最近見た映画のようだ。怪獣と怪獣がプロレスやるヤツ。 およそ起こり得ない規模で繰り広げられる暴威と暴威のぶつかり合いを、少年はフィクションを見るかのように眺めていた。そのぐらい、眼前の戦いは現実離れしている。 相手は突如現れた謎の暴竜、こちらは聖騎士二体を主力の布陣で迎え撃っているが、戦局を抑え込めているとは言い難い。 こちらも観戦を楽しむ暇はない。悪魔の貴公子は崖の上を駆けながら、手にした銃より極大の火線を放って支援を続けている。指揮者たる少年もまた貴公子に追従して忙しなく走り回っていた。 その時、少年が視界の端に何かを捉えた。地面の一部の隆起。何かの攻撃…いや、増援か?だとしたらまずい。こちらの手勢には限りがある。 土が舞い上がり、さらにもう一体、いや一組が姿を現した。 「―――ごきげんよう。我が名は黒曜将軍オブシディアナ・アルケア!これより……」 「敵だよ、撃ってアスタモン」 「ぬわーっ!!ちょっと待って!汝最後まで我が名乗りを聞かぬか!!」 「だって将軍って言うから…あ、ボクはシュヴァルツ。よろしくね」 「これノータイムなヤツだよ葵!!増援は諦めて早く帰ろう早く!!」 誰もが死んだ。 血がボクを満たしていく。 地獄は満員だ。 繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返す。 いつになったら終わるんだろう? そう考えるようになったのはいつからだろう? 足元が血に満ちて前に進めない。 手元が血に満ちて何も掴めない。 喉元まで血が迫って来て、息が詰まって溺れていく。 おかしいね。 殺すための機構がなんで呼吸をするんだろう。 何も考えずに、役割のままに引き裂いて、摺り潰して、殺し続けて。 なるべくしてなった結果の中で、ボクはなんで、泣いているんだろう。 「シュヴァルツ、シュヴァルツー?」 「……」 目が覚めると天井と、獣の被り物をした男が見えた。 微妙に縦長の部屋の中のベッドに仰向けで倒れるのは、黒い瞳と褐色の肌の少年シュヴァルツ。それを上から見下ろす大男は彼のパートナー、悪魔デジモンの貴公子ことアスタモンと呼ばれている。 部屋が妙に縦に長いのは、ここが電車の車両の中だからだ。非正規の路線を走る人造トレイルモンの一体を彼らは拠点として暮らしていた。一室は多少手狭だが生活にはそこまで困らない。 「ひでェうなされ方してましたよ、調子はどうです?」 「別に……大丈夫だよ」 血の通っていない顔の汗を拭いながら、にこりとアスタモンに微笑んで見せた。それも何度目ですかねェ、とアスタモンは言葉には出さない。時間の流れは早く、回数は早々に数え切れなくなるから。 「今朝はボスからお呼びされてます。前出会った連中についての話だそうで」 「あぁ、アレの……」 着ていた服を全て脱いで、黒い色のインナースーツを身に纏った。その上から拳銃のホルスターを思わせるハーネスを胸から背中に巻き、軍用の塊感がある黒いパンツとブーツを履く。 後は黒いマントを首に巻いて右肩から垂らせば、それで制服の出来上がりだ。あまりに黒すぎるが気にしてはいけない。 車両の連結部を通って何両か進むと、そこがボスの待つ司令室となっている。 「シュヴァルツ、入ります」 Bootleg vaccineという組織がある。 社会に反していたもの、社会に居場所のないもの、その他諸々を寄せ集め。治外法権のデジタルワールドを治めるために使い捨てで送り込まれる非正規ワクチン。 「……来たか」 そのBVの長を務める司令官が、黒髪を纏めて眼鏡をかけた高円寺峰子―――正確には、彼女の体に憑りついている、聖騎士型デジモンのドゥフトモンであった。 「早速だが、前回の作戦のデブリーフィングの続きになる。まずはご苦労だった。休暇中の出勤となってすまなかったな」 「いえ、問題ありません。ボス。話というのは作戦で出会った連中の?」 「そうだ、奴ら―――ネオデスジェネラルについて、お前にはまだ話していなかったからな」 ドゥフトモンが手を組み、車内のモニターに資料が展開された。いずれもデジモンとの遭遇のレポートと、それが齎した損害について書かれている。 その中には以前の作戦―――ロードナイト村という場所に休暇で遊びに行った際に巻き込まれた戦いで見た、暴竜の姿もあった。 「奴らはデジモンイレイザーに仕えるデジモンや人間の集団だ。強制デジクロスをはじめ強大な戦力を有し、イレイザーの目的達成のために各地で騒乱を繰り広げている」 「デジモンイレイザー?それの目的は何なんですか?」 「イレイザーの正体は私たちにも掴めていない。リアルワールドの負荷がデジタルワールドの害と考え、その切り離しを企んでいるともされているが……それ以上に、それが齎した実害は現実だ」 組んだ手を握りしめる。正体がなんであれ、目的がなんであれ。デジモンイレイザーという存在が少なからぬ人々の人生を破壊し、命を奪う結果となった。それを止められなかったこともまたドゥフトモンの現実の一つだ。 「彼らがボクたちの敵ということですか?」 「あぁ。正確には、お前たちを組織した私の敵、ということになるが」 ドゥフトモンはBVのボスである以前より、ロイヤルナイツという集団の一席に座る選ばれた13体のデジモンのひとつであった。彼らは個々の正義のために、デジタルワールドに蔓延る混沌と戦いを今も続けている。 彼らとの戦いのためにBVは編成された。毒を以って毒を制す、悪が悪を討つために。 その話を聞いて、シュヴァルツは先の戦闘の経過を思い出していた。確かに、彼らネオデスジェネラルの力は強大で、ボスのドゥフトモンとそのロイヤルナイツの同僚が共闘して立ち向かうこととなった。 その中で、一人だけ変わった存在がいたことを思い出した。黒い角を生やした長髪の少女。自信満々に現れたが、アスタモンの威嚇射撃で即座に退散した、何が何だかわからない何者か――― そう、何をするにしても情報を集めるのが先決だ。 「今回ネオデスジェネラルの二体が動きました。次は何か痕跡を残してないか探ってこいってことですね!」 「違う、お前は休め」 「えっ!?」 「富士見温泉郷へようこそおいでくださいました。ご利用は何名様でしょうか?」 「あ、はい。2名です。ボク未成年でこっちが完全体」 「では料金は完全体1名で結構です。ごゆっくりおくつろぎください」 デジタルワールドの中というのは大体景色に脈絡がない。が、この温泉はその数少ない例外の一つだろう。空気の流れ、光の色遣い、流れる水の全てが調和し、訪れた人に和の安らぎを与えていた。 「タツミ師匠がおすすめしてくれたから来たけど……なんか慣れないなぁ」 「最初はそんなもんですよ。緩んでませんかね?ちゃんと着ないとだらしねェですよ」 「わかってるって。ちょっとスース―するなぁこれ」 どうも落ち着かない浴衣姿で廊下を歩きながら、思い出したのはBVに傭兵として参加している男の顔。アスタモンに負けず劣らず胡散臭い眼をしているが、シュヴァルツは彼の戦術を学ぶうちに師匠と呼んで懐くようになった。 その師匠から『BV来てからずっと働いとるか何かに巻き込まれるかばっかやったからなぁ。前の村もちょっと色々あったし……一旦仕事のこと忘れて羽伸ばした方がええで』とアドバイスを戴いた。が、 「変なこと言うよね師匠。アスタモンは羽出せるけどボクには無いよ。死にすぎて視力おかしくなったのかな」 「しれっと失礼なこと言わんでくださいよォ。休めって言われてんですから素直に休みゃァいいモンを、今日はえらくゴネるじゃァねェですか」 「別に、いつも通りだよ」 プイと顔を背けてきたシュヴァルツに、深いため息で返す。ワーカーホリックはいつものことだが、今回は妙にネオデスジェネラルに拘っている気がする。その理由にアスタモンが頭を回していると、 「あ」 そう口にしたシュヴァルツの視線を追い、続けてアスタモンも「は?」と口にした。 「あ……あっあっあっ……」 こっちを見て明らかに青ざめて震えている方。プレーリードッグを立たせて鋭い爪をつけた感じのデジモン、プレイリモン。 そしてもう一人、銀色の長い髪と黒い角、他は浴衣に着替えているが、その表情をシュヴァルツははっきりと覚えていた。 「ほう……久しいな!ロイヤルナイツの手先!我が名は」 「オブシディアナ・アルケア」 「っ!?言ーうーなー!我が名乗っている最中であろう!!」 「もう聞いたし覚えてるよ……それと手先じゃないよ。ボクはシュヴァルツ」 そして、初対面と同じように名乗りは中断された。流石に二度目は無いと思っていたのだろうか、顔を真っ赤にして地団駄を踏むアルケアを、一切悪びれていない顔でシュヴァルツが眺めている。 「っふ、まあよい。たまには休めと言われたけど一人で部屋にいてもなんだから来た温泉宿で汝と再び出会うとは……これも運命というもの」 「今度こそ、この黒曜将軍が汝らの力量を確かめさせてもらうぞ!」 叫んで少しペースを取り戻したアルケアが高々と宣言する。先の戦いではその真価を発揮しなかったが、将軍を名乗る彼女自身の能力は未知のままだ。 「……ふぅん、またやりたいんだねぇ。別にいいけれど」 ゆらりと頭を揺らして、シュヴァルツの黒い視線が鋭くなる。次は警告はない。頭を切り替えれば、彼はただ勝利にのみ忠実に動き出す。 視線を交わし弾ける。それが何者であれ、片方はネオデスジェネラルで片方はBV。お互いに躊躇する理由は無く――― 「あっすみませんお客様。中での乱闘はご遠慮願います」 「……はい」 理由はあった、ここは温泉宿だった。 「はぁ……」 湯気が視界を白く染め、じんわりと熱が身体を温める。最近の穴掘りの疲労が溶けだしていくような感触―――いい湯だなぁ。 一触即発の雰囲気が解けたあと、プレイリモンは先にひと風呂浴びて疲れを取ることに決めた。彼はデジモンなので男湯でも女湯でもなくデジ湯を利用する。 「困ったなぁ。今日は葵とゆっくり休んでいこうと思ったのに、急にこんな休まらないことに巻き込まれるなんて……」 眉を寄せて湯に身を沈める。このまま穴を掘って逃げられたら良かったのだが、器物損壊なんてできるはずもなく。 とにかく距離を取って穏便に帰るしかない、葵……アルケアが今度こそ激突する前に。できればもう対面したくない。特に相手の少年の隣のアレ、あの獣の面を被った悪魔のような風貌の――― 「ほォ、中々立派な湯じゃァねェですか。あ、お隣いいですかね」 うわ出た。ご丁寧にスーツを脱いで、手ぬぐいを角に乗せて。 「!!?っで、でっでっで出たァ!?」 「あーコラコラ銭湯ではお静かにィ」 思い切り悲鳴をあげたかったが、周囲の目線がプレイリモンのそれを縮こまらせた。そのままアスタモンは静かに彼の隣に入ってくる。 「いやァ落ち着いてくださいよ。別にそう警戒せんでも取って食いやァしませんって」 「前は警告せずに撃ってきたよね!?威嚇で済む距離じゃなかったよね!?第一そんなこと言われても胡散臭すぎるよぉ!!」 「いやそんな……私そんな信用ないです?」 ……自覚はあるが、流石に面と向かって言われると傷つく。そんな面持ちの獣面に影が差した。 ちょっと言い過ぎたか?とプレイリモンが発言を省みると、少し恐ろしい悪魔デジモンの印象が和らいだようにも感じた。恐る恐る勇気をふり絞り、言葉を紡いでみる。 「……あいつら、ロイヤルナイツの仲間じゃないの?」 「まっさかァ、あの変な連中とはあくまでビジネスパートナーの関係ですよォ。敵の敵は味方……じゃあねェですが、今んとこあなた方を敵とも味方とも思っちゃいませんねェ」 あの場にいたロイヤルナイツの片方、ドゥフトモンは独自の武装勢力を率いてイレイザー軍に敵対していると聞いたことがある。多分、あの少年とパートナーの彼はその一味だとプレイリモンは認識した。 が、あくまでそれも利害の一致。さらに特別な理由が無ければ敵対に当たらない。ともすれば自分は今のところ助かっているのだろう、と胸を撫でおろす。 「だって、ケンカ売るより友誼を結んだ方が色々御しやすいってモンでしょう?仲良くしましょうよォ」 ……うん、なんとなくそんな気はしてた。これからしっぽりと情報を絞られるんだって。 「まず一つ、あなた方黒曜将軍なんて大層な名前名乗ってますが、どう見たって戦闘要員じゃねェでしょう。見た感じは斥候、ってとこですかね?」 「う、うん……」 これは否定しない。プレイリモンは明らかに自分が戦闘に適さないという自覚があり、アルケアを逃がす逃走手段の役を得るまではずっと軍の中であぶれていた。 「にしちゃァなんかこう、結構派手というか?アレは?」 「葵……じゃなくてアルケアの趣味だよ。ボク、じゃなくて余もアルケアの志に共鳴し……!」 「あァ今やんなくていいです」 「はい……」 冷静に突っ込まれて恥ずかしくなったが、これも否定しない。ステレオタイプのTVゲームやノベルに登場する魔王というか、アルケアはそういったキャラクター像に強く惹かれている。 そのために邪悪そうな振る舞い、衣装、名乗りを上げて任務に臨む。それでよく返り討ちにも合うから危険と思ってはいても、プレイリモンはそれに合わせてやろうと冷酷な忠臣のキャラクターを振る舞っていた。 「んー……どうです?あまり深刻に組織にこだわらねェなら、このまま足抜けしちまうってのも」 「え……!?」 思わずアスタモンの方を振り返った。ぱちゃりと湯の水面に波が立つ。 「いや、そんな差し迫った話じゃなくてですね?ネオデスジェネラルじゃ辞表出すのも大変でしょうからねェ。ま、一旦そこは置いといて」 「ただ、向こうの組織よりも他所の方があなたの技能は活きると思いましてねェ。これはロイヤルナイツの狗としてじゃなく、一介のビジネスの目線です。悪くない選択肢だと思いますが?」 悪魔が微かに笑った。 プレイリモンはその真意を悟る、悪魔のくせに、全く悪意がない。本当に純粋な気遣いで、「向いてないし危ないから抜けた方がいい」と勧めてきている。 その理屈は理解できる。けれど、 「いや……ボクは、いいよ」 「アラ」 「危ないかもしれないけど、それでも……ボクは、彼女の側にいるのが役割だから……」 向いてない、危ない。よくわかってるけど、それでも彼にはようやくできた役割で、楽しいと思える立場だった。縮こまりながらも、その悪くない選択だけは否定したかった。 「……ま、否定はしませんねェ。一度できた役割を捨てるってのは、そんな簡単なことじゃねェ」 「……」 「ご協力ありがとうございましたァ。さ、早くあがらねェとのぼせますよ」 「え!?あ、うん」 その言葉を感慨深そうに反芻すると、アスタモンは湯から身体を持ち上げた。同時に、檻に閉じ込められたような威圧感がプレイリモンの周囲から解ける。 これで、良かったのだろうか?胸中に困惑を残しながら、プレイリモンは続いて湯から出て温泉を後にした。 オレンジ色のカラーボールが舞う。目で追えるか否か、いや、それを推奨されない高速で直進する球が青い机の上を跳ねた。 直後、舞い上がった球をゴムが包み込む、ゴム板と木の板の複合で球を捉えたのは、人の腕。そして銀の髪と黒い角。 腕を振り動かし、打ち返す。球は今度は逆方向に駆け、机の天面に接した瞬間に加速した。打球の瞬間に与えた高速回転だ。 その軌道、そして、打者の腕の動きを黒い瞳は冷静に見つめる。推測がはじき出した回転力を宥めるように、撫ぜるように、打ち返して攻勢を防いだ。 その応酬。リズミカルな軽い打球音、スリッパが床面を滑り鳴らす音。そして、対峙する二人の短くも激しい呼吸。 「―――なにやってんです?あの二人」 「さぁ、なにやってんだろう……」 ……湯から上がったアスタモンとプレイリモンを待っていたのは、お互いのパートナーは真剣に温泉卓球に興じる姿だった。 アルケアのラケットが球を捉えて、しかし、回転を防ぎ切れない。それは垂直に飛び上がり、再びテーブルを打つことなく床へと落下していった。 「あぁ!あぁ〜〜〜!」 「よし!!」 糸が切れたように卓球台にへたり込むアルケアと、満面の笑みで拳を握りしめるシュヴァルツ。どうやら決着がついたらしい。が、 「シュヴァルツ、何で卓球なんかやってんです?」 「彼女がどうしても決着つけようっていうから、じゃあ対戦できるヤツがいいかなって」 「ぜぇ、ぜぇ……なかなか、やるではないか……汝を我の好敵手と認め……ゲホッ」 「大丈夫なの葵!?ほら水、早く!」 青ざめた顔で酸素と水を要求するアルケアに、プレイリモンが急いで水、ではなく牛乳を持ってきた。 瓶を掴んで飲み干すと、すっかり火照った身体によく冷えた牛乳は良い冷却となった。 「ふぅ……改めて、中々楽しめる勝負であったぞ……ホントにやったことなかったの?」 「うん、そういうのがあるって知ってたぐらい。これ結構面白いね」 アルケア自身もさして経験に長けているわけではない。が、目の前で切れ味鋭い動きを繰り返して汗ひとつかいてないシュヴァルツを前に、思わず演技でない口調が飛び出てしまった。 「休憩したらもう一回やる?今度はボクがあの回す奴打ってみたい」 「い、いや。もういい。我は英気を養い、再びイレイザー様のための任務に赴かねばならないからな」 流石に二度目は無理。そう返したアルケアの言葉に、シュヴァルツは少し引っかかるものを感じた。 「……あのさ」 「君はどうして、あの組織にいるの?」 アルケアが目を丸くする。そしてプレイリモンも。アスタモンは、僅かに眉を顰めた。 確かにベストなタイミングではない、聞きたいことが先走っている。だが、シュヴァルツにはその理由こそが引っかかっていた。 イレイザー、ネオデスジェネラル。数多の人とデジモンを傷つける一団に、楽しく卓球をしてくれた彼女が何故従うのかを。 「……愚問だな」 「全てはイレイザー様のために、我が道は悪の運命。あの方が私を必要としてくれるなら、我は期待に応えるまでのこと」 自信に満ちた笑みで、アルケアはそう回答した。そのイレイザーが何者なのか、それに従うことがどういう意味なのか。シュヴァルツは、彼女がそれを全く理解していないような空虚感、焦りのようなものがチリチリと燻っていく。 「そうじゃなくて……そんなことで悪い連中の仲間になっちゃ本当に―――」 思わず語気が荒くなりかけて、そこで、止まった。 本当に、なんだ? お前に、それが許されていると? 黒い靄、赤い瀝青が視界を塗りつぶす。足を、手を固めて、喉を埋め尽くして、息が、 「……どうした、の?」 「いや……なんでも、ない。そうじゃなくて……あぁいや……そうだ」 弱弱しい声色で尋ねてきたアルケアの声で、現実に引き戻された。身体が冷たく、酷く汗が噴き出している。詰まっていた息が吸えることを確認したが、その時には、何かを問い詰めることはもうできなくなっていた。 シュヴァルツは平静を装いながら、なんとか話題を修正しようとして、次の機会に伝えようとして、思わず口走ってしまっていた。 「あのさ、連絡先交換しない?」 「ふむ、その程度なら―――ふぇ!?」 素っ頓狂な悲鳴が上がる。そしてシュヴァルツも悲鳴を上げたくなった。口走るにしたってもっと何かあったんじゃないか?急にそんなの聞かれても困るだろう。ほらもうアスタモンがもうどうにでもなれって顔してる。 「ま、待て。先程汝と我は戦う運命にあると宣言したはず、その舌の根も乾かぬうちに連絡先などと、馴れ馴れしいにも程が―――」 「戦う時のロケーションって大事だと思わない?「あの世とこの世の境界に存在する白い逆さまの塔」とかボク場所知ってるんだけど……」 「なんと!?」 なんとかなった。口走り続けたら意外と口が回ることをシュヴァルツは学習し、そして二度と役に立つことは無いだろう。アルケアの言動から、何か荘厳な雰囲気の地形が好みではないか?と咄嗟に推測したら何かが刺さったらしく、一瞬で目を輝かせた。 「そのような立地を知っているならば……仕方あるまい。汝のデジヴァイスをそこにかざすがいい」 そわそわした態度でアルケアが頭をこちらに傾けてきた。ツノ、やはりあのツノが彼女のデジヴァイスに該当する装備なのだろうか?とシュヴァルツは考えながら、自分のデジヴァイスを取り出した。 黒く塗られたグリップか鞘のような形状。その中に赤い刃が仕込まれていることは、彼女には伝えない方がいいだろう。通常のデバイスの範疇で操作を行い、彼女とのリンクが設定された。 「あ、ありがとう……その、またね。アルケア」 「うむ、決戦の時を楽しみにしているぞ!シュヴァルツ!」 その言葉と共に、アルケアは今度こそプレイリモンを連れて自分の部屋に戻っていった。プレイリモンは去り際に、少しアスタモンの方を振り返ったように見えた。 椅子に座り、シュヴァルツはふぅと一息つく。なんだかどっと疲れた気がする。それに、うっかりこちらの連絡先も渡してしまったのだから、この後アスタモンに怒られてさらに疲れるんだろう。 そう思って恐る恐る振り返ってみせたが、 「……アスタモン?」 「―――シュヴァルツ、今日はさっさと寝た方がいいですよ」 その表情は、少し強張っているように見えた。 デジタルの海は、簡単に情報を消したりはしない。 大事な思い出も、消したい過去も、罪も。