私はスプシモンである、個体名はまだ無い。 私がデジタルワールドにある温泉宿に居着いてから随分と経つ。デジモン達が住まう世界に在りながら日中は平和そのもので大変居心地が良い。 人とデジモン達が共に暮らす、その一点でも充分価値があるが何より飯が旨いし風呂と布団が保障されているのは特筆すべきであろう。 …いや、今話したい事は違ったな。 今日はアルバイトに来た少女がこの宿の支配人と試合をしたいと言い出したのだった。いや、何で? 彼女について回っている同胞に聞いた所、彼女"奈仁濡音 ノノ"はデジタルワールドに来た事で難病が快復し、その喜びのあまり自らの肉体で戦うのだという。 類は友を呼ぶという事だろうか、難病持ちで自由に動けなかったという点は支配人こと"富士見 ゲンキ"も似たようなものだが、彼は記憶のほとんどを失っていて 過去に囚われている様子が無いのが彼女と大きく異なる点だろうか。とはいえ、杖を手放せないあたり体はしっかり覚えているようだ。 ノノが振り下ろすハンマーをゲンキが杖で打ち返す、互いのデジソウルがぶつかり合い爆ぜるような音が響く。 「ブフッ!?何っ…ゲホッ!何の音!?」 「うわ、大丈夫かよトウマ…ほら、タオル」 アルバイトの休憩時間に突如響いた轟音に驚いた"大木 トウマ"が飲みかけの麦茶を吹き出してむせてしまう。 そこにタオルを差し出すのが一つ年上の"穂村 拝"だ、近々兄になるらしいのが行動に出ているのだろうか。 その調子でお兄ちゃん風を吹かせる練習すると良いんじゃないか、私はデジモンだからよく分からないが同胞たちのレポートを見るにそんな気がする。 清掃したばかりの床を二人がかりで拭き直す。キテル…じゃないんだよ同胞よ。 「試合したいとは言ってたけど、何してんのあの二人…ハンマーと杖で打ち合いってどういうこと?」 その点は私もそう思うぞ"映塚 黒白"よ、本当に何してるんだろうなあいつら… どうしてこうなったかというと、時は少々巻き戻る。 「いやぁ、疲れた…体力には自信あったんだけどなぁ」 「黒白兄ちゃんおじさんみたい」 「そういう言い方やめろよトウマ、黒白おじさ…黒白兄ちゃんは俺たちの手の届かない所をやってくれてたんだから」 「あ、うん、ごめんなさい…」 「あはは、これくらいじゃ怒らないから気にしなくていいよ。いや、ここは怒った方が良いか?」 「「ごめんなさい!!」」 「えっ、いやちょっとした冗談だから真に受けないで…ね?」 「本当に、慣れない事すると疲れますねぇ」 「ノノさん本当に疲れてます?私にはとてもそうは見えないというか…」 デジタルワールドで人間向けの仕事を募る依頼掲示板、富士見 ゲンキはそこにいくつか仕事を出している。 その内の一つ、浴場の清掃作業を終えた面々が広間で思い思い寛ぎながら雑談に興じていた。 既に館内を把握している事実上バイトリーダーの長閑の指示で人間とデジモンがテキパキと作業する―― 人間とデジモンが協力して一つの事を成し遂げる、そんな何気ない事が何と素晴らしい事か。 「みんなお疲れ様。お昼って感じじゃないけどパンケーキどうぞ、足りなかったら追加で焼くから遠慮なく言ってね」 ゲンキが一際大きなテーブルに皿を並べると連れているデジモン達がそれぞれの皿にパンケーキを積み上げていく。 人間大のハリネズミがフィルモン、マスコット然としたデジモンがパタモンとツカイモンだったか。 彼らがテーブルから離れて、はいどうぞと合図した途端、楽しそうに歓談していた少年少女が、そしてデジモンが目の色を変えて群がりパンケーキの山を崩す。 人間とはこうも飢えた獣のようになれるのか…いや、彼らの尊厳の為にもこれ以上は語るまい。 程なくして追加で焼かれたパンケーキの山が届いたのだが、私の分のパンケーキは残らなかった一点についてだけは記しておきたい。 「あ、そうだ!」 栄養補給を終えて落ち着いたノノが何かを思い出して大きな声を上げた。ビックリするじゃないか。 その場に居た全員がギョッとして振り向いたので彼女は恥ずかしそうに咳払いして軽く姿勢を正す。 「富士見さん、デジモンと戦えるんですよね?山のデジモン達に聞きました!」 「えっ?まぁ、デジソウル?ってやつで追い払うくらいなら…」 「そう!それです!どれくらい使えるか見せて欲しいんです。試合しましょう、試合」 「うーん、人間相手の試合とかケンカした覚え…無いなぁ…?」 「まぁまぁ、これも経験だよ。せっかくだから修行だと思ってやってみようよ」 前からノノが迫り、後ろからパタモンが頭にしがみついて逃げ場を奪う。 どうやら最初から拒否権など無かったらしく、大の大人が少女に連行されていった。 「それじゃあ、食後の運動よろしくお願いします!」 「まったく、お前はいつも急だな…で、そっちはどいつが出るんだ?」 表に出ると既にやる気充分の少女とやや呆れ気味の相棒・リベリモンが構える。 「リベリモンか…僕がやるよ、父さんお願い」 「分かった、無理はするなよ」 ゲンキが持つ杖にパタモンがしがみつくと緑に輝くデジソウルが杖を伝ってパタモンに流れ込み進化の光を放つ。 このパタモンはデジソウルに頼らずとも進化出来るが、デジソウルを浴びた方が"気分がアガる"のだとか。 そうまで言うなら是非とも実際に体験してみたいが今回の主役は私ではないので我慢だ、いつになるかとかは想像してはいけない気がする。 ゲンキは杖を振り上げ進化の光を放つパタモンを投げ駆け出し、閃光弾代わりに投げられたパタモンはスーパースターモンへと姿を変え勢いのままリベリモンに殴りかかる。 デジタルワールドにあって戦いを求めるノノもそういう目つぶしにやられる程ヤワではない。怯まず踏み込み店主に渾身の一撃を叩き込む。 「勝負!」 そうして二つの1対1が始まり"今"に至る。 「うわっ!?…っとと、ははっ!すっごい!その杖何で出来てるんですか?」 「これ?フィルモン…じゃなくてスティフィルモンの毛だけど…んぐ!おっも…!そのハンマーこそ何で出来てるの?」 「毛!?あの子そんな凄いんですか!?あ、これは倒したデジモンから貰ったので知りま…せん!」 喋りながら打ち合うあたりかなり余裕あるようだ、お互いに様子見段階という事だろうか。 その横で駆動音を唸らせリベリモンが両腕を操りスーパースターモンに迫る、しかしその攻撃は届かない。スーパースターモンが反撃に繰り出した徒手空拳も空を切る。 両者共にパートナーを意識して庇っているのは火を見るよりも明らかだ、そんな戦いに先に痺れを切らしたのはリベリモンの方だった。 「テメェ、手を抜いてやがんな?」 「まさか、僕はこれでも必死なつもりだぜ?」 「ハッ!その化けの皮ァ剥いでやる!――ヴァンキッシュミサイル!」 「ちょっ…正気かお前!」 人間たちを背にする位置取りを得たリベリモンがその腕からミサイルを射出する。が、実際に撃たれる前にスーパースターモンは反応する。 跳ねながら星形の足場を作り、ミサイルが着弾するより早く飛びたつ。 狙いを定められないよう舞うような軌道を描きながら態勢を整えると一転、加速し正面から突撃していく。 撃つべきか斬るべきか、そんな迷いがあったのだろうか、一瞬固まったリベリモンは防御の構えを取りその突進を受け止める。 「リベリモン!大丈夫!?」 「問題ねぇ!よそ見すんな!」 「危ないから向こう行ってなさい!」 「僕の台詞取らないで!!」 余裕あるなぁこいつら…他の戦いもこんな感じなら良いのに… 「しょうがない、穏便に山の上までレースで勝負しようぜ!」 「はぁ!?待ちやがれ!待てって、レースで飛ぶんじゃねぇ!!」 リベリモンがエンジンを唸らせ流星を追って山に入って行く、そんな彼に同胞がしがみついていたが大丈夫だろうか… ――― 私はスプシモン、好きなタイプは力強い人! レースって言いだすから山を何周もするのかと思ったらあっという間に終わって拍子抜けしてるところ。 どうやらただお話したかっただけみたい。 「何だ、もう終いか」 「まぁね…良い景色だろう?」 「悪くないんじゃねぇか?展望台って感じはしないが…」 「僕とツカイモン…今は進化してるからファントモンか、その二人しか来ないからね」 本当にいつの間にか進化してる…目を離してるつもりは無かったのに…このスプシモン一生の不覚! 「大事な場所なのか」 「ずっと昔、父さんがまだ子供だった頃にね、小さく家が写っているんだよって見せてくれた故郷の写真。その風景にそっくりなんだ」 「へぇ、あいつそんなに昔からデジタルワールドに居るのか?」 「ううん…僕たちのそばにはいつも不思議な窓があってね、それでリアルワールドから通信して世話してくれてたのさ、実際に来たのは10年くらい前かな?」 「あぁ、何か噂に聞いたことは有るな…そういう道具を持ってる人間がいるって」 リアルワールドに住む人間が道具を通じてデジモンを世話する、当事者のデジモンからは窓のように見えていたのか。 出来ることなら一度は見てみたい、ハンマーの似合う人が良いなぁ! 「二つのデジタマをいっぺんに孵して育てるような欲張りな子でね、毎日欠かさず世話してくれて…  あの頃はまだ体が不自由ですぐ転ぶから生傷が絶えなくて、いつも絆創膏貼ってたな  そのくせ怪我してるんならお世話しなくても良いから休んでろって言っても聞かないくらい意地っ張りで…楽しかったな」 「まるで今は楽しくないみたいな言い方するじゃねぇの」 「まさか、触れられないと思ってた人と一緒に過ごせるんだ、最高に楽しいさ。  さて、今度は君が昔話をする番だよ」 あ、それは担当スプシモンとして興味ある! 「俺が?あ~…いや、あいつは元々ろくに動けなかったのがデジタルワールドに来て動けるようになった反動でケンカっ早いくらいしか…  そうか、俺ァあいつの事全然知らねぇのか…」 「それならそれでちゃんと話す口実が出来たじゃないか、泊まって行くんだし、沢山話せばきっと良い事あるよ」 「まぁ…考えとくさ」 考えとく、じゃないんだよ!腹を割って話したくなる雰囲気にしてやるからな! ――― 「調子悪いんですか?もっとガンガン来ても良いんですよ!」 「そんなハンマー当たったら死ぬから行きたくないんだよ!」 相変わらず余裕のあるような口ぶりで互いの武器を打ち合っているが息が上がり始めている。 この様子なら決着までそう時間かからないだろう。 「ゲンキさんずっと防御ばっかりしてるし…ケンカした事無いって本当なんじゃ…」 「ううん、取っ組み合いしてないだけで軽くて速いの持ってるからちゃんと反撃当ててる。効いてる…のかなアレ」 「…肩から二の腕の辺りを狙ってるね、同じ所を殴り続ければいずれ腫れあがって動かせなくなるからそれが狙いじゃないかな。俺の勝手な予想だけど」 「狙いはそれで合ってると思います。彼女はハンマーを持てなくなった程度で止まるような人には見えませんが」 聡い人間たちだ、特にトウマはよく見えている。リボルモンとマトリックスエボリューションする経験が生きているようだ。 知識と経験による分析ならもちろん黒白と長閑に軍配が上がる、年少組もいずれそうなるのだろうか。 出来ることなら平穏な未来を歩んで欲しいところだが、スプシモンたる我々には起こった事を記録するしか許されないのが実にもどかしい。 ガランと大きな音を立てハンマーがノノの手から滑り落ちる。 「いっ…たぁ…何で?」 「流石に腕が上がらなくなったんじゃないかな?この辺で終わりにしよう」 「い……です……」 「えっ?」 「嫌です!私はっ!まだ負けてない!!」 「がはっ!?」 黒白と長閑の読み通り、愛用のハンマーを落としたノノはまだ止まらない。 鬼気迫る勢いで何度も蹴りを繰り出しゲンキを蹴り飛ばす。 停戦しようとデジソウルを解いていた体に加減の無い蹴りが打ち込まれて派手に転がる、これは彼の判断ミスだ。 「ノノ!止まれ、それ以上はヤバい!」 「やだ!私はまだ戦える!」 「父さんしっかり!動ける!?」 「ゲホッ…まだ大丈夫…」 デジモン達も慌てて戻って来たが、時既に遅しというやつだろう。 「お父さん…!」 「黙って見てろ、兄ちゃんが何とかする」 「だって、血が…!」 「まだ止めなくて良い」 駆け寄ろうとするフィルモンをファントモンは大丈夫だと制止し大鎌を見せつける。 「頭から血が出てるのは大丈夫じゃあないんだよ!意地張ってる場合かよ!」 「意地張るな…か、あ~…こういうこと有った気がするな…でも、思い出せねぇや」 血と汗を垂らしながら力を振り絞って立ち上がる、体を支える杖も安定しない、手足が震え危険な状態なのは誰の目にも明らかだ。 それでも、二人の間に割って入る者はいない、その方が危ないという雰囲気が漂っている。 「ノノちゃんよく聞いて、俺がデジソウルを出す時は多分いつも意地を張ってる」 「急に何の話ですか、降参なんて許しませんよ」 「こいつらや山のデジモン達や泊まってくれてるテイマーの人達…そういうのを守りたいと思うとデジソウルが湧いてくるんだ。  でも、たぶん俺が守る必要が無いくらい他のみんなの方が強い、それは何となく分かる」 「……」 ノノは答えない、言葉の意味を反芻しようとしているのか、あるいは届いていないのか。 見ているだけでは分からない。他の皆と同じく私も固唾を飲んで見守るとしよう。 「だからって、俺が負けて良い理由にはならない!俺は…負けたくない!!」 魂の叫び、それに呼応してデジソウルが噴き上がり天を衝く、一部の識者はあれを"究極のデジソウル"等と呼ぶのだという。 究極体デジモンへの進化を促す程のエネルギーを纏い、彼は拳を構える。 それを見つめるノノの表情が喜びに満ちてるように見えたのは気のせいだろうか。そうであって欲しい。 「これが俺の全力、今はこれが精一杯だ」 ――― 「あれがゲンキさんのデジソウル…」 「ノドカ、見とれてる場合じゃないぞ、止めろ」 「うん?あの人デジヴァイス使わないのか?」 「クロシロー、アレ、ヤバイゾ」 「「あれは人を殺せる力だ」」 二体のデジモンの声が重なり、その場に居合わせる人間全員がギョッとした。 最初に動いたのは長閑だった、デジヴァイスブラッドを構え自身の腕に突き立てんとする構えをした瞬間、黒白の手がそれを掴む。 「何をしてるんだ!?」 「放してください!デジヴァイスに血を吸わせないと進化が…!」 「はぁ!?そんな欠陥品がデジヴァイスなわけ無いだろう!!」 「ちょっ…二人ともやめてよ、トウマも何か言えって!」 今にも取っ組み合いのケンカを始めそうな二人に拝少年がオロオロしながら必死に声を掛ける。 「…大丈夫、すぐに終わると思う」 喧騒に関わらずトウマの目線はノノとゲンキに向けられたまま離れない。 トウマに何が見えたのか、黒白、長閑、拝もその視線を追う。 ――― 「~~~ッ!」 およそ少女と唸りを上げ駆けたノノが跳ねる。 捻りを加えて頭を狙う蹴りをゲンキの拳が迎撃する。 二つの攻撃がぶつかる直前、両者がピタリと止まり動かなくなる。 「そこまで、二人とももういいでしょう」 気付けば虚空から伸びた鎖が二人を縛り上げており、ふわりと現れたファトモンが中止をうながす。 頭に血が上った二人は口々に抗議の声を上げる。が、当然ファントモンは聞き入れない。 ファントモンがパチンと指を鳴らすと何やら波動が広がるのを感じる、人間二人が気絶した様に見えるが睡眠を促したのだろうか。 直接聞くまでは詳細は不明だが、その介入により概ね穏便に戦いは終息した。 「まったく、世話の焼けるオヤジだよ…誰かー、救急箱持ってきてー!」 ――― 「ん…あれ、私…そうだ、試合しててそれで…うっ!?」 次にノノが目を覚ましたのは宿泊客用の部屋だった、布団から起き上がり痛みに呻いて腕に手を当てると包帯が巻かれているのに気付く。 見回せば丁度ツカイモンが道具を救急箱に仕舞ってる最中だ。それはつまりあの戦いからさほど時間が経っていない事も意味する。 「あなたは…あ、起きたんだね、一応人間用の手当てはしてるけど無理はしないようにね」 「その…すみません、自分でもよくわからないうちにムキになって怪我させちゃって…」 「大丈夫、パパも大した怪我じゃないから元気に夕食の仕込みしてるよ。  だから、君は気にしなくて良いし、それにボクとしてはお礼を言いたいんだ。パパとケンカしてくれてありがとうって」 「ありがとうだなんてそんな…全部私のワガママだし」 「少しくらいワガママな方が良いと思うよ?それに、パパは元々体が良くなくてね…」 「それは…何となく分かります」 あの杖を使うのがどういう人間か、彼女は良く知っているはずだ。 「…まぁ、そんなだからケンカしてる姿を見られるのも嬉しくってさ…お互いムキになってるのを止めに入るのはヒヤヒヤしたけどね」 「あはは…その件につきましては誠に申し訳なく…」 「本当にぃ?じゃあ、誠意の証として友達にこの宿の宣伝して連れて来てくれたら許してあげる!」 「うぐ…が、頑張ります…」 ツカイモンらしく意地悪くニヤニヤ笑ってみせる、それに対してノノは苦笑しながら頷くので精一杯のようだった。 更に、持参した容器からある物を取り出してツカイモンは追撃する。 「よし、それじゃあ契約成立の印にこれ食べて元気出して」 「これは…チョコレートパフェ…?」 「そ、パパがいつも言ってるからね、美味しいもの食べてお風呂でさっぱりして布団でぐっすり寝たら小さな悩みは吹っ飛ぶって。  だから、今はそれ食べて元気出してよ。うちは休む為の場所だからさ。」 「はい、いただきます♪」 これ以上の観測は野暮だろう。 ただいまを以って観測を中断、一時保存としてスプシモンネットワークにて共有を実行。 該当スプシモンは休息を実施。