ふう、と息を吐いて喫茶店を後にする。 心配してこんなに大勢の人たちが来てくれた。それだけで気分が少しはマシになった。 みんな自分の悩みに真摯に向き合ってくれた。こんな何もできない自分を気にかけてくれる人たちがいた。だからこそ、そんな人たちに恩返しがしたい。後ろ向きだった悩みが、今は少し前に向いた気がした。 「それにしても、魔術かあ……」 パートナーがそういうものに精通していることは知っている。自分を通して奇跡のようなことを起こしたことがあるのも知っている。それでも自分がそういう力を使っている姿が想像できなかった。 映塚黒白を通じて魔術に精通した人材に話を聞く手筈は整っている。しかし、こんなことを自分ひとりで聞きに行くのは些か忍びなかった。 意を決してパートナーのブルコモンに知らせる。こうして相談する気になれたのも、悩みを聞いてくれたみんなのおかげかもと思った。 「そんなことを考えていたのか」 「ごめんね。ブルコモンたちが信用できないわけじゃないの。でも、わたしもみんなの隣にいたい。みんなが危ないことをしているのを安全なところから見ているだけなんて我慢できないの」 「それで魔術か。確かにおれは進化すれば魔術を使いこなせる。雪奈を通してデジタルワールドの基幹データに触れ、超上級魔術を行使したこともある。しかし、それと雪奈が魔術を使えるかは別問題だ」 「うん。だからこれから詳しい人に話を聞きに行こうってなって……」 言っているうちに待ち合わせ場所にたどり着く。そこには既に身長2mを超す耳の長い女性、トリエラとウィッチモンが待っていた。 「あ、雪奈ちゃん。さっきぶり」 「こんにちは。来てくれてありがとうございます」 「待ち合わせ時間と場所を指定したのは上出来だ。こいつそれを言わないと10年とか平気で待たせるからな」 「あはは……それで、電話で相談した通りなんですけど……」 「うん、魔術を教わりたいんだっけ?」 いつものふんわりとした雰囲気のトリエラが訊ねる。しかしその目は雪奈を見定めているようにも思えた。 「……はい。わたしには何の力もない。戦うことができない。そのせいでみんなに借りを作りっぱなしで、何の役にも立ててない。魔術を覚えれば、わたしもみんなの隣に立っていいんだって思えるようになるんじゃないかなって……」 「力かぁ……でも魔術を覚えるには人間さんの寿命はちょっと短いかもしれない。想像してみて?君はこれから一生をかけて暗闇の中を……伸ばした腕の先すら見えない暗闇を走り続けるんだ。足を止めてもいけない。歩みを緩めてもいけない。もしかしたらゴールにたどり着けないかもしれない。ひたすら前へ前へ……転んで膝をすりむいて時には動けなくなる。年を取っていつしか足が萎えて目も霞んで、それでも今更後戻りはできない……そうして棺桶に横たわるその瞬間に……ようやく?燭1本に火を灯せるようになる。それが頑張った君へのご褒美。魔術を覚えるっていうのはそういうことだよ?」 「それは……」 トリエラの言葉に逡巡する。一生かけても身に付かないかもしれない。身についたころには隣に立つみんながいなくなっているかもしれない。闇雲に走り回ったあげく、あるかも分からないものを求めて人生を棒に振るかもしれない。その覚悟はあるのか。トリエラの目はそう告げていた。 決意が揺らぐ。どう答えればいいのか浮かんでこない。二組の間に沈黙が流れた。 それを破ったのは、隣に立つパートナーだった。 「いや、暗闇の道のりではない。おれにも魔術の心得がある。あなたが導かないと言うのなら、おれが道しるべとなる。雪奈が共に戦いたいと望むなら、おれはそれを支えて見せる。おれは雪奈のパートナーだからな」 「ブルコモン……」 パートナーの言葉に視界が滲む。こんな自分に付き合うと言ってくれたことが嬉しくなる。 雪奈は目元を拭うと、力強く異世界の魔術師を見つめ返した。 「確かにわたし一人では難しいかもしれません。一生かかっても身に付くか分からないし、身に付いたころにはもう何も残ってないかもしれない。でもわたしには、一緒にいてくれるパートナーがいます。ブルコモンと一緒なら、どんなに辛くても耐えられます。だからわたしにブルコモンを、みんなを支えられる力を教えてください……!」 非力な少女と氷の竜は頭を下げて頼み込む。このパートナーの期待に応えるために、隣で共にすすむために。 トリエラはその光景に小さく息を吐いた後、微笑んで二人に頭をあげるように促した。 「そっか……それなら私から言うことはないよ。ごめんね、脅かすようなこと言っちゃって。実はある精霊さんから話を聞いていたんだ。彼女によると、君の中にはまだ幸運の残り香がある。それを使えば、君もひょっとしたら魔術を使えるかもしれないって。それと『いつもお酒を美味しくさせてくれてありがとう』って伝言と預かりものがあるよ」 そういうとどこからともなく青いローブが現れる。 雪奈は目を丸くしつつ、あの陽気な女神の姿を思い浮かべていた。 (そっか。ありがとうございますウェヌスモン様……!) ローブを羽織った雪奈の額にトリエラが指を添える。 自分の中に何かが灯る感覚がして、胸の奥が熱くなった。 「君の中の火種を灯した。これを大きくするか、消してしまうかは君次第だ。私にできるのはこのくらい。それから一つ忠告しておくね。何でもかんでも魔術に頼ってはいけないよ。空を飛べるようになったからといって、自分の足で歩くことを忘れてはいけない。火をつけられるようになったからと言って自分の手で付ける方法を忘れてはいけない。君の思い描く魔術は、単なる便利な道具じゃないでしょ?」 「はい。分かっています。わたしの魔術はみんなを支えるために使います。みんなの隣に並び立って恥ずかしくない魔術師になります」 「うん、応援しているよ。それじゃ、わたしはもう行くね。君の旅路に幸運があることを祈っているよ」 「こいつ幸薄そうな顔しているけどな。せいぜいガンバレよ」 踵を返し歩みだすトリエラとウィッチモン。その背中を二人は見えなくなるまで見送っていた。 「……ありがとうね、ブルコモン。それから、話を聞いてくれたみんなにも。落ち込んでたままだったら魔術を覚えることを諦めてたかも」 「気にするな。取っ掛かりができたとはいえまだ実際に魔術を身に着けたわけじゃない。これから忙しくなるぞ」 「うん。ところで魔術の勉強ってどうすればいいの?」 「本来ならウィッチェルニーにある魔術学校に通うことになるが、おれたちは旅の途中だ。実際に通って魔術を覚えるには時間がかかる。なので教材を取り寄せることにする。授業もデジヴァイスを通して映像で行う。大丈夫だ。向こうに伝手がある」 「まさかの通信教育!?」 こうして、霜桐雪奈は魔術師としての道を歩むことになった。 その力が日の目を見るのはまだ先の話。