【クラック・イン・スノーフィールド】#5(後半) 「アバババババーーッ!?」猥雑な繁華街の裏通り、暗いビルの合間に絶叫が木霊する。気を付けめいた直立姿勢に硬直し、ガタガタと痙攣する男。 目・耳・鼻からは血を噴き出しながら失禁。明らかに場のアトモスフィアと不釣り合いな上等なスーツと靴は無残に汚れる。 その正面に佇む、「ちりとてちん」とショドーされたTシャツにPVCジャケットを羽織るニンジャ…ダメージドの瞳は妖しく発光する。 ジツの制御にもう随分と慣れてきた、対象の一時的な麻痺・昏倒からニューロンを焼き切り殺すまで、今となっては自在だ。だがダメージドの興味は元より目の前の男になく、 その背後で身を竦めるオイランめいた露出度の女にあった。 「アババッ……アバッ…!」ひときわ大きく震えたのち、男は直立姿勢のまま棒きれめいて倒れ込み、完全に動かなくなった。うつ伏せの顔から血だまりが地面に広がる。 どうでもいい。その脇をするりと通り抜け、ダメージドは女の眼前に迫る。ジツの発動する瞳はそのままに、顔を覗き込む。 「アイエエエ……」「やっぱり効かないね」ダメージドが呟くと瞳の発光は消え失せた。青褪めた怯える表情で小刻みに震える女。背中にかかる鮮やかな紫髪、小柄な体躯、 肩から胸元まで大きく露出したキモノから強調されるそのバストは豊満であった。アトモスフィアは程遠いが今までの中で最も"近い"。上等だ。 その瞳の中には四枚羽のオイラン天使。オイランドロイド、しかし自我を持つウキヨではない。一般的モデルより更に自然で人間的な動作・反応を可能とする、オーダーメイド品と思わしき高級モデル。 更に違法プログラミング改造により植え付けられた恐怖心に基づく反応を返しているだけだ。 そうした違法改造を生業とする闇サイバネ師と、身分を問わずそれを求める利用者は枚挙に暇がない。猥雑な飲み屋が軒を連ねる繁華街の裏路地で、そぐわぬカネモチが わざわざオイランドロイドを連れ歩いていた事を訝しんでいたダメージドは合点がいった。予め狙いをつけていたわけではない、つい先程たまたま目に留まったその足で襲い掛かった。 「助けて!」ドロイドは人間めいて叫び逃げようとしたが、即座にその背中にダメージドが覆いかぶさり絡みついた。「待ってよ」ドロイドはギリギリと音を立て機械の力で抵抗するが、 ダメージドは動じない。その爛々と見開かれた双眸は再び暗紫色に輝き、同じく色づいた陽炎めいたカラテが全身から滲んでいる。 ダメージドはふと思いついたように、掌をドロイドのヒップから腰、キモノの胸元へ、豊満なバストに滑り込ませる。びくりと震えたドロイドの雪めいた白い頬は急速に紅く染まり、伏せた眼は潤む。 「やめてください」思った通りだ。先程の恐怖心と同じ、羞恥心も違法プログラミング済みだ。熱を持つ吐息と共に、ダメージドのそれと触れ合う頬の疑似体温も上昇する。 「……酷い事するなあ」ダメージドは眉間に皴を寄せ、憮然とした声を出した。羞恥心に恐怖心。もとより所有者に逆らう事の出来ぬ自我なきオイランドロイドにわざわざそれを刻みつけ、 あのカネモチは何を愉しむつもりだったのか。ふいに、弱々しく震えて凄惨な体験をとめどなく語るマツユキの泣き顔が頭に浮かび、アワレが胸をよぎった。 ダメージドの手はドロイドのバストを離れ、滑るように右の二の腕を掴んだ。そして瞬間的に力を込めると、強引にへし折り、引き千切る!「イヤーッ!」「ピガーーーッ!?」 ドロイドの二の腕から先が滑落した。そのままうつ伏せに地面に押し倒したドロイドの残る左腕をホールドしたまま、右手は紫髪の後頭部を鷲掴みにする。そして顔面をアスファルトに激しく叩きつけた! 「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガッ…」 「イヤーッ!」「……ガ」「イヤーッ!」「……」「イヤーッ!」「イヤーッ!」 やがてドロイドがだらりと脱力したところで、ダメージドは動きを止めた。万力の如き力でホールドされていた左腕は圧壊。骨格フレームは砕け、二の腕から先は千切れかけの人工筋線維と 表皮のオモチシリコンだけで繋がりぶらぶらと垂れた。 仰向けに転がすと、先程まで青くなり紅くなり、恐怖と羞恥を浮かべていた顔は、眼も口も半開きの白い伽藍洞、左顔面にかかった塗れた紫の前髪をかき上げると、執拗に地面に叩きつけられ、 シリコンが削げ砕けたクロームとサイバネ・アイ。時折思い出したように痙攣と漏れる呻き声。キレイだ。 「ハァーッ……」ダメージドはメンポを懐にしまい、深呼吸する。収まりきらぬ心拍数と呼吸の昂ぶり。記憶の光景と重ねるように、ドロイドの紫髪、破損した顔、豊満なバスト、 体躯、クロームの照りを凝視する。持ち帰るまで待ちきれない。そして本降りになり始めた重金属酸性雨と水溜りにも構わずその場に腰を下ろすと、仰向けになったドロイドの首に手を回し、 固く抱き寄せ深く口づけた。 唇と口内を貪りながら、右手はキモノの胸元をはだけさせる。まろび出た豊満なバストに掌の沈み込む感触と、のしかかる重量を確かめるように激しく揉みしだく。左手は太ましい太腿を撫でながら、 キモノのスリットの中に入り込み、脚の付け根に向かう。血流が早まる、体温が高まる。遥かに良い。その時である。 「アイエエエエエエッ!?」背後から悲鳴。眉をひそめて振り向くと、ゴミ出しに出てきたのであろう、横のビルの飲み屋の店員、足元にはカチグミの死体。興覚めだ。行為を中断し、嘆息しながら立ち上がる。 ゴミ箱をぶちまけ腰を抜かし失禁する店員に、ダメージドはツカツカと歩み寄る。ゴキゴキと指を鳴らす右手には、暗紫色のエンハンス光がゆらめく。 『届ける優雅な暮らし。それはおいしい紅茶、スシ、火力。紳士淑女はあなた。フェアリーズパックです』その時、緩やかに航行する広告マグロツェッペリンがストリートの上空に差し掛かかった。 過剰に周囲を照らす派手なライトに、裏通りも明るく染まる。 ダメージドはその時ようやく店員の姿を検めた。法被めいた制服には、波しぶきをバックにスモトリめいた逞しい腕と下半身を生やす鯛のイラスト。額のハチマキには『おさかな人間』の店名、そして。 「カスガイ…?」幼い頃からよく知る声と顔。 ダメージドは立ち止まり、己がメンポを外していたことを、そもそもどうしてこのストリートに足を運んだかを今更思い出した。財布の中のクーポン券。テオシ。エンハンス光が消え失せ、 僅かに沈黙が訪れる。最初にそれを破ったのはテオシだった。「…なんだよ、これ。お前」カスガイが今まで聞いた事のない、たどたどしい掠れ声。見た事のない怯えた弱々しい顔。 「テオシ。内緒にしてくれるかな、これ」カスガイは驚いた。あまりに自然に出てきた言葉と自身の落ち着いた声に。「この間のノミカイの埋め合わせって事でさ。学食一カ月より安いよね?」 数歩歩み寄り、しゃがんで目線を合わせる。テオシは困惑した。異常な状況にも関わらず、カスガイの表情も声音も普段とまるで変わらない。それが恐ろしかった。 「何、言って。この人たち、死んで」「あの子はオイランドロイド。その人は…知らない人だよね、おれも知らないけど」理解が追い付かぬまま口をパクパクとさせ、眼を泳がすテオシの視線が止まった。 カスガイの背後で倒れる無残に半壊したオイランドロイド。紫色の髪、破損した左の顔、あられもなく晒された豊満なバスト。テオシはそれを既に、よく知っていた。 「お前」嫌な確信だった。未だに現実感の欠ける信じ難い光景と、親友が、どうしようもなく結びついた。 「黙ってるだけでいいんだ。何も変わらない、いつも通りだよ。また今度一緒にメシ行こうよ」一方的に話を打ち切り、立ち上がるとカスガイは踵を返した。テオシをどうするか、 既に己の内から答えは示されていた。カスガイ・オカベはそれを拒絶し、一刻も早くこの場から去ろうとしていた。 「……カスガイ!」立ち上がったテオシが張り上げた声。これには聞き覚えがあった。小学校の頃、夜道で過呼吸に陥り動けなくなった自分を、必至に介抱してくれた時と同じ。 その記憶を辿るより先に、不快感が湧いた。己の悦楽を妨げた鬱陶しい邪魔者、非ニンジャの屑への。それがダメージドの答えだ。 「イヤーッ!」振り向きざま、既に暗さを取り戻した裏路地に暗紫色の残光が横切った。羽虫でも払うような無造作に振り抜かれた右手。ボトルネックカット・チョップ。 「アバーーーーッ!」テオシの首は撥ねられ、スプリンクラーめいて噴き出す鮮血が路地裏を染める。やや遅れて首が路地にぶちまけられた生ゴミの上にぼとりと落下した。 「アイエエエエエエッ!?」その直後、ゴミ出しの遅さに様子を見に来た別の店員が、首の落ちたテオシと噴血し倒れるカネモチの死体に失禁しながら叫んだ。ダメージドはドロイドを担ぎ、 既にその場を飛び去っていた。雨足は既に土砂降りに変わっていた。 ◆◆◆ ツジギリされた哀れな無軌道大学生の死。チャメシ・インシデントなそれは、その脇に転がっていた実業家カネモチ死亡ニュースの内容のごく一部に留まった。 カネモチが連れ歩いていた高級オイランドロイドの紛失から、昨今世間を騒がすオイランドロイド連続カラテ強奪犯によるものとNSTVの報道番組は結論付けた。 数日後、テオシの葬儀にカスガイは参列し、センコを立て手を合わせた。ユーレイめいて生気の失せた両親の顔。火葬の直前。まだ小学生のテオシの弟はその間を飛び出し、 棺にしがみついて堰を切ったように泣きじゃくった。カスガイは隣で屈み、赤ん坊の頃から知るその頭に手を置き、暫し無言で肩を寄せた。 視線の先、遺影に写る歯を見せて笑う顔はハイスクール卒業時の写真だ。何度も受け狙いのふざけた顔やポーズをしては撮り直し、担任に叱られていた。呆れながらも皆笑っていた、自分もだ。 その下に目を落とす。カンオケの中で目を閉じる不動の顔は、土器色のマヌカンめいていた。 【NINJASLAYER】