君は知らないだろうが俺は君に恩を感じているんだ。   〇  レジャープールなんて言うものは俺にあまりにもかかわりのないものだからチケットを持て余していた、こんなものをもらうことになったのはそのプールを経営することになった人物……デジモン?とはいくつかの取引がありその縁だった。俺は彼あるいは彼らから商品を買い、俺は金と時々労働力を提供する。このチケットをもらった時は労働力を提供したときだったはずだ。その時の依頼はデジタルワールドでほぼ廃棄されたレジャープールの調査だった、こんなものは本来彼の子飼いのテイマーやデジモンを使うのだが、これに関してはなるべくそう……石橋を叩いて渡る気合いの入れよう、普段ならここまでやらないらしいのだが、たまには本気を出そうということらしい。別にその付近に特段大きな仕事もなかったから小遣い稼ぎ代わりにそれを受けたことを覚えている。その時はどうだったか、確か既に子飼いがある程度の調査を終えた後だったから俺の割り当てはかなり少なく調査は半日もあれば終わった、やったことはと言えば商会から貸し出されたスキャナーとデジモンの力でひたすら何か異常がないかを探し出すだけの簡単な仕事、結果は何の異常もなし、不気味なほどに。勿論ある方が困るしこんなことは俺の心配以上のこともないだろう、そうであってほしい。相棒だけがやや怪訝そうな表情をしていたが結局最後まで何の以上も見つけられなかった以上調査はそこで打ち切られた。  チケットはその時の報酬……あるいはプレゼントとでも言え得るものだった。 『こちらぁ……報酬のほうにイロを付けさせていただきますねぇ』  胡散臭い口調のアスタモンからスペシャルな報酬と言われてしまえば受け取るほかない、とはいえもらったところで男1人でレジャープールなんて言うのはあまりにも物悲しい光景になることが想像できた、さて、どうするかと指で薄っぺらい紙切れを少し弄ってから机の飾りにしていたのが数日前、思い出したのが今日、所用で外していたところから帰宅して一息というときに放置していたことを思い出したのだ、そう言えばこんなものがあったなぁと、改めてそれをちゃんと見る。そう言えば説明をちゃんと見てはいない、表には大きくマリンプール・エーギルとポップな書体で書かれていて裏にはいくつかの説明書き、別に難しくもない、転売は駄目であるとか、そう言った程度の簡単な物。 「フム」  アスタ商会には悪いがこれはパスだなと思ったところで目に付いたのはこのチケットで入れる人数だった。 『ペアチケット・1枚につきお2人様まで可能』  なるほど、と思った。いくら胡散臭い商会でも男1人が来るようにはしていないことくらいは考えつくべきだった。なるほど、と、デートにでも使えということなのだろう世話を焼いてくれる。俺に現在彼女などおらずフリーの男やもめ、答えは結局めぐってパスだな、と、それを引き出しにでも閉まっておこうとして、声がかかった。やや電子音じみた声は俺にとってなじみの声。 『捨てるのか』 「クンビラモン……?ああ、もったいないけど誘う相手もいないし」 『本当にいいのか』  やけに食い下がってくるパートナーに不審さを感じる。クンビラモンはかつてチューモンだったころに出会い、そして今もなお相棒として共に生きるもはや片割れとも言える存在だ。デジモン、デジタルワールドに住んでいる不思議な住人。人ではない、しかし心ある存在。電脳の生命たち。そして彼らに魂がある以上同時、成長する。かつてはイタズラが大好きで俺と一緒によく悪ふざけをしていた彼も今では物静かで思慮深い存在に変質していた。今だ落ち着かない俺とは大違いに。そんなクンビラモンが声を上げてでも伝えようとしていることに俺は首を傾げた、長いこと一緒に居るのだからそれほど付き合いの深い女性など数えるほどしかおらず、そしてそんな相手はそもそもチケットのことを伝えてプールに行くような間柄ではない。  そこでふと思い出した。 「ああ、陽太たちか」  かつての仲間が脳裏に思い浮かぶ。辰巳陽太とシンシア・シラトゥ……今はシンシア・辰巳か、ともかくかつて小学生くらいの頃共にデジタルワールドを駆け抜けた間柄の友人たちは今では立派な大人になり結ばれそして社会の一員となっている。そんな2人は既に子持ちで今は育児に忙しいのだと近況があった、ともなれば子供のことが気になれど久しぶりに2人の時間を作ってやるのもまたいいのだろう、聞けば陽太とシンシアのどちらの両親も孫バカで辟易するくらいだとか、ならば少しくらい預かってもらっておき、出かけるくらいのサプライズがあってもいいだろう。 『馬鹿が』  しかし俺の読みは辛辣な言葉で切って捨てられた。流石に苛立ちがこみ上げる。例え……むしろ十年来の友人であろうと言葉一つでその関係性が崩れることくらいわかっているだろうに、この物知りネズミは棘がある。 「クンビラモン、言いすぎだぜ」 『本当に思い浮かばないのか』  やけに、本当にここ最近珍しいくらいに押し込んでくる。 「おいおい……男やもめの俺にそんな相手――」 『すみれがいるだろ』  その言葉に心臓が高鳴った。烏藤すみれ、警察官、かつて縁あって共にデジタルワールドを旅したことのある、今でも付き合いのある女性。デジタルワールドは基本的にはあまり表には出ていない、そう言ったことを何の気兼ねなく話せる数少ない間柄でもあり、同時に時折手を貸したりもする。 「だが……そんな」  余り認めたくはないが彼女の存在をほんの意図的に外していた。彼女を嫌いだからではない、むしろ好きだ、いい女性だと思っている。だが、俺は恥ずかしい話だが……どこか彼女を神聖視しているフシがある。俺のような風来坊気取りで生きていてイリーガルすれすれの金稼ぎをしているようなボンクラが、立派に生きる相手にと、そんな風に思ってしまっている。  女性が嫌いなわけではない、むしろ好きだしどちらかと言えば性的な、言ってしまえばセックスを楽しむことも割と楽しんでいるような俺が、恩ある彼女になんて何をどうすればいいのかなんてわかりはしない。正しく、そして素敵な女性に俺のような後ろ暗さを歩き、その上どこかそれを楽しむような背徳者はあまり相まみえる必要はないと。 『またそうやって逃げるのかよ』 「逃げるって……大袈裟だ」 『そうやって今だにしり込みして、心に嘘ついてやがる』  その言葉に俺はただ黙り込むしかなかった。そうさ、クンビラモンの言う通りだ。俺はすみれという女性を特別に見ているから、言ってしまえばもっと深い仲、性行為までいくような……世間一般では彼氏彼女、あるいは……夫婦などと呼ばれるような間柄になりたいのか、かつての戦友として今も共にいい関係を築き続けたいのか、あるいはもっと別の何かか、ともかくそう言ったことを考えることを後に押し付けている。ださくて格好が悪いと承知のうえで、自分の心に決着をつけることから逃れているのが今だ。 『のらくらのらくら逃げやがって……格好つけ、お前はただの格好つけで格好がいいわけじゃないんだよ、浩一郎』  辛辣で突き刺さるが真実、体を鍛え、身だしなみを整え、清潔感に気を付けても最終的に大事な部分に目をそらす俺のような男は所詮どこまで言っても格好つけ、形ばかりの格好良さで生きているとしか言えない。  陽太はシンシアをまっすぐに見続けた。  俺はかつてシンシアが好きだった、見た目が最初だったかもしれない、しかし共に冒険をするうちに惹かれ、しかし最後の最後で格好をつけた。俺は陽太たちの1学年上だったかから。小学生の1歳差は大人の10歳差に等しいくらいはあるだろう、そんな俺が、年上で頼れる兄貴分をしていた俺が年下の女の子を好きになっているなんて格好悪いと思っしまった、だが本当に格好悪いのはそんな些末なことで自分の心に蓋をしたことだ。本当に好きならばアプローチをかけるべきだった、頼れる兄貴分として一線引くのではなく、頼れる年上の男として手を取ってもらえるように努力すべきだった。  結局格好をつけて俺はただ見ているだけだった、好きな女の子は、初恋の女の子は、ただ自らを心の底から好きと言ってくれるイイ男の下に行った、なんの不思議もない当然の結末。すべては過去、取り戻すことのできない時間。  そんな馬鹿な失恋を慰めてくれたのが烏藤すみれ他ならない、だから俺は彼女に恩がある。俺の心が壊れかけたときに、喰いとめてくれた恩。  だから、だからこそ、俺は惑っている。 『言い訳するなんて簡単なんだよ、簡単なことばかりやってる今のお前は格好つけどころか、ただの格好悪い間抜けだ』 「言いすぎだ」 『言いすぎるくらいじゃないとお前は動かないだろ、ポリシーを大事に過ぎて』  まあ、と頭を掻く。格好をつけるということは己の美学が有り、それに則して生きようと努力することでもあると俺は思っている。理想の自分の生き方にそうと言うべきか、洋画でも邦画でもいい、俺は父がそう言ったものを好む影響で多くの映画を見た、銀幕であれ録画映像であれそう言った画面の中で鮮やかに活躍するヒーローたちは俺の憧れで、ああなりたいと思い、そして今でも青臭くそうあろうとしている。勿論クンビラモンの言う通りそれに振り回されているのであれば世話もない。しかし俺はもうそれから逃れられない、あまりにもやせ我慢と歯を食いしばることと、ちっぽけな自由に生きることになれ過ぎてしまった。 『んで、どうするんだ』  クンビラモンがデジヴァイスからリアライズする。光の粒子が巻き上がり、ワイヤーフレームで形を生成、丁度小型の鈴にヴァジュラとネズミをくっつけたような世間一般から見れば不思議と言うほかない存在。そいつが現れ、宙に浮かびそして赤い眼で俺を見つめる。嘘を許さぬという信念で。 「ああ糞っ!!」  俺もその瞳に嘘はつけないしつこうとも思わない。相棒のきつくとも真摯な言葉にのらくらかわして逃げる程終わっていないし、ここで逃げれば本当に俺は終わってしまう。わかっているさ、映画のヒーローたちはこう言った相棒からのきついお叱りには真正面から受け止めるものだ。  だから格好悪くしかし古典的なやり方で己を鼓舞することに決めた。  台所の戸棚にしまってある瓶を1つ取り出す。スピリタスと言う酒だ、世界で最も度数の高い酒と呼ばれ冷凍しても凍らず、火を近づければ発火するなかなかにヤバい酒は割り物と混ぜると純粋なアルコールがいい塩梅になる。そのため普通はそのまま飲んだりしないし普段はそんな飲み方をしない、しかし血迷ったように俺はグラスの半分にそれを注ぎ、そしてむせ返るアルコール臭を無視して一気に喉に流し込んだ。超高濃度のアルコールが喉を焼き思考をぼかす。俺は自慢にはならないがワク、つまり酒にはほとんど酔わない体質なのだがそれすらも貫通する強烈な一発が迷う自分をねじ伏せた。  スマートフォンをつかみあげ、メッセージアプリを起動する。そして、酔いに任せて一気に短文を書いて送信する。 【実はマリンプールのペアチケットをもらった、良ければ一緒にどうだい?】  何の修飾もない文章、女性をデートに誘うにはあまりにも面白みのない文章はわずかに残っていた理性が馬鹿かと言っていた。遅れて不味ったかと頭を抱えそうになったとき、すぐにメッセージは来た。 【いいよ、待ちあわせどうする?】  俺は自分しかいない部屋で、間抜けな声を上げていた。 〇