「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「ンアーッ!」 何度かのカラテの後、マニカはドージョーの床に転がった。ウケミを取ったのでダメージはない。 「まだまだ甘いな」 「グヌヌヌヌ……」 顔を上げたその先ではフジキドが涼しい顔をしていた。 フジキドとマニカ。ユカノへの用事でドラゴン・ドージョーに訪れたフジキドであったが生憎ユカノは外出中であった。 留守番はマニカ一人。くじ引きでハズレを引いたらしい。 「全然勝てないじゃんかァ」 マニカは不満げな様子を隠そうともしなかった。 ユカノを待っている間、退屈だろうとクミテを持ち掛けたのはマニカである。 フジキドは奥ゆかしく遠慮をしたが、続けて三度の誘いを受けては断るわけはいかない。ムラハチ行為だ。 元サラリマンであったフジキドは反射的に「ハイヨロコンデー」と答えてしまったのである。 なおマニカがそのようなキョート仕草を知るわけがなく、単なる子供じみたワガママであった。サイオー・ホースである。 「お主とは経験が違う」 「経験たってさァ。オッサンはヤバイなルールなのに」 フジキドは自らに枷をかけていた。 ひとつ。その場から足を動かしてはいけない。 ひとつ。片手のみしか使ってはいけない。 ひとつ。攻撃を当てた時点でマニカの勝ちとする。 つまりマニカはその状態のフジキドに手も足も出なかったのである。 「オッサン……」 フジキドはなんともいえない顔をした。 「ねえ経験ってどういう経験? やっぱカラテ?」 マニカはフジキドの様子など気にせずぴょこぴょこと距離を詰めた。 「ゼンだ」 「ゼンかァ」 大きなため息をつく。 「心当たりがあるようだな」 「ウチ、ひとつのコト集中すんの苦手なんだよねェ」 それはマニカのソウルの影響でもあるのだが、彼女はそれを言い訳にしたくはないとは思っている。 「だって座ってじーっとしてるのなんか飽きるじゃん!」 「ウム……」 フジキドは自らがドージョーに入ってきて、すぐにマニカがクミテを持ち掛けてきたのを思い出した。 本来であればザゼンの修行をやる時間であるというのをフジキドはかつての経験で知っていたのだが、奥ゆかしく口には出さなかったのである。 「だがザゼンをしなくてもゼンを得ることは出来る」 「エッ!?」 ザゼンをしないのにゼンを得る。まるでジツだ。 「それってどんなジツ?」 「ジツではあるがジツではない……」 フジキドは懐から一枚の紙を出した。 「オリガミだ」 「ナニソレ」 マニカは目をぱちくりした。 「知らんのか」 「知らなァい」 「……そうか」 フジキドはあえて尋ねることはせず、無言で手を動かした。ただのカミであったそれが、何らかの形に変わっていく。 「これがツルだ」 「ヘースゴーイ」 マニカはケモチャンのように感嘆した。 「どうやってんのォ?」 「いいか、まず四つ折りにし……」 フジキドは丁寧に織り方をレクチャーした。 「こうやって…できたァ!」 マニカが作り上げたツルはフジキドのものと比べて大変に不格好であった。しかし、マニカは初めて完成させたそれにとても満足そうであった。 「どうだ?」 「……どうって?」 「折っている間、お主は無心であっただろう。それこそがゼンだ」 「……アッ!」 子供は集中力が散漫である。しかしその一方で、己の好きなものに対しては尋常ではない集中力を発揮することがある。 「お主にはそのやり方のほうが合っているのだろう」 「そっかァ……これがゼンかァ!」 マニカはきらきらと目を輝かせていた。まるで子供のように。 「ねぇオッサン! 他にはなんかないの!」 「……そうだな。シュリケンでも作るか」 「ヤッター! シューシュシュシュー!」 フジキドは己の心が満たされていくのを感じた。これはかつて捨て去ったもの。かけがえのないもの。 「……ウチさぁ。あんま子供の頃の事覚えてないんだよねェ」 しばらく夢中でシュリケンを作っていたマニカがぽつりと呟いた。 「ニンジャになった影響かもしれんな」 「オッサンもそうなの?」 「いや……」 ニンジャになったとしても忘れられるはずがない。フユコ。トチノキ。ニンジャ殺すべし。 「……スゥー……ハァー……」 フジキドはあふれ出そうになった殺意をチャドーで相殺した。 「……」 マニカは何も言わなかった。しばらく沈黙が場を支配する。 「……だからまぁ……ドージョーの皆には甘えちゃうんだよねェ……センセイにも……みんなにも」 「子供はそういうものだ」 「ガキじゃないんですけどぉ!」 頬を膨らませて怒るマニカを見て、フジキドは笑った。 「オッサンってさァ、そんな笑うんだね」 「……そうか」 確かにとフジキドは思った。かつての自分は……否、ニンジャになってからの自分はこんなに笑っていただろうか? 「もしかしたらドージョーって家族みたいなもんなのかな?」 「そうかもしれん」 この場のアトモスフィアがそう感じさせるのだ。フジキドはそう納得することにした。 「じゃあオッサンがオトウサン?」 「からかうな」 「えへへー」 珍しく困惑する表情のフジキドを見ていたずら心が沸いたのか、マニカはニコニコと笑いながらフジキドにこう告げた。 「アリガト! オトウサン!」 フジキドの頬を、一筋の雫が伝った。 「エッ!?」 次の瞬間にはそれは消え失せていた。しかしニンジャであるマニカには確かにそれが見えたのだ。 「ウチ、なんか変なこと言ったァ!?」 「そうではない……」 フジキドの心の中には様々な思いが駆け巡っていた。だが、それは言葉にはならなかった。 「ほ、ほら! ウチの作ったシュリケンあげるからさァ! シュー!シュシュー!」 ただ、それは確かに、かつての彼が求めていたものであった。 「アリガトウゴザイマス」 フジキドはドゲザした。 「エエエッ!? そんな大層なもんじゃないってばァ!」 「いや、大したものだ。イポン取られた。お主の勝ちだ」 「なにに勝ったのかも分かんないんですけどォ!」 「おーい! どうした? 揉め事か!」 マニカが叫んでいると、ドージョーの入口のほうから声が聞こえた。 「あっ! センセイたち戻ってきたみたい! ほら! 立って立って!」 「ああ……」 立ち上がるフジキド。その顔はどこか満ち足りていた。 「今のことは色々ナイショにしといたげるよ! 大人が泣くって恥ずかしいことなんでしょ?」 「……泣いてなどおらぬ」 「またまたァ」 バシバシと背中を叩いてマニカは笑った。 「じゃあ、二人だけの秘密ね! ウチこう見えて大人なんでェ!」 了