────幾度目の朝だろうか。  私がこうして、この場所で目覚めるのは。  かつて私の偉大にして優しき父が生まれ育った城。あの宮殿(ヴェルサイユ)に比べれば、粗末なものだけれど、私にとっては幼き日の夏に、度々父と訪れた思い出の場所。  Chateau de Pau(シャトー・デ・ポー)、その居室でいつも通り朝6時に目覚めた私は、いつも通りの身支度を調える。  学者らしく、黒のガウン。  私が生きていた時代には革やシルクなんかの織物で造られていたものだけれど、これは炭素繊維と特殊なエサを与えたクモから採取出来る糸を織りあわせたものでごく薄く伸ばされたエアロゲルを挟んだもの。レーウェンフック達が暇潰しにと造って見たら出来たらしく、今や殆どの市民がこれに類する衣類を着込んでいる。  サーヴァントなのだから、服など敢えて着る必要は無い。自らの霊基に刻まれたそれをそのまま使えば良いだけだろうに、と思うだろう。だがこれも彼らの成果の一つだ。学者というのはひとつの物事に固執する反面、新しい何かに飛びつきやすい。新しいものは、新しい知見を与えてくれるのだから当然のことだ。  軽い朝食を済ませ、城を出る。  町並みは生前のそれとさほど変わってはいない。建築物のほぼ全てが、外見のそれに比べてより強く、強固になっていることと、町の所々に量子テレポーターが設置されていること以外は。  ──そう。量子テレポーターだ。あくまで"霊子"ではない。  例え如何なる英霊であったとしても、地点Aから地点Bまでの距離を時間的なロスなく移動することは出来ないだろう。  だがそれを可能にした。数多くの英霊が頭を捻り、完成させてしまったのだ。  ……私は間違えた。間違えてしまった。  死ぬ前に後悔した、なんてことは原子の一粒すら覚えていないが、死んだ後に後悔する程の大きな過ちを、私は犯してしまった。  かつてこの地には、小さな特異点が生まれた。  どこぞの魔術師がやらかしたのか、それとも人理の揺らぎの故か、ごく小さな特異点が生まれたのだろう。  私はこの地によって召喚され、人理を元の象へ戻す為に呼ばれたいわゆる"はぐれ"サーヴァント……だった。  問題を解決することに、さほど苦労は掛からなかった。原因となった歪みを解体し、残った魔力リソース……即ち聖杯を元の地脈に戻し返せばそれで終わったはずなのに。  好奇心は猫を殺す。  猫はその箱が開かれるまで生きているかは分からないが、好奇心だけは確実に猫を殺すのだ。  私は、聖杯という機構の構造に興味を持ってしまった。  かつて"比類なき芸術家(ダ・ヴィンチ)"は言った。それは"全てを備え全てを受け入れるもの"だと。  かつて"稀代なる舞台作家(シェイクスピア)"は謳った。それは"あらゆる人を救済するに足る器"だと。  かつて"果てに抗う魔術師(マキリ・ゾォルゲン)"は嘲った。それは"万能の願望器"だと。  馬鹿馬鹿しい。種を暴かせばそんなもの、ただのまやかしだ。魔力、という使い古しのリソースを注ぎ込んで、願いを叶えているかのように見せるだけのものだ。  故に私は"試みてしまった"のだ。聖杯の解体を。  私が"それ"に触れた瞬間。この国は大きく歪んでしまった。  かつてはあった神秘……それらは大きく失われ、代わりにこの国に住むあらゆる人々は、学びに熱心になった。そして、あの頃私と共に学問を追い求めていた友が……召喚されはじめてしまった。  16世紀、そして17世紀に数多くの学者達が近代的な科学の礎を築いた。その中心であった、私の学び舎(サロン・ド・ディシプリーヌ)。そこに属していた者たちが、英霊たちが召喚されはじめたのだ。  これは、聖杯が私の願いを勝手に汲み取って、勝手に叶えだしたのだろう。  "全ての人々が等しく、高等な教育が受けられるべきだ"という、些細なものをあの聖杯は勝手に再現し出した。当時最先端の知識を持った彼らを教師として、この地に呼び起こしてしまったのだ。  この段階で止めておけば良かったのだろう。無理矢理にでも、止めてしまえばまだ何とかなったかもしれない。  でも……その、なんだろう。……久々に彼らと議論するのも悪くない、と思ってしまったんだもの。私が死んで300年、学問は大きく進歩したのだから、話すネタは尽きないはずだし。  それがよもやの大誤算。  召喚された際に聖杯から与えられた知識をこぞって討議するものの、十数日もすれば結局ネタが尽きた。24時間疲れることもなく延々と討議出来る上に、面子も生前とさして代わり映えしない。そうなれば、好奇心という人の最も欲深い側面を持った学者たちが何をするか。  ──そう。新たな知識の種(英霊)を呼びだそうとした。  そして我々は、英霊召喚式を解体するに至り、結果としてそれを再構築することに成功した。  最初のうちは聖杯から引き出される魔力リソースを用いたものだったが、学者や研究者が増えるにつれ流石にそれでは足らなくなる、何より"非効率"なのだ。であるならば、我々で生産可能なリソース……即ち電力で以て代用してしまおうと考えるのは当たり前のことだ、と思う。  正直、愉しかった。かつてガリレオの為に異端審問の原稿を用意していた時よりも。ニュートン君の論文を査読した時よりも。  魔力などという不確実性の高い要素を排し、普遍的で誰でも生産可能なリソースに変換する図式を思いついた時、すぐさまその実証に取りかかり、幾度かの失敗を経て成功し……そして、英霊召喚式を再現し────成功した。  科学の力で、人理に刻まれた影をこの地へ呼び出せるようになってしまった。  そこから先はもう止まることを知らず。学者として名高きもの、賢人として歴史に刻まれたものたちがあれよあれよと召喚される。物理学、天文学、数学、化学、細胞学、建築学……ありとあらゆる分野の学者たちが集まり、各々の分野で討論や研究を重ねる日々が始まった。  ともなれば、英霊召喚式を改良する者もいれば英霊たちへのエネルギー供給を魔力ではなく食事や電力で補う為の方程式を編み出す者も出てきて、最早この国は文字通り"世界最高峰の学問所"と成り果てている。 「おお! 我らが"学部長"殿! 今日の講義には登壇されるのですかな?」 「大せんせー!おはようございます!」  テレポーターを抜けた先に広がるのは、我が国最古にして最大の大学"パリ大学"。  その門のところでは、地面に図式を書きながら子供達に算数を教えている老人。数学の分野で知らぬ者は居ないであろう、ピュタゴラスその人だ。 「おはよう、ピュタゴラス先生。いいえ……今日は私用で訪れたのだよ。少し、召喚式を触りたくてね」 「さようで、さようで。また新たな学問の徒が訪れるのは嬉しい限りですな。此処に来れば"学べぬ者は居らず、学べぬ事もない"のですから」  ここでは、子供の読み書きから博士達の研究まで全てが行えるだけの環境が整っている。学びたいと願うなら、学べるのだ。本人にとって得手不得手があったとて、一定の水準までは習得できるような、安定したカリキュラムが組まれている。  学者とは本来教えたがりなのだ。自分が発見したものが正しいと信じて、皆に広めたがる。だから教えることには長けている。 「仰る通り、此処は全ての学びたい者たちの学び舎ですから。それが、素晴らしい事かはわかりませんがね」 「ほほほ……学びの素晴らしきを知るは、学びを終えた時とは良く言ったもの。つまり我らがそれを知ることは、きっとないでしょうなあ」 「…………」 「それでは学部長殿、またいずれ。────さて少年少女諸君。今からはラマヌジャンくんが証明したひとつの方程式について、教えてしんぜよう!」  無言で、微笑みを返し大学の中へ足を進める。  かの大数学者は気づいているのかいないのか、核心を突いている。  学びには終わりなく、そして今やこの地にも終わりが無いのだ。英霊だから最早死ぬことは無いだけでなく、この特異点は最早現段階では"修正不可能"なまでに重力を得てしまっているのだから。  人理、即ち人類の歩んだ歴史には一定の基準がある。  弁論バカ(ライプニッツくん)が示した可能世界論、即ち"AとBという選択肢のうちAを選択しなかったのなら、近く別の世界においてはAが選択される"という理論。人類の無数の選択や決断が、枝葉を茂らせる樹木のように、バタフライ・エフェクトを引き起こしながら方々へと広がっていく。  然し、それらはあくまでひとつの可能性の枝であり、幹たる世界からは外れてしまうもの。  故に正しい世界とは"数多くの世界が複数の選択をしたにも関わらず、そこへ至る可能性が高いもの"であると言える。  まあ、つまるところはいくら枝葉を伸ばした所で、上に伸びていけるものはひとつだけ。そこへ収束出来なければ文字通り"剪定"されるのだ。  だが、そこに例外が存在してしまう。それこそが"特異点"だ。  人理という幹からかけ離れたにも関わらず、凄まじい重力で幹そのものを引き寄せようとしてしまうもの。放置すれば、人理そのものの瓦解を招く。小さいものなら人理の免疫機構によってどうにかなるかもしれないが、大きくなればなるほどにそれはまるで悪性腫瘍の如く人理を蝕んでいく。  それが広まり、更に拡大していまえば最早特異点ではない。異聞帯と言い換えてもいいだろう。  ────今、この世界は人理を脅かしているのだ。  この国、いやこの世界はもはや現代人類ですら達し得ない高度な科学技術を持っている。ということはこの世界は"人理からかけ離れている"。  この結論に至った学者達も少なくはない。むしろほぼ全ての英霊たちがその結論に至ったと断言しても良い。然しそれを……解体しようと言う学者は皆無だ。むしろ、幾人かの学者がそういった自体であると余所から観測されない為の情報防御機構(バリア)を張り巡らしていると聞いたことすらある。  彼らは先を見たいのだ。今より先を、更なる果てを、此処よりももっと遠くを。  気持ちは分かる。何より私がそうだから。  でも、それではだめなのだ。人理とは、歴史とは、今生きている者たちが最先端でなければならないのだから。  過ちに気づいた私は、改めてこの特異点を解体しようとした。だが、直接的なやり方を何百通りと検討したが、結果は全て人理の崩壊に繋がりかねない事が分かった。  "創めたものが終わらせてはいけない"。  学問を志す者がまず身につけなければならないこと。学問とは、ひとつの疑問を提議し、展開し、解体し、継承すること。その法則がこの世界にも適用されている。  創めた私が終わらせようとすれば、カオス的な破綻を来すのだ。故に、私では手出しが出来ない。  では他の誰かなら……とも思ったが、彼らもそうだ。既にこの世界で自らの学問を"創めて"しまっている。故に終われない。  ────だが。常に例外(抜け道)というものはある。  その為に掛けた時間は多大かつ苦痛とも言えるものだったが、代償に見合っただけの成果は得たと確信出来る。今日、この大学の学部長室に来たのは、その為だった。 「……さて、今日こそはちゃんと呼びかけに応えてもらわなければ」  私が組んだ召喚式は、街にあるそれより簡素でかつプロテクトを廃したもの。これから呼び出す2人の……いや、1人と1体の英霊の為に組み上げたのだ。  街の召喚式では、彼らを呼び出すことは出来ない。相性も悪く、何よりプロテクト(対カトリック)で弾かれる可能性が高い。学者とカトリックは、何かと相性が悪いから。  いくつかの機材にスイッチをいれ、対称を呼び出す為の触媒である文献をセットする。スタートボタンを押せば、召喚が始まるはずだ。  ある一基の衛星に関する設計図、そして……ある少女の実在を証明する調査資料。 「複合召喚式起動」 『複合召喚式(サモン・トリス・メギストラ)起動を開始します……対象:エクストラクラス・ルーラー《ヨハンナ》並びに対象:エクストラクラス・フォーリナー《ボイジャー》』 『人理定礎・基幹世界へアクセス。英霊の座(データベース)との接続を確立……ヒット。対象を捜索中……』 『対象を確認。エクストラクラス・ルーラー《ヨハンナ》並びにエクストラクラス・フォーリナー《ボイジャー》との接続(コネクト)を開始……』 「………………」 『…………接続(コネクト)に成功。エクストラクラス・ルーラー《ヨハンナ》並びにエクストラクラス・フォーリナー《ボイジャー》の召喚を開始』  召喚式を構成する機器がけたたましい音を立てながら、光に包まれる。  次に私の視界が開けた時、そこには一人の少年と……そして一人の教皇が立っていた。 「召喚の理に従い、参上致しました。クラス・ルーラー。女教皇ヨハンナです」 「あい、あすく、ゆー。あー、ゆー、わーじー、おぶ、びーいんぐ、まい、ますたー?」  ────嗚呼、嗚呼!  心から湧き上がる歓喜、己の仮説が正しく立証された時の喜び。幾度も味わってきたものであっても、それに慣れ切ることは出来ず、私は無言で二人を見つめていた。 「あ、あの? もしもーし?」  女性の方が声を掛けてきた。その声に現実へと引き戻される。 「ようこそ、天秤の護り手たるルーラー……そして天秤の果てより来たりしフォーリナー。私が、貴女たちを呼びました。貴女たちに、頼みたいことがあり来ていただいたのです」 「たのみたい、こと?」  少年が首をかしげる。それはそうだ、聖杯戦争でもなく、はぐれとして呼び出された訳でもないのだから。 「詳細については、故あって説明できないですが。ボイジャー君、君には、君本来の仕事である"メッセンジャー"を頼みたいのです」 「めっせんじゃー?」 「君は、天秤の果て……星の範疇の外へ向かう者。ならば、此処より遠い場所へも行けるはず。だから、遠い果てに居る"蛇"を連れてきてほしいのです」 「……ぼく、蛇が怖いんだよ」 「それは知っています。でもその蛇は、良い蛇なのだよ。──カルデアという、世界を正す蛇。1本のバラを、愛し、慈しむことが出来る蛇。物語のお終いを読(呼)んでくれる、優しい優しい小さな蛇。それを呼べるのはきっと、あなただけ」 「────うん。僕、蛇をさがしにいくよ。ちょっとこわいけど、きっと、キツネみたいな蛇なんだろうねえ」 「ええ、きっと」  少年は、柔らかな笑みを浮かべながら頷いた。  彼の宝具は、私の想定が正しければ……きっと星見(カルデア)まで届くはず。 「あ、あの? 私は、何をすれば良いのです?」  もう一人の女性、女教皇が口を開く。放置されたと思ったのだろう。 「──失礼、忘れていたわけではありません。ですがどうにも、私は貴女の宗教と相性が悪いもので」  作り笑いを浮かべながら、女教皇を見やる。  向こうは向こうで、それなりに察したというようにぎこちなく言葉を続けた。 「ああ……そういうことでしたか。でしたら何故、私を召喚されたのです?」 「貴女でなければならない、歴史に謳われ、神学によって否定された貴女でなければならない役目があるのです」 「貴女はかつて実在したとされていた。然し、学者達はその実在を否定した。……宗教とは、何と非道なことか。己の都合にあわぬものを、神の名において焼き、消し去ろうとするのだから」 「……………………」  女教皇は目を伏せた。  泣きそうな、という程ではないにせよ、心に痛みを負っているかのような表情。……これが相手が、いけ好かないただのクソ教皇なら心のうちから笑い飛ばせただろうに。  彼女に罪はないと、私自身十分理解しているからこそ、今のは手ひどく言い過ぎたとも思う。 「失礼、生前の癖で。……ともあれ、貴女に頼みたい事はひとつ。此処より少し離れた街に、貴女の拠点を用意します。そこで、あくまで"はぐれ"サーヴァントとして活動してほしいのです」 「はぐれ……ですか? 何故、正式な召喚を行ったにも関わらずそのような事を?」 「彼が、ボイジャー君が呼びに行ってくれる者達を導く為に。この国では、誰もが誰かを指導し、導く事が出来るが……彼らを導く為には、この街の者以外でなくてはならない」 「この国は学問の都。故に、学問によって否定された者でなければ……彼らを導けないのです」 「仰っていることが……いまいち把握しきれないのですが」  彼女の言うことも最もだ。  私がやろうとしていることは、私の根幹たる「学問」の否定なのだから。 「今は、特に理解しなくて構いません。ですが、時が来れば分かるはずです。必要であれば、貴女が導くべき子と正式なマスター契約を結んで下さい」 「良いのですか?」 「構いません。そもそも、マスターとして貴女と契約するつもりはないのです。この街の食べ物は、毎日適切に食べていれば霊基を維持出来るように造られています」 「……それは、なんとまあ……」 「では、教皇殿。この手紙を大学の守衛に渡して下さい。その者が貴女の拠点へ案内します。……くれぐれも、此処で教えを広めようなどとは思わないように」 「承りました、では」  追いやられるように、女教皇は部屋を出た。……どっと、疲れがこみ上げる。やはり、カトリックの者とは相性が悪いのだ。  思えば、少女の頃からほぼ死ぬまで延々教会と戦ってたし。 「ますたー、だいじょうぶ? ますたーの言うこと、まるでバラのとげみたい」  傍らに少年が近寄って、心配そうにこちらを覗き込んでいる。 「大丈夫、ありがとう。 ねえ、ボイジャー君。もしも悪い事を悪い事だと思ってやる人が居たら悪い人だと思うかな?」 「だれかにとってのわるいこと、でもだれかにとってはいいことかもしれないよ」 「……ふふ、それは確かに。じゃあ、私は……とっても悪い人かもしれない」 「どうして?」 「悪い事を良い事だと思ってやるからさ。例えば……まだ本を読みたい子供達を叱りつけて、ベッドに入って寝なさい、という母親達のような」 「ふふ、ますたーは、おとななんだね」  そう、私は大人だ。大人だからこそ、大人の責任を取らなければいけない。  この世界(物語)を終わらせ、勉強熱心な子らにおやすみを告げるのだ。  さあ、そろそろ子供達に眠る時間だと知らせるために、子供部屋の空に"遙か蒼い星"を描きに行こう。  間違えてしまった母親が、我が子の為に出来ることをしに行こう。  私が"蛇"に噛まれなければ、この物語は終わらない。  ────それでも、嗚呼。  願わくば、何れ来たるカルデアのマスターが。  この世界から、何か一つでも学びを得てくれたなら……。    学者として、指導者として、それに勝る価値はない────  ────────────────────────────    学 術 文 明 都 市   ブ ル ボ ン   ────────────────────────────