…眩い光に閉じた目を開くと、そこは見知らぬどこかだった。 霧のような、靄のようなものが立ち込めている。その向こう、白い光を背にして、人影が一つ。 それは、黒いローブとフードで姿を隠した誰かだった。俯いていて顔までは見えないが、あれが何なのか自分は知っている。そんな気がした。 「…………」 一歩。光の方へと踏み出す。 『待てよ』 「っ!?」 瞬間、耳元で声が響き振り返るとともにその声の主に殴り飛ばされる。ゴスッと鈍い音がした。 殴り飛ばされた時に頭を打ったのか、視界がチカチカする。 ……そして、その一瞬の隙にそれは目の前に立っていた。 『…………』 そこにいたのは、自分だった。 いや、正確に言えば自分と同じ姿ではない。ソレの髪は暗い藍のままだった。 「…不思議なこともあるもんだな」 まどかとの契約の影響だろうか?彼女は全ての宇宙から魔女を生まれる前に消したいと願った者だ。それと契約している自分も平行宇宙の光景を夢に見ることは、ないことはなかったが… 『違えよ』 『分かってるだろ。お前がもうそんな所の問題じゃないってことくらい』 『とっくに勘づいてるだろ』 「──」 『二葉さなの結界を破壊するとき、暁美ほむらがストッパーをお前につけた』 『だが実際はどうだ?抑止するどころかお前はそこからも力を引き出して自分の力に変えることができてしまった』 『今だって鹿目まどかが首を傾げていただろ。”なんでうまく動いているか私にも分からない”って』 目の前のソレが口を開く。まるでこちらの心の内を見透かしているように。 『当たり前だ。オレはお前だ』 『お前の中にあるモノと数多の世界のお前が、オレだ』 『お前のいる宇宙の外側にある数多の宇宙が内包された世界、その外側にもまた世界はある』 ソレはそう言って、手のひらをフイと霧の方へと向ける。 すると、霧の中に光が灯り、人が、景色が、浮かび上がっていく。記憶が再生されていく。 『お前に食わせてやる飯なんかあるわけねえだろ』 『なんで血も繋がってないガキに俺があくせく働いた金使わなきゃなんねえんだ!俺のための金だろ!』 『あ?んだよ男かよ。顔だけ似せやがって期待させてんじゃねえよクソ』 『さっさと出て行ってよ。ここは私とあの人の家よ。あの人におまけでついてきたあなたの面倒なんて見たくないわ』 『君が寝る場所?そんな気分じゃなかったから用意してないよそんなもの』 とめどなく言葉が流れてくる。そのどれも聞き覚えのあるものだった。 他の世界の自分も、人生の大筋は変わらないという事なのだろう。 『お前は誰かを助けるだなんて息巻いてるが、お前はその誰かにどれだけ苦しめられてきた?』 『そいつらは助けるに値するのか?』 『殴りつけてきた者、首を絞めてきた者、価値を示してもその対価を渡さない者』 『そして、世界の滅びを望む者』 『お前はそんな奴らでも助ける、なんて言うのか?』 ソレが問いかけてくる。 自分の中にあるモノを見透かし抉り出してくる。 『…………』 ソレが再び霧の中に記憶を映し出す。 そこには異形と化した自分の姿と、それを取り囲む魔法少女たちの姿があった。 「…………」 『これは円環の理の庇護下の世界だ。オレが化け物になった世界だ』 『なんであの子を殺さなきゃならないのよ!』 『もうアレはキミたちの知る存在じゃないんだよ七海やちよ。近づくこともできない、魔法も届かない、化け物なんだ』 『だとしても「」さんはまだ何も被害を出しては──』 『今はまだ、ね。私たちだって信じられるなら信じたいけれど、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えながら生きるなんて、みんながみんなできるわけじゃないのよぉ…………』 『だとしても…!』 『もう時間がない。選ぶんだキミたちの手で』 『力を合わせてアレを打ち倒して安寧を手に入れるか、大切なものや人を危険に晒す可能性があってもアレを御せる僅かな可能性に賭け続けるか』 『人は強大な力を持ったものを認められない。力を持つモノに責任を転嫁することで安寧を得ながら、力を持つモノに恐怖を抱く』 『お前もいずれ排斥される。人に、世界に』 『それでもお前はまだそんな奴らを守りたいと言うのか』 「…………」 今度は背後に光が灯る。今度の映像は他の世界の記憶ではなく、自分の記憶に違いなかった。 『ワタシは……怖かったんです…。家のことだけじゃなく、自分が魔法少女として衰えているって感じてしまっていた。そして実際に自分のソウルジェムが濁りきってしまった。そこで垂らされた糸にしがみつかない理由がなかった』 『サーシャが湯国でそんな目に遭ってる時アナタは何してたの?なんで助けに来なかったの?』 『ひめちゃん私は─』 『そんな時助けられなかったんだから、今はサーシャの助けになるべきなんじゃないかなって私チャン思うんだけど。違う?』 『お前は、みふゆ姉さんもサーシャ姉さんも彼女たちが一番苦しんだ時に助けられてねえじゃねえか』 ソレがこちらを睨みつけてくる。 『数多の世界の中には、彼女たちが苦しみ喘ぐ時に傍に居られた世界もあった』 『激動の中命を落とすことは避けられなかったが、それによって変わる流れもあった』 『だがお前はどうだ?』 『お前は、なにができた?』 「…………」 ソレは、ただ淡々と言葉を紡いでいく。 それはまるで、自分に染み込ませるように。 諭すように。嘲笑うように。責め立てるように。 傷口を開き、虚飾を取り払い、直視させてくる。 『そもそもの話、お前が存在する意味はあるのか?』 「…………」 『鹿目まどかも暁美ほむらも佐倉杏子も環いろはも二葉さなも梓みふゆも来栖アレクサンドリアもそれ以外の奴らも』 『みんなはお前がいなければ世界を救えないと本気で思っているのか?お前がいなければ救いを得られないって本気で考えているのか?お前がいなければ前へ進めないなんて思い上がってんのか?』 『違うよな?彼女たちはそんなに弱い存在じゃない』 『彼女たちが幸せを掴むために、お前は必要ない』 ソレは言葉を重ねる。心を擦切らせ挫かせんとする。 『この宇宙が選ばれたのは環いろはが生存していたからに他ならない。お前の存在の有無は世界にとって些事でしかない』 『鹿目まどかの代行者としてワルプルギスの夜撃破に協力した?お前がいなくてもレコードの負担ギリギリまで彼女が手を尽くしてただろうよ』 ソレの言うことはきっと正しい。 『暁美ほむらや佐倉杏子たちとの対話?お前がいなくても鹿目まどかやら環いろはやらを筆頭にやっただろうよ』 『彼女たちはそういう時に動けないような奴じゃない』 そして、その事をオレは心のどこかでそれをずっと感じていた。ただ、表に出さないでいただけで。 『同年代の人間だけじゃない。これまで親になってきた人間たちや近所の人間、恵まれた弱者たちに良いように利用されてるってのは自覚してるだろ』 『それとも、そうやってお前を通して誰かがそいつの欲望を叶えるような都合のいい誰かであることがお前の意味だってか?』 だからソレの言葉はオレの中で反響して心を削ぎ落としていくのだ。 『贄や玩具ですらその誕生は望まれると言うのにお前はそれらですらない』 『本物の子じゃない紛い物』 『いる意味も選ばれた理由もただのラッキーであって絶対じゃない』 『代替可能で欠損していても問題ない代替品』 『みんなの物語に「」という存在は必要ない』 「────────っ」 その言葉は、ガツンと頭を殴りつけるようだった。 他ならぬ自分自身の言葉だから、逃げ場なんてない。 自分の意思も思考も存在すらも揺らされたような、そんな衝撃だった。 ──────────────────────────────── ──────────────────────── ────それでも。 「それでも、オレは、ここで立ち止まるわけにはいかない」 声が、出た。 足は動く。手は握りしめられた。なら十分すぎるほどだ。 守りたいものがあるはずだから。 助けたい誰かがいるはずだから。 「悪いことをする人もいた。誰かを傷つけることを望む人もいた」 「繋がりを欲して自分の価値を示そうとしていたこともあった」 「それでもオレは、オレが助けたいと思ったから助けようとしてきたんだ。これまでもきっとこれからも」 「相手に価値や意味があるから助けてきたんじゃない!」 その一言は、自分でも驚くほどよく通った。そしてその言葉が自分の中ですっと染み込んでいくようだった。 『……誰かの為だなんて言う奴に中身があるものか』 ソレはそう吐き捨てる。だが、それでもいい。 「心にもないこと言うなよ。誰かの幸せを願い、誰かの未来を思う。それが自分でなくて何だって言うんだ」 それは他の誰でもない自分自身が思い描く未来の姿だ。 己が芯となり得るものだ。 「たしかにオレはみふゆ姉さんやサーシャさんが苦しい時に助けられなかった。母さんの失踪も生物学上の父さんの心中も止められなかった」 「それはずっと消えることのない後悔だ」 「でも、だから進めるんだ」 後悔なんていつだってしている。一生引きずることもあるかもしれない。 それでも、確かにそこにあった足跡に目を背けて同じ後悔を重ねていくことだけはしないようにしてきたつもりだ。 『お前がそんな風に言ったところで、お前が必要のない存在だということは覆らないだろ』 ソレが言い切る。確かに、その通りなのかもしれない。 自分なんていなくても、彼女たちは救われて、それぞれの幸せに向かうことができるだろう。 だとしても。 「オレが必要なかったとしても、オレ以外の誰かにできる事だとしても」 「今目の前にあることから、オレがやらずに逃げ出していい理由にはしない!」 ただ必死に、自分の人生を駆け抜ける。より良い今を目指して、より良い未来に繋ぐ。 一歩。前へ踏み出す。 それに合わせて、目の前のソレがオレの目の前に立った。 その顔を真正面から見つめ返す。 「お前たちだって、そうだったんだろ」 『………………………………』 ソレは何も答えず、そして消えた。 瞬きの合間に、霧が立ち込めるだけだった。 「……………………ふぅ」 一呼吸つく。そして、次にすべきことを直視する。 絶望や不安の声を聴いたのなら、次は希望の声にも耳を傾けなくては。 振り返り、はじめに見た光、そしてその前に立つ誰かの元へと歩む。 誰かは変わらずそこにいた。顔も、やはり見えない。 [……………大丈夫?お兄ちゃん] 「……………っ!」 誰かが口を開く。その第一声はあまりにも的確にこちらの心を切り裂いていく。 「…………オレは」 「オレは君のお兄ちゃんなんかじゃないよ」 [……?] ああ、クソ。 きっついな、これ。 「そっちにオレは居ないし、オレが居るなら君はいないだろ?」 そう、それは当然のことだ。 自分という存在を産んでなお正気を保ち続けられるほど、あの人たちは強くない。 だから、自分が生まれていればこの子はいない。そして自分がいないのであればこの子が生まれてくる。 自らの存在が摘み取った最初の命を、その命ならばあの人たちが幸せに生きられた事実を、直視しなければならない。 [………ずっとひとりぼっちなんでしょ?] 誰かが、問うた。 [だれかと仲良くなっても関係リセットを何回も経験してきたんでしょ?] [魔法少女でも、一般人でもなくなってるんでしょ?] そうだ。 今の自分は魔法少女と呼ぶには異端で、魔法少女でない一般人と呼ぶには歪だ。 人の世界に隠れて動く魔法少女たち。その魔法少女たちの世界の中でも陰に隠れなければならなかった。 [今、助けようとしてる人を助けたら、きっとまたひとりぼっちになっちゃうよ] [それでもいいの?] 声は、責め立てるようなものじゃなかった。 ただ純粋に疑問に思ったように、無垢だった。 「…………ああ」 [ひとりぼっちは、寂しくないの?] 「寂しいよ」 「寂しくて、辛くて、哀しいよ」 [なら、なんで?] 「ひとりになっても、独りじゃないって気づけたから」 みふゆ姉さんが、杏子が、さなが。 たとえ一度途切れても、たとえこの手が離れても、たとえ移り変わったとしても。 繋がりはたしかに本物なのだと。そう言ってもいいのだと気づかせてくれた。 「たくさんの人に出会った」 「その中には、出会わずに済めばそれに越したことのない人もきっといた」 「それでも、出会った全ての人が今のオレを形作っているんだ」 繋がってきた思いが、自分を前に進ませてくれるのだ。 「想いを繋いで新たな命を繋ぐのが、命だ」 「たとえ存在が消えてなくなっても、想いが繋がっているのなら、独りなんかじゃない」 だから、たとえ自分が消えても、彼女たちの命が終わっても、想いは誰かに繋がっていくから。 それはきっと新たな命に繋がっていくはずだから。 [だから、進むの?] 「………もしかしたら、届かないかもしれないし、立ち止まってしまうかもしれない」 「それでも、道は続いているから」 「だから、進むんだ」 それが、自分が選んだ道だ。 [そっか] 誰かは納得したような、安心したような声でそれだけ言った。 「…………………家族を、大切にな」 誰かは頷き、光とともに消えていく。優しさと希望溢れる自分の世界に帰っていく。 残されたのは、霧の立ち込める空間と自分ひとり。 輝く光はなく、落ちていく闇もない。 それでも、自分の中の、小さくて誰もが持ち得る灯は消えていない。ならば歩いて行ける。 「────よし」 奇跡は魔法少女だけのものじゃない。世界は魔法少女の世界だけじゃない。 魔法少女ができないことなら、魔法少女じゃない奴がやればいい。 誰かが掬えないのなら、別の誰かが掬えばいい。 それがみんなで生きていくという事なんだろう。 目指した地平に向かって、未来に想いが繋がると信じて。 安寧が欲しくない、じっとしていられる場所が欲しくない、なんて言えば嘘になる。 だけど。 今は、進め。