チリンチリン「イラッシャイマシ」 エンガワ・ストリート。百万石ビルの3階、利便性皆無の立地にある寂れたたばこ屋「前田慶次」にやってくる物好きな客は奇特で胡乱な輩と相場が決まっている。今日やってきた男も、頭に「死」胸に「冨」の漢字タトゥーのあからさまな変人。危険な気配を漂わせ、股間部プロテクターの「山」が威圧的に周囲に存在感を示している。 その男、重サイバネ賞金稼ぎデストミヤマをして、あまりのアトモスフィアに一瞬たじろぐ。原因はそう、レジ奥の男。「ご注文は?」男、というのも適切であるか分からない程の重サイバネ。三度笠めいたサイバネヘッドに、最新鋭装備のカメラアイ。カウンターに置く腕はオナカタミの技術の結晶──そしてボディには赤いエプロン。重厚な鋼が豊満にエプロンを盛り上げている。 彼の名はナイトフォール。ネオサイタマ裏社会に名高き傭兵であり、現在は「前田慶次」の短期アルバイトであった。 「あ、ああ……「星が七つ」頼むぜ」デストミヤマは店番にあるまじき凶相のアルバイトに若干気圧されながらも、贔屓のオイランが好む銘柄を注文する。アルバイトは軽くうなづくと、慣れた手つきでたばこを取ってくる。「ドーゾ。1000円です」舌打ち。「おう……電子通貨は?」「キャッシュ払い重点」最近の政府の締め付けは凄まじい。また高くなったものだ。 「いつものババアはどうしたんだ?」「店長はお休みです」「ヘェー……じゃお前は」「臨時のアルバイトです」その様子をデストミヤマはかなり訝しんだ。 「前田慶次」の店長は古臭いサイバネアイを装着した気の強い老婆だ。半分痴呆が入っているのか、サイバネを見ると孫がどうのこうのと毎回同じ話をしてくる。少なくとも目の前で銃撃戦が起ころうと仕事を止めることはない。目的なしに店を人に任せるような女ではなかったはずだが……? 「……ま、いいわ。ババアに伝えといてくれ」目の前の男が強盗か何かであることもデストミヤマは想定したが、途中でどうでも良くなった。対して付合いのないババアの事よりも、明日の賞金をどう稼ぐかである。 「もっと安くしろやってな。デストミヤマからって伝えとけ! ワカッタカ!」「アリガトゴザイマス」デストミヤマは横暴に言いつけてから去り、アルバイトは奥ゆかしくオジギをしてそれを見送った。 「…………」アルバイト……ナイトフォールは普段のように標的……でなく、客のデータを記録素子に残す代わりに引継用の帳簿にメモを記載する。何を売ったのか、どんな会話をしたか、詳細に、丁寧に、今時珍しい朱色の鉛筆で手書き。既に二人分書き記した。 それ故か、筆記用調節のされていない手がぶれる。 「ふむ」貴重な経験だった。技術を見つめ直し、しっかりとした形を築くにはふとした気づきも見逃してはならない。ナイトフォールは改善のための方法と鍛錬を模索し、記憶素子とイマジナリー・トレーニングを駆使してどんどんと形にしていく。その達筆さはワザマエ。と、そこに チリンチリン「イラッシャイマシ」 「アイエッ。…ド、ドーモ」ナイトフォールは真剣にアルバイトのアトモスフィアを纏い、やってきた男を見る。ピエロのメイクをした、地味な顔で禿頭の男。 「なんだよ、婆さん今日いねぇの?」「ハイ。…ご注文は?」「いやちょっと……金ないし……」「………」 アルバイトは容赦なく「閉じる」の表札を掲げた。冷やかしはプロフェッショナルに対する冒涜である。 アルバイトでかつ一時的とはいえ、その道のプロフェッショナルの端くれとして、ノーリスペクトは断固拒否するナイトフォールなのであった。 「なんだよもうちょっとくらい話聞いてくれても良いだろぉ!!?」「店長はお休みです。またドーゾ」「アーッ!チクショー! 婆さんにシャッキーが来たって伝えといとくれよな!マサミチに追われてるの!俺もう下水道で暮らすしかなくなっちゃうんだよ!」 胡乱な禿頭の男は大股で去っていく…と見せかけて「カラダニキヲツケテネ、って伝えといてくれよ!」……マサミチ。記録に残しておくことにした。 チリンチリン、更なる来訪者。「イラッシャイマシ」 「……おお」長い髪を後ろで一房に結んだ男は、笑顔とも困惑ともつかない顔でアルバイトを見て息を吐く。 「ドーモ…あんた何してんだ…?こんなとこで」「……ご注文をドーゾ」ソウカイ・アンダーカード、ウィンドハッカー。スカウト部門No.2にして、油断ならぬカラテの使い手。ナイトフォールのデータベースにも登録のある相手。恐らく、相手も此方を知っている。 「ご注文、って……わかったわかった。閉めるなって」 「閉じる」の表札を再び掲げると、ウィンドハッカーは半笑いで手を振り、万札を出す。「「鎖骨」。カートンこいつで足りるかい?」「……ドーモ」「悪いね」 取引が成立し、アウトローに人気の銘柄「鎖骨」最後のカートンを丸ごと持っていく。補充は不要だ。自分用か、そうでなければ恐らく子分にでも分けるであろうそれを片手に、ウィンドハッカーはアルバイトを見据える。「そういやさ「海」ある?」「「少し明るい海」?」「そうそう」「いえ、品切れです」「そうかぁ…舎弟に借りたから返してやりたいんだけどな」 少し残念そうに、ウィンドハッカーは肩を落とす。あえて隙を見せているように目まで閉じているが、油断ならぬアトモスフィアは未だ残っている。だがナイトフォールはそれに乗らない。「取り寄せますか? 」彼は標的以外に自分から戦端を開く事は滅多にしない。「いやぁ、いいよ。別ので埋め合わせる」ウィンドハッカーもまた理解すると、アトモスフィアを緩めた。 「珍しいもん見たぜ。黙っとくから、今度は安くしとくれよ」「……然るべき時に、然るべき方法で」「つれないね。婆さんによろしく」「アリガトゴザイマス」 聞けば、スカウト部門はまた新人を捕まえたという情報がある。その者たちにオゴルのだろうか? 彼の部下…高位ソウルの憑依者であるというスパイダーリリィというニンジャのした事だろうか? アルバイトは黙考しつつ、オジギを返して見送った。どうあれ客は客。 標的ではない。……今は待つのみ。 ─────────── チリンチリン。「ハッパないかニャ?」「うちはタバコ屋です」「そっかァー……ハッパないかニャ?」「うちはタバコ屋です」「そっかァー………」ハッパ酩酊! チリンチリン。「ヒヒヒ……「キマリテ」。一緒にどうだい店員=サン」「仕事中ですので…」「そりゃ失礼……あとこれ、シゲコ=サンにね。香典」「ハイ」 チリンチリン。「タバコねェか!? 」「ドーゾ」「ひいふうみい…ンだよ高すぎだろ!」「税が重いので」 「クソ……!税金なら仕方ねェが……後でデザートイーグル=サンに金貸してくれるよう頼まねェとな……」 チリンチリン。「タコス食いてぇ!」「…………」「グワーッ!?」「閉じる」の表札を投げつけてやった。 ─────────── そうこうすること数時間……日が落ちて久しい頃。 「こんなものか」来客を対応し、記録を続けつつ、残るタバコの在庫を確かめる。「安心」2カートンと少し「海馬ヒロ」1カートン……ぴた、と手を止める。来た。チリンチリン。 「ウープス! 相変わらずカスみたいな立地だな?エエッ?」バタン!と開けた扉を音を立てて閉める。無礼にも噛んでいたガムをそのまま床に吐きだして威圧する。「怪我人に優しくしろよなァー」その右目には医療用眼帯……その下は無傷。そして、おお。ナムサン。 「ドーモォ、ムクノキ=サン。マサミチ・アデギ……いや」男の口にはメンポ、体はトラディショナルなニンジャ装束、嗜虐的な笑みで目を細める。「エクストーシネストです。慰謝料用意できたんだろうな……エ?」男はニンジャだった。しかし…アルバイトもまた。 「ドーモ、エクストーシネスト=サン。ナイトフォールです。イラッシャイマシ」エクストーシネストの目が見開かれる。「エ……?ニンジャ……?」汗が伝う。 「ご注文を」「ムクノキ=サンはどこにやった?」 「ご注文されませんか」「ザッケンナコラーッ!どこやったって聞いてんオラーッ!」男が詰め寄る。だが 「ではお帰りを」既にアルバイトは鉛筆をダーツの如く構えている。誤差修正完了、右目捕捉、回避不能。 「ジゴクは彼方です。イヤーッ!」「アバーッ!?」 スリケンめいて鉛筆を投擲。小さな朱槍はエクストーシネストの反応を超え、狂いなく右目を破壊し、脳を突き抜け壁に深く突き刺さる様が風穴越しに見える。 「ア……ア……アバッ……サヨナラ!!」エクストーシネストは爆発四散……大目的達成。依頼人に連絡。 ぐるぐるぐるり……欺瞞用旧時代回線電話機を起動し、ネオサイタマ病院へ連絡。相手は……店主、ムクノキ・シゲコ。数秒後、回線が繋がる。『モシモシ! 』「大目的クリア」『ゴホッ…でかしたよ! 』豪快な声。依頼を受けた時と変わらないが、喜悦に塗れている。 数日前、ナイトフォールの依頼用チャネルに奥ゆかしく現れたこの依頼主は、なんと彼に店番を要求してきた……その過程で、あの男を殺すために。 『あのカス野郎に報いをくれてやったかい!?』彼女の孫、サイバネ職人ムクノキ・ヨシゴはケンカをふっかけてきたストリートニンジャ・エクストーシネストに立ち向かって、死んだ。 ネオサイタマでチャメシ・インシデントと言える出来事だった、と彼女は語る。だが…… 「右目を破壊した」『そうかい!丁度いいね!』 あろうことかエクストーシネストは、モータルの彼にサイバネで殴られ、視力を失ったと唯一の肉親であるシゲコをゆすりに来て、今日カネの回収にやって来た。目の前に現れた時点でもはやシゲコの堪忍袋は温まりきっており、自らの手に入るはずの孫の生命保険で最高級の殺し屋を雇っていたことも知らずに。 『……これでやっと店も閉められるよ』「…………」 既に脳を病み、入院の期を図っていたシゲコは病院にいる。サイバネアイを作って仕事を助け、後を継ぐとまで言ってくれた孫はもうおらず、物件もすぐ売り払うことになる。「前田慶次」は今日で閉店だ。 『ノートはどうだい。最後の営業日のお客様は?』 「8名。半数から伝言を受けている」『……そうかい』 シゲコは嘆息すると…『わかったよ。その人らにはあたしから連絡をする。あんたはもう…』「いや」『エ?』 ナイトフォールは…アルバイトは再び席に座る。 「今日一日が依頼を受けた期間だ。閉店時間まで店は変わらず営業する」『でもアンタ、それじゃ奴らに…』エクストーシネストの一味、このストリートのゆすり屋集団の報復攻撃はナイトフォールをも狙うだろう。 「問題ない。ここから先は俺の都合だ」 だがその程度の困難は、このアルバイトにとって何らの障害ではなかった。リスペクトを持って、然るべき連絡手段を探し、復讐を成し遂げんとしたこの老女の依頼は最後まで、そう最後まで果たすと、初めから決めていた。もし一味が襲ってくるとするならば、禍根を絶つにはちょうどよいとすら思っていた、 『……そうかい。なら、任せたよ』老女はそれを悟り、無粋な事は問わない。二人の間には既に信頼関係と呼べるものが存在していた。『ハゲミナサイヨ、バイトフォール=サン』「……ナイトフォール」『オット!』 ……標的分の報酬は高くつけてやりたいところだが。 ─────────── どうあれ、ナイトフォールのアルバイトは続くことになった。簿記は続け、鉛筆を研ぎ、カートンを整理し、そして……チリンチリン。 「イラッシャイマシ」「ウェーゲホゲホ……下の連中何?やっちゃったけど…婆さん……あン? 」「………」 赤い服に履いたカタナ。二つのタバコに二つの黒子。「アンタ……まぁいいや。ドーモ」女はにっと笑う。「エンマノホネガイ、ある?」「…ハイヨロコンデー」アルバイトはうっそりと答えた。 電子戦争すらも乗り越えた老舗たばこ屋「前田慶次」の最後の夜は、長い夜になりそうだった。