泣き虫狼4話  人の第一印象っていうのはどごで決まるのが。まなぐ、鼻、口、身長や体格は影響があるみだえだ。そすて、髪型ってゆのも大ぎな要素だど思う。  長え友ど書くだでに、生ぎでいる限りは伸び続けるのが髪の毛で、手入れねどいげね。髪さ薄くなるごどを揶揄する不届き者もいるげんども、それだけ見た目さ大ぎな影響があるってごどだ。  でもその髪さ狙って襲ってくるやづがいだらどうだべ。ハサミ構えで、後ろがらざっくり。残るのは無残さ切り取られだ髪型だげ。  おれだったらほだな目にあった日にはおっかなぐで家さ出られねぐなっちまうな。  さで、今回はほだな風さ髪欲すくて欲すくてたまらねデジモンの話だ。言っとぐげんどもおれはちゃんとばさまに切ってもらってるんだず。  ***  深夜の住宅街を一人のサラリーマンが歩いている。随分飲んだ様子で、時折よろめきながらも家路を急ぐ。歳は40代かそこら。きれいに整髪料でセットされていただろう髪もぼさぼさになっている。  どこにでもいるような中年男性である。  夜遅くではあるが、女子供でもなく、金があるようにも見えない。まさか自分が狙われているなどとは思いもよらない無防備な姿だ。    しかし理不尽は唐突に訪れるものだ。  暗がりを渡るように、静かに男性に影が迫る。  街灯と街灯の切れ間、暗闇が一番濃くなる領域に男性が入り込んだ瞬間に”それ”はうごく。  音もなく男性の背後に忍び寄り、その髪をガシリとつかみ上げる。突然髪をつかまれた男性は驚きに抵抗すらおぼつかない。影が笑い、男性にむけて幾度となく拳を振るう。  痛みと恐怖に男性が身動きを止めたところで、影はキレイに研がれたハサミを取り出す。じゃぎじゃぎと男性の髪を刈り取っていく。そして下卑た笑い声を1つ打ち、影は再び夜に溶けるように消えていく。  男性は痛みと恐怖に気を失い、朝方に近所の人に見つかるまでそのままだったという。  ***    千本桜織姫は魔戒法師に連なる家の出である。対怪異の専門家、といえば魔戒騎士であろうが、魔界法師は解呪から追跡、結界と柔軟かつ多様な術の行使についてはむしろ優れた能力を持つことも多い。  ゆえに時折、警察では対処しきれない依頼を受けることもある。    机の上には髪を残バラに切られた人たちの写真が並べられている。それらをまとめた報告書には、いかなる状況でこのような凶行がなされたのかが事細かく記載され、そのどれもが生々しい被害を伝えている。    この髪を狙う変質者は、ほとんど無差別に人を襲う。日が落ちた後の暗がりに潜み、狙った人間に忍び寄る。そして背後から頭をつかみ、暴力で動きを止めてから無理やりに髪を切り取っていく。はっきりいって外道の手口だ。  毛髪を狙うなどと、字だけで見れば笑い話だが、年若い女性であればそれこそ人生を左右しかねない問題だ。織姫とて、もしも横一文字に髪をばっさりとやられた日には、怒髪天を衝き下手人を怨念渦巻く闇に呑ませてしまうだろう。それほどの大ごとだ。  ましてや過剰な暴力にさらされるとあれば、夜道がトラウマになる人も出てくるのが当然ということになる。    無残に切り取られ、整えようにも整えられない乱暴な切り口。写真には年若い女性の無残な髪型が映っている。  切り取られた髪は何に使われるのかはわからない。ただ現場からは一房たりとも見つかったことはない。    通り魔の傷害事件である。警察は全力で捜査を続けている。普通に考えるならば昨今の防犯カメラの普及率からして、すぐに捕まるはずだった。しかし足取りは掴めず、被害は増すばかり。誰もいないはずの暗がりから、一切気づかれることなく襲いかかる。これほどの被害者がいるにもかかわらず、誰一人として犯人の姿を見ていないのだ。防犯カメラにすら、身を守ろうと身を縮める被害者以外が映っていない。つまり、尋常な相手ではないのだ。  ゆえに怪異。警察のプライドと放り投げてでも解決をと、織姫へと持ち込まれたのも無理はない話である。    ***  夜の街を可憐な少女が跳ねていく。ふんわりとした見た目にそぐわぬ超人的な身体能力で、夜の街を文字通り跳び回る。  これまでの事件の総括として、狙われやすいのは定石通り、人通りの少ない路地、単独での行動で、周囲への警戒心が薄い人間。概ね犯罪の起こりやすい条件に一致する。  すでに近隣には注意の回覧が回されているため、よほど迂闊な人でなければこのような深夜に、何の警戒もなく出歩く者はいない。  しかし迂闊なものはどこにでもいるものである。    若い男性がふらふらと出歩いている。スウェット姿でビニール袋を提げており、どうやら近所のコンビニに買い出しをしていたらしい。警戒心どころかまともな知性もなさそうにスマートフォンを見ながら歩いている。最近は回覧板の存在すら知らない人間も多いと聞く。つまり、彼はこの街に巣食う何かを全く知らないか、他人事だと思っているのだろう。  だが織姫からすれば好都合。なにせ街中を見渡しても出歩いているのは彼一人。つまり、謎の影が人を襲うならば、少なくとも今狙えるのは彼だけということ。彼を張って入れば犯人が来る。  電信柱を飛び石のように、重力を感じさせない軽やかなジャンプを繰り返していく。上からであれば青年に近づく不埒な輩を見つけるのも容易いはずだ。  愚劣な怪異など織姫にとっては吹けば飛ぶ塵のようなものである。鋼の両足がエクストリームに振るわれれば、大概の怪異は霧散するのだから。  懸念としては、犯人が現れる前に、このうかつな青年が家にたどり着いてしまわないかということだけ。流石に犯人が見つからなければ振るわれるべき技どころではない。人探しの魔導具も万能ではない以上、手がかりのない状況では足で情報を稼ぐ以外ない。  夜更かしは苦ではないが、あまり続けると叱られてしまう。だから、できれば心配をかける前に終わらせてしまいたいと織姫は思っていた。  スマホ片手にのたのと歩く青年。織姫が彼を発見してから時間にしてたかだか2分。突如として街灯が1つ光をなくす。いかにも寿命で切れましたと言わんばかりのちかちかとした点滅を見せてはいたが、織姫の目はごまかせない。    電灯の後ろに、黒い影が滑り込んだ。幾重にも重なった暗闇に溶け込むような影。滑らかな動きは物音ひとつ立てることなく、するりと青年に近づいていく。  影渡。極めて高度な隠形だ。見物だけで済むのならば拍手の1つでもやりたいところだが、それが卑劣な連続髪切り犯の技能となれば話は別だ。本気で逃げに回られると厄介かもしれない。  影が青年へ追いつき、今にも襲い掛かろうとするその瞬間、織姫が電信柱を蹴る。飛び降りる勢いそのままに影を強襲する。  誰しも獲物を狙う瞬間が一番無防備になるものだ。重力に回転を加えたソバットが影に直撃し、鋼の義足による衝撃が影を吹き飛ばす。  意識の外からの一撃である。軽く見積もっても衝撃はトラックが衝撃した時のそれ。民家の塀に激突し、ずるりと影が崩れる。  だがそれでも影は、ゆらりと立ち上がった。人ではないもの、その不条理がそこにはある。 「何者か、と聞くべきなのでしょうけれど、わたくしはあなたに興味はありません。すみやかに、死んでいただけますか?」  暗がりに低く構える影は織姫を警戒し、踏み込んでくる気配はない。手ごたえからして大した相手ではない。油断することはないが、過剰に評価する必要もないと織姫は判断した。 「キレイナ、髪だなぁ……。お前のも、欲しいなぁ……。」    織姫の美しい眉が顰められる。  外道に褒められたところでかけらもうれしくはない。触れられるどころか視界に入っていることすら許せるものではない。    目を眇め、意識を少しだけ戦いへと移す。可憐な見た目に反した、獰猛なまでの戦意が噴き出す。  影は瞬時に構えをといて織姫から距離を取る。禍々しさすら伴う織姫の気配がそうさせた。──だが、その程度の距離で安全だと思っているのだろうか。織姫からすれば一足一刀の間合いだ。  随分舐められたものである。  だが、踏み込もうという寸前に影が何かを投げる。織姫にではなく、不穏な空気にへたり込んでしまった青年へと。とっさに右足で叩き落したそれは、よく研がれたハサミだ。きぃんとハサミが地面に数度跳ねて、高い音が繰り返す。戦いの最中に敵から意識を外すことはない。それでもわずかに意識が逸れた。獰猛な戦意よりも守るべき命、その隙を突かれた。  絶妙過ぎるタイミングが織姫の警戒をも上回り、影が姿を消す。 「ヒヒッ、俺を捕まえられるものかよ。あともう少しなんだ、止められてたまるもんかよ。」  その言葉を最後に気配は完全に消える。  手段を問わぬのであれば、いかに高度な隠形であってもやりようはある。だが、それをして残るのは廃墟だけだ。人を守るべき守護者が破壊を振りまくことは許されない。それはヒーローの行いではない。    だが、次の被害者を出すわけにもいかない。全く戦うことなく弱者だけを狙うプライドの無さ。本質的に強者である織姫にとっては理解し難いが、他の人間を狙われたときに討伐と守護の両立は難しい。    この手の輩を相手するのならば、手を増やすことが大事だ。    織姫には戦力としても、人としても頼れることのできる相手は多い。だが、このような外道退治に巻き込みたくはない。  また、影の逃げ足の速さからしても何度かの追跡が必要となる可能性が高い。そこまで考えたところで思い浮かぶ名前があった。  逆井平介。今年上京してきたばかりだという、今一つあか抜けない、ひよっとした雰囲気の青年。  知り合ったばかりだが、騙されやすく流されやすい性格であることはつかんでいる。何より彼も織姫と同じく守りし者である。獰猛なる狼を身に纏う光の闘士だ。 「怪異狩りということでしたら、鼻の利く狼はおあつらえ向きかもしれませんね。」    ***    ふんふんとご機嫌に鼻歌を鳴らしながら、平介は冷蔵庫からきれいに梱包された箱を取り出す。ここには駅の地下にある商店で買ってきたおしゃれなケーキが入っている。  平介は都会に出てきてなお、都会への過剰な憧れが消えないタイプだった。だから少しでもおしゃれだとか、今流行りの、などという宣伝文句に釣られてしまう。  季節の果実がふんだんに使われたおしゃれなケーキ、などという宣伝を真に受けて行列に並び、ほくほく顔で買ってきたのがこのケーキというわけである。  店員さんによれば、いんすた映え?もバッチリな逸品である。断り切れずに付けられたろうそくも、逆にいい雰囲気を作ってくれそうだ。  今日はこのおしゃれなケーキをデザートとして、ゆっくりと休日の夕暮れを楽しむのだ。嬉しさのあまり、箱を抱えて無駄にくるくる回ってみたりする。   「いんすた映えだなぁ。」  良く意味も知らずにテレビの受け売りが口から溢れる。普段であれば応える者はなく、ただ消えていくはずだった。しかしなぜか応えるものがいる。   「あら? インスタをされているとは意外ですのね。IDはなんと?」 「ん?あいでぃー? 何のはなし……ってええ!!」    あまりに自然に話しかけられたものだから、気にせず受け答えしてしまっていたが、ここは平介の自宅である。一人暮らしの平介に話しかけてくる人がいるわけがない。  すわUFOかお化けか幽霊か! 反射的に声の元から距離を取るべく飛びずさってしまった平介であったが、何のことはない。目の前にいるのは人間であり、さらに言うなら知り合いでもあった。 「え…? 千本桜さん? なんで、うちにいるの? え? なんで?」 「ごきげんよう、逆井さん。お邪魔していますね。」 「いや、えっと、はい、お構いなぐ……? いや、ここはおれの家だし!どごがら入ったのさ?!」    がら空きの窓に思い立ることなく、大げさな身振りで困惑を表現する平介だが、つと織姫は平介の胸元を指さす。   「それよりよろしいのですか……? せっかくのケーキが崩れてしまいますよ?」  その言葉に慌てて箱を確認する平介。箱を机に置き、恐る恐る開けていく。中身はといえば、急加速と急停止によってシェイクされた、ケーキの無残な姿があった。 「ああぁ……ケーキぃ。」 「あら、これは……。突然に話しかけることになってしまい、申し訳ありません。このようなことになるとは露とも思いませんでしたので……。」 「……いや、おれもさっさと置いでおげばよいっけ話だ。それに、落ぢだわげでもねぇがら、食うぶんに支障はねす……。」  意気消沈しているのは明らかだが、それでも織姫がここにいる違和感を忘れたわけではないらしい。 「それで、なすて千本桜さんがおれの部屋さいる? 言っとぐげんども、もう使いぱしりは御免だぞ。」    明らかな警戒姿勢を取られてしまっている。フルフルと言いくるめられまいと必死な表情だ。ちょっと便利に使いすぎたかもしれない。だが、こんな面白い反応をされるのではつい突きたくなるではないか。 「ええ、その節はありがとう御座いました。ですが、今日お邪魔させていただいたのは、逆井さんにお願いがあってのことです。」  なぜ、突然平介の元を訪れたのか。その理由を丁寧に説明していく。  謎の影による頭髪を狙った通り魔事件。暴力を振るい、人に恐怖を与える怪異。  それは織姫や平介ならいざ知らず、一般市民が抗える存在ではない。もちろん警察官であろうとだ。  噂に聞くデジ対や電脳課ならば話は別であろうが、被害はあくまで個人であり、死者が出ているわけでもない。  いつどのように発生するかもわからないリアライズ事件──街の崩壊すらたやすく引き起こすデジモンの出現──に備える彼らを動かすには規模が小さすぎるのだろう。    鈴を転がすような声が、卑劣な犯行を語る。感情を挟まない淡々とした語り口が逆に生々しく、犯人への怒り、そして被害者の嘆きと悲しみが伝わってくる。 「協力をお願いできますか、逆井平介さん。いえ、──光の闘士、ヴォルフモン。」  平介はじっとうつむいたままだ。返答を急かす真似はしない。借りるに足る力だと、織姫は判断した。そして人を傷つけるものへの戦いを断ることはないだろうことも。   「……もう、被害にあった人がいるんだな。なら、おれも見過ごすわげにはいがね。"千本桜"、おれにも手伝わせてけれ。」  顔を上げた平介の瞳には、織姫の期待通りの光があった。    ***  月が厚い雲に覆い隠され暗闇が境界を広げる深夜、街灯の下で二人が待ち合わせる。  織姫が小型のインカムを平介へと手渡す。 「へぇ、こだなにぢっせえトランスーバーなんてあるんだなぁ。」 「それは魔道具ですよ、逆井さん。電波干渉を受けませんから、いつでも使える優れものです。着信音もなりませんから、うっかり物の刑事さんにもお勧めできる逸品です。」 「? ええと、それでよぐわがらんのだんだげんと、どうやって犯人ば見づげるんだ?」  うっかり早口になってしまった織姫である。しかしどうも、この田舎育ちの青年は、特撮というものをろくに見ていないらしい。教育の必要アリ。心のメモに書き留めつつ、疑問の代わりに質問を返す。   「ところで、男性にしては綺麗な髪をしてますね?」 「ん、地元のばさまが椿油送ってけでな。手入れはちゃんとすれって言われでっからな。」 「いいおばあさんなんですね。それで、逆井さんには街をパトロールしてもらいたくて。ええ、散歩しているつもりでいてもらえればそれで構いません。」  人の髪を狙う怪異が潜む街。そこにしっかり手入れの行き届いた髪の平介がのこのこと歩き回る。いかに鈍くても意図に気が付こうというのものである。 「……それって囮って言わねか?」 「一般人を使うわけにはいかないでしょう? 大丈夫ですよ。逆井さんはどこからどう見ても一般市民ですから。」    ***  周囲をビクビクと伺いながら、平介が恐る恐る街を歩く。恐怖を紛らわすためか平介はひっきりなしにインカムに向けて話しかけている。   「なんで犯人は髪切るんだべがな?」 「犯人の行動に意味を求めても意味のある答えが得られるとは思いません。無駄な考えは思考を狭めるだけかと。」  実際被害のところあった人に一貫性はない。老若男女問わずだ。髪の長さも色もまちまちで、共通するのはそれなり以上に髪が生えているということだけ。  1つの結果から予想を立てるのはただの勘と違いがない。   「うう、おっかねぇ。出でぎだら千本桜もすぐに来てけるんだよな……?」    インカム越しに平介のボヤキが伝わってくる。通信状況は良好、伝わってくる言葉は下の下だ。    織姫は前回のパトロール同様、電信柱を足場に街を飛び回っている。無論、同じ場所にいる意味は一切ないのだから、当然のごとく平介とは離れた場所を受け持つ。  そんなにすぐに駆け付けることはできないだろう。当然のことを情けなく確認してくる平介にため息が出る。 「独り言は感心しませんよ?」 「ずっと千本桜に話してたつもりなんだども!?」    クスクスと鈴の転がるような笑い声が耳に届く。どうにもくすぐったくなる平介である。    「千本桜はいつもこだなふうなごどしてるんだか?」 「ええ。私にはそれだけの力がありますから。力あるものの責務というわけですね。──あなたもそうでしょう、逆井さん。」    織姫は平介の戦う姿を直接見たわけではない。だが、アヤタラモンを前に一歩も引かずに戦い抜いた実力が彼にはある。誰かのために戦うことが出来る人間だ。  だと言うのに、不安げにきょろきょろとあたりを伺う仕草がインカム越しにも伝わってくる。まるで実力あるものとしての振る舞いが感じられない。  あまりのギャップに本当に本人が戦っていたのかと疑問すら湧く。だからつい聞いてしまった。   「逆井さんは、そんなに怯えているというのに、なぜ戦うのですか?」 「ふぇ? 別に怯えてなんて……いるけれども――」  小声となった答えに耳を傾けたその瞬間、インカム越しに暗闇を切り裂くような悲鳴が響く。  平介への指示は必要がない。なぜならすでにインカムからは風を切る音だけが伝わってくる。悲鳴の元へと一切の躊躇なく飛び出していったであろう彼の行動に肩をすくめる。 「答えを聞く必要もなさそうですね。」  そして、インカムの位置情報を頼りに織姫も飛び出していく。  ***  織姫が到着した時にはすでにヴォルフモンとなった平介が女性を庇って影の前に立っている。女性は腰が抜けたのか、立ち上がることもなく震えている。影が怖いか、それともヴォルフモンが怖いか。  織姫は静かに女性に近づき、声をかける。無事の確認と、これから始まる戦いからの避難のためだ。  ヴォルフモンとなった平介は、落ち着いた声色で織姫が女性をなだめる声を聴いている。ならば引き続き目の前の脅威を防ぐこと。そして決して逃さないことに気を付ければいい。    気配感知に全力を傾けたままに、どの程度避難にかかりそうかを確認する。ちらと二人を見た後、次は思わず振り返る。   「え? 生身? どうやって追いづいだの?!」 「いいから前を向いていただけますか? この人は私に任せて、あなたはアレを逃がさないように。いいですね?」  女性からすればヴォルフモンだって怪異と大差はない。迂闊な行動で怖がらせてどうするのかと、ややきつめの口調だ。  叱られてしまったが、確かにその通りである。改めて影に向き直る。暗がりに姿を隠すその影は、逃げるでもなく戦うでもなくそこに佇んでいる。  戦闘にしても追跡にしても、織姫と二人の方が確実である。だから時間稼ぎとして、そして平介の疑問として、影へと問いかける。なぜ人を傷つけるのかと。 「なんで、人の髪の毛さ狙う?」 「ああ? 人の髪を狙う理由だぁ? お前……俺に、 聞いてくれんのか!! 聞いてくれるんだな、俺のことを!! なら聞いてくれよ! 俺は、これを使って人間になるんだ!!」  想像だにしない答えに唖然とする平介。 「人間に……?いや、デジモンが人になんて……。」 「お? お前、デジモンのこと何にも知らねぇんだな。仕方ねぇなあ。教えてやるよ! お前も俺にとって大事な人間になるんだからな。お前、ガブモンって知らねぇか?ガブモン。ガブモンはなぁ、あいつはガルルモンの皮を被ってるんだ。だからガブモンって呼ばれてる。もともとはそんな名前じゃなかったんだ! 何者でもないただのデジモンが、ガルルモンの皮をかぶったからガブモンって名前がつけられたんだ! あいつはガルルモンになりたいからガルルモンの皮をかぶって──そうやってガルルモンになったんだ。わかるだろ!? なら、俺だって人の毛をかぶれば、新しい名前が付くはずなんだ! そうすれば、人間に、新しい俺になれる!」  興奮して捲し立てる影と、勢いに呑まれたままの平介。そこに織姫が戻ってくる。 「あら?でもガブモンは皮なのに、あなたは毛で構わないのかしら?」  ぴたりと言葉が止まる。その空白に、確認を済ませる。   「千本桜。あの人は?」 「安全なところへ連れて行きましたから、もう気にしなくても大丈夫です。それよりも随分とおかしな話をされていますね?」  雲が風にちぎれ、月が覗く。暗がりから、影が輪郭を取り戻していく。平介の目が、織姫の視線が影を捉える。  そこにいたのは、黒く染まった猫耳のタイツ──デジモンスーツを身にまとうデジモン、ベツモンだった。テイルモンを模擬したような白ではなく、墨を流したような黒いベツモンだ。  よくあるデジモンの色違い。二人としてはそれ以上でも以下でもない。むしろ、その全身に貼りつけられた人の毛髪にこそ異常を見る。何人もの人から奪った髪は、黒髪に茶髪、白髪にピンク、緑に紫とバリエーション豊かではある。だが、黒いベツモンに無理やり貼りつけられた髪は、その体に一切調和することなく、まだらでみすぼらしいままにベツモンを飾っている。 「うっ……。」 「ベツモンね。時々厄介ごとを引き起こすデジモンだけど、黒いのは初めてね。」 「違うッ!! 俺はもうベツモンじゃねぇ!! ベツモンのはずがねぇんだ!!」    突如興奮する黒いベツモンに警戒を高めるヴォルフモン。まだ生身のままの織姫を庇える位置へとさりげなくずれる。 「あいつらは! あいつらは俺のことをベツモンだと認めやしない!! ただ俺が黒いってだけで、それだけの違いだけなのに! あいつらと俺に違いなんてただそれだけなのにッ!!」  激高するベツモンの目には二人は映っていない。ただ、自分の記憶に向けて吠え、ガリガリと自分の皮膚を掻きむしる。その度に無理矢理貼り付けた頭髪がはらりと落ちる。  ひとしきり叫んだ後、突然静かになってベツモンがうつむく。そして、ぐるりと顔だけが、織姫に向けられる。 「人間は、いいよなぁ……。でかいのも小さいのも、色がちょっと違ってたってみんな人間なんだもんなぁ。俺はもう嫌なんだ。ベツモンなんだって思うのに、誰にも受け入れられない。もうベツモンをやめてぇんだよ。なのに、この皮が脱げねぇんだ。ベツモンじゃないって言われても、ベツモンを辞めるんだって言っても、ベツモンでいるのを止められない。」  突如として静かな口調で語り始める。躁鬱が激しすぎて口を挟むに挟めない。 「人は皮から毛が生えてるだろ? かつらだってあるもんな。なら、俺のこの姿だって、かつらみたいに髪で覆い隠せば変われるはずなんだ……! そうすりゃガブモンみたいに新しい名前がつく。進化ができる。そうすれば、"愛される"。」  恍惚の表情が浮かぶ。怒り、悲しみ、喜び。くるくると変わる表情の中、視線だけは織姫を捉えて離さない。 「そうだ、俺は愛されてぇんだ。愛されるために、変わるんだ。見ろよ、俺の姿を! もうすこし、あと少しで全身が隠せる! これだけあれば、あとは進化できるんだ! 人間に、なれるんだ!!」  そして絶叫。感極まった叫びが夜にこだまする。 「なんだって、する。俺は人間になるためならなんだってするぜ。そうりゃ、人になれば、その時が俺の誕生日だ。知ってるぜ? 甘いケーキとろうそくで祝ってもらえるんだろ? 生まれた日を祝うんだろ? なら、みんな俺が人になったことを喜んでくれるんだ。あったかい布団で、ぽんぽんって優しく寝付かせてもらえるんだ。そうなんだろ? 人間はそういうものなんだろ!? だからさ、俺も気を使ってやってんだ。皮剥ぐのが早いって思ったけどよ、それじゃ死んじまうもんな。俺を祝ってくれるのに、死んじまったら困るもんなぁ!!」  狂気。ベツモンの視線は一切織姫から、人間からぶれることがない。 「ちょっと身の危険を感じる視線ですね。」 「これでちょっとなの??」    やれやれと、織姫はディースキャナを起動し、口上を高らかに謳いあげる。 「真円を覗きし邪な者…深淵より来たりし我が闇が全てを呑み込み浄化する! スピリット…エボリューション!!」    織姫の魂が、哀れなる怨念の結晶を従え、共鳴する。スピリットエボリューション。影よりなお暗き暗黒が織姫を包み、呪われし闇の闘士──ダスクモンへと進化する。  生ある全てへの呪詛が、深きものの邪気が見るものを竦ませる。ヴォルフモンでさえも息を飲む強き力。    しかし、それを見て黒いベツモンは狂喜乱舞する。 「そうだ! そうなんだ! 人間だってデジモンに成れるんだ!! ああ、俺は何も間違ってなかった! 人がデジモンに成れるんだから、俺だって人間になれる! そうだろ? 俺は正しかった! なんだ?! 後は何がいるんだ?? そうか、お前も人間なんだろ? 俺もお前にならせてくれよ!! 俺を、祝ってくれよ!! ああ、もっと、毛がいるな……。いや、もっといるのかな? あんな道具、俺にはないもんな。ならもっと人の、本体がいるのかな……? もっと深いデータが、いるな?」  本来のベツモンはありとあらゆるデジモンに成りすます力を持つ。しかしこの黒いベツモンはデジモンではなく暗がりに成りすます。  焦点をずらすかのように輪郭がボヤけ、闇に溶け込む。  ベツモンにとって夜は味方だ。何者にも成れない自分を覆い隠し、人になるための材料集めだってたやすくなる。  目の前の二人と戦う必要はない。どうせ自分はすぐに人間になる。ならばそれを守ろうという二人は自分の味方になるのだ。これほど頼もしいことはない。  もう、ベツモンには輝かしい未来しか見えていない。   「おあいにくですけれど、あなたを祝う人などありはしません。」  突如なげつけられた、その信じ難い一言にベツモンの足が止まる。  許せるものではない。ベツモンの夢を、希望を否定する権利は誰にもないはずなのだから。    すでに完全に影へと溶け込んだ自分を見つける手段などない。自らの能力が破られることはあり得ない。なら先にすべきは、その発言を訂正させること。いっそ、元の姿に戻ったところで髪を刈り取ったっていい。それがいい。そうしよう。相手が警戒を緩めるまで、ひたすらに付け狙ってやろう。そうベツモンは決めてしまった。  ベツモンは夜を味方だと信じる。──それは、本当だろうか。  夜は確かにベツモンに力を与えた。陰に潜み、影を渡る力にとって、夜はこの上ない味方だろう。    だが、はるけき古えより、夜は獣の領域でもあるのだ。  獣の眼光は闇を見通す。その匂いを捕捉し、わずかなみじろぎさえ聞き漏らさない。獣にとって夜は敵でも味方でもなく、ただの現象に過ぎない。ただ獲物の動きが変わるだけの話だ。  ヴォルフモンが2振りの光剣を突き出すように構える。ヴォルフモンの目にはすでに振るうべき軌跡が見えている。力強い踏み込みで加速する先には、影に沈むベツモンの驚愕した顔が見えている。  二振りの光剣が残光となり街を照らす。刹那の4連撃がベツモンの両手両足を痛打し、たまらず姿を表して逃げ出そうとする。  それは脅威を前に逃げるため力だ。  それは獲物に牙を振るう獣の力だ。    影を飛び出し民家に入り込もうとするベツモンの首根っこを掴み、全力で上空へと投げ飛ばす。    その先に待つは、闇より最も深き黒──呪われし闘士 ダスクモン! 「ご苦労様です、ヴォルフモン。さあ、ここからがハイライトです。」  光すら飲み込む二振りの妖刀”ブルートエボルツィオン”が、真なる闇を描き出す。振るわれるは狂気に落ちし黒きベツモン。  十文字に刻まれた剣閃が、ベツモンを4分割する。  地に叩き落され、最後に何か言おうとした言葉すら、ダスクモンの闇が飲み込んでいく。  後には無惨に切り取られた髪の束だけが残る。  ***  いく束もの髪を丁寧に拾い、証拠として保存するための容器へと入れていく。  その隣にヴォルフモンが降り立つ。その視線は、最後にベツモンがいた場所を見つめている。  傷ひとつなく、ベツモン討伐に協力を果たしてくれたヴォルフモン。しかし、戦う前に比べてただ一つだけ、違いがある。   「──なぜ、泣いているのですか?」  狼を模った頭部から、とめどなく涙が流れている。涙を拭くことなく、ただ流れるに任せている。   「あいつは、自分ばどう受げ入れでければいいのかが、わがらねがったんだべな。誰がらも疎まれで、誰さも成れずにいだんだべな。どうにもならねぐって、どうにもならねぐって、こごさ来だんだ。髪の色なんて気にすね人間見で、どれだげ救われだんだげな。ただ一人だったあいづが、受げ入れでもらえるがもすれねって、希望見だんだべな。人さ、仲間さ混じぇでもらえるがもって、そう思ったんだろな。おれはその気持ぢさ、ちょっとはわがる。こだな話し方だがら、もっときれいに話しぇっこんだらって思ってる。もし受げ入れでもらえねがもって、ずっとおっかなぐ思ってる……。受げ入れでもらえねって悲すさも、それがおっかねって気持ぢも、おれどひとづも変わりなんてねんだ!」  光が振りまかれてヴォルフモンが、ただの平介に戻る。涙はより鮮明に、平介の頬を濡らす。   「それでも、あいつは人ば傷づげでまで自分の願いさ叶えんべどした。それは許されるごどではねす、決すて誰がらも祝われるごどはね。……んだげんと、せめでおれぐらいは、泣いでやってもいいべ?」  ジッと織姫が平介を見る。織姫からすればベツモンの言葉はただの戯言だ。聞くに値しない。   「私は同情はしません。」  思うことをそのまま言う。平介が頷く。彼だってそれは重々承知の上なのだ。それでも、哀れなるものの、その理由に気持ちを重ねる。たとえ自ら傷つくことになろうとも。 「……泣き虫の狼なんて聞いたことありませんよ、逆井さん。」 「情げなぐってすまねぇな。でも──」    人差し指で平介の口元を抑える。 「でも、あなたはそれでいいのかもしれませんね。……今日はありがとうございました。お礼はまた後日とさせていただきますね。それでは、ご機嫌よう。」  そういうと織姫は歩き出す。振り返りはしない。きっと平介はまだ、動かないだろうから。    ***  光のさす部屋の中で、平介は膝を抱えて床に転がっている。  何かになりたいと思うこと。平介にとっては他人事ではない。人に好かれるようになりたい。友達に囲まれて、誰かを信じて信じられたい。祖父や両親のように、強く優しい人になりたい。  そうなりたいと思ってこの街に来た。それでも、自分はまだ何も変われていないと思うから、あの黒いベツモンの姿を鏡のように感じるのだ。一つボタンを掛け違えればそうなったかもしれない自分。  それでも、その願いが人を傷つけるのであれば、いつだって立ち向かわなければならない。    ぼんやりと天井を眺める。自分にできることがあっただろうか。ただ、そんなできもしないことを考えている。なにもできなかった自分に落ち込んでいる。  そこにインターホンが鳴る。宅配便でーすとの声。 「ン、なんか届ぐ予定なんてあったげな……?」  受け取ってみればそれは発送元の書かれていない段ボール箱。誰から送られてきたものなのだろうか。なぜか冷蔵だ。  とりあえず中身がなんであるかを確認して、冷蔵庫にしまおう。そう考えて箱を開けると、中には緩衝材に包まれたもう一つの箱。なにやら見覚えがある。  これは、先日崩してしまったおしゃれなケーキの箱だ。中を見るとケーキがきれいに並んでいる。これは、もしかしてと段ボールの中を調べる。と、ケーキの他にメッセージカードが見つかる。  ”先日のお礼をお送りします。これでしたらインスタに上げられるのではないかと思います。”  ”p.s. あなたに必要なものを同梱いたしました。次に会う時までに目を通しておくように。”  ケーキの箱の下にはなにやら別のケースが詰められている。タイトルは……仮面ライダークウガとある。なぜ特撮のビデオを送ってきたのかはよくわからないが、もしかしたら、おれを元気づけようと気を使ってくれたのかもしれない。  ただ──   「うぢ、ビデオなんて持っでいねんだげどなぁ……。」  せっかくの好意をむげにはしたくない。それに、そろそろ家電を用意するのもいい頃だ。    電気屋に行ってみるとしよう。せっかくだからインスタというのも買ってみよう。  お店で盛大に恥をかく未来も知らず、いそいそと楽し気に着替える平介であった。  終わり。