「うわぁあ……! 私,花嫁さんになってる……!」  大鏡の前で生旅は目を輝かせていた。  鏡面には純白のウェディングドレスを身に纏い、ベールを被った自分の姿が映っている。  右へ左へ、体を捻る度にシルクサテンの光沢が煌めき、控えめに広がった裾がふわりと浮き上がる。頭頂部に真っ白な薔薇が飾られてたミディアムベールは菖蒲色の髪を優しく覆っており、象牙色のチュールに微かに髪色を反射させ淡い紫の光に波打つ。141cmの小柄な体格に不釣り合いな豊かなバストは胸元から側面にかけて大胆に露出されており、細いウエストから張りのあるヒップにかけて艶やかなS字のシルエットを描いていた。 「生旅さまのスタイルに合わせたドレス、気に入っていただけたでしょうか?」  大人っぽくなった鏡の中の自分を夢中で眺めていた生旅にたおやかな声が掛けられる。  振り返ると黒茶色の長髪が見事な女性がそこに居た。手織つむぎ、生旅のドレスを手掛けた仕立て職人だ。 「はいとっても! 手織さん、急なお願いだったのに素敵なドレスを仕立ててくれて本当にありがとうございます! こんなに動いても胸が苦しくならないなんてすごいです!」  両手を広げてクルクルと回る生旅をつむぎは職人の目で見つめ、ベールの揺れ方、裾の広がり方、そして大きく揺れる胸が露出しないかをチェックする。特に背中と肩を大きく露出するため吊り下げ紐を使わず、圧迫感を軽減するため形を維持する骨も入れていない胸当てが外れないかどうかは実際に着用するまで分からないポイントだった。  生旅が回り終えた頃には、つむぎは満足げに笑みを浮かべていた。 「胸当ての方もちゃんと固定されてますね。苦しさがないというのであれば締め加減の方も問題ないでしょう」  つむぎの仕立てた胸当ては前面から見てω字型の構造をしており、左右から軽く締めて谷間の薄生地を挟んで固定されるようになっている。極めて豊かな乳房を持つ生旅だから可能な固定法であり、側面と下部を支えて胸の形を整える働きも期待できる方式だった。 「本当に胸が楽で驚きました! 私の我儘に完璧に答えて下さるなんて手織さんは凄いです!」 「ふふ……胸は隠さず、けれど抑えず、それでいて形を整える……なかなかの難題でした」  ドレスを仕立てる前につむぎはデザインについて生旅と話し合ったが、特に言葉を交わしたのが胸の扱いについてだった。  隠すか出すか。胸がコンプレックスの依頼主の場合小さく見せる場合もある。だが生旅は胸を可能な限りそのままにすることを望んだ。  両親から受け継いだ大きな胸は誇りであり、それを隠してウェディングは上げられないというのが彼女の想いだった。  そしてつむぎはそれに完璧に応えてみせた。あえて装飾を抑えることで無垢な子供らしさを残したまま、胸だけでなく全身を使ってセクシーな大人っぽさを出力し生旅らしい花嫁衣装仕立てたのだ。 「なんだか夢を見ているみたいです。少し前まで動けなかった私がこんな素敵なドレスを着てこんなに好きに動けるなんて……」  再び大鏡に向き合い、輝くような笑顔のまま様々なポーズを取っていた生旅の視界が急に滲んだ。 「あれ……あれあれ?」  突然のことに戸惑う内に大粒の涙が目から溢れ頬を伝って顎から滴り、胸元へ落ちる寸前で割り込んできたつむぎのハンカチに受け止められた。 「あ、ありがとうございます……何だか急に涙が出て来て、おかしいですよね…!」 「いいえ、感動の涙とはそういうものですから。生旅さまがわたくしの仕立てたドレスで心から喜んで下さり涙まで流して頂けるなんで仕立て屋冥利に尽きますよ」  青い眼で穏やかに微笑みながら、つむぎは涙を拭き取っていく。  生旅は目を閉じ静かに身を任せた。肌触りのいいハンカチに顔を撫でられる度にほのかに甘い香りが優しく漂い、包まれるような安心感が昂った心を少しずつ静めていく。  やがて涙は止まり、湿ったハンカチが肌から離れた。 「あの、ありがとうございました……」 「お構いなく。折角花嫁衣装で写真を取るのですから、やはり泣き腫らした顔よりも綺麗な笑顔の方がよろしいでしょう」 「写真……そういえば、タマちゃんの方はどうなってるんだろう……」  サイズの問題で建物内へ入れないタマちゃんはこの場にはいない。外でつむぎのパートナーであるシューモンにサイズを計られていたのが生旅が最後に見た姿だった。  体の大きさが大きさだけにちゃんと服が出来上がっているのか不安そうな表情を見せた生旅だったが、つむぎは力強く笑って胸を張った。 「お連れ様の事なら心配御無用ですよ。あのお方の服を仕立てているのはおじ様ですから」  その言葉に答えるように窓の外から声が聞こえてきた。 「おう、俺様の方はもう出来上がってるぜェ!」   威勢のいい声に振り向けば窓の向こうにツギハギの靴にツギハギのハムスターのぬいぐるみが入ったような姿をしたデジモンがぴょこぴょこと手にした針を振っていた。  彼はシューモン。つむぎのパートナーであり彼女以上の腕を誇る凄腕の仕立て屋だ。 「流石おじ様。あのお方のサイズに合う服は一から仕立てないといけない筈なのにそれをもう……」 「手やら翼やらが多い連中に比べれば図体がデカいだけの人型、それも上半身だけなんざ楽なもんよ! ほら二人ともこっち来なァ!」  可愛らしい見た目に似合わない荒い口調で手招きならぬ針招きされ、二人はシューモンの窓に隣接するバルコニーへ向かう。  色ガラスで彩られた扉を開けると、その先には光波打つ闇が広がっていた。  闇の正体は漆黒の礼服だ。深い黒に染められたデジウールの表面を柔らかく上品な光沢が胸元を飾るシルクフリルから外へ向かって流れている。放射状に広がる光沢の川を左右に分断しているのはシルクフリルの下から伸びる金色の縦帯だ。絹糸混じりの金糸で織られたそれは白味が強く黒の中でより明るく輝いて見えた。  着用者の体躯もあって息を呑むような威厳に満ちた一着だったが、当の着用者はまだ困惑の方が強そうな様子だった。 「私にはよくわからないが……どうだ、生旅?」  シューモンの衣服は完璧だ。窮屈さなどなく、着ているだけで安心と高揚が起こり、自信と余裕が芽生える。だが基本的に全裸のデジモンの中にはそれが違和感となって落ち着かなくなる者もいる。  裸マントが基本のタマちゃんもその一人であった。  その不安を知ってか知らずか、生旅は興奮した様子で目を輝かせた。 「すごくかっこいいよタマちゃん! 王様みたい!」 「そ、そうか……お前の様子を見れば本当にそう思っているのが分かるが……」  上から下まで舐めるように視線を巡らせながら、網膜に姿を焼き付けようとする生旅にタマちゃんは仰け反るように身を引く。  二人の様子を見ながらシューモンは靴底の顎で酒瓶を咥え、ぐびぐびと仕事終わりの一杯を楽しんでいた。 「ぷはぁっ! しかし王様ねェ。まぁ王子様って雰囲気でもねぇか!」 「黒の礼服なのですね。もしかして、ウェディングドレスを目立たせる為ですか?」  側に立ったつむぎが生旅たちの様子を眺めながら問いかけると、シューモンはんあぁと気の抜けた唸りを上げた。 「そいつもあるがなァ、あの黒マント肉体と一体化してやがるから色合わせねぇとちぐはぐな印象になっちまうのよ。おめでたい場に合わせるならいっそ黒をメインにして細けぇ飾りを付けた方がらしくなるってもんだ。まぁデジモンにはよくある話さァ……っと、撮影班からの合図だぜつむぎィ!」  シューモンが針差す方を仰ぎ見れば対面の建物の屋上でチカチカとライトが点滅を繰り返している。その下にはカメラを抱えた人影が大きく手を振っていた。 「生旅様、タマちゃん様、撮影の準備ができたようです。カメラの前まで移動してくださいな」 「はい! タマちゃん、行こう!」 「ああ」  笑顔で跳ねる生旅に短く返事をする。いつの間にかパートナーが次々と指定するポーズを取る余興に付き合わされていたタマちゃんは何処となくホッとした表情でつむぎとシューモンに向き直った。 「良い服をありがとう。おかげで生旅が喜んでいる」 「ニュッフッフッフッ!! 俺様が仕立てたんだから良くて当然よォ! だが楽しい仕事だったぜェ!」 「素敵なドレス、本当にありがとうございます! 今日のこと、私絶対に忘れません!」 「こちらこそ、良い仕事をする機会を貰えましたこと光栄に思います。撮影が終わりドレスを脱ぐ時にまたお会いしましょう」  豪快に笑いながら酒を煽るシューモンと長い髪を揺らし優雅にお辞儀をするつむぎにもう一度お礼を言って、生旅はバルコニーの手すりを乗り越えてタマちゃん下部の正十二面体から生える鉄の花の上に飛び降りた。  そのままタマちゃんの本体の側まで持ち上げられ、撮影班の前まで移動していく。  その途中で、花嫁衣装の生旅は礼服に身を包んだタマちゃんに今日一番の笑顔を向けた。 「タマちゃん、私今とっっっても幸せ!!」 「そうか……私もだ」  風と花びらが、二つの笑顔を飾った。