#22:Schwarz 天井から青空が覗くコンクリートの檻。立ち並ぶ木々の間をデジモン達が疾駆する。 作戦は第二段階に移行しつつある。アルケアの頭に乗った花冠と共に、デジメンタルの埋め込みには成功した。 後は、デジメンタルにアルカディモンのデータが移動、"開花"の瞬間を待って切り離しにかかる手筈であった。 その待つ時間が、第二段階の成否を分ける。 「止まらない……お願い!逃げて!」 アルケアが叫ぶ。その悲痛な声とは裏腹に、彼女自身の制御を離れた身体がデジモン達に、テイマー達に牙を剥いた。 下半身はアルケニーモン。右腕はナイトモン。左腕はギガドラモン。 完全体相当に進化したアルカディモンはアルケアの身体の主導権を乗っ取り、よりレベルの高いデジモンの姿を次々とその身に宿していく。 デジメンタルの埋め込みを行った一団が一度後退し、アルケア=アルカディモンがそれを追撃する。その進行が木々に分け入った瞬間に停止した。 先に展開した樹木の、今度は受動的な拘束だ。アルカディモンはその性質上絶え間なく姿を変えることが可能であるが、 それは同時に自分の体積を正確に把握し続けることが難しいのと同義となる。込み入った森の中では、肥大化した体積は容易に引っかかり、瑞々しい樹の強靭さ故に質量での破壊もままならない。 後退と入れ替わるように前衛部隊が躍り出る。 「アルケア……!」 その中に、シュヴァルツとアスタモンの姿もあった。彼らはバックアップとして前衛部隊の動きを補助するのが役割だ。 そしてもう一つの役割も担っていたが…… 「アスタモン、さっきの準備は!」 「まだ時間かかります!ったく、思いつきでやるモンじゃないですねェ……!」 アスタモンは歯噛みしながら自分の左掌に眼をやる。そこにあるのは先の戦闘でドゥフトモンがチドリから回収し、彼に与えたブランクデジメモリ。 "そのデジメモリを使えばもう一手を加えられる"というアスタモンの提案で譲渡され、彼が持ち込んでいた何らかのデータを転送しながら作戦に臨んでいた。 しかしこの必要な場面にあってもデータの転送は遅々として進まない。とにかく、今はこの身一つで仲間を援護する他になかった。 「上だ!アスタモン!」 シュヴァルツの呼びかけにアスタモンが上方を視界に収める。半ば破壊された天井に、白い筋を残して飛翔する物体が複数混じっていた。 ギガドラモンが使用する有機体ミサイル。その一斉射が打ち上げられ、樹に邪魔されない垂直方向のコースで降り注いでくる。 「エッジスラッシュ!」 左腕を差し出すように伸ばし、その手首を右手の刃が斬り裂く。溢れた赤い血がアスタモンの銃、オーロサルモンへと注ぎ込まれた。 『ウォールアイ!!』 銃を掲げ斉射する。その弾丸は直線軌道を描かない。弾の一発一発が彼の視界と連動して、自由自在に曲がりながらミサイルへと殺到した。 爆発の閃光。それが数十に達すると、地表に届いた衝撃波が緑の葉を吹き飛ばして枝と幹を激しく揺らした。 「前衛とぶつかりますねェ。森の中ならあの図体は……」 「いや、あれが来る!」 「っちィ!」 シュヴァルツが勘付き、次いで、アルケアの胸部が開かれる姿が確認された。 アスタモンは蝙蝠の羽を展開して樹の上へと飛び、前衛もそれに倣う。 その瞬間。 音はない。 光もない。 ただ、逃げられなかった樹木の幹が両断……いや、特定の高さの部分のみが消滅した。 ドットマトリクスの閃くことのない一閃が木々を薙ぎ倒し、再び人工物の無機質さを取り戻した施設の一角にアルケア=アルカディモンの姿が見えた。 その両腕は、デジコードロードによって再び変化していた。左腕にへルガルモンの炎の腕、右腕にクリスペイルドラモンの氷の籠手。 炎と氷、その両手を合わせる動作と共に、中心に反発属性のエネルギーが収束していく。その光が頂点に達した時。 紅蒼入り混じる極光と、それに伴う激しい嵐が叩き込まれた。 「―――っ……」 「あーまったく……忙しねェデジモンですねこいつァ……」 二重属性の合体必殺技が、施設を崩壊させかねないほどの余波を伴って放たれた。 前衛を担っていたデジモンとテイマー達、後方の司令部。そしてシュヴァルツとアスタモン。いずれも致命傷は免れたが、いずれも嵐に巻き込まれて大きく吹き飛ばされていた。 作戦の第二段階で使うはずだった樹木はその殆どが焼失し、煤けた灰色の床と壁を晒していた。 こちらも壊滅はしていない以上、作戦は継続。一度仕切り直しの格好になる。 「デジメンタルの開花は?」 「前より蕾みてェなのができてますが、まだ足りてねェです。こっちもいつまで持つか……」 不可視のドットマトリクスと、デジコードの合わせ技は全ての攻撃が破壊的だ。アスタモンの表情も普段の余裕を保てないでいる。 単純に抑え込むだけではない、デジコードロードされたデジモンの実態はアルケアの身体の一部。ともすれば致命的なダメージを避けながらの戦闘を強いられ続ける。まだデータ移行の完遂も見えない状況で。 脚に力を込めて立ち上がり、アルケア=アルカディモンとシュヴァルツが向かい合う。 「もう少し待ってて、アルケア。必ず君を―――」 そう言いながら、ゆっくりと彼女に向かおうとしたが、 「―――来ないで!!」 その絶叫に、ぴたりと足を止めた。 「もう嫌、いや、いや、いや……!」 「どうして向かってくるの……どうして助けようとするの!!私、皆を傷つけたくないのに、どうして!!」 頭を振りながら、絞り出すように悲鳴をあげる。その瞳は虚ろに震え、咳込むように呼吸は早くなっていく。 「私、わたしこんなことされるような人間じゃない!!そんな資格はない!なのに一体何!?君には人を傷つけて欲しくないって!!」 「もう遅いよ……!私は消したんだよ!?あの子の腕を!!私に呼び掛けてくれただけの子を!あの子の腕をどうやって戻せばいいの!?どうやって償えばいいの!!」 消した。その単語にシュヴァルツの眼が見開かれる。眼前のアルケアの姿に、説得に差し出しただけの少女の手をドットマトリクスで消去した彼女の姿が、その光無い呆然の表情が重なる。 その瞬間から、アルケアの心はとうにひび割れて、軋み始めていた。彼女は予め特別な人間などではない、気取っていても、他人を傷つけることのできない優しい少女でしかなかった。 それが制御できない暴虐によって、自ら少女に重傷を負わせた。それを事故といくら弁護しようが、彼女の人並みでしかない心にはあまりに罪悪が重すぎた。 負荷に耐えきれなくなった心が崩れていく。それが深奥へと沈んでいくほどに、更にアルカディモンに制御を奪われていくとしても、彼女に抗う気力は残されていない。 アルカディモンによる支配が確固たるものとなれば、デジメンタルによる分離は破綻する。 「私にはできない、私には背負えない!これ以上私じゃない私の体が皆傷つけて、消して!!そんなことになるぐらいなら……」 「―――私が、消えればいい……私さえ……!!」 ならば、死ばかりが最終的な手段となる。 私はもう、消えてしまいたい。贖えない罪を背負うぐらいなら。 「――――――」 何も、返せなかった。言葉が出なかった。 今、アルケアの身心に巣食うものは、シュヴァルツにとっては全く同じものだったから。 始めて人を傷つけた時がある。 その手に刃を突き立てて、肉を裂き、骨を砕いたことがある。 腕を失った子供が悲鳴をあげてのたうち回る様を見たことがある。 それが何時だったか、誰が相手だったかを覚えていない。その瞬間はあまりに何も感じなくて。 ……けれど、血は忘れない。 血は許さない。 いつまでも、底はなく沈み続けていく。魂が窒息していく。毎夜地獄は蘇り、幾度となく自分を殺しに来る。許されず、許されず、いつか過ちの生命が尽きるまで。 眩暈は深く、呼吸は浅く、震えが止まらない。 終わるしかないのか、このまま。 ―――いえ、まだ始まってすらいませんでした。 頭の中で、誰かの声が響いた。 一歩を、彼女に向かって踏み出した。 また一歩、彼女へと歩み寄った。 「シュヴァル―――オイちょっと何やってんです!!」 アスタモンの表情が血相を変えた。 ドットマトリクスの予兆が分かったとしても、無防備に接近した状態から躱せるような速度はしていない。今のシュヴァルツの距離は確実に射程圏内にあった。傍目には死にに行っているようにしか見えない。 その瞳に、光さえ宿っていなければ。 「……そっちに来てほしくないってのはわかってる」 君優しいもんね。これ以上誰かを傷つけないように、そのまま全部遠ざけて、永遠に一人で消えていこうってさ。 「でも、悪いけど、それはできない。君が嫌でも、ボクはそっちに行かなくちゃ」 また一歩、彼女に近づく。 「わかってるよ。ボクは、君に何もしてあげられない。君にとって辛いものはそんな簡単に消えるもんじゃない」 正しく、自分は最も彼女を救えない人間なんだろう。同じような罪を何度も重ねてきて、何度も殺してきて、それで生命を救えるなんて虫が良すぎる。 罪は洗い流して抹消できるものじゃない。それはずっと背負い続けて贖い続けなければいけない。 けれど、 「でも―――それでも、一緒にいたいんだ。寂しいと思うなら隣にいたい、辛いことは一緒に背負っていたい」 罪を背負って溺れ死んでしまえば、それで誰かが満足するんだろうか。贖ったことになるんだろうか。 救う資格なんていうものを持っていないのならば、諦めて終わりを待っていい理由になるんだろうか。 そんなことはない。 背負いきれないものなら、分け合ったっていいじゃないか。 理由なんて、最初から決まっていたじゃないか。 「君に全部を抱え込んでほしくないんだ、君にちゃんと笑っていてほしいんだ!ボクは―――笑ってる君のことが好きなんだよ!!」 「―――えっ?」 「君が好きだって言ったんだよ!!あげた花を喜んでくれた時から!!本当はあの時、ずっと笑ってる顔を眺めていたかった!!」 一瞬空気が止まって、そして堰を切ったように動き出した。何を言われたのかわからなかったような返答のアルケアに、シュヴァルツは喉が張り裂けんとばかりに畳みかける。 わかっている、こんな言葉を重ねてどうにかなる問題ではない。これは包み込む慈悲、赦す心じゃない。ナイフのように彼の胸に突き刺さり、駆り立てる恋でしかない。 それでも、これしか君に届けるものを持っていない。善いも悪いもなく、君との明日が欲しい。 こんな地獄の中でも、明日を願うことはできる。かつて、シュヴァルツの目の前で煌めいた赤い光のように。 「だから、来ないでって言わないで!一人になろうとしないで、諦めないで!ボクはずっと君の隣にいる!だから……助けてって!言ってくれよ!!」 その言葉が、どれほどアルケアの心に響いたのだろう。 だが、感情をぶつけるだけの衝撃が、閉ざされかけたアルケアの心を現実に引きずり出した。知覚が精神内から外へと戻った。 その耳が、眼が、正常に開き始めた。届いていく。皆の言葉が、皆の想いが。 どんなに難しくても、たとえあなたが拒絶したとしても!俺たちはあなたを助けることを諦めません! 私と同じ苦しみ方…でも…今度は止められる…!私みたいにはならせない!絶対に!! 実験体程度で終わる器じゃないってこと、見せつけてやろう! だったら……もうちょっと頑張ってみろよ! 僕たちを見なよ、いつも遠慮なく我儘に自分の言葉をぶつけあってるよ。 誰に頼ってもいい貴方の言葉を、心からの願いを答えて!! 必ず!貴女を助け出してみせましょう!もうそれ以上、貴女が涙を流さずに済むように!! 少年がいた。少女がいた。大人たちがいた。 同じように苦しんでいた者がいた。在野のお人善しがいた。イルカと博士がいた。 彼女に呼び掛け続けていた者、彼女のために算段を尽くしたもの、道を切り開いた者。 その想いの一つ一つが、彼女に刻みつけられた。 「――――――て」 その口が、微かに歪んだ。眼に再び輝くものがあった。 「たすけて……」 溢れた心と共に出てきた言葉が、アルケアの答えだった。 「―――ったく、あのバカみてぇな無茶やりやがって。どっかで育て方間違えましたかねェ……」 後ろからシュヴァルツに近づいて来たアスタモンが、どっと疲れたような顔でガシガシと頭を掻く。 「ですが……一緒に背負っていく。あなたは、そう答えましたか」 その下の微かな笑みと共に、悪魔は小さく呟いた。 左掌が熱く感じる。漸くか、その確信と共にアスタモンは手を開いて確認した。 ブランクデジメモリにデータが保存され、その姿は小さなナイフ―――正確には、より大きな剣の一部の破片のように変化していた。 破片に刻まれていた文字のような紋章が、暖かな黄金色の光を放つ。 「ようやく、こっちもバカのお目覚めですねェ」 脳裏に"バカ"の姿がよぎる。本当に、こんなことだけは決して起こり得ないと思っていた。仮にその機会があったとして、自分はそこへ踏み出す資格も、勇気も失っているのだろうと。 なのに今は、拭いきれない澱の中が熱い。奴の言葉を借りるならば、"そうするべきと思った"感覚が身体を突き動かさんとする。 全く、私ァそういうキャラじゃないんですがねェ。内心の苦笑を最後に、右手で握った輝く刃を天高く掲げた。 「最後の仕上げ、気は進まねェですがあるモンは全部使います……行くぞ、相棒!シュヴァルツ!」 アスタモンの決意の声に応じて、その前にシュヴァルツが立つ。順手に赤い刃を構え、その剣身を左手で掴んだ。 「―――うん、行こう!」 僅かに右手を動かす。刃がぞぶりと左掌の肉を裂き、鮮血が僅かに滲んだ後、ばっとシュヴァルツへの右肩側に広がった。 そして、舞い散る紅い血の中から、漆黒の光が湧き出した。闇を焼く炎のように、ひび割れた夜の翼のように。 今必要なものは、血を流す痛みではない。傷を与える恐怖でもない。 血から湧き立つものはシュヴァルツの心。折り重なる傷を纏って、黒く耀く魂の証。 「アスタモン、進化!!」 左手を突き上げ、舞い上がる黒のデジソウルがアスタモンの姿を覆い尽くした。 「―――救われるべき命のために、再びここに誓いを立てる!」 彼の獣の被り物が、狼の右腕へと変化していく。 「我は全ての悲劇の終わりを告げる銃」 掲げた刃が竜の左腕へ変化していく。 「全ての悪意に終わりを齎す剣」 デジソウルの幕を背に纏い、漆黒の鎧でその身を包む。 「常闇の深淵を背負い、耀く矜持をこの胸に!」 「我が名は"終焉の黒騎士"―――オメガモンズワルト!!」 赤い右目を輝かせ、左目の洞穴に火を灯す。 深き地獄の底より、騎士は此処に帰還した。 #23.9 切り離されたラフレシアが空を舞う、夢現の花を失ったアルケア=アルカディモンの身体がぐらりと揺れる。 同時に、彼女の身体を抑えていた蔓に限界が訪れた。その拘束が緩むと共にアルカディモンによってロードされていたデジモンの手足が霧散していく。 急激に体積を失い、元通りの細い手足に戻ったアルケアは、そのまま拘束を抜けて力なく落ちていく。 オメガモンにデジヴァイスブラッドを渡し、その背を蹴り、アルケアが投げだされた空中へとシュヴァルツは飛び込んだ。 飛び出した勢いのまま、力いっぱいに両手を伸ばす。届くまで、あともう少し。 「アルケアァーーーッ!!」 指先が肌に触れる。掌が肩を掴む。 そして、両腕が彼女の身体を抱きしめた。