【ネオサイタマ、ある工業地帯跡地のハイウェイ:レッドキャデラック、バーストホイール】 ウシミツ・アワー。静まり返ったゴーストタウンの上にかかる地上数十階建ての高さの高架ハイウェイ。以前この一帯は重工業系メガコーポ各社の下請けを担う一大工業区画だったが、 ある日、非オムラ企業の下請け率がコンマ数パーセント上回った事から、突発的にオムラが断行した新製品の評価試験と火力プロモーションを兼ねた重爆撃の的にされ、広大な区画は一夜にして廃墟と化した。 (この一件によりオムラの生産率と株価は大きな打撃を受け、プロモーションが弱かったとして一部役員をはじめ数十名の社員が責任を取らされセプクした) かつては高速道路網への搬入搬出経路として重機やトレーラーが行き来したハイウェイも半ばで崩落。そのまま手つかずで放置され封鎖されたそれは、さながら巨人の骸めいた影を下の廃墟に落とす。 だがその夜、死んだハイウェイにはいつぶりかの騒音と灯りが灯っていた。所々に痛ましい爆撃の跡を残し、ひび割れから雑草が芽吹く荒れたアスファルトの上、「ムチウチ」とショドーされた旗を掲げる暴走クランの 無数のバイクのライトに囲まれ、ひときわ大きくエンジン音を唸らせる二台のマシンが並ぶ。赤橙のファイアパターンを塗装を施された黒い改造大型バイクと、血の如き深紅に輝く厳めしい旧世紀キャデラック。 「ドーモ、レッドキャデラック=サン。バーストホイールです」くぐもった恐ろしげな声。ドクロめいた厳ついクロームのメンポを着用し、改造大型バイクに跨るニンジャ。ライダースーツの背中には「賞味期限注意」の 威圧的ショドー。そして深紅のキャデラックの運転席の窓が開き、見事なリーゼントと赤いブルゾンの逞しい腕が現れる。トントン、と人差し指で指し示すように美しい深紅の車体を叩く。レッドキャデラック。 これがアイサツだ。 「見ての通り荒れてるがコースは単純、ここからゴールまでストレート一直線。ただしこいつは二番勝負。むしろそっからが本番だ」バーストホイールはハイウェイの伸びる先を示す。 「ゴールラインはデッドライン、最高速で突入した先はすぐに途切れたハイウェイの端。この高さからささくれ放題の下に真っ逆さま。当然タダじゃすまねェ、ニンジャでもな。チキンレースって訳だ」 バーストホイールは、神出鬼没にハイウェイに現れ暴走行為を繰り返す謎の走り屋・レッドキャデラックに挑戦状を叩きつけた。走り屋御用達の溜まり場、スタンド、パーツショップ、修理工…… あらゆる場所にレッドキャデラックの名と決闘の日時、「最速証明」「来ないんですか?」「半額唐揚げ」などと書き殴られたビラをばら撒き、待った。そして今に至る。 「ヘイヘイヘイ!」ふいに、バーストホイールとレッドキャデラックの間にニヤニヤと笑みを浮かべた構成員ヤンクとその取り巻きが近づく。背中には「二番手」のショドー。バーストホイールは鼻白んだ。 「コイツ一言も喋らねぇで。ア?ヘッドにビビってンの?良いんだぜ?トロトロ安全運転でボロ負けしても。それか今からでもバックれるか?どっちにしろ二度と走れねえよう俺ら全員でその古臭ぇ車ベコベコに」 BOOOOOOOOOM!!「「「アイエエエッ!?」」」バーストホイールのマシンから一喝するかの如きエグゾースト・ノイズ!二番手と周囲の構成員達はNRSめいて失禁する。 「五月蠅ぇぞコラ。まずテメェらからベコベコにされてえか」「「「ゴメンナサイ!」」」ジゴクめいた声に滲むキリングオーラに、二番手と取り巻きらは蜘蛛の子を散らすようにハイウェイの隅に退散した。 「……オレが欲しいのはスピード、熱、その先だ。それだけで走ってきた。だがいつの間に後ろにどんどんついてきてやがる。テキトーに放っといて気付けば重てぇ所帯持ち、ままならねぇもんだ」 独り言めいてごちる言葉に、キャデラックの運転席から垂れた片腕は払うように掌をパタパタと振ったのち、挑発的ファック・サインを突きつける!御託はやめろ。要はお前が遅い。と言わんばかりに。 バーストホイールはその意図を受け取る。「ハッ!痛ぇ所突きやがる。やっぱアンタで正解だったぜ」そしてスタートラインに立つ旗持ちのヤンクに顎をしゃくる。フラッグが降ろされる。 「「「ワオオオオーーー!」」」「「「ウィーピピー!」」」周囲のバイクが割れるような喝采めいて盛大にアクセルを吹かす。そして対峙する赤と黒2台のマシンのエンジンは、なおそれを呑み込む咆哮を上げる! やがて二つの咆哮が同調するかのように重なり合った時、カウントダウンが始まる。「…3!…2!…1!ハジメ!」フラッグが振り上げられた! ガオオン!!両者は同時にロケットスタート!しかし「エッ?」「ワッザ!?」「…は?」フラッグと同時にレッドキャデラックはバーストホイールとは逆方向に……全速力でバック。 もはや地平線の先まで去り見えなくなった。「……ギャハハハハハハ!」「ゲラゲラゲラゲラゲラ!」「トンズラこきやがった!」腹を抱えて笑い転げるヤンクたち。「オイ。誰かヘッド止めて来いって……」 ……ウォルルルルルルル…「ア?」近づくエンジン音に「二番手」が訝しんだ。それは次第に唸りを増していく。…ルルルルルルルル……ウォゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!! 『脳漿ブチまけろ!前後して上下!』『イカれ通しの人生!アイツの唇は悪魔!』最高速に達しスタートラインに迫る、深紅のキャデラックの車内には、旧世紀ハードロックが大音量で響き渡る。前回のレース後、 マシンの改修と共にダッシュボードに備え付けられた「仁」「十」「郎」のスイッチ。レッドキャデラックは不敵に笑うと、親指の甲に軽く口付け「仁」のスイッチを力強く押しこんだ。瞬間、激しく駆動するエンジン内に 改造凝縮ニトロ剤が噴射され爆発的燃焼!マフラーから激しく爆炎が噴きだす!加速! BOOOOOOOOOOOOOOOOM!!「「「アイエエエエエエエエッーーーッ!!」」」一瞬で眼前を突き抜けていった深紅の弾丸、尾を引くテールランプの残光と共に巻き起こる轟音と突風!ヤンク達は吹き飛ばされる。 (来た)バーストホイールは遠く背後から高速で迫りくる轟音に耳を立てた。(ハンデのつもりだって?上等)目元近くまで覆う厳ついメンポの下、牙めいた犬歯をむき出しに獰猛な笑みを浮かべる。 マシンパワーそのもの、そしてスピードは助走をつけた最高速度から凝縮ニトロ加速を得たレッドキャデラックが上。みるみるうちに両者の差は狭まり、横並び、追い越し、そして開いていく。 (今度はこっちのハンデだ、レッドキャデラック=サン!)バーストホイールの瞳孔がネコ科動物めいて縦長に細まる。「イヤーッ!」KBAM!KBAM! 強烈なシャウトと共にバーストホイールのバイクの両輪はその名の通り激しく発火しバースト!轟々と燃え盛る炎の車輪と化し、左右のマフラーは火炎放射器めいて炎を吹き出し二又の尾を引く。 バーストホイール自身も内なるカトンに赤々と輝き、ドクロめいたクロームのメンポは赤熱化!エンジンに、マシンにカトンのパワーが循環する。加速!今度はレッドキャデラックが追われる側だ! レッドキャデラックは神業がかったドライビングテクニックにより荒れたコース上の崩落や瓦礫を難なく避けて走り抜ける、だがそれでも小まめな回避運動の度にほんの僅かにスピードを削がれる、大型車故の不利だ。 一方バーストホイールはバイクの小回りゆえ更に最小限の動きでそれらを躱しスピードを保つ、両者の差は再び縮まっていく。荒廃地帯が終わる。「イヤーーーッ!」バーストホイールが更にカトンの出力を増大させたのと、 レッドキャデラックが「十」のボタンを押したのは同時だった。BOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!両者のマフラーから噴き出す炎は更に激しさを増し、極限加速!ボディは雲(ヴェイパー)を纏う。 前後に揺れ動きながら、両者の位置はほぼ並行、チョーチョー・ハッシ!歯を食いしばり両目を血走らせる二人の視線の先にやがてスタート地点と同じく暴走クラン達のライトに照らされるゴールラインが近づく、 そして。 BOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!「「「アイエエエエエエエエエーーーーッ!!」」」深紅と炎、二つの弾丸の巻き起こす衝撃波にヤンク達は吹き飛ばされる。判定不能!しかしレッドキャデラックとバーストホイールのニューロンは同着を悟る。 既に両者の意識は次の戦いに移っている。崩落したハイウェイの端が迫る。先に止まった方が負け、さりとて遅ければブザマな落下死。バーストホイールは逆噴射カトンのタイミングを計り……レッドキャデラックは「郎」のスイッチを押す! KABOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!(何!?)深紅のキャデラックはもはや重力圏を突破するロケットエンジンめいた凄まじい炎を噴出し爆発的急加速!丸く見開いた目でその光景をスローモーションめいて追いながら、バーストホイールのニューロンは 高速思考する。この期に及んで加速?ただのイカれた自殺行為だ。破滅願望の発狂マニアックでなければ、まさかあの崩落を飛び……飛び越える?バーストホイールは合点がいった。最初の敵前逃亡めいた後退、あれはハンデなどではない、 距離を得るための助走だ。最高速度に達した状態から、それこそ多段式ロケットめいた更なる加速を得るための。あの男はチキンレースに挑むつもりなど無かった、最初からスピードのままあの崩落を飛び越えるつもりなのだ! (イカれてる!!)ハイウェイの崩落部分は500…いや600フィートに及ぶか。タタミ100枚分に相当する距離。出来る筈がない。だがあの男はやろうとしている。己のスピードだけを頼りに、信じ。バーストホイールは…… 「……ARRRRRRRRRRRGH!!」KABOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!バーストホイールはカトンの出力を限界まで引き上げた!轟音と共に膨れ上がり爆ぜた炎は青みを帯び、もはやその身とバイクは人馬一体の形をした炎そのものとなった!爆発的急加速! 「ヌゥーーーーッ!」猛烈なGの中で、レッドキャデラックの限界まで見開き血走った目の端からは血涙が漏れ、鼻血が噴き出す。だが口元は凄惨な笑みさえ浮かべ、アトモスフィアはギラギラと燃え滾る!既にメーターは振り切り速度測定不能! バーストホイールもまた自身を焼き尽くさんほどの熱と加速に身とマシンを苛まれながら、壮絶な表情を浮かべる。各部から悲鳴と軋みが伝わる、だがその心は不思議とゼンめいていた。もはや音さえも、困惑も、恐怖も、あらゆる過程やしがらみも、 全てを置き去りにしたスピードと熱だけの世界がそこにはあった。(嗚呼)(これだ)(これが) その瞬間、666kmめいたスピードのふたつの弾丸は全く同時に宙に飛び出した。ハイウェイの端のほんの僅かな傾斜から撃ち出された緩やかな放物線は、やがて頂点に達し水平に、そして下降を始める、驚くべき距離の飛翔。対岸があと僅かに迫った。 その時。KBAM!バーストホイールのバイクのエンジンが小爆発を起こし、ボディはバラバラと空中分解を起こした。先んじて加速したレッドキャデラックに追いつくための瞬間的限界カトン注入にボディが耐えられなかったのだ。バーストホイールは 極限までスローモーション化した世界のなか、バランスを失い宇宙遊泳めいて宙に投げ出されながらそれを認識する。全てはこの勝負の……レッドキャデラックのスケールを見誤った己のウカツと臆病だ。空に輝くドクロめいた月が「インガオホー」と 囁いたようだった。 (情けないな)自嘲めいてごちながら、バーストホイールに悔いはなかった。ずっと追い求めていた世界にほんの一瞬でも到達できたのだから。その時ふと、キャデラックの窓から突き出された見事なリーゼントと巌のような片腕が視界に入った。 固い握りこぶしから親指が突き出す、挑発的サムズダウン……いや、力強いサムズアップだった。「ははっ」バーストホイールは笑った。直後。 KABOOOOOOOOM!!花火めいた爆発を背後に深紅のキャデラックはハイウェイの対岸に着地。そのまま轟音の残響とテールランプの尾だけを残し、一瞬で夜闇の中に走り去り消えていった。死んだハイウェイは何事もなかったかのように元の静寂を取り戻す。 ほどなくして、ハイウェイの断崖にしがみつき、よろよろと這い上がる者が居た。バーストホイールだ。己のバイクの爆風に押し出される形で断崖まで弾き飛ばされたのだ。ブスブスと煙を上げるライダースーツは、所々が無惨に焼け落ち、 その下の白い素肌を晒している。数歩歩いたのちぐらりと倒れ込み大の字に転がると、息苦しい窮屈なスーツのジッパーを引き下げる。滝のような汗に塗れる豊満なバストが熱気と共にまろび出た。そして目元近くまで覆うドクロめいた厳ついメンポを 引き剥がして放り捨てると、あどけなさを残す女ライダーの顔があった。しばらくの間、ぜぇぜぇと荒い呼吸が続き、やがて人心地つく。 レッドキャデラックへの挑戦。全ては彼女の走り屋としてのミソギだった。周囲にナメられないよう厳ついメンポと作った声、体系を隠すライダースーツで身を誤魔化し、不自由と苛立ちを貯め込みながらも自分を慕い、持ち上げついて回るヤンク達に 内心居心地のよさを覚えている己の惰弱。それとは対照的に何にも属さず、構わず、どこまでも己のスピードを追求する深紅のキャデラック。真の走り屋との命懸けの戦いをもって己を鍛え直すための儀式だった。しかし、全てが想像以上だった。 レッドキャデラックという走り屋も、己の甘さと小ささも、初めて垣間見たスピードの世界も。何もかもが。あのまま死んでも悔いはなかった、筈だった。だがこうしてブザマに生きている。そして胸の内に確かな炎を感じる。もっと、この先を。 バーストホイールは大きく息を吸い、深く嘆息した。「……あーあ!カッコ悪いなぁ!負けた!」鈴を転がすような音のカラカラとした笑いが静寂のハイウェイに響いた。 ◆◆◆ 「……で?このザマってワケか」早朝。車もまばらなハイウェイの封鎖区画出口付近の路肩で、深紅のキャデラックをレッカーに繋ぎ終えた老人が不機嫌に吐き捨てる。頑固者めいた厳めしい顎髭の顔、錆色のジャンパーを羽織る身体は 電子戦争退役軍人めいて逞しく、両腕は力強いサイバネに置換されている。その隣で肩をすくめる深紅のブルゾンと見事なリーゼントヘアの老人、タミメキ・ホンゾ。「ぼやきたいのはコッチじゃい。なにが新機能じゃ、使ったら即エンストとは」 バーストホイールとの一騎打ち後、そのまま悠然と走り去ったレッドキャデラック。だが程なくしてエンジンが煙を上げゆるゆると停止。往生しながら封鎖区画の出口まで手で押して移動し、気付けば既に日の出を迎えていた。 「ニトロチャージは3回までとは言ったがよ。長いレースで3回だ!間を空けず3回連続で使う奴があるか!ボケてンのか?」彼はホンゾの旧知のメカニックだ。「ハヤク・カケル」でのクラッシュ後、"レッドキャデラック"を見事に修理し、 ハシリ・モノ本戦乱入に向けたチューンと改造も施したのも彼だ。就寝中に何度も執拗なコールを受けて叩き起こされ、はるばる呼び出されただけでも不機嫌の極みだったが、ホンゾの話を聞くとさらに火がついた。 「連続がダメなら最初にハッキリそう言わんかい!そもそも"仁十郎"とはなんじゃあの文字は?センスが死んどるわ、そっちこそ化石じゃい」「あァ!?」 その後も二人は年甲斐もなく喧々諤々に言いあいながら、やがて気が済むとレッカー車に乗り込む。運転席には「糠に釘」とショドーされたステッカーが貼られている。「時間も時間だ、先に朝メシ行くか。オミコシ・ディストリクトだ」 「随分遠回りじゃのう」訝しむホンゾに老人はニッと笑う。「あすこのオイランバーガーにマブな店員が入ったンだよ。しかもかなり豊満ときた」ホンゾはやれやれと嘆息した。「人をボケ呼ばわりしてそっちは助平ジジイかい。しょうもない」 「なんでえ。行かねえのか」「行くに決まっとる」ホンゾもまた笑い返す。愛車とスピードにのめり込んだ末、家族に見放された孤独なホンゾにとってこの男は唯一の腐れ縁だ。そして自分以外に唯一愛車を触らせる最も信頼するメカニックだ。 助手席の窓からリーゼントを突き出し、ホンゾは数時間前の一騎打ちを思い出す。正直な所、ホンゾはギリギリまで持ち掛けられた通りのチキンレースに応じ、普通に勝つつもりでいた。ニトロ加速の連続使用の危険は言われずとも承知していた。 しかし、若き走り屋の抱えるスピードへの憧憬と煩悶、文字通り身を燃やして全力を懸ける狂熱。要は若さに当てられ、自らも命懸けの死線に挑み、示してみたくなった。熱と、スピードに全てを任せた。 「滾ったわい、またやろうじゃないかお嬢ちゃん」懐から櫛を取り出し、ホンゾはリーゼントを整えた。「なンか言ったか?」「なんでもないわい」深紅のキャデラックを吊るしながら、レッカー車は曖昧な朝焼けのハイウェイを走っていく。 その後、バーストホイールはレッドキャデラックとのレースで敗北し、壮絶な爆発四散に追い込まれたとの噂が広まり、返り血めいた深紅のキャデラックの凄みは更に増すことになる。頭目を失った暴走クラン「ムチウチ」は解散した。 改造大型バイクを乗り回す一匹狼の女ライダーがハイウェイに出没し、一目置かれるようになるのは、その少し後だった。