミングを失った文華はヴォルフモンとザンメツモンの様子を物陰から観察していた。 しかしヴォルフモンがこちらを気づくと、自分が劣勢であるにもかかわらずこちらに逃げるように言ってきたのである。 「何ぼうっと見てっだ!?ケガしてるんけ!?おれが注意さ引くけはよ逃げい!」 (いやいや逃げるのは君のほうでしょ!?足ケガしてるし!) 「何だ、また獲物が来たか?」 ヴォルフモンの言葉にザンメツモンがレーベモンへと標的を変える。正直こちらに向いてくれた方がやりやすい。 だというのにヴォルフモンはこちらに向いた注意を再び自分に向けようと、痛む足を歯を食いしばって耐え、背を向けたザンメツモンに向かって斬りかかった。 「そいつに手さ出すな!」 「弱き者に用はない!」 決死の斬りかかりも尻尾の刀に防がれる。傷ついた足ではいつもの俊敏さを発揮できず、5本の刀から繰り出されるザンメツモンの斬撃をくぐり抜けて本体に刃を通す見通しがない。 ザンメツモンは巨体から生み出される剛力でヴォルフモンを弾き飛ばす。白銀の狼人の身体が宙を舞い、アスファルトの上を転がる。 地面に叩きつけられ、肺の空気を吐き出し苦しそうに呻いた。 「かはっ……ぐぅ……!」 「ふん、貴様の剣など既に見切った。あとでゆっくり切り刻んでやる」 ザンメツモンが鼻を鳴らす。ヴォルフモンのことなど既に興味を失ったかのように、その目は未知なる獲物であるこちらに向けてギラギラと輝いていた。 (はあ……仕方ない。これで出てきやすくなったしいいか……) 右手に断罪の槍を握り、ゆっくりと姿を現す。正直未熟な年下(だよね?)に少しかっこいいところを見せつけたい。これまで誰にも知られることなくこちらの世界で暴れるデジモンに対処してきた文華にとって、誰かに見られながら戦うなどめったにない経験だった。 ようやく見えた全貌にヴォルフモンが痛みを全身に感じつつも、素っ頓狂な声を上げた。 「くうっ……おめさん、デジモンだったのけ……?」 (えぇ……気づいてなかったの?いや暗いところにいたから見えづらかったかもしれないけど……) 思わぬ言葉に少々気が削がれたような感じがしたが、改めて槍を握るとゼンマイを回すように回転させる。 できる手合いだと肌で感じ取ったザンメツモンが5本の刀を構えた。後ろで転がっている恐怖を押し殺して戦っているような軟弱ものよりよほど楽しめそうだ。吊り上がった口元が無言でそう訴えていた。 ザンメツモンの後ろでまだ立ち上がろうとするヴォルフモンに対し、レーベモンが制止するように呼び掛ける。 「あなた、下がってなさい」 「何言ってだ!?おれだってまだ戦えっど!」 「その傷じゃ無理よ。大丈夫、この程度なら一人でやれるわ」(それに誰かと連携なんてしたことないし……) 文華には誰かと協力して戦った経験がない。ましてや負傷者ともなれば猶更である。彼に合わせながら戦うくらいなら自分ひとりでやったほうが楽だとの判断だった。既に相手の力量は把握できた。この程度ならまあ何とかなるだろう。 そんな文華の言葉が癇に障ったのかザンメツモンの眉間にしわが寄る。 「ほう……貴様、この我を相手によくそんな口を利いたものだ。例え十闘士の力を以ってしてもこのザンメツモン、簡単に討ち果たせるなどと思うてくれるなよ!」 獣のような4本の足が大地を蹴り、二足歩行には不可能な速度で間合いを詰める。 本来リーチの長い槍のほうが剣より有利だという古来からの戦場の鉄則は、この巨体を持つ怪物には当てはまらない。目の前の獲物の持つ槍と同等の刃渡りを持つ刀がゆっくりと歩を進める黒い戦士を捉えた。 まずは小手調べ。右の二本の腕に握られた刀の内一本による一閃でこの乱入者の出方を伺おうとし…… 「ふっ」 振りかぶった腕に急に痛みが走り、繰り出すはずだった斬撃が不発に終わる。何とか刀を取り落とさずに済んだのは積み重ねてきた経験の為せる業か。 一拍遅れて槍による突きを喰らわせられたのだと理解した。 (見えなかった……この我をしても……) 斬撃の出を潰された。しかしこれ自体は何ら不思議ではない。振りかぶって円運動で対象を切断する刀の斬撃より、槍による点の突きの方が動作が小さい分速いのは当たり前だ。速度で勝られたのだとしてもそれが勝敗を分かつとは限らない。 ザンメツモンは油断なく右の二本による同時攻撃を行う。如何に神速の突きだろうと同時に迫りくる刃には対処できまい。 「…………」 横から迫る刃をレーベモンは槍を回転させることで下からすくい上げる。進行方向とは別の方向から力を加えられた斬撃は標的を捉えることなく空を切った。 この程度はザンメツモンも想定通り。本命は左の二撃だ。かち上げた槍では対処は間に合わない。 しかしそんな予想とは裏腹に、槍の回転はそのまま留まることを知らず、かち上げられた右腕が回転の勢いに巻き込まれる。 槍の刃先にからめとられた右の二本の剣は円の軌跡に巻き込まれ、やがて上へ向かう動きから下へ向かう動きへと強制的に変化させられる。その動きは迫りくる左の斬撃をも絡め取り、斬撃の軌跡を強制的に下に向けさせる。気づけば四本の刀は揃って地面へとその刃先を食い込ませ、標的には傷一つなかった。 「なにぃ!?」 5本の刃を持つ剣士は驚愕し、思わず後退りする。まさか槍一本で自分の四連撃を無傷でくぐり抜けるとは思わなかった。闇の闘士は今見せた卓越した技に特に何の感慨もなく歩みを進め、ゆっくりと間合いを詰める。 「ぬぅ!!『伍連断霊斬』!!!」 出し惜しみしてはこちらがやられかねない。ザンメツモンは五本の刀による絶え間ない連撃で敵の歩みを止めようと試みる。 怒濤のような斬撃の連続が、一歩踏み込むだけで命を刈り取る致死領域を生み出す。しかし槍を携えた戦士は怯むことなく歩みを進める。 文華にとっては人生の半分も身を置き続けている領域だ。今更怖気づくようなものではない。 迫りくる刃が槍によって次々と払われ、いなされ、叩き落される。 ザンメツモンの生み出す領域が満ち潮に侵食される砂浜のように徐々に侵されていく。 両者の間合いが一歩一歩と縮まっていった。 (何だ、この違和感は……) 闇の闘士に対峙するザンメツモンが不気味な感覚に冷や汗を流す。 この槍には本来術理にあるべき『流れ』というものがない。 槍を振るわれた時に生じる一連の動きが連続していない。剣を払えば少なからず勢いが生じた槍は、大小あれど力の流れに任せて余分な動き、あるいは次の動作に生かすための勢いが生まれるはずだ。しかし、この槍は剣を払えばピタリとその場に静止し、すぐに次の動作に転じる。円の動きで刃を絡めたかと思えば、すぐさま線の動きに転じて突きが繰り出される。 剣を通じて伝わってくる衝撃にしてもそうだ。かの槍が我が剣を止めるには予備動作があまりに小さすぎる。彼我の体格差と腕力を思えば刃先が触れた程度で斬撃が止められるはずがない。だというのに現実は軽く当てられた程度の刃先が強烈な衝撃を発し、剛腕から繰り出される斬撃を悉く食い止めている。 ザンメツモンは知らない。闇のスピリットを極めた先には物理法則すら捻じ曲げる力があることを。この女が10年の経験で技術によってそれを再現したことを。彼女の槍は物理法則という枷から解き放たれたまさに魔槍と呼ぶにふさわしいものだった。 両者の距離が手を伸ばせば届きそうな距離まで近づく。 「おのれぇ!舐めるな!!『伍重螺旋断』!!!!」 五本の刀が同時に全方位から迫る。退避不能。迎撃不可能。如何に槍の技量に優れようとこの必殺の奥義から逃れる術はない。はずだった。 『エントリヒ・メテオール』 「ぐおおおおっ!!」 レーベモンの胸の獅子が輝き、黄金のエネルギー波が至近距離から放たれた。 斬撃の体勢に移っていたザンメツモンは回避動作を試みることすらできず直撃を受ける。 巨体が吹き飛ばされる。間近で放たれた下腹部の口からエネルギー波が侵入し、体内を焼いた。 地面を転がり身体を横たえたザンメツモンが苛立ち混じりに地面を殴りつけ立ち上がる。 技量で上回られるのはまだいい。自分の未熟と納得することができる。しかしこのような不意打ち同然の攻撃で傷を負うのは武人である彼には我慢ならなかった。 「ぐぅ!貴様!なぜ槍で打ち破りにこなかった!?このような小癪な手など使いおって、我が秘剣に恐れおののいたか!?」 「別に斬り合いに付き合ってたわけじゃない。近づきたかっただけよ」 文華からすれば技の競い合いなど興味はない。ただ刀で斬りかかられてきたから対処し、最も効果的な距離から攻撃を仕掛けたかっただけだ。 しかしその言葉が剣士の頭に血を登らせた。 これまで無数のデジモンと斬り合い、己の技を磨いてきたこの剣が、視界の端を飛び回る羽虫同然の扱いを受けたことが我慢ならなかった。 「貴様ぁ!!ふざけるな!!」 痛みを無視して四肢を強引に動かし、魔槍の持ち主に斬りかかる。 その瞬間、ザンメツモンの視界が半分になった。何が起きたか分からず、突然の顔面の痛みにやっと槍の一撃が眼球を穿ったのだと理解した。 せめて倒れぬようにと前足を踏みしめる。しかしその膝が突如爆散した。またもや槍の一撃を受けたと気づいたときには人型の胴体を魔槍の戦士に無防備に晒していた。 「ぐうううぅおおおおぉぉぉぉ!!」 続いて4本の腕が穿たれる。肩口から弾け胴体から別たれた。苦し紛れに振られた尻尾の剣が突き抜かれ、明後日の方向に飛んで行った。 勝てない。自分がこちらの世界に来るにはまだ未熟すぎた。そう気づいたときには既にザンメツモンに打つ手は残されていなかった。 自らの消滅という現実を受け入れられないザンメツモンが思わず口を開く。 「ま、待て!我の負けだ!だから――」 『エーヴィッヒ・シュラーフ』 プライドを投げ捨てた命乞いも時すでに遅く、放たれた全力の一突きがデジコアを爆砕する。 人間の世界に挑んだ五刀の剣士の肉体が崩壊し、跡にはデジタマのみが残されていた。 そのデジタマも光に包まれ、どこかへと飛び去る。夜の街に平穏が戻った。 黒き獅子の戦士は何事もなかったかのように茫然とその光景を見ていた白銀の狼の戦士に向きなおる。 「大丈夫?」(どうよ私の戦い!ピンチの時に助けにきた強くてミステリアスな先輩!これは決まったわ!) 努めてクールを装いつつ、自分に向けられる賞賛を期待する。しかし彼女の予想と反してヴォルフモンが向けていたのは、今しがた消滅したデジモンへの哀れみと、自分に向けられた若干の怒りだった。 (……あれ、何か怒ってる?) 「……まんず助けてくれであんがと。でもちょっとやりすぎでねが?あいづもう負け認めて戦う気ながったみだいだど。別にひとを傷づけでだわけでもねぇ。あすこまでやる必要なかっだでねが?」 「……暴れているデジモンはデジタマに戻すしかない。それしかデジモンをデジタルワールドに帰す手段はない」 「んなことね。おれならゲート開いてあっちの世界さ送りがえすごどできっだ。負けを認めたあいづならきっと話さ聞いてくれただ」 (……え?暴れてるデジモンの対処ってデジタマに戻してはじまりの街に飛ばすんじゃないの?私10年間やり方間違えてた?でもゲートなんて開けないし……) 気まずい沈黙が流れる。遠くから響いていたサイレンはとうに止んでいた。 「……まあいいわ。もっと強くなりなさい。未熟な後輩くん」 文華は話は終わりとばかりに踵を返すと(実際はいたたまれなくなっただけだが)この場を去る。 闇夜に消えた謎のデジモンに、平介はただ茫然と虚空を見つめるしかなかった。 ―――――――――――――――― 「う゛あああぁぁせっかく決め台詞考えてたのにぃぃぃぃい!全然決まってなぁぁぁぁぁい!!」 人気のない路地裏で人間の姿に戻った文華は顔を覆って悶えていた。 せっかく後輩にいいところを見せてあわよくばミステリアスな頼れる先輩としてのイメージを植え付けようとしたのに、実際は己の無知を指摘されいたたまれなくなって逃げ出した変な人としか思われてないことは容易に想像がついた。せめてもとこんな時のためにずっと考えていた台詞を言ってみたが、あの状況では全くかっこよくない。 普段あまり襲われない(指摘されない限り気づかない)羞恥心に悶えた文華はこうして頭を抱えるのだった。 「デジモンが現れたら多分また会っちゃうよねあの人……どうしよう……もう任せちゃってもいいかな……?元々地元でデジモンに対処できるの私しかいなかったから渋々やってただけだし……」 「そこのあなた」 突然かけられた声にひゃいと素っ頓狂な声を上げて飛びあがる。恐る恐る振り返ると、そこには自分と同じくらいの年頃の少女がいた。 勝気そうでありながら気品ある佇まい。あまり広くない自分の人間関係のなかでこれまで出会ったことのないタイプの人間だ。 「何かしら?」 今の醜態を見られていたであろうことなど考えずにクールの皮を被る。 そもそもこんな時間に女の子が一人でこんなところにいる時点で何かあることには流石の文華も気づいていた。相手のペースに乗せられないよう努めていつも通りの振舞いを心がける。 「そう警戒しなくていいですわよ橘樹文華さん。私は千年桜織姫。あなたと同じ闇のスピリットの使い手ですわ。少しお話をしたいと思いまして」 「そう」(えぇー何で名前まで知ってるの!?初対面だよね?) 突然の得体のしれない相手に警戒を強める。いざとなったら進化して一戦交える腹積もりだった。 そんな文華の心の内を知ってか知らずか、織姫と名乗った少女が言葉を続ける。 「失礼ながら先ほどの戦い、拝見させていただきました。登場の仕方としては及第点でしたが、そこはひとしきり様子を見た後立ち去るべきだったのでは橘の名を冠するものとして」 「……別に。未熟な後輩を見捨てておけなかっただけよ」(何言ってるのこの人……?) 「まあそれは冗談として……私先ほどのヴォルフモンとお知り合いでして。よろしければ彼に口添えして差し上げますわよ」 「えっ、ホント?……じゃなくて、なんであなたがそんなことを?」 「ただあなたとお近づきになりたいだけですわ。以前洋食屋で見せたあなたの行動、あれは私的に満点でした」 洋食屋と聞いてようやく思い出した。以前織姫たちに注文ミスで出されたスパゲティを代わりに食べたことがあった。 結局あの時は互いの名前も聞かずに別れたが、相手からは覚えられていたようだ。 (あー、あの時の!あの時はちょっと死にそうなほどお腹空いてたし、非常識と思っても捨てられるのも勿体なかったし……というかあれが何の琴線に触れたのよ!?) 「どうかしら?同じ闇のスピリットの使い手同士、仲良くしましょう?」 「……好きにすれば?」(え、これ所謂友達ってやつ?うーんいやでもなぁ……?) あれこれ考えているうちにいつの間にか織姫の連絡先がスマホに送られていた。何でこんなことまで調べられているんだと少し恐怖を感じつつも、ひとまずこちらと敵対する意思はなさそうというのは感じ取れた。 「それでは、またいずれ。今度おすすめの特撮を一緒に鑑賞しましょう?ごきげんよう」 「ええ、はい。また……」(特撮……?) 手を振ってその場を立ち去る織姫を見送る。今日はなんだか疲れた。早く帰って寝たいと思う文華だった。 ―――――――――――――――― (あいづ、助けてやっことさでぎんがった……) 翌日、平介は心ここにあらずといった様子で授業に赴いていた。 今朝スマホに送られた織姫からのメッセージによれば、あのデジモンは悪いやつではないからこれからも仲良くしてやってくれとのことだという(なんで知っているのかと聞いたらどこかから見ていたらしい。正直手伝って欲しかった) とはいえあそこまで苛烈にデジモンを追い詰めるようなのと仲良くできるのだろうか?また会ったらどうしようと、昨日からそんなことばかり考えていた。 ふと時計を見ると授業まであと数分。頭を振ると昨日のことはひとまず置いて授業の準備しようと鞄を開く。ノートと筆記用具を取り出したところで、今日の授業で使う資料を準備し忘れていたことに気づいた。 (うごっ!どうすっぺ!?今から取りに戻ったら授業さ遅れちまうし……) ふと、席の隣に座る女学生の姿を見る。気軽に話せる友人の少ない彼ではあるが、ちょうどいい機会と、勇気を出して資料を見せてもらうよう声を掛けようと決心する。願わくばそこから友達にでもなれたらいいなと思うのは高望みだろうか。ともかく彼にとってこの一歩は、人類が月に到達した最初の一歩くらい偉大なものになるだろうと感じていた。 平介はなるべく自分の癖である方言を抑えるつもりで隣に座る銀髪に眼鏡の女学生に声を掛けた。 「……あんのぉすんません。資料忘れたんで、見せてもろてもいいどすけ?」 「ええ、構いません、よぉ!?」 突然話しかけてきた男子生徒の顔を見た途端、勢いよく顔を背けた女生徒、文華は目の前の男子が昨日のヴォルフモンだったことに気づいた。 (なんでこいつがここにいるのよ!?同じ大学だったの!?ひょっとして昨日のが私だって気づいた!?) 「ん?おめ、どっかで会ったことながったが……?」 じぃーと顔を覗き込んでくる。昨日は確か自分の正体は見せてなかったはずだが、織姫がどこまで自分のことを話したか分からない。 文華はなるべく冷静を装いつつも、内心では自分の正体がバレてやしないかと滝のような冷や汗を流していた。 「あの、何か……」(ああもうそんなにじろじろ見ないでよ恥ずかしい!) 「……あっ、おめこの前の洋食屋で会った人でねが?」 「……何のことかしら?」(そっちかー!そっちも覚えられてたかー!そりゃそうよね横からスパゲティ横取りする女だもんそりゃ覚えてるよねぇ!) しらばっくれる文華に首を傾げる平介。これ以上追及されてはまずいと鞄から授業の資料を出すと平介の横に並べた。 「それより資料を忘れたのよね。どうぞ」 「あんがとうごぜえます。おれまだパソコンさ慣れでなぐで……準備すっのもわかんねごとだらけだ」 「そうなの……」(履修登録とかどうやったのよ……) 「……あんのこれ、前回のやつじゃなか?」 「え!?うそ!?」 平介の手から資料を取り上げると確かに前回やった範囲のものだった。そこで昨日資料の準備を忘れてそのまま寝てしまったことを思い出す。 今からでも用意をといったところで丁度教授が教室に入ってきてしまった。 「授業始めるぞ。どうせ資料忘れたやついるんだろう?先着5名だ」 教授の助け舟におずおずと並んで資料を受け取る二人。結局二人とも、その日の授業の内容は頭に入らなかった。