a few days later 〇  話はとんとん拍子に決まり気づけば約束当日になっていた。最初は大丈夫と気楽に構えていた俺の心臓は日程近くになるともはや爆発するのではないかと思うほどに高鳴っている。当の昔に無くしたはずの童貞が今更戻ってきているような感覚、女性を初めてデートに誘うときに似た高揚感と不安感が一気に押し寄せる。  色々と機材を乗せた車をチェックし万が一がないかを確かめる。不安からか意味もなく何度も何度も。それを見ているクンビラモンが呆れながら落ち着けと言ってくるがそんなものは無理だった。自分でも何故かわからないほどに、烏籐すみれと言う女性は俺の心をかき乱す、今もまた。そんな心を落ち着けるように深呼吸、深く吸い、深く吐く。なんの意味も持たない。ざわめき続ける心が不安になり攻め立ててくるように思えた。しかしだとしても、時間だけは誰にも平等だからおびえる自分自身を蹴っ飛ばし、遅れないように待ち合わせの場所に向かった。  そこは車を飛ばして十数分程度のところにある。駅前には12時間で数百円と割安の駐車場がありそこに車を止め、ランドマーク代わりの像の前に歩を進めた。駅前だから数店舗店があり、喫茶店がそのうちの1つに存在していた、ふと窓を見る。見知った顔がある。 「あれは……」  烏籐すみれともう一人、少し前にちょっとした依頼を頼んだら招集に載ってくれた下戸の少年……たしか映塚黒白少年だ。色々あって未成年ながら酒に手を出す可能性のあった仕事に手を出すという勢いも無謀も兼ね備えた彼なのだが、どうも黒白君がすみれちゃんに怒られているような雰囲気。少しだけ嫌な予感がした足早に駆け寄る。流石に知らぬとは言え未成年に酒を持ってくるように頼んだなどと言うのは体裁が悪い。そんなことを漏らすわけはないと思っているが、もしかしたら、万が一、考えたくもない失望、ここで彼女との関係がご破算になるかもと言う最悪の想像が止めに入ることを選択させ、俺が店に入る前にすみれちゃんが店から出る。 「あ」 「……や、やあ」  俺の顔は引きつっていないだろうか、妙な顔をしていないだろうかと内心で冷や汗をかいていたが知らぬか、あるいは知ってスルーしてくれたのか柔らかい笑顔で挨拶を返してくれる。  今日は仕事じゃないからか普段の制服じゃなくラフな私服に身を包んでいる。 「おはよ、いい天気だね」  ほっと胸をなでおろしてから改めて彼女を見る、動きやすさに可愛らしさが含まれている。少しばかり見とれそうになるのを押し込んで、何か褒め言葉をと思って口を開いて、 「うん、お゛、おはよう」  上ずった声で息を整え挨拶を返す。矛盾だった、その上全然整っちゃいなかった、ガキか、俺は。 「ふふ……今のちょっと面白い」 「笑うなよ、いきなり目の前に来たからビビっちゃったんだ」 「ふぅん?お化けにでもあっちゃったかな?」 「こんな可愛いお化けならいつでも会いたいもんだ、むしろ憑りついてくれる?」 「冗談」  少しだけいつもの雰囲気、それに安堵したから後は目的地に行くだけだが、少しだけ気になったことを問う。 「あー……差し支えなければなんだけど」 「何かあった?」 「あー……そこ、喫茶店でなんか彼のこと結構険しい目で見てたから」  そういうと、あー……と、少し不味いような声を出した。 「年下の燕?」 「おバカ」  ないとはわかっていても探るように聞いたのは愚かな俺の愚かな内心の発露だが、何とかバレずに済んだらしく否定されて終わった。 「まー、ちょっとした事件の参考人ってところかな」 「なるほどね……彼も難儀して」 「知り合い?」 「ん……ま、そんなところ」 「へぇ、だったら彼も誘った方がよかった?」 「……まあ、君がそれでって言うなら」  一発、デコピン。 「馬鹿だなー……折角誘ってくれた相手の前で他の男の子とは言え、別の人を呼ぶほど野暮じゃないよ」 「……まったく、かなわんね、そりゃそうだ」  普通に考えれば当然のことなのに、そんなことばかり気にしている。本当に今日の俺はどうにかしているらしい、そうさ、全部夏のせいということにしておけばいい。小さく苦笑いをしてから、少し息を吐いて車のほうを促す。 「こっち来てもらえる?連絡したけどプールはデジタルワールドにあるからさ」 「それは知ってるけど、別に今時スマホからゲート開けば……」 「バッテリーのこともあるし、それをずっとどこかに置いとくわけにもいかないでしょ」  車のトランクにはいくつか機材を積んである。今の世の中便利になったもので、少し金を出せば昔は難しかったであろう大容量の電源も簡単に手に入れることができるようになった、トランクの中には簡易空調とPCが有り、それぞれがバッテリーに繋いである。この程度のしようなら3日程度はゆうに持つから今日を遊ぶ時間程度なら捻出ができた。電源を起動し、ゲートの準備。 「これなら心配ご無用ってね」 「準備万端じゃない」 「まあ……いい男は準備を欠かさないものさ」  と、格好をつけてみるが日程が決まってから急いで調べて買いあさったものだから準備をしていたとは口が裂けても言い難い、しかしこういう時は笑って流して見せるのも男の生き方の1つでもある。 「それじゃ、チケットを読み込ませ……さて、ゲートオープンっと」  アプリケーションを起動、チケットのコードをカメラに写しマリンプール・エーギルのドメインを指定、光が溢れる。眩しさに目をつぶり、ほんの一瞬、それだけで目を開けばそこにはデジタルワールドが広がっている。 「わぁお」  間抜けな声が出た、それにしても思った以上に豪華なつくりをしている。よほど金をかけたのだろうことがわかった。眼前にはファンシーな巨大ゲート、マスコットキャラの巨大トルソーが出迎えてきた。調査を行った時とは比べ物にならないほどに見違えたその様相は、アスタモンたちの遊び心が見て取れる、商売人なれど伊達者の矜持とでもいうべき、サービスを行う者たちの心意気。 「へぇ……結構立派な作りしてる」  すみれちゃんがまじまじ見ながらそんなことを言う。 「向こうさんも客商売だから、下手なものは出さないよ」 「残念だけど、この世には下手なものが多すぎるのよ」  目を伏せがちに、そして小さな失望が混じったような声が聞こえた。  烏籐すみれは警察だから知っているのだろう、多くの贋作たちを。表に出てはいけないたくさんの下手なものたちを。 「と、何時までもここにいられないさ、行こうぜ」  暗い雰囲気になりそうだったから強引に話を打ち切った。これで空気が変わればいい。  チケットを見せて入場すると、不審者やチケットなしで通ろうとする不定ものを拒むゲートがあり、さらそこを通るとエントランスになっていた、広く開放的な雰囲気に青を基調とした清涼感のある空間、そこには大き目のデジタル植物を観葉として置いてあり、ホログラムの魚たちが海と勘違いしたように宙を泳いでいる。もしかしたらデジモンに協力してもらっていくつかはスタッフなのかもしれない。エントランスにもいくつか店はあったがメイン部とは違うからあまりめぼしいものはない、軽く喉を潤せる程度の清涼飲料が収まっている自動販売機がある程度、ここもいい場所ではあるのだがオーナーの早く先に進んでほしいという思いがありありと見える。進行方向は矢印でチェックされているから向かう先はわかりやすかった、軽く声をかけて一旦分かれる。当然だ、プールなのだから水着に着替えなければならないから更衣室は男女でわかれている。 「それじゃ、また後で」 「うん、後で」  手を振って男性用の更衣室に入る、更衣室には収納用の大き目のロッカーと仕切りがある、リアルワールドのレジャープールには行ったことがないからこのようなものかはわからない。一応最後に思い出せるのは学生の頃の授業用プールだったからああいうものかとは思っていたのだが、ちゃんと仕切りがあるのはありがたい。  俺の体は見せられたものではないからだ。傷痕、切り傷、銃痕、火傷痕、要するに定職につかずに自分の自由を求めた結果行く場所は鉄火場と言うわかりやすーい堕落、ともすればこれもまたクンビラモンに言われるまで無意識にすみれちゃんを誘う相手から外していた理由でもある。当然だ、名誉の負傷と言うものもいる、しかし実際どうかと言えばそんなものは自己満足でしかなく人によっては愚かなものととらえられる。少なくとも、まともな人間にとってはこんなリスクをとってまで好き勝手に生きたいのかという言葉を投げかける材料になるだろう。俺は怖かった、この体を見られたときにそのような侮蔑を……尊敬?劣情?今だ自分の決着の付けられない内心を抱えた相手に見られてしまい、そしてそれがマイナス感情であることが怖かった。彼女はそんな人ではないのだと思っている、一定の社会規範に収まるのであれば人の意思を尊重してくれるものとも思っている。それでもなお、もしかしたと思ってしまうほどに彼女から俺は嫌われたくないと考えていた。  とは言えそんなことは今更だ、うだうだしても仕方ない以上さっさと向かわなければならない。何より男が着替えに時間をかけるなんて野暮も野暮だ、それに一応解決策も持ってきている。 「ないよりましか」  男性用の海パンでは流石に下半身を隠しきれないが、大きめのパーカーならばある程度は隠せる。 「これでよし」  ファスナーを締めて準備完了、こんな無防備な姿になるのはいつ振りかもわからない。着替えを収納したバッグはロッカーに押し込んで準備完了、持つものはデジヴァイスとロッカーの鍵だけだ。  厚手のビーチサンダルはどこか履き心地が頼りないがこれもこう言った場所の醍醐味と割り切って消毒液を浴びてからシャワー、そして施設のメイン部分へ。  そこには楽しみが広がっていた、エントランスに比べても大きく、そして広々とした空間にはプールの他にスライダーなど入場者を楽しませるための仕掛けがそこかしこにあり、またその空間ですべてを完結できるように軽食から普通の食事までと多くの料理店が存在していた、アスタ商会もここまでやると言うのはまさに本気で遊んでいるのだろう。テイマーとデジモン相手ならば採算など取れるはずもないというのにそれでもなおと言うのであればまさに……商売人であり道楽人と言うのが心のそこまで根付いているのかもしれない。  すでに空間には何人かの客がいた、それぞれが自分とパートナーで思い思いに楽しんでいた。ならば俺もここで狭い電脳空間に相棒を閉じ込めておく必要性もない、デジヴァイスを起動、クンビラモンを起こしてやる。 「ふぅ……この時間を待ちわびたぞ浩一郎」 「そうだな、待たせた……と、んじゃ金」 「ふぅ……折角デジタルワールドに居るんだ、たまにはこれだな」  1日遊べる程度のbitをクンビラモンに送金し、声をかけて分かれる。相棒とは四六時中一緒にいるがたまには分かれて動くと言うのも悪くはない。 「で、クンビラモンはどうするんだい」 「ん?……まぁ気になるところはあってな、ちょっとそこを見てくる」 「そっか、まあ連絡はつくようにしておく」 「わかった……楽しんで来いよ」 「言われるまでもない」  そこで俺と相棒は別々の場所へ向かう。俺は……さて、後はお招きさせていただいた麗しの主賓を待つ間、知った顔でも探すとしよう。  歩くとほど数分でその顔は見つかった。 「ああ…君は映塚くん」  朝に理屈はわからないが折檻?のようなものを食らっていた少年であり、俺とも奇縁によって出会うことになった黒白少年だ。 「あー……どうも源さん」 「名前呼びでもいいんだぜ」 「冗談はよしてくださいよ」  苦笑いとも真顔ともとれる顔で彼が言う。なかなかに堅物な少年だな、と思いつつも軽く雑談。 「君も来てたんだね」 「そっくりそのままお返ししますよ、源さんはこう言うところよりもっとこう」 「暗くてじめじめしたところに居そう?」 「わぁ邪推、違います、もっと……お酒の多いところに居そうと言うか」  そう言われると言い返せない、こう言ったところに置いてある酒は大半がビールでしかも大量生産の……それが悪いとは言わないが俺故人としてはあまり飲まないビールと後はチューハイくらいが関の山か、故なければ来ることはないだろう。 「ま、故あって」  そう言ってごまかす。それよりも、 「正直君もあんまりこう言うところは来ないと思ってた」 「根暗で陰気臭そうだからですか?」 「わぁ曲解、違うよ、君はもっと物静かなところが好きそうと思ってね」  そう言うと黒白君も少しだけ考えこんでから、 「故あって」  なるほど、お互い色々事情がありそうだ、ならば長く話す必要もありはしない。 「そっか」 「ええ……ああ、そうだ」 「ん?」 「例の件については内緒にしてますので」  俺と黒白くんで例の件と話すとあれのことしかない、酒だ、それも極上の酒を探してほしいと依頼したことがある。以来の後で知ることなったのだが未成年で、その上下戸と言う知る人が知れば説教を食らうのは間違いない。それを伏せておいてくれるのは別に綺麗な身ではないとしてもありがたい。 「ああ…了解……ちゃんと報酬は振り込まれてた?」  そして1つ聞いておく、仕事にはその分の金を、彼はハンデを持っていた、しかしそれでもやり遂げた。おそらくは尊厳までかけてやり遂げた以上それに見合ったものは支払わなければならない。 「ばっちりと」 「ならいいさ」  彼は20にもならぬ身で億単位の金を手に入れた、とある伝手で税金周りは頼んでもやはり億越えの金銭を懐に入れることになった、何に使うのかはわからないし知ろうとも思わない。それが必要なのだから無茶をしたのだ。それを無理して聞くのは野暮だし、何より人には人の事情がある。 「それじゃ今日はお互い楽しもうか、俺は行くよ」 「ええ、もし……次があればそのうちに」  そこで会話を切り上げて黒白君とわかれる。いいテイマーだ、もし次があればと思わせる程度には。手を振ってはなれた、彼も手を振り返す、そこで終わり、歩けば姿が見えなくなる。  後は特に見つけることはない、いや、もしかししたら居るのかもしれないがまだ見つけることはできなかった、機会があれば合うこともあるだろう、だから今はただしばし歩く。  アスファルトに太陽の熱、わずかな湿気、陽気、土、植物、電脳の中に存在するリアルたち、それは俺たちリアルワールド側にとっての虚構であると同時にまた事実でもある、不確かな確実が確かにここにある。そんなものを眺めて30分程度、着信がデジヴァイスに来る、すみれちゃんが準備を終わらせたようだった、心臓が跳ねた、俺の心が爆弾ならきっとここ一帯を吹っ飛ばせる気がしてきた。それほどまでの鼓動が今体内に鳴り響いている。心臓に存在する数多の血管が弦となって狂ったよう振動し、その鼓動を生み出していた。いっそ物言わぬ楽器にでも俺は今なれればいい、そうなれば後は演奏するだけなのだから。  しかし俺は人間だった、人を待たせるのはモラルの上でよくないものと知っている以上向かわねばならない、入り口側に向かう。  すみれちゃんがいた、スポーティな水着、しかし肌が多く出ている。その瞬間に俺は言葉を失っていた。かつて幾人かの女性の下着姿を見たことがある、ほめそやしていい気分にしたこともある、水着よりよほど刺激的な姿を見たこともある。だが、俺には今彼女にかける言葉が見つからない。何を言ってもそれは嘘になりそうなくらいに、だからただ見とれていた、視線が全てを脳に焼き付けようとするほどに、その行為が不躾で無遠慮何より不格好なことであるという事実を格好つけの俺に忘れさせるほどの衝撃を感じ、ただただ彼女の姿を見つめてしまっている。すみれちゃんが頬を赤く染めていた、息をのむ。作られた太陽の下にただただ真実が存在している。 「何か言いなよ」  目をそらされた、そして言われる。ああそうだった、忘れるところだった俺は彼女の……多くいる知り合いのたった1人の男の1人でしかない。彼女が俺を特別視するほどの理由もないのだからごくごく普通に感想を求められるのは普通のことだ。だから、何とか息を吐いて、 「綺麗だ」  それ以外に言葉を見つけることができなかった、いつもは軽い口が鉛になったように言葉を失わせ見つけた言葉ですらそんな言葉しか言わせてもらえなかった。本当に、本当に、情けない気分だ、無駄に歳を食っておきながら、そんなものしか出てこない。 「ふふ、ありがと」  何が面白かったのか、彼女も小さく笑ってただそう言った。少なくとも不気味がられてはいないようならよかったと、ただ息を飲んで吐く。 「笑わないでくれよ、その微笑みにやられちまう」 「ふふっ…何それ」 「女性の笑顔は弾丸みたいなもんさ、そしてそれが美人なら銀の弾丸」 「私にやられちゃう?」 「かもね」  落ち着かない手をポケットに突っ込んで落ち着かない内心を隠しておく。その間にすみれちゃんはデジヴァイスを操作して彼女もシンドゥーラモンを呼び出した。 「ふぅ……デジヴァイスは窮屈でかなわいないわぁ」 「もぉ、そんなことあるの?」 「すみれはあんなかに入ってないからわからないの!ふぅ……広い空間に居られるってのがどれだけ贅沢かちゃんと理解するべきだねすみれは!」 「わ、わかったから!」  シンドゥーラモンの言葉の弾丸は歳を重ねるにつれて増していく。だれが言ったかオバチャンモン、流石に直接彼女本人に言えるのはすみれちゃん本人くらいだ。 「それより……ほら、その……浩一郎君待たせてるからね?」  おっと、出汁にされてしまったらしい。こういう時に男のするべき行動はたった1つ。 「や、シンドゥーラモンお久しぶり」 「あー!浩一郎あんた最近連絡もよこさないでもー!裏でこそこそやってるのはわかってるんだからね!クンビラモンが時々連絡くれるから元気なのはわかってるけど、だからってテイマーのあんたのほうから連絡してこないってのはあんまりにも不義理じゃないのかい!あ、それより聞いたよ!また無茶したんだって?もー、そう言う生き方しかできないって格好つけてるけどちゃんと普通に働いて格好いい人はいくらでもいるんだからそろそろあんたも落ち着いたらどうなの?ご両親との仲は別に悪くないって前に言ってたんだから何時までもふらふら風来坊気取ってたら両親だって気が気がないでしょうにっ!落ち着いて家族作って孫の顔見せてあげるのも親孝行なんだからねそうだあんたもすみれと同じ警察になっちゃいなさいなって言うよりなればすみれも少しは楽になるんだからテイマーで警察になろうって子少ないからね、あでも、あそこ居心地悪くないけどちょっとか達苦しいのよね――」  まさに言葉のマシンガンとでも言うべきその乱射を身に受けると冷や汗が出る、久しぶりだがまさに言葉の切れ味鋭く好みを斬りつけられているようだ。とは言えこう言うやり取りもまた懐かしい。 「ははシンドゥーラモンも相変わらず」 「もぉ何笑って」 「ごめんごめん……でもさ、ここは俺があ――お願いしたんだ、そろそろ回らないと時間のこともある、ちゃんと今度は連絡するから」 「むぅ……」  まだまだ納得のいかない様子のシンドゥーラモンにやや苦笑、いや、ここまでなるようなほど心配させた自分こそが一番悪いのだが、流石にこれ以上は十言う部分は変わらない、だからこそ、 「頼むよ……シンドゥーラモン【姉さん】」  真心を込めてそう言う。ポイントは姉の部分を強調して、普段普通ならばこんな言葉でなのだろう。デジモンは個体ごとに性自認が違うと言うが、すみれちゃんのシンドゥーラモンは女性的だ、だからこそどうもオバチャンモンなどと言われるわけだ自認が女性であるならばオバチャンなどと言われるのはあまり気分がいいものではないだろう、ならばこそ、ここで必殺の一撃、まあ褒められたことではないのだろうけど。 「むぅ……」  シンドゥーラモンが押し黙る。いや、俺の狡すっからいやり方なんてシンドゥーラモンには見抜かれているだろう、だとしても、彼女ならばここでそれを言われる意味を理解する。いや、理解しなくてもいいさ、でもきっと見せてくれるはずだ、年上を気取る心意気を。 「……しょうがないわねぇ……」 「恩に着る……説教ならまた受けるからさ」 「説教を受けないように努力するって言う方向に考えないからまったく」 「まったくその通り、気を付けさせていただきます」 「言葉だけじゃないといいんだけどねえ」  シンドゥーラモンが腰……腰?に己の羽を丁度人間が手で腰をつかむ風にして呆れを示してくる。シンドゥーラモンは俺のパートナー・クンビラモンと手別上は同じデーヴァと言う所属に分類されるデジモンだ、性格にはそんな組織にいたこともないのだがそう言った情報を取り込み進化している。だからなのかその構成要素がシンドゥーラモンとクンビラモンは少し似ていた、クンビラモンが球体と鼠の組み合わせであるならば、シンドゥーラモンは球体と鳥の組み合わせ、とは言え他のデーヴァが全てそうじゃないから共通項として似ているのが偶然というだけなのだろうきっと。  ともかく俺の謝罪に不承不承とばかりに頷くシンドゥーラモンに礼をいい、1つだけ言い含めておく。 「そうだ、見かけたらクンビラモンとも少し話してやってくれよ……まあ、連絡とったりしてるみたいだけど、直ってのは俺のせいで久しぶりだろ?」 「そうだねぇ……久しぶりだし見つけたら話すかぁ……」  羽で己の嘴を撫でながら何を話すか思案しているのを見て本当におしゃべりと言うものが好きなのだな、と感じる。たまにはこう言うのに付き合うのも楽しいかもしれない、シンドゥーラモンは話し上手で聞き上手でもある。つまらない愚痴でも聞いてもらっているうちに軽くなるものもあるかもしれない。 「それじゃ……そろそろ」 「うんうん、2人とも折角の日よりなんだから楽しんできなぁ」  言い、シンドゥーラモンと分かれる。  そしてなんと例えればいいか、とうとうこの時間が来てしまったとも、来てくれたとも言うべきか。 「あー……さて、お嬢様、今日はお招きに乗っていただきありがとうございます」 「ふふっ…芝居かかりすぎだよ」 「知ってるさ」  でも、今の俺には……僕にはこんな格好つけでもしなければ平静を保てそうになかった、口が乾く、しかし招いた以上例え張り付いた薄っぺらい仮面であっても張り付け続けなければならない。 「それじゃ行こうぜ、たまには童心に戻るのも悪くない」 「子供みたいな浪漫に生きてるって豪語してるじゃない」 「なら、子供みたいな俺を見て、遊べばいいさ」  言い、館内を歩く。そこかしこに楽しむためのアスレチックがある、どれを選べばいいかもわからないほどだ、少し歩いた程度では回り切れないほどだ、刺激にあふれている。 「まったく、選択肢がありすぎるってのも困りものだ」 「ほらほら選ばないと日が暮れちゃうよ?」 「日が暮れたって太陽はそばにあるさ」 「何かの比喩?」 「んー……」  また芝居がかった物言いが口から出てしまう。太陽は東より登り、西に降りていく。そしてすみれちゃんはシンドゥーラモンのテイマーだ、シンドゥーラモンはデーヴァであると同時に所属は西方の守護者バイフーモンの配下と言うことになっている、西方の酉のテイマーが横に立っていると言うのであれば太陽は沈まずそこにあり続ける、なんて、赤面しそうになる。14歳だった頃を思い出す、今ではすっかり根付いたと言うかもはや使い古されて聞きもしなくなった年頃の麻疹とでもいうべきか、そんな時ならば喜んで口に出していただろうが流石にいい歳になって言えることではなくなってしまった。歳月を重ねて得るものもあれば同時に失うものもあった、と言うべきか。 「ま、何でもない」  そう言って言葉を濁す、かつて言えたはずの素直さは今はどこかに消えている。内心を誤魔化すすべだけは増えた。 「そっか、言いたくなったら言ってよ」 「ああ……そうするさ」  言える日が来ることは俺自身も祈っている。 「と、さすがに泳がずにって言うのはつまらない、とりあえずそこ、どうだい」  指さしたの先にあるのは流れるプールだ、セクションわけされていて緩く流れるエリアと流れの強いエリアがある。 「お、定番」 「外さなくていいと思う」 「いいね……で、泳ぎに自信は?」 「あるよ、泳ぎは得意に…得意でね」  得意と言うより得意にならなければならなかったというほかない。鉄火場はどれだけ長く生き残れるかが肝であり体力勝負だ、そのなかで水泳は筋肉を付けながら体力を作るのにもってこいだった、日がな一日ひたすら水練に費やしたこともある。とは言え最近はそれも少々難しくなっているがそれで培った水泳能力に問題はない……はずだ。 「それじゃ見せてもらおうかな」  挑発的な笑み、まだ見ずの中に居るわけでもないのに溺れてしまいそうだ。 「いいさ、見ててくれよ、これくらいわけはない」 「まったく……お調子乗りは変わらないんだから、溺れない様に気を付けること」 「まさか……ああ、いや、わかった」 「まあ……無茶しても私が助けるよ」 「そいつは困った、溺れてみたくなる」  軽く背をはたかれる。 「流石に冗談でもそう言う事は言わないの」 「失敬、まあでも、溺れちまえば嫉妬されちまう」 「何に?」 「水の神様さ!」  言って、飛ぶ。周りに人がいないのは確認済みだから遠慮なく、そして後でミスったなと思う。警察官の前でこんなはしたない真似はいけなかっただろうか、が、こう言う日には流石に野暮は言いっこなしらしい、苦笑いを浮かべつつも咎める雰囲気はいない。なら、と体の力を抜いて、1度深呼吸肺に空気を満たしてから肉体を動かし始めた。  動作はクロール、俺にはそれしかできない。バタフライだの背泳ぎだのはあまり得意ではない、肉体のポテンシャルに任せた動作はそれなりにできるが動かすソフト面にはあまり恵まれていない、スペックを生かすだけの能力を有していない。水泳は決まった型を覚えてそれにそうだけで何とかなるが、判断を求められるようなスポーツはついぞ上達しなかった、ボールで言えば力任せに投げれば遠くまで投げれるがノーコンで逆にコントロールを利かせようとすれば途端に飛距離が落ちる、そんなところ、それ蹴りでも変わらない、遠くまで蹴っ飛ばせば狙った方向と明後日の方向に飛ばすことは当たり前だった。剣道だの柔道だの肉体でゴリ押せるならそれなりに得意なのだが……まあ今更言いっこなしだ、今は泳ぎに集中しなければならない。  腕が水面を斬るように動く、それを左右両の腕で交互に前方に、鍛えた筋肉は力強く動作し、定期的なリズムを刻んでくれる。しかし失敗した、見せたくないとはいえパーカーを着たまま泳ぐべきじゃなかった、着衣水練は何度かやったことはあるがこの場では邪魔だ。脱ごうかと思うがその思考はすぐに失せていく、動き始めた体はその動作を止めようとしない、片腕が水中に入り、同時にもう片方の腕が水面の上で弧を描く。肉体を構築する際に最適化した動作は滑らかで自分の積んできたものが間違いないことを確信する。そのままもう少しだけ力を込めて水を掻いていく。脚も交互、細かく打ち付けるようにしかし確かに力強く蹴りつけて前に向かうための力に変える。同時にそれは体幹を安定させるバランサーとしても機能した。  呼吸のリズムは3度に1度、顔を一瞬沈めてから横向きに上げて素早く息をのむ。しかし視線は前に、行き先を間違わないように。  それらの動作が重なって肉体は放たれた矢のようになる、水の中を突き進む矢、一度打ち出されれば戻ることのない1本の矢、このままそうなってしまうのも悪くないと思った。自然の中に埋もれそうな思考は水の中で生まれた、母なる海ではないけれど、しかし同時に水と言う総てを進む存在にい包まれていると、そんな思いが浮かぶ。きっとそれは俺が水と言うものを好んでいるからでもあるかもしれない、あらゆるように形を変えて時に空気で時に個体で、液体、何にでもなり何にでも変わる、おそらくこの世で最も自由な物質、そんなあり方に自分の自由を仮託しているのかもしれない。俺も水の様に自由でありたいのだと。 「ほらー!けり足鈍ってるよ!」  声が聞こえた。  すみれちゃんの声。  それが思考を引き戻す。  なるほど、まだ水の神様のところにはいけないらしい、最後、力を込めてプールのヘリまで泳ぎ切る。 「ふぅ――」  天井を見る、疑似太陽が当たりを照らす、水面が輝いていた。 「お疲れ」  すみれちゃんがそう言って手を差し出してくる、その手を取った、俺の手とは違う柔らかな女性的な手に掴まれて、一瞬ためらいが生まれたこのままだと逆にこちらに引き込んでしまいそうで。  しかしそれを気にした様子もなく俺を引き上げようとする、難しいだろう、俺の体重は90はある、女性の力ではなかなかに難しいだろう。差し出した右手とは反対方向で己の体を支えて一気に登りきる。張り付いたパーカーが気持ち悪かった。 「言うだけあって、なかなか泳げるじゃん」 「だろ?」 「でも、それ脱げばもっと早く泳げたんじゃないの?途中から結構動きづらそうにしてたし」 「あー……ま、気にしない気にしない」  本当に気にするようなものではなない。  しかしすみれちゃんは怪訝そうな目で見る。 「見せたくない?」 「……男の秘密なんぞ暴くもんじゃない、たいていは石コロみたいなもんだ」 「まーた卑下しちゃって」 「そりゃ美女の前じゃ、俺の言葉は霞む」 「甘い言葉で誤魔化されないよ、警察だからね」 「そりゃまあ……でも、これでも単なる小市民なので」 「……そう言う事にしておく」 「ああ」  俺の傷を、何時か笑い話にできる日が来るのかどうかはわかりはしない、しないが、だが……きっとそんな日が来ればいい。 「と、悪いね、湿っぽくさせた」 「気にしないよ……それで次はどうする?」 「そうだね、俺1人が楽しんでたらデートにならない」 「ふぅん…デートだったんだ」 「……男女が遊べばそれはデートさ」  そう言うと心が少しだけ楽になる、朝のころまでに持っていた重い感情が少しだけ軽くなった気がした、手を取る、そして引く。すみれちゃんは拒まなかった、少なくとも手を取られて悪い気分になるような相手と思われていないことにほんの少しだけ安堵、だがただ手を引くだけでは男が廃る、ならばここはせめて言葉通りデートらしくして見せよう、次に向かう先は2人で楽しめるものがいいと思った、泳ぐことは好きだがここまできて1人好き勝手し続けるのはあまりにも意味がない。見れば少し時間が経っていたらしい、周りを見ればまばらだった人影が人混みと言っていいほどに増えてきている、ここから遊び始めるとなると骨だろう、ここに来てるということは皆遊びに来てるのが当然でそれは俺たちも同じだ、即断しなければどこもかしこも列だらけになるのは予想ができていた、ならば今の内目玉とでも言えるところに行くのがいい。軽く振り向いてすみれちゃんに問う。 「ね」 「ん?」 「絶叫系は得意?」  彼女は目を一瞬だけ閉じ、開き、そして笑み、 「勿論」 「そいつは良かった」  アトラクションにおける絶叫系やホラー映画などは女性のほうが耐性があるとよく聞く、御多聞漏れず漏れずにすみれちゃんもそうだったらしい、何より警察官と言う立場ともなれば並のスリル程度じゃ物足りないくらいぐらいか、ならば迷うべくもない、眼前の大型の建造物に歩を進める。ウォータースライダーだった、マリンプール・エーギルの目玉の1つ、13回転というジェットコースターも顔負け、その上それほどの回転をし続けるということはそれだけの遠心力と吹っ飛ぶ威力も派手なまさに水の絶叫、正直に言えば自分で誘っておいてなんだが少々選択をミスしたかもしれない、絶叫系が苦手と言うわけじゃないがこう言ったものを前にして足がすくまないかと言えばNOだ。しかし、 「お、これ結構凄そう」  目を輝かせるすみれちゃんを前にビビって待ちぼうけなんてできやしない、気合いを入れて登り口を探ししていると手を取られた、今度は立場が逆になったらしい。すみれちゃんが俺の手を引いて前にすすんでいく。まだ人が多く並んでいる時間帯ではないからかあっという間に前にすすむことができた、気づけば頂上まで登ることができた、絶景が広がっている。その高さはプールを一望できるほどで、近くから見ただけではわからない部分を俯瞰で見ることができる。そして俺は今ここから下に降りていかなければならない。 「うわぁ……流石にこう言うのは初めてだ」  どこか熱っぽい口調ですみれちゃんが言う。 「警察のスリルより?」 「質が違うかな、あっちは場合によったら……スリルって言葉で済まされないし」 「それもそうか」 「浩一郎君はどう?」 「どう……って」 「何をやってるかは知らないけど、色々やってるんでしょ、危険なことよりスリル感じちゃう?」 「うーん、危険なことやってるのはバレてますか」 「バレてないわけがないよ」 「そいつは……光栄だ、君が常に見てくれてるってだけで死から遠ざかる」 「格好つけちゃって」 「男はいつだってそうありたいものさ、と、まあ……同じように返そうか、質が違うね、これは」  死ぬことはないとわかっているのだが、それはそれとして息をのむ。 「さあ……そろそろ行かないと後ろを待たせちゃうからね!行こう!」 「っと、わかった、行こう」  スライダー用の浮き輪を受け取り、それに乗る。後は滑り降りるだけだ、坂に重心を向け、前にすすもうとし、 「よっと」 「え、ちょ」  突如後ろからすみれちゃんが飛び乗った。勢いで一気にスライダーに落ちた、まさに落下するとでも言うべきその勢いのままに流れていく、その速度は既に道が決まっているからとは言え凄まじいまでの速さが出ている。車だったらもう3~40キロは出ているはずだ、ウォータースライダーの速度はこれくらい普通なのだろうか、後で調べたくなる、だんだんと思考が真っ白になっていく速度に脳みそがついて行っていないのがわかる。今できるのは浮き輪のとってから絶対に手を離さないことだ。柔らかさが後方から来る、抱き着かれていた、すみれちゃんの腕が俺の肩をつかんでいる。元は一人用だから掴む部分がない以上その選択肢は当然のものだったが、速度と合わせて一気にくる不意打ちだったから心臓が口から飛び出そうになる。同時に取っ手をつかむ手に力が一気に入る、わかっているんだろう浩一郎、俺にはもう格好悪い姿を見せるという選択肢は許されない。後はなるようになればいい、そんな考えと同時、回転部分に突入する、遠心力が働き圧が体にかかった、重心を安定させるために少しばかり背を丸めた、それに合わせて菫ちゃんもおそらく前傾姿勢、そして状況的に密着する体勢に、重めの成人男性が前に居る分速度がさらに上がったように思えた、世界が回転するように目が回った、あっという間と言う言葉すらおこがましい一瞬で突き抜ける13回転はほんの数十秒で抜けて行ったにもかかわらず人生でもう2度とノリはしないと思わせる濃密さだ、そして、見えた、プールの着地地点。真っ向からそこに突っ込んでいく。やや角度がついていたからか、飛んだ。うたい文句は派手に吹っ飛ぶジェットスライダーだったか、その言葉にたがわぬ勢いで水面に吹っ飛ばされる。着水は一瞬、巨大な水しぶきを上げて一気に入り込む。目を開けてはいられなかった、しぶきが目にかかるのもそうだが一気に水中に入ったせいでもはや何がなんだかわからなくなっていた。それは一気に恐怖を内心に呼び起こす。泳ぐという能動的な行為ではないことに加え、そのための脱力をする時間もないこわばった状態、浮き上がろうにも体が動きはしない。どうも人生って言うやつは一瞬で通り過ぎていくのが好きらしい、折角の楽しい日を台無しにしてしまうとは俺も運がないのだろう。 「――くん」  声、柔らかく、甘い。 「こ――ろ――くん!!」  誰だ、誰が俺を呼んでいる。 「浩一郎君!」  声が来る。 「あ……すみれちゃん」 「よかったー……浮いてこないからびっくりしちゃった」 「はは……男を上げるのも考え物だ、死神とキスするところだった」 「……もー……」 「ま、それ以上に可愛い女神さまに引っ張り上げられたんじゃこっちに戻ってこなきゃならん」 「調子いいんだから」  くすりと笑うその姿に不覚にも縮こまった心臓ももとに戻っていく。 「くっ……」  そしてなんだか笑みがこぼれた。 「ふっ……ふふ」  彼女も同じだったらしい、口元には笑み。  そしてどちらともなく笑いだす、その姿はお互いあまりにも子供じみていて、それがまた面白く思えた。もうこんなことで笑う歳でもないというのに。  しかしその意識にもストップがかかる。 「すいませーんそろそろ次の人が滑りますのでー!」  そう言えばそう言う施設だったと思い出す。感傷に浸っていられそうでもない、スタッフにすぐあがると声をかけ、泳いで上がるための階段へすすむ。上がるとようやく体が冷えていたことを思い出したようで、身震いが来る。思っている以上に水の中と言うのは消耗が来る。人間が陸上に住まう生物である以上当然だ、そもそも雨に濡れた程度でも場合によっては風邪をひくというのに水の中という全身を冷却するような状況であればやむなしと言ったところか。なら次に行くところは決まっている。 「体冷えちゃったし、少し休もう」  指を差した先は丁度休憩どころだ、いくつかのベンチと軽食をおく店舗があった、エーギルにはこう言ったものが点在しているようだった。 「もう?」 「おいおい警察官、あの程度でも体温が低くなったら危ないでしょ」 「まさか浩一郎君い言われるとは……」 「ひっでぇ」 「そうでしょ、自分の楽しさ優先して生きてるんだから」 「そう言われると……弱いね」 「もう少し普通に生きてみるのも楽しいかもよ?」 「無理だね……そんなことしたら……俺は淀んじまう」 「そう思ってるのは、本人だけかも……周りは心配してたりして」 「例えば?」 「私とか?」 「心配してくれるのかい?」 「ノーコメント」 「まあね」 「それは嬉しい……まあ、でも……」  きっとその心配を俺はまた無下にする。少なくとも自分自身の在り方が変わらない限り。自由と言うものは常にどこにでも存在している。普通に生きているだけでも、しかしその普通に生きるだけでの自由で俺は今満足できる人間ではなくなった、デジタルワールドを知りその冒険の旅路で得たモノは良いものばかりではない、きっとこの有り様も良いものなどと胸を張って言いきれるものではない。スリル、危険、そんなものの中に身を置けば置くほどに肥大する自由の虜になっていく。きっとこの俺の心はすみれちゃんにはわからない、俺がすみれちゃんの心を理解できないように。 「それは……それはわかるよ、それに私達は大人、人生に何かを言い合えるほど無責任にもなれない」 「ああ」 「でもさ、やっぱり心配なものは心配なんだよ……ねえ」 「ん」 「とらわれちゃ、だめだよ」 「とらわれる、ね」 「いるんだよ……そう言う方に足を突っ込みすぎてどんどん戻れない所まで行く人」 「いっぱい見てきたんだね」 「警察で、それも普通の部署じゃないからさ」  君の眼は、どれだけ俺の知らない何かを見つめ続けてきたのだろう、どれほど手を伸ばし振り払われきてのだろう。俺はどちらになるのだろう。今はわからない、だが……それでも今はきっと、 「それでも俺は……俺は自分の生き方でしか生きられない」  自尊心にとらわれた男のちっぽけな自尊心の内でしか。 「例え……昔馴染みの言葉でも?」 「……考えはする、でも……俺はリスクのある所に居なきゃ自分の生きる意味とか実感とか、そう言うものを感じれなくなってきてる」  もしもと思う、自分が平穏無事の世界の中に生きる人間だったら、彼女が普通に生きる様な世界に生きる人間だったら俺はどんな人間だったのだろう、想像ができない。それこそ彼女に追われる犯罪者にでもなっていたのではないだろうか、それほどまでに安寧の内に居ることを心の底のどこかで許容しない自分がいる。それでも、それでももし何かの間違いで警察などに入っていたら……どうだったろうか、街のおまわりさんになってニコニコと笑顔を振りまく自分であれただろうか、あるいは彼女の所属する警視庁電脳犯罪捜査課なる部署に名を連ねていたらどうだろう、青い制服に身を包み日夜悪と戦う普通とは違う部署の警察の1人……やはり柄じゃない、むしろ上司と反目し合う不良警察官が関の山、おそらくはすみれちゃんにも呆れられるような。やはり1つのところにいると、俺は腐るのかもしれない、あるいはそう思いこんで自分の今の生き方を肯定しようとしている。笑い声が聞こえそうだ『浩一郎、だからお前は格好つけなんだ』クンビラモンが言う事は正しい、洋画のヒーローたちの真似、心情そのものを芯として生きているわけではない、どこか上っ面だけを真似た『格好つけ』それが、俺。そしてその格好をつけすぎることをあまりにも馴染ませてしまった。 「そっか」  彼女はどこか諦めたような声で、そう言う。 「でもさ、せめて……あんまり無理しないでほしいな」  苦笑。 「もしもさ、デジタルワールドで事故にでもあって倒れちゃいました、なんて聞いたら流石に泣いちゃうかも」 「俺には……お似合いの末路だ……」 「かもね、だから言えるのは1つ、今だけは、せめてこっちにいて、危険とかそう言うものから離れててもいいと思う」 「……ああ」  彼女のことだ、本気で、本気で俺なんかのことを心配してくれている。そして、心配させてしまっている。 「すみれちゃんが……そう言ってくれてる間くらいは……うん、この瞬間くらいは……それでもいいかな」  そう返すのが、情けない俺の精いっぱいの言葉だった。納得はしていないだろう、しかし俺もはぐらかしてはいないから一応の頷きを経て、苦笑が返ってくる。しょうがないな、という顔。こんな表情を出させてしまうのが俺の至らなさの全てなのかもしれない、シンドゥーラモンには悪いけれど、きっと俺はまた彼女に連絡をサボってしまうのだろう、俺の弱さから逃げるために。  だから今はまた、少しばかり逃げよう。 「と、それじゃ飲み物でも買ってくる」 「ん、ならお金」 「ここは……奢らせてよ、招いた側のなんとやらさ」 「まったく……私達の仲でしょ」 「それでも男と女さ、いい女には男は奢りたくなる」  それだけ言い残して軽食アーケードに足を向ける。売っているものは何の変哲もない料理たち、焼きそばタコ焼きお好み焼きのような軽く腹に溜まる物からアイスやかき氷のような清涼感のあるものまで、そのうち1つの店舗に足を向ける、品書きには大目に飲み物があったからとりあえずそこでと言う程度の考えで、列にはまだほとんど並んでいなかったから時間はあまりかからなかった、bitを払い飲み物を用意してもらう、すぐに出るものとは言え2人分だから多少時間がかかる、サーバーから流れ出る炭酸飲料を見ながら待つ。声。 「ん?」 「や、お兄さん」  まだ大人の女性とは言えないが愛らしい声、ウェットスーツに身を包みピコデビモンをパートナーに連れた少女だ。 「えっと、悪いがお嬢さんの知り合いは俺にいないんだけど」 「ええ、私もお兄さんの知り合いはいませんね」 「だろうね、それで何か俺に用かい?」 「ええ、こちらを」  渡されたのは一冊のパンフレット、彼女は売り子でこれは軽食だがプールの中でいただくフローティングランチのものだった、いくつかの種類とセットが記されていて、どれも色鮮やかで写真の一つも撮れば今時ならば映えもいいだろう、美味そうに見える。ふむ、と眺めた、手持ちに余裕はあるし買うことに問題はない。 「フム」 「いかがですか……今ならオープン記念でクーポン付き!割引セール中です!」 「労働意欲にあふれてるね、マルクスも微笑みそうだ」 「誰かはわかりませんが、嫌いじゃないですしね、こう言うの……して、いかがで?」 「うーん……」 「彼女さんと食べれば仲も深まること間違いなし!」 「残念、彼女じゃないよ」 「あら見立て外れでしたか……でも、悪い仲ではないんでしょう?」 「まぁね」 「ならそれでいいじゃないですか、一歩進めるためにだっていいですよ!」 「なるほど……熱心な売り込みだ、わかった、俺の負け、先払いはする、予約ってことでいいかい」 「ええ、問題ありません!ありがとうございますお兄さん、うまくいくように応援しますよ!」 「はは……ありがとう」  上手くいくようにか、俺はどう上手くいくように願っているのだろうか、彼女との関係がいいことに越したことはない。何がいい関係なのかを言葉にすることは俺にはできない。頭の中で永遠に反芻する内に気づけば飲み物の用意は終わっていた、それを受け取りベンチまで戻る、お帰りと声がかる、ただいまと声を返し買ってきた飲み物を渡す。 「お、コーラだ」 「普段飲む?」 「全然、コーヒーのほうが飲むかも」 「ああ、警察コーヒーは鉄板だ、ついでにドーナッツがあればなおいい」 「カロリーとみてもカフェインとみてもあんまりいいことじゃないけどね、食べ過ぎちゃうかも」 「確かにあの組み合わせはね」 「浩一郎君は?」 「飲むよ、特にカルーアとか」 「お酒じゃん」 「冗談、酒はウイスキーのほうが飲む、コーヒーは……うん、普通によく飲むよ、中毒だったりして」 「カフェインレスもいいんじゃない?」 「コーヒーは悪魔の様に黒く、地獄の様に熱く、天使の様に清く……」 「恋の様に甘く、ね、タレーランだ」 「ああ……コーヒーからカフェインを奪うのは悪魔のような黒さを奪うのと変わらない」 「言いすぎじゃないの?」 「俺の趣向さ、少なくとも酒とコーヒーで嘘はつけない」 「私に嘘はつく」 「君にも」 「なら逃げないでほしいんだけど」 「時には回り道も必要さ」 「たまにはまっすぐ向かってきてよ、はぐらかさないで」 「突っ込んじまえば、壊れちまう」 「たまには当たって砕けてよ」 「すみれちゃんと一緒に?」 「望むなら」 「なら」  手を取って、目を見る。 「こっちに来てみる?」 「浩一郎君がこっちに来てもいいよ」 「……すみれの花が、自由の風に揺られるのも悪くない」 「広い水面が、凪ぐように静かでもきっといい」 「とどまる水は、澱むだけさ」 「吹き飛ばされた花は枯れるだけだよ」 「……平行線だ」 「平行線だね」 「交わるかな」 「私達が望むのなら」  その瞬間からどれだけの時間が経ったかわからない、長くそして短く、互いに目を離さないようにして、ただ見つめ合う。そこに男女の愛しさも妖しさもない。しかし確かに無言の言葉だけがそこにある。  手を離したのはそれが周囲からの声だった、はやし立てるようなものではないが、好奇心を持ってされる噂話、考えてみればこの状況はカップルの痴話げんかのようにも見える。手を離し、横のベンチに腰掛ける。小さな声で意気地なしと、そんな声が聞こえた気がした、ああ、俺にピッタリだとも。 「すみれちゃん……俺は」 「……わかってるよ」 「……」 「少し、泳いでくる」  俺は彼女を止める言葉を持たない。