「真経津殿は恋人はいたのでござるか?」 「…なによ、藪から棒に。」 休日の鏡見宅にて 昼食を終えひと段落した二人は、いつものように雑談を始める。 「いや?真経津殿は身の上話を全然しませんからな。」 思わずため息をつく真経津。 「……いたわよ。」 「ほーう、どういう方だったんですかな?」 返答が返ってくるとは思わなかった鏡見は思わず深堀しはじめようとする。 「あんたよりも男前よ。」 「ンフフ、それはそうでしょうな。  どういう経緯で知り合ったのでござるか?同棲とかしてたんですかな?」 「やけにグイグイくるじゃない。  ……あんたに教えて、何になるのよ。」 「確かにそうですな。では、これ以上は聞かないでござる。」 そういうと鏡見は台所へと向かい、台所掃除を始めだす。 いつもは興味を持ったことに粘着質だというのに、 あっさりと引き下がった様を見て、真経津はあっけにとられる。 (あれだけ興味津々だったのに、急に切り上げるとか…なんなのよ。) 鏡見の振る舞いにモヤモヤした感情を抱きながらも、彼女はソファに腰かけて目を閉じた。 ◇ 「あきら…。俺を……食べて………くれ。」 横たわる男の腹からとめどなく血が流れ、所々中身が飛び出してきている。 もはや男の命は数分で尽きるだろう。 「駄目っ!弱気にならないで!大丈夫…大丈夫だから……っ。」 そんな彼を必死に励まそうとする真経津。 彼はもう助からない、頭では理解しているが、心がそれを認めようとしない。 「――ゴホッ!………もう、ダメなんだ……。わかる……だろ…………?」 「嫌…ッ、嫌ッ!ダメ…あきらめないで…ッ!お願い……お願いだから……!」 真経津は両手で必死に止血するが、そんな彼女の行動をあざ笑うかのように 両手の隙間から彼の血がとめどなく流れていく。 「俺は………他の…やつらに……食わ…るの……は、ごめんだ………。  どうせ………なら……あきらに……たべられ……た………………………。  ……………………。」 男の目は虚空を見つめ、全身から力が抜けていく。 「ちひろ?……ねぇ、ちひろ……ッ!返事をして!ちひ……。  …………お願い……、お願い……だから…目を開けて……。」 遠くでは獣らしきものたちの唸り声と戦闘音が響き渡る。 真経津は亡骸となった彼に縋り付き、ただただ嗚咽をこぼすことしかできなかった。 「くそっ、こいつで全部か!晶!財部!大丈夫――、こいつは……………。」 二人の元へ、仲間と思わしき異形の男性が駆け付ける。 血だまりの中に横たわるものと、それを抱きしめ血に染まった女を一瞥し、 彼の命が失われたことを悟る。 「……晶、完全体の階梯に昇ったコイツをこのままにはできない。  お前には辛いだろうが、コイツはここで――。」 彼らが身を置く戦場には残酷なルールが存在した。 敵を屠り、喰らうほど強くなる。 敵の血肉を得ることで、怪物たる彼らは力を得る。 故に、怪物たちは肉片一つ残らず喰らいつくす。 たとえそれが、先ほどまで仲間だったものであっても。 「……………………彼は、私が、やる。」 接近を制止するように、必死に絞り出したような、震える声で言う。 私がやる。それはつまり、恋人の亡骸を食べるということ。 「そうか、……できるのか?」 「ちひろに…頼まれたんだもの。  食べてくれって!だったら!……だったら私がやらないとッ!」 異形の男の瞳には、ぐしゃぐしゃに泣き腫れながらも、 決意を固めた女の顔が映っていた。 即断即決。それが、彼女たちを生かしてきた。 悲痛な想いに浸ることを、この戦場は許さない。 故に―― 「なるべき早く済ませてくれ。戦闘の音を聞きつけて何匹かここに集まってきている。」 「……………わかってる。」 真経津の体が軋み、いたるところから赤色の肉がせりあがる。 鋭く尖る爪牙が生え揃い、恐竜を思わせるような躯体へと変じる。 彼女は、一瞬のうちに怪物の姿へ変成した。 (ちひろ………ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!) 彼と彼女は、結婚の約束を交わしていた。 人類の絆が衰退し、人と人とのつながりが希薄なこの世界に珍しい、 誰もがうらやむような愛を築いていた。 社会の荒波が苛んでも、彼女たちは常に愛で乗り越えてきた。 その、最も愛すべき人を、 喰らう。 肉の千切れる音がする。骨の砕ける音がする。臓物が弾ける音がする。 腕を、足を、臓物を、骨を、脳を、眼球を、 喰らう。喰らう。喰らう。喰らう。喰らう。喰らう。 何一つ残さず喰らいつくす。 愛する者を誰にも渡さない。 自分以外に誰にも渡さない。 この戦場において、あらゆる行動に速度を求められる。 それは捕食に関しても例外ではない。 素早く、無駄なく、不足なく。 彼女は瞬く間に、愛するものすべてを飲み干した。 彼との思い出も、約束も、未来も、 すべて、すべて、腹の中に。 ◇ ――ふと、目が覚めた。 嫌な夢を見た。夢であってほしかった。 けれど、それはまぎれもない現実。 誰も知らない、私の中に残った記憶。 私だけに残された、昔日の残響。 「何見てんのよ。」 「寝顔もなかなかキュートだな、と。」 微睡みから目覚めた真経津の目には、鏡見のにこやかな顔が映っていた。 「……あっそ。」 覗き込む鏡見の顔を見て少しだけ安堵する。 ひどく悲しい夢を見たはずなのに、彼女の胸には今までのような痛みはなかった。 ゆっくりと体を起こし、真経津は部屋の隅にあるデジタル時計に目を向ける。 昼食から2時間ほど眠っていたようで、窓の外の太陽も中天の座を明け渡していた。 「真経津殿、今日の夕飯は何かリクエストあるでござるか?」 「べつに。なんでもいいわ。」 「それは重畳。拙者今日は楽したい気分ですからな。  残り物をちゃちゃっと片付けるでござるよ。」 そう言うと、鏡見は夕飯の支度をする。 冷蔵庫の中を見つめながら、いつもと同じように、真経津のために料理を作る。 (………………。) 少しだけ過去を思い出す。 なんでもいい、そう言った千尋に怒ることもあった。 「ねえ、あんたには恋人とかい――」 「いるわけなかろう。」 即答。 「そもそも拙者はまだ中学生でござる。色恋沙汰はもっと大人になってからで…」 「そうやって先延ばしにして、結局中年まで童貞貫くハメになるのよね。」 「ンフフフフフフフフ、なんでそんなこというの?」 鋭い一撃(クリティカル) 真経津のプレスアイコンが点灯する。 「それに、あんたデリカシー無いし。何でも根掘り葉掘り質問するし。  自分の知りたい事優先しがちでしょ?絶対モテないわよ。」 致命の一撃(オーバーキル) だが、鏡見は食いしばった。 「お昼の事怒ってるでござ――」 「べつに。」 即答。 「あいつは、私が喰らったから。」 「……DiMサバイブ計画、でしたかな?彼氏殿はその時に。  いやはや、申し訳ない。」 「まったくよ。まあ、事情を知らないんだから仕方ないだろうけど。  あんたはもう少し異性に対する配慮というのを覚えなさい。」 「ンフフ、面目ない。  (家の中を全裸で過ごそうとしてた女性が言うセリフか…?)」 鏡見はなんとなく納得いかない気持ちを抱きつつも、 夕飯のための下ごしらえを始める。 その姿を見て、真経津はいつものように声を掛ける。 「………夕飯は何にする予定なの。」 「んー?ポトフでも作ろうかと。  野菜が中途半端に余ってますからな、一網打尽にしようかと。」 包丁の音を奏でながら、鏡見は返答する。 ポトフ。その名前を聞いて、真経津はほんの少しだけ高揚する。 それは彼女が戦場を抜け出し、 この世界の現実世界に来て、最初に口にした料理。 かつての戦場において、食事とただの行為でしかなかった。 生き残るため、強くなるため、敵を喰らう。 舌が感じるものは、肉の臭みと、臓物の暖かさと、鉄に似た血の味。 ただそれだけだった。 特段何かをアレンジしたわけでもない、プロが作ったわけでもない。 具材の大きさもバラバラで、味付けもそこまで凝ってもいない。 それでも、優しい塩気と、具材から染み出した"味"は彼女にとって―――― あのとき流した涙は、一体何だったのだろうか。 その理由は、彼女自身にもわからない。 ほんの些細な、それでいて少し恥ずかしい 鏡見と真経津の、二人だけの記憶。 そんな思い出をリフレイン。 ◇ 「――あんた、なんで急に恋人の話なんてしたの?」 夕食の席にて おもむろに真経津が質問する。 「ああ、実はですな、デジタルワールドでウェディングイベントなるものが催されるみたいででして。  真経津殿にはそういうのに縁があるのかなーと思って。」 「結婚ね。…………あいつとは婚約してたけど、今じゃあたしのここン中よ。」 そう言うと、真経津はお腹の部分をぽんぽんと叩く。 「では、結婚式とか、ウェディングドレスとか、そういうのも未経験でござるか。」 「……あの世界はこっちと違って、そういうのやらない風潮だったから。  ただの書類上の結婚で、大々的に何かをすることは考えてなかったわ。」 別の世界の事情を話しつつ、口の中で具材を転がす真経津。 人間と違い口の構造が異なるため、硬い食べ物はどうしても咀嚼音が出てしまう。 だが今口にしている料理は、舌の圧ですり潰せるし崩れて解ける。 誰かと食事する場面において、気兼ねなく舌鼓を打てる。 そんなこともあって、彼女はこの料理に対して好ましい感情を感じている。 「でも花嫁衣裳には興味があるんでござろう?」 「…なに?あたしに着せたいの?こんな体のあたしに?」 「姿形は関係ないですぞ、女性なら皆花嫁衣裳を着る権利があるでござるよ。」 「もう、私には一生縁のないものよ。」 「せっかくつないだ命なのですから、もう少しエンジョイするのもよいでしょうに。  ……自分だけ生き残ったことに、罪悪感があるのですかな?」 「…………。」 沈黙する真経津。 多くのものを手に掛けて、自分だけ第二の人生を謳歌する。 そんなものが許されるはずがないと、無意識で考えていた彼女は否定できなかった。 「真経津殿。背負った罪で道を選んではいけないですぞ。  人間というのは、選んだ道で罪を背負うのでござるよ。  …まあ、受け売りの言葉ではござるが。」 「あんたは頑なに人間扱いするのね。」 「それはもちろん。  こうやって食卓を囲み、過去の痛みをさらけ出し、分かり合おうとする。  まさしく、人の営みそのものではござらぬか」 「さらけ出してるのは私だけじゃない。」 「ンフフ、その通りでござる。  拙者も明かさねば平等とは言えませんな。」 「それは……、またの機会にお願いするわ。」 そう言うと、真経津は食事を続ける。 付け合わせに出されたガーリックトーストを頬張り、その風味を堪能する。 ニンニクの香ばしさとパンの食感が、彼女の口の中を駆け抜ける。 「話を元に戻しますが  どうでござる?ウェディングイベント、ちょっと見に行ってみませんかな?  そちらの世界とこちらの世界の違いを見るのも、結構面白いかもしれませんぞ?」 「……行けたら行くわ。」 「それ絶対行かないやつ!」 そんな会話を繰り広げながら、二人の時間が過ぎていく。