→Event.225 「……っ、シードラモンの人……! そっか……当たり前だけど、いるんだ……」 「真菜? ……あぁ、あの人は……」  最悪であった──一番、出会ってはいけない人だ。他の皆であればともかく、彼女だけは誤魔化せないだろう。 「……? …………!!? あ、あの、貴女!?」 「わ、見られた! 逃げるよ、レキスモン!」  脱兎の如く、という表現が正しいのだろう。月のうさぎの腕を引いて、思わずその場から逃げ出していた。 「ちょ、ちょっと!? なんで逃げるんですか!?」  こちらの真菜に迷惑をかけるわけにもいかないのが半分、そして、彼女の顔をまたまともに見てしまった日には、もう孤独には耐えられなくなる気がするという恐怖が半分。  そんな気持ちがごた混ぜになったまま闇雲に走り、途中でレキスモンの手を離す。確かこちらでパートナーにしている人がいないはずだし、レキスモンはここでは目立つだろう。私を探すための目印には、彼女を選ぶはずだ。そのまま誰にも見つからないようにと手近な人気の少ないプールに飛び込んだ。 「むぐ……」  ……水の中から、水面を見上げる。誰も、ここをわざわざ覗き込んだりなんてしないだろう。きらきらと輝く太陽、楽しそうに遊ぶ人たち。この世界が平和なことは、悪いことではない。少なくとも、そういう可能性があったことを知れることで救われる心だってあった。  だのに、 「…………!!」  誰かに手首を掴まれる。水面に引き戻される。重い空気がのしかかってきて、肺から酸素が押し出されたり 「ごほっ……」 「真菜ちゃん!!」 「な、んで……」 「もう、プールサイドは走ったら駄目ですよ。それに、飛び込みだって危ないんですから。……なんて、真菜ちゃんにはシャカモンに説法でしょうけど」 「……」  バツが悪くて、思わず目を逸らしてしまった。真面目にお説教されるなんて、いつぶりだろう。 「プールには来ない予定だったのでは? ……何か、あったんですか?」 「……なんでも。なんでも、ないんです」  ふるふると首を横に振るばかりの私を見て、お姉さんはどこか困っているようだった。まあ、当たり前だよね。 「あ、真菜! 大丈夫……じゃ、なさそうだね……」 「レキスモン」  詩奈さんに気を取られている間に、レキスモンが近付いてきていた。置いてきちゃって悪いことしたなあ、ごめんね、と謝ろうとする前に、レキスモンが先に口を開いた。 「虎ノ門詩奈さん、ですよね。すみません、見なかったことにしてあげてくれませんか」  レキスモンの頼みに、詩奈さんはわずかに表情を険しくした。警戒しているのか、あるいは何かを察してくれたのか。私には、よくわからない。 「真菜は今日、ここにはいなかった。だって、シードラモンも来てませんし。それに、バイタルブレスだってしてない。ここにいたのは、魚澄真菜によく似た別人です」  助け起こされて立ち上がる。……。少しだけ詩奈さんとの身長差が縮まっていたことに、今初めて気がついた。 「ううん……何か、事情があるんですね。わかりました」 「お姉さん……」 「気にしないでください! それにしても、その水着も似合ってますね! いつものアクティブな水着も愛らしいですがその清楚な感じもなかなか……それに、その髪型! 三つ編みとローポニーのいいとこどり……むしろギブソンタックでしょうか、とてもよく似合っています!」 「あはは……」  思わず口から苦笑いがこぼれ落ちた。完全にペースを持っていかれるこの感じ、何だか懐かしい。  ……お姉さん。やっぱり、もう一度あなたに会いたいや。  →Event.22  視線。  背中に刺さる、視線を感じ取った。 「……?」  振り向くと、こちらに今にも駆け寄ろうとしている男の姿が一つ。あれは…… 「み、三上、くん……?」 「え……」  思わず、口からその名がこぼれ落ちた。三上竜馬。あまりに、懐かしい顔だった。  動揺が体を硬直させる、彼を見殺しにした記憶が甦る、彼がそんなことをするはずがないとわかっていてもトリケラモンが自分を責めるイメージが耳から離れない、彼の死を示す壊れたスマートフォンの残骸が目に焼き付いている、心臓が早鐘を打つ。  ここにいたら良くない。 「……魚澄さん……?」 「……ッ」  気付けば逃げ出していた、動揺に足が縺れる、逃げ場さえ考えつかない、そもそもこのプールは開けた場所が多くて彼の視線を避けることは難しい。  ふと思い出す三上くんは結構足が速いね、なんて言ったくだらない記憶、私の足は実はそんなに早くなくて陸上の移動には向いていないこと。プールサイドを走らないでくださいというどこからか聞こえて来る見知らぬ声。  縺れた足がもう片方の足を引っ掛けて転びそうになった瞬間、大きな手が私の左腕をぎゅうと掴んで、バランスを支えた。 「うあ……」  動揺が意味のない言葉に変わって唇からまろびでた。さっきから塩味の口の中は、乾いてうまく言葉を発せられない。 「魚澄さん、どうして」  彼の言葉足らずはこちらでも変わっていなくて、それだけじゃ何を聞きたいのか私以外に伝わらないじゃん、と笑った記憶がリフレインした。 「……それだけじゃ、何聞きたいのか。私にしかわかんないよ」  ぽつりと呟くと、横からレキスモンが感慨深そうに呟いた。 「変なとこまで、そっくり」 「……ごめん、三上くん。逃げちゃって。その、私……」 「大丈夫」  なにが、と聞き返しそうになって、口を噤んだ。彼の眼差しは、時に他の何よりも雄弁だ。 「ゆっくりで大丈夫だ」 「……」  気を遣わせてしまった。 「何から、話したらいいか……」  突然、並行世界から来たなんて言われても困るだろうし。かと言って、一から説明するのも色々と骨が折れる。 「……あのね、リョーマくん。あ、わたしレキスモン。この子の臨時パートナーみたいなものだと思って。本題に戻るけど、わたしたち未来から来たの」 「ちょっとレキスモン!?」 「もう話しちゃったほうがいいでしょ。いろいろあって一時的にこっちにいるの、それでの時間の真菜と絶対会わないようにプールにいたの」 「……本当?」  ぺらぺらと、伝えるべきことは伝え、伏せるべきことは伏せて。すっかり会話が不得手になってしまった私の代わりにとばかりに、レキスモンは簡潔に状況を伝えてくれた。 「本当だよ。未来から来たの、私。ほら、背もちょっと伸びたんだよ」  二センチだけだけど。 「まあ、そういうわけだから、よかったら他言無用、見なかったことにしておいてくれる?」 「……わかった。魚澄さんも、それでいい?」 「あっ……うん」  レキスモンがコミュ力お化けなのは今に始まった話ではないけど、三上くんも今日は嫌に話が速かった。もしかしてデジモンとコミュニケーション取るほうが早いんじゃないか、という失礼な考えが頭をよぎる。 「それじゃあ、俺もあんまり長居はしないほうが良さそうだから」 「うん、……じゃあね」  そういうわけで、今日の話が早い三上くんはさくっと席を外してくれた。 「……あ。その髪型、似合ってるよ」 「〜〜〜〜〜〜」  最後になんてことを言っていくのだ。  もしかして自分が知らなかっただけで、相当な色男だったんじゃないの? そういう疑問が首をもたげる。頭の片隅で、トリケラモンが頷いている気がした。  →Event.31  自己弁護しておくと、当然ながら夏のプールは混み合うし、人混みをかき分けて歩いていれば必ず誰かにぶつかるものだ。プロットモンも歩けば棒に当たると言うし、私だけの責任ではない。と思う。  とにかく、あの時彼にぶつかったのは私のせいではなくて、引力によるものということにしておいてほしい。 「イテッ。ああすんませんよそ見してた……」 「い、いえ、すみません。私もよそ見して、て…………」  鉄塚さん? 「あれっ真菜か?シードラモンはいっしょじゃねえのか」  当然のように、というよりかは当然で当たり前なのか。彼は、つい先日も会ったばかりの友人に話しかけるように親しげに声をかけてきた。  あまりの自然さにレキスモンもあっけに取られてポカンと固まっている。何か、何か言葉を捻り出してここから移動しないと。そうしてようやく出てきた言い訳が、これだ。 「ひ、人違い……人違いです! ごめんなさい!」  我ながらあまりに破れかぶれで笑いが込み上げてくる。そのまま逃げ出すなど、白状してるのとほとんど同義だ。  そんな私の自嘲を知る由もない鉄塚さんからの、なんとも呑気な言葉を背に受けながら、どこともわからない場所へと走っていた。 「あっオーイ深海回廊もう見たか綺麗だぞー! あとその水着似合ってんじゃねーの!」  ……ばか。褒められたら嬉しくなっちゃうじゃん。 「……はぁ、はぁ」 「真菜、大丈夫?」 「ごめ、レキスモン……飲み物ありがとう」  呼吸を整えながらレキスモンにもらったジュースの封を開け、ようやく辺りを見回す。鉄塚さんは……追いかけてきていない。無理に追ってこないでいてくれたことが、今はありがたかった。  ここはどうやら、さっき彼の言っていた深海回廊という場所の入り口のようだ。ジュースを飲み干しとりあえず一歩。落ち着くにはちょうど良さそう。 「わ、すごい……」 「不思議だねえ、どうなってるんだろ」  ひんやりと心地よい水流が頬を撫でた。水面を通った日差しがゆらゆらと差し込む、水でできた回廊。なるほど、これは確かに綺麗だ。なにより不思議なことに呼吸もできるし会話もできる。 「ふふっ。真菜が焦って逃げちゃったのに、見どころを真っ先に伝えてくれるなんて優しいねえ」 「……まあ、そうだね」  鉄塚さんは優しいのだ。粗暴な言動ではどこかぶっきらぼうなところはあるけど、その芯にあるのは人のことを思いやれる心だ。  私の知る鉄塚さんだって、今はあんな風になってしまってるけど、きっと中身は変わってないはず。 「……」 「ね、真菜。お礼くらい言っといたほうがいんじゃない?」 「ばか、レキスモン。もっかい会えたとして、今度はどんな顔しろっていうの」 「え〜会っておけばいいのに」  深海回廊がもうすぐ終わる。  ここを抜けたら、逆に彼を探しにいく? 「だって、真菜。さっきから、表情緩みっぱなしだよ。会わないともったいないよ」 「…………そんなことないもん」  深海回廊から足を外に踏み出すと、邪念を消し去るようにかぶりを振ってゴミ箱に飲み干したジュース缶を投げ入れる。  カンと小気味良い音がして上手にゴミが投入されたゴミ箱、その向こうに、見覚えのある白い髪。 「あら? あらあらあら、真菜、真菜」 「……うるさいよ、レキスモン」  言い咎めたら、背中をバシバシと叩かれた。