青石守は普通の少年である。 ただちょっとデジモンとかかわりがあって、ただちょっと個性豊かな仲間たちと面識があって、ただちょっと冒険する。それだけの。 だから彼自身こういう状況に慣れていないのもあったし、ましてや相手がかつて共闘してくれた少女であるということもあって、とても緊張していたのだ。 (どうしよう…会話が続かない…!)ある意味今回は、青石守最大のピンチかもしれなかった。 きっかけはごく普通のことで、学生の身空でありながら休みを持て余して暇だった守が、どこからかデジタルワールドのロードナイト村で開かれるイベントのバイトを聞きつけ、飛びついたことによる。 デジモンとの関わり故にデジタルワールドともそう縁が遠くない彼は、軽い気持ちで「護衛」を引き受けたのだ。 荒事はこれが初めてではないし、今はグレイモンとディノレクスモンに加え、偶然という形ではあるが手に入れた強力な切り札だってある。しかもそれでいて少なからず報酬も出る。旧友の女子ほどではないがそこまで自由にできる金銭を持たぬ守としては引き受けない理由がなかった。 しかしこの安請け合いが後に思わぬ形で守を苦しめるとは、このとき彼自身も予想だにしていなかったのだ。 自由時間をもらって外に出てみれば、村は甘い雰囲気が充満していた。イベントはイベントでも、当該村で開かれたのはブライダルイベント。なんでも本当に結婚したり、あるいは花嫁衣装を着たりしてカップルが結婚ごっこをしたり、カップル割などという便利な制度で男女が交流したりする催しだったのだ。 安請け合い、とどのつまりロクに話を聞かず飛び込んだ守としては面食らった。周りを見渡せばカップルがたくさんいる。聞けばかつてバーベキューの時に面識を持った無口な少年ですら、女性と一緒にイベントを楽しんでいると聞く。身一つで飛び込んだ守としては、当然相手なんかいないし、カップルの中に一人佇んでいることになる。どうみても場違いだ。居た堪れない気持ちでいっぱいである。 『これ守や。わざわざ出向くこともなかったんじゃないかの。ワシと一緒に家でのんびり…』 「…ディノレクスモンと家でのんびりってエロビデオ鑑賞会になっちゃうじゃんやだよそれ…」 『守!ボク、チョコバナナたべたい!』 「そうだなぁグレイモン…買うとしてどこで食べるかな…」 幸いパートナーデジモンたちをスマホに入れて外出できるため、話し合いには困らない。ディノレクスモンだけでなくグレイモンもそばにいるのはありがたかった。 とはいえ(デジモンに性別があるのかいまいちわからないが)彼らも男である。自分も含めて野郎3匹ではむさいことこの上ない。今回でなければ心強い友たちであったが、不運なことにタイミングが悪い。 もうズラかるかな…と思って座っていたベンチを立った、その時。 「…そこの人、お一人ですか?」 凛と澄んだ声がかけられた。聞く限り女性である。それだけでも僥倖だったが、守としては聞き覚えがあるその声に惹きつけられた。 「…あれ!?こないだのお姉さん!?」 振り返ってみれば、和服のような衣装に身を包んだ少女が1人。艶やかな黒髪が風に靡いてなんとも麗しい。見れば、見覚えのある狐面が側頭部にかけられている。その面を見て守はピンときた。以前二度ほど共闘した少女である。まさかこんなところで再会するとは。 「宮本楓です。青石さん…でしたよね。お久しぶりです。ご健勝のようで何よりです。」 「こ、こちらこそ!ハハ…まさかこんなところでまた逢えるなんて思いませんでしたよ。ブシアグモンさんも一緒ですか?」 凛としてクールな楓と、どこかそそっかしいところのある守。一見するとあまり共通の話題もなさそうに見えるが、その実彼らにはデジモンという繋がりがある。そもそもここもデジタルワールドで、そんなデジモンの総本山とも言える場所。不思議な縁である。 「それなんですけど、ブシアグモンったら色んなお菓子を食べたいと言ってまして…ちょっと私では持ち合わせが…」 「あー…わかります。ウチのグレイモンも色々食べたがってるんですけど、どこから回れば良いか…こういうの慣れなくて…」 「ですよね…」 自然と会話できたのは、もともと面識があるというだけでなく、楓の口調がとても柔らかいこともあるな、と守はふと気づいた。よく考えれば、スコピオモン戦とこの前の戦い、どちらも戦いの中でしか彼女と接していない。戦いじゃない時はこんな感じなんだな、と守はとても新鮮な気持ちであった。 「それでその…ちょっと申し訳ないんですけれども…このお祭りって『カップル割』というものがあるでしょう?」 …ん?会話の流れが中々予期せぬところに行ってるぞ?守としては既知の間柄である少女とちょっと世間話、くらいの気持ちであった。単純にそれ以上の考えが思い浮かばなかったのもあるが。なのでそれに続く言葉に、守は初めてグレイモンと出会った時と同等に驚いたのだった。 「よろしければご一緒しませんか?」 そりゃあもう渡りに船、地獄に仏(語弊あり)である。 まず大前提に綺麗な女の子に誘われて舞い上がらない男はいないだろう…いないよね?いないよな…脳裏に浮かんだ審査員仲間たちに語りかけるが、彼らは何も答えてくれない…ゼロシステムかな? さらにそれが何度か面識のある女の子である。守としても大変気が楽になる。しかも相手方からのお誘い。断る理由などなかった。 「そりゃもう!こちらこそよろしくお願いします!」 人生でここまで90°近いお辞儀ができたっけ、と守は思うのであった。 ちなみにディノレクスモンは楓と出会ってからというものの「スケベ和服!スケベ和服!」と大変うるさかったので、大量のパルモン画像ともどもカメラロールに幽閉した。しばらくは大丈夫だろう。閑話休題。 『守!守!このチョコバナナ美味しい!この綿飴も美味しいよ!』 「そりゃよかった。買いに来た甲斐があったな。」 「楓!ここの菓子は美味だぞ!其方も食べると良い!」 「ブシアグモンったら…」 2人のパートナーデジモンたちは大層嬉しそうにお菓子にはしゃぐ。 グレイモンの巨体ではどこにリアライズさせるか、お菓子がどれくらいで足りるかも不安なところはあったが、楓のブシアグモンに教えてもらったおかげで、購入したお菓子をプラグインに変換してスマホ内のグレイモンに与えるという方法で解決を見た。 普段お菓子をあまり食べさせてもらえない(虫歯予防的な意味で)グレイモンとしては滅多に無い羽目を外せる機会である。大好きなお菓子に舌鼓を打ち、とても幸せそうで微笑ましい。なんならブシアグモンともお菓子の感想をシェアしている。仲良きことは美しきかな。 ちなみに「もうパルクールは勘弁するんじゃあ…」というディノレクスモンの断末魔の声がカメラロールのアイコンから聞こえるがしばらく無視である。死にはせん。 しかしデジモンとデジモン、人間とデジモンの会話はともかくとして、人間同士の会話がここまで途切れるとは思わなかった。守も楓も双方を悪く思ってはいないのは確かである。守だけでなく楓も、ブシアグモンがはしゃぐ様に柔らかく微笑んでおり、楽しそうなことは間違いないだろう。しかしながらどうにも会話のネタが尽きたのだ。 それもそのはず、日常の中で生きているその辺のフツーの少年である守と、闇夜を駆け抜けて悪を斬る楓とは、普段と一口に言ってもまるで違うのである。守としては色々な会話のネタを振ってはいるのだが、生来弄られ気質で(最近は歳の離れた妹にも弄られ始めた。泣く。)どちらかと言えば会話も引っ張ってもらうことが無自覚に多く(あの謎のエージェントもだいたい向こうから接触してくる)、自分からリードする、まして女性を相手にというのが慣れないのだ。 楓もぎこちない自分の会話に相槌を打ってくれるが、彼女がこの手の話題に慣れないのか、あるいは守の振る面白いけどちょっとマイナーな漫画の話が趣味に合わないのか、やがて会話が途切れてしまう。 (どうしよう…ネタが尽きた…!万策尽きた…!どうする!?どうする!?) いや女の子と2人っきりの時に漫画の話ってどうなの…という心の中の某マヌルネコの非難の目からは必死に目を逸らしつつ、守は決して深くは無い人生経験をアテに脳をフル回転させていた。 膠着していた状況が動いたのは、意外なことに彼女の方からだった。 「青石さんは、先刻はお身体は大丈夫でしたか?」 「…俺、ですか?」 一瞬反応が遅れたが、それがこないだの戦いのことであるとはすぐに思い至った。自分が死の淵を彷徨った末に、新たなる力─────グレイナイツモンを手に入れたあの戦い。思えば、あの時にちょっと一皮剥けた気がする。 それはともかくとして、死にかけたのは間違いない。彼女はそのことを心配しているのだろう。 「そうですね〜…直後は大変でしたけど、今は元気ビンビンっすよ!ほらこの通り!ふんぬぅ!」 『守!力こぶそんなに大きくない!』 「それを言うなグレイモン…!」 プルプルと震えながらダブルバイセップスを保とうとするが、どうにももたない。強がってみるも、普段慣れないことはしない方が良いものだ。結局気の抜けた風船のような音を立てて(比喩)守はしんなりと萎んだ。 そんな彼の様子がおかしかったのか、楓は鈴の転がるような声をあげて上品に笑っている。 「…よかった。あれだけの戦いでしたから、心配だったんです。」 「いやぁ心配かけちゃったみたいですみません!でも大丈夫だったっすよ!なんせ楓さんにも助けてもらえたし!」 「…そんな。私はそれほど…」 「いやいや〜。マジで心強かったんです。あの時本調子でもなかったし。楓さんが来てくれた時本当に安心しました。今日だって…」 「…今日だって…?」 「…あ…いや…深い意味は…」 失言だった。今日のことまで話してしまえば、「暇だったから誘いを受けた」なんて失言に繋がりかねない。これは彼女に失礼すぎる。勢いで突拍子のないことを口走ってしまうのは守の悪い癖でもある。 いつものように滝のような汗が流れ始める。まずいまずいまずい。どうする…?先ほどよりも脳の回転数を上げるが、女性経験のない守の脳が弾き出せる回答は結局彼の人生経験をソースとしているので、有益なものは何一つない。 「…ふふ。変な青石さん。」 固まった守を見た楓は、ブシアグモンともども少し訝しんだが、くすりと小さく笑ってそのまま流してくれた。こちらの動揺を感じ取ったか否かはさておき、助かった…。守は今日は悪運が強いらしい。 それからは出店の菓子や料理を割り勘で楽しみ、他の様々な出し物を見る。どれもデジタルワールドはおろか現実世界でも中々お目にかかれないもの珍しく見応えあるものばかりである。守も楓も相好を崩してとても楽しんだ。守としては、付き合いが少ないのもあって、目の前の彼女がこんなに笑うだなんて予想もしておらず、それもまた楽しい気分を盛り立てた。ところでなぜプロレスリングで覆面レスラー同士が大格闘を演じているのか、これについては守も楓もよくわからなかったが。 「…楽しいなぁ…こんな時間がずっと続けばいいのに。」 それは何の気もなく守がつぶやいた言葉である。けれど。 「…そうですね。」 その言葉を受けた楓の表情は、心なしか曇っていた。 ひとしきり回り終え、先ほど出会った広場のベンチにたどり着く。どちらともなく、ベンチに座り、ブシアグモンはその背もたれにそっともたれかかった。 「いやぁ良かったですね催し物!次どこ見ます?プロレスもなんだかんだ熱かった!俺プロレスよくわかんないっすけど…」 「青石さん。」 「はい?」 不意にかけられた言葉に、素っ頓狂な返事を返す守。その次に告げられた言葉に、思わず言葉を失う。 「今宵はここまでです。私は帰らなきゃいけません。」 「…へ?」 どうして?もしかして意図せず気分を害したか?守の若い思考は有り得る可能性を辿ってまた頭を働かせる。今日は何だか身体より脳を酷使する日だな…と不意に思いつつ、気を取り直して何か取り繕おうとしたその時。 「今日はとても楽しかったです。決して貴方が嫌だったとは思っていないんです。でも、私は今日はここまでしかいられないんです。」 「えと…その…?」 「すまぬ。青石少年。楓はデジタルワールドには限られた時間しか居れぬのだ。」 ブシアグモンが堪らず補足する。何かのっぴきならないことがあって、長居はできないらしい。本人も申し訳なさそうにしている。そうか、と、事態を飲み込めた守は単純に思った。変にごねたりはしない。長居はできないのに、今日この時まで自分に付き合ってくれたのだ。むしろこちらが感謝する立場である。彼女が来なければ今日自分は寂しいままだった。 「すみません。時間がないようです…」 彼女の姿がデジタルな光に包まれ始める。守はこの光に見覚えがあった。リアライズするデジモンが当初纏っているものと同じ。どうやら現実世界に送還される兆候らしい。申し訳なさそうに俯く彼女に対して、守がかけられる言葉は限られている。時間的にも、間柄的にも。だから決して彼女が引け目を感じないように、端的に述べた。 「また会いましょう!今度は現実世界で!いつか!」 「…はい!」 短いやりとりだった。けれどその言葉に万感を込めた。貴女といて今日はとても楽しかった。また会いたい。今度は時間がある時、自分から誘います。それの全てが伝わったかはわからない。 けれど、楓は狐面で隠すことなく控えめな笑顔で応えてくれた。光を伴って、彼女とその相棒は、幻想的な情景を作り出しながら、静かに姿を消した。 妖精みたいな女の子だったなぁ…。守はそう述懐する。 音もなく現れて、颯爽と自分を助けてくれて、音もなく去っていく。まるで幻のように、いつも彼女は守の前に現れる。 『なんじゃ守。口説き損ねたんじゃなかろうな?』 「うるさいぞディノレクスモン。それにそんなんじゃない。」 いつのまにかパルモンの海から脱出したらしいディノレクスモンがスマホの中から声をかけてくる。よく考えれば知り合いというだけで、恋仲というわけでもない相手だ。それでも声をかけてくれたあたり、少なくとも良くは思っていてくれるのだろうとは思いたいが。 『ムキになっとるのう。まだ青いな。』 「そうかいそんなに言うならもう一度嫌というほど緑を見せてやろう」 『あっやめっパルモンはもう嫌じゃっ。パルクールはもうゴメンじゃ。』 素直に退いたディノレクスモンを見遣りつ目線を戻す。…いいさ、また現実世界で会えばいい。今生の別れというわけでもあるまい。寂しいけれど、これが終わりではないのだ。深く考え込んでも、立ち直りが早いのは守の長所である。彼は立ち上がった。気分を変えてまたプロレスでも見にいくかな。 『守!今度はかき氷食べたい!』 「おっそいつは良いね。俺も食べようかな。」 幼い相棒の言葉を機に、守はもう一度出店に赴こうとしたが、その時。 「大変だーーっ!!崖の方で戦闘が起こってる!!警備!!警備はどこ!?」 誰かの声が聞こえる。そういえばたくさん自由時間をもらったのだ。自分のやるべきことはまだまだある。 「…悪いな、グレイモン。かき氷はまた後だ。」 『行くのか?守や?』 『ボクも手伝うよ守!』 どうやら俺のやることは決まったらしい。 「ありがとう!行くぜ2人とも!」 『『応ッ!』』 少年と、スマホから飛び出た2体の相棒は、一斉に駆け出した。 それは、ある日の少年の青春の一ページ。 (終)